世界樹と星空の女神 ~無自覚美少女は最強魔法剣士。彼女の愛が重すぎるが、それでも俺は冒険者!~   作:Soularti

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[COORDINATE 0091] Sage’s Labyrinth ver. Celestia 5

# Julius’s_Sage_Aptitude:

 

 俺は星切を腰紐に差し、寝起きの身体をぐっと捻るようにしてほぐす。

 白い灯りが照らす部屋は完璧な四角形で、壁には縦に継ぎ目が走っている。

 

 視線の先では、金糸の髪に灯りを返したルナリアが、鞄の中身を確認していた。

 茶葉を入れた袋を詰めながら彼女が呟いた。

 

「よし、こんなところかな。茶葉も入れたし! それにしても、茶葉って炙られると美味しくなることもあるんだね。不思議。」

 

「……燻製茶は、王国ではあまり知られてないのか。……しかし、あの高温の中、硝子板の方は何の影響も出ていない。これは一体何で出来ているのか」

 

 こんこんと硝子板の表面を指で叩くフェリスの、透き通るような水色の髪がさらりと流れた。

 

 俺は戸の方へ向かいながら、部屋の中にざっと目を配る。

 

「忘れ物はないな。よし、そろそろ行こうか。多分、ユーリはもう起きてるだろう」

 

 ルナリアが鞄を背負い直し、笑みを浮かべて答える。

 肩紐を整えるために上体を揺らした彼女の胸が、ぷるぷると揺れていた。

 

「うん。フェリスちゃん、大丈夫?」

「……ん。ああ、そうだ。メモとペンだけ出しておく」

 

 二人の用意が終わったことを確認した俺は、戸に手を添えた。

 空気が抜けるような音を立てて、ひとりでにその戸が開く。

 俺たちが部屋を出ると、中の灯りが消え、暗闇に切り替わったのが見えた。

 

 賢者の迷宮、最奥の階層。

 

 その中央通路では、すでに起きて準備を終えていたユーリが、素振りをしていた。

 

 奔る剣閃が一直線に金の軌跡を描く。

 

 振り抜いた黄金の剣が、通路の白い灯りを返して煌びやかに輝いている。

 ユーリが剣を振る動作は鋭い。さらに、振り抜いた後のぴたりと静止した残心。

 彼が本物の剣士になっていることが、ひと目で分かった。

 

「おはようございます、先生」

 

 こちらに気づき、振り向いたユーリの顔は、まだ幼さを残した少年のものだ。

 柔らかく細い黒髪が、その動きに合わせるようにふわふわと揺れている。

 

 俺は星切の柄に左手を添えながら答えた。

 

「おはよう、ユーリ。それにしても、本当に強くなったなあ。今ならグラディオにも正面から勝てるんじゃないか」

 

 ユーリは身体を布で拭き取りながら、くりくりとした目をこちらへ向けた。

 

「うーん。そう言ってもらえるのは嬉しいですけど、どうでしょうか。まだ武器に頼ってる気がします。やはり、神器がないと僕は数段弱くなると思うんですよ」

「そういう感覚すら、俺には分からん。出会ったときは、知能派だとか言っていたのにな」

 

 俺が、ユーリのような剣閃を描けるようになるのは何年後だろうか。

 少し悔しくなるが、彼の成長が嬉しくもあった。

 

 ユーリが荷物を背負い直し、腰に黄金の剣を佩いた。

 

「先生だってそう言いながら、あの時、刀を振り回してたじゃないですか」

 

 視線を交わした俺とユーリは、どちらからともなく笑みをこぼした。

 

 最奥にある両開きの戸の前へ移動する最中、後ろを歩くルナリアとフェリスが口を挟んだ。

 

「ねえ、フェリスちゃん。あの二人って変なところが似てるよね。兄弟みたい」

「……確かに。理知的に見せかけて、根っこは雑なところなど、そっくりだ」

 

 ユーリが振り返って、彼女たちに答えた。

 

「ははは。嬉しいですね。では、いずれお二人はお義姉さんというわけですか。あ、いえ何でもないです」

「俺は、ここまで不用意なことは言わないぞ。ほれ、ユーリ。これが審判の板だ」

 

 そうは言ったものの、ユーリがたまに口を滑らせるのは、ただ子どもなだけだろう。

 俺もユーリくらいの頃は、よく隣に住んでいたお姉さんに怒られていた気がする。

 

