世界樹と星空の女神 ~無自覚美少女は最強魔法剣士。彼女の愛が重すぎるが、それでも俺は冒険者!~   作:Soularti

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[COORDINATE 0025] Minos Labyrinth 5

# Minos_Labyrinth_Escape_2:

 

* * *

 

 願いを叶えた彼は、楽園を謳歌していた。

 地下に、彼を脅かすものはいない。

 

 光は届かない。彼に目は不要となる。

 

 稀に現れる獲物を捉えるため、彼はさまざまな振動を感知できるようになっていた。

 とりわけ、命が発する振動を喰らうことは、彼の数少ない行動基準のひとつだった。

 石や土では決して得られない幸福を、そこに感じることができたからだ。

 

 そうして彼は、数百年、あるいは数千年。深い地下を彷徨う。

 

 だがある日、これまで知覚したことのない強い命の振動を感じた。

 それは、彼の楽園の少し外にあった。

 

 彼は迷う。だが、その誘惑には抗えなかった。

 

 ついに彼は楽園を捨て、禍々しい赤光を放つそれを捕食する。

 そして彼は死に、別の生命へと生まれ変わった。

 

 生まれ変わった彼は、もはや何者も恐れない。

 自分を脅かすものなど、どこにも存在しない。

 

 彼は楽園を捨て、眼前に感じる命の振動を追い始める。

 

* * *

 

 地下一階へ続く階段を駆け上がる俺たちの足音が、迷宮の石壁に反響する。

 

 地上が近いからか、その響きはさっきまでよりわずかに大きい。

 これまで俺には届いていなかった、鱗ワームが地を喰らう不気味な音まで、かすかに聞こえるようになっていた。

 

 肺が千切れそうな苦しさに耐えながら、俺は必死に階段を駆け上がった。

 

 ぐおお、階段はきつい。

 だが、俺たちの進む速さは俺に合わせたものだ。フェリスはずっと、俺に合わせてくれている。

 

 駄目だ、もう無理だ。これ以上は足が上がらない……。

 無理やり持ち上げている脚の筋肉が、悲鳴を上げていた。

 

 心が折れかけた、その時。

 ふと、頭上で俺を待っているフェリスの姿が目に入る。

 

 段差の先にその姿は半ば隠れ、透き通るような水色の髪だけが見えた。

 

 走れ、俺。フェリスの顔を見るんだ。

 見たいだろう、あの美しい笑顔を。

 

 最初に目に入るのは、清らかな瑠璃色の瞳だ。

 そして、潤いを帯びた唇が、きりっと結ばれているのが見えてくる。

 

 階段を上がるごとに、薄手の浅緑のワンピースに包まれた彼女の肢体が、少しずつ視界に現れていく。

 汗を吸って肌へぺたりと張りついた薄い布地が、細くしなやかな体の線を克明に浮かび上がらせていた。

 呼吸に合わせて上下する胸の起伏。布越しにもわかる、腰の線のなめらかさ。

 

 その姿が、俺に力を与える。

 限界を迎えていた足を無理やり引き上げ、俺は階段を登り切って大部屋へ転がり込んだ。

 

 ここでフェリスがミノタウロスを斬り刻んだことが、まるで遥か昔のことのように感じられた。

 

「……大丈夫か」

 

 俺は肩で激しく息をしながら答える。

 

「……はぁ、はぁ……よ、余裕だ」

 

 フェリスは俺を優しげな目元で見つめ、涼やかに微笑んだ。

 

「……えらいぞ。……もう少しだ」

 

 俺の息が整うのを待つように、フェリスは立っている。

 その横へすっと伸びた長い耳が、ぴくりと痙攣するように動いた。

 

 次の瞬間、彼女の表情が戦士のものへ変わる。

 フェリスは強引に俺の体を担ぎ上げ、横へ鋭く跳んだ。

 

 直後、俺たちがつい先ほどまで立っていた石床が爆音とともにひび割れ、下から巨大な鱗ワームのおぞましい口が突き出してきた。

 

 そいつは、これまでのようにそのまま天井へ……行かなかった。

 

 床から頭だけを突き出したまま、そいつはぴたりと固まっている。

 行動が変わった……? なぜだ?

