佐倉愛里が見ていた世界   作:EXTERMINATION

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第4話 居場所

第三準備室の扉を開けた瞬間、長谷部波瑠加は思わず立ち止まった。

 

「……なにこれ」

 

部室の中が、昨日までと少し違っていた。

 

窓際には折り畳み式のレフ板。

壁際には三宅のカメラバッグ。

机の上には幸村が整理したファイル。

その横には一之瀬と松下が持ってきた雑誌。

そして黒板には、やたら丸っこい文字でこう書かれていた。

 

『グラビアアイドル部・本日の活動!』

 

その横に、星のマークとハートのマークまで描かれている。

 

犯人は考えるまでもなかった。

 

「ほしみー……」

 

長谷部が呆れた声を出すと、

教卓の椅子に座っていた星之宮知恵が得意げに振り返った。

 

「どう?部活っぽいでしょ?」

「教師が一番浮かれてるんだけど」

「青春は楽しまないと損よ?」

「それ、先生が言う台詞?」

 

星之宮はまったく悪びれない。

その横で、幸村が黒板を見ながら眉間にしわを寄せていた。

 

「活動予定を書くのは構わないが、装飾が多すぎる」

「ゆきむー、そこ気にする?」

「情報は簡潔に提示するべきだ」

「部活の黒板にまで合理性求めなくていいと思う」

 

長谷部が苦笑すると、三宅明人がカメラのレンズを磨きながら笑った。

 

「まあ、前より部室っぽくなったじゃないか」

 

その言葉に、長谷部は部屋を見回す。

 

確かにそうだった。

最初はただの空き教室だった。

寒くて、埃っぽくて、何もなくて。

そこに自分たちが集まる理由なんて、本当にあるのか分からなかった。

 

でも今は違う。

 

まだ仮部室。

まだ仮の部活。

 

それでも、この場所には少しずつ自分たちの空気が生まれていた。

 

「お疲れ様」

 

柔らかい声がして、長谷部が振り返る。

 

一之瀬が扉の前に立っていた。

少し遅れて、松下も顔を出す。

 

「今日はまた賑やかだね」

 

松下が黒板を見て笑う。

一之瀬も小さく笑った。

 

「星之宮先生らしいですね」

「ほら、帆波ちゃんは分かってくれる!」

 

星之宮が嬉しそうに言う。

長谷部は少しだけ肩をすくめた。

 

「ほなみんは優しいから合わせてくれてるだけだと思う」

「そんなことないよ」

 

一之瀬は困ったように笑う。

その自然なやり取りに、長谷部は少しだけ胸が温かくなる。

 

一之瀬は別クラスだ。

松下も、元々そこまで深く関わっていたわけではない。

櫛田にいたっては、まだ距離感が曖昧なままだ。

それなのに、こうして放課後になると集まってくる。

そのことが少し不思議で、少し嬉しかった。

 

そして最後に、もう一人。

 

「遅れてごめんね」

 

櫛田が部室へ入ってきた。

長谷部の身体が、ほんの少しだけ反応する。

昨日よりはましだった。

でも、まだ自然には振る舞えない。

 

「……櫛田」

 

口から出たのは、やはり名字だった。

 

櫛田は一瞬だけその呼び方を受け止めるように微笑み、

それからいつもの明るい声で言った。

 

「今日もよろしくね」

 

その声を聞いて、長谷部は小さく頷く。

 

「うん」

 

たったそれだけ。

けれど、昨日よりは少しだけ自然に返せた気がした。

全員が揃うと、幸村がノートを開いた。

 

「では、今日の活動内容を確認する」

「ゆきむーが完全に副部長みたいになってる」

 

長谷部が言うと、幸村は眼鏡を押し上げる。

 

「波瑠加が部長らしい仕事をしないからだ」

「痛いところ突かないで」

 

三宅が笑う。

 

「じゃあ役職決めるか?」

「え、今?」

 

長谷部が驚くと、松下が頷いた。

 

「でも必要かもね。何となく集まってるだけだと、続ける時に困るだろうし」

 

一之瀬も言う。

 

「役割があると動きやすいと思う」

 

星之宮が手を叩いた。

 

「いいじゃない!部活っぽい!」

 

長谷部は少し嫌な予感がした。

こういう流れになると、自分に負担が来る。

案の定、幸村が淡々と言った。

 

「部長は長谷部で確定だ」

「え、まだ言う?」

「言い出したのはお前だ」

「それはそうだけど……」

「責任を取れ」

「言い方が重い」

 

長谷部は顔をしかめたが、誰も反対しなかった。

むしろ全員が自然に受け入れている。

三宅が軽く手を挙げた。

 

「俺はカメラ担当でいいだろ」

「うん。みやっちはそれしかない」

「それしかないって何だよ」

 

幸村が続ける。

 

「俺は記録、機材管理、照明補助、活動計画を担当する」

「多くない?」

「誰かがやらないと回らない」

「ゆきむー頼もしすぎる……」

 

