現世に侵略してきた異世界人を撃退して世界を救ったら、世界と異世界から命を狙われるようになりました。 作:佐久間 譲司
袖山明誠と名乗る男と相対したその日の夜。直斗は、いまだ強い動揺を覚えていた。
何なんだ。あの男は。
自室の学習机に座り、頭を抱える。
妹の無実を証明し、いじめを止めさせるために敵地へと赴いたが、まさかの逆襲である。
男の目的はわからない。しかし、袖山明誠は直斗の心を見透かすような言動を取ってきた。それこそ、こちらが『ロビン・フッド』であると白日の下に晒すレベルで。
一体、何者だろう。どうしてわざわざ刑事のような尋問をしてきたのか。こちらは終始、しどろもどろになり、まともな弁明すらできなかった。
彼が話術に長け、相手の本音を引き出すレトリックを行使できる老獪な人間だということはわかった。しかし、逆に、袖山の思考が一切読めないのは、とてつもなく不気味であった。
極めて嫌な予感がする。地中の奥底で、大地震を引き起こす岩盤のズレが生じているかのような――。
もうあの男と、このまま関らないでおければいいのだが……。
とはいえ、目下、本当の懸念は、妹の春香についてだ。
袖山の『尋問』のあと、遠月教諭と話をしたが、まさに暖簾に腕押しの状態であった。いくら直斗が妹の無実を訴えても、聞く耳を持たなかったし、いじめを止めさせるよう頼んでも、「検討する」の一点張りで、具体的なプランなどは聞かせてもらえなかった。
まるで政治家の答弁だ。とても信頼なんてできなかった。
このままでは、妹を救えないかもしれない。直斗は不安にとらわれる。妹は今も暗いままだ。
春香の悲しげに沈む表情が、脳裏をよぎった。妹のあんな顔はもう見たくない。兄として、どうにかしなければ。
直斗は椅子から立ち上がった。
今、自分が取ることができる方法は限られている。そのうち一つを明日、試そうと思った。
翌日。直斗は学校にて、ルカへ相談を打診した。彼は、喜んで応じてくれた。
昼休み、校舎裏でルカと対面する。最近、あまり接する機会がなかったためか、彼の表情は晴れやかだった。よほど嬉しいらしく、西洋の彫刻のように整った容貌が、光輝いて見えた。
直斗は、単刀直入に事情を伝える。妹の春香のことやいじめのこと。そして、袖山という男について。
事情を聞いたルカは、それまでのご機嫌な様相から一変して、深刻な面持ちになる。
「まさか、春香ちゃんが……。そんな事態に陥っていたんですね」
ルカは悩ましげにうな垂れる。
そして顔を上げると、ルカは申し訳なさそうに謝罪した。
「気づかなくてすみません。僕としたことが……。あなたの妹様のことなのに」
目の前の吸血鬼は、まるで自身が直斗の従者のような風情で言う。この異世界人は、こちらの『血』を欲している。ゆえに従属しているのだが、春香に対する心配は本物のようだ。
「お前は悪くないよ。それより、何か対処しないと……。良いアイディアないか?」
直斗の質問に、ルカは顎に手を当てた。
「父上や母上に相談はしたんですか?」
直斗は首を振った。
「してない。なんだか言い出せなくて」
いじめというセンシティブな内容のものは、中々親に相談しづらいのが子供心である。仮にそれが、妹の問題であっても。
春香も同じ気持ちを抱いているらしく、親に相談する旨を訊いたら、異常なほど拒否を示した。
「しかし、大人が介入するのが最も解決への近道だと思いますよ」
ルカは至極真っ当な意見を言う。異世界人であろうと、基本的な価値観は人類と共通らしい。
「そうだけどな」
直斗は渋る。ルカの言い分は正しいが、やはり二の足を踏んでしまう。妹が望んでいるのならば、すぐにでも伝えるのだが。
それに、状況がより複雑化しているため、相談が難しい現状もある。妹を信じているが、犯人ではない証拠がない点も、厄介な事実であった。
「とりあえず、今は俺が対処してみるよ」
直斗が考えを言うと、ルカは首肯した。
「わかりました。僕も可能な限り協力します」
それから、リコは眉根を寄せた。
「気になるのは、その袖山とかいう男ですね」
直斗は頷いた。
「嫌な感じの奴だったよ。色んな意味で」
直斗は袖山の容貌を脳裏に想起させる。体躯の良い軍人のような厳しい男。消費者金融の社長だと言っていたが、債権者への取立ても万事こなしそうなほどの圧と迫力があった。案外、そっちの方面から成り上がったのかもしれない。