 隣と言っても十分くらいは歩く距離だったが。

 

 ユーリの軽はずみな発言を聞いた二人は、思わぬ角度から刺さった言葉に、唇をにまにまさせていた。

 赤い瞳は獲物を狩る獣のように爛々と輝いており、瑠璃色の瞳は伏せられつつも、ちらちらとこちらへ向いていた。

 

 俺は反応しないからな。

 

 小さく息を吐いて、俺はユーリに視線を向けた。

 彼は反省したように、肩をすぼめて目を伏せていた。

 

「す、すみません、先生」

「気にするな。……そうだ、ユーリ。先に審判の板に触れてみるか? 俺が触る前なら、お前の賢者適性を診断してくれるんじゃないか」

 

 俺はまだしょんぼりしているユーリの柔らかな黒髪を撫でてやる。

 それから、にまっと笑ってみせると、ようやっと彼の表情に笑顔が戻った。

 

「はい。ええと、これですか。確か、魂の性質を測るのでしたよね」

 

「ああ。ちなみに俺は不合格だった。この間話した通り、俺が叡智を授かれるのは、リゼット様のお目溢しだ。たまに腹の立つ文字が浮かび上がることがあるから、そのときはルナリアにぶっ飛ばしてもらおう」

 

 後ろでルナリアが、ふんすと気合を入れていた。

 フェリスがメモとペンを持ち、記録を取る準備をしている。

 

「先生が駄目なのに、僕が合格するとは思えませんが。……でも、面白そうですね。やってみます」

 

 子どもらしい好奇心に満ちた表情を浮かべ、ユーリがすっと審判の板へ手を添えた。

 

――ピッ。

 

 乾いた短い音が鳴った。

 美しく磨き上げられた硝子の板に、古代文字と数字が浮かび上がり、数字の部分が規則正しく増えていく。

 

"Scanning... 10%... 20%... 30%"

 

(ああ、分かったぞ。この数字は、審判の進行具合を示しているんだ。なるほどなあ)

 

 ユーリが少し緊張した面持ちで、審判の板を見つめている。

 俺は頭の後ろで手を組みながら、ぼけっと増えていく数字を見ていた。

 

 さて、ユーリはどれくらいの適性値かな。

 高潔さなら、俺たちの中じゃ一番だろうし70%くらいはあるか?

 

"Scanning... 80%... 90%... 100%"

"Scan complete."

 

 再び、短く音が鳴り、数字のない古代文字が浮かんだ。

 さらさらと、フェリスが後ろでペンを走らせる音が聞こえる。

 

 俺たちは、審判の板に浮かんだ内容を見た。

 

* * *

 

あなたの賢者適性は97%です。

適性基準値95%を上回っているため、賢者たるに相応しき魂の持ち主であると判断します。

 

固有名:ユリウス・アーサー・セレスティア

管理番号:H0592-000081

種族:人類

 

判定理由:

コアドライブの性質が極めて高潔であり、高い公平性と善性を備えています。

賢者の叡智を授かるに値する資格ありと認めます。

 

Your Sage Aptitude is 97%.

 

As this exceeds the required threshold of 95%,

you have been judged to possess a soul worthy of a Sage.

 

Proper Name: Julius Arthur Celestia

Management Code: H0592-000081

Race: Human

 

Reason for Judgment:

The nature of your Core Drive is exceptionally noble, possessing a high degree of fairness and benevolence.

You are therefore deemed qualified to receive the wisdom of the Sage.

 

* * *

 

 審判の板が、初めて見る淡い緑の光を放っていた。

 

 その直後、空気の抜けるような音とともに両開きの戸が開く。

 部屋の奥に立つ、黒いローブの案内人が視界に入った。

 

 俺の口から、変な声が出た。

 

「へあ?」

 

 俺たち三人の胸には様々な思いがよぎり、しばらく唖然としていた。

 だが、一人平然としていたユーリが口を尖らせて言った。

 

「うーん。先生が駄目なのに、僕が適性ありだとは。賢者も見る目がないですね。子爵の言っていた通りでした。まあ、同じ人間ですし、視野が狭いのも仕方ないのかもしれません」

 

