現世に侵略してきた異世界人を撃退して世界を救ったら、世界と異世界から命を狙われるようになりました。 作:佐久間 譲司
母親が作った弁当を食べ終え、二年三組の教室で寛いでいた木場建治は、妙な放送を聞き、大きな胸のざわめきを覚えていた。
教室にいる他のクラスメイト達も、戸惑っている様子だ。凶暴な動物が校内に侵入したことを伝える内容だったが、誰も理解を示しておらず、混乱が生まれただけだった。
両隣の教室もそれは似たようなものらしく、ざわめきや、教師を呼びかけるような困り果てた声がここまで聞こえてくる。
しかし、やがて、動きがあった。
クラスメイトの何名かが、思い思いに、教室から出始めた。教室の前方にいた神崎志保も、友達と連れ立って教室から出て行く姿が見える。
それらに触発されるように、次々と避難が開始された。
木場は焦燥感に襲われた。このまま教室に残っていることは危険な気がした。状況は全く飲み込めないが、自分も皆と同じように行動した方がいいかもしれない。
眼鏡のズレを直し、自分の席から立ち上がる。そして、皆の後を追った。
木場が廊下へ出ると、廊下は既に避難を始めた生徒達でごった返していた。
目に付くのは、生徒ばかりで、避難を誘導するべき教師の姿がなぜか見えなかった。そのせいで、生徒の避難が遅々として進まない。
なかなか前進しない状況の中、木場は、廊下の窓から下を覗いた。ここからは、B校舎とC校舎の間が確認できる。アスファルトの地面の上を生徒達が右往左往していた。やはり、何か尋常ではないことが起こっているのだ。
そして次の瞬間、木場は絶句した。
黒い大きな生物が、生徒を追うようにして、校舎の陰から飛び出してきた。その生物は、巨大な黒狼のような外見だった。
黒い狼は、次々に、逃げ惑う生徒を襲っていた。まるでサバンナの野生動物のように、背後から飛びかかり、首筋に牙を立てていた。あるいは、太い脚で紙切れのように、生徒を引き裂いている。肉屋の店先に並んでいるような赤色の塊が、辺りに散らばり、アスファルトの色を変えた。
しかも、その生物は、一匹や二匹ではなかった。複数存在しているのが、ここからでも確認できる。
恐るべき生物を垣間見て、木場の足は激しく震えた。頭が、その生物を認識することを拒んでいる。あまりにも異様な光景だ。
木場と同じように、下を覗いていた他の生徒達が、口々に悲痛な声を上げた。皆がそれに引き寄せられ、窓の下を覗き、同じように叫び声を上げる。
パニックが大きくなり、恐怖が伝染しつつあった。滞っている人の流れが、無理に押され始め、圧迫感が生じる。それが次第に強くなり、所々から悲鳴や怒鳴り声が発せられた。
生徒達が、次第に恐慌状態に陥っていくのを木場は実感した。このままではいずれ将棋倒しが発生し、大惨事になってしまう。
木場がそう懸念した時、一際大きな叫び声が発生した。一人ではなく、大勢の、腹の底から恐怖を訴える悲鳴だった。
それは階下からだったが、それが波のように伝播し、木場のいる階上に伝わってくる。それに従い、巨人が廊下を踏み鳴らすような音と、振動が発生していた。そして、あっという間に直近まで迫る。
木場は見た。
人が空中を舞うのを。
最初は誰かが、布の塊を空中へ放り投げたのかと思った。服が風で飛ばされたように服の塊のような物が、生徒達の頭上を飛んだからだ。しかし、違うということがすぐにわかった。
それは、千切れ飛んだ生徒達の体のパーツだった。血飛沫と共に、玩具の人形のように、バラバラに引き裂かれた手足や内臓が、空中を舞っている。それらが周囲の生徒達に降り注ぎ、さらに悲鳴が増大した。
木場の肩に薄ピンク色をした、蛇のような物体が張り付いた。断面から茶色いペースト状の物体が漏れ出ている。そこから、耐え難い便の臭気を感じ、それが人の大腸なのだとわかると、木場はその場で嘔吐した。
前方から、女子生徒の大きな悲鳴が聞こえた。
涙に濡れた目で、正面を見る。
あっという間に、引き裂かれた生徒達の死体の山が生まれ、そのせいで、前方の廊下にスペースが出来ていた。
