現世に侵略してきた異世界人を撃退して世界を救ったら、世界と異世界から命を狙われるようになりました。   作:佐久間 譲司

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第二十六章 戦獣(ダーカ)

 翌日、晴れ上がった青空の中、テスト明けの授業が始まった。

 

 テスト前のピリピリとした重圧は成りを潜め、開放感のある学校生活を取り戻していた。その上、後二週間もしない内に夏休みが始まるのだ。自然に生徒達の心は浮き足立っていた。

 

 二年三組の担任教師である遠田(とおだ)は、期末試験が終わり、一段落を迎えていた。しかし、少しも胸を撫で下ろす余裕はなかった。留学生である異世界人の女子生徒が行方不明になった問題もあり、息を付く暇もなく忙殺されていた。

 

 もっとも、留学生の件そのものは、隣のクラスの担任と一定の管理職以上の人間が対応に当たっており、遠田自身が直接出張る必要はなかった。

 

 遠田の教員としての職務分掌は、教務担当であるため、学校行事の計画や時程の調整、カリキュラム作成などがあった。

 

留学生が行方不明になったせいで、大幅な修正を余儀なくされているのだ。とはいえ、カリキュラム自体、口うるさい教諭以外は目を通すだけで、さして突っ込まれないだろうから、まだ気楽ではあったが。

 

 昼休みになり、遠田は出前のカツ丼を早々と食べ終えると、夏休み明けの学校行事の修正に勤しんでいた。

 

 しばらく作業に没頭していたものの、疲れからか、様々な思考が遠田の頭を混線したケーブルのように駆け巡った。

 

 パソコン画面のエクセルシートを見つめながら、遠田は思う。

 

 そもそも、自分は異世界からの留学生を受け入れることなど、反対だった。突如として、戦争を仕掛けてくる得体の知れない連中なのだ。信頼など置けるわけがない。

 

 国連や諸外国の首脳達にしてもそうだ。『ロビン・フッド』などと、わけのわからない人物の活躍で異世界側は降伏したが、そこで、そのまま断絶するべきだったのだ。それなのに、乱心した如く、交流を図り、凶賊共を受け入れる姿勢を取った。烏滸(おこ)の沙汰と言うより他にない。

 

 挙句の果てに、文科省も留学生を迎合するような制度を整え、扶桑高校理事長の御神はそれに乗じた。これにはさすがに遠田も頭を抱えた。御神に直訴したものの、全く聞き入れて貰えず、逆に言い包められてしまった。

 

 その結果がこれである。

 

 遠田は、沸き起こった怒りのせいで、作業の手が滞っていることに気が付いた。

 

 溜息をつき、遠田は自分のデスクから立つ。御神は今日留学生の一件で、出張していたが、もしも今現在、目の前にいたら、一喝してやろうと考えるほど腸が煮えくり返っていた。

 

 精神安定を図るため、職員室近くにある非常階段へと向かう。

 

 非常階段の鉄扉を開ける。通常、非常階段は施錠されているが、ここだけは別だった。

 

 遠田は、階段を登り、一階と二階を繋ぐ踊り場へ到達する。そこには、スタンド式の灰皿が置いてあった。

 

 近年、喫煙者の風当たりは強くなり、こんな場所まで追いやられる結果になった。仕方がないとは言え、面倒だ。

 

 遠田は、胸ポケットから、セブンスターを一本取り出し、口に咥えて火を点ける。どこかバニラのような甘い味がする煙を、肺腑の奥まで吸い込む。そして吐き出す。それを何度か繰り返した。

 

 煙が肺へと出入りする度に、全身に栄養が回り、気分が晴れるのを遠田は実感した。

 

 その時である。

 

 踊り場のすぐ下の方から、女子生徒のものらしき小さな悲鳴が聞こえた。悲鳴と言うよりかは、息を飲むと言った方が正しいか。ちょうど、ゴキブリやネズミを発見したら、このような声を出すだろう。

 

 この非常階段の下は、ゴミ捨て場になっているはずだ。おそらく、ゴミを捨てに来た女子生徒が、ゴキブリにでも遭遇して、声を上げたに違いない。

 

 遠田は、タバコを手に持ったまま、踊り場から下を覗いた。

 

 その途端、遠田の動きが硬直した。

 

 下には声の主である女子生徒がいたが、その目の前にいたのは、ゴキブリでもネズミでもなかった。

 

 (ひぐま)かと最初は思った。だが、こんな千葉のど真ん中に、羆がいるわけがない。そもそも千葉には羆はいないのだ。

 