 

 俺はフェリスに抱え上げられた間の抜けた格好のまま、動きを止めた鱗ワームを観察する。

 

 その時、俺たちの背後、その通路の続く地上側から、かすかな風が吹き抜けた。

 火照った体に触れたその冷たさが、俺の意識を一瞬だけ冴えさせる。

 きょろきょろと不気味に首を振っていた鱗ワームは、やがて目のない頭をこちらへ向け、じっと何かを探るように静止した。

 

(……いや、違う。こいつが見ているのは、俺たちじゃない)

 

「フェリス! くるぞ!」

 

 俺は咄嗟に、いつもルナリアへ向ける時のように、フェリスへ鋭く指示を飛ばした。

 

 彼女は俺の指示に即座に反応し、俺を抱え上げたまま迷宮の通路を駆け出した。

 だが、いくらなんでも無理がある。

 俺の胸元ほどの背丈しかない少女が、こんな状態で全力疾走できるはずがない。

 

「フェリス、お、俺を早く降ろせ!」

「……くっ、アルス……私に、攻撃力増加を。早くしろ!」

 

 息を詰まらせたその要求に、俺は無理やり降りるべきか一瞬迷った。

 だが言われるまま、支援魔法を彼女へ流し込む。

 

「……っ。んぁ……くっ」

 

 途端、無理な重量を抱えたまま走っていたフェリスの口から、甘い熱を帯びた吐息が漏れた。

 その直後、フェリスが加速する。

 俺を抱えたまま、彼女は凄まじい速度で迷宮を駆けた。

 

 攻撃力増加って、筋力まで上がってるのか。知らなかった……。

 

 密着した体からは、戦いの汗と彼女の甘い匂いが混ざって立ちのぼる。

 薄手のワンピース越しに、荒い息遣いとやわらかな体温が生々しく伝わってきた。

 

 みるみるうちに、巨大な鱗ワームとの距離が開いていく。

 

「……追ってきている。なぜだ」

「風だ。地上から吹き込む風の流れで、俺たちの位置を追ってるんだ」

 

 前方に、迷宮へ入ってすぐの頃に作動させた、あの落とし穴が見えてくる。

 フェリスは俺を抱えたまま、軽々とその大穴を飛び越えた。

 

 着地の衝撃と同時に、俺の頭まで大きく揺さぶられる。ぐへっ。

 

「な、なあフェリス。頼むから、そろそろ降ろしてくれ」

「……ん。あ、ああ」

 

 フェリスはなぜか、俺から手を離すのをほんの少し躊躇ってから、そっと地面へ降ろした。

 この速度差なら、少しは余裕ができたはずだ。

 

 彼女は左手を地面につき、鱗ワームの位置を探っている。

 次に備えて、俺も手早く支援魔法をかけておかなければならない。

 

 そう思った俺は、自分とフェリスの二人へ速度属性の支援魔法をかけた。

 ……あ、しまった。つい無言で魔法をかけてしまった。

 

「……あぁっ、……あんっ!」

 

 油断していたフェリスは、突然の甘い刺激に、不意を突かれたようなとろける吐息を漏らす。

 

「ふぁ……! ……はぁはぁ。……お前、わざとじゃ……ないだろうな?」

「ごめんなさい」

 

 俺は即座に頭を下げる。

 フェリスは俺から視線を逸らし、そっぽを向く。

 長く尖った耳の先まで真っ赤なまま、小さく答えた。

 

「……ん。……緊急事態だ。……許してやる」

 

 なんなんだろう。

 

 脚はあんなに無防備に見せるくせに、甘い声を聞かれるのは嫌らしい。

 俺たちが再び走り出そうとした、その時だった。

 フェリスの耳がぴくりと動き、彼女は鋭く床ではなく壁に左手を押し当てる。

 

「…………っ。まずいぞ、アルス! 走れ!」

 

 切羽詰まった声に、俺は即座に地を蹴った。

 

 フェリスは俺に合わせている。

 進む速度は俺次第だ。

 

 尽きかけた体力を気力で無理やり繋ぎ止め、全速力で走る。

 俺が全力で駆けるそのすぐ後ろを、フェリスはなお余裕を残した足取りで追走する。

 

 後ろから彼女が緊迫した声で告げる。

 

「……通路を無視し始めた。……壁を喰い破りながら、直線で来ている」

「ああ、そうかよ!」

 

 もうフェリスの索敵に頼るまでもない。

 左側の石壁の奥から、岩盤を砕く凄まじい響きが、少しずつ……だが、確実に近づいてきている。

 俺たちは、最初のミノタウロスが遺したドロップ品にも目もくれず、駆け抜けた。

 

 視界の先に、地上の光が見えた。

 俺はただそこへ向かって走る。

 

(……まずい!)