そこに、それはいた。
窓を見下ろした時に見た、あの黒い狼だ。この狼が、廊下にいた生徒達を引き裂きながら、登って来たのだ。漆黒の体毛に、肉片や臓物の一部が付着している。非常におぞましい様相を呈していた。
その狼の前に、一人の女子生徒が、尻餅を着き、大きく戦慄いている。
同じクラスの神崎志保だった。
狼は、志保へ太い脚を振り上げた。脚の先端から、巨大な爪が現れる。
咄嗟のことだった。
木場は、ポケットに入れてあった指輪を取り出し、指に嵌めた。
嵌めると同時に、指輪の力場を感じるようになった。
木場は、手の平を志保に向け、その力場を開放した。志保は風に飛ばされたように、真横に吹き飛んだ。狼の腕は空振り、中空を切る。
志保は、死体の山にぶつかった。痛そうに呻いたが、怪我はないようだ。
狼が、木場の方を見た。シベリアンハスキーを思わせる、獰猛な目が、木場を敵だと認識していた。
木場は、指輪から感じ取れる力を全て解放した。クラスメイトへのパフォーマンスでは見せなかったが、この指輪の底力は凄まじかった。
狼に手の平を向け、指輪の力を全てぶつける。こちらに歩み寄っていた狼の動きが止まり、微動だにしなくなった。
周囲の生き残った返り血にまみれた生徒達から、おーという、賞賛の声が発せられる。
いける。
木場は確信した。
頭の中で、アルミ缶を握り潰すイメージを行い、狼を圧殺しようとする。
狼は、再び歩き出した。同じように力をかけ続けているにも関わらず、何事もなかったかの如く、木場の目の前まで迫った。
唖然とした木場の視界は、上下に並んだ牙で占められた。鮫に飲まれる小魚のようだった。木場は頭からかぶりつかれたのだ。
大口に飲まれる瞬間、高価な指輪が、狼に対し、屁ほどもダメージを与えていないことを悟った。
やがて、暗闇が訪れた。
校内放送が途絶えた後、直斗達は、指示通り、運動場へ向かっていた。途中、何度か戦獣と遭遇したが、全てルカが倒していた。
学校中、既に阿鼻叫喚の嵐となっており、至る所で悲鳴や絶叫がこだましていた。戦獣は確認しただけでも、全部で三十匹以上はいるようだ。
四人は、C棟校舎を抜け、その先にある体育館の側を通過するルートを取った。そこから、運動場へと出る。視界が開け、運動場が見渡せるようになった。
「駄目だ!」
運動場の様子を見た裕也が、絶望した叫び声を発した。
運動場にも、戦獣がいた。先に避難してきたのであろう、生徒達が逃げ惑っている。
「学校の外に逃げよう!」
俊一が提案する。しかし、ルカは、首を振って答えた。
「それは不可能だと思います」
「どうして!?」
ルカは、前方の空を指差した。
「結界が張られています。これでは外に出ることは……」
直斗は、指が指された空を見た。目を凝らすと、薄っすらと黒いフィルターのようなものが掛かっていた。見回して確認すると、それは、野球ドームの外壁のように、学校を覆っていることに気が付く。
「結界って?」
「一種の障壁です。あれが展開されている以上、通過することが出来ません」
「一体誰が?」
「わかりません。ですが、この首謀者は、学校中の人間を殺すつもりのようです」
ルカの発言で、裕也と俊一は青ざめた。俊一は、細い目を見開き、混乱したように頭を抱える。
「一体どうしたらいい!?」
「とりあえず、体育館に逃げ込もうぜ」
裕也は、近くにある体育館の入り口を指差した。そこは、他の場所と違い、あまり荒らされてはいなかった。何となく、安全そうに見える。
裕也と俊一は競うようにして、体育館の入り口へ走り出す。
ルカは動かなかった。二人はそれに気が付き、立ち止まり怒鳴る。
「おい、行くぞ!」
促されたものの、ルカはその場から微動だにしない。そして、ルカは口を開いた。
「おそらく、この学校内のどこかに、首謀者はいるはずです。これほどの数の戦獣を統率するならば、ある程度の範囲内にいないと不可能ですから」
ルカは、直斗達に顔を向けた。そこに決意の色が現れていた。