長谷部が本気で感心すると、幸村は少しだけ気まずそうに視線を逸らした。

 

「別に大したことじゃない」

 

松下が微笑む。

 

「私はポージングとか見せ方の相談役、でいいかな?」

「まっちゃん、それめちゃくちゃ助かる」

 

長谷部は素直に言った。

松下は自然に見える。

 

でも、その自然さが努力で作られていることを、長谷部は少しずつ知り始めていた。

 

だからこそ、松下の言葉には説得力がある。

 

一之瀬は少し考えてから言った。

 

「私は……空気係?」

「なにそれ」

 

長谷部が笑う。

一之瀬も笑った。

 

「でも、みんなが緊張しすぎないようにできたらいいなって」

 

その言葉に、長谷部は少し納得する。

一之瀬がいると、部室の空気が柔らかくなる。

 

それは確かだった。

櫛田は軽く手を上げた。

 

「じゃあ私は表情作りとか、雰囲気作りかな」

 

その言葉に、長谷部の胸が少し動く。

櫛田は見せ方が上手い。

自然に見せることも、明るく振る舞うことも、場を整えることもできる。

それは長谷部にとって、まだ少し眩しくて、少し苦いものだった。

けれど同時に、この部活には必要な力だと思った。

 

長谷部は少しだけ息を吸う。

 

「……助かる」

 

短い言葉だった。

でも、嘘ではなかった。

櫛田は少しだけ驚いたように瞬きをして、それから柔らかく笑った。

 

「うん。任せて」

 

星之宮は胸を張る。

 

「そして私は顧問兼、特別モデル兼、青春監督ね!」

「最後の何?」

 

幸村が即座に突っ込む。

 

「青春を監督するの!」

「意味が分かりません」

「ゆきむー、そこ真面目に受け取らなくていいよ」

 

部室に笑いが起きる。

長谷部はその笑いの中心にいながら、ふと不思議な感覚を覚えていた。

 

自分が作った部活。

自分が言い出した場所。

でも、もう自分一人のものではない。

みんなが役割を持っている。

みんなが少しずつ、この場所へ自分の何かを置き始めている。

 

それが、少しだけ怖くて。

でも、嬉しかった。

 

「じゃあ今日は、役割確認も兼ねて簡単な撮影練習をする」

 

幸村が言った。

長谷部は少し身構える。

 

「また撮影?」

「練習だ。今回は撮られることが主目的ではない。

撮る側、整える側、見せる側、それぞれの役割を確認する」

「言い方は固いけど、内容は分かりやすいね」

 

松下が笑う。

今回のテーマは「机に向かう放課後」になった。

 

派手なポーズはいらない。

誰かを待つでもない。

ただ、放課後の部室で過ごしている雰囲気を撮る。

 

最初はやっぱり一之瀬。

机に座って雑誌を読んでいるだけ。

それなのに、一之瀬がそこにいるだけで写真全体が柔らかくなる。

長谷部は横で見ながら、少し感心した。

 

「ほなみんって、何もしなくても雰囲気出るよね」

「そんなことないよ」

 

一之瀬は照れたように笑う。

櫛田がその様子を見ながら言った。

 

「一之瀬さんは、安心感があるんだと思う」

「安心感?」

 

長谷部が聞き返す。

櫛田は頷く。

 

「見てる人に警戒させない雰囲気っていうか」

 

その分析は的確だった。

長谷部は少しだけ驚く。

櫛田は、人を見るのが上手い。

 

それは知っていた。

 

でも、こうして部活の中で聞くと、その力がただ怖いものではないようにも思えた。

 

次は松下。

机に肘をつき、少し横を向く。

ただそれだけなのに、写真の印象が一気に大人っぽくなる。

三宅がシャッターを切りながら感心する。

 

「まっちゃんは角度分かってるよな」

「何となくだよ」

 

松下はそう言うが、たぶん本当に何となくではない。

 

自分がどう見えるか。

どうすれば落ち着いて見えるか。

松下はそれを知っている。

 

長谷部は思った。

自分もいつか、そうなれるのだろうか。

 

次は櫛田。

 

櫛田は椅子へ座り、机の上のペンを指先で軽く転がす。

視線を落とす。

それから、ふと顔を上げる。

 

その瞬間、三宅がシャッターを切った。

写真を確認した瞬間、部室の空気が少し変わる。

 

やはり上手い。

自然に見える。

 

けれど、作っていることも分かる。

長谷部はその写真を見て、複雑な気持ちになった。

 

羨ましい。

悔しい。

でも、綺麗だとも思う。

櫛田は画面を見ながら少しだけ苦笑した。

 

「私、ちょっと作りすぎかも」

 

その言葉に、長谷部は思わず顔を上げた。

櫛田が自分でそれを言うとは思わなかった。

 

「分かるの?」

 

長谷部が尋ねると、櫛田は小さく笑った。

 

「分かるよ。自分の顔だもん」

 

その声は、いつもの明るさより少しだけ低かった。

 

