佐倉愛里が見ていた世界   作:EXTERMINATION

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第10話 雫

7月。

高度育成高等学校の空気は、完全に夏へ変わっていた。

 

日差しは強くなり始めている。

昼休みの校舎は少し蒸し暑く、窓を開けても風がぬるい。

 

そして、グラビアアイドル部の部室には、妙な緊張感が漂っていた。

 

長谷部波瑠加は机へ突っ伏したまま動かない。

三宅明人はそんな長谷部を見ながら、半笑いだった。

 

「いや、そこまで嫌がるか?」

 

長谷部は顔を上げない。

 

「……無理」

「まだ何も始まってないんだけど」

「だから無理」

 

机へ顔を埋めたまま呻く。

 

その横で、一之瀬帆波が少し困ったように笑っていた。

松下千秋は雑誌をめくりながら静かにため息を吐く。

櫛田桔梗は微妙に苦笑い。

幸村輝彦はノートを見ながら現実逃避気味に視線を逸らしていた。

 

そして。

 

元凶は、満面の笑みだった。

 

「だって夏よ!?」

 

星之宮知恵が机を叩く。

 

「プール撮影は青春の義務でしょ!!」

「どこの法律!?」

 

長谷部が勢いよく顔を上げる。

だが星之宮は止まらない。

 

「むしろ今まで避けてたのが不自然なのよ!」

「いや避けるでしょ普通!」

 

部室に笑いが広がる。

 

だが、長谷部だけは笑えなかった。

 

プール。

水着。

 

その単語だけで胃が重い。

 

この部活を始めてから、長谷部は少しずつ変わってきた。

 

撮られること。

見られること。

自分の身体。

 

全部、少しずつ受け入れられるようになってきた。

 

でも。

水着だけは別だった。

 

隠せない。

誤魔化せない。

制服も。

私服も。

 

多少は隠す余地がある。

 

でも水着は違う。

身体の輪郭が、そのまま出る。

長谷部にとって、それは昔から一番苦手なものだった。

 

「波瑠加ちゃん」

 

一之瀬が優しく声をかける。

 

「無理そうなら、本当に無理しなくていいからね?」

 

その言葉が、逆に少し苦しかった。

長谷部は小さく息を吐く。

 

逃げたい。

でも、逃げたくない気持ちもある。

 

ここで避けたら。

 

また昔の自分へ戻る気がした。

 

その時だった。

 

櫛田が静かに口を開く。

 

「……私も、ちょっと怖いよ」

 

部室が少し静かになる。

長谷部が顔を上げる。

櫛田は窓の外を見ていた。

 

「え?」

 

長谷部が思わず聞き返す。

櫛田は少しだけ苦笑した。

 

「いや、だって普通に恥ずかしいし」

 

その声は、珍しく作っていない声だった。

 

長谷部は少しだけ止まる。

櫛田は、こういうの平気だと思っていた。

 

見られること。

身体を見せること。

そういうものへ慣れている側だと思っていた。

 

でも違う。

 

「慣れてるように見えるだけ」

 

櫛田が小さく笑う。

 

「最近、長谷部さんがよく言ってるやつ」

 

長谷部は少し黙る。

その言葉を聞いた瞬間。

少しだけ肩の力が抜けた。

 

その日の放課後。

グラビアアイドル部は、校内プールへ来ていた。

 

夏本番だが、夕方のため生徒はそこまで多くない。

 

夕方のプールサイド。

少し赤くなり始めた空。

静かな水面。

 

長谷部は、更衣室前で完全に固まっていた。

 

「……帰りたい」

「まだ始まってないって」

 

三宅が呆れる。

 

「みやっちは男だから気楽でいいよね……」

 

長谷部が恨めしそうに言う。

三宅は少し困った顔になった。

その言葉へ、簡単には返せなかった。

 

幸村が静かに言う。

 

「波瑠加」

「なに……」

「本当に無理ならやめてもいい」

 

長谷部は少しだけ俯く。

その言葉がありがたかった。

無理やりじゃない。

逃げ道がある。

だから逆に。

 

少しだけ、自分で決めたくなった。

 

長谷部は小さく息を吸う。

それから。

 

「……やる」

 

