佐倉愛里が見ていた世界   作:EXTERMINATION

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第9話 スレンダー?

六月上旬の風は、春と夏の境目みたいな匂いがする。

 

まだ暑すぎない。

でも、制服の袖口から入る風は冬よりずっと軽かった。

高度育成高等学校でも、そろそろ夏服へ切り替わる時期が近付いている。

 

放課後。

グラビアアイドル部の面々は、ケヤキモール近くの歩道で軽い屋外撮影をしていた。

 

春の撮影にも少し慣れてきた今、以前ほど大掛かりな準備はしない。

 

自然光。

雑談。

歩きながらの撮影。

普通の放課後を切り取る。

 

それが最近の部活の空気だった。

 

三宅明人はカメラを構えながら言う。

 

「波瑠加、そのまま歩いて」

「はいはい」

 

長谷部波瑠加は軽く手を振りながら歩く。

以前みたいな強い緊張はない。

もちろん、外で撮られることへ完全に慣れたわけじゃない。

 

でも。

 

前ほど隠したいとは思わなくなっていた。

 

カシャ。

シャッター音。

 

長谷部が少し振り返る。

 

「どう?」

「悪くない」

 

三宅が答える。

その時だった。

 

「……あ」

 

長谷部の視線が、ケヤキモール側から歩いてくる二人へ止まる。

 

堀北鈴音。

伊吹澪。

 

二人とも夏服へ移行していた。

風で制服の裾が少し揺れている。

堀北は相変わらず姿勢が綺麗だった。

 

伊吹は細身で、動きが軽い。

長谷部は思わず、じーっと見てしまう。

 

「……」

 

その視線に、堀北が先に気付いた。

 

「……何?」

 

冷静な声。

長谷部は少しだけ我に返る。

 

「いやぁ……」

 

伊吹が露骨に嫌そうな顔をした。

 

「キモ」

「言い方!」

 

長谷部が即座に返す。

 

だが、視線はまだ二人へ向いていた。

 

そして。

ぽろっと本音が漏れる。

 

「2人ともスレンダーでいいなぁって」

 

数秒。

空気停止。

堀北の眉がぴくっと動く。

伊吹は完全に呆れていた。

 

「……は?」

「いやだから、その……服綺麗に見えるじゃん」

 

長谷部が言う。

堀北は少しだけ顔を赤くした。

 

「し、失礼ね……!」

「何が失礼なの!?褒めてるじゃん!」

「褒め方が変なのよ!」

 

伊吹が口を挟む。

 

「ていうかアンタ、自分の胸見てから言え!」

 

長谷部が真っ赤になる。

 

「いやだから大変なんだって!」

「知らないわよそんなの!」

 

ケヤキモール前で女子高生たちが身体の話を始めたせいで、

周囲の空気が少しざわつく。

 

しかし伊吹はそんなことおかまいなしに、

櫛田の後ろへ回ると両腕で彼女の胸を鷲掴みにした。

 

「ちょっ!ちょっと、伊吹さん……っ!?」

「ぜんっぜん、羨ましくなんてないんだから!」

 

執拗に伊吹に胸を揉まれる櫛田を三宅や幸村は見ないように目を逸らしている。

一之瀬が慌てて止めに入る。

 

「ちょ、ちょっと落ち着いて……!」

 

松下千秋は笑いを堪えきれていない。

三宅は完全に吹き出していた。

幸村は頭を押さえている。

 

「公共の場で何をやっているんだお前たちは……」

 

だが。

 

長谷部は途中で、ふと気付く。

 

今、自分は。

 

普通に羨ましいと言った。

 

昔なら、絶対口にできなかった。

身体の話そのものを避けていた。

比較なんてもっと嫌だった。

 

でも今は違う。

 

隠したいというより。

 

自分にないものを見てしまう感覚。

 

として出ている。

それが少し不思議だった。

 

その時。

 

「でも、分かるかもー」

 

突然、軽い声が飛んできた。

 

天沢一夏だった。

いつの間にか近くのベンチに座っている。

七瀬翼も隣にいた。

 

「天沢さんと七瀬さん、いつからいたの……?」

 

一之瀬が少し困った顔をする。

天沢は気にせず続けた。

 

「波瑠加センパイって、意外とそういうの気にするタイプだよねー」

「意外とって何」

「えー、だって最近ちょっと自分の身体好きになり始めてる感じするし」

 

長谷部が固まる。

 

「は?」

 

天沢はにやにやしている。

 

「前は見られたくない!って感じだったじゃん」

 

図星だった。

長谷部は思わず言葉に詰まる。

伊吹が呆れた顔で腕を組む。

 

