『Fate/Zero -Anomaly Log---彼岸に落ちる二重螺旋』     作:りー037

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第一譜:【空白の器と、極彩色のノイズ、そして太陽と白紙の誓い】

 圧倒的なエネルギーの奔流が、地下空間の淀んだ空気を一掃していた。

 

 舞い上がった塵芥が、発生源から放たれる蒼と金の燐光を浴びて、スノードームの雪のようにゆっくりと舞い落ちている。

 

「——みこーん! 良妻の鑑、貴方の忠実なる狐っ娘、キャスター推参ですっ☆」

 

 

 目を引くのは、彼女の頭頂部でピンと張った狐の耳と、腰の背後でふさふさと揺れる、黄金色の豊かな尾。

 

 コスプレ、という次元ではない。彼女の存在そのものが、この物理法則に支配された現実世界から完全に浮き上がっている。

 

 

 陽の生まれついての『眼』は、彼女の表面的な姿だけでなく、その奥底に渦巻く途方もない熱量をとらえていた。網膜の裏側に直接焼き付くような、極彩色のノイズ。彼女を構成するエネルギーの密度は、人間のそれとは根本的に次元が違う。

 

 さらに、右手の甲に焼き付いた赤い文様から、目に見えない光の糸のようなものが伸び、彼女の胸の奥深くへと繋がっているのがハッキリと視認できた。

 

 

 パス。繋がり。あるいは、錨。

 

「あれれ? マスター? そんな所でへたり込んじゃって、どうしました? 私の美しさに腰を抜かしちゃいましたか?」

 

 

 ゆっくりと息を吐き出し、乱れた呼吸を整えた。恐怖はない。驚愕もない。ただ、目の前の事象をありのままに観測し、処理しようとする平坦な思考だけが稼働している。

 

「……あんたは、何だ?」

 

「え? 何だって、サーヴァントですよ? キャスターのクラスで現界した、貴方の頼れる良妻候補ナンバーワン……って、あれ? もしかして、本当に何もご存知ない系ですか?」

 

「サーヴァント。キャスター。あぁ……知らないな」

 

 

 彼女の間に、致命的な温度差が横たわっている。ハイテンションで親しみやすさをアピールする彼女に対して、陽の心は波風一つ立っていない。相手が人間であろうと、化け物であろうと、幽霊であろうと、彼が保つ『距離』は常に一定だ。

 

 

 女は扇子を閉じ、ポンと手のひらを叩いた。

 

「なるほどなるほど! 魔術師の家系ではなく、何かの偶然で巻き込まれた一般人マスター、というわけですね! いやはや、これもまた運命の巡り合わせ。まっさらな貴方を、私色に染め上げるのも悪くありません——」

 

「……それより」

 

 

 俺は彼女の言葉を遮り、視線を足元へと落とした。

 

 そこには、胸に自分のナイフを突き立て、恍惚の表情を浮かべたまま死んでいる、死体があった。そして、その周囲には、恐怖で気を失いかけている拘束された子供たち。

 

「あんたが何なのかは知らないが、何か不思議な力があるなら……これ、隠せるか?」

 

「はい?」

 

 

 女——キャスターは、素っ頓狂な声を上げた。

 

「……マスター。初手で死体処理の依頼とは、随分と肝が据わっているというか、なんというか。普通、もっとこう、パニックになったりするものでは?」

 

「パニックになっても、状況は変わらない。それに、ここに長居するのは得策じゃないからね。……できる?」

 

「……ええ、もちろん。舐めてもらっては困ります」

 

 

 彼女は小さくため息をつくと、袖口から一枚の札を取り出した。それを指先に挟み、死体に向けて軽く投擲する。

 

 札が死体の額に触れた瞬間、青白い炎が音もなく燃え上がった。熱気は一切ない。ただ、物質としての情報を書き換えるかのような奇妙な現象が起き、雨生龍之介の肉体と、周囲にぶちまけられた血液は、ほんの数秒で灰一つ残さず空間から消滅した。

 

 

「うん、ありがとう。助かった」

 

 