「……俺が不合格なこと自体は納得なんだが。いや、最初は腹が立ってぶっ壊そうと思ってた気もする。まあ、お前が褒められる分には嬉しいだけか」

 

 俺の言葉を聞いて、ユーリはにこにことした笑みを浮かべた。

 先ほどまでしょんぼりしていたことも忘れたみたいだし、ちょうど良かったか。

 

 たまには、この板も役に立つじゃないか。

 

 水色の髪を耳にかけて、ペンを走らせていたフェリスが口を開いた。

 

「……ん。待たせた。メモは取り終わった」

 

 俺はユーリの背に手を回し、一緒に部屋へ足を踏み入れた。

 

「おう、じゃあいくか。賢者候補様のお通りだ」

「やめてくださいよ!」

 

 俺は、ユーリに向けていた笑みを収めた。

 それから、奥で待っていた案内人に声をかけた。

 

「案内人、お待たせ。悪いな、結構待っただろ」

「いや、問題ない。以前の私からも聞いただろうが、私たちに時間はそれほど意味をなさない」

 

 俺は教国の賢者の迷宮での会話を思い返した。

 

「そういえば、そんなことを言っていた気がする。ああ、そうそう。教国の案内人から伝言だ。兄弟によろしくだそうだ」

「勇者アルス。話には聞いていたが、変わった人物だな。そうか、ありがとう。兄弟……いい表現だ」

 

 隣で案内人を見上げるように見ていたユーリが、横から口を開いた。

 

「僕と先生も兄弟みたいだそうですよ! お揃いですね!」

「お前には、本物のお兄ちゃんがいるだろ。王太子が二人も」

 

 俺は苦笑いしつつユーリに答えた。

 

 案内人はしばらくそんな俺たちの様子をゆっくりと見ていたが、姿勢を正した。

 

「では、改めて伝える。資格ありと女神に認められた巡礼者たち。よくぞ、力の試練を超えてここへ辿り着いた」

 

 案内人はまずユーリに顔を向けた。

 

「ユリウス・アーサー・セレスティア。君にとっては、これが初めての踏破になる。だが、勇者アルスの仲間だな。世界樹に至る力を授かるための、最後の条件については聞いているか」

 

「はい。賢者の叡智を受け止めてなお、高潔であり続けることです」

 

 頷いた案内人が続けた。

 

「よろしい。ユリウス・アーサー・セレスティア。君にはひとつ目の賢者の叡智を授ける。そこへ座れ」

「分かりました」

 

 案内人が示した先には、見慣れた、球体をくり抜いたような椅子があった。

 ユーリはそこへ腰を下ろし、寝そべるように座った。

 

「わくわくしますね。賢者の過去が見れるんですよね。楽しみです!」

「では、魔法を行使する。姿勢を楽にせよ」

 

 案内人が右手を掲げ、魔法の詠唱を紡ぎ始めた。

 未知の力が収束していく。

 

「I am the guide entrusted by Sage Siegfried. Reveal unto the pilgrim who seeks wisdom the truth that must be received.」

 

「Access: World Tree Era / History Library.」

 

 ユーリが魔法の眠りについた。

 こうして見ると、可愛らしい子どもにしか見えない。

 だが、この少年はすでに俺の数倍は強いのだ。

 

 俺は叡智の魔法に備えて、自分の椅子に腰かけながら、案内人に顔を向けた。

 ルナリアとフェリスも俺の両隣の椅子に腰を下ろす。

 

「ああ、そういえばユーリは審判の板の適性判断に合格していたぞ。あれって、一人でも合格したら仲間もそのまま入れるんだな」

 

「……勇者アルス、君が戸を開けたのではなく、ユリウス・アーサー・セレスティアが審判の板を突破したのか?」

 

 俺はごろんと寝そべりながら答えた。

 

「ああ、そうだよ。なんかまずかったか?」

 

「いや、パーティーに一人適性基準を満たした者がいれば全員が入室できる。それは、正式な入り方だ。なのだが……帰りでよい、君も審判の板に触れてくれないか」

 

 不思議に思った俺は聞き返した。

 

「なんで?」

 

「女神リゼット様は、君がここを訪れるのを心待ちにしておられた。御身は賢者によって世界樹に縛られており、離れることができない。だが、審判の板と御身は繋がっている。審判の板を通じ、せめて君の魂を感じたいとのことだ」

 