「面倒くさいわねアンタ」

「うるさいなぁ……」

 

だが。

その時だった。

松下が、ふっと優しく言う。

 

「でも、自分にないもの羨ましくなるのって普通じゃない?」

 

長谷部が顔を上げる。

松下は続けた。

 

「私は逆に、波瑠加みたいな華やかさ羨ましい時あるし」

「え?」

 

長谷部が本気で驚く。

 

「まっちゃんが?」

「あるよ」

 

松下は自然に笑った。

 

「自分にないものって、やっぱり目に入るもの」

 

一之瀬も小さく頷く。

 

「うん。私も、もっと大人っぽい雰囲気いいなって思う時あるし」

 

堀北は少しだけ視線を逸らした。

それから、小さく言う。

 

「……別に、スレンダーだから楽なわけでもないわよ」

 

長谷部が目を瞬かせる。

堀北は少しだけ気まずそうだった。

伊吹が吹き出す。

 

「珍しく素直じゃん」

「うるさい」

「なによ。アンタも私よりあるし、ムカつく!」

 

伊吹は今度は堀北の胸を揉んでいた。

 

「ちょっ!やめなさ……あんっ!」

 

堀北は更に顔を赤くしてなんとか伊吹の拘束から脱しようと抵抗している。

 

「七瀬ちゃんもパンパンなんだよぉ~♡」

「ひゃぁっ!?天沢さん!?」

 

伊吹に触発されたのか今度は天沢が七瀬の胸を揉み始める。

収拾がつかない状況に一之瀬や松下は自分が標的にされないように距離を取る。

 

そのおかしいやり取りを見て、長谷部は少しだけ笑った。

 

なんだ。

 

みんな、結局ないものを羨ましがるんだ。

その事実が、少しだけ肩を軽くした。

 

その時。

 

カシャ。

シャッター音。

 

全員が振り向く。

三宅が笑っていた。

 

「今の、めっちゃいい」

「また勝手に撮った!?」

 

長谷部が叫ぶ。

三宅は画面を見ながら笑う。

 

「いや、今めちゃくちゃ自然だったぞ」

 

長谷部は恐る恐る近付く。

 

画面を見る。

そこには。

 

少し照れ臭そうに笑う長谷部の写真が一枚。

 

完璧な構図じゃない。

 

でも。

 

今までで一番、日常だった。

 

堀北と七瀬は自分の恥ずかしいところを

撮られていないことに安堵のため息をついていた。

 

長谷部はしばらく画面を見つめる。

 

その時。

 

伊吹が横からぼそっと言う。

 

「……まあ、アンタ最近前よりマシな顔してるわよ」

 

長谷部が固まる。

 

「え?」

 

伊吹は視線を逸らした。

 

「前はずっと周り警戒してる感じだったし」

 

堀北も静かに続ける。

 

「今の方が自然なのは確かね」

 

長谷部は少しだけ黙る。

その言葉が、妙に胸へ残った。

 

堀北と伊吹。

 

どちらも、必要以上に優しいことを言うタイプじゃない。

 

だからこそ。

 

今の言葉は少しだけ嬉しかった。

 

長谷部は小さく笑う。

 

「……ありがと」

 

その瞬間。

 

カシャ。

またシャッター音。

 

「みやっち!!」

 

長谷部が叫ぶ。

三宅は大笑いしていた。

 

「いや今の絶対保存」

「今日は何枚晒し上げられるの!?」

 

ケヤキモール前に笑い声が広がる。

 

その中で。

長谷部はふと空を見上げた。

 

初夏の光。

柔らかい風。

制服の軽さ。

 

そして。

誰かと笑っている自分。

 

昔なら、考えられなかった景色だった。

 

その帰り道。

長谷部は一人、少し後ろを歩いていた。

 

前では、

一之瀬

松下

櫛田

 

が並んで話している。

夕陽が三人の髪を柔らかく照らしていた。

長谷部はその後ろ姿を見ながら、ふと思う。

 

綺麗だな、と。

 

そして、その瞬間。

 

少しだけ笑ってしまう。

 

昔の自分なら。

 

見る側になることすら嫌悪していた。

 

でも今は違う。

 

綺麗だと思う。

 

羨ましいと思う。

 

好きだと思う。

 

そういう視線もあることを知っている。

 

それは、怖いだけのものじゃない。

 

その時。

 

前を歩いていた櫛田が、ふと振り返った。

 

「長谷部さん?」

 

長谷部は少しだけ目を細める。

 

そして。

 

今度は自然に、その名前が出た。

 

「キョーちゃん」

 

ほんの一瞬。

空気が止まる。

櫛田が目を見開く。

 

