現世に侵略してきた異世界人を撃退して世界を救ったら、世界と異世界から命を狙われるようになりました。 作:佐久間 譲司
小学校で教鞭を取る
ギャンブルにはまり込み、依存症となったせいで膨らんだ借金。その返済のために、債権者である消費者金融の社長から、時折、下僕のように扱われる屈辱。自分はなんて不幸なんだと嘆き悲しんだ。
しかし、とある朗報が舞い込み、状況は一変した。その朗報とは、自分をこき使っていた消費者金融の社長が、何者かに殺されたというものだった。
遠月は禿頭を光らせ、狂喜乱舞した。下手人がどこの誰かは知らないが、よくやってくれたものだ。あの性悪のことだから、方々から恨みをかっていたに違いない。
このまま運よく推移すれば、その消費者金融会社は倒産する可能性があった。もしかすると、自身の借金が帳消しになる希望さえ見えてくる。そうでなくても、厄介な『主』がいなくなったのだ。今までは脅されて難しかった任意整理や、自己破産すらも可能となる。
遠月にとっては、死地から逃げおおせたも同然だった。
気持ちに余裕が出てくれば、金銭面でも余裕が生じた気分になる。遠月は、最近控えていたギャンブルを行うようになった。
行きつけのパチンコ屋に再び通う日々。そして、不思議なことに、そういう時はちゃんと人間は勝てるものなのだ。
これが、俗に言う『引き寄せの法則』というやつかもしれない。
遠月は、自身の人生が好転し始めたことを理解する。俺は今から幸せを掴むんだ。必ず浮かび上がってやる。
強い希望と、充足感を抱いたまま、遠月は自身が勤める学校へと通勤を行った。
朝礼と準備を終え、遠月は自身が担当する五年三組の教室へと入った。
すでにチャイムが鳴っていたので、およその生徒たちは、お喋りはしているものの、席に着いて待っていた。明るくて元気な見慣れた風景。
しかし、その中で少しだけ、日当たりの悪い部屋のように、くすんで見える一角があった。
篠崎春香の席である。彼女は本を読んでいた。最近になって、読み始めた図書室の児童書だろう。
いまだ、篠崎春香に対するいじめは継続しているようだった。殴る蹴るなどの暴行こそはないが、無視は依然、行われていることが、彼女の行動から読み取れる。
もっとも、だからといって、担任教諭の遠月は特に問題解決に乗り出すつもりはなかった。そもそも、いじめを誘発させたのは自分であったし、それを指示した袖山が死んだ以上、もう沈静化するのを待つしか方法はなかった。
下手に助けると、かえって薮蛇になり、今度はこちらの立場が危うくなるのだ。篠崎春香には悪いが、現状、今の立場で耐えてもらおうと思う。
教壇に立ち、朝の挨拶を行いながら、遠月は、少し前に相談した春香の兄と名乗る男子生徒のことについて考えていた。
彼はあのあと、どうしたのだろう。妹を救うために随分と熱心だったが、何か対策を講じたのか。たとえば、教育委員会に訴えるとか、親に報告するとか。
彼に示した態度の通り、こちらとしては波風をあまり立てて欲しくはなかった。だが、現状、何も起きていないのならば、篠崎直斗は、特にアクションを取らなかったと見ていいかもしれない。
いずれにしろ、遠月が成すことは自己保身のみなので、やることは決まっているが。
やがて、遠月は、そのまま自身が担当する科目である国語の授業に入る。
ある程度授業を進めたところで、遠月は、チョークを持つ手をぴたりと止めた。遠くから何か『騒音』が聞こえたためだ。車同士が衝突する事故のような、大きな音が。
何人かの生徒たちも、窓の外を眺めていることから、遠月の聞き間違いではなさそうだった。
そしてその直後、さらにもっと近く、校舎の内部と思しき場所から轟音が聞こえてきた。同時に衝撃。強風に煽られた車のように、校舎が一揺れする。
生徒たちの中から、悲鳴が上がった。
「地震!」
生徒の一人が叫ぶが、これが地震などではないことが、遠月には理解できた。もっとおぞましい、悲劇を呼び起こすような胎動。
遠月は慌てて教室の戸口へ駆け寄り、扉を開けて、廊下に出た。
すでに、隣のクラスの若い女性教諭が外に出ており、おろおろと困惑したような様子で、右往左往していた。
「高田先生」
遠月が声をかけると、高田教諭ははっと振り向いた。
「遠月先生。先ほどの音はなんでしょう?」
「……わかりません。私にも」
「ガス爆発とか?」
おそらく、ガス爆発の類でもないだろう。かといって、じゃあ一体、何なのかというのもわからないのだが。
すると、再び大きな音。炸裂音に似た爆音だ。地鳴りと共に校舎が揺れ、高田教諭が小さく悲鳴を上げた。
遠月は戦慄する。これは、本当になんなんだ? 何が起きている?
