世界樹と星空の女神 ~無自覚美少女は最強魔法剣士。彼女の愛が重すぎるが、それでも俺は冒険者!~   作:Soularti

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[COORDINATE 0053] Three Great Nations Conquered

# Hack_and_Slash:

 

 俺たちが今進んでいるティル平原は、共和国と教国の間に広がる広大な平地だ。

 本来であれば、穀倉地帯に適した土地なのだろう。

 ただし、そのど真ん中を国境が横断しているせいで、土地としてはほとんど活かされていないらしい。

 

 俺は揺れる馬車の荷台、その横側にある小窓から、流れる平地の風景を見ながらそんなことを考えていた。

 もったいないと思うが、別に俺に出来ることがあるわけではない。

 

 そろそろ、共和国を抜けて教国へ入る頃合いだな。

 そう思った俺は、セルナ統領から貰った書籍を荷物の中から取り出した。

 最後の確認をしておこうと思ったのだ。

 

 内容は教国の地理や文化をまとめたもので、共和国で制作された実務的な書籍だ。

 旅人が気をつけるべきことなども記されている。

 

 俺は書籍の頁をめくり始めた。

 

* * *

 

 女神リゼットが人類のために用意したと伝えられる約束の地があった。

 その地に聖都を築き、国家を成した宗教国家。

 

――パイオニア教国

 

 その指導者は、代々『教皇』と呼ばれる女神の代弁者が務めている。

 

 国土のほぼ全域を平原が占め、肥沃な土地を持つが、その多くが大森林に隣接しているため、人類の定住地としては適していない。

 その過酷な土地では日夜林業が行われ、世界中へ木材が輸出されている。

 この国を支えるのは、世界中の女神教徒から寄せられる喜捨、そしてなによりこの木材の輸出である。

 

 大森林の強大な魔物の脅威に晒されながらも林業を可能にしているのは、最強と誉れ高い聖騎士団の信仰と武力だ。

 

 パイオニア教国聖騎士団は、常に強力な魔物との戦闘に明け暮れているだけあって精強で、かつての帝国との戦争においても圧倒的な武力を見せた。

 

 過酷な地に築かれたこの国は、高潔で屈強な聖騎士団と、敬虔な女神教徒である国民によって支えられている。

 

『――共和国史学会編纂・パイオニア教国編』

 

* * *

 

 俺は滞在中に気をつけることを確認するため、さらに頁を進めた。

 

 読み進めていると、はらりと折りたたまれた紙片が落ちてきた。

 

 あれ、なんだろう。

 今までまったく気がつかなかったな。

 書籍に挟まれていたのだろうか。

 

 俺は紙片を手に取り、折りたたまれたそれを広げて目を通した。

 

『アルス。教国は個ではなく全体を重んじる国家形態だ。さらにエルフ族への差別意識が、かなり強い。お前にはまったく向かない国だ。だが、できる限り我慢しろ』

 

 セルナ統領からの注意書きだった。

 

 俺は思わず苦笑しながら、その紙片を折り直して本へ丁寧に挟み直した。

 再び書籍に目を通し始める。

 

 教国では戦士業は聖騎士団が一括して行っているらしい。

 多分、王国の冒険者である俺たちのやれる仕事はほぼない。

 とはいえ金銭は十分すぎるほどあるから、今回は迷宮調査のみに集中していても問題はないだろう。

 

 冬の雲が垂れ込めた薄暗い空の下を、俺たちの馬車は街道に沿って進んでいく。

 もうダイアナ渓谷は遥か後方だ。

 

 俺は肌寒さを感じて書籍から目を離し、再び小窓の外へ視線を向けた。

 どんよりとした黒い雲が、空を覆うように流れている。

 

 俺は御者台の二人へ声をかけた。

 

「なあ、そろそろ雪が見れるかな?」

 

 荷台と御者台を隔てる小窓の向こうで、ルナリアが振り向いた。

 こんな曇り空の下でも、彼女の金糸の髪はつややかに光っていた。

 彼女は小窓の縁に手をかけてこちらを覗き込んだ。

 

「早く見たいよね。真っ白なんでしょ?」

 