 そう言い残し、血だまりが消えた床を歩いて、拘束されている子供たちのもとへ向かう。

 

 無言でしゃがみ込み、ロープの結び目を解いていく。子供たちは怯えきった目で俺を見上げていた。ただ淡々と、物理的な拘束を取り除くだけだ。

 

 キャスターは、そんな俺の背中を、狐の耳を伏せながら不思議そうに見つめていた。

 

「……変わった人ですね。」

 

 

 彼女の微かな呟きは、下水道の静寂の中に吸い込まれて消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 子供たちは、キャスターが不思議な力を使って恐怖の記憶を曖昧にし、深い眠りにつかせた後、近くの交番の前に並べて置いてきた。直ぐに警察が保護して家族の元へ帰るだろう。

 

 

 成すべき最低限の社会的な対応は、それで終わった。

 

 

 ガチャリ、と無機質な金属音を立てて、自宅の玄関ドアを開ける。

 

 ここは、両親が残していったマンションの一室。彼らは海外へ赴任しており、陽は仕送りを受けながら一人で暮らしている。

 

「お邪魔しまーす! ふむふむ、ここがマスターとの愛の巣、もとい拠点ですね! 少し殺風景ですが、私が来たからには、毎日花を飾って手料理を振る舞って差し上げますよ!」

 

 

 彼女が踏み入った瞬間、この平凡な空間の空気が、微かに歪むのを感じた。彼の『知覚』が、彼女という規格外の存在が放つ霊的磁場と、この部屋の空間構造との摩擦を、ノイズとして捉えているのだ。

 

 

 日常の中に、決定的な非日常が入り込む。

 

 しかし、彼の心境はひどく穏やかだった。自分がここに存在しているという現実感(リアリティ)が薄い陽にとって、むしろ彼女のような『向こう側の存在』が部屋にいる方が、世界のピントが合っているようにすら感じられる。

 

「適当に座っててくれ。お茶を入れる」

 

 

 靴を脱ぎ、リビングへと向かう。

 

 着ていたジャケットを脱ぎながら、右手のポケットに入っていた『重み』を取り出した。

 

 

 

 

 ——ナイフ。

 

 つい数時間前、雨生龍之介の心臓を貫き、彼の命と狂気を終わらせた凶器だ。

 

 キャスターが死体を消滅させる直前、陽は、このナイフだけを引き抜き、持ち帰ってきていた。明確な理由はない。ただ、あの男が最期に見つけた『究極の美』の残滓が、この冷たい刃に宿っているような気がしたのだ。

 

 

 その血の匂いがこびりついたナイフを、リビングのローテーブルの上に無造作に置く。カチャリ、と硬い音が鳴る。

 

「……マスター。それは」

 

「ん? ああ。あの男が持ってたやつ。なんとなく、拾ってきた」

 

「なんとなく、ですか」

 

 

 彼女の声音から、先ほどまでの明るいテンションがスッと消え去る。

 

 人を殺した凶器を、平然と自宅のテーブルに置き、その横で茶を淹れようとしている。一般人としての倫理観から完全に逸脱したその振る舞いを、キャスターは深い琥珀色の瞳で静かに観察している。

 

 

 

 コポコポと沸騰する音。急須に茶葉を入れ、湯を注ぐ。湯気が立ち上り、緑茶の香りが血の匂いを少しだけ上書きした。

 

「どうぞ」

 

「……ありがとうございます。マスター」

 

 

 キャスターは両手で湯呑みを包み込み、ふうっと息を吹きかけてから、上品に一口飲んだ。狐の耳が、心地よさそうにパタパタと揺れる。

 

 

 

 静寂。

 

 深夜三時を回った部屋には、時計の秒針の音だけが等間隔に響いている。

 

「さて」

 

 

 自分の湯呑みを見つめたまま、静かに口を開いた。

 

「落ち着いたところで、教えてほしい。君は何者で、俺の手に浮かんだこの痣は何なのか。あの下水道で、何が起きていたのか」

 

「……そうですね。契約者として、知る権利があります」

 

 