 

 轟音が、真横で膨れ上がった。

 俺の隣へ出てくる

 

 そう悟って前へ跳ぼうとした、その瞬間。

 真横の石壁が轟音とともにひび割れる。

 

 間に合わない!

 

「アルス、受け身をとれ!」

 

 石壁に大穴が穿たれる轟音が響いた、その瞬間。

 フェリスが急加速し、俺の背中を思い切り蹴り飛ばした。

 俺は不格好に前へ大きく吹き飛びながら、地面を転がって受け身を取る。

 

 俺を蹴り飛ばしたフェリスは、蹴り上げた足を伸ばしたまま、その場で地面すれすれまで極端に姿勢を落とす。

 左手で体を支え、右腕を限界まで引き絞った。

 

 轟音とともに壁をぶち抜いて現れた、鱗ワームの巨大でおぞましい頭。

 そこへ向けて、フェリスは禍々しい紫の短剣を振り上げる。

 紫の刃が、ワームの赤黒い鱗を容易く引き裂き、その分厚い肉を深く削り取った。

 

「グギアアアァァァ!!!」

 

 耳障りな絶叫が迷宮を揺るがし、ワームが大きくのけぞる。

 フェリスは床についた左手を軸に身を翻し、地面を強く蹴って俺のもとへ跳んだ。

 

——俺たちは一瞬だけ視線を交わし、止まらずに地上の光へ走り抜けた。

 

 

# Minos_Labyrinth_Escape_3:

 

 迷宮と地上を繋ぐ四角い石段の出口から、まず俺が転がるように外へ飛び出る。

 停滞して淀んだ迷宮の空気から抜け出した俺の体を、夜明け間近のトゥラン高原の心地よい風が冷やしていく。

 

「ぜはぁ……、はぁ……。はぁ……」

 

 まだ止まってはいけない。

 もう少し、階段から離れなければ。

 

 振り返る余力はない。

 すぐ後ろをフェリスが駆けている足音が聞こえる。

 だが脚の奥の筋肉が、言うことをきかなくなり始めていた。

 

 俺はそのまま高原の土の上へ転がり倒れる。

 

 地面の草を舐めるような格好になったまま、左手を脚へ向けて回復魔法をかけた。

 疲労は消えない。

 だが温かな光が、酷使しすぎて断裂しかけていた筋肉を優しく癒やしていく。

 

「………はぁ。………はぁ」

 

 俺は重い身体をどうにか傾け、仰向けに寝転がった。

 空の向こうにアズールが沈みかかり、反対側からはうっすらと白み始めた朝日が昇りかけている。

 

 俺の頭のすぐ横に、軽やかなフェリスの着地音が響く。

 首だけを傾けてそちらを見る。

 フェリスは息を乱しながらも警戒を解かず、低い姿勢で迷宮の入口を睨みつけていた。

 

 俺の目の前、手を伸ばせば届きそうな至近距離に、引き締まった尻の丸みがある。

 

 戦いと逃走でかいた汗が浅緑のワンピースを透けさせ、布地は体にぴたりと張り付いている。

 背中から尻の線までがくっきりと浮かび、下着の形や肌の質感まで、夜明けの光の中で生々しく目に入った。

 

「フェリス。下着が透けてるぞ」

「……余裕そうだな」

 

 フェリスは呆れたような目元で、視線だけこちらへ向けた。

 迷宮の振動は、まだ続いている。

 だが迷宮の魔物は外へは出てこないはずだ。

 ……逃げ切った。

 

 俺はひとまず、体力の回復に専念するために空を見上げながら息を整える。

 朝が来たら移動を開始しよう。

 それまでに、走れる状態に戻さないといけない。

 俺は今回の冒険について、ゆっくりフェリスと語ろうと、彼女に声をかけようとした。

 

 だが……その直後。

 迷宮から響いていた振動が一気に強くなるのを感じた。

 迷宮の石造りの階段が内側からひび割れ、崩れ落ちた。

 

「……まさか。出てこないよな」

「…………主の交代、ではないのか?」

 

 直後、爆音とともに粉塵を吹き飛ばして飛び出してきたのは、あの巨大な鱗ワームの頭だった。

 そいつは朝焼けの空を見上げ、嫌悪感を覚える不快な声で鳴き叫ぶ。

 