 手綱を握っているらしきフェリスの声が聞こえてきた。

 

「……まだ、この寒さでは、雪は降らない」

「へえ。もっと寒くなるのか?」

 

「……北国の寒さは、こんなものではない。もっと……、ん」

 

 フェリスが俺に何か言いかけた、その瞬間。

 小窓の向こうのフェリスの長い耳がぴくりと動いた。

 

「……魔物だ」

「はーい」

 

 ルナリアが、小窓から荷台を覗き込んだまま、俺を赤い瞳で見つめていた。

 

「おい、そのままだと顔に手をかざさないといけないだろ。前を向け」

「別にそれでもいいのに」

 

 手で前を向くように俺が促すと、ルナリアは口元に微笑を浮かべて前を向いた。

 俺は小窓に右手をかけ、左手をルナリアの華奢な背中へ伸ばした。

 

 魔法攻撃力向上の支援魔法を展開する。

 

「じゃあ、ルナリアよろしくな」

「んぁ……っ。あっ……。……もうっ! 指示はぁ……あんっ! し、指示は省略したら駄目って言ってるでしょ!」

 

 もういいだろう。

 同じことを五回もやってるんだぞ……。

 

 そう思いはしたが、実際に戦うのはルナリアだ。

 俺はちゃんと要望に応えることにした。

 

「ルナリア、空から偵察。上級魔物以上なら空に魔法を撃って待機。中級以下なら上空から魔法攻撃だ」

「うん! 行ってくるね!」

 

 ルナリアが、とんっと軽く跳び上がって馬車の天板へ乗る。

 次の瞬間、俺の頭上で再び軽く天板を踏む音がした。

 

 小窓の向こうに、くるりと前方へ回転しながら跳躍するルナリアの姿が見えた。

 その拍子に白いミニスカートがふわりと翻り、太ももが付け根近くまで覗く。

 

 ルナリアは、中空で銀の剣を鞘から抜き放ち、頭上へ掲げた。

 そして、恥じらうことなく真っ直ぐな声を上げる。

 

「わたしはルナリア・アストライア! わたしはアルスの剣! 我が心身は所有者たるアルスの為に在る! 彼の望みを叶えるため、我が身を竜と化せ!」

 

 ルナリアの周囲が赤く光り輝く。

 薄い赤光の膜に包まれた彼女はそのまま空高く飛翔した。

 途中でスカートの位置を気にするように軽く整えてから、フェリスが示した方向へ鋭く飛んでいった。

 

 かなり遠くまで跳んでいったルナリアは、もう俺には赤い光の点にしか見えない。

 

「フェリスは、ルナリアの様子がまだ見えるのか?」

「……ん? ああ、見える」

 

 やがて、前方から眩い炎の光が届いた。

 

 ルナリアらしき赤光から業火が赤い線となって地上へ降り注いでいた。

 燃え盛る魔法の炎が周囲を照らし、遅れて火炎が大地を抉る轟音がここまで届く。

 

 それでも俺たちの愛馬たちは動揺した様子もなく、かっぽ、かっぽと一定の歩調で街道を進み続けていた。

 俺たちの旅に付き合ううちに、ブルーとブラウンはそこらの軍馬よりよほど動じなくなっていた。

 

 ルナリアは残った魔物がいないか確認するように、周囲をぐるりと飛翔してからこちらへ戻ってくる。

 右手に銀の剣を握ったまま、左手をぶんぶん振りながら近づいてきて、天板へ軽やかに着地した。

 

 天板の上から、小窓にひょこっと顔だけを覗かせた。

 ルナリアの金糸の髪がはらりと垂れ下がった。

 

 俺の真上から彼女の声が降ってきた。

 

「大熊が六体だったよ。ついでだから、もうちょっと街道の先も見てきておくね。フェリスちゃん、分かれ道とかあるかな?」

「……いや、次の街まで一本道だ」

 

 ルナリアが顔を引っ込めて天板の上から言った。

 

「じゃあ行ってくるね」

「中級魔物でも、そのまま戦わず一回戻ってこいよ」

 

「うんっ」

 

