現世に侵略してきた異世界人を撃退して世界を救ったら、世界と異世界から命を狙われるようになりました。 作:佐久間 譲司
その日の夜、袖山明誠は、目黒のマンションのリビングにて、ロッキングチェアに深く腰掛け、瞑目していた。
スピーカーからはグリーグの『ペール・ギュントの帰郷』が流れている。放蕩を繰り返したペール・ギュントが、故郷へと帰ってくる話。やがて、ペール・ギュントは、幼馴染のソルヴェイグに抱かれながら、子守唄を聞きつつ、息絶えるのだ。
袖山は、目を瞑ったまま、脳裏で映像を展開させる。
DC会議のシーンから、異世界人の吸血鬼と歩く篠崎直斗の姿。その直斗が、袖山のオフィスにて、動揺を見せる光景。直斗の妹である篠崎春香の証言。
複雑に絡み合った糸が解けて、光点と光点が結ばれていく。見えてくるのは、血のように赤く輝く死兆星だ。
袖山はロッキングチェアに身を沈めたまま、目を開く。そして、眼前に視線を向けた。
袖山の前には、ガラステーブルが置かれてあった。その上にはノートパソコンが一台。
画面にはテキストエディタが開かれ、すでに文面が書き込まれてある。
内容は篠崎直斗について。
吸血鬼に好かれる一人の少年。ロビン・フッドのコート。異世界人たちに襲撃された学校の生徒であったこと。吸血鬼が証言した『良い匂い』について。そして、貧血。アレーナ・ディ・ヴェローナでの決戦当日、行方知らずだったこと。それらを彼が執拗に隠匿する理由。大田山の事件。
いくつものキーワードが目まぐるしく、幻想のように視界内を回る。やがて導き出される結論。
篠崎直斗が『ロビン・フッド』の可能性。
全ては状況証拠や憶測に過ぎない。しかし、充分に考察に値する材料が揃っている。
もっと突っ込んで考えてみよう。
仮に篠崎直斗が『ロビン・フッド』であったならば、こちらにとって、とても好都合だ。なぜなら、十二分に『刺せる』からだ。
『袖山金融』で会話した限り、少なくともあの少年の思考レベルは、一般の男子高校生と変わりはなかった。
金融の世界で、サバイバルゲームのように、切った張ったを繰り返した袖山の敵ではないのだ。
いくら、篠崎直斗が超人のような力を持つ者だとしても、篭絡は造作もなかった。まさに、赤子の手を捻るようなものである。
袖山は、体を起こし、全ての情報をエディタに入力していく。
このノートパソコンは、クラウドにも繋がっているため、いつでもワンタッチでネットへデータを流すことが可能だ。DC会議共通のワークスペースも確保してあり、そこにアップロードすることもできる。
――もっとも、そのつもりは毛頭ないが。連中に情報を渡してたまるか。
袖山は入力を続けながら、思考を巡らせる。これから自分が取るべき道は一つ。篠崎直斗が『ロビン・フッド』であるという『決定的な証拠』を得ることだ。
そして、それは決して難しいことではなかった。方法はいくらでもある。監視を付ける、雇ったチンピラをけしかける。あるいは、また確保してある債権者を使うことも可能だ。
すでに勝ちは見えているのだ。『決定的な証拠』を確保さえすれば、あとは、それをネタに、煮るなり焼くなり好き放題できる。世界最高の戦力を、こちらの手中に収めることが可能なのだ。袖山の奴隷と化している債権者のように。
『ペール・ギュントの帰郷』が部屋内に響き渡る中、袖山はほくそ笑んだ。
先んじて正解だった。DC会議の連中を出し抜けるのだ。特にあの青二才の御神龍司。いけ好かないエリート坊やの鼻を明かせると思うと、今からでも射精に至るほどの愉悦が沸き起こる。
とはいえ……。
エディターへの書き込みが終わり、保存を実行する。そこで少し考え、袖山はいくつか操作を行った。
全ての作業を終え、ノートパソコンを閉じた時だ。
物音がした。玄関のほうからだ。同時に、人の気配も感じる。ここは、二十階建てのマンションの最上階に当たる部屋だ。近くの部屋の住人ではない限り、まずは他者が訪れることはない場所である。