長谷部は何も言えなかった。

櫛田にも、自分の顔を見て苦しくなる瞬間があるのかもしれない。

そう思うと、少しだけ櫛田が遠くなくなった気がした。

 

そして最後は長谷部だった。

逃げたいほどではない。

でも、やはり緊張はする。

 

椅子へ座る。

机の上には雑誌。

窓の外は冬の夕方。

三宅がカメラを構える。

幸村が照明を少し調整する。

 

松下が言う。

 

「背中、少しだけ伸ばしてみて」

 

長谷部は従う。

一之瀬が柔らかく言う。

 

「無理に笑わなくていいよ」

 

櫛田が少し考えてから言った。

 

「目線は、カメラじゃなくて雑誌の方が自然かも」

 

長谷部は雑誌へ視線を落とす。

全員が自分を見ている。

でも、不思議と嫌な視線ではなかった。

 

評価するための視線ではない。

値踏みする視線でもない。

 

自分をどう映せばいいか、一緒に考えてくれている視線だった。

 

カシャ。

シャッター音。

 

長谷部は少しだけ息を止める。

 

カシャ。

もう一枚。

 

三宅が言う。

 

「いい。さっきより力抜けてる」

「ほんと?」

「ほんと」

 

撮影が終わり、画面を確認する。

そこには、机に向かう自分が映っていた。

 

派手ではない。

特別綺麗でもない。

 

けれど、前より自然だった。

 

長谷部は少しだけ黙る。

 

「……これ、嫌じゃない」

 

その言葉が、ぽろっと出た。

部室が少し静かになる。

 

一之瀬が嬉しそうに笑った。

松下も小さく頷く。

三宅は少し得意げだった。

幸村はノートに何かを書き込む。

櫛田は、静かに長谷部を見ていた。

星之宮が椅子を回しながら言う。

 

「いいじゃない。大進歩」

 

長谷部は少し恥ずかしくなった。

 

「大げさ」

「大げさじゃないわよ」

 

星之宮は珍しく、少し真面目な声で言った。

 

「嫌じゃないって思えたなら、それは大事なこと」

 

長谷部は画面の中の自分を見る。

昔なら、すぐ目を逸らしていた。

写真に写った自分を見るのが嫌だった。

 

身体の形。

表情の硬さ。

立ち方。

 

全部気になって、全部嫌になっていた。

 

でも今は違う。

嫌じゃない。

 

その感覚は、小さいけれど確かな変化だった。

 

部活が終わる頃、幸村が本日のまとめを読み上げた。

 

「役割分担は暫定的に決定。撮影時は、撮影者、照明、被写体、

補助、雰囲気作りの役割を意識する。今後はテーマごとの撮影練習を行う」

「ゆきむーのまとめ、毎回ちゃんとしてて助かる」

 

長谷部が言うと、幸村は少しだけ目を逸らした。

 

「必要なことをしているだけだ」

「そういうところ、ゆきむーっぽい」

 

三宅が笑う。

一之瀬と松下は雑誌を片付け、櫛田は黒板の文字を消していた。

星之宮はなぜかクッションを抱えている。

 

長谷部はその光景を見て、ふと思った。

 

ここは、もうただの空き教室ではない。

 

誰かが持ってきたものがある。

 

誰かが書いた文字がある。

 

誰かが笑った跡がある。

 

誰かが悩んだ空気がある。

 

そして、自分が少しだけ変わった証拠がある。

 

帰り際、櫛田が長谷部の隣へ来た。

 

「長谷部さん」

「なに?」

 

長谷部は少しだけ身構えた。

櫛田は柔らかく笑う。

 

「今日の写真、よかったと思う」

 

長谷部は少し黙る。

素直に受け取るのが、まだ難しい。

 

でも、拒絶するほどでもなかった。

 

「……ありがと」

 

櫛田は少しだけ嬉しそうにした。

 

それだけで会話は終わった。

昔みたいに戻ったわけじゃない。

キョーちゃんとは、まだ呼べない。

でも、名字で呼ぶ声の硬さは、昨日より少しだけ薄くなった気がした。

 

部室の鍵を閉めたあと、長谷部は廊下で立ち止まる。

 

冬の校舎は静かだった。

 

窓の外はもう暗い。

 

でも、胸の中は少しだけ温かかった。

 

携帯を開く。

 

今日撮った写真が送られてきていた。

 

机に向かう自分。

 

少し俯いている。

 

でも、逃げてはいない。

 

長谷部はその写真を見つめる。

 

それから、いつものように雫のSNSを開こうとして、指を止めた。

 

今日は、少しだけ後でいい。

 

そう思った。

 

佐倉愛里を忘れたわけではない。

 

むしろ、ずっと会いたい。

 

ずっと知りたい。

 

けれど今は、自分の場所も少しずつでき始めている。

 

そのことを、ちゃんと感じていたかった。

 

「……部長か」

 

長谷部は小さく呟く。

 

まだ慣れない。

 

まだ恥ずかしい。

 

でも。

 

少しだけ、悪くないと思った。




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