三月の終わりは、いつもより少しだけ校舎が広く感じられた。
それは実際に人が減ったからではない。
卒業式を終えた三年生たちの気配が、学校のあちこちから薄くなっていたからだ。
廊下ですれ違う顔ぶれ。
掲示板の前で話す生徒たち。
ケヤキモールへ向かう人の流れ。
何もかもが昨日までと同じように見えるのに、どこか少しだけ空白がある。
長谷部波瑠加は、特別棟へ向かう渡り廊下を歩きながら、
その空白をぼんやり感じていた。
春休みが近い。
二年生が終わる。
そして、自分たちは三年生になる。
その事実が、今さらになって少し重くのしかかってきていた。
「……三年か」
小さく呟く。
その響きは、思っていたより現実味があった。
一年の頃は、卒業なんて遠い未来だった。
二年になっても、まだどこか他人事だった。
けれど今は違う。
卒業という言葉が、もうぼんやりした未来ではなくなっている。
近付いてくるものになっている。
そしてその先には、佐倉愛里がいる。
いや、いるのかもしれない。
会えるのかもしれない。
その可能性を考えるだけで、胸の奥が少しだけ落ち着かなくなった。
第三準備室の扉を開けると、すでに何人かが集まっていた。
三宅明人はカメラを机の上に置き、幸村輝彦はノートを開いて何かを書いている。
一之瀬帆波は窓際で雑誌を読んでいて、
松下千秋はその隣でページを覗き込んでいた。
櫛田桔梗は黒板の前に立ち、
星之宮知恵が書いたらしい妙に派手な文字を眺めている。
『春休み直前!グラビアアイドル部・活動反省会!』
「……またほしみーか」
長谷部が呟くと、星之宮が教卓の椅子からくるりと振り返った。
「反省会って大事でしょ?」
「字が浮かれすぎてて反省する気なさそう」
「そこがいいのよ」
「よくないと思う」
部室に小さな笑いが広がる。
その笑い声を聞いた瞬間、長谷部は少しだけ肩の力が抜けた。
この部屋へ来ると、そうなる。
最初は不安だった。
自分が作った部活なのに、自分が一番怖がっていた。
でも今は違う。
ここは、いつの間にか帰ってこられる場所になっていた。
三宅が顔を上げる。
「お、部長来た」
「部長って呼ばれるの、まだ慣れないんだけど」
「もう諦めろ」
幸村が淡々と言う。
「お前以外に適任はいない」
「それ褒めてる?」
「事実を述べている」
「ゆきむーらしいね……」
長谷部は苦笑しながら椅子へ座る。
机の上には、これまで撮った写真がいくつか並べられていた。
最初の記念写真。
窓際で緊張している自分。
机に向かう一之瀬。
落ち着いた横顔の松下。
自然に見えるように作られた櫛田の笑顔。
バスケ部体験後、汗で髪が少し乱れた集合写真。
茶道部で足のしびれに耐えきれず、微妙な顔をしている長谷部と櫛田。
そして、前回撮られた一枚。
綾小路清隆を見て、少し困ったように笑う自分。
その写真を見た瞬間、長谷部は反射的に顔を赤くした。
「みやっち、それまだ残してたの?」
「そりゃ残すだろ。いい写真だし」
「消してって言ったじゃん」
「却下」
「部長命令」
「カメラマン権限で拒否」
「なんなのその権限」
三宅は笑っている。
長谷部は不満そうに頬を膨らませたが、本気で怒る気にはなれなかった。
あの写真は恥ずかしい。
でも、嫌ではない。
そのことに、自分でも少し驚いている。
櫛田がその写真を見て、小さく笑った。
「いい顔してるよね」
長谷部は少しだけ視線を逸らす。
「……そう?」
「うん。すごく自然」
櫛田の声は穏やかだった。
以前なら、素直に受け取れなかったかもしれない。
でも今は、少しだけ違う。
「ありがと」
短く返す。
櫛田はほんの少しだけ嬉しそうにした。
その表情を見て、長谷部はまた少し胸の奥が温かくなる。
完全に戻ったわけではない。
まだキョーちゃんとは呼べない。
けれど、前より近い。
それだけは確かだった。
幸村が咳払いをする。
「では、反省会を始める」
「本当に始めるんだ」
松下が笑う。