「ギィアアアァァァ!!!」

 

――地平線の向こうへ沈みかかっていたアズールが、視界の端でかすかに青い光を放った気がした。

 

 不揃いだった赤黒い鱗が、異様な音を立てる。

 痛みを拒絶するかのように密度を増していく。

 

 鈍い金属質の光沢を帯び始めたそれは、やがて分厚い鋼の鎧となり、魔物の全身を隙間なく覆い尽くした。

 

 気色の悪い赤黒い鎧を纏ったワームが、ゆっくりとこちらを向く。

 巨大な口が、ぬらりと開いた。

 無数の犬歯の並ぶ口腔、その中央には、不気味な単眼があった。

 

 ワームの周囲に未知の力の奔流が渦巻く。魔力が収束していく。

 何もないはずの中空に石の礫が出現し、数を増し、収束し、無数の鋭い槍となっていく。

 

 紫の短剣を握り直したフェリスが、鋭い横顔のまま俺を見ずに告げる。

 

「……アルス」

「断る」

 

 フェリスはちらりと俺を見て、ひどく不満そうな顔をした。

 俺は震える足を気力だけで抑え込みながら立ち上がり、彼女を強く見返す。

 この状況で彼女が何を言うかなど、わかりきっている。

 俺だけが逃げるわけがないだろう。

 

「迷宮探索は終わった。ここからは俺が指示をする」

「……私が、時間を稼ぐ」

 

 俺は無言で星切を抜き放つ。視線で彼女の言葉を止め、続けた。

 

「防御結界をお前に張る。射線上の魔法を、全部叩き落とせ」

「……はぁ。……彼女の言う通りだった」

 

 フェリスは小さくため息をつき、諦めたように笑う。

 俺の結界を受け、華奢でしなやかな体が淡い光に包まれた。

 彼女は首を振って水色の髪をさらりと流し、腰を落として鎧ワームを見据える。

 

「……全部は無理だ。撃ち漏らしは……避けろ」

「頭と心臓には食らわないようにする」

 

 どこを見ているのかわからない単眼の瞳孔が、ゆっくりと細まる。

 

「フェリス、くるぞ」

「……ああ」

 

 魔物の周囲に満ちていた魔力の奔流が弾けた。

中空に浮かんでいた無数の石槍が、一斉に雨あられとなって俺たちへ降り注ぐ。

 

 フェリスが半歩だけ前へ出る。右手の短剣が凄まじい速度で閃いた。

 迫る石槍を三本まとめて叩き砕き、残る一本を、すらりと伸びた脚で鋭く蹴り飛ばす。

 

 次の一槍が、一拍遅れて飛び込んでくる。

 フェリスは体を低く流して位置をずらし、防御結界を利用して左拳でそれを叩き落とした。

 

 彼女はそのまま射線の中央へ踏み込み、落ちてくる槍を次々と逸らし、砕いていく。

 短剣の銀光と、乾いた破砕音だけが連続した。

 

 浅緑のワンピースは激しい動きに翻り、腰の線を強調する。

 汗ばんだ白い太ももが何度も朝の光の中へ剥き出しになった。

 

 その間に俺はローディングを少しだけ進め、準備を整える。

 

[ System : Universal_Truth_Load... 1%... 5%... 10% ]

[ System : Universal_Truth_Load 10% Reached ]

 

「フェリス、速度上昇をかける。階位を一段上げる」

「……仕方ない。……いいぞ」

 

 俺は彼女の背に左手をかざす。淡い光が、わずかな時間だけ彼女を包んだ。

 

「……んくっ。……ぁあ。……んっ!」

 

 体を流れる甘い快感に、フェリスがほんの少し身を強張らせる。

 歯を食いしばっているのか、頭が揺れ、水色の髪がするりと肩からこぼれ落ちた。

 彼女に走った熱が引くのを待つ間、俺は作戦を伝える。

 

「鱗が鎧みたいに全身を覆ってる。硬化したのは間違いないだろう。初撃は硬度を見る。深追いはしないでくれ」

「……ん。任せろ」

 

 強化魔法の光が粒子となって消える。

 フェリスは軽く跳び、体の動きを確かめると、踏み込んで一気に駆け出した。

 

 迷宮内での最後の一撃を警戒したのか、鎧ワームが石槍をいくつか宙に生み出す。

 

