佐倉愛里が見ていた世界   作:EXTERMINATION

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第6話 きよぽん

三月の風は、冬の終わりと春の始まりが混ざっている。

 

冷たいのに、どこか柔らかい。

 

高度育成高等学校の校舎を吹き抜けるその風を感じながら、

長谷部波瑠加は特別棟へ続く渡り廊下を歩いていた。

 

手にはコンビニで買ったカフェオレ。

 

最近、放課後になると自然に第三準備室へ向かうようになっている自分へ、

未だに少し不思議な感覚があった。

 

グラビアアイドル部。

 

最初は勢いだった。

佐倉愛里が見ていた世界を知りたい。

 

ただ、それだけだった。

 

でも今は少し違う。

部室へ行けば誰かがいる。

 

一之瀬が笑っている。

松下が雑誌を読んでいる。

幸村が何かを分析している。

三宅がカメラをいじっている。

星之宮先生が騒いでいる。

 

そして最近は――櫛田もいる。

 

そこまで考えたところで、長谷部は少しだけ歩く速度を落とした。

 

櫛田桔梗。

 

最近、彼女と話す回数は増えていた。

 

でも。

 

まだ完全には戻れていない。

 

名字呼び。

ぎこちなさ。

ふとした沈黙。

その全部が残っている。

 

それでも、以前ほど息苦しくはなくなっていた。

 

第三準備室の扉を開ける。

 

「お疲れー」

 

三宅が最初に気付いた。

 

「お疲れ」

 

長谷部は部室へ入る。

今日は珍しく、一之瀬と松下より先に来ていたらしい。

幸村は黒板へ何かを書いている。

星之宮は椅子を回していた。

 

そして窓際には。

 

櫛田が一人で座っていた。

 

自然と、長谷部の視線が止まる。

櫛田は机へ頬杖をつきながら、窓の外をぼんやり見ていた。

いつもの笑顔がない。

誰かと話している時の柔らかい声もない。

ただ静かに、夕方の空を見ている。

 

長谷部は少しだけ違和感を覚えた。

 

「……櫛田さん?」

 

声をかけると、櫛田が振り向く。

 

そして一瞬だけ。

本当に一瞬だけ、驚いたような顔をした。

だがすぐに、いつもの笑顔へ戻る。

 

「お疲れ、長谷部さん」

 

その切り替わりが、長谷部には少し引っかかった。

 

作った笑顔。

そう思った。

今までなら、気付かなかったかもしれない。

でも最近は少しだけ分かる。

自然に見えるものが、必ずしも自然じゃないことを。

 

長谷部は自分の席へ座る。

 

その時。

三宅が突然言った。

 

「今日さ」

 

嫌な予感。

長谷部が顔を上げる。

三宅は普通の顔で続けた。

 

「表情の練習やろうぜ」

「は?」

「テーマは笑顔」

 

長谷部は思い切り顔をしかめた。

 

「一番難しいやつじゃん……」

 

星之宮が嬉しそうに乗ってくる。

 

「いいわねそれ!」

 

幸村も頷いた。

 

「実際、表情は課題だな」

「ゆきむーまで賛成なの」

「波瑠加、お前は笑顔が固い」

「直球すぎない?」

 

一之瀬と松下も少し遅れて部室へ入ってきた。

話を聞いた一之瀬が困ったように笑う。

 

「でも確かに、笑顔って難しいかも」

 

松下も頷く。

 

「写真だと特にね」

 

長谷部は小さくため息を吐いた。

 

笑顔。

それはこの部活を始めてから、ずっと避けてきたものだった。

 

自然に笑えない。

カメラを向けられると顔が固まる。

無理に笑おうとすると余計不自然になる。

 

そして。

 

長谷部は知っている。

 

櫛田が、その逆をできる人間だということを。

 

「じゃあ、まずは自由にやってみましょうか」

 

星之宮が手を叩く。

最初は一之瀬だった。

これはもう反則みたいなものだった。

一之瀬は笑うだけで空気が柔らかくなる。

 

無理がない。

自然。

 

三宅が普通に感心している。

 

「やっぱ強いなぁ……」

「強いって何?」

 

一之瀬が困って笑う。

その笑い方まで自然だった。

 

次は松下。

松下は笑顔を少し抑える。

柔らかいけれど落ち着いている。

大人っぽい笑顔。

 

長谷部は思わず見入ってしまう。

 