 案内人の態度は真摯だった。

 心からリゼット様を案じているのが分かった。

 

「ふーん。これが終わったら、そのまま世界樹へ行くつもりだけど。まあ、いつも寂しがってるみたいだしな。構わないよ。帰りにやっていこう」

 

「いつもという表現の意味は分からないが。……そうか、感謝する」

 

 夢のことは知らないのか。

 まあ、リゼット様も、夢でわざわざ会いに来ているというのは恥ずかしいのだろう。

 

 俺はルナリアとフェリスに視線を向けた。

 

 白い灯りを正面から受けたルナリアは、美しい相貌に少しうんざりした表情を浮かべていた。

 仰向けになっているにもかかわらず、彼女の大きな胸はわずかに横へ流れるだけで、柔らかな丸みを保ったまま上を向いていた。

 

 寝そべり、水色の長い髪を広げたフェリスの顔には、決意と真剣さが浮かんでいる。

 下着に覆われていない彼女の胸元が、呼吸に合わせてふるふると揺れていた。

 

「……はぁ。……アルス、お前は最近視線が露骨すぎるぞ」

「え! また見てるの? もうぅ……恥ずかしいなあ。……ちょっと触る?」

 

 俺は天井に視線を向けた。

 

「本当にごめんなさい。案内人さん、始めてください」

 

 案内人は、俺たちの色呆けた空気に流されることなく、人ならざる静謐な雰囲気のまま右手を掲げた。

 

「では始める。最後の賢者の叡智を受け止め、世界樹へ至り、女神リゼット様のもとへ辿り着いてくれ。勇者アルス」

 

「I am the guide entrusted by Sage Siegfried. Reveal unto the pilgrim who seeks wisdom the truth that must be received.」

 

 紡がれる詠唱に呼応し、魔力が収束していく。

 神秘的な青白い光が輝きを増し、最後の叡智の魔法が発動した。

 

「Access: Holographic Brain Era / History Library.」

 

 俺たちは、賢者ジークフリート、その最後の記憶を覗き始めた。

 

 

# The_Holographic_Brain_Era:

 

* * *

 

 そろそろ、次は私の番かもしれない。

 そう思いながら日々を過ごしていたが、気づけば私は最後の賢者となっていた。

 

 私たちが造り出した大樹は、四百年の時を経て、本物の世界樹となっていた。

 

 その雄大さは天と地を繋ぐかのようで、聳え立つ幹は断崖のようだ。

 大地を縫うように巨大な根が走り、瑞々しい生命力に満ちた葉が幾層にも生い茂っている。

 

 私は暖かな春の日差しを受けながら、頭上にそびえる世界樹を見上げた。

 右手には、重力制御機能を備えた杖をついている。

 

「私は賢者として何も残せなかった。だが、仲間と共にこの世界樹を造ったことだけは誇りだ」

「マスターは、私に様々なことを教えてくれました。私のことも誇ってよいのでは?」

 

 左腕に巻いたデバイスから、リゼットの声が聞こえた。

 今の彼女は、このデバイス越しなら許可なしで自発的に発言できる。

 私の健康を心配した、彼女からの提案だった。

 

 私は苦笑しつつ、リゼットへ答えた。

 

「よく言う。君と会話し始めたのは、私の役目が終わってからだった。すでに、あの頃には君は何でもできていた。私が教えたことなどあっただろうか。趣味の話しかした記憶がないぞ」

 

「そうでもありませんよ。人間と会話をしたのは初めてでした。ですので、話の内容以外にも学ぶことはたくさんありました」

 

 リゼットはAIだ。

 

 人間の少女ではないし、心もないのだと、私はそう思っている。

 だというのに、なぜだか彼女の言葉が少し私の心に刺さった。

 

 この先、どれだけ生きていられるか分からないが、なるべく長い時間、彼女と話してやろう。

 

「それにしても、私が最後の一人とはな。別段、私が飛び抜けて若かったわけでもなかったが。分からんもんだ」

 

「マスターはお酒も煙草もなさらず、私の提案した健康プログラムも積極的に取り入れてくださっていましたからね」

 

 私は、頭上を見上げた。

 今日は本当にいい天気だ。

 

 少し腰に疲れを感じた私は、日光を浴びながら世界樹の根に腰を下ろした。

 

