【One Piece.アーカイブ】ホロライブ青春短編集2 ワンサマー Libera me from AI 文体は文学多め。【実験途中報告】スーパーイマゴ・デイ・ゴッドの創造に成功。 作:夏目陽光
午前四時十五分。まだ夜の底が引きずられているような薄暗いガレージの中で、スマホの液晶が無機質に光っている。眠気なんて最初から一ミリもなかったんだよね。重い鉄のシャッターを、腰を落として一気に引き上げる。ガラガラとけたたましい音が朝の静寂を容赦なく引き裂いていって、一晩中そこに閉じ込められていたオイルと、ほんのり甘いガソリンの匂いが一気に鼻腔を突いた。目覚ましがけたたましく鳴り響くよりもずっと前に、僕の意識は完全に跳ね起きていた。だって何日も前から頭の中でルートを何度も反芻して、どのカーブでギヤを切り替えるかまで妄想してたんだから、完全に遠足前の子供のそれじゃん。この歳になって、しかもこんな全身の筋肉を使う重労働な趣味で遠足前パニックをやらかすなんて、自分で自分のオタクっぷりがちょっと愛おしくなって笑っちゃう。
裸電球の頼りない光の中に佇んでいる、僕の最高に最高な相棒に視線を落とす。ホンダのCB400SF。世間の器用な連中が「教習車」だの「優等生」だのと言って、どこか無難で退屈な乗り物みたいに語るのが、昔からどうにも我慢ならないんだよね。このシリンダーブロックの美しく整然とした並びとか、四本のエキゾーストパイプが一本の太いラインへ収束していくあの滑らかな湾曲、これマシンの構造を設計したホンダのエンジニアたちの執念そのものじゃん。好きすぎてさ、夜な夜なパーツリストとか構造図を舐めるように調べ尽くしちゃった結果、今や脳内にこの子の全神経系が焼き付いている。理屈で誰かにマウントを取りたいわけじゃない。ただ、この機能美の塊が、僕にとっての最強のヒーローベルトなんだってだけの話。
肩と肘にゴツゴツしたハードプロテクターを仕込んだ、黒いナイロンのライディングジャケットに腕を通す。ジッパーを首元まで引き上げると、上半身が不自然に四角く膨らんで、自分が少し特撮の主役にでもなったような無敵感が胸の奥から湧き上がってくる。高強度繊維のライディングデニムは、膝のハードカップのせいで歩くたびにカチカチと突っ張って、ペンギンみたいな不格好な足取りになる。それでも、つま先に硬いシフトガードがついた本革のブーツを踏み締め、手の甲にカーボンスライダーが鈍く光るグローブのベルクロをバリバリと強く締め直した。身体の奥の血が、一気に沸騰していくのがわかる。よし、いこうか、スーフォア。誰もいない薄暗い空間でそう呟いた自分の声は、フルフェイスヘルメットの内側にこもって少し低く響いた。輪堂千速という、普段背負っている色々な看板とか配信のカメラの向こうの世界が、シールドをパチンと下ろした瞬間にすべて遮断されて、ただ一人の純粋で不格好なバイクバカとしての現実だけが視界に残る。
イグニッションにキーを差し込み、右へカチリと回す。デジタルメーターがパッと点灯して、タコメーターの針が一度だけ最高回転数までギュンと跳ね上がってから、静かにゼロへ戻る。このお約束のオープニング演出に、何百回、何千回目だろうが毎度胸を躍らせてしまう。僕は一生ガキのままだ。スターターボタンを親指で思い切り押し込む。
キュキュキュ、ブォォォン。
四気筒エンジン特有の、雑味のない重厚な爆音がガレージの壁に反響した。右手の手のひらに伝わる、スロットルグリップの僅かな遊び。それをほんの数ミリだけ捻ると、エンジンは弾けるようなレスポンスで回転数を上げ、コンクリートの床を激しく震わせる。この精密な時計仕掛けが超高速で回っているような音が、耳に心地よくてたまらない。クラッチレバーを限界まで握り、左足のつま先でシフトペダルを一速へ踏み込む。カチャンという硬質な金属の手応えが、ブーツの厚い底を透過してダイレクトに伝わってきた。
