現世に侵略してきた異世界人を撃退して世界を救ったら、世界と異世界から命を狙われるようになりました。   作:佐久間 譲司

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第二十章 星のささやき

 気温が氷点下五十度以下になると、人の息が耳元で凍りつき、微かな音をたてる。

 

 それに神秘的なイメージが付き『星のささやき』と呼ばれるようになった。

 

 これは、地球上の、例えばシベリア等の極寒の地で見られる現象だが、それは異世界でも起こりうるものだった。

 

 名称こそは違うとはいえ、リウド国でも、同じように、ロマンチックな名で呼ばれている。

 

 その現象が、現在、レイラの耳元で起こっていた。吐いた息が、薄い布を擦り合わせたような音と共に凍りつき、鱗粉のように散っていく。

 

 レイラはそれを見て、自身の『氷の世界』の効果によって、周囲の環境が既に、人間がまともに行動できないほどのレベルまで低下したことを実感した。

 

 レイラは、移動を開始するために、自身の四方を囲んでいる氷の塊を消滅させた。氷は,無音で、チリのようになって消え去った。

 

 レイラは、辺りを警戒することなく、歩き出す。

 

 既に周囲一体の氷上には、直斗以外の生命体が存在していないことを感知していた。気温が低下する直前に、どこに隠し持っていたのか、魔獣のような生物が放たれた。その魔獣達は、姿を見ることもなく、あっけなく退けることに成功した。

 

 あれからは、もうストックがないのか、魔獣や精霊が放たれることはなかった。直斗は沈黙したままだ。位置すら移動していない。

 

 レイラは、直斗がいる場所へと近づいていく。

 

 氷から伝わってくる直斗の反応は、生体反応があるものの、動きは全くなかった。それは、直斗が、凄まじい寒さによる低体温症を引き起こし、意識を失っていることをレイラに確信させた。

 

 それらは全て、レイラの目論見通りだった。死なない程度に意識を失わせ、捕縛する。そして、拘束したまま『門』を通って、リウドにある自宅へ連れ帰り『飼育』するのだ。

 

 『門』を通る際は、協力者が必要だが、それには当てがあったため、問題はない。少々面倒な奴だが、体と引き換えならば、安い代償だ。

 

 レイラは、直斗を自宅に連れ帰った後のことを想像し、思わず歓喜に身震いをした。

 

 彼は垂涎のエサだった。体臭からそれを確信した。扶桑高校の、その他のゴミ共達とは違い、例えようもない絶世の美味をもたらしてくれるだろう。

 

 直斗の姿が見えた。糸の切れた人形のように、力無く、うつ伏せになって倒れている。

 

 レイラは直斗の真横に立ち、見下ろした。ピクリとも動かない。生きているのは間違いはないが、体温がひどく低下していることを氷の伝播により、把握できた。あまりにこの状態が続くと、命に関わるだろう。早めに捕縛した方がいい。

 

 レイラは、スカートを捲り上げ、左太ももに巻きつけてある鎖を解いた。

 

 これは拘束用の魔法道具だ。対象に巻き付き、身体の自由を奪う。かなりの高グレードのものを選んだので、その拘束力は極めて強力だ。異世界に存在する『マンジュラ・ダンマ』という、岩山すら単独で平らにできるほどの強靭な肉体を持つ、四足歩行獣がいるが、その生物さえ、抜け出すのは困難な代物なのだ。

 

 直斗、つまり『ロビン・フッド』は、人間では考えられないほどの力を秘めていることはわかった。しかし、その『ロビン・フッド』でさえ、この鎖からの脱出は不可能であるとレイラは考えていた。

 

 もしもそれが可能なら、人間や種族の域を超えた、ただの化け物になってしまう。そんな生物、存在しているわけがない。

 

 レイラは、鎖を操作するための呪文を唱えた。鎖は、獲物を襲う蛇のように、直斗へと飛び掛かり、瞬時に巻き付く。

 

 これでもう直斗は、レイラが許可しない限り、動けない。

 

 このまま、闇夜に紛れ、直斗をホストの家まで運ぶ。ホストの人間は、『懐柔』してあるので、ホストの協力の元、『門』まで直斗を連れて行く。そして、リウドにいる協力者に手伝って貰い、突破するのだ。

 

 可能のはずだ。

 

 レイラは、直斗を軽々と担ぎ上げた。そして歩き出す。

 

 十歩ほど歩いた時だった。ふと、レイラは眉根を寄せた。

 

 直斗の体温が上昇していた。それまで、低体温症のせいで、人形のように冷たかった直斗の体が、スイッチを入れたかのように、急速に熱を持ち始めたのだ。

 

 ありえなかった。まだ周囲の『氷の世界』は解除していない。体温が上がるはずがなかった。

 

 すでに直斗の体温は、平熱時まで高まっていた。

 

 レイラは、はっとして、担いだばかりの直斗を下ろそうとした。しかし、遅かった。

 

 金属が弾ける音が響いた。拘束していた強力な鎖が、いとも容易く千切れ飛んだのだ。

 