 いや、それを言ったら、こんな生き物自体、この日本に存在していることがおかしい。毛皮に覆われた巨大な体躯の獣。羆と狼を会わせたような感じの――。

 

 突然遭遇したのだろう、女子生徒は、蛇に睨まれた蛙のように、硬直している。声すらろくに出せないようだ。

 

 羆のような生物は、鋭い牙を剥き出しにした。肉食獣特有の犬歯が、ここからでも確認出来た。

 

 遠田は、あっと言う声を漏らした。羆のような生物は、固まって動けないでいる女子生徒の、左肩から、わき腹にかけて、大きくかぶり付いた。柘榴の断面のような、女子生徒の肉体の内部が外に晒された。赤黒い肉や内臓、その所々に、白い骨が混じっているのが見える。

 

 それも束の間、冠水したかのように血が溢れ、女子生徒は赤く染まった。

 

 遠田が見続けることが出来たのは、そこまでだった。踊り場に再度顔を引っ込め、呆然と立ち尽くした。

 

 額は汗でぐっしょりと濡れ、首筋から、滝のように流れ落ちていた。

 

 気が付くと、手に持っていたタバコは根元まで燃え尽き、ただの灰の棒になっていた。

 

 遠田は、そのタバコを投げ捨て、慌てて校舎内部へ逃げ込んだ。

 

 校舎の中は、いつもと変わらない風景が広がっていた。生意気で馬鹿な生徒達が、若さに任せた足取りで廊下を行き来している。幽鬼のような風体の遠田を見て、近くを歩いていた生徒達がクスクスと笑い合っていた。

 

 先ほど見た異様な光景とは裏腹の日常の姿に、遠田は混乱した。

 

 さっきのは、幻覚だったのだろうか。

 

 遠田が立ちすくんでいると、声がかかった。

 

 「どうしたんですか? 遠田先生」

 

 いつの間にか、同学年の担任の塩塚(しおづか)教諭が目の前にいた。呆れた顔で遠田を上から下へと見やっている。塩塚教諭は、小うるさい、遠田が苦手とする中年女性だ。

 

 「塩塚先生!」

 

 遠田は叫んだ。先ほど見た光景を説明しようとした。

 

 だが、その前に、眼前にいる塩塚教諭の目が、恐怖に見開かれた様を目撃する。その視線は、自分にではなく、自分の背後に向けられていることに遠田は気が付いた。

 

 右わき腹から、左わき腹にかけて、衝撃が走った。

 

 廊下が大きく回転した。乱気流に弄ばれるプロペラ機に乗っているように、世界が回っている。

 

 遠田の上半身は、廊下へと落ちた。たった今まで、遠田の上半身にくっ付いていた下半身が、数メートル先に見えた。その後ろに、例の生物がいた。ライオンのような太い足に、鉈ほどの大きさの爪が生えている。それが、自分を両断したのだと遠田は理解した。

 

 消え行く意識の中、遠田が最後に耳にしたのは、自身の返り血をふんだんに浴びた、塩塚教諭の金切り声だった。

 

 

 

 

 「何だ?」

 

 最初に声を発したのは裕也だった。

 

 その時、直斗達は食堂とA棟校舎を繋ぐ、渡り廊下にいた。そばには俊一とルカもいる。三人は、食堂で食事を終えた後、B棟校舎にある自分達の教室へ戻る最中だった。

 

 ルカは一年生だったが、金魚の糞のように直斗に付き纏っているため、ルカの向かう先も必然的に直斗と同じになる。それは、食堂に向かう際も同様であったため、二年生と一年生の異世界人という、おかしな組み合わせでの昼食となっていた。

 

 「何か騒がしいね」

 

 俊一も気が付く。裕也が向けている、A棟校舎へ視線を走らせる。A棟は職員室がある建物だ。

 

 直斗もそちらを見る。確かに騒がしい。生徒や教師の悲鳴や叫ぶ声が聞こえる。尋常ではない雰囲気だ。

 

 直斗達の周りにいる他の生徒達も、異様な空気を感じ取り、立ち止まってA棟の様子を伺っていた。

 

 渡り廊下からは、A棟の一部分しか見えないが、一階の廊下部分は、はっきりと確認出来る。

 

 窓ガラス越しに、その廊下を生徒達が血相を変えて、駆けている姿が目に入った。恐慌状態といった様子だ。彼らは、皆、一方向へ逃げていた。どうやら、職員室があるエリアから遠ざかろうとしているらしい。

 

 逃げ惑う生徒の中の一人が、こちらへ逃げ込んできた。その顔は驚愕に見開かれ、青ざめていた。

 

 そして叫ぶ。

 