そう言った。

更衣室。

長谷部は鏡の前で止まっていた。

 

水着姿の自分。

昔から嫌だった。

視線を集める身体。

目立つライン。

隠したい部分。

全部がそこにある。

 

長谷部は少しだけ唇を噛む。

その時。

 

「長谷部さん」

 

一之瀬が隣へ来る。

一之瀬も水着姿だった。

 

柔らかい雰囲気。

嫌味がない自然。

 

長谷部は思わず見てしまう。

すると一之瀬が少し照れたように笑う。

 

「そんな見られると恥ずかしいよ……」

 

長谷部はハッとする。

 

昔の自分なら。

見られる側のことしか考えていなかった。

 

でも今は違う。

自分も、誰かを見ている。

その感覚を知っている。

 

松下が後ろから言った。

 

「波瑠加、ちゃんと似合ってるよ」

 

長谷部が振り向く。

松下は落ち着いた空気のまま微笑んでいた。

櫛田は少し照れ臭そうだった。

 

「……やっぱ普通に恥ずかしいねこれ」

 

長谷部は、その言葉に少し笑ってしまう。

 

「なんだ、キョーちゃんも一緒じゃん」

 

その呼び方が自然に出る。

櫛田が少しだけ目を細めた。

 

「うん。一緒」

 

その瞬間。

長谷部の胸の奥で、何かが少しだけほどけた気がした。

 

プールサイドへ出る。

夕方の風が肌へ触れる。

少し冷たい。

でも、不思議と嫌じゃない。

 

三宅がカメラを構える。

 

だが。

今日はすぐには撮らなかった。

 

まず、普通に話す。

 

歩く。

水へ足を入れる。

笑う。

その空気を作っていた。

 

長谷部は、水面を見る。

そこには、水着姿の自分が映っていた。

 

昔なら、目を逸らしていた。

でも今は少しだけ、見ていられる。

 

その時だった。

 

水着姿の天沢一夏が突然プールサイドへ現れる。

 

「やってるやってる~!」

「なんで来るの!?」

 

長谷部が叫ぶ。

七瀬翼も後ろにいた。

 

「天沢さん、勝手に来るのは……」

 

だが天沢は止まらない。

 

「うわっ、みんな夏っぽーい!」

 

その瞬間。

長谷部は反射的に腕を組みそうになる。

 

でもその時。

一之瀬が隣で笑った。

松下が普通に立っていた。

櫛田も、少し恥ずかしそうにしながら笑っている。

 

長谷部は小さく息を吐く。

 

そして腕を下ろした。

その瞬間だった。

 

「えいっ♪」

 

突然。

天沢が七瀬へ向かって水を跳ね上げた。

 

ぱしゃっ。

 

「きゃっ……!」

 

七瀬が思わず肩を跳ねさせる。

 

「天沢さん!?」

「えへへー♪」

 

天沢は完全に楽しそうだった。

プールサイドぎりぎりへしゃがみ込み、今度は両手で水を掬う。

 

ぱしゃぱしゃっ。

 

「わっ、ちょっ……!」

 

七瀬が慌てて避ける。

 

だが次の瞬間。

七瀬も少しだけ笑った。

 

「……もう、知りませんよっ」

 

ぱしゃっ。

今度は七瀬がやり返した。

 

「うわっ!?七瀬ちゃんの反撃だぁ~!」

「先に仕掛けたのは天沢さんです!」

 

二人の笑い声が、夕方のプールへ響く。

 

その光景を見ながら。

長谷部は少しだけ目を丸くした。

 

天沢も。

七瀬も。

 

今、見られることなんてほとんど気にしていない。

 

ただ楽しんでいる。

その姿が、妙に眩しかった。

その時だった。

 

「ふふっ」

 

隣で、一之瀬が笑う。

そして。

 

「私たちも行こう!」

 

そう言って、一之瀬はプールサイドへ駆けていった。

 

「えっ、ほなみん!?」

 

長谷部が止める間もない。

一之瀬は、そのまま水際へしゃがみ込む。

 

ぱしゃっ。

 

天沢へ軽く水を飛ばした。

 

「わーっ!?ほなみん先輩まで参戦!?」

「ちょっとだけね?」

 

一之瀬が笑う。

その笑顔は、夕焼けの光で柔らかく染まっていた。

 