時刻は深夜に近い。来客などあるはずもないし、近隣の部屋の人間も、この部屋を訪問する必然性はない。
気のせいかと思った矢先、再び物音。『ペール・ギュントの帰郷』に混ざり、人の足音のような音が聞こえた。そして、気配がさらに濃くなる。
同時に、袖山の全身に粟のような鳥肌が生じた。得体の知れない化け物が、自身のテリトリー内に侵入してきたような、重圧のある恐怖。
すでに『何か』が、部屋の中に侵入したことを確信した。
そう。ここはマンションの最上階。なおかつ、最新の防犯システムを備えた、オートロックの建物だ。アルセーヌ・ルパンでも侵入は難しいはず。
『通常』の人間ならば。
袖山は、ロッキングチェアから立ち上がると、リモコンでスピーカーを停止させた。それから、近くのキャビネットを開け、中からある物を取り出す。金属でできた黒い物体。重厚で、手にしっくりくる造りのもの。
それは、グロッグ17と呼ばれる銃で、オーストリアのグロッグ社が開発した、九ミリパラベラムを使用する自動拳銃だ。
これは、DC会議のメンバーでもある李天佑から購入した密輸入品であった。李天佑は、チャイニーズ・マフィアである『上海幇』や『新義安』と繋がりを持つ人物だ。銃の密輸など、お手のものである。
袖山は、グロッグの安全装置を解除し、ウィーバースタンスで構えながら、音がした玄関へと慎重に向かう。
仮に侵入者がいた場合、躊躇わずに射殺するつもりだ。完全な防音が施されているマンションのため、銃声が隣室に届くことはないし、死体も警察に発覚しないよう、安全に処理できるツテなどいくらでもあった。
袖山はリビングを出て、廊下へ足を踏み入れる。廊下は、電灯が点いたままであるため、視界は良好だ。知悉した構造なので、どこが死角で、どこが危険ポイントなのか手に取るようにわかる。
カッティングパイを行いながら、慎重に進む。やがて、玄関へと辿り着き、ある程度安全を確保したところで、袖山は眉根を寄せた。
何もいない。人も、そうではない存在も確認できなかった。
気のせいなのか。袖山は首を捻る。神経が昂ぶっていたために、勘違いをしたのかもしれない。
袖山が銃を下ろした時だった。風圧を感じた。突如、強風に見舞われたような感覚襲われる。
気がつくと、袖山は背後に吹き飛んでいた。そして、それまで自分がいたリビングへと転がっていき、ロッキングチェアとガラステーブルを弾き飛ばす。やがて、それらの残骸と共に、床へと倒れた。
仰向けに倒れたまま、袖山は嘔吐した。吐き出したのは、血の塊。どういうわけか、袖山は自身が致命傷を負ったことを自覚した。
「先走りすぎたわね。袖山明誠」
声がする。女の声だ。リビングの入り口からである。しかし、耳鳴りがして、声が若者なのか、年寄りなのかすら、判明しない。加えて、目も霞み、姿がよく確認できなかった。
この女が、自分に攻撃を加えたらしい。大の大人を容易く吹き飛ばすほどの攻撃を。
もしかすると、この女は……。
「もう少し、謙虚に動くべきだったね。まあ、もう遅いけど」
女の声は愉快そうに笑う。すでに、体が動かず、声も出せなかった。手元にあった銃も、どこかに飛んでいってしまっている。
どうやら、俺は死ぬらしい。なんてことだ。せっかく、世界と、果ては異世界すら牛耳るチャンスが訪れたというのに。
そこで、激しい音がした。金属を壁に叩きつけるような音。霞んだ目が、かろうじて捉える。どうやら女は、床に転がっていたノートパソコンを破壊したらしい。
一体なぜ? それは、証拠隠滅に他ならないだろう。だが、その行動で、女についていくつかわかったことがあった。
しかし、それを誰かに伝える術がなかった。重要なヒントを得たが、もうどうしようもない。
やがて、袖山の視界が暗闇に覆われ始める。体の感覚が凍ったように失せ、思考が鈍くなっていく。
落下するような感覚と共に、袖山の意識は完全に消失した。