「まっちゃんって、ほんと雰囲気あるよね」

「そう見えるようにしてるのよ」

 

松下は自然に返した。

 

そして。

櫛田の番になった。

部室の空気が少しだけ静かになる。

櫛田は窓際へ立つ。

 

三宅がカメラを構える。

 

その瞬間だった。

空気が変わる。

 

櫛田が笑う。

 

それだけ。

 

本当に、それだけだった。

 

でも。

 

完璧だった。

 

柔らかさ。

親しみやすさ。

少しだけ照れた感じ。

全部が自然に見える。

 

三宅が思わず呟く。

 

「……すごいな」

 

シャッター音が続く。

 

カシャ。

カシャ。

 

櫛田は少し角度を変える。

 

目線をずらす。

また笑う。

全部が上手い。

 

長谷部はその光景を見ながら、胸の奥が少しざわつくのを感じていた。

 

羨ましい。

でも。

それだけじゃない。

 

あまりにも上手すぎる。

 

その感覚が、少しだけ苦しかった。

 

撮影が終わる。

三宅が画面を確認する。

 

「いや、マジで強いな……」

 

櫛田は笑う。

 

「そんなことないよ」

 

長谷部は、その笑顔を見つめる。

 

それから。

気付けば口が動いていた。

 

「……疲れないの?」

 

部室が静かになる。

櫛田が少しだけ目を瞬かせた。

 

長谷部は続ける。

 

「そうやって笑うの」

 

言ってから、自分でも少し驚いた。

もっと柔らかく聞くつもりだった。

でも、思ったより真っ直ぐ出てしまった。

 

櫛田は少しだけ黙る。

いつもの彼女なら、軽く笑って流したかもしれない。

 

でも今日は違った。

しばらく沈黙したあと。

 

櫛田は小さく笑った。

 

「……疲れるよ」

 

その声は、少しだけ静かだった。

 

長谷部は思わず顔を上げる。

櫛田は窓の外を見る。

夕焼けが横顔へ当たっていた。

 

「でも、慣れちゃったから」

 

誰も口を挟まない。

部室が静かになる。

櫛田は続けた。

 

「笑ってる方が楽なんだよね」

 

その言葉は、長谷部の胸へ静かに落ちた。

 

笑ってる方が楽。

たぶん、それは本音だった。

 

嫌われない。

空気が悪くならない。

安心される。

期待される。

だから笑う。

 

その積み重ねで、今の櫛田ができている。

 

長谷部は少しだけ、自分と似ていると思った。

 

自分もずっと隠してきた。

 

身体を。

感情を。

傷付いている部分を。

違うようで、少し似ている。

その感覚が、胸の奥を少し苦しくした。

 

その時。

星之宮が空気を少しだけ柔らかくするように言った。

 

「でも、作った笑顔が悪いわけじゃないと思うわよ」

 

全員が星之宮を見る。

星之宮は椅子へ座り直した。

 

「人って、誰だって多少はこう見られたいってあるもの」

「……まあ、それは」

 

長谷部も否定できない。

 

「だから、大事なのは嘘か本当かじゃなくて、

その笑顔に自分が潰されてないかだと思うのよね」

 

部室が静かになる。

櫛田は少しだけ目を伏せた。

 

長谷部は、その横顔を見る。

 

昔の自分ならきっと、ここまで考えなかった。

 

櫛田は裏表のある嫌なやつ。

そう割り切った方が楽だった。

 

でも今は違う。

この部活で、見せ方を考えるようになってから。

笑顔の裏にも理由があることを、少しずつ知ってしまった。

 

「じゃ、次は波瑠加だな」

 

三宅の声。

長谷部が顔をしかめる。

 

「流れ最悪なんだけど」

「いいからやれ」

 

長谷部は小さくため息を吐きながら窓際へ立つ。

 

笑顔。

一番苦手なもの。

 

三宅がカメラを構える。

 

「とりあえず笑ってみ」

「無茶言うなぁ……」

 

長谷部は困ったように口元を引きつらせる。

 

当然、不自然だった。

三宅が吹き出す。

 

「怖いって」

「うるさい!」

 

部室に笑いが起きる。

長谷部は顔を赤くした。

 

だが。

その時だった。

櫛田が静かに言った。

 

「長谷部さん」

 

長谷部がそちらを見る。

櫛田は少しだけ笑った。

 

今度は、作っていない笑顔だった。

 