 キャスターは湯呑みを置き、姿勢を正した。その顔には、先ほどまでの道化のような笑みはなく、悠久の時を生きる神霊としての、静謐で重厚な気配が漂っていた。

 

「私の真名は、玉藻の前。かつて日本で悪名を轟かせた、金毛白面九尾の狐……の、一端です。そして、貴方の手に刻まれたその痣は『令呪』。貴方が私を現界させ、使役するための絶対的な命令権であり、同時に、この冬木市で開催されている魔術儀式——『聖杯戦争』に参加するマスターとして選ばれた証です」

 

 

 

 聖杯戦争。魔術。マスター。

 

 次々と紡がれる未知の単語。彼女はそこから、順を追って丁寧に説明してくれた。

 

 あらゆる願いを叶える願望機である『聖杯』を求め、七人の魔術師(マスター)が、過去の英雄や神霊のコピーである『サーヴァント』を召喚し、最後の最後の一組になるまで殺し合う儀式であること。

 

 

 魔術という、世界の裏側に隠匿された神秘の法則が存在すること。

 

 あの殺人鬼の男は、サーヴァントを召喚するための魔法陣を描いていたこと。そして、彼を殺したことで、本来彼が呼び出すはずだったサーヴァントの枠を奪い取る形で、契約が成立してしまったこと。

 

「——というのが、現在我々が置かれている状況の全貌です。魔術の知識を持たない一般人である貴方にとっては、到底信じられない荒唐無稽な話でしょうけれど」

 

 

 狂気、殺戮、神秘。日常から完全に切り離された、血みどろのデスゲームの真実。

 

 

 そして、彼の心に浮かんだのは、恐怖でも拒絶でもなく——奇妙な『納得』だった。

 

(……そうか。魔術、と言うのか)

 

 

 俺は、自分の手のひらをじっと見つめた。

 

 幼い頃から、俺の視界には常に『ノイズ』が映っていた。空間の亀裂、建物の裏側を流れる燐光、澱んだ空気の色、そして、現実の裏側に重なるように存在する、底知れぬ暗黒の領域。

 

 

 自分が狂っているのだと思っていた。脳に異常があるか、あるいは、自分だけがこの世界に所属していないのだと。だから、見えないふりをして、ひたすら息を潜めて生きてきた。

 

 だが、彼女の説明が事実だとするなら。俺が見てきたものは幻覚でも狂気でもなく、世界に確実に存在する法則そのものだ。

 

 

 

 スゥ、と。

 

 『彼岸』への引力が、静かに、しかし強烈に強まるのを感じた。

 

 未知の法則。世界の裏側。今まで触れられなかった本質が、今、目の前にある。

 

 

 自分が今まで「無意識に観測していた力」が、現実とは異なる異界に繋がる鍵であることを理解した。

 

「……どんな願いでも、叶うのか」

 

 

 ぽつりと、俺は呟いた。

 

 聖杯は、万能の願望機。

 

 ならば、俺は何を願う?

 

 富か。名声か。そんなものには一片の興味も湧かない。

 

 

 では、この空っぽの自分を満たすための『何か』を願うのか?

 

 ……分からない。自分が何を求めているのか、何が欠落しているのかすら、今の自分には言語化できない。願いの形すら見えない状態で、どうやって奇跡を望むというのか。

 

 

 思考は、深海へと沈み込んでいくように、内側へと深く深く潜っていく。

 

 深層の領域への無意識の接続が強まり、現実の音が遠のいていく。自分の輪郭が曖昧になり、部屋の空気と溶け合っていくような、極端な離人感。

 

 

 

 

 静寂。

 

 蛍光灯の瞬く音すら消え失せたような、絶対的な静寂が、部屋を包み込んでいた。

 

 俺はただ、自分の内側にある『空洞』を見つめ続けている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深い、深い底へと沈んでいく感覚だった。

 

 視界の端でチラついていた極彩色のノイズが、いつの間にか部屋の壁や床という『現実の境界線』を溶かし、世界そのものが薄い皮一枚の幻に成り果てていく。

 

 