遠月が職員室へ走ろうとした時、階下から悲鳴が複数聞こえた。大勢の人間が、恐慌に駆られるような声。災害時の実況映像でも、同じような音声を聞いたことがある。
なんだろうと、遠月が硬直していると、複数の人間が階段を駆け上がってくる音が聞こえてきた。
廊下に姿を現した『それ』を見て、遠月は目を見開く。
『それ』は、人の形をしていた。迷彩服のようなものも着ている。しかし、明らかに『人間』ではなかった。
全身毛むくじゃらで、顔は熊そのもの。獣がそのまま人間になったような風体だ。『熊』だけではなく『犬』や『ゴリラ』のような様相の者もいた。
眼前の者たちの腕には、銃らしきものが抱えてあり、そして、顔の側面には、アメリカの警察が装備しているような、小型カメラが付けられていた。
人ではない彼らを目の前にし、遠月はすぐに悟る。
この者たちは『異世界人』なのだと。テレビやネットでは割と目にするようになったが、実物を目にするのは初めてであった。
そしてこの異世界人たちが、先ほどの『騒乱』の主原因だということは明白だった。隣の高田教諭は、唖然と固まったままだ。
異世界人たちは、廊下にいる遠月たちに気づくと、手元の銃を構えながら、駆け寄ってくる。特殊隊員のクリアリングのように、洗練された動きだった。
「五年生の教室はこの近辺か?」
先頭にいる熊のような異世界人が、流暢な日本語で質問してくる。
「あ、ああそうだけど……」
遠月は茫然と答えた。なんて上手な日本語だろうと、場違いな感想が脳裏をよぎる。相当な異常事態が発生しているはずだが、道端で外国人に声をかけられた時と気分が変わらなかった。
遠月はぼんやりと思う。『道案内』が終わったあと、彼らはそのままどこかへ行き、自分はここに放置されるだと。つまり、自分は何もされず見逃されるのだと思った。
しかし――。
「わかった。ありがとう」
熊の異世界人は、礼を言うと、手に持った漆黒の銃をこちらに向けた。
疑問に思う間もなく、遠月の視界が真っ白に染まった。
最初の発砲音を嚆矢に、校舎の至る所で悲鳴と銃声が響き渡った。
五年二組の教室にいた苅田理衣は、学校自体が、尋常ならざる状況に陥ってしまったことを悟り、戦慄していた。
教室にいる他の生徒たちも、パニック寸前だった。担任教師である遠月安信教諭は先ほど教室を出て行き、戻ってこない。残された生徒たちは右往左往するのみだった。
しかし、さながら戦場のような外の状況を前に、誰も教室を出ようとはしていなかった。
理衣は、不安で高鳴る動悸を抑えながら、教室の隅のほうの様子をうかがった。そこには、自分の席に座っている三つ編みの女子の姿があった。
篠崎春香である。
友達である春香は、どこか心ここにあらずといった風情で、周りを見回していた。他のクラスメイトたちと比べれば、恐怖心は少ないように見えた。
春香はいまだ無視のいじめにあっているため、今の状況下だろうと、誰とも会話をしていないようだった。あまり怖がっていないとはいえ、かわいそうである。
理衣は春香に話しかけようと思い、立ち上がりかける。その時だった。
おもむろに教室の引き戸が開いた。てっきり先生が戻ってきたのかと思った。しかし、違っていた。
入ってきたのは人間ではなかった。熊のような風体の、毛むくじゃらな生物。自衛隊のような迷彩服を着ており、手には銃器らしきものを持っている。そして側頭部には、カメラのような装置が取り付けてあった。
氷のような冷たい恐怖が、理衣の背中を疾風のように駆け抜けた。この生物は危険だ。理衣の直感が告げている。野生動物を前にしたような恐ろしさがあった。この人たちは、間違いなく、私たちに危害を加えるだろう。
熊のような生物が現れた直後、一瞬だけ、教室内は静まり返ったが、すぐさま騒乱の様相を呈した。当然だ。得体の知れない生物が目の前に現れたのだから。
すると、その熊のような生物は大声を放った。獣が唸るような、低い胴間声だ。
「これからお前たちには人質になってもらう。教室を移動するから、皆一緒になって俺についてこい!」
理衣は、本当の悪夢がこれから始まることを悟った。