 ルナリアはにこやかに答えると、またすぐに飛び上がり街道の上空へ飛んでいった。

 俺は小窓の縁に腕をかけ、顎を乗せてそれを見送った。

 

「うーむ。こんなんでいいんだろうか」

「……体がなまる。だが、平地の魔物では、どのみち訓練にならない」

 

 ヴァレリオンを出立して以降、魔物との遭遇戦は全部これで終わっていた。

 

 まあいいか。

 二人が怪我をすることもないしな。

 

 俺はルナリアが赤い彗星になって飛んでいくのを見送った。

 そのまま、薄暗い空を見て別のことを考え始めた。

 

 ……早く雪を見たいな。

 

 

# First_Town_of_Theocracy:

 

 ルナリアと二人、王国で冒険者を始めた。

 旅にでた俺たちは、共和国で大切な仲間、フェリスと出会った。

 

――そして今、俺たちはついにパイオニア教国へ入国した。

 

 これで三大国をすべて訪れたことになる。

 冒険者らしい実績をひとつずつ積み上げてきた、そんな密かな達成感が俺の胸を満たしていた。

 

 街道に設けられた関所での入国審査は、拍子抜けするほどあっさり終わった。

 というより、むしろ優先的に通されたくらいだ。

 

 これは至極当然といえるだろう。

 こちらには王国第三王子ユリウスの身分証明があり、セルナ統領の身分証明書まである。

 

 さらに今の俺は、勇者候補だ。

 

 俺たちはティル平原の景色を眺めながら、のんびりと街道を進んでいた。

 遠くまで遮るもののない平地が続いているのに、世界樹はまだ見えない。

 やはり、その姿を拝むには聖都まで行く必要があるのだろうか。

 

 ティル平原の端に近い、それなりに大きな街で俺たちは馬車を止めた。

 一時預かりの厩舎へ馬を預け、そのまま三人で街へ入る。

 

 初めて訪れた教国の街は、なんというか静かだった。

 

 人の往来が少ないわけではないが、誰もが物静かで、王国や共和国のような雑多な喧騒とは無縁だ。

 道行く人々の足取りは落ち着いていて、交わされる会話も丁寧だ。

 

 また、予想していたことではあるが、人族以外の姿は一切見えない。

 

 街の造りはとても整っていた。

 中央通りから少し入った場所にある公園は広々としていて、落ち葉ひとつなく綺麗に清掃されている。

 真っ直ぐ伸びる街道の両脇には丁寧に刈り揃えられた草木が並び、統一感のある石造りの建物が整然と立ち並んでいた。

 

 その通りを抜け、俺たちは街の中心にある豪奢な教会の前へ辿り着く。

 

 教国の国民は、住居の届け出が義務付けられているらしい。

 さらに、自分の住む街以外へ入る場合は、その街の教会に届け出なければならないという。

 

 もちろん他国からの入国者は、どの街であっても入るためには届け出が必要だ。

 

 セルナ統領からもらった本に、そう書かれていた。

 

 俺はやけに綺麗で豪華な教会を前に、腕を組んで悩んでいた。

 ちらりと横にいるルナリアへ顔を向ける。

 肩が触れるような距離に立っている彼女から、石鹸の甘い匂いがふわりと香った。

 

 俺に見られたルナリアが、不思議そうに小首をかしげる。

 最近のルナリアは、フェリスを侮辱されると即座に手を出しかねない。

 俺も人のことは言えないが、本気でルナリアが怒ったら、死人が出るだろう。

 

「二人はここで待っていてくれ。俺が手続きしてくる」

「……ん。それがいいだろう。……これは諦めではないぞ、アルス」

 

 フェリスはいつもより深くフードをかぶっていた。

 顔立ちだけではなく、あの長い耳まで隠してしまうような被り方だった。

 

 二人にそう告げた俺は、星切の柄に左手を置いたまま教会の戸をくぐった。

 

 中へ入ると、すぐに清掃をしていた修道女から声をかけられる。

 用件を伝えると、彼女はすぐ司祭を呼んできてくれた。

 