「活動内容の整理は必要だ。まず、二年三学期の活動を振り返る」
幸村はノートを見ながら淡々と読み上げた。
「仮部室の確保。撮影ルールの作成。初撮影。見せ方の研究。
役割分担。バスケ部体験。茶道部体験。綾小路の雑用参加」
「最後だけ雑じゃない?」
長谷部が突っ込む。
三宅が笑う。
「まあ雑用だったしな」
一之瀬は困ったように微笑んでいる。
松下は写真を見ながら言った。
「でも、こうして見ると結構色々やったのね」
「最初は何も分かんなかったのにね」
一之瀬が続ける。
長谷部は写真の一枚一枚を見つめる。
確かに、色々やった。
ただ部室に集まっていただけではない。
少しずつ、自分の身体と向き合った。
見られることを考えた。
見せることを考えた。
動くことも。
静かにいることも。
笑うことも。
その全部が、佐倉愛里のいる世界へ近づくためのものだったはずなのに。
いつの間にか、自分自身を知るための時間にもなっていた。
星之宮が頬杖をつきながら言う。
「で、波瑠加ちゃんはどう?」
「どうって?」
「始める前と今で、何か変わった?」
長谷部は少し黙る。
すぐには答えられなかった。
変わったか。
そう聞かれると困る。
劇的に変わったわけではない。
急に自分の身体が好きになったわけでもない。
カメラを向けられて平気になったわけでもない。
愛里への気持ちが整理できたわけでもない。
綾小路へのわだかまりが消えたわけでもない。
それでも。
長谷部は机の上の写真を見る。
そこには、少なくとも以前の自分なら絶対に残さなかった顔があった。
「……嫌じゃない写真が増えた」
ぽつりと答えた。
部室が少し静かになる。
長谷部は続ける。
「前は、自分が写ってる写真って、見るのも嫌だった」
誰も茶化さなかった。
「でも今は、全部じゃないけど……これは嫌じゃないって思えるのがある」
三宅が静かに頷く。
一之瀬が嬉しそうに微笑む。
松下は目を細めた。
櫛田も、静かに長谷部を見ていた。
星之宮は満足そうに笑う。
「それ、すごい変化よ」
「そうかな」
「そうよ」
星之宮の声は軽いのに、不思議と嘘っぽくなかった。
長谷部は少しだけ照れて、視線を落とした。
その時。
携帯が震えた。
長谷部のものだった。
画面を見る。
通知。
SNS。
雫の新規投稿。
いつものように開こうとして、指が止まる。
部室のみんながいる。
ここで開くのが少し恥ずかしい。
でも、隠すほどでもない気がした。
長谷部はそのまま画面を開いた。
そこには、春の街角で撮られた佐倉愛里――雫の写真があった。
柔らかい日差し。
薄い色の衣装。
少しだけ大人びた笑顔。
長谷部はしばらく見つめる。
そして、今までとは違うことに気付いた。
前なら、胸が苦しくなった。
置いていかれた気がした。
愛里は前へ進んでいるのに、自分だけ止まっているように感じた。
でも今は。
少し違う。
遠いとは思う。
眩しいとも思う。
でも、完全に別世界だとは思わなかった。
ほんの少しだけ。
本当にほんの少しだけ。
彼女がカメラの前で何をしているのか、以前より分かる気がした。
「……愛里、すごいね」
自然に言葉が漏れた。
櫛田が隣から画面を覗く。
「うん。すごいよね」
その声に、長谷部は少しだけ笑った。
「まだ全然追いつけないけど」
「追いつかなくてもいいんじゃない?」
一之瀬が言う。
長谷部は顔を上げる。
一之瀬は柔らかく続けた。
「長谷部さんは長谷部さんの進み方でいいと思う」
その言葉は、少し優しすぎる気もした。
でも今は、素直に受け取れた。
「……うん」
長谷部は小さく頷いた。
反省会の後、今後の活動について話し合うことになった。
幸村が黒板へ新しい項目を書く。
『三年進級後の活動案』
その文字を見た瞬間、空気が少し変わった。
三年。
もうすぐそこにある未来。
松下が手を挙げる。
「春になったら外で撮ってみたいね」
「外?」
長谷部が聞き返す。
「桜とか、校舎の外とか。自然光も綺麗になるし」