 自分の輪郭が曖昧になる。皮膚の内側にあるはずの熱や、心臓の鼓動すらも、ひどく遠い場所で鳴っている他人のもののようだった。存在そのものが、現実世界の座標から半歩だけズレて、無機質な暗黒へと滑り落ちていく。

 

 それは恐怖を伴うものではない。むしろ、彼にとっては幼い頃から慣れ親しんだ、圧倒的な静寂と安堵の空間。空っぽの器である彼には、最初から満たされるべき中身など存在しないのだと、その暗闇が優しく肯定してくれるような気がして。

 

 

 

 だから、いつまでもこうして、意味を持たないノイズの海を漂っていたかった。

 

「——マスター?」

 

 

 唐突に、その暗闇の底へ、一滴の甘い雫が落ちてきた。

 

 

 水面が揺れる。いや、薄氷が割れる音だったかもしれない。

 

 ふと意識の焦点が合い、ゆっくりと瞬きをした。視界のピントが現実世界へと戻り、目の前で心配そうに俺の顔を覗き込んでいる、琥珀色の瞳と交差する。

 

「……マスター。大丈夫ですか? 急に黙り込んでしまって。どこか、お加減でも悪くなりましたか?」

 

 

 玉藻の前——キャスターが、狐の耳をぺたんと伏せ、小首を傾げていた。その表情には、神霊としての底知れぬ威圧感は鳴りを潜め、純粋に俺という人間を案じる色が浮かんでいる。

 

 

 自分が思考の海への無意識の接続——に深く没入しすぎていたことに気がついた。手元の湯呑みの中で、緑茶はすでに温さを失い始めている。

 

「……いや。何でもないよ。少し、考え事をしてただけだ」

 

「考え事、ですか?」

 

「ごめんね。心配かけた」

 

 

 小さく息を吐き、改めて彼女の顔を真っ直ぐに見つめ返す。

 

「君の話が本当だとすると、聖杯戦争は『どんな願いでも叶えることができる』儀式、なんだよな」

 

「ええ。万能の願望機。それを手にするために、皆、血眼になって殺し合うわけですから」

 

「……なら、君には何らかの望みがあるんだろうか」

 

 

 その問いかけに、キャスターの狐耳がピクリと動く。

 

「俺のような、魔術も儀式も何も知らない、ただの一般人が君を喚んでしまった。それは完全な事故だったとはいえ……もし君に、聖杯に託したい切実な願いがあるなら、申し訳ないと思って」

 

 

 言葉には、嘘も、衒いも、そして過剰な卑屈さもない。ただ、事実として『彼女の不利益』を思い遣っただけだ。俺という部外者が、彼女の目的の邪魔になっているのではないかという、純粋な確認。

 

 

 キャスターは、目を丸くして見つめる。

 

 魔術を知らず、殺し合いの儀式に巻き込まれたばかりだというのに。不安を口にするでもなく、自暴自棄になるわけでもなく、ただ真っ先に『自分以外の誰か』の目的を案じる。

 

 

 悪意がない。敵意がない。他者を利用しようとする、泥のような欲望の気配が一切ない。

 

 どこまでも平坦で、空っぽで、だからこそ——ひどく透明な、白紙の魂。

 

「……ふふっ」

 

 

 やがて、キャスターは扇子で口元を隠し、静かに、けれど心底嬉しそうに笑い声をこぼした。

 

「謝る必要なんて、欠片もありませんよ。マスター」

 

 

 彼女は姿勢を正し、琥珀色の瞳を細めて、遠い昔の景色を懐かしむような、どこか哀しげな光を帯びて語り始めた。

 

「生前、私は神霊でありながら、人間の男に恋をしました。けれど、その結末は……決して美しいものではありません。人間の欲望、疑心、裏切り。それに絶望して、私は命を落とした」

 

「……」

 

「だから、私には『聖杯で叶えたい野望』なんてないんです。世界を滅ぼしたいわけでも、過去をやり直したいわけでもない。私の行動原理は、ただ一つだけ」

 

 

 キャスターは扇子を閉じ、両手を胸の前でぎゅっと握りしめた。その顔には、先ほどまでの道化のような明るさではなく、一人の女性としての強烈なまでの熱情が浮かんでいる。

 