「これから、戦獣を殺しつつ、その首謀者を探し出します。そうしないと、この惨状は止まらないでしょう」
直斗は頷いた。
「俺も行くよ」
直斗のその言葉に対し、裕也が唾を飛ばしながら、激昂した。
「何言ってんだよ直斗。お前が一緒に行っても意味がないだろ」
そして、裕也は、ルカに向かって言う。
「ルカ、俺達と一緒に体育館へ避難しよう。危険だよ。いずれ警察がくる。それまで待とう」
裕也のその言葉には、己の身をルカに守って欲しいという願望が込められていることに、直斗は気が付いた。それは俊一も同じで、しきりに頷いている。
しかし、ルカは、それに従わない選択を取った。
「結界がある以上、助けは当分来ません。結界を崩すのに、時間が掛かるからです。皆さんは、体育館へ避難してください。僕は首謀者を探します」
最後にルカは、直斗の顔を見つめた。
「直斗さんも避難を。ここは僕に任せてください」
ルカは、ニッコリと笑い、直斗の実情を理解した言葉を口にした。
そして、瞬時にその場から移動し、次に姿が見えた時は、運動場で走り回っている戦獣に電撃を叩き込んでいた。
三人は僅かの間、その場に佇んでいたが、裕也が声を発した。
「体育館へ行こう」
三人は、体育館の入り口へ向かった。
体育館の入り口へ辿り着いた裕也は、扉に手を掛けた。しかし、扉には鍵が掛かっていた。
裕也は舌打ちをする。本来、この時間は開放されているはずだ。
裕也は焦った。早く避難しないとあの化け物がやってくる。
先頭にいた裕也は、体育館の扉を激しく叩いた。中から、人の声がする。先客がいるのだ。そいつらが、この扉を閉じたに違いない。
「おい! ここを開けろ!」
裕也は、渾身の限り叫んだ。誰か知らないが、早く開けるんだ。
すると、鍵を外す金属音がし、扉が開いた。裕也は、転がり込むようにして、中へ飛び込む。後に、俊一と直斗が続いた。そして、すぐに扉は閉められた。
体育館の中には、意外なほど大勢の生徒が避難をしていた。全部で五十人くらいだろうか。中には、自身の怪我か、あるいは返り血を浴びたのか、制服が血に染まっている者もいた。
裕也は、それらの顔を見渡した。皆、恐怖に覆われた表情をしている。青ざめ、強張った顔だ。おそらく、自分もそのような顔をしているんだと、裕也はぼんやりと思った。
「外は、まだ助けが来ないんですか?」
そう裕也に尋ねたのは、一年生であろう、小柄な女子だ。先ほどから、子犬のように震えている。
裕也は、頷いた。そして、先ほど見た結界の話をする。皆は、一様に悲痛な表情に変わった。動揺が伝わってくる。
その気持ちは、裕也も同じだった。今すぐにでも、蹲って震えたい。
俊一が声を上げた。
「そう言えば、外部との連絡は?」
裕也はハッとした。ルカ曰く、助けが来ても、結界を通るのに時間が掛かるらしいが、それは、助けを呼んでいないことには始まらない。それに、他に何か打開策が生まれる可能性があった。
裕也は、ポケットからスマートフォンを取り出した。
だが、先に体育館へ避難していた連中は、もう既に試したのだろう。一人が、諦めたような口調で言った。
「それが、全く繋がらないんです。誰一人」
裕也は、自身のスマートフォンの画面を見た。上部の通信状態を示すアンテナのマークが全て消滅し、圏外表示に切り替わっていた。
試しに110番にかけてみたが、圏外を知らせるアナウンスが流れ、無駄なことだと知った。恐らく、結界は通信を遮断する効果もあるのだろう。
八方塞がりだった。
絶望が、自身の足元から這い上がってくるのを裕也は覚えた。吐き気が込み上げ、思わず手で口元を覆う。
裕也は俊一を見た。俊一もスマートフォンを片手に、連絡を試みているが、繋がらないようだ。悲しそうに首を横に振る。
俊一が駄目なら、直斗はどうだろう。キャリアによっては、繋がるかもしれない。
裕也は、直斗の姿を探した。
だが、直斗の姿が見当たらない。一瞬、外に置いて来たのかと思ったが、一緒に中に入ったことは確認している。
体育館の中を見渡しても、直斗の姿はなかった。
直斗が、煙のように消えていた。