三宅が頷く。
「いいな。外撮影はやりたい」
長谷部は少しだけ不安になる。
外。
部室の中とは違う。
他の生徒がいる。
見られる可能性が増える。
それは少し怖い。
でも、以前ほど無理だとは思わなかった。
「……まあ、春ならいいかも」
自分でそう言ってから、少し驚いた。
星之宮が嬉しそうに笑う。
「いいじゃない!春の外撮影!」
幸村がすぐに現実的なことを言う。
「場所と時間、撮影許可、周囲への配慮が必要だな」
「ゆきむーがいると安心すぎる」
三宅が笑う。
櫛田も少し楽しそうに言った。
「春なら衣装も軽くできるね」
その言葉に、長谷部は少しだけ身構えた。
けれど櫛田はそれ以上踏み込まない。
ただ、自然に次の話題へ移る。
その距離感が少しありがたかった。
話し合いが終わる頃には、外はすっかり暗くなっていた。
部室の片付けを終え、長谷部は最後に鍵を閉める。
廊下には誰もいない。
冷たい空気。
でも、冬の冷たさではない。
春の前の、少し湿った夜の匂いがした。
「長谷部さん」
振り返ると、櫛田が立っていた。
他のみんなは少し先へ歩いている。
長谷部は足を止めた。
「なに?」
櫛田は少しだけ迷うように視線を下げる。
それから言った。
「最近、雫ちゃんの投稿見る時の顔、少し変わったね」
長谷部は少し驚く。
「そう?」
「うん。前は、もっと苦しそうだった」
その言葉に、長谷部は少しだけ黙った。
苦しそう。
たぶん、そうだったのだと思う。
愛里を応援しているつもりで、ずっと苦しかった。
自分だけ取り残された気がしていた。
「……今も、ちょっと苦しいよ」
長谷部は正直に言った。
「でも、前よりは……見てるだけじゃないって思える」
櫛田は静かに聞いている。
長谷部は続けた。
「私も、少しは進んでるのかなって」
言ってから、少し恥ずかしくなる。
でも櫛田は笑わなかった。
「進んでると思うよ」
その声は柔らかかった。
長谷部は櫛田を見る。
昔みたいに、何も考えずに笑い合えるわけじゃない。
でも今の二人には、今の二人の距離がある。
それも悪くないのかもしれない。
「……ありがと、櫛田さん」
言ってから、長谷部は少しだけ迷った。
喉の奥に、別の呼び方が引っかかる。
キョーちゃん。
でも、まだ出ない。
今日はまだ、そこまでではない。
櫛田もそれを分かっているように、ただ微笑んだ。
「うん」
それだけだった。
その夜、長谷部は寮の部屋で一人、携帯を眺めていた。
雫の投稿。
グラビアアイドル部の写真。
二つの画面を行き来する。
佐倉の写真は、やっぱり綺麗だった。
遠い世界にいるみたいだった。
でも、自分たちの写真も、もう完全に別物ではなかった。
不器用で。
拙くて。
まだまだだけど。
そこには確かに、前へ進もうとしている自分がいた。
長谷部は少しだけ迷ってから、自分たちの集合写真を開いた。
黒板の前で撮った最初の写真。
まだ全員ぎこちない。
でも、そのぎこちなさすら今は愛おしい。
長谷部はその写真を見ながら、小さく呟いた。
「愛里」
画面の中の佐倉は答えない。
でも、長谷部は続けた。
「いつか、ちゃんと会いに行くから」
その声は、以前より少しだけ強かった。
春は、もうすぐそこまで来ていた。
◯
春休みが明けた高度育成高等学校は、二年生の頃とは少し違って見えた。
校舎は同じ。
教室も同じ。
ケヤキモールも同じ。
けれど。
自分たちを見る周囲の目が、少しだけ変わっている。
三年生。
その肩書きは、想像していたよりずっと重かった。
長谷部波瑠加は、小さく息を吐く。
周囲では、席替えの話で騒がしい声が飛び交っていた。
だが長谷部は、その中心には混ざらない。
視線は、教室の一角へ向いていた。
そこにはもう、綾小路清隆の席がない。
二年生の終わり。
彼は旧坂柳クラス――Cクラスへ移籍した。
分かっていた。
綾小路が、普通の生徒ではないことくらい。
でも実際にいなくなると、思っていた以上に空白が大きい。