そして、最も危惧すべきは、驚くべき推察能力。魔法でも使っているのかと思うくらい、直斗の思考を読んできていた。
「とりあえず、そっちのほうも探ってみます。何かあったら連絡しますね」
ルカは、真剣な顔付きでそう言った。
袖山明誠は、愛車のマスタングコンバーチブルを運転しながら、木更津にある清見台地区を目指していた。
目黒からなので、少しだけかかるが、目と鼻の先だ。
マスタングコンバーチブルの車内では、グリーグの『ペール・ギュント』がスピーカーを通して流れている。壮大な物語の第一組曲、第四曲にあたる楽曲だ。
曲名は『山の魔王の宮殿にて』。
権力欲しさに魔王の娘に結婚を迫るペール・ギュントが、魔王から出された恐ろしい条件にビビって逃げだし、命からがら脱出する、というシーンを奏でたものである。
コミカルでありつつ、奥底に恐怖を秘めるオーケストラ楽曲であった。
『山の魔王の宮殿にて』を聴きながら、袖山は、やがて清見台地区にある春日小学校へ到着した。
エキゾースト音の響きと共に、来客用の駐車場へ乗り入れ、バックで愛車を停める。他に車は停まっていなかった。現在の来客は袖山のみらしい。
袖山はエンジンを停止させ、車を降りた。すでに出迎えはきており、中年のスーツ姿の女が、恭しく頭を下げた。
「お待ちしておりました。袖山様」
重役へ応対するような女の態度に、袖山は気分が良くなった。
「袖山様、先日は我が校への寄付、ありがとうございました」
再び女は頭を下げる。袖山は、満足して頷いた。
女が今しがた言ったように、袖山は春日小学校に多額の寄付を行っていた。『標的』がこの小学校にいると知った直後、即座に行動に移したのだ。
事を進めるのに、有利であるためだ。
今日は袖山の寄付に対し、学校側が感謝の意を伝えようと、招待をしてくれた。それを快く受け入れたのだ。もっとも、校長に対し、そうなるよう袖山が誘導したのだが……。
いずれにしろ、袖山のように、生徒の保護者でもない中年男性が、容易く校内に入るのは難しかった。やはり、何かしらの姦計を企てる必要があったのだ。
すでにこうして侵入している以上、袖山の謀略は功を奏したことになる。
袖山は、女に案内されながら、校舎に続くアスファルトの上を歩く。ちょうど休み時間らしく、遠くから小学生たちの楽しげな歓声が聞こえてきた。下品で、知性を感じさせない動物園のような騒音。
とても不快だが、柔和な物腰は崩さない。案内役の女と会話をしながら、周囲をうかがう。
目当てである篠崎春香も、この校舎のどこかにいるのだろう。休み時間の騒々しい中、何を思っているのか。さすがに、いじめられているので、はしゃいでいるとは思えないが。
袖山は、女と共に、校長室を目指しながら、脳内でこれから先のプランを何度もリピートさせた。
全ては俺の手の平の上。万時順調に進んでいると、強い予感があった。
袖山は、多額の寄付者として、一通りの挨拶と歓待を受けた。校長からは特に感謝の意が述べられ、記念品すら贈呈された。
そのあとで、校内の案内も行われる。興味はなかったが、袖山は笑顔で応対した。
ある程度、諸事を済ませたところで、ちょっとした時間ができた。
その隙を狙い、袖山は遠月を呼び出す。遠月は、従者のごとく、即座にやってきた。
袖山は指示を行う。
「篠崎春香と面会したい。場を作れ」
急な申し出にもかかわらず、遠月は、反論など一切せず、おどおどと首肯した。
時刻はちょうど昼休みに当たる。篠崎春香も自由時間のはずだ。
やがて、遠月から呼び出された篠崎春香はやってきた。場所は面会室。遠月はすでに退室しており、二人っきりで相対する形となる。
篠崎春香は、以前目にした時よりも、随分と暗い雰囲気を纏っているように見えた。先入観でないのならば、袖山の策略により引き起こされたいじめが相当堪えている証だろう。
袖山は、心の奥底でほくそ笑んだ。万事順調である。
至誠通天という吉田松陰の言葉を思い出す。人は純粋に事を成せば、必ず報われるものなのだ。
「こんにちわ。ごめんな。わざわざ呼び出して」
袖山は可能な限り、穏やか表情を形作った。
