【One Piece.アーカイブ】ホロライブ青春短編集2 ワンサマー Libera me from AI 文体は文学多め。【実験途中報告】スーパーイマゴ・デイ・ゴッドの創造に成功。 作:夏目陽光
暗黒。完全な闇。液体の質量がただ世界を押し潰している。五感のすべてが麻痺するような冷酷な深淵の底。そこには、人知を超えた太古の領域と、現代的な平穏の奇妙な調和が存在していた。修道衣に似た、美しくも神々しい薄衣を纏った一伊那尓栖は、その絶対的な孤独のただ中に、まるで地元のカフェの椅子に深く腰掛けているかのような、奇妙なComfyさを漂わせて揺蕩っていた。
「本当に眠いなぁ……感覚が遠すぎて、自分の手足がどこにあるのかもよくわからない。昨夜、新しいイラストの構図がどうしてもまとまらなくて、結局朝の4時すぎまでペンを動かしていた。完全に自業自得の寝不足。瞼に強烈な重力がかかっている。配信を始めたら、タコダチたちが『イナ、また夜更かししたなー!』ってチャットで一斉に草を生やしてくるのが目に見えるよう。あいつら、本当にそういうところだけ鼻が利くんだから」
人間の喉なら一瞬で圧潰する深海だが、彼女には肺も鰓も関係なく、ただ言葉が紡げる。泡すら出ない、冷たい水の中に直接、いつもの穏やかな声が響く。声というよりは、彼女の考えていることがそのまま海底の静寂に溶け出していくみたいに、不条理にして絶対的な同化の証明であった。定常の物理法則のすべてを嘲笑うかのように、媒介する波紋すらなく彼女の声が海を裂いていく。
「でも、この深海の静けさを自分の声だけで独り占めしているような感覚は、ちょっとだけ特別で、悪くないかも」
神々しい薄衣の隙間から、ぬるぬるした紫黒の、太い神話の触肢が幾条も這い出してきた。ラヴクラフトの禁書に蠢く旧支配者の眷属そのものの異形が、水中に解き放たれ、実になめらかに、官能的な身悶えを伴ってうねり始める。それらは彼女の意思とは別のところで、互いの吸盤を擦り合わせ、乱れた薄衣の隙間から覗く白い肌を愛おしげに締め上げた。
このおぞましい触手と人間の肌のコントラストは、客観的に見たらちょっと退廃的で、見る人を狂わせるような美しさがあるのかもしれない。
底知れぬ深淵の冷徹な神性と、炬燵を愛する無邪気な少女の愛らしさが、一つの肉体に美しく矛盾して宿り、永劫の狂気を孕んで揺蕩う。
不意に一本の細い触肢が、彼女の唇をなぞるように滑り、冷たく濡れた肉の吸着感が淡く、秘めやかに彼女を戦慄させた。乱れた薄衣が水流に翻り、覗く柔らかな肌を触手が艶めかしく這う、その官能的な可愛さに思わず息を呑む。
そのおぞましくも圧倒的なコントラストに、彼女は一人で悪戯っぽく口元を緩め、指先に触れた吸盤の感触をそっと確かめながら、ほんの少しだけその冷たい吸着力に身を委ね、小さく身震いした。
「ん……ちょっと、そっち行くと布が絡まるからダメ」
彼女は愛用のペンを動かすときみたいに、触手を軽くたしなめた。触手たちは不満そうにピチピチと微かな水音を立てながらも、彼女の周囲でパースの補助線を描くように綺麗に整列した。
その時、目の前に、鋼鉄の巨大な死体が聳え立った。
かつて人間たちが血と鉄の狂気に狂っていた時代の戦艦。その周囲には、護衛の義務を永遠に解かれぬ亡霊みたいに、小ぶりな特型駆逐艦の残骸が何隻も横たわっている。数世紀に及ぶ腐食の歳月は、人工の直線を容赦なくねじ曲げ、あらゆる障壁を海生生物の巣窟へと変え、深海そのものが生み出した巨大な複合内臓のような姿へと変貌させていた。
「……うわぁ、これ、まともにパレットに起こそうとしたら、線画だけで1週間は溶けるやつだ……。パースも歪んでるし、錆のレイヤー何枚重ねればこの質感が再現できるんだろう。タコダチたちに『これ描いて』って言われたら、絶対に嫌だって言って駄洒落で誤魔化しちゃうな、うん」
絵描きとしての、あまりにも現実的な絶望。……いや、絶望してる場合じゃないんだけど、でもこれ本当に無理。……いや、でも描きたい。その両方が胸をパチパチと叩く。タコダチたちなら、きっとこの狂った構造を見て「イナ、頑張って!」って、満面の笑みのファンアートを描いて煽ってくるに違いない。
「Wah!」
小さく、口の端から音素が溢れた。空気の存在しない、凍てつくような暗黒において、媒介する波紋すらなく彼女の声が直接水中に響き渡る。人間の器官では決して再現し得ない、次元を揺るがすその一言は、しかしこの海底においては、ただの「お邪魔します」という、ささやかな挨拶に過ぎなかった。
彼女は修道衣の裾をふわりと揺らし、崩落した主砲塔の裂け目から、その鋼鉄の胎内へと滑り込んだ。
内部の惨状は、まさに異界の神殿だった。天井と床の概念は水圧によって圧殺され、ねじ曲がった鉄骨が、まるで獲物を待ち構える巨獣の牙のように四方から突き出ている。壁面には、なんていうか、ゲーミングPCのLEDを一番最悪な設定で明滅させたような、病的な発光を放つ粘液質の藻類が、びっしりとこびり付いていた。