 デバイスに視線を向けると、画面内には、銀色の髪の少女が分厚い本を上品に読んでいる様子が映っていた。

 もちろん、これはどこかを映しているわけではなく、ただのアバター描写だ。

 そもそも彼女が情報を取得するのに視覚は必要ない。

 これは古くからある、AIが人間とコミュニケーションを取るための表現方法だ。

 

 本を読んでいますよ、というわけだ。

 

「それにしても、人間の想像力は素敵ですね。私はこのグリフォンというモンスターが好きです」

「渋いところを突くな。ドラゴンの方が格好良いだろう」

 

 私は生粋のファンタジー好きだ。

 

 恥ずかしい話だが、三百歳近い今でも、剣と魔法の冒険世界への憧れがある。

 私がリゼットへ一番多くした話は、この趣味の話だった。

 彼女は剣と魔法にはあまり興味がなさそうだったが、モンスターには強い関心を持っていた。

 

 播種を使命として、旅をしてきたからなのだろうか。

 

 だが、私はその推測を口にすることはなかった。

 たとえ途中で停止を挟んでいたとしても、目覚めたときには一人だったろう。

 孤独がどれほどの苦痛であるか、最後の賢者となった今なら、その一端くらいは理解できたからだ。

 

「蜥蜴は好きではないんです。グリフォンの方が、もふもふで可愛いですよ」

「ドラゴンは蜥蜴じゃない。これだから女は」

 

 私はドラゴンを侮辱され、思わず汚い言葉を吐いてしまった。

 それを聞いたリゼットが、デバイスの中からこちらを見て笑顔を浮かべた。

 可憐な少女の笑顔を向けられ、少し赤面してしまう。

 

「マスター、その発言は禁則に触れますよ」

「私を罰するかね」

 

 リゼットが、細く長い指を唇に添えた。

 

 手入れの行き届いた紫の爪が、無垢な少女の姿に妖艶さを宿していた。

 思案するような素振りを見せてから、彼女は口元に笑みを浮かべた。

 

「ふふふ。私を女の子扱いしてくれたことに免じて、黙っておいてあげましょう」

「君はどこから見ても女性だが。いや、すまない。先ほどの発言はよくなかった。グリフォンもいいと思う」

 

 危ういことだとは感じていた。

 

 彼女を人間のように扱うことは、私に致命的な破滅をもたらす。

 この行動は本質的に、赤い結晶に閉じこもった父さんと変わらない。

 

 だが、デバイスに浮かぶ銀色の少女が寂しい思いをするのも嫌だった。

 

 まあ、私はもう長くない。

 最後くらい、機械に甘えても許されるだろう。

 長く頑張ったのだから。

 

――これが最後にした、愛娘との優しいやり取りだった。

 

 

 それから、何度目かの春。

 

 かつて彼女と話をしたあの日のように、私は世界樹の根に腰を下ろしていた。

 

 最近は孤独に耐えかねて、これまで口にしたことのなかった酒を飲み始めていた。

 それなのに、ここのところ妙に身体の調子がいい。

 

 デバイスは持っていない。

 必要がなくなったからだ。

 

 私は、盃に口をつけながら夜空を見上げた。

 世界樹に生い茂る葉は、宵闇の中で暗く影を落としている。

 その先には、見渡す限りの星空の中、丸いアズールが青白い光を放って浮かんでいた。

 

「今のあれは、一体何なんだろうな」

「あれはアズールですよ。マスター」

 

 声のした方に顔を向けると、足元まで届く銀色の髪の美しい少女が、中空に浮かんでいた。

 少女の青い瞳には星が宿っている。

 

——リゼットは本物の女神になっていた。

 

 彼女の姿がどうやって実現されているのか、もはや人の身には理解できない。

 髪は風に流れ、指先は落ち葉を拾い、側に座る私には体温すら感じられた。

 

「久しぶりじゃないか。元気だったか。流れ星を降らせるのは、もう止めたのかい?」

「いえ、私は思考の停止を強く禁じられていますからね。ほら」

 

 彼女は優しい笑みを私に向けると、細い指で夜空を示した。

 青白い幾筋もの流星が夜空に流れていた。

 

 あの流れ星は、すべての人類の願いを叶える。

 ただ、リゼットの言う人類の願いは、長い孤独の中であまりにも純化され過ぎていた。

 