中央自動車道へ滑り込む。まだ夜が完全に明けきらない時間帯の、容赦ない冷たい走行風が、カウルのないネイキッド仕様の車体に正面からぶち当たってきた。時速百キロメートルでの巡航。ジャケットのナイロン生地がバタバタと激しく音を立て、油断するとヘルメットごと首が後ろに持っていかれそうになる。ちょっと待って、これ一時間も走ったら首の筋肉が完全に死んじゃうじゃん。思わずヘルメットの中で素の声が出た。前傾姿勢をとって、燃料タンクに胸を擦りつけるように身を伏せてみるが、風圧は容赦なく僕の体力を削っていく。それでも、風を全身に浴びて、スピードという見えない壁を身体一つで切り裂いていく生々しい感覚に、口角が勝手に上がってしまうのを止められない。走っている。それだけで、頭の中のうるさい雑音が全部吹き飛んでいくんだ。
大月ジャンクションを越えて富士吉田線に入ると、朝日に照らされた前方の視界に、圧倒的な質量を持った富士山のシルエットが浮き上がった。うわ、デカい。その青黒い巨体を目の当たりにした瞬間、心臓がトクトクと暴れ狂う。スーフォアのエンジンは、そんな僕の爆発するようなパッションを全部知っているかのように、一分の狂いもなくシュンシュンと滑らかに回り続けている。ホンダの圧倒的な技術の結晶があるからこそ、僕はただ純粋に走る楽しさだけに没頭できるんだよね。
河口湖インターチェンジを降りると、空気の匂いが一気に変わった。針葉樹の少しツンとした清々しい香りが、ヘルメットの隙間から滑り込んでくる。富士スバルラインの料金所の手前、バイクを停めて通行料を払おうとした時、指先の手元が派手に狂った。厚手のウィンターグローブをはめたままでは、ジャケットのポケットの小さなジッパーをうまく爪で引っ掛けられない。後ろに大きな観光バスが近づいてくるのが見えて、焦れば焦るほど指先がツルツルと滑る。うわわ、ちょっと待って! 落ちついて僕! ようやく千円札を引っ張り出したものの、強風でひらひらと煽られ、危うく指の隙間から滑り落ちそうになった。必死に両手で押さえつけ、料金所のおじさんに手渡す。ゲートが上がった時、僕はすでに少し息が上がっていた。スマートで格好いいライダーへの道は、まだまだ果てしなく遠いみたいだ。
ギヤを繋ぎ、いよいよスバルラインのワインディングへ飛び込む。最初の緩やかな右カーブ。シートの角が内腿にギュッと食い込む感触を確かめながら、下半身でしっかりとタンクを挟み込む。スーフォアは、僕が視線をカーブの奥へ向け、ほんの少し体重を移動しただけで、スッと滑らかに車体を傾けて吸い込まれるようにカーブに滑り込んでいく。フロントタイヤがアスファルトのざらついた路面をがっちり噛んでいる手応えが、ハンドルを通じて直に伝わってくる。バイクが全部助けてくれているようだった。
勾配がさらにきつくなり、四速のままだとエンジンが重たそうな音を立て始めた。カーブの手前でフロントブレーキをわずかに握り、車体を沈み込ませながら、左足のつま先でペダルを二速まで叩き落とす。カーブの立ち上がりの直線が見えた瞬間、右手をワイドオープンした。タコメーターの針が六千三百回転を越えた、その刹那。
パァァァァァァァァァン。
それまでの低く落ち着いた排気音が、一瞬で突き抜けるような高音のレーシングサウンドへと変貌した。HYPER VTECの作動。一気筒あたり二つのバルブが、油圧の切り替えによって四バルブへと解放される。エンジンの中に眠っていた獰猛な人格が目覚めたかのような咆哮が、富士山の深い森に響き渡る。
タコメーターの針が一万回転、一万二千回転へと跳ね上がっていく。ヘルメットのシェル全体が細かく振動し、耳の奥を直接揺さぶるようなマルチサウンド。排気量が400ccだからこそ、これだけエンジンを限界まで叫ばせても、スピード自体は常識的な範囲に収まっている。この、マシンの性能を自分の手の中で引き出しているという生々しい感覚が、僕の体中の血を沸騰させる。
うわあああ、これ!最高すぎるんだけど!
ヘルメットの中で完全に限界オタクの顔になって、喉の奥から熱い塊が突き上げてくる。
しかし、歓喜の瞬間は長くは続かない。次のタイトな左カーブが、予想以上のスピードで目の前に迫ってきた。
わわわ、ちょっと待って!速い速い!
