佐倉愛里が見ていた世界   作:EXTERMINATION

7 / 11
第7話 新しい春

三月の終わりは、いつもより少しだけ校舎が広く感じられた。

 

それは実際に人が減ったからではない。

卒業式を終えた三年生たちの気配が、学校のあちこちから薄くなっていたからだ。

 

廊下ですれ違う顔ぶれ。

掲示板の前で話す生徒たち。

ケヤキモールへ向かう人の流れ。

 

何もかもが昨日までと同じように見えるのに、どこか少しだけ空白がある。

長谷部波瑠加は、特別棟へ向かう渡り廊下を歩きながら、

その空白をぼんやり感じていた。

 

春休みが近い。

二年生が終わる。

そして、自分たちは三年生になる。

その事実が、今さらになって少し重くのしかかってきていた。

 

「……三年か」

 

小さく呟く。

その響きは、思っていたより現実味があった。

一年の頃は、卒業なんて遠い未来だった。

二年になっても、まだどこか他人事だった。

 

けれど今は違う。

卒業という言葉が、もうぼんやりした未来ではなくなっている。

 

近付いてくるものになっている。

 

そしてその先には、佐倉愛里がいる。

 

いや、いるのかもしれない。

 

会えるのかもしれない。

 

その可能性を考えるだけで、胸の奥が少しだけ落ち着かなくなった。

 

第三準備室の扉を開けると、すでに何人かが集まっていた。

三宅明人はカメラを机の上に置き、幸村輝彦はノートを開いて何かを書いている。

一之瀬帆波は窓際で雑誌を読んでいて、

松下千秋はその隣でページを覗き込んでいた。

櫛田桔梗は黒板の前に立ち、

星之宮知恵が書いたらしい妙に派手な文字を眺めている。

 

『春休み直前!グラビアアイドル部・活動反省会!』

「……またほしみーか」

 

長谷部が呟くと、星之宮が教卓の椅子からくるりと振り返った。

 

「反省会って大事でしょ?」

「字が浮かれすぎてて反省する気なさそう」

「そこがいいのよ」

「よくないと思う」

 

部室に小さな笑いが広がる。

その笑い声を聞いた瞬間、長谷部は少しだけ肩の力が抜けた。

 

この部屋へ来ると、そうなる。

最初は不安だった。

自分が作った部活なのに、自分が一番怖がっていた。

 

でも今は違う。

ここは、いつの間にか帰ってこられる場所になっていた。

 

三宅が顔を上げる。

 

「お、部長来た」

「部長って呼ばれるの、まだ慣れないんだけど」

「もう諦めろ」

 

幸村が淡々と言う。

 

「お前以外に適任はいない」

「それ褒めてる?」

「事実を述べている」

「ゆきむーらしいね……」

 

長谷部は苦笑しながら椅子へ座る。

机の上には、これまで撮った写真がいくつか並べられていた。

 

最初の記念写真。

窓際で緊張している自分。

机に向かう一之瀬。

落ち着いた横顔の松下。

自然に見えるように作られた櫛田の笑顔。

バスケ部体験後、汗で髪が少し乱れた集合写真。

茶道部で足のしびれに耐えきれず、微妙な顔をしている長谷部と櫛田。

 

そして、前回撮られた一枚。

 

綾小路清隆を見て、少し困ったように笑う自分。

 

その写真を見た瞬間、長谷部は反射的に顔を赤くした。

 

「みやっち、それまだ残してたの?」

「そりゃ残すだろ。いい写真だし」

「消してって言ったじゃん」

「却下」

「部長命令」

「カメラマン権限で拒否」

「なんなのその権限」

 

三宅は笑っている。

長谷部は不満そうに頬を膨らませたが、本気で怒る気にはなれなかった。

 

あの写真は恥ずかしい。

 

でも、嫌ではない。

 

そのことに、自分でも少し驚いている。

 

櫛田がその写真を見て、小さく笑った。

 

