胡の地より   作:遼心

84 / 87
析律の仕事は戦の指揮だけではない。金国内のあらゆる問題に対処しなければならなかった。析律は粘り強く問題と向き合ううちに、己の成長を感じるようになった。それは人を育てる術にも通じ、丞相としての器量を開花させていった。


第八十三話 国の歪み

 撻懶(ダラン)が病没し、丞相を引き継いで五年がたっていた。

 撻懶にはよく決断の優柔不断さを叱責されていたが、この五年、無我夢中で職務に当たるうちに、決断で迷うことはあまりなく、自信が持てるようになった。役職が人を育てるというか、環境が変われば人の欠点も知らず知らずのうちに克服できる、という事なのかもしれない。

 そう思うようになってから、析律(せきりつ)は実力が出せない部下がいた場合、しばしば配置換えをすることがある。よく部下と話し合ってみると、その性格や適正がぼんやりと見えてくのだ。 

 大人しい性格の部下が、時折はっとするほど果敢な判断や、発想をすることがある。そういった意外性を見せる部下は、思い切って一年ほど地方に赴任させ、自由に仕事をさせてみると、驚くほどの成長を見せたりするのだ。

 逆にやさぐれて帰ってくる者もいる。好奇心が旺盛な者の方が、配置換えによる成長が著しい。

  不思議なことに、そのような成長を見せた部下は、不正をしない清廉な傾向にあり、与えられた仕事に没頭するようにもなる。

  中央で働くことを望んだり、出世欲や金銭欲を表に出したりするような者は、影で不正を働く傾向にあるようだ。

 金国内での不正は、問題になっていた。

 特に役人が軍人と結託し、民の資産を没収するような事案が後を絶たない。地方の役人に対応を指示しても、その役人が加担している場合も少なくない。不正の実態は、析律が信頼する部下を各地に潜伏させ、明るみになったことだ。

 不正の原因は、貧困にある。金国の統治制度は北宋のものをそのまま引き継ぎ、役人の権限を限定的なものにした。

 加えて金国は女真族の税を優遇し、漢族、契丹族の税を重くする政策を続けている。従って金国の漢族、契丹族は貧困に陥り、不正の動機となった。

 金国の圧倒的多数を占める漢族、契丹族の貧困の問題も、今は目をつむるしかなかった。南宋の豊かな物産を支配下に置ければ、金国の内政改革も夢ではないはずだ。

 今の南宋の発展は、一重に秦檜の能力によるものだった。秦檜は金国との講和を実現し、その間に絹織物の交易路を拓き、南宋の財政を再興させた。その秦檜の手腕を参考にしたかったが、秦檜率いる南宋は岳飛によって壊され、秦檜は失脚し歴史の表舞台から消えた。講和派の秦檜が主戦派の岳飛を謀略に掛けたことで、秦檜は売国奴の汚名を着せられることになったが、その心中はいか程のものだったのだろうか、今となっては知るすべはない。

 析律はしばらく瞑目し、すでに夜も更けた丞相府に意識を向けた。宣戦の儀を前に静まり返っている開封府も、明日からは戦時となり、戦いのための街へと変わる。

 ふと誰かが近づいてくる気配がした。その気配は極力気を押さえようとしているが、なにやら不穏なものを感じた。

「こんな夜更けに、どなたかな?」

 析律は思わず、戸の向こうへ声をかけた。

「丞相、まだ執務中か。入るぞ」

 戸を開けて入ってきたのは、なんと海陵王だった。驚いた析律は一歩後退って平伏した。

「これは陛下、このようなところへ、お一人でいらしてはなりません」

 析律は頭を伏せたまま言った。

「気にするな、丞相。少し話がしたくてきた。湯を所望できるかな」

「陛下、酒や茶もありますが」

「いや、俺は戦時は兵と同じものしか口にしない。これは叔父に教わったことなのだが」

 海陵王はいつもと違い、少し穏やかな様子だった。析律はすぐに手を叩き、侍女に湯を運ばせた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。