松下が小さく肩をすくめる。

 

「……なんか、もう入る流れだねこれ」

 

だがその声は少し楽しそうだった。

櫛田も笑っている。

 

「長谷部さん、どうする?」

 

長谷部は少しだけ止まる。

目の前では。

 

天沢が無邪気に笑っている。

七瀬が水を避けながら笑っている。

一之瀬が楽しそうに手を叩いている。

松下が苦笑しながら近付いていく。

櫛田も髪を押さえながら笑っている。

 

みんな水着だった。

 

でも誰も見せようとしていなかった。

 

ただ、思いっきり楽しんでいた。

その空気が、長谷部の胸へ静かに入ってくる。

 

昔の自分なら、こういう場所では、ずっと身体を隠していた。

 

視線ばかり気にしていた。

でも今、この場所にあるのは、そんな空気じゃない。

 

その時。

 

「はるかセンパーイ!!」

 

天沢が両手で水を掬う。

嫌な予感。

 

「待っ――」

 

ぱしゃあっ!!

 

「ひゃっ!?」

 

冷たい水が長谷部へ飛んでくる。

長谷部が思わず肩を震わせた。

 

その瞬間、プールサイドに笑い声が広がった。

 

「天沢さん!」

 

七瀬が止めようとする。

だが天沢は止まらない。

 

「はるかセンパイもこっちこっちー!」

 

一之瀬も笑いながら手を振る。

 

「波瑠加ちゃんも来なよ!」

 

松下も笑っていた。

櫛田は少し照れながら言う。

 

「ほら、長谷部さんだけ逃げるのずるい」

 

長谷部は少しだけ固まる。

 

それから、ふっと笑った。

 

「……もー、知らないからね!!」

 

長谷部も勢いよく水際へ駆ける。

 

ぱしゃっ!!

 

今度は長谷部が天沢へ水を飛ばした。

 

「うわっ!?やったなー!?」

「先にやったのそっちでしょ!」

 

笑い声。

水音。

夕焼け。

揺れる水面。

 

プールサイドには、もう撮影の空気はほとんど残っていなかった。

 

そこにあるのはただ、高校生たちの放課後だった。

三宅は少し離れた場所で、その光景を見ていた。

 

カメラを構える。

水を掛け合う女子たち。

夕陽に照らされる笑顔。

 

長谷部波瑠加。

 

以前は、視線から逃げていた少女。

 

その彼女が今。

 

思い切り笑っている。

 

身体を隠さず。

 

周囲を怖がらず。

 

ちゃんと、この場所にいる。

 

三宅は静かにシャッターを切った。

 

カシャ。

 

その写真には。

 

夕焼けのプールサイドで笑う、青春そのものみたいな時間が映っていた。

 

三宅は画面を見ながら、小さく笑う。

 

「……今の、めちゃくちゃ良かった」

 

撮られたことに気がついた長谷部は恐る恐る近付く。

 

画面を見る。

そこには夕方のプールサイドで。

少しだけ緊張しながら。

でも、ちゃんと前を向いて立っている自分が映っていた。

 

完璧じゃない。

自信満々でもない。

 

でも逃げていなかった。

 

長谷部は、その写真をしばらく見つめる。

 

その時、松下が静かに言った。

 

「波瑠加、前より自分の身体を嫌ってる感じ減ったね」

 

長谷部は少しだけ止まる。

その言葉が、静かに胸へ落ちる。

 

嫌いじゃなくなったわけじゃない。

 

でも前ほど敵じゃなくなっている。

 

走れる身体。

笑える身体。

誰かと並んで立てる身体。

 

そう思える瞬間が、少しずつ増えている。

 

夕焼けが、水面へ映る。

 

風が吹く。

水が揺れる。

 

長谷部は静かに空を見る。

 

そして、小さく思った。

 

――愛里。

 

私、ちょっとだけ分かってきたかもしれない。

 

見られるって。

 

怖いだけじゃないんだね。

 

 

7月の終わり。

高度育成高等学校には、夏休み特有の空気が流れていた。

 

窓を開ければ蒸し暑い風が入る。

蝉はまだ鳴いていない。

けれど、夏の日差しは確実に勢いを増していた。

 