「いい顔してるよね」

 

長谷部は少しだけ視線を逸らす。

 

「……そう?」

「うん。すごく自然」

 

櫛田の声は穏やかだった。

以前なら、素直に受け取れなかったかもしれない。

でも今は、少しだけ違う。

 

「ありがと」

 

短く返す。

 

櫛田はほんの少しだけ嬉しそうにした。

その表情を見て、長谷部はまた少し胸の奥が温かくなる。

 

完全に戻ったわけではない。

 

まだキョーちゃんとは呼べない。

 

けれど、前より近い。

 

それだけは確かだった。

 

幸村が咳払いをする。

 

「では、反省会を始める」

「本当に始めるんだ」

 

松下が笑う。

 

「活動内容の整理は必要だ。まず、二年三学期の活動を振り返る」

 

幸村はノートを見ながら淡々と読み上げた。

 

「仮部室の確保。撮影ルールの作成。初撮影。見せ方の研究。

役割分担。バスケ部体験。茶道部体験。綾小路の雑用参加」

「最後だけ雑じゃない?」

 

長谷部が突っ込む。

三宅が笑う。

 

「まあ雑用だったしな」

 

一之瀬は困ったように微笑んでいる。

松下は写真を見ながら言った。

 

「でも、こうして見ると結構色々やったのね」

「最初は何も分かんなかったのにね」

 

一之瀬が続ける。

長谷部は写真の一枚一枚を見つめる。

 

確かに、色々やった。

ただ部室に集まっていただけではない。

少しずつ、自分の身体と向き合った。

 

見られることを考えた。

 

見せることを考えた。

 

動くことも。

 

静かにいることも。

 

笑うことも。

 

その全部が、佐倉愛里のいる世界へ近づくためのものだったはずなのに。

いつの間にか、自分自身を知るための時間にもなっていた。

 

星之宮が頬杖をつきながら言う。

 

「で、波瑠加ちゃんはどう?」

「どうって?」

「始める前と今で、何か変わった?」

 

長谷部は少し黙る。

すぐには答えられなかった。

 

変わったか。

そう聞かれると困る。

劇的に変わったわけではない。

 

急に自分の身体が好きになったわけでもない。

カメラを向けられて平気になったわけでもない。

愛里への気持ちが整理できたわけでもない。

綾小路へのわだかまりが消えたわけでもない。

 

それでも。

長谷部は机の上の写真を見る。

そこには、少なくとも以前の自分なら絶対に残さなかった顔があった。

 

「……嫌じゃない写真が増えた」

 

ぽつりと答えた。

 

部室が少し静かになる。

長谷部は続ける。

 

「前は、自分が写ってる写真って、見るのも嫌だった」

 

誰も茶化さなかった。

 

「でも今は、全部じゃないけど……これは嫌じゃないって思えるのがある」

 

三宅が静かに頷く。

一之瀬が嬉しそうに微笑む。

松下は目を細めた。

櫛田も、静かに長谷部を見ていた。

星之宮は満足そうに笑う。

 

「それ、すごい変化よ」

「そうかな」

「そうよ」

 

星之宮の声は軽いのに、不思議と嘘っぽくなかった。

長谷部は少しだけ照れて、視線を落とした。

 

その時。

携帯が震えた。

 

長谷部のものだった。

 

画面を見る。

通知。

SNS。

 

雫の新規投稿。

 

いつものように開こうとして、指が止まる。

 

部室のみんながいる。

ここで開くのが少し恥ずかしい。

でも、隠すほどでもない気がした。

 

長谷部はそのまま画面を開いた。

 

そこには、春の街角で撮られた佐倉愛里――雫の写真があった。

 

柔らかい日差し。

 

薄い色の衣装。

 

少しだけ大人びた笑顔。

 

長谷部はしばらく見つめる。

 

そして、今までとは違うことに気付いた。

 

前なら、胸が苦しくなった。

 

置いていかれた気がした。

 

