撻懶(ダラン)が病没し、丞相を引き継いで五年がたっていた。
撻懶にはよく決断の優柔不断さを叱責されていたが、この五年、無我夢中で職務に当たるうちに、決断で迷うことはあまりなく、自信が持てるようになった。役職が人を育てるというか、環境が変われば人の欠点も知らず知らずのうちに克服できる、という事なのかもしれない。
そう思うようになってから、析律(せきりつ)は実力が出せない部下がいた場合、しばしば配置換えをすることがある。よく部下と話し合ってみると、その性格や適正がぼんやりと見えてくのだ。
大人しい性格の部下が、時折はっとするほど果敢な判断や、発想をすることがある。そういった意外性を見せる部下は、思い切って一年ほど地方に赴任させ、自由に仕事をさせてみると、驚くほどの成長を見せたりするのだ。
逆にやさぐれて帰ってくる者もいる。好奇心が旺盛な者の方が、配置換えによる成長が著しい。
不思議なことに、そのような成長を見せた部下は、不正をしない清廉な傾向にあり、与えられた仕事に没頭するようにもなる。
中央で働くことを望んだり、出世欲や金銭欲を表に出したりするような者は、影で不正を働く傾向にあるようだ。
金国内での不正は、問題になっていた。
特に役人が軍人と結託し、民の資産を没収するような事案が後を絶たない。地方の役人に対応を指示しても、その役人が加担している場合も少なくない。不正の実態は、析律が信頼する部下を各地に潜伏させ、明るみになったことだ。
不正の原因は、貧困にある。金国の統治制度は北宋のものをそのまま引き継ぎ、役人の権限を限定的なものにした。
加えて金国は女真族の税を優遇し、漢族、契丹族の税を重くする政策を続けている。従って金国の漢族、契丹族は貧困に陥り、不正の動機となった。
金国の圧倒的多数を占める漢族、契丹族の貧困の問題も、今は目をつむるしかなかった。南宋の豊かな物産を支配下に置ければ、金国の内政改革も夢ではないはずだ。
今の南宋の発展は、一重に秦檜の能力によるものだった。秦檜は金国との講和を実現し、その間に絹織物の交易路を拓き、南宋の財政を再興させた。その秦檜の手腕を参考にしたかったが、秦檜率いる南宋は岳飛によって壊され、秦檜は失脚し歴史の表舞台から消えた。講和派の秦檜が主戦派の岳飛を謀略に掛けたことで、秦檜は売国奴の汚名を着せられることになったが、その心中はいか程のものだったのだろうか、今となっては知るすべはない。
析律はしばらく瞑目し、すでに夜も更けた丞相府に意識を向けた。宣戦の儀を前に静まり返っている開封府も、明日からは戦時となり、戦いのための街へと変わる。
ふと誰かが近づいてくる気配がした。その気配は極力気を押さえようとしているが、なにやら不穏なものを感じた。
「こんな夜更けに、どなたかな?」
析律は思わず、戸の向こうへ声をかけた。
「丞相、まだ執務中か。入るぞ」
戸を開けて入ってきたのは、なんと海陵王だった。驚いた析律は一歩後退って平伏した。
「これは陛下、このようなところへ、お一人でいらしてはなりません」
析律は頭を伏せたまま言った。
「気にするな、丞相。少し話がしたくてきた。湯を所望できるかな」
「陛下、酒や茶もありますが」
「いや、俺は戦時は兵と同じものしか口にしない。これは叔父に教わったことなのだが」
海陵王はいつもと違い、少し穏やかな様子だった。析律はすぐに手を叩き、侍女に湯を運ばせた。