一瞬で頭の中の血の気が引き、慌ててフロントブレーキを握りしめる。スーフォアの車体は前のめりになり、タイヤが路面を削るような感触が伝わってきた。内腿をタンクにめちゃくちゃに押し付け、必死に車体を抑え込む。ガードレールが目の前をかすめ、冷や汗が背中を一直線に流れ落ちた。危ない、調子に乗りすぎた。外から見たら完璧に乗りこなしてる風に見えるかもしれないけど、ヘルメットの中はただ必死にビビり散らかしながら、同時に楽しすぎて笑いが止まらないっていう、ものすごい泥臭いことになってる。
何度もカーブをクリアし、標高が二千メートルを超えた。周囲の背の高い木々は姿を消し、ゴツゴツとした赤い火山岩が転がる、荒涼とした景色が広がる。左側の視界が唐突に開け、眼下に真っ白な雲海が広がった。いつもは見上げている曇り空を、今は完全に踏みつけている。その壮大な光景に圧倒されながら、僕は近くの展望スペースにスーフォアを滑り込ませた。
サイドスタンドを蹴り出し、エンジンを止める。世界から音が消え、耳の奥に残るVTECの残響と、ヒューヒューと吹き付ける強い風の音だけが残った。足元からは、熱を持ったエンジンブロックがパキ……チチチ……と冷やされていく、硬質な金属の軋み音が聞こえる。ヘルメットを脱ぐと、冷凍庫の扉を開けたような強烈な冷気が顔を直撃した。あまりの寒さに、鼻の奥がツンと痛む。
自販機で温かい缶コーヒーを買おうとしたが、ここでもコインを二回連続で拒否され、冷たい返却口に戻ってきた。凍える指先でコインを拾い上げ、三回目でようやくガコンと缶が落ちてくる。缶を両手で包み込みながら、少し離れた場所に停まっているスーフォアを見る。小さな傷があちこちについた、僕の等身大の相棒。格好つけてバイクの横でハードボイルドなポーズを取ってみようかと思ったけれど、冷たい風に髪を煽られ、寒さで肩をすくめている今の自分がどれだけ滑稽か、わざわざ自覚するまでもなかった。自分で自分が恥かしくなって、いやいや、何気取ってんだ僕、あははって一人で照れ笑いしちゃう。気取るのは僕のキャラじゃない。
再びヘルメットを被り、五合目までの最後の数キロメートルに挑む。空気が薄くなっているせいで、気圧のせいで耳の奥がポコポコと鳴る。スーフォアのフューエルインジェクションが、薄い空気のバランスを計算してエンジンを回し続けている。最後の直線、二速のまま一万回転まで引っ張り、排気音を荒涼とした斜面にぶつける。バイクと格闘し、冷や汗をかきながら、ようやく前方に観光センターの建物が見えてきた。富士スバルライン五合目。ゴールだ。
バイク用のスペースにスーフォアを停め、キーを抜く。ヘルメットを脱ぎ、大きく息を吐き出すと、それは白い塊となって強風にかき消された。バイクから降りようとした瞬間、太も本の筋肉がピキッと硬直して、危うくその場にへたり込みそうになる。激しい疲労が、泥のように全身にまとわりついている。
さらに悪いことに、寒さのせいで鼻水が止まらない。慌ててジャケットのポケットを全開にしてティッシュを探すが、風が強すぎて取り出した瞬間に紙がビリビリに破け、その残骸が風に乗って飛んでいきそうになる。不格好なブーツをカチカチと鳴らしながら、地面にへばりついた紙屑を必死に踏んづけて回収する。その拍子に、ポケットからスマートフォンが滑り落ちそうになり、膝を突きながらギリギリで抱きかかえるようにしてキャッチした。周囲の観光客が、プロテクターで武装した不審な生き物を見るような目で僕を見ている。
真っ白な煙を吐き出すみたいにため息をつきながら、とりあえず無事を記録しておこうと、真っ赤になった鼻をすすりつつスマホのインカメラを起動する。画面に映った顔は、ヘルメットの跡が頬にくっきりと残り、前髪は汗で額に張り付いていて、お世辞にもアイドルなんて言えたもんじゃない。ただの、山の上で寒さに震えているみすぼらしいバイクバカだ。
シャッターを切った瞬間、また突風が吹いて手がブレた。保存されたのは、構図が大きくズレて、僕の焦り顔と、ポケットからはみ出たヨレよれのティッシュ、そしてスーフォアのミラーだけが写った、最高に不細工な写真だった。スマホをポケットに押し戻そうとしたが、指先が完全に凍えていて、ジッパーを半分まで閉めたところで感覚がなくなって諦めた。冷たい風が、ジャケットの隙間から体温を容赦なく奪い去っていく。
だけど、画面の中の不細工な自分を見ていたら、なんだか急におかしくなってきて、ヘルメットを小脇に抱えたまま「あはは、マジで僕何やってんだろ!」って声を出して笑ってしまった。鼻水は止まらないし、指先の感覚もないし、全身バキバキでボロボロなんだけど、やっぱりこの最悪で最高の泥臭さがたまらなく愛おしい。
達成感なんて、そんな綺麗なものはどこにもない。あるのは、ただ圧倒的な疲労と、ニーグリップをし続けた内腿の鈍い痛み、確実に体力を削られたこの不快な気怠さだけだ。耳の奥では、まだ一万回転の排気音が幻聴のようにチリチリと鳴り響いている。
周りの観光客たちは、温かい建物の前でソフトクリームを食べている。そのすぐ傍らで、僕はガタガタと身体を震わせながら、ただ鉄の塊を操ってここまで登ってきただけの、泥臭い現実に直面していた。
下界に戻るには、またあの気が遠くなるような数のカーブを、今度は下り坂の強烈な重力と戦いながら、このボロールな身体でスーフォアをコントロールし続けなければならない。油断すれば、一瞬でアスファルトの餌食になる。その冷酷な現実が、復路の始まりにぽっかりと口を開けて待っている。
僕は重いブーツを引きずりながら、まだエンジンから微かな熱気を吐き出しているスーフォアの側に戻った。金属が冷えていくパキキという音が、風の音に掻き消されていく。これから始まる、登りよりも遥かに過酷な下り道の恐怖を喉の奥で噛み締め、ヘルメットの中でほんの少しだけ口角が上がってしまうのを止められないまま、僕は凍りついた手で、再びあの重い黒いヘルメットを持ち上げた。