愛里は前へ進んでいるのに、自分だけ止まっているように感じた。

 

でも今は。

 

少し違う。

 

遠いとは思う。

 

眩しいとも思う。

 

でも、完全に別世界だとは思わなかった。

 

ほんの少しだけ。

本当にほんの少しだけ。

 

彼女がカメラの前で何をしているのか、以前より分かる気がした。

 

「……愛里、すごいね」

 

自然に言葉が漏れた。

櫛田が隣から画面を覗く。

 

「うん。すごいよね」

 

その声に、長谷部は少しだけ笑った。

 

「まだ全然追いつけないけど」

「追いつかなくてもいいんじゃない?」

 

一之瀬が言う。

長谷部は顔を上げる。

一之瀬は柔らかく続けた。

 

「長谷部さんは長谷部さんの進み方でいいと思う」

 

その言葉は、少し優しすぎる気もした。

でも今は、素直に受け取れた。

 

「……うん」

 

長谷部は小さく頷いた。

反省会の後、今後の活動について話し合うことになった。

 

幸村が黒板へ新しい項目を書く。

 

『三年進級後の活動案』

 

その文字を見た瞬間、空気が少し変わった。

 

三年。

 

もうすぐそこにある未来。

松下が手を挙げる。

 

「春になったら外で撮ってみたいね」

「外?」

 

長谷部が聞き返す。

 

「桜とか、校舎の外とか。自然光も綺麗になるし」

 

三宅が頷く。

 

「いいな。外撮影はやりたい」

 

長谷部は少しだけ不安になる。

 

外。

 

部室の中とは違う。

他の生徒がいる。

見られる可能性が増える。

 

それは少し怖い。

 

でも、以前ほど無理だとは思わなかった。

 

「……まあ、春ならいいかも」

 

自分でそう言ってから、少し驚いた。

星之宮が嬉しそうに笑う。

 

「いいじゃない!春の外撮影!」

 

幸村がすぐに現実的なことを言う。

 

「場所と時間、撮影許可、周囲への配慮が必要だな」

「ゆきむーがいると安心すぎる」

 

三宅が笑う。

櫛田も少し楽しそうに言った。

 

「春なら衣装も軽くできるね」

 

その言葉に、長谷部は少しだけ身構えた。

けれど櫛田はそれ以上踏み込まない。

ただ、自然に次の話題へ移る。

その距離感が少しありがたかった。

 

話し合いが終わる頃には、外はすっかり暗くなっていた。

部室の片付けを終え、長谷部は最後に鍵を閉める。

 

廊下には誰もいない。

 

冷たい空気。

 

でも、冬の冷たさではない。

 

春の前の、少し湿った夜の匂いがした。

 

「長谷部さん」

 

振り返ると、櫛田が立っていた。

 

他のみんなは少し先へ歩いている。

 

長谷部は足を止めた。

 

「なに?」

 

櫛田は少しだけ迷うように視線を下げる。

 

それから言った。

 

「最近、雫ちゃんの投稿見る時の顔、少し変わったね」

 

長谷部は少し驚く。

 

「そう?」

「うん。前は、もっと苦しそうだった」

 

その言葉に、長谷部は少しだけ黙った。

 

苦しそう。

 

たぶん、そうだったのだと思う。

 

愛里を応援しているつもりで、ずっと苦しかった。

 

自分だけ取り残された気がしていた。

 

「……今も、ちょっと苦しいよ」

 

長谷部は正直に言った。

 

「でも、前よりは……見てるだけじゃないって思える」

 

櫛田は静かに聞いている。

長谷部は続けた。

 

「私も、少しは進んでるのかなって」

 

言ってから、少し恥ずかしくなる。

でも櫛田は笑わなかった。

 

「進んでると思うよ」

 

その声は柔らかかった。

長谷部は櫛田を見る。

昔みたいに、何も考えずに笑い合えるわけじゃない。

でも今の二人には、今の二人の距離がある。

 