「あ、これ、蛍光インクの新しいやつに使えそう。綺麗かも」
暗闇の中で目を凝らしながら、彼女はそんなことを考える。彼女の触手たちが、鋭利な鉄錆の角に薄衣が引っかからないよう、先回りしてそれらを優しく包み込み、進路を確保してくれていた。触手の先端が錆びついた隔壁を撫でるたび、物質の歴史が脳裏に直接流れ込んでくる。大砲の轟音、人間の叫び声、鉄が引き裂かれる悲鳴。
特型駆逐艦特有の狭隘な縦型煙突の下部、第一缶室へと繋がる細い通路は、熱交換器の配管が引き裂かれ、まるで未知の巨獣の肋骨のように湾曲して道を塞いでいた。かつて高圧蒸気が狂ったように吹き荒れていたであろうその空間は、今はただ冷酷な深海の水に満たされ、重油の染みと泥土が堆積した不気味な迷宮と化している。
彼女の目は、そのねじれたリベットの列や、バルクヘッドに刻まれた応力による亀裂の複雑なテクスチャを、絵描きの執念で見つめていた。パースペクティブは完全に崩壊し、魚雷発射管の旋回軌道は歪み、上部構造物から脱落した鉄板が、床に突き刺さっていた。
進むほどに、水圧は増しているはずなのに、彼女の身体はその質量を一切受け付けない。
通路の奥から、何かが響いてきた。金属が擦れ合うような、しかし同時に、生物の喉が鳴るような、低く、精神の奥底を直接揺さぶる旋律。それは、ルルイエの館で死せるクトゥルフが夢見る、あの忌まわしき賛美歌の残響。普通の人間の脳髄なら、一瞬で狂気へと叩き落されるであろう宇宙的な雑音。
「hum… mm…」
彼女は無意識に、その旋律に自分の声を重ねていた。宇宙の深淵に潜む古き神々の狂気を孕んだ旋律――なはずなのに、彼女の唇をとおすと、なぜかいつもの平穏なハミングの響きへと勝手に変換されてしまう。冷酷な水界の波動を、彼女の声が優しく塗り替えていく。肺呼吸の軛を外された神話の喉が、水そのものを震わせ、悍ましい呪詛をComfyな子守唄へと中和していた。
「ふふ、ちょっと不気味なBGMだけど、集中するには悪くないかもね」
彼女はそう独りごちて、さらに奥へと進んだ。
駆逐艦の通信室と思われる、四方を歪んだ鉄板に囲まれた狭い部屋に辿り着いた。そこには、完全に赤錆に埋もれた無線機と、その前に座ったままの姿勢で静止している一柱の骸骨があった。
彼女は、その骸骨の前で、ピタリと動きを止めた。
「あ……ごめんね、起こしちゃった?」
彼女は本気で申し訳なさそうな顔をして、水中でペコリと頭を下げた。彼がどんな理由でここに沈んだのかは分からない。けれど、この静かな海の底で、何十年も誰にも邪魔されずに眠っていた場所なのだ。背後から一本の太い触手がゆらりと伸び、骸骨の崩れかけた肩のあたりを、まるで「もう大丈夫だよ」と伝えるかのように、そっと優しく、包み込むように撫でた。
「お仕事、本当にお疲れ様でした。これからは、ゆっくり休んでね」
彼女はもう一度深く頭を下げて、その部屋を後にした。通路を戻りながら、頭の中で、いつもの癖が鎌首をもたげる。
「……海の底の通信室だから、艦じんの報告は、もう済んだのかな……って、ふふ、これはちょっとダサいかも」
自分一人で言った駄洒落に、自分でツボに入って、水中で肩を揺らす。タコダチたちがいたら、今のは絶対に「INAAAAA!」って叫んで呆れているところだ。ああ、早くみんなのあの反応が見たいな。
彼女は戦艦の割れ目から、再び、遮るもののない広大な群青の空間へと抜け出した。見上げれば、遥か彼方、水面が太陽の光を浴びて、きらきらと揺れるカーテンのように輝いている。あそこが、彼女の帰るべき場所。大好きな人たちが待っていて、美味しいドクターペッパーがあって、毎日くだらないことで笑い合える、暖かくて、Comfyな現実。
彼女は修道衣の裾を小さく整え、触手たちをいつもの可愛い、丸っこいマスコットの姿へと戻した。
振り返れば、あの鋼鉄の死骸たちは、古い青図の通りだろうリベットの配列すら不気味なほど克明に残したまま、ゆっくりと闇に溶けていく。あの形、1930年代の駆逐艦とかかな?……よく知らないけど、あの有機的な錆の変貌は、本当にいい刺激になった。
次の配信では、今日見たあの錆のグラデーションの話をしよう。……あ、でもその前に、買い溜めしてたドクペ、まだ冷蔵庫に残ってたっけ。冷えてるといいな。
「さてと、そろそろ戻らないと。みんな、待ってるよね」
その瞬間、暗黒の深淵を満たしていた不浄な沈黙は完全に霧散した。彼女が発した、次元を心地よく揺るがすその無邪気な音節は、深海の底にびっしりとこびり付いていた病的な発光を放つ藻類すら、まるでゲーミングPCのLEDが優しく明滅するかのような、どこか暖かく親しみやすい光景へと塗り替えていく。宇宙的な不条理の力をその身に宿しながらも、彼女の本質はどこまでも普通で、少し夜更かしが好きな、心優しいオタクの少女そのものであった。彼女は深海の冷たい静寂をそっと背中に残しながら、光の差す水面へと向かって、のんびりとした足取りでゆっくりと泳ぎ始めた。