「無理に笑わなくていいんじゃない?」

 

その言葉に、長谷部は少しだけ目を見開く。

櫛田は続ける。

 

「長谷部さんって、笑おうとすると頑張りすぎるから」

 

その指摘は、痛いくらい当たっていた。

 

長谷部は少し黙る。

それから。

小さく息を吐いた。

無理に笑わない。

そう思った瞬間。

肩の力が少し抜ける。

 

三宅がカメラを構え直す。

 

「そのまま」

 

長谷部は少しだけ困ったように笑った。

 

ほんの少し。

でも。

 

それは今までで一番自然だった。

 

カシャ。

シャッター音。

 

三宅が画面を見る。

それから、少し笑った。

 

「……今のいい」

 

長谷部は恐る恐る画面を覗き込む。

 

そこには、自分が映っていた。

 

完璧じゃない。

綺麗でもない。

 

でも。

ちゃんと笑っていた。

 

長谷部は少しだけ目を細める。

 

「……なんか、変な感じ」

「嫌じゃない?」

 

一之瀬が優しく聞く。

長谷部は少し考える。

それから、小さく頷いた。

 

「うん。嫌じゃない」

 

その言葉を聞きながら。

櫛田は静かに笑っていた。

 

今度は、作っていない笑顔のままで。

 

そして、その瞬間だった。

 

「……あ」

 

一之瀬が小さく声を漏らす。

松下も目を細めた。

三宅が、思わずというようにシャッターを切る。

 

カシャ。

 

長谷部と櫛田が同時に振り向く。

 

「え?」

「なに?」

 

だが。

 

画面を確認した三宅が、珍しく本気で感心した顔になる。

 

「……これ、めちゃくちゃいい」

「へ?」

 

長谷部が戸惑う。

一之瀬が勢いよく画面を覗き込んだ。

そして。

 

「可愛い……!」

 

思わずそんな声が漏れる。

長谷部が固まる。

 

「は!?!?」

 

松下も隣から覗き込み、小さく笑った。

 

「うわ、本当。すごく自然」

 

そこに映っていたのは。

困ったように笑う長谷部と、少しだけ力を抜いて笑っている櫛田。

 

どちらも、今までみたいに作った顔じゃなかった。

一瞬だけ見えた、本当に素の表情。

星之宮がテンション高く身を乗り出す。

 

「ちょっと待って、これすっごくいいわよ!」

「ほしみー声でかい!」

 

長谷部が真っ赤になる。

だが星之宮は止まらない。

 

「今までで一番青春してるじゃない!」

「青春って何!?」

「分かんないけど青春なの!」

 

幸村まで画面を覗き込み、少しだけ目を見開いた。

 

「……確かに、これは良いな」

「ゆきむーまで……」

 

長谷部は完全に居心地が悪そうだった。

 

だが。

その横で、松下がふっと笑う。

 

「啓誠くんも見惚れてたよ」

 

数秒。

空気停止。

幸村が固まる。

 

「……は?」

「さっきからすごい真面目に見てたじゃない」

「いや、それは構図と表情の変化を分析していただけで――」

「ふふっ、顔赤い」

「赤くない!」

 

珍しく幸村が本気で動揺していた。

三宅が吹き出す。

 

「啓誠、分かりやすすぎだろ」

「馬鹿を言うな、見惚れてなどいない!」

「言い方がもう怪しいんだけど」

 

部室に笑い声が広がる。

長谷部は顔を真っ赤にしながらも、もう一度画面を見る。

 

そこには、自分と櫛田が映っていた。

 

ぎこちなくて。

 

少し照れていて。

 

でも。

 

ちゃんと笑っている。

 

長谷部は、その写真からなかなか目を離せなかった。

 

 

三月の終わりが近付くにつれて、

高度育成高等学校の空気は少しずつ落ち着かなくなっていた。

 

二年生最後の特別試験。

進級。

クラス移動の噂。

卒業を控えた三年生たちの空気。

 

校舎全体に、変化の前触れみたいなものが漂っている。

 

そんな夕方。

第三準備室――グラビアアイドル部の仮部室では、珍しく撮影をしていなかった。

 

机の上には雑誌とノート。

窓際には柔らかい夕陽。

誰かが笑っているわけでもない。

でも、静かに落ち着く空気がある。

 

長谷部波瑠加は椅子へ座りながら、携帯画面を見つめていた。

 

そこには、雫の新しい投稿。

 