それも悪くないのかもしれない。

 

「……ありがと、櫛田さん」

 

言ってから、長谷部は少しだけ迷った。

喉の奥に、別の呼び方が引っかかる。

 

キョーちゃん。

 

でも、まだ出ない。

 

今日はまだ、そこまでではない。

 

櫛田もそれを分かっているように、ただ微笑んだ。

 

「うん」

 

それだけだった。

 

その夜、長谷部は寮の部屋で一人、携帯を眺めていた。

 

雫の投稿。

 

グラビアアイドル部の写真。

 

二つの画面を行き来する。

 

佐倉の写真は、やっぱり綺麗だった。

 

遠い世界にいるみたいだった。

 

でも、自分たちの写真も、もう完全に別物ではなかった。

 

不器用で。

 

拙くて。

 

まだまだだけど。

 

そこには確かに、前へ進もうとしている自分がいた。

 

長谷部は少しだけ迷ってから、自分たちの集合写真を開いた。

 

黒板の前で撮った最初の写真。

 

まだ全員ぎこちない。

 

でも、そのぎこちなさすら今は愛おしい。

 

長谷部はその写真を見ながら、小さく呟いた。

 

「愛里」

 

画面の中の佐倉は答えない。

 

でも、長谷部は続けた。

 

「いつか、ちゃんと会いに行くから」

 

その声は、以前より少しだけ強かった。

 

春は、もうすぐそこまで来ていた。

 

 

春休みが明けた高度育成高等学校は、二年生の頃とは少し違って見えた。

 

校舎は同じ。

教室も同じ。

ケヤキモールも同じ。

 

けれど。

 

自分たちを見る周囲の目が、少しだけ変わっている。

 

三年生。

 

その肩書きは、想像していたよりずっと重かった。

長谷部波瑠加は、小さく息を吐く。

周囲では、席替えの話で騒がしい声が飛び交っていた。

 

だが長谷部は、その中心には混ざらない。

視線は、教室の一角へ向いていた。

そこにはもう、綾小路清隆の席がない。

 

二年生の終わり。

 

彼は旧坂柳クラス――Cクラスへ移籍した。

 

分かっていた。

綾小路が、普通の生徒ではないことくらい。

でも実際にいなくなると、思っていた以上に空白が大きい。

 

視界のどこかにいるのが当たり前だった。

 

教室の後ろ。

窓際。

面倒くさそうな顔。

 

それが全部なくなると、妙に落ち着かなかった。

 

長谷部は無意識に視線を逸らす。

 

「……別に探してないし」

 

誰にも聞こえないくらい小さく呟く。

だが、その時。

 

「波瑠加ちゃん」

 

隣から一之瀬帆波の声がした。

長谷部が顔を上げる。

一之瀬は少しだけ困ったように笑っている。

 

「顔、ちょっと怖いよ?」

「え」

 

長谷部は反射的に頬を触った。

そんなに分かりやすかったのだろうか。

一之瀬は、それ以上深くは聞いてこなかった。

その距離感がありがたい。

 

「今日、部活あるよね?」

「うん。放課後」

「桜、結構咲いてたよ」

 

その言葉で、長谷部の意識が少し切り替わる。

 

そうだ。

 

今日はいよいよ、初めての屋外撮影だった。

 

春。

桜。

外。

 

今までずっと部室の中で撮ってきた。

 

窓際。

夕焼け。

机。

 

静かな空間。

 

でも今日からは違う。

外へ出る。

見られる場所へ出る。

 

その事実を思い出した瞬間、長谷部の胸が少しだけざわついた。

 

放課後。

グラビアアイドル部の面々は、中庭近くの桜並木へ集まっていた。

 

春の日差しは柔らかい。

風も穏やかだった。

校内の桜はちょうど見頃を迎えていて、薄い桃色が並木道を覆っている。

 

長谷部はその景色を見上げながら、小さく息を漏らした。

 

「……すご」

 