 終始にこにこと人当たりのいい司祭へ身分証書を見せ、街に滞在する旨を伝える。

 勇者候補であることについてひと通り持ち上げられ、無難に挨拶を済ませてから、俺は教会を出た。

 

 それから街で一番大きい宿屋へ向かった。

 そこで宿泊を拒否されたまでは、予定通りだった。

 

 ……だが。

 

 次の宿でも、その次の宿でも宿泊を断られた。

 

 ああ、これはやばいなあ。

 セルナ統領の注意書きにあった通りだ。

 俺はこの国で、どこまで我慢できるだろうか。

 

 結局、俺たちはすべての宿屋で宿泊を断られた。

 

「……私は気にしない。……そう、昔から思っていた。だが、お前たちを巻き込むと少し落ち込むな」

「フェリスちゃん、待っててね。最近、ひとつ思いついた技があるの! 空でローディングして奥義を撃つの!」

 

 そんなことしたら、街が消滅するだろ。

 俺はその光景を想像して、苦笑しながら二人に言った。

 

「やめろ、ルナリア。魔王かお前は。……まあ、いいさ。野営しよう」

 

 まだ不満そうなルナリアと、少しだけ目元を伏せているフェリスの肩を抱き寄せる。

 三人で寄り添ったまま、馬車を預けている厩舎へ向かった。

 

 俺たちは街から少し離れた場所で野営の準備を始めた。

 恐らく、この国にいるあいだはずっと野営になるのだろう。

 街を出立する前に、毛布や防寒具も買い足しておかなければならない。

 

 つくづく気に食わない国だな、と俺は思い始めていた。

 

 ルナリアが街で食材を買ってきて、いつものようにフェリスが食事を作ってくれた。

 海が遠いからか、魚はあまり良いものが売っていなかったらしい。

 けど、腸の肉詰めをジャガイモと一緒に煮た料理はとても美味く、苛立っていた俺の心も少しだけほぐれていった。

 

――しかし、問題があった。

 

「さ、寒い……。まだ日も落ちてないのに、なんだこの寒さは」

 

 セレスティア王国は、凍えるような冬とは無縁だった。

 それでも、冒険者生活で野営には慣れているし、冬の漁で海へ出る時はかなりの寒さだった。だから、多少の寒さは耐えられると思っていた。

 

 俺の考えは甘かった。

 教国の寒さは少し質が違う。

 突き刺すような冷気が、骨までじわじわ冷やしてくる。

 

 隣で茶を飲んでいたルナリアが、心配そうに俺へ視線を向けた。

 

「アルス、大丈夫? あ、そうだ。フェリスちゃん」

「……ん。ああ、いいな」

 

 彼女たちはなにやら目配せしあった後、俺に左右からぴったりとくっついてきた。

 

 二人の少女から伝わる体温は、俺には実際以上に熱く感じられた。

 冷えきっていた身体が、じわじわとほどけていく。

 

 しかし、その温かさ以上に、密着した二人の柔らかさへ意識を奪われる。

 

 俺は気にしていないふりをして、茶を飲もうとした。

 腕を動かしたせいで、ルナリアの豊かな胸が押し上げられ、むにゅりと形を変えたのがわかった。

 温かなふくらみが、俺の腕に吸い付くように密着する。

 

「……んっ」

 

 ルナリアが甘い吐息を漏らしたのが、すぐ側から聞こえてくる。

 腕を動かせなくなった俺は、茶に口をつけたまま固まった。

 

 俺の様子を見て、同じように密着していたフェリスが、すっと目を細めた。

 長いまつげに縁取られた瑠璃色の瞳が、じっと俺を捉えていた。

 

 フェリスは体重を預けたまま、俺の左腕を抱き寄せた。

 外套の隙間から、ワンピースの薄布一枚に覆われた胸が押し付けられた。

 彼女は、なだらかな曲線を描く谷間に引き込むようにして挟み込む。

 

 俺はフェリスに視線を向ける。

 彼女の動きに合わせて流れる水色の髪が、薄暗い中そこだけ輝いて見えた。

 

 フェリスは素知らぬ顔で口を開いた。

 

「……なんだ?」

 

 なんだじゃないよ。

 

