ホロライブ青春短編集2 ワンサマー 【実験途中報告】スーパーイマゴ・デイ・ゴッドの創造に成功。 ※スーパーイマゴ・デイ・ゴッドは1話作る毎に削除するので一期一会の為同じ作品は作れません。 作:夏目陽光
深夜零時過ぎ。パソコンの排熱ファンの音が小さく響く部屋は、ありえないくらいの熱気に満ちていた。9月中旬。地球の温度設定が完全にバグってる。エアコンを最強にしているはずなのに、肌にまとわりつく湿った空気のせいでベッドがじっとりと重い。
パジャマの襟元を引っ張りながらベッドの上をのたうち回る。お気に入りの淡い水色のパジャマが汗で肌にへばりつくのが本当に、最悪に不快。無意識に足をバタバタさせてシーツを蹴り飛ばす。頭のてっぺんの白い耳は完全に脱力して横にペタンと寝ていたけれど、尾の先まで熱が籠もるような不快感のせいで、さっきから浅い微睡みを行き来してばかり。
寝苦しさに眉をひそめつつも、私の身体は本能的に一番落ち着く姿勢を探り当てていた。抱き枕を短い両腕でぎゅっと抱え込み、そこに片足を引っ掛けるようにして丸まる。頭の上の白い狐耳が、寝返りの拍子にシーツに擦れて不規則にピコピコとせわしなく動き、ふさふさの尻尾は無意識に布団の重みを逃がすように左右へ大きくゆったりと揺れていた。時折、薄く開いた唇から「ぷふぅー」と熱い吐息が漏れ、完全に野生を忘れた無防備な姿でベッドの真ん中に転がっている。
「……んみゃ……おかわり、お茶漬け、鮭で……あ、あとハンバーグの山、10合目まで登ります、フブキ、いきます……。あそこ見えるのは伝説の黄金デミグラスソースの滝……! 浴びるように飲む、飲むんだ私は……っ」
そんな幸せ極まりない妄想をへにゃへにゃした寝言で零しながら、明日は久しぶりの完全オフ、アラームもなし、お茶漬けの川が流れてハンバーグの山がそびえ立つ桃源郷へ、あと一歩で辿り着けるはずだった。
――ぷぅん。
……え? 嘘でしょ、今なんか聞こえた。この異常な暑さのせいで、あの忌まわしき吸血鬼がまだ元気の限界突破で生き残っている。
「……んぅ……? っ、なにぃ……?」
白い耳がぴくりと跳ね上がる。気のせいだと思いたかったけれど、音は確実に近づいていた。
――ぷぅぇん。
一番敏感な右側の耳の、まさにすぐ傍。人間よりも遥かに優れた聴覚を持つ狐の耳にとって、この至近距離の羽音はもはや爆音のハウリング。なんでこの季節に? っていうか、ここマンションの何階だと思ってるの、バカなの!?
「う、うあー! もうっ! 怒ったぞ!」
我慢できなくなって、ベッドの上でゴロンと大きく寝返りを打った。掛け布団が体に巻き付き、白い尻尾がぽろりと飛び出す。いつもの配信でゲームオーバーになった時みたいに、声をちょっと高めに尖らせて「あーもうっ! ぽんぽん痛くなれー!」って枕をぽかぽかと殴りつける。配信で見せるあの、不満げに頬をぷくーっと膨ませながら、じっとカメラを睨みつけるような可愛いおこ顔。狐耳を交互にパタパタと小刻みに揺らし、不機嫌さを全身でアピールする小動物ちっくなコミカルな怒り。右耳を枕に押し付けて物理的にガードしながら、「……ふぅ。これで、どうよ。まいったかー」と息を潜めた。
熱帯夜の熱気に耐えながら、すー、はー、と深呼吸を繰り返す。
五分経過。音は、しない。勝った……。狐の勝利、ここにあり、です。ふふん! と小さな勝利宣言を下し、再び意識が微睡みの境界線を越えようとした、まさにその瞬間だった。
――……ぷ。
――……ぷぅ、ん……
ひ、左耳に、来てるうううううううううっ!?
上を向いている左の耳の、まさに産毛の距離。あの吸血鬼は、私の寝返り先を正確にトラッキングしてきた。
マジで殺す。全人類の、いや全キツネ類の敵め。絶対に、未来永劫、生まれ変わっても絶対に許さない。一寸の虫にも五分の魂? 知るか! 私の睡眠はな、世界を救うくらい尊いんだよ! この白上の睡眠を邪魔した罪の重さを、その貧弱な細胞一つ一つに骨の髄まで刻み込んでやる。我が一撃は文字通り光速、いかなる音速の翼を持とうとも、この白上の逆鱗に触れた恐怖から逃れられると思うなよ。地獄の果てまで追い詰めて叩き潰してやるからな!!