思わずそんな声が出る。

三宅明人はすでにカメラを構えていた。

幸村輝彦はレフ板を確認している。

松下千秋は髪を整え、一之瀬帆波は桜を見上げて柔らかく笑っていた。

櫛田桔梗は制服の襟を軽く直している。

星之宮知恵だけは妙にテンションが高かった。

 

「春!青春!桜!完璧ね!」

「ほしみーだけ修学旅行テンションなんだけど」

 

長谷部が呆れる。

 

だが、正直少し助かっていた。

外は緊張する。

誰かに見られる。

通り過ぎる生徒の視線。

遠くから聞こえる声。

全部が少し落ち着かない。

 

その不安を、星之宮の騒がしさが少しだけ薄めてくれていた。

 

「じゃあ今日は、春の放課後って感じで撮っていこう」

 

三宅が言う。

 

「自然に話してる感じでいい」

 

長谷部は小さく頷く。

 

だが。

やはり外だと身体が固くなる。

 

視線が気になる。

誰かが見ている気がする。

 

その時だった。

 

「長谷部さん」

 

櫛田が静かに隣へ来た。

長谷部が少し顔を向ける。

櫛田は桜を見上げながら、小さく言った。

 

「外、緊張する?」

 

図星だった。

 

長谷部は少しだけ視線を逸らす。

 

「……まあ」

 

櫛田は少し笑う。

 

「分かる」

 

長谷部は少し驚いた。

櫛田は、こういう場に慣れている側だと思っていた。

 

でも。

 

「人に見られるのって、慣れてても疲れるよ」

 

その言葉は、妙に静かだった。

長谷部は櫛田を見る。

櫛田はいつもの笑顔をしていない。

自然な顔だった。

 

「じゃあなんで平気そうなの」

 

長谷部が聞く。

櫛田は少しだけ考える。

それから。

 

「平気そうにしてるから」

 

そう答えた。

 

長谷部は少し黙る。

その答えが、櫛田らしくて。

でも少し切なかった。

 

その時。

 

「二人とも、いい感じ」

 

三宅の声。

カシャ。

 

突然シャッターが切られる。

長谷部が反射的に振り向く。

 

「えっ」

 

三宅は画面を見ながら笑っていた。

 

「今の自然だった」

 

櫛田も少し驚いている。

長谷部は恐る恐る画面を覗く。

そこには、桜を背景に並んで立つ自分たちが映っていた。

 

笑ってはいない。

ポーズも取っていない。

ただ話していただけ。

 

でも。

今までの写真より、ずっと柔らかかった。

 

松下が覗き込む。

 

「……いいね、これ」

 

一之瀬も頷く。

 

「うん。すごく自然」

 

長谷部は少しだけ目を細める。

 

自然。

 

その言葉を、この部活で何度聞いただろう。

 

最初は分からなかった。

でも今は少しだけ分かる。

自然って、何もしないことじゃない。

 

力を抜けることだ。

無理をしないことだ。

 

その感覚が、ほんの少しだけ身体へ馴染み始めていた。

 

その後、撮影は順調に進んだ。

一之瀬は桜の下で笑うだけで絵になる。

松下は春の柔らかい空気と相性が良かった。

櫛田は、外でもやはり上手かった。

 

そして長谷部自身も。

以前より、明らかに固まらなくなっていた。

 

「波瑠加」

 

三宅がカメラ越しに言う。

 

「そのまま歩いてみ」

「歩くだけ?」

「うん」

 

長谷部は少し不安になりながらも、桜並木をゆっくり歩く。

 

風が吹く。

桜の花びらが舞う。

 

その瞬間。

 

カシャ。

シャッター音。

 

長谷部は少し驚いて振り返る。

三宅が画面を見ながら笑った。

 

「今のいい」

「ほんと?」

「うん。前より全然自然」

 

その言葉を聞いて。

長谷部は少しだけ嬉しくなった。

 

自分でも分かる。

 