 「化け物だ!」

 

 その生徒は、そのまま食堂方面へ走り去っていった。

 

 「化け物……?」

 

 裕也がポツリと呟く。そして、裕也は寒気がしたように、自身の腕を撫でた。裕也は夏服だったが、日焼けしたむき出しの肌に、鳥肌が生じているのを直斗は確認した。

 

 周囲にいた生徒達も、唖然と立ち竦んでいるか、食堂へと引き返していた。

 

 明らかに異常な事態が起こっている。

 

 一体何が。直斗はそう思った。

 

 その時である。

 

 車が衝突したような、大きな音が響き渡った。周囲の人間は、皆、その轟音がした方を見た。

 

 黒い塊のような何かが、A棟校舎から、渡り廊下に面している窓ガラスを窓枠ごと破り、外へと飛び出したのだ。

 

 その何かは、丸太のような太い脚で地面を蹴りながら、こちらに向かって突進して来ている。

 

 「ひい」

 

 隣で俊一が情けない悲鳴を上げた。周りの生徒達からも、悲鳴や息を飲む声が聞こえた。

 

 A棟から飛び出した黒い塊の生物は、直斗の目には、熊か巨大な狼のように見えた。四足歩行の肉体は、黒い毛並みを持ち、頭部は狼のように獰猛な容貌をしている。胴体は熊の如く、強靭そうな肉の塊を誇っていた。

 

 十八世紀のフランスに、突如として現れ、大勢の農民を食い殺した『ジェヴォーダンの獣』を思わせる姿だった。

 

 その獣が四人の目の前まで迫る。裕也と俊一は恐怖で動けず、直斗も瞬間、硬直してしまった。

 

 獣の振り下ろした腕の先端から、中華包丁のように、太い爪が生えているのを直斗は確認した。

 

 獣の爪がこちらに迫る瞬間、突如、青白い光が周囲を照らした。雷のような輝きだ。同時に、タイヤがパンクしたような炸裂音も発生し、嫌な臭いが鼻をつく。

 

 黒い獣は、痙攣し、その場にどさりと倒れた。獣の体からは、煙が薄く上がっている。

 

 ルカが攻撃したのだとわかった。ルカは、帯電している右手を伸ばしたまま、獣を見下ろしている。

 

 直斗も地面に倒れている獣に目を向けた。

 

 何だ? この生物は。

 

 直斗は異様な生物の前で困惑した。それは裕也や俊一も同じだった。幽霊でも見ているかのような表情をしている。

 

 しかし、直斗は思い当たる部分があった。こんな生物は今まで見たことがない。図鑑でも、テレビでも。つまり。

 

 ルカが答えを発した。

 

 「これは戦獣(ダーカ)です」

 

 「戦獣?」

 

 「異世界の生物です。戦いに秀でた、四足歩行獣です」

 

 やはりと思う。しかし、最も大きな疑問があった。

 

 「なぜ、そんな生物がここに?」

 

 直斗はその疑問を口にした。しかし、ルカは、困ったように首を横に振った。

 

 直斗は唾を飲み込んだ。とてつもなく嫌な予感がする。破滅を呼び込む、崩落の音が聞こえる気がした。

 

 「逃げよう!」

 

 それまで固まったままだった裕也が、震える声でそう言った。彫りの深い顔が、恐怖に歪んでいた。

 

 風圧が発生した。見ると、倒れたはずの戦獣が再び起き上がり、巨大な牙が生えた口で、ルカに踊りかかっていた。

 

 雷鳴と発光が生じ、戦獣は心臓を潰されたように、一度大きく跳ね上がると、再度倒れた。

 

 そして、ようやく動かなくなった。

 

 顛末を見ていた周囲の生徒達から、小さな歓声が上がった。裕也と俊一も、敬意が含まれた視線をルカに送っている。

 

 だが、その歓声は、至る所から湧いた悲鳴でかき消された。

 

 A棟校舎のみならず、食堂方面からも、悲鳴が聞こえる。

 

 戦獣は、この一体だけではないのだ。

 

 そして、くぐもった人間の声が辺りに響き渡った。

 

 校内放送だ。

 

 その放送は、耳にするだけで、不安を掻き立てるほど、焦りと恐怖に満ちていた。

 

 『生徒の皆さん緊急事態です。落ち着いて運動場へ避難してください。校内に凶暴な動物が入り込みました。一刻も早く運動場へ避難してください』

 

 そして、何かが破壊されたような耳障りな雑音と、悲鳴が聞こえ、やがて、放送は途絶えた。

 

 それは、大きなパニックが発生する予兆だった。

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