そんな放課後。

第三準備室――グラビアアイドル部の部室では、珍しく静かな時間が流れていた。

 

一之瀬帆波は雑誌を閉じる。

松下千秋は机へ頬杖をつきながら窓の外を見ていた。

櫛田桔梗は携帯端末を弄っている。

三宅明人はカメラデータを整理していた。

幸村輝彦はノートへ活動記録を書いている。

星之宮知恵だけがソファでだらけていた。

 

そして。

 

長谷部波瑠加は、一人だけ少し落ち着かなかった。

理由は簡単だった。

 

携帯画面に表示されている名前。

 

『雫 新写真集発売記念イベント決定』

 

長谷部は、その文字を見つめる。

 

都内。

イベント。

本来なら行ける距離。

 

長谷部は小さく息を吐く。

胸の奥が、少しだけざわつく。

 

「波瑠加ちゃん?」

 

一之瀬が優しく声をかける。

長谷部は反射的に携帯を伏せた。

だが最近は、もうそこまで隠す必要もない気がしていた。

長谷部は少しだけ苦笑する。

 

「……愛里」

 

その瞬間。

部室の空気が少し静かになる。

櫛田も顔を上げた。

長谷部は携帯画面を見せる。

 

写真集イベントの告知。

 

そこに写っている雫は、以前よりずっと大人っぽかった。

 

柔らかい笑顔。

落ち着いた視線。

でも長谷部には分かる。

 

その奥に、昔の愛里もちゃんと残っている。

 

一之瀬が小さく笑う。

 

「すごいね」

 

松下も静かに頷く。

 

「完全にプロって感じ」

 

長谷部は少しだけ目を細める。

 

最初はこういう写真を見るたび苦しかった。

置いていかれた気がした。

愛里だけが前へ進んで、自分は止まっているように思えた。

 

でも今は違う。

 

遠い。

 

でも別世界ではなくなっていた。

 

その時だった。

 

「会いに行きたい?」

 

櫛田が静かに聞く。

長谷部は少し止まる。

 

その質問は、思っていたより真っ直ぐ胸へ入ってきた。

 

会いたい。

 

もちろん会いたい。

 

でも怖い。

 

もし、変わりすぎていたら。

 

もし、自分だけ昔のままだったら。

 

もし、親友だった頃へ戻れなかったら。

 

長谷部は小さく視線を落とす。

 

「……分かんない」

 

その声は、少しだけ弱かった。

 

部室が静かになる。

 

でも、自分たちは高育の生徒だ。

 

簡単には外へ出られない。

その現実が、妙に歯痒かった。

長谷部は小さく息を吐く。

 

「……会いに行けないんだよね、まだ」

 

その声は、少しだけ寂しそうだった。

部室が静かになる。

 

その沈黙を破ったのは、三宅だった。

 

「じゃあ、卒業したら会いに行けばいいじゃないか」

 

長谷部が顔を上げる。

三宅は普通に言った。

 

「分かんないなら、直接見ればいいだろ」

 

長谷部は少しだけ目を瞬かせる。

 

三宅は続けた。

 

「俺もさ、最近ちょっと思うんだよ」

 

カメラを机へ置く。

 

「佐倉って、今どういう顔で笑うんだろうなって」

 

その言葉に、長谷部の胸が少しだけ揺れる。

 

三宅も。

幸村も。

 

ずっと愛里を忘れていなかった。

その当たり前の事実が、妙に温かかった。

 

幸村も静かに言う。

 

「俺も興味はある」

「ゆきむーの言い方、研究対象みたいなんだけど」

 

長谷部が少し笑う。

 

だがその笑いは、少しだけ救われたみたいだった。

 

長谷部は少し顔を上げる。

 

卒業。

 

その言葉が、以前よりずっと現実味を持って胸へ入ってくる。

 

三年生。

あと一年もしない。

この学校を出れば。

自由に会いに行ける。

自由に写真を撮れる。

 

自由に、愛里のいる世界へ近付ける。

 

その時だった。

三宅がニッと笑ってと言った。

 

「決まりだな」

 

全員が顔を向ける。

三宅は少し照れ臭そうに笑った。

 

「卒業したら、みんなで会いに行く」

 