 彼女たちの顔は、触れそうなほど近かった。

 ルナリアの金糸の髪と、フェリスの水色の髪がさらりと俺の頬を撫でた。

 二人の甘い匂いがふわりと混ざり合って、頭が少しくらくらする。

 

 密着した肩は、普段の二人の強さからは想像できないほど、華奢な少女のものだった。

 

 ルナリアが宝石のような赤い瞳で、俺を見つめながら優しく微笑んだ。

 

「暖かい?」

「ああ。ありがとう」

 

 少し恥ずかしい。

 だけど、とても心地よかった。

 

 肌寒いこの空気の中、三人で寄り添っているこの感じもいいな。

 俺が茶を飲みながらそう思っていると、フェリスが俺越しにルナリアへ視線を向けて言った。

 

「……ルナリア。……この姿勢では、アルスは前後が寒い」

「はっ。確かにそうだね。じゃあ、前後から抱きしめようよ」

 

 ルナリアが、フェリスの言葉に素直に感心したように答えた。

 フェリスはそれを聞いて頷いた。

 

「……いい案だ。そうしよう。私が前から抱きつく。お前は後ろから頼む」

「ええ! ずるいよ。わたしが前がいい」

 

 俺は前後から彼女たちに抱きしめられる様子を、頭に思い浮かべた。

 

 ……いや、それは駄目だ。

 

「いや、このままで俺は十分暖かい。大丈夫だ」

 

 彼女たちは俺に顔を向け、二人して優しく微笑んだ。

 少し瞳に熱が宿り始めていた。

 

「遠慮しないでいいよ、アルス」

「……ん。風邪を引いてはいけない」

 

 ルナリアとフェリスが、俺の意見を無視して前後の担当決めについて話し始めた。

 

「フェリスちゃん、じゃあ腕相撲で決めようよ」

「……勝てるわけないだろう。公平に、二人とも初めてのものにするべきだ。……そうだな、共和国で購入した遊戯盤で勝負だ」

 

 ルナリアがウェーブがかった金糸の髪をふわりと揺らし、フェリスを咎めた。

 

「フェリスちゃん……このあいだ、こっそり練習してたでしょ」

 

 フェリスがルナリアからすっと視線を外した。

 

 二人の言い合いを聞きながら、俺は茶を飲んでいた。

 まあ、彼女たちに前後から挟まれるのもいいか。

 柔らかくていい匂いだし。

 

 でも誰かに見られたら、少し恥ずかしいな。

 俺はそんなことを思いながら、近くの建物へ目を向けた。

 

 ここは俺たちが野営しようとしただけあって、結構な街の外れだ。

 そんな場所なので、建物はそれしかなかった。

 人が通るとしたらあの建物の出入りくらいかな、と思いながらなんとなしに眺めた。

 

 街の外れにあるその小さな建物は、古びてはいるが綺麗に掃除されていて、清潔感がある。

 この街にしては珍しく、あまり統一感のない建ち方をしていた。

 

 無理やり街の端に建てたような、そんな印象を受ける。

 俺が二人のやり取りを聞きながらその建物を眺めていると、戸が開いた。

 

 一人の若い女性が出てきた。

 その人は近くの井戸へ水を汲みに出てきたようで、木桶を持っていた。

 

 俺は空を見やった。

 まだ日は落ちていないが、この国の夕暮れは暗い。

 危ないな。手伝うか。

 

「ルナリア、フェリス。ちょっと俺、あの人の水汲みを手伝ってくるよ」

 俺は茶の入っていた木杯をルナリアに手渡して、すっと立ち上がって歩き出した。

 

 二人が名残惜しそうに俺を見送っている視線を感じた。

 

「……意外と、流されないな」

「えへへ。格好良いよね」

 

 夜も近いので、驚かせないよう女性に離れた位置から声をかけた。

 

「水汲みですよね。手伝います」

 

 その女性がこちらへ振り向き、眉を上げて少し警戒したような表情を浮かべた。

 栗色の髪を後ろで束ねた若い女性だった。

 俺たちよりも少し年上だろうか。

 