 三本が彼女へ放たれる。

 

 フェリスは速度を殺さないまま跳ぶ。

 一本目が胸元を貫く軌道で迫るのを、空中で上体を反らして紙一重にやり過ごした。

 続く二本目を、彼女は身をひねり、膝を抱えるように小さく丸めて槍の間を抜ける。

 薄緑の裾が翻り、水色の髪が一拍遅れて宙を流れた。

 

 そして三本目が目の前を走った瞬間、フェリスはその穂先へ足を掛け、踏み台にするように跳び乗った。

 

 その槍を足場に、さらに跳ぶ。

 鎧ワームの頭上を飛び越え、頭へ続く胴体の背後を取った。

 

 横へ身を捻りながら短剣を振り抜く。

 禍々しい紫の剣閃が鎧ワームの体へ突き刺さった。鱗をいくつか削る。

 だが鈍い音を立てただけで、刃は途中で食い止められた。

 フェリスは短剣を引き抜き、胴を蹴って距離を取ると、後方へ身を翻して離脱した。

 

……くそ。やはり通らないか。

 

 どうする……。そもそもフェリスの戦いは双手前提だったはずだ。

 グラディオの短剣、一本では厳しい。

 

 時間を稼いでローディングの階位を上げるか?

 いや、慣れていないフェリスに戦闘中の高階位支援は危険だ。

 

 向こうでフェリスは跳び、石槍を避けながら鎧ワームを削っている。だが攻撃が通っていない。

 

(……よし。刺激からフェリスが動けるようになるまでの間、俺が体で止めるか)

 

 後で怒られそうだが、この際仕方ないだろう。

俺はローディングを開始する。

 

[ System : Universal_Truth_Load... 10%... 20%... 30% ]

 

「フェリス! 一度引いて、こっちへ来てくれ!」

 

 フェリスは俺の声を聞くと跳んで離脱し、鎧ワームの頭を注視したままこちらへ移動してきた。

 鎧ワームは眼に嘲笑を宿し、巨大な身体を揺らしながら、疾走するフェリスを執拗に追い始めた。

 

 それまで警戒するかのように一部しか露出していなかった長大な体が、今度は迷いなくずるりずるりと大穴から這い出してくる。

 そいつは自分の鎧に僅かな傷しかつけられないフェリスを嘲笑うかのように、徐々に加速する。

 

 鎧ワームの頭がフェリスへ迫る。すでに全身が地中から出てきていた。

 やがて尾が現れる。

 先へ行くほどささくれ立った尾まで、赤黒い鱗に覆われている。

 全身を露出した鎧ワームは、さらに速度を上げている。

 

 しかし、フェリスは速い。

 追いつかれることはないだろう。

 

……だが。

 

 まずい。

 俺よりワームの方が速い

 

 あいつの注意がこちらに向いたら、逃げ切れない。

 けど、問題はそこじゃない。まずいのは……。

 

 フェリスはワームの進行方向を俺から逸らすように、横へ走り抜けていく。

 瑠璃色の瞳が一瞬だけ俺を捉え、彼女は涼やかな目元のまま告げた。

 

「……アルス。……体力が戻ったら、逃げろ。時間は稼ぐ」

 

 直後、彼女はかすかに微笑み、反転して構える。

 水色の髪がひるがえり、朝の光をきらきらと弾いた。

 彼女は巨大な頭を跳躍しながらすり抜け、身を翻してワームの胴へ斬撃を加えるが、鎧を貫くまでには至らない。

 

「……くそ! 絶対やると思った!!」

 

 フェリスが、俺を確実に逃がすために、そういう選択を取る予感はしていた。

 俺はすでに駆け出していた。

 走り出してまだ数瞬なのに脚が悲鳴を上げた。

 

 くそ、走るのが遅い。

 今回の冒険が終わったら、必ず鍛え直す。

 

 時間を稼ぐだと?