視界のどこかにいるのが当たり前だった。
教室の後ろ。
窓際。
面倒くさそうな顔。
それが全部なくなると、妙に落ち着かなかった。
長谷部は無意識に視線を逸らす。
「……別に探してないし」
誰にも聞こえないくらい小さく呟く。
だが、その時。
「波瑠加ちゃん」
隣から一之瀬帆波の声がした。
長谷部が顔を上げる。
一之瀬は少しだけ困ったように笑っている。
「顔、ちょっと怖いよ?」
「え」
長谷部は反射的に頬を触った。
そんなに分かりやすかったのだろうか。
一之瀬は、それ以上深くは聞いてこなかった。
その距離感がありがたい。
「今日、部活あるよね?」
「うん。放課後」
「桜、結構咲いてたよ」
その言葉で、長谷部の意識が少し切り替わる。
そうだ。
今日はいよいよ、初めての屋外撮影だった。
春。
桜。
外。
今までずっと部室の中で撮ってきた。
窓際。
夕焼け。
机。
静かな空間。
でも今日からは違う。
外へ出る。
見られる場所へ出る。
その事実を思い出した瞬間、長谷部の胸が少しだけざわついた。
放課後。
グラビアアイドル部の面々は、中庭近くの桜並木へ集まっていた。
春の日差しは柔らかい。
風も穏やかだった。
校内の桜はちょうど見頃を迎えていて、薄い桃色が並木道を覆っている。
長谷部はその景色を見上げながら、小さく息を漏らした。
「……すご」
思わずそんな声が出る。
三宅明人はすでにカメラを構えていた。
幸村輝彦はレフ板を確認している。
松下千秋は髪を整え、一之瀬帆波は桜を見上げて柔らかく笑っていた。
櫛田桔梗は制服の襟を軽く直している。
星之宮知恵だけは妙にテンションが高かった。
「春!青春!桜!完璧ね!」
「ほしみーだけ修学旅行テンションなんだけど」
長谷部が呆れる。
だが、正直少し助かっていた。
外は緊張する。
誰かに見られる。
通り過ぎる生徒の視線。
遠くから聞こえる声。
全部が少し落ち着かない。
その不安を、星之宮の騒がしさが少しだけ薄めてくれていた。
「じゃあ今日は、春の放課後って感じで撮っていこう」
三宅が言う。
「自然に話してる感じでいい」
長谷部は小さく頷く。
だが。
やはり外だと身体が固くなる。
視線が気になる。
誰かが見ている気がする。
その時だった。
「長谷部さん」
櫛田が静かに隣へ来た。
長谷部が少し顔を向ける。
櫛田は桜を見上げながら、小さく言った。
「外、緊張する?」
図星だった。
長谷部は少しだけ視線を逸らす。
「……まあ」
櫛田は少し笑う。
「分かる」
長谷部は少し驚いた。
櫛田は、こういう場に慣れている側だと思っていた。
でも。
「人に見られるのって、慣れてても疲れるよ」
その言葉は、妙に静かだった。
長谷部は櫛田を見る。
櫛田はいつもの笑顔をしていない。
自然な顔だった。
「じゃあなんで平気そうなの」
長谷部が聞く。
櫛田は少しだけ考える。
それから。
「平気そうにしてるから」
そう答えた。
長谷部は少し黙る。
その答えが、櫛田らしくて。
でも少し切なかった。
その時。
「二人とも、いい感じ」
三宅の声。
カシャ。
突然シャッターが切られる。
長谷部が反射的に振り向く。
「えっ」
三宅は画面を見ながら笑っていた。
「今の自然だった」
櫛田も少し驚いている。
長谷部は恐る恐る画面を覗く。
そこには、桜を背景に並んで立つ自分たちが映っていた。
笑ってはいない。
ポーズも取っていない。
ただ話していただけ。
でも。
今までの写真より、ずっと柔らかかった。
松下が覗き込む。
「……いいね、これ」
一之瀬も頷く。
「うん。すごく自然」
長谷部は少しだけ目を細める。
自然。
その言葉を、この部活で何度聞いただろう。
最初は分からなかった。
でも今は少しだけ分かる。
自然って、何もしないことじゃない。
力を抜けることだ。
無理をしないことだ。
その感覚が、ほんの少しだけ身体へ馴染み始めていた。
その後、撮影は順調に進んだ。
一之瀬は桜の下で笑うだけで絵になる。