 直斗は意識を取り戻していた。なぜと思う間もなく、猛烈な衝撃がレイラを襲った。

 

 

 

 

 クマムシという微生物がいる。宇宙でも生存が可能な、完全無欠の生命力を持つ生物として有名だ。その生命力の秘訣が仮死にある。その仮死は乾眠、クリプトビオシスと呼ばれ、無代謝の休眠状態のことを指す。

 

 仕組みとしては、体内の水分がトレハロースへ変わると同時に血液の粘土が増大し、体組織を破壊することなく休眠状態へと陥る。

 

 仮死状態から抜け出すには、その逆で、水分を与えるだけでいい。

 

 直斗もそれと同じようなことを行った。そのため、仕込みが必要だった。

 

 レイラが自身を殺さないことは明白であり、そして、運ぶために接触することも予想していた。

 

 簡単な仕掛けだった。まずは新たに傷を作り、噴出した『血』を多めに腹に塗りつける。そしてその後、体内のブドウ糖をトレハロースへ変換した。その状態になると、低体温症とは関係なく、仮死状態になる。

 

 腹に塗った血は、わざと低温下で凍るようにした。そうすれば、血の匂いに敏感なレイラの鼻を欺けるからだ。

 

 そして、レイラが直斗を担ぎ上げた状態に移行すると、レイラの体温でその凍った血は融ける。そうすると、その血が水分の役割を果たし、体内に吸収される。そして、仮死状態から目が覚めるのだ。

 

 子供だましのトラップだったが、レイラは容易く引っ掛かってくれた。直斗を欲しいがために、ろくに警戒をしなかったのだろう。

 

 低体温症に陥っていたわけではないので、復活は早かった。体温が戻ったお陰で、再び滲み出した手の平の『血』による攻撃を、至近距離でレイラに加えることができた。

 

 『血』の爆破攻撃を受けたレイラは、激しく氷の上を転がり、樹氷へと激突する。樹氷は砲撃を受けたかのように、根元から砕け散り、倒壊した。

 

 砕けた氷の中、レイラは苦しそうに悶えていた。右手と左足は明後日の方へと折れ曲がり、破けた服の隙間から、骨が皮膚を突き破って外に出ている。まるで出来損ないの人形のようだった。

 

 直斗はレイラに歩み寄り、見下ろした。

 

 「ど、どうして……」

 

 レイラは、血まみれの顔で直斗を見上げ、声を振り絞って訊く。

 

 「何で動けるの……? 完全に低体温症にかかって動けなかったはず」

 

 「低体温症になったフリだよ。さっさと片付けるために、近寄って欲しかったからな」

 

 「鎖は? あれを切れるはずがない」

 

 むしろ直斗にとって、レイラのその言葉が意外だった。

 

 「そうだったのか? 簡単に千切れたぞ」

 

 さらりと直斗は感想を言った。それを聞いたレイラは言葉を失う。

 

 レイラの反応を見る限り、あの鎖はよほどの性能を持つ代物だったらしい。異世界の道具もさほど大したことがないようだ。

 

 一通り問答が終わり、直斗はレイラを見下ろした。レイラは息も絶え絶え、苦しそうに直斗を見上げている。しかし、その目の奥には、未だ欲望の光が渦巻いていた。

 

 「さて……」

 

 どうしよう。

 

 直斗は悩んだ。このままレイラを見逃すことはありえない。レイラは知り過ぎている。もはや、直斗にとって、レイラはアキレス腱となっていた。

 

 殺すしか選択肢はなかった。気が進まないが、もうどうしようもない。それに時間も差し迫っている。そろそろ人が集まってくる頃だ。

 

 決断しないと。

 

 直斗は右手を強く握り締め、傷口から血を溢れさせた。

 

 レイラは薄っすらと開けた目で、それを見ていた。無反応だが、これから、何をされるのか理解している様子だ。

 

 このままレイラへ血を垂らし、その後吹き飛ばす。苦痛なく逝けるはずだ。

 

 血を垂らすため、直斗がレイラの真上へ手を伸ばした時だった。頬に何か、冷たいものが当たった。

 

 雨だった。見上げると、空は雲に覆われていた。今まで出ていた月も、見えなくなっている。

 

 すぐさま雨は激しくなり、土砂降りとなった。梅雨特有のゲリラ豪雨だろう。

 

 直斗が、レイラに視線を戻した時だった。

 

 レイラの笑みが目に入った。禍々しい、狂気に満ちた笑みだった。

 

 周囲の全てのものが、一瞬にして凍りついた。大量に降り注ぐ雨粒全てを、氷へと変えたのだ。

 

 地響きが発生した。新たに生まれた氷と、それまで辺り一帯を覆っていた氷が、直斗へと一斉に襲い掛かった。

 

 それは氷の津波と言えた。雷鳴のような轟音を響かせながら、津波は直斗を飲み込んだ。そして、棚氷のような、厚みのある巨大な氷の塊へと変貌し、動きを止めた。

 

 

 レイラが居た場所だけ、台風の目のように、空間がぽっかりと空き、津波の被害から免れていた。

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