前より、身体が軽い。

前より、肩の力が抜けている。

 

その時だった。

遠くの校舎側から、何人かの女子生徒の声が聞こえた。

 

「あれグラビアアイドル部じゃない?」

「ほんとだ」

「普通に撮影してる……」

 

長谷部はふと気付く。

いつの間にか、自分たちの周囲には小さな人だかりができていた。

 

桜並木の端。

通りがかった生徒たちが、少し離れた場所からこちらを見ている。

 

10人ほど。

 

女子生徒もいる。

男子生徒もいる。

 

「なんか普通にすごくない?」

「一之瀬さんいる」

「松下さん綺麗……」

 

そんな声が風に混じって聞こえてくる。

 

以前の長谷部なら。

 

その瞬間、間違いなく身体を隠していた。

 

肩を縮めて。

猫背になって。

視線から逃げるように俯いていた。

 

でも今。

確かに少し緊張はしている。

 

胸の奥がざわつく。

視線を意識してしまう。

 

けれど、不思議と。

 

逃げたいとは思わなかった。

 

長谷部は少しだけ驚く。

 

自分でも信じられなかった。

 

見られている。

 

それなのに。

 

今、自分はちゃんと立っている。

 

その時。

風が吹いた。

桜の花びらが舞う。

 

一之瀬が隣で小さく笑う。

松下が髪を押さえる。

櫛田は自然に周囲へ軽く会釈した。

三宅はいつも通りカメラを構えている。

幸村は冷静に光を確認していた。

星之宮だけはなぜかギャラリーへ向かってピースしている。

 

「ほしみーやめて!」

 

長谷部が思わず叫ぶ。

 

周囲から小さな笑いが起きた。

その瞬間。

長谷部自身も、つられるように笑っていた。

 

カシャ。

シャッター音。

 

三宅が画面を見ながら、小さく笑う。

 

「……今の、かなりいい」

 

長谷部は少しだけ息を吐く。

 

昔の自分なら。

 

見られることは怖いだけだった。

 

でも今は違う。

 

隣に誰かがいる。

 

自分を笑わない人たちがいる。

 

一緒に考えてくれる人たちがいる。

 

だから。

 

ほんの少しだけ。

 

本当にほんの少しだけ。

 

見られることを怖いだけのものじゃないと思え始めていた。

 

撮影が終わる頃には、夕方の空気が少し冷えてるように感じた。

桜の花びらが地面へ散っている。

 

長谷部は最後にもう一度、並木道を見上げた。

 

春。

三年生。

新しい季節。

 

その全部が、まだ少し落ち着かない。

 

でも。

 

嫌ではなかった。

 

帰り支度をしている時。

幸村がカメラデータを確認しながら言った。

 

「今日の写真、全体的に良かったな」

 

三宅も頷く。

 

「特に波瑠加。外なのに固まってなかった」

 

長谷部は少し照れる。

 

「……まあ、ちょっとは慣れたし」

「いや、かなり変わったと思う」

 

松下が自然に言った。

一之瀬も嬉しそうに頷く。

 

「うん。最初の頃より全然自然」

 

櫛田が、その言葉へ静かに続けた。

 

「長谷部さん、最近ちゃんと笑えるようになったよね」

 

長谷部は少しだけ止まる。

 

笑えるようになった。

その言葉が、胸の奥へ静かに落ちる。

昔の自分なら、そんなこと絶対認めなかった。

 

でも今は。

少しだけ。

本当に少しだけ。

 

そうかもしれないと思えた。

 

長谷部は桜の木を見上げる。

 

花びらが風で揺れている。

 

そして、ふと思う。

 

もし今の自分を、愛里が見たら。

 

どう思うだろう。

 

少しは。

 

ちゃんと前へ進んでるって、思ってくれるだろうか。

 

その答えは分からない。

 

でも。

 

春の風は、以前より少しだけ心地良かった。




モチベ維持のために感想・評価をもらえると幸いです。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。