 そんなのは絶対に許容できない。

 

 俺がやるのはいい。

 でも、彼女がやるのは駄目だ。

 

 すでに階位を八段まで上げていた支援魔法を、自分に流し込む。

 急激な肉体強化で、全身が全能感に満たされる。凄まじい力が、俺の体に宿った。

 

 そして俺はフェリスのいる場所ではなく、地上へ露出していた手近な胴体へたどり着く。

 

 支援魔法の属性は攻撃力上昇。

 握るのは王国有数の銘刀、星切。

 

 俺は叫びながら、上段へ振り上げる。

 

「俺はな、フェリス! 誰かの思い通りになるのは、死んでもいやなんだよ!!」

 

 俺は剣の技術も、大した戦闘力もない。

 だが、止まった巨大な丸太を斬るくらいはできる。

 

 攻撃力だけが異常に高まった俺の斬撃を、星切が補助し、一直線の剣閃が走った。

 

 硬質な赤黒い鱗を、星切は斬り裂く。

 その身へギラつく鋼の刃が通る。

 さらにもう一度、鱗を割って刃を通し、俺は最後まで振り切った。

 

 傷は深くない。

 だが、確かに俺の刃は通った。

 

「グギィギィアァアアァァァ!!!」

 

 鎧ワームが、あり得ないはずの痛みにのたうつ。

 そいつはフェリスを追うのをやめ、鎧を傷つけた俺へと露骨に殺意を向けた。

 

「ざまあみろ。お前の鎧なんぞ、星切の敵じゃない」

 

 鎧ワームの頭が、とんでもない速度で迫ってくる。

 この後のことは考えていない。

 避けるのも無理そうだ。

 

 とりあえず頭と心臓だけは守って、うまいこと飲み込まれてから脱出しよう。

 

「ば、ばか! アルス!!」

 

 フェリスが水色の髪をひるがえし、こちらへ駆け出してくる。

 清廉な色の泉のような瞳は焦りに揺れ、うっすらと涙が滲んでいた。

 

 それを見た瞬間、胸の奥がちくりと痛む。

 

 俺はひとまず、防御結界を自分に張る。

 頭と心臓あたりを念入りに硬化し、物理耐性向上も重ねた。

 

 鎧ワームの腹から脱出するためにも、星切を鞘に収めてしっかり握る。

 

 フェリスが俺を守ろうと必死に駆け寄ってくる。

 俺は食べられる覚悟を決め、入念に準備していた。

 

 その時。

 

——火炎が吹き荒れた。

 

 高原を煌々と赤く染め上げる、紅蓮の炎。

 燃え盛る業火は、決して俺の自分勝手な結末を許さない。

 

 予感がした俺は、空の太陽を見上げる。

 

 鎧ワームの巨体の上空、逆光の中に魔法剣士がいた。

 太陽の光で輪郭しか見えないはずなのに、金糸の髪と赤い瞳だけは、確かに見えた気がした。

 

 燃え盛る炎を銀の剣に宿し、ルナリアは上段からそれを振り下ろす。

 

 業火が空気を斬り裂く轟音とともに、その一太刀で鎧ワームの尻尾が千切れ、宙へ跳んだ。

 

 ルナリアは振り下ろした剣を返し、握り直すと、そのまま中空で回転する。

 赤く燃える剣閃が円を描いて広がり、鎧ワームの胴から放射状に血飛沫が上がった。

 

 鎧ワームの悲鳴が高原に響く。

 

 魔物は突然の襲撃に慄き、ルナリアへ向き直る。

 愚かにも本能を取り戻した鎧ワームは、怨敵を噛み砕かんと迫った。

 

 切り裂かれた胴の向こうで、ルナリアの宝石のような赤い瞳が俺を捉える。

 星を宿したその眼差しは、俺を捉え、決して離さない。

 

 鎧ワームの口が彼女を捕食せんと迫る。

 

 不幸にも、魔物はルナリアの視線を遮った。

 

 ルナリアが俺を見つめるための視界を遮った魔物は、アストライアの剣に一閃され、絶命した。

 

 

——駆け寄ってきたフェリスが、俺の黒い神官服に縋り付いている。

 

「…………アルス。……無事で、よかった」

「……言い過ぎた。ごめん」

 

 少し遅れて、とことこと歩いてきたルナリアが、俺とフェリスの様子を見て、わずかに目を見開く。

 それから、うんうんと小さく頷いた。

 

 俺は少し照れて頬をかきながら、視線をルナリアへ移して、ちゃんと伝える。

 

「ただいま、ルナリア。ありがとう。さすがだ」

「おかえり、アルス。迷宮踏破おめでとう」

 

 ルナリアは金糸のような髪をふわりと揺らし、にこりと笑う。

 

 久しぶりに見るその笑顔は、やっぱり息を呑むほど綺麗だった。

 

 

# COORDINATE 0025 END

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