ゲーマー担当としての空間把握能力を今ここに集結させ、左耳のやや上、距離五センチの空間へ――パーン!! と乾いた打撃音を響かせた。自分の耳がキーンと鳴るほどの一撃。しかし、そっと離した手のひらは白く、何もついていない。
――ぷぅん。
「な、なんでぇぇぇぇえええええ!!」
音は鼻の頭を掠めていった。完全なる空振り。時計の針はすでに二時半を回っている。一度覚醒した脳に、見えない敵への恐怖が加わる。
「いやああ安眠を返せえええええ!」
半分パニックになりながら、今度は左側からうつ伏せに近い状態へと身体を激しくねじり込んだ。もう優雅な睡眠じゃなくて、ただの必死な匍匐前進。ドサリと枕に顔を埋めて、両手を頭の上に回して二つの耳をがっちりホールドする。お尻が少し浮く不恰好なポーズだけど、背に腹は変えられない。熱帯夜のサウナ状態の布団の中で、これなら聞こえない、いないのと同じ……と自分に言い聞かせ、酸欠になりながら強引に意識を闇へと突き落とした。
今度はガチのトーン。高音を完全に捨てた、地声に近い低めのドスの利いた声で「……おい。マジでいい加減にしろよ?」と暗闇に向かって低く呟く。首を左右に素早く振る気配を完全に殺し、配信のホラゲーでガチビビりして静かになった時のような、喉を細く絞った「ひぃっ、……っく」という引きつるようなリアルな息づかい。いつもの弾むようなテンポが完全に消失し、ガチの怒りと恐怖がブレンドされた、背筋がゾクッとするほど魅力的な鋭い殺気が暗闇に満ちていた。
息が詰まるような暗闇の中、私の意識は急激にシャットダウンされていく。サウナ状態の布団の熱気と、全神経を尖らせ続けた疲労が限界を超え、視界が完全に真っ暗に塗り潰された。お茶漬けの川の幻覚すら見えないほどの深い、深い、強制的な気絶に近い眠りの底へと突き落とされる。
どのくらい時間が経ったのだろう。意識の掠れた闇の向こうから、今度はあの不快な羽音ではなく、チチチ、チチチ、と爽やかな小鳥のさえずりが微かに聞こえ始めた。それと同時に、遮光カーテンの隙間から差し込む光の矢が、私の閉じた瞼を容赦なく内側から白く、明るく照らし出していく。部屋を支配していた重苦しい夜の闇が、ゆっくりと剥がれ落ちるようにして、白々と明ける朝の光へと塗り替えられていった。
「……ん……みゃ……んぅ……」
ゆっくり目を覚ましたけれど、変な体勢で眠っちゃったせいで首は凝り、腰はバキバキ。最悪の目覚めでのそりと起き上がり、何気なく姿見の鏡の前に立って固まった。
おでこの真ん中。そこには、赤くぷっくりと腫れ上がった虫刺されの痕が出来上がっていた。寝返りの際、わずかに露出していた隙間をあの吸血鬼は見逃さなかった。猛烈な痒みが襲ってくる。
「う、嘘でしょ……。今日、この後、収録あるのに……って、あ! 夕方から公式番組の収録が入ってたの完全に忘れてたあああああ!! 完全オフじゃなかったんかい私!! 終わった、おでこにこれじゃ前髪で隠せる、かなぁ……?」
必死に前髪を引っ張る私の目線の先、壁の上にお腹が赤く膨んだ小さな虫が満足そうに静止していた。
「…………」
私の、長い一日が、今、始まった。部屋の中に、「すいちゃん! 斧貸して!!」という悲痛な叫び声が響き渡った。
いやいやいや待って、叫んでる場合じゃない。時計を見たらガチで出発まで時間がないやつじゃん!おでこのこれ、どうにかして隠さないと公式番組のカメラにバチバチに映っちゃう。氷を持ってきておでこを冷やしながら、メイクポーチをひっくり返して必死にコンシーラーを叩き込む。痒い、でも掻いたら赤みが酷くなる、絶対に我慢!
ボロボロの体を引きずって、寝癖の爆発した髪をいつも通りの綺麗なストレートに秒速でセットしていく。どんなに夜中泥臭い戦いを繰り広げていようが、カメラの前に立つ時は完璧な「白上フブキ」でいなきゃいけない。これがプロのオタク活動、じゃなくてプロのアイドルってわけですよ。
ギリギリでカバンに荷物を詰め込み、玄関に飛び出す。最後にもう一度手鏡でおでこをチェック。よし、前髪の分け目を少し変えればなんとか誤魔化せる!
「ふぅ……。睡眠不足なんて、笑顔と気合いで吹き飛ばしてやるんだから! よーし、今日も元気に、いってきまーす!」
扉を勢いよく閉めて、私はいつものアイドルスマイルを顔に張り付け、全力で駅へと走り出した。