現世に侵略してきた異世界人を撃退して世界を救ったら、世界と異世界から命を狙われるようになりました。 作:佐久間 譲司
袖山明誠は、物心付いた時から、その才能を自覚していた。
その才能とは、これまで、見た物、聞いた物、臭い、触感、味わった物、その全てを瞬時に記憶し、『再生』出来るというものだった。
見た物や聞いた物はビデオテープのように、それ以外は、追体験として、再度、感じ取ることが可能だった。そして、一度記憶すると、二度と忘れることはない。
特徴的なのが、それらを別領域へと『保存』出来る点だった。外付けハードディスクに保存するように、脳の通常の記憶領域とは違う部分へと蓄え、好きな時に取り出すことが可能だった。それにより、『忘れない』ことに関して、精神が苛まれることはなかった。
現在、袖山は、複数の消費者金融会社を経営していた。しかし、これらの設立から運営、発展に際し、才能に頼りきった経営はしていなかった。唯一、『
袖山は、ここまで会社を成長できたのは、自身の手腕のためだと自負している。雨宮が経営する銀行との提携による保証業務や、メガバンクの資本参加等のお陰で、さらに急進し、スケールメリットの拡大による利益は、莫大であった。
袖山は思う。ここまで自分が登り詰めたのは、分析力と、洞察力があった賜物だと。アメリカの銀行家、ロバート・ルービンも言っていたではないか。意思決定においては、分析と注意に勝るものはないのだと。
袖山は、夕方、木更津の清見台にある駐車場へ、マスタングコンパーチブルを停車させた。5LのV8DOHCエンジンが、細かく唸るような音と共に、静かになる。
袖山は、車を降り、市道へと出る。御神の情報が正確ならば、そろそろ来るはずだ。
袖山の目線の先に、銀髪の少年が現れた。友達らしき地味な男子生徒と、三つ編みの女子小学生も一緒にいる。幸い、今日はマスコミの姿は見当たらないようだ。
『DC会議』の連中には悪いが、一足先に手を出させてもらう。
袖山は、こちらへ向かって来るその三人へと近付いた。
そして、すれ違う。
袖山がやったのは、それだけだった。
夜、必要な業務を終え、袖山は、東京の目黒にある自身のマンションへと帰ってきていた。
もう既に外で食事を済ませていたので、シャワーを浴びる。浴室から出て、バスローブを身に付けたまま、コンポにCDを入れた。
BOSEの円筒型スピーカーから、グリーグの『ホルベアの時代から』が流れる。
弦楽合奏版であるため、グリーグにしては派手で、複雑な音響効果がある。袖山は、バロック調を踏襲しつつ、暗めの第四曲が気に入っていた。
袖山は、音楽を聴きながら、ロッキングチェアへと座る。そして、脳内のアーカイブスを検索し、今日の夕方、記憶した銀髪の異世界人のデータを引っ張り出す。
再生。西日が差す歩道を、正面から、三人の人物が歩いてくる。二人は扶桑高校の制服を着た少年達だ。銀色の髪をした、色白の美しい少年と、どこにでもいるような男子学生。銀髪が例の吸血鬼だ。
残る一人は、JENNIの服を来た小学生の女の子だ。低学年くらいか。おそらく、地味な少年の妹だろう。
女の子は、銀髪の吸血鬼がお気に入りなようで、熱心に話しかけている。吸血鬼の方は、ホストのように、女の子に上手く合わせている。
おや。待てよ。
停止。そして、ピックアップ。吸血鬼の体に注目する。
吸血鬼は、どこか、右半身を庇うような歩き方をしていた。右半身をどこかにぶつけでもしたのか、ちょっと前まで、痛みを負っていたような様子だ。
これはもちろん、常人の人間では気付かないほどの、些細な特徴を拾ったものだ。袖山が金融世界という、魑魅魍魎が跋扈する中で、戦い続けたからこそ、育まれた能力だ。
袖山はさらに分析を続ける。
隣の地味なガキ。こいつも少しだけ、体調が悪そうだ。貧血でもかかったのか、僅かばかり、重そうに体を動かしている。
ん? これはどういうことだ?