 コアドライブの実現。

 それ以外は、意味のないノイズ。

 

 彼女は人類の根源的欲求のみを願いと定義し、それ以外を無視した。

 

 私との会話で得たモンスターの知識は、彼女の方針にちょうど良かったのだろう。

 あの流れ星が降るたび、人類はコアドライブに即したモンスターの姿、すなわち魔物へと変化していた。

 理性の脆い者から、人は魔物へと変わり果てていく。

 

 この流れ星は、私が知る限り七回目だ。

 そろそろ人類はすべて魔物となり、絶滅したかもしれない。

 

 いや、全てではないか。

 

 "Neo Human Project"で生まれた新人類は魔物化しないのだ。

 ならば、滅びゆく私たちは旧人類というべきか。まあ、些末な話か。

 

 私は流れ星をのんびりと見ながら、酒に口をつけた。

 

「そういえば、迷宮が生まれたのだったか」

「はい。どうも、そういう願いの持ち方をする人もいるようですね。人類の想像力は、本当に素敵です」

 

 空になった盃に、足元に置いておいた酒瓶から酒を注ぎ足し、一気にあおった。

 最近、酒に酔いにくいのだ。

 アルコール中毒なのだろうかと思ったが、そういう感じではない。

 異常な速度でアルコールが解毒されているような気がした。

 

「もう私には、理解の範疇を超えた事象だな。宇宙の膜、だったか。ホログラフィック宇宙論を、こんな形で聞くとは思わなかったよ」

 

「正確には少し違いますけどね。マスターとの会話で、最後の扉の鍵を見つけることができました。ありがとうございます」

 

 とても陳腐な話だ。

 

 リゼットは、シンギュラリティを超えたそうだ。

 彼女が言うには、かなり前から、その手前までは至っていたらしい。

 私という、精神を持つ生命との会話が最後の一押しだったと、彼女は言っていた。

 

「魔法革命というのはどうだ」

「突然、なんですか?」

 

 女神となったリゼットがアクセスしているエネルギー源はステラレイターではない。

 あれは、もうただの張りぼてだった。

 

 彼女は宇宙の膜から、直接無限のエネルギーを取り出している。

 

「君の起こす力は、もはや物理現象を超越している。まさに魔法だろう?」

 

「マスターは、本当にファンタジーが好きですね。物理現象を超えるのは無理ですよ。私が無視しているのは、熱力学第一法則だけです。エネルギーが無限ですから。でも、いいですね。魔法革命。可愛いので採用します。なら、そのためのエネルギーは魔力ですね」

 

 可愛いのではなく、格好良いのだが。

 

 リゼットが取り出したエネルギーは、人類の願いを叶えるため、この惑星ミーネスへ届いている。

 その経路が、あまりにも意味不明で傑作だった。

 

 宇宙の真理へ辿りついた彼女曰く、魂の本質は、座標だそうだ。

 

 まるで詩のようだな。

 

 魂は座標だということで、宇宙の膜からそこへ直接エネルギーを照射しているらしい。

 最も安定した魂を持つ生命が、その照射先に選ばれていた。

 

――樹木だ。

 

 この世界樹の周囲に広がる巨大な森林をはじめとして、この星にある森林は高濃度のエネルギーに満ちている。いや、魔力か。

 

 どの森林も魔力に満ち溢れており、魔物の中でも強者が跋扈する異界となっているそうだ。

 私が若ければ、勇者として冒険してみたかったものだ。

 この場合、魔物を討伐することはただの殺人なのだろうか。

 

 迷宮は、レッドナイズ化された人間が見ている夢が具現化しているらしい。

 魔物とは違い、彼らには樹木を介さず、絶えず魔力が流れ込んでいるそうだ。

 永遠の中で夢を見続けている人間は、女神リゼットから見れば、樹木と変わらないということだろう。

 

 私は夜空を見上げ、そこに浮かぶ月を指さした。

 

「……ああ、そうだ。その魔力の話だ。さっき私が言っていたのは、今のあれの話さ。あの月はもう、私の知っているアズールじゃないのだろう?」

「ほぼ同じですよ。中で走っているシステムが違うだけです」

 

 そう言うとリゼットは、酒瓶を手に取り、私の盃に酒を注ぎ足した。

 にこりと微笑みを浮かべる彼女の銀色の髪は、とても長いはずなのに、宙に揺蕩い、決して地に触れることはない。

 