「今度こそ、自分を必要としてくれるマスターに尽くす。最後まで裏切らず、寄り添い、愛を捧げる『良妻』になること。……それだけが、私の望みです」

 

 

 

 良妻願望。そして、純愛。

 

 血で血を洗う殺し合いの儀式において、それはあまりにもささやかで、個人的で、そして狂気的なまでに純粋な願いだった。

 

「そうだったのか」

 

「ええ。ですから、私が気にしているのは一つだけです。——マスターは、どうしたいですか?」

 

 

 彼女の真っ直ぐな問いが、静寂の部屋に響く。

 

 自身を召喚したマスターが望むなら、彼女はそれに全力で寄り添い、盾となり、剣となるだろう。しかし、目の前にいる少年は、聖杯という万能の願望機を前にしても、何の欲望も見せていない。

 

 

 何を望むのか。何を選ぶのか。

 

 キャスターの静かな、しかし確かな期待を含んだ視線を浴びながら、彼は自分の内側にある『空洞』を見つめ直した。

 

「……分からない」

 

 

 口から出たのは、極めて簡素な、事実だけの羅列だった。

 

「俺は、自分が何かを探していることだけは分かる。でも、それが何なのかが分からない。自分が何を求めているのか、どこに向かいたいのかが、すっぽりと抜け落ちているんだ」

 

 

 幼い頃から抱えてきた、致命的なまでの疎外感。

 

 世界が薄く感じられ、自分だけがここに存在していないような感覚。常に『此岸』ではなく『彼岸』へと意識が引っ張られ、無意識のうちに淵を覗き込んでいる、歪な起源。

 

「その『魔術』とか『聖杯』とか、詳しいことはまだよく分からないけど。俺は昔から……見えないはずのものが、ずっと見えているんだ」

 

 

 ふと、意識が、現実という薄皮を一枚突き破った。

 

 感情の起伏はないはずだった。しかし、未知の法則に触れ、自分の存在理由を探ろうとする『彼岸を見る者』としての本能が、強烈に脈動し始めた。

 

「っ……!」

 

 

 キャスターが、小さく息を呑む。

 

 彼女の視線の先で、陽の瞳が——普段は黒く濁り、光を反射しないはずの虚ろな瞳が——万華鏡のように、極彩色の虹色に輝き始めたからだ。

 

 

 それは、■■眼の起動。そして、彼の属性と共鳴し、空間の裏側に沈む膨大な情報(ノイズ)を網膜へと強制的に引き上げる、異常な観測現象だった。

 

 視界の中で、部屋の壁が透け、大気中に満ちる微小な魔力の流れが、無数の光の糸となって可視化されていく。そして目の前にいるキャスターの輪郭もまた、強烈な金色のオーラを放つ『太陽のような圧倒的な神秘』として、脳を直接焼き焦がすように映り込んでいた。

 

「俺が今まで生きてきて、ずっと分からなかった『未知の法則』。それが、君の言う魔術や神秘の世界なんだろうね。……俺は、それを知りたい」

 

 

 虹色に輝く瞳で、キャスターを真っ直ぐに射貫く。

 

 そこにあるのは、魔術師としての野心ではない。ただ純粋に、自分の成り立ちを知り、この空虚な器を埋めるための『意味』を見つけ出したいという、静かで、しかし狂気じみた渇望だった。

 

「聖杯を手に入れて、何かを叶えたいわけじゃない。他のマスターを積極的に殺して回るつもりもない。……俺が、俺自身を見つけるために、この先の『向こう側』へ行きたいんだ」

 

 

 それは、聖杯戦争という儀式に対する、完全な冒涜かもしれない。

 

 戦う理由すら持たない者が、ただの好奇心と自己探求のために、死地へ足を踏み入れようとしているのだから。

 

「自分勝手な理由だと分かってはいる。君を危険に巻き込むことになるかもしれない。……それでも、君の力を貸してほしい。俺と、共にあってほしい」

 

 

 嘘はない。一〇〇パーセントの真実だけを口にした。

 