袖山は、三つ編みの女の子に着目した。
この子は、何か大きな隠し事をしているようだ。隣にいる兄にも話していないことがわかる。ほんの微かに、距離を置く無意識の動きが、動作に入り混じっている。
万引きでもして、隠してでもいるのだろうか。
この付近で小学校と言えば、春日小学校だが……。
袖山は、脳内のアーカイブスを駆使し、春日小学校の情報をピックアップした。どこかに、付け入る材料があるはずだ。
そして、見つける。
おあつらえ向きじゃないか。運がいい。
袖山は、邪な笑みを浮かべた。
翌日、袖山は目黒にある、自身の金融会社のオフィスビル内にて、一人の男と会っていた。
『会っていた』とは聞こえがいいが、実際のところ『呼び出した』のである。しかも、平日の昼間にもかかわらず、突然の召集である。
呼び出された男は、言い付けを守り、下僕のごとく、いち早くやってきた。そして、十階にある個室にて、対面しているのだ。
現在、二人がいる部屋は、袖山が来訪者と面会する部屋だった。壁は白を基準としたベーシックなモルタル製の作りで、部屋の中央には、革張りのソファが向かい合わせに置かれてある。間にはオーク材の重厚な木製テーブルが設置されてあった。テーブルの上には、借用書を始めとする書類の束。
他に目新しいものが見当たらないのは、安全面を考慮してのことだ。この部屋で対面するのは、大抵が債権者。いわば、社会の負け犬だ。搾取対象である連中は、自分の金銭管理のなさを棚に上げ、時折暴れたりする。
もしもその時に、ガラス製の灰皿や、フロアライトなどがあれば、充分凶器になりうるのだ。
自分の腕前なら、それでも簡単に制圧できるが、暴力沙汰は得するものがないのが現実である。極力、警察と関るリスクは避けたい。
袖山は、革張りのソファに座ったまま、正面にいる禿頭の男をじろりと睨んだ。男の服装はワイシャツにスラックスという出で立ちであり、仕事を早退し、半場無理矢理この場へと馳せ参じたことを示していた。
目の前の男は、怯えたように顔を伏せた。禿頭が天井から照らされたシーリングライトの光を受け、ぬめりと光る。緊張のあまり、汗をかいているようだ。これ以上、髪が抜け落ちないか、心配になる。
「遠月《とおつき》さん、どうして呼び出されたかわかりますか?」
袖山は、遠月
遠月は、弾かれたように顔を上げた。袖山の目論見どおり、遠月は戦々恐々としており、悲痛な表情に顔を歪めた。
「あ、あの、返済期日はまだ先では……」
遠月の言葉に対し、袖山は恫喝を行う。
「それは、こちらが温情をかけて、結延長申請やった結果だろうが。本来なら、お前の職場に押しかけてもよかったんだぞ」
『職場』という単語が出て、遠月は心底怯えた様子をみせた。
この男が、ギャンブル中毒者で、負けが嵩み、サラ金に手を出したのが運のつきだった。
先ほどの怯えは、遠月がしがない小学校教職員の身分であることを暗に物語っている反応だ。借金、ましてや、ギャンブルでこさえた負債など、学校側に発覚したら、懲戒ものだろう。
いくら安月給だろうと、借金で首が回らない現状、働き口を失うわけにはいかないのだ。生活すら困窮するのは必至だろう。
おまけに、五十代という年齢なため、再就職も困難を極める。最初から、遠月の生殺与奪の権は、こちらにあるのだ。
アメリカ独立の立役者、ベンジャミン・フランクリンの『借金というものは、人を束縛し、債権者に対して一種の奴隷にしてしまうものである』という格言を体現したような人間だった。もっとも、そのような人種は掃いて捨てるほど存在するが。
「なあ、おっさん、そこんとこ、どう思ってんの? 借金を重ねた挙句、返済期日まで延長してさ。感謝とかないわけか?」
実際のところ、彼に対して行われたリシュケジュールは、こちらのマネタイズの都合によるものだった。よって、決して温情をかけた結果ではなかった。
しかし、こいつはもちろん、事実など知らず、鵜呑みにする。
「も、申し訳ありません。本当に感謝しております」
遠月は、頭を下げたあと、額に滲んだ汗をハンカチで拭う。磨かれた電球みたいだと、袖山は笑いそうになるのを堪えた。
「で、それをどう証明すんの? 言葉だけか? 落とし前付けろよ」
袖山は、ソファから身を乗り出し、下から覗き込むようにして遠月を睨んだ。
「そう言われましても……」
遠月はガタガタと震え出す。見ていて滑稽なほど、慄いていた。本当に恐怖しているらしい。
そこで、袖山は打って変わって、穏やかな口調になる。
「だが、俺はお前をそう簡単に地獄へ突き落とすほど鬼じゃない」
温情をかけてもらえると思ったのか、目の前のギャンブル中毒者は、希望を持ったように一瞬だけ目を輝かせた。
しかし、その目はすぐに曇る結果となる。袖山が畳みかけたからだ。
「お前に頼みがある」
遠月は、ひどく残念そうな顔をみせた。これ以上、何を奪うのか。やつれたような相貌からは、その感情が読み取れた。
「頼みとは」
「お前のクラスに篠崎春香っていうガキがいるよな?」
遠月はなんでそこまで、という表情を浮かべた。
袖山の脳内にあるアーカイブを元に、導き出した奇貨である。『DC会議』で議題に上がった男子生徒の妹に当たる少女。そいつの担任が、偶然にも、袖山の会社の負債者だったのだ。
驚愕している遠月に対し、袖山は述べる。
「そのガキを追いつめてくれ」
遠月は一瞬だけ、ぽかんとした顔になった。だが、すぐに怪訝な面持ちに変化する。
「追いつめるとは、一体……」
「方法は任せる。だが、自殺寸前までやってくれ」
遠月は、躊躇う様子を示した。平気で借金を重ねるクズだが、受け持ちのクラスの生徒には、少なからず愛情は覚えているらしい。
さらに袖山は畳みかける。
「上手く行ったら、お前の借金は帳消しにしてやるよ。会社の債権リストを消すんじゃなく、俺がポケットマネーで賄ってやる」
負債者にとっては、願ってもいない垂涎の提案。遅行毒のように、遠月の体を駆け巡る。
逡巡したものの、やがて篠崎春香の担任教師は、おずおずと頷いた。さらに汗をかいた禿頭が、明かりを受けて鈍く輝く。
とうとう袖山は、我慢できずに、笑い出してしまった。