 彼女は俺に視線を向けた後、後ろにいるルナリアとフェリスへ目を向けた。

 こちらが男だけではないとわかって、少し安心してくれたのだろうか。

 彼女は柔和な笑みを浮かべ、俺に向かってぺこりと頭を下げた。

 

「ご親切にありがとうございます。旅の方ですか?」

 

 俺は彼女から木桶を受け取り、井戸の留め具にひっかけて縄を回した。

 

「はい、そうです。王国から来ました。しかし、こんな時間に女性が井戸で水汲みは危ないですよ」

「ふふ、そうですね。普段は気をつけているのですが、子供が熱を出してしまっていまして。水が切れてしまったんです」

 

 俺は、水をなみなみと湛えた木桶を持った。

 

「ああ、お子さんが風邪を引いてるんですか。あ、玄関まで持っていきますよ」

「ありがとうございます。それにしても、この時期に野営ですか? 身体を壊しますよ」

 

 彼女は、玄関で俺から木桶を受け取ったまま話を続けた。

 俺は腕を組み、街の中心地を見やって答えた。

 

「そうなんですけどね。宿泊を断られたんですよ」

「宿泊を? 何かあったのですか?」

 

 俺はこの国に少しわだかまりがあるせいで、珍しく初対面の相手にぶっきらぼうに答えてしまった。

 

「……あんまり、理由は口にしたくないですね」

 

 彼女はしばらく俺の顔を見つめた後、ルナリアとフェリスの方へ視線を向けた。

 そういえば、フェリスは野営中だったのでフードを被っていない。

 

 彼女は少し思案してから、事情を察したようだった。

 木桶を地面に置き、ぺこりと俺に頭を下げた。

 

「同じ街の住人としてお詫びします。どうかご容赦ください。宿の方々も戒律に従わざるを得ないのです。もしよろしければ、うちに泊まっていってください。もちろん、お連れ様も一緒に。少し賑やかですが、野営よりは温かく眠っていただけますよ」

「え? でも、お子さんが風邪を引いてるんですよね。大変なんじゃないですか?」

 

 その女性はくすりと笑って言った。

 

「上の子たちが面倒を見てくれますし、大丈夫ですよ。それにうちは宿ではないので戒律は関係ないですからね」

 

 女性と話していると、建物の戸が開いて小さな女の子が走ってきた。

 その子が女性の裾を引っ張りながら言った。

 

「せんせい。まだ?」

「はいはい。ミア、もう少し待ってね。今行きますよ」

 

 ミアと呼ばれた女の子が、俺に気づいたようで指をさした。

 

「……あれ、だれ?」

 

 俺はしゃがみ込み、その子に笑いかける。

 

「俺はアルスだ。よろしくな」

「あるす。わたし、みあ。よろしくな」

 

 開け放たれたままの戸から、賑やかな子どもの声が届いた。

 小さい子から大きい子まで、いくつもの声が聞こえてきた。

 

 ああ、なるほど。

 

 俺はミアの頭を優しく撫でてやり、立ち上がって女性に向き合った。

 

「ありがとうございます。ではお世話になります。俺はアルスです」

「ふふ、はい。私はハンナです。ご準備ができましたらいらっしゃってください。ああ、馬ですが、そちらに小屋がありますので、そこへ留めてください」

 

 俺はハンナさんにお辞儀し、ミアに手を振った。

 それからルナリアとフェリスのところへ戻った。

 

 二人に今の話を伝え、野営をしようとしていた道具を片付け始めた。

 

 彼女たちは手早く片付けをしながら、さっきの続きを話しているようだった。

 

「……ん。少し残念だ」

「そうだね。ねえ、よく考えたら交代で前後を入れ替えればいいよね。次はそうしようよ」

 

 フェリスが頷いてから、視線をルナリアに向けた。

 

「……そうだな。それはそうと、遊戯盤の相手もしてくれ」

 

 日が沈み、夜空に星が浮かび出していた。

 見上げると、空を覆っていた雲は流れていったようで、満天の星空が広がっていた。

 それは、王国にいたときと何ら変わらない、美しい星空だった。

 

 教国も別にそんな悪い国じゃないかもな。

 

 

# COORDINATE 0053 END

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