 浮世離れ、感情の色を持たない彼の言葉は、しかし、どんな魔術的な誓約よりも重く、深く、キャスターの魂を揺さぶった。

 

「…………っ!」

 

 

 長きにわたる神霊としての孤独。人間に裏切られ続けた絶望が、目の前にいる少年の『どこまでも透明な我儘』によって、完全に洗い流された瞬間の歓喜。

 

 

「み、みこーん……ッ!!」

 

 

 彼女は顔を覆い、感極まったように声を震わせた後、バンッ! と勢いよくローテーブルに両手をついて身を乗り出してきた。狐の耳はピンと垂直に立ち、背後の尻尾は千切れんばかりに左右に振られている。

 

「ああっ、もう! ズルいです、マスター! そんな、そんな何の色もついていない真っ直ぐな瞳で『共にあってほしい』だなんて……反則ですよぉ! 良妻のプログラムが、キャパシティオーバーで爆発しちゃいます!」

 

「ば、爆発……?」

 

「比喩ですっ! ああもう、分かりました! 貴方が自分を見つけるその日まで、いや、見つけた後もずっと! この玉藻の前が、地獄の果てまでお供いたしましょう! 貴方の盾となり、剣となり、そして最高の奥様として、その空っぽの心を私の愛で満杯にして差し上げますっ☆」

 

 

 鼻息を荒くして宣言する彼女の顔は、涙目で、顔を真っ赤に染めていて、先ほどまでの哀愁など欠片も残っていなかった。

 

 あまりのテンションの落差に、少しだけ目を瞬かせる。しかし、彼女の言葉の底にある『絶対的な忠誠と愛情』は、陽の冷たい内側を、ほんの少しだけ温めてくれたような気がした。

 

「……ありがとう。助かるよ、玉藻」

 

 

 自然とその名を呼ぶと、彼女は「ふはぁっ」と変な声を漏らし、顔を両手で覆いながらソファの上でのたうち回り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しばらくして、ようやく発作(?)が治まり、彼女がソファに座り直したところで、彼はずっと気になっていた疑問を口にした。

 

「そういえば……さっき君は、サーヴァントを喚ぶには『触媒』という縁の品が必要だと言ってたよね?」

 

「はい。英雄の遺物などを用いて、特定の英霊を狙って喚び出すのが基本ですね」

 

「あの殺人鬼を殺したことで、俺がマスターの権利を奪った理屈は分かった。陣の接続を奪い取る形になったんだろう。……でも、俺は触媒なんて持っていなかった。なのになぜ、君が呼ばれたんだ?」

 

 

 

 その問いに、玉藻の前は優しく微笑んだ。

 

「……魂、ですよ」

 

「魂?」

 

「はい。召喚の光の中で、私が視た貴方の魂は……一切の汚れがない、どこまでも澄んだ、透明なものでした」

 

 

 彼女は立ち上がり、ゆっくりとそばに歩み寄ると、虹色の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。

 

「エゴも、悪意も、他者を傷つけようとする刃も持たない。ただ静かに世界を見つめている、美しい空白。……かつて人間の醜い欲望に絶望した私にとって、その純粋さは、『この人になら仕えたい』『この空白を、私が守りたい』と思わせるのに、十分すぎるほど眩しい輝きだったんです」

 

 

 自分が抱えていた空虚感を、疎外感を、彼女は『美しい透明』だと言って肯定してくれた。

 

 その言葉の真意を、自分の心がどう処理すればいいのか、まだ分からない。けれど、不思議と嫌な気はしなかった。

 

「……そうか」

 

 

 短く応えたその声は、夜の空気に静かに溶けていく。

 

 窓の外を見ると、深い夜の闇が、ほんのわずかに白み始めていた。

 

 

 魔術を知らない一般人の少年と、愛に殉じる神霊の狐。

 

 決して交わるはずのなかった二つの軌跡が、今、冬木市の片隅で静かに結びついた。日常は終わりを告げ、彼岸への扉が、ゆっくりと音を立てて開いていく。

 

 




次回
【虚無への半没入と、裏側の座学、そして欠落の二重螺旋】
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