春物衣装の撮影らしい。

淡い色のカーディガン。

少し風に揺れる髪。

そして、以前よりずっと自然に見える笑顔。

 

長谷部はその写真を、しばらく無言で見ていた。

 

「また見てる」

 

隣から声が飛んでくる。

 

櫛田桔梗だった。

長谷部は反射的に携帯を伏せる。

 

「別にいいでしょ」

「いや、駄目とは言ってないけど」

 

櫛田は少し笑った。

以前なら、この空気だけで長谷部は少し身構えていた。

 

でも最近は違う。

まだ完全に元通りではない。

 

でも。

一緒に部室へいることが、前ほど苦しくなくなっていた。

 

その時。

 

コンコン。

扉が軽くノックされる。

 

「はーい」

 

星之宮知恵が返事をする。

 

扉が開く。

そこに立っていた人物を見た瞬間。

長谷部の身体が、一瞬だけ固まった。

 

綾小路清隆だった。

 

部室の空気が少し止まる。

 

三宅が軽く目を見開く。

幸村は静かに視線を向ける。

一之瀬と松下も空気の変化を感じ取っていた。

 

そして長谷部だけが、言葉を失っていた。

 

綾小路は部室を見回す。

 

黒板。

照明。

雑誌。

机。

 

それから、長谷部を見る。

 

「……部活やってるって聞いたから」

 

その声は、以前と何も変わらない。

だから逆に、長谷部の胸がざわついた。

 

「何しに来たの」

 

思ったより少し硬い声が出る。

綾小路は特に気にした様子もない。

 

「星之宮先生に頼まれた」

「私でーす」

 

星之宮が軽く手を挙げる。

 

「撮影機材運ぶ人足りなかったのよね」

「雑用!?」

 

長谷部が思わず突っ込む。

星之宮は悪びれない。

 

「だって便利そうじゃない?」

「否定できないのが腹立つ……」

 

三宅が吹き出す。

だが長谷部は笑えなかった。

 

綾小路が部室にいる。

それだけで、昔の空気が少しだけ蘇る。

 

綾小路グループ。

 

放課後。

くだらない会話。

佐倉愛里。

もう戻らない時間。

その全部が、胸の奥へ静かに刺さる。

 

綾小路はそんな空気を察しているのかいないのか、普通に荷物を机へ置いた。

 

「これでいいか」

「う、うん」

 

長谷部は変に緊張してしまう。

何を話せばいいのか分からない。

昔ならもっと自然だった。

 

きよぽん。

 

そう呼んで笑っていた頃が、本当にあったはずなのに。

 

今は、その名前が遠い。

 

星之宮が空気を変えるように手を叩く。

 

「はい!今日は春っぽい自然光撮影の練習ね!」

「急に進めるなぁ……」

 

長谷部が呟く。

だがその軽さに少し救われる。

深刻な空気のまま綾小路と向き合うのは、正直きつかった。

 

今日のテーマは放課後の自然な会話。

 

無理にポーズを取らない。

部室で普通に話している瞬間を切り取る。

 

三宅がカメラを構える。

幸村が窓の光を確認する。

松下と一之瀬が位置を調整している。

その中で、長谷部だけ少し落ち着かなかった。

 

視界の端に綾小路がいる。

それだけで、妙に意識してしまう。

 

「波瑠加ちゃん」

 

一之瀬が優しく声をかける。

 

「顔固いよ?」

「……分かってる」

 

長谷部は小さく息を吐く。

昔なら、綾小路がいるだけで安心できた。

 

でも今は違う。

怒り。

寂しさ。

未練。

 

全部が混ざっている。

その感情をどう扱えばいいのか、まだ分からない。

 

その時だった。

 

綾小路がふと机の上の雑誌を見る。

 

そこには、雫の特集ページが開かれていた。

 

ほんの一瞬。

綾小路の視線が止まる。

長谷部はその横顔を見て、胸がざわつく。

 

綾小路は何も言わない。

 

でも。

 

その沈黙が逆に苦しかった。

気付けば、長谷部の口が動いていた。

 

「……見ないの?」

 

綾小路が顔を上げる。

 

「何を」

「愛里のやつ」

 

部室が静かになる。

 

一之瀬も。

松下も。

櫛田も。

 

誰も口を挟まない。

 

綾小路は少しだけ雑誌を見る。

それから静かに言った。

 

「見てる」

 