もとより、自身が他者に圧力を与える容貌の持ち主であることは百も承知だ。
仕事柄、その特徴は有利に働くが、今は相手が女子小学生である。ましてや、兄同様、見るからに気が弱そうな性格の持ち主であるため、より強い願慮は必要であろう。
そうしなければ、有益な情報を引き出すのは困難になってしまう。
面会室の入り口で、硬直したままの春香は、怪訝な顔でこちらをじっと見つめていた。以前と同じく、JENNIのブランド服を着ている。白いスカートに、ピンクのブラウス。服装自体は、特に変わったところはない。
瞳の奥に動揺が見えた。どうして自分は呼び出されたんだろう。そう心の声が聞こえてくる。
「まずは座りなさい」
袖山は優しげに囁き、部屋の中央にある面談用の椅子を指し示した。
春香は、最初、警戒したように無言で面会用の椅子と机を凝視していたが、やがて、袖山の柔らかい物腰に影響を受けたのか、おずおずと椅子へと歩み寄り、腰掛けた。
袖山も、机を挟んで正面に置いてある椅子に座る。子供も使用するために設計された椅子らしく、大柄な自分だと随分と窮屈に感じられた。
「緊張しなくていいからね。ただ話を聞きたいだけなんだ」
袖山は微笑みながら、猫なで声で言う。手振り身振りも忘れない。意図的に、大げさに見えるよう行った。下手に分別するよりも、オーバーなアクションのほうが、人は警戒心が解きほぐれるのだ。
案の定、春香は警戒レベルを下げたようだ。全身から力が抜けたのを、袖山は読み取った。
「あの……、何で私は呼び出されたんですか?」
春香は、鈴の音のような可愛らしい声で尋ねてくる。そこには、非難の色は込められておらず、単純な疑問のみが存在していた。
本来なら、昼休みを潰され、憤慨しているところだが、教室にいたくない事情でもあるのだろう。表情はむしろ軟化している。
袖山は、手をひらひらと振った。コミカルな動きになるよう心がける。
「ああ、特に問題があったわけじゃないんだ。ただ君のお兄さんについて、お話を訊きたくて呼んだんだよ」
春香はキョトンとなる。
「お兄ちゃん? 直斗お兄ちゃんのこと?」
春香は首を捻る。心底不思議そうだ。当然だろう。寝耳に水の話だからだ。
「ああ。そうだよ。実は直斗君は、俺の知り合いが経営する高校の生徒でね。今度うちの会社が主催するイベントがあって、中心に動き回る代表者が欲しいんだ。それで、直斗君が候補に上がっているんだよ。だから、今日、たまたま小学校を訪れたついでに、妹である君に、直斗君がどんな人か訊こうと思っただけなんだ」
袖山はわざと、矢継ぎ早に言う。出任せを口に出す場合、相手の思考をオーバーフローさせると、信じやすくなる。そして、なおかつ、疑惑は薄くなるのだ。
黙って聞いていた春香は、やはり、曖昧な表情を浮かべた。目論見どおり、完全に理解できていないらしい。
そこで、さらに袖山は付け加えた。
「お兄ちゃんのことを教えてくれたら、君が今陥っている状況、お金を盗んだという疑惑も俺が晴らしてやるってことかな」
春香の顔が明るくなる。
「本当?」
「本当だよ。君が犯人じゃないことくらい、俺にはわかる。VIP待遇の俺の手にかかれば、簡単に解決してやれるさ」
当たり前だが、毛頭、便宜を図るつもりはなかった。主張も根も葉もないものである。
しかし、この純粋な少女は、あっさりと信じ込んだようだ。どうして自分が直斗の妹だと判明したのかの疑問は、一切浮かばなかったようだ。
「わかった。お兄ちゃんのこと、ちゃんと教えるから」
春香はこくりと首肯する。すでに袖山のことを信じきった風情だ。
袖山は、心の中で快哉をあげる。やはり小学生など、懐柔するのは容易い。ましてや、いじめられて追いつめられている現状、助け舟には何の疑惑も抱かずに乗り込むのだろう。
袖山の会社の負債者も似たようなものだった。借金の減額やリスケジュールを提案しただけで、こちらの奴隷に成り下がるのだから。
ヴィクトル・ユーゴーの言葉を思い出す。彼は、著書『レ・ミゼラブル』でこう述べていた。
債権者は残酷な主人よりも悪い。主人は身体を剥奪するだけであるが、債権者は体面を破壊し、威信を破滅すると。
弱みを持つ人間が、いかに脆いかを物語っていた。
「じゃあ、最初は簡単なものから……」
袖山は質問を開始する。