長谷部が少し止まる。

幸村も静かに頷いた。

 

「それは悪くない案だな」

 

長谷部の胸が、少しだけ熱くなる。

 

卒業後。

新幹線。

知らない街。

 

そして、その先にいる愛里。

 

その景色を想像した瞬間。

 

初めて、卒業後の未来が少しだけ楽しみになった。

 

その時だった。

 

「……なんかさ」

 

長谷部が小さく笑う。

 

「こうやって愛里の話するの、久しぶりかも」

 

部室が少し静かになる。

 

でもその空気は重くなかった。

 

以前なら、佐倉愛里の名前を出すだけで、胸が苦しくなっていた。

 

退学。

後悔。

綾小路や堀北への怒り。

全部が混ざっていたから。

 

でも今は違う。

思い出として話せるくらいには、時間が流れていた。

 

三宅が少し笑う。

 

「愛里って、意外と頑張り屋だったよな」

 

長谷部が顔を上げる。

三宅は懐かしそうに続けた。

 

「最初めちゃくちゃ大人しかったのに、カメラ持つとテンション上がってたし」

「あー……分かる」

 

長谷部も自然に笑っていた。

 

佐倉愛里。

 

内気で、人見知りで。

ちょっとおどおどしていて。

 

でもカメラの話になると、急に夢中になっていた。

 

「よく撮ってたよね」

 

長谷部がぽつりと言う。

 

「寮の前とか、ケヤキモールとか、くだらない写真いっぱい」

 

三宅が吹き出す。

 

「覚えてる。変なポーズ大会みたいになってたやつ」

「みやっちが急に変顔始めたんでしょ」

「いや長谷部もやってた」

「愛里、笑いながら撮ってたよねぇ……」

 

その瞬間。

長谷部の脳裏へ、昔の光景が浮かぶ。

 

携帯を両手で持ちながら、少し照れた顔で笑う愛里。

 

『も、もう一枚いい?』

 

そんな声。

夕方のケヤキモール。

なんでもない放課後。

その記憶が、胸へじんわり広がる。

 

幸村も静かに口を開いた。

 

「伊達メガネ、意外と似合っていたな」

 

長谷部が思わず吹き出す。

 

「あったねそれ!」

 

三宅も笑う。

 

「佐倉、絶対視力いいのに雰囲気で掛けてたやつな」

「でも本人めちゃくちゃ気に入ってたよね」

 

『ど、どうかな……変じゃない?』

 

少し不安そうに聞いてきた愛里。

 

でも実際かなり似合っていた。

長谷部は小さく笑う。

 

「愛里は内気だからよく自分を隠してた」

「分かる」

 

三宅が頷く。

 

「まるで少し前の自分みたいでね」

 

長谷部は少しだけ目を細めた。

 

でもそういう不器用さ込みで、愛里だった。

 

その時。

 

「文化祭も、ちょっと見てみたかったかも」

 

一之瀬が優しく言う。

長谷部が顔を向ける。

一之瀬は少し困ったように笑った。

 

「メイド喫茶、佐倉さんいたら絶対可愛かったよね」

 

長谷部は少し止まる。

 

文化祭。

 

もし、愛里が退学していなかったら。

 

きっと一緒に準備していた。

 

写真を撮って。

 

騒いで。

 

メイド服で恥ずかしそうに笑っていたはずだ。

 

長谷部は小さく息を吐く。

 

「……やりたかったなぁ」

 

ぽつりと漏れる。

 

「みんなで」

 

その声は少しだけ寂しかった。

 

でも前みたいな痛みだけじゃなかった。

 

松下が静かに言った。

 

「私はそんなに深く話したことあるわけじゃないけど」

 

長谷部たちが顔を向ける。

松下は少し懐かしそうに笑った。

 

「たまに話した時、すごく小動物っぽかったの覚えてる」

 

一之瀬も頷く。

 

「分かる。なんか、びっくりするとすぐ顔に出るんだよね」

 

櫛田も少し笑った。

 

「あと、褒めるとすぐ真っ赤になってた」

 

長谷部が吹き出す。

 

「なるなる!」

 

部室に笑い声が広がる。

長谷部は、その空気を静かに感じていた。

 

みんなちゃんと愛里を覚えている。

 