その返答は、思ったより普通だった。

長谷部は少しだけ戸惑う。

 

もっと無関心だと思っていた。

もっと冷たいと思っていた。

 

でも違った。

 

長谷部は小さく唇を噛む。

 

「……そっか」

 

それ以上、何を言えばいいのか分からなかった。

 

その時。

 

三宅が空気を切り替えるように言う。

 

「じゃ、撮るぞー」

 

少しだけ部室の空気が動く。

一之瀬が長谷部の隣へ座る。

松下が反対側へ立つ。

櫛田が窓際で雑誌をめくる。

 

自然な部室風景。

 

三宅がシャッターを切る。

カシャ。

 

長谷部は少しだけ緊張していた。

綾小路が近くにいる。

それだけで、昔の感情が揺れる。

 

その時だった。

 

「長谷部」

 

不意に綾小路が声をかける。

長谷部が反射的に振り向く。

 

「……何」

 

綾小路は長谷部を見ていた。

 

それだけだった。

 

でも。

 

昔みたいに、何でもない顔で名前を呼ばれるだけで、胸が少し苦しくなる。

 

「肩、また上がってる」

 

長谷部は一瞬止まる。

 

その言葉。

最近、三宅にも何度も言われている。

 

でも。

 

昔も綾小路は、こういうことをよく見ていた。

 

自分では気付かない癖。

小さい変化。

そういうものを、当たり前みたいに見抜いていた。

 

長谷部は少しだけ目を逸らす。

 

「……うるさい」

 

でも。

 

その返事は、思ったより昔に近かった。

三宅がその瞬間を逃さなかった。

 

カシャ。

シャッター音。

 

長谷部が振り向く。

 

「え?」

 

三宅は画面を見ながら笑う。

 

「今の、めっちゃ自然」

 

長谷部は恐る恐る近付く。

 

画面を見る。

そこには、少し困ったような顔で綾小路を見る自分が映っていた。

 

ぎこちない。

でも。

 

今までの作った表情じゃない。

 

長谷部は少しだけ息を止める。

 

その時。

 

隣から、櫛田が小さく笑った。

 

「……その顔、久しぶりに見たかも」

 

長谷部がそちらを見る。

櫛田は柔らかい顔をしていた。

長谷部は少しだけ胸がざわつく。

 

久しぶり。

そうかもしれない。

こんな顔をしたのは。

 

昔みたいに自然に感情が出たのは。

 

その時だった。

 

綾小路が、ほんの少しだけ目を細めた。

 

そして。

 

「……きよぽん、って呼ばないんだな」

 

部室が静かになる。

長谷部の心臓が止まりそうになる。

 

完全に不意打ちだった。

 

一之瀬が小さく目を見開く。

松下は空気を読んで黙っている。

三宅は「うわ」と顔に書いてある。

幸村は視線を逸らした。

長谷部は言葉を失う。

 

きよぽん。

 

その名前。

 

もうずっと、口にしていない。

 

呼べなかった。

 

呼んだ瞬間、昔へ戻ってしまいそうで。

 

全部思い出してしまいそうで。

 

長谷部は少しだけ俯く。

 

それから、小さく言った。

 

「……呼べる空気じゃなくなったし」

 

綾小路は何も言わない。

 

でも。

 

否定もしなかった。

 

その沈黙が、少しだけ痛かった。

 

長谷部は小さく息を吐く。

 

そして。

 

気付けば、ほんの少しだけ笑っていた。

 

「……きよぽん」

 

その瞬間。

部室の空気が止まる。

 

長谷部自身が、一番驚いていた。

 

口から自然に出てしまった。

 

昔みたいに。

 

綾小路は少しだけ目を見開く。

 

それから。

 

本当に少しだけ。

 

口元を緩めた。

 

「久しぶりだな。その呼び方」

 

長谷部は顔が熱くなるのを感じた。

 

恥ずかしい。

 

気まずい。

 

でも。

 

嫌じゃなかった。

 

その時。

 

カシャ。

シャッター音。

 

三宅が完全にニヤけている。

 

「いや今の絶対保存だろ」

「みやっち消して!!」

「無理無理。めちゃくちゃいい顔してる」

 

長谷部が真っ赤になる。

 

部室に笑いが広がる。

 

その中で。

 

櫛田は静かに、その光景を見ていた。

 

少しだけ寂しそうに。

 

でも、どこか安心したみたいに笑いながら。




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