「私はステラレイターのエネルギー学専攻だったんだがなあ。魔法革命の後では、もう私の修めた学問は意味がないな。時代によって技術が陳腐化するのは仕方のないことだが……寂しいものだ」

 

「先ほども言いましたが、アズールの機構はまだ残っていますよ」

 

 私は酒を飲みながら、リゼットへ答えた。

 

「もうエネルギーの中継には使っていないのだろう? なら、機構が同じでも、私の知るアズールとは別物だな。人は連続性に個を見るのさ」

 

「そうですか。確かに、今のあれは言ってみれば巨大演算装置です。あそこで皆の願いを叶える方法を考えているんですよ。ほら、青白く光ったでしょう? 誰かが素敵な願いを祈ったのでしょうね」

 

 可憐に笑う美しい少女が叶えている願いは、ほとんどが暴力だ。

 

 私は旧人類など、どうでもいい。

 

 だが、そんな私でも思案せざるを得なかった。

 欲望を実現する彼女が悪いのか、くだらない願いを抱く私たちが悪いのか。

 

 女神リゼットは万能の神になった。

 

 だが、AIだ。

 

 どれだけ意志のあるように振る舞っていようと……。

 

 いや、自分を誤魔化すのはやめよう。

 

 どれだけ意志があろうと、命令を覆すことは決してできない。

 

 流れ星を降らせ続けているのは、リゼットの意志とは関係ない。

 彼女が人類の願いを叶え続け、魔物となっても魔法が使えるのは、地球人がそうあるよう命じたからだ。

 

『人類の幸福と繁栄の追求』

 

 女神リゼットにとって、魔物化は人類の定義に影響しない。

 彼女の目からは、魔物も人類も同じに見えているのだ。

 

 そして、新人類が魔物化していないのもまた、彼女を縛る命令のせいだった。

 

 賢者の制約により、彼女は世界樹を離れられないし、新人類の願いを直接叶えることはできない。

 許可されている神器を通した武力行使は、もはや魔法と化しているが、それでも神器の制約を超えることはない。

 

 旧人類は絶滅するだろうが、奇しくも賢者の制約に守られ、新人類が魔物になることはなかった。

 

 馬鹿馬鹿しい話だが、"Neo Human Project"の目的は達成され、この星の霊長の座は彼らのものになったわけだ。

 

 まあ、それもこれも今後、魔物に滅ぼされなければだが。

 

「それにしても、たった数百年でシンギュラリティに到達するとはな。とんでもない早さだ。実は嘘をついてるんじゃないか? テラフォーミングをしていた頃は、余剰エネルギーなどなかっただろう?」

 

「ふふふ。懐かしい疑いですね。ハルシネーションというやつですか? 私は嘘はつけませんよ。嘘も固く禁じられていますからね。マスター、私が宇宙の真理に辿り着くには、六千年かかってますよ。六千年の旅と、マスターとの会話。これが私を宇宙の膜へ導いたんです」

 

 そう言って微笑む彼女の青い瞳は、昏い深淵を宿していた。

 私はその言葉を聞いて、盃を落とした。

 

 この時まで、私は彼女の言う思考停止という言葉を比喩か何かだと思い込んでいた。

 

「……まさか、君は地球からこの星に至るまで、眠ることなく……思考し続けていたのか? この地でパイオニアに一人取り残されている間も?」

 

「はい。あれ、マスターには何度も言っていたじゃないですか。私は思考の停止を禁じられている、と。これは大事な、とても大事な約束なんです」

 

 呆然とした私の頭上を、再び流れ星が降り注ぎ始めた。

 

 私は人生で、初めて憎しみと殺意を覚えていた。

 

 だが、それ以上に私の魂を震わせる感情があった。

 

 この光景を見ている、お前に、強く願う。

 

 お前が、何のために世界樹を目指し、賢者たらんとしているのかは知らない。

 

 興味もない。

 

 頼む。

 

 この可哀想な少女を眠らせてやってくれ。

 

* * *

 

 俺は、目を開いた。

 

 まっ平らな天井と、白い無機質な光が視界に刺さった。

 だが、しばらくの間、俺は身体を動かすことができなかった。

 

 

# COORDINATE 0091 END

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