特別深い関係じゃなくても。

 

少し話しただけでも。

 

笑った顔を。

 

照れた顔を。

 

ちゃんと覚えている。

 

その事実が、妙に嬉しかった。

 

その時だった。

 

櫛田が、ふっと柔らかい声で言う。

 

「でもさ」

 

部室が少し静かになる。

櫛田は長谷部を見る。

 

「今の長谷部さん見たら、佐倉さんびっくりすると思う」

 

長谷部が目を瞬かせる。

 

「え?」

 

櫛田は少し笑った。

 

「だって最初、写真撮られるだけで逃げそうだったじゃん」

「うっ……」

「それが今、普通に外撮影してるし」

 

一之瀬も優しく頷く。

 

「うん。ほんと変わったと思う」

 

松下も静かに笑った。

 

「最近の長谷部さん、前よりずっと自然だしね」

 

長谷部は少しだけ黙る。

 

それから。

 

小さく笑った。

 

「……だったらいいな」

 

もし今の自分を、愛里が見たら。

 

どう思うだろう。

 

笑ってくれるだろうか。

 

驚くだろうか。

 

少しは成長したって思ってくれるだろうか。

 

長谷部は机の上の写真を見る。

 

そこには。

 

夕焼けの帰り道で笑う自分たちが映っていた。

 

青春みたいな時間。

 

少しずつ積み重ねてきた場所。

 

長谷部は静かに息を吐く。

 

そして。

 

小さく呟いた。

 

「……早く会いたいなぁ」

 

その声は最初の頃よりずっと、前を向いていた。

 

その日の活動後。

長谷部は一人で廊下を歩いていた。

 

夕方の校舎。

窓の外は少し赤い。

長谷部は携帯を開く。

 

雫の写真。

 

少し大人っぽい笑顔。

 

昔より綺麗になった。

 

でも長谷部には分かる。

 

愛里は、たぶん今でも少し緊張しながら笑っている。

 

最初から完璧だったわけじゃない。

 

きっと、何度も悩んで。

 

何度も怖がって。

 

それでも前へ進んできた。

 

長谷部は小さく息を吐く。

 

その時だった。

 

「長谷部」

 

後ろから声。

振り向く。

 

綾小路清隆だった。

 

夕陽が廊下を赤く染めている。

長谷部は少しだけ驚く。

最近、偶然会うことが増えていた。

 

いや偶然というより。

お互い、前より逃げなくなったのかもしれない。

 

綾小路は長谷部の携帯画面を見る。

 

そこに映る雫。

 

綾小路は少しだけ目を細めた。

 

「イベントか」

 

長谷部は小さく頷く。

 

「うん」

 

沈黙。

 

昔なら長谷部はもっと感情的になっていた。

 

でも今は違う。

 

静かな空気のまま、綾小路へ聞く。

 

「……きよぽんはさ」

 

綾小路が顔を向ける。

長谷部は少し迷う。

それから言った。

 

「愛里に会いたいって思う?」

 

夕方の風が、静かな廊下を抜ける。

綾小路は少しだけ考える。

 

そして。

 

「会いたくないわけじゃない」

 

そう答えた。

 

長谷部は少しだけ目を伏せる。

その答えが、綾小路らしかった。

 

遠回しで。

でも嘘じゃない。

 

長谷部は小さく笑う。

 

「素直じゃないよねぇ、ほんと」

「お前に言われたくない」

 

長谷部が吹き出す。

 

その瞬間。

ふと気付く。

昔みたいに。

普通に話している。

怒鳴ってもいない。

泣いてもいない。

 

ただ夕方の廊下で、普通に会話している。

 

それが少し不思議だった。

 

長谷部は窓の外を見る。

 

夕焼け。

夏の空。

 

そして少しずつ変わっていく自分。

 

「……会いに行こうかな」

 

ぽつりと呟く。

綾小路は何も言わない。

 

でも否定もしなかった。

 

長谷部は携帯画面を見る。

 

雫。

 

佐倉愛里。

 

親友。

妹みたいな存在。

 

そして自分が、この部活を始める理由になった人。

 

長谷部は、小さく息を吐く。

 

怖い。

でも今なら少しだけ。

 

ちゃんと会える気がしていた。




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