松下は春の柔らかい空気と相性が良かった。
櫛田は、外でもやはり上手かった。
そして長谷部自身も。
以前より、明らかに固まらなくなっていた。
「波瑠加」
三宅がカメラ越しに言う。
「そのまま歩いてみ」
「歩くだけ?」
「うん」
長谷部は少し不安になりながらも、桜並木をゆっくり歩く。
風が吹く。
桜の花びらが舞う。
その瞬間。
カシャ。
シャッター音。
長谷部は少し驚いて振り返る。
三宅が画面を見ながら笑った。
「今のいい」
「ほんと?」
「うん。前より全然自然」
その言葉を聞いて。
長谷部は少しだけ嬉しくなった。
自分でも分かる。
前より、身体が軽い。
前より、肩の力が抜けている。
その時だった。
遠くの校舎側から、何人かの女子生徒の声が聞こえた。
「あれグラビアアイドル部じゃない?」
「ほんとだ」
「普通に撮影してる……」
長谷部はふと気付く。
いつの間にか、自分たちの周囲には小さな人だかりができていた。
桜並木の端。
通りがかった生徒たちが、少し離れた場所からこちらを見ている。
10人ほど。
女子生徒もいる。
男子生徒もいる。
「なんか普通にすごくない?」
「一之瀬さんいる」
「松下さん綺麗……」
そんな声が風に混じって聞こえてくる。
以前の長谷部なら。
その瞬間、間違いなく身体を隠していた。
肩を縮めて。
猫背になって。
視線から逃げるように俯いていた。
でも今。
確かに少し緊張はしている。
胸の奥がざわつく。
視線を意識してしまう。
けれど、不思議と。
逃げたいとは思わなかった。
長谷部は少しだけ驚く。
自分でも信じられなかった。
見られている。
それなのに。
今、自分はちゃんと立っている。
その時。
風が吹いた。
桜の花びらが舞う。
一之瀬が隣で小さく笑う。
松下が髪を押さえる。
櫛田は自然に周囲へ軽く会釈した。
三宅はいつも通りカメラを構えている。
幸村は冷静に光を確認していた。
星之宮だけはなぜかギャラリーへ向かってピースしている。
「ほしみーやめて!」
長谷部が思わず叫ぶ。
周囲から小さな笑いが起きた。
その瞬間。
長谷部自身も、つられるように笑っていた。
カシャ。
シャッター音。
三宅が画面を見ながら、小さく笑う。
「……今の、かなりいい」
長谷部は少しだけ息を吐く。
昔の自分なら。
見られることは怖いだけだった。
でも今は違う。
隣に誰かがいる。
自分を笑わない人たちがいる。
一緒に考えてくれる人たちがいる。
だから。
ほんの少しだけ。
本当にほんの少しだけ。
見られることを怖いだけのものじゃないと思え始めていた。
撮影が終わる頃には、夕方の空気が少し冷えてるように感じた。
桜の花びらが地面へ散っている。
長谷部は最後にもう一度、並木道を見上げた。
春。
三年生。
新しい季節。
その全部が、まだ少し落ち着かない。
でも。
嫌ではなかった。
帰り支度をしている時。
幸村がカメラデータを確認しながら言った。
「今日の写真、全体的に良かったな」
三宅も頷く。
「特に波瑠加。外なのに固まってなかった」
長谷部は少し照れる。
「……まあ、ちょっとは慣れたし」
「いや、かなり変わったと思う」
松下が自然に言った。
一之瀬も嬉しそうに頷く。
「うん。最初の頃より全然自然」
櫛田が、その言葉へ静かに続けた。
「長谷部さん、最近ちゃんと笑えるようになったよね」
長谷部は少しだけ止まる。
笑えるようになった。
その言葉が、胸の奥へ静かに落ちる。
昔の自分なら、そんなこと絶対認めなかった。
でも今は。
少しだけ。
本当に少しだけ。
そうかもしれないと思えた。
長谷部は桜の木を見上げる。
花びらが風で揺れている。
そして、ふと思う。
もし今の自分を、愛里が見たら。
どう思うだろう。
少しは。
ちゃんと前へ進んでるって、思ってくれるだろうか。
その答えは分からない。
でも。
春の風は、以前より少しだけ心地良かった。
モチベ維持のために感想・評価をもらえると幸いです。