一之瀬も。

 

松下も。

 

少し驚いた顔をした。

 

長谷部自身も、一瞬だけ止まる。

 

でも。

 

今度は、言い直さなかった。

 

櫛田の顔が、ゆっくり柔らかくなる。

 

それは。

 

今までで一番、作っていない笑顔だった。

 

「……うん」

 

その返事を聞きながら。

 

長谷部は、初夏の風を静かに吸い込んだ。

 

 

六月の中旬に入る頃には、

高度育成高等学校の空気は完全に初夏へ変わっていた。

 

窓を開ければ暖かい風が入る。

夕方になっても、冬みたいな寒さはもうない。

制服も夏服へ切り替わり、校舎全体の色が少し軽くなっていた。

 

そんな放課後。

 

グラビアアイドル部の活動は、今日は少し早めに終わった。

 

理由は単純。

 

星之宮知恵が職員会議で不在。

 

幸村輝彦が「顧問不在時は長時間活動を避けるべきだ」と

真面目なことを言い始めたからだった。

 

「ゆきむーって、たまに風紀委員みたいになるよね」

 

長谷部波瑠加が言う。

幸村は眼鏡を押し上げた。

 

「リスク管理だ」

「言い方がもう教師なんよ」

 

三宅明人が吹き出す。

部室にはいつもの笑い声があった。

一之瀬帆波が雑誌を片付け、松下千秋が椅子を戻している。

櫛田桔梗は窓を閉めていた。

長谷部は、その光景をぼんやり眺める。

 

最近。

こういう時間が、本当に日常になってきた。

 

最初は緊張していた。

撮られることも。

集まることも。

誰かと並ぶことも。

 

でも今は違う。

 

ここへ来ると落ち着く。

 

誰かがいて。

 

笑い声があって。

 

少しずつ、自分の居場所になっている。

 

その時だった。

 

「波瑠加ちゃん」

 

一之瀬が柔らかく声をかける。

 

「今日、寮戻る前にケヤキモール寄る?」

「ん?」

「新作のドリンク出てるらしくて」

 

長谷部は少し考える。

それから小さく笑った。

 

「行く」

「やった」

 

一之瀬も笑う。

その横で、櫛田が何か言いかけた。

 

「じゃあ私も――」

 

だが。

その瞬間。

 

長谷部の携帯が震えた。

 

画面を見る。

知らない番号。

だが、校内連絡だった。

長谷部は少しだけ眉をひそめる。

 

「……もしもし?」

 

数秒。

長谷部の表情が止まる。

 

「え?」

 

部室の空気が少し静かになる。

長谷部は短く返事をした。

 

「……分かりました」

 

通話を切る。

一之瀬が心配そうに聞く。

 

「どうしたの?」

 

長谷部は少しだけ迷う。

それから言った。

 

「……綾小路くん」

 

部室が静かになる。

櫛田の動きが少し止まった。

 

「きよぽん……」

 

長谷部は、自分でその呼び方を口にしてから少しだけ驚く。

最近、自然に出る時が増えていた。

 

昔みたいに。

でもまだ、どこか照れくさい。

 

「なんか、生徒会室近くで荷物運び頼まれてたらしくて」

 

長谷部は少し視線を逸らす。

 

「その荷物、間違えてうちの部室前に置かれてるっぽい」

 

三宅が吹き出す。

 

「また雑用してるのかあいつ」

「便利屋扱いされてない?」

 

松下が苦笑する。

長谷部は少しだけ息を吐いた。

 

綾小路清隆。

 

三年になってから、会う回数は明らかに減った。

 

クラスが違う。

教室も違う。

 

昼休みも、放課後も、自然に視界へ入ることがなくなった。

 

だから逆に。

偶然名前が出るだけで、少し心臓がざわつく。

 

「……取りに行ってくる」

 

長谷部が小さく言う。

 

「一人で?」

 

一之瀬が聞く。

長谷部は少しだけ迷う。

 

でも。

 

「うん。すぐ戻るし」

 

そう言って、部室を出た。

 

特別棟の廊下は、夕方特有の静かな空気に包まれていた。

窓の外では、夕陽が校舎を赤く染め始めている。

 

長谷部はゆっくり歩く。

生徒会室近くの廊下。

 

そこへ向かうだけなのに、妙に落ち着かなかった。

 

最近は少し話せるようになった。

 

きよぽんって呼べた。

 

でも。

 

やっぱりまだ、完全には昔へ戻れていない。

 

長谷部は小さく息を吐く。

その時だった。

 

廊下の角を曲がった瞬間。

 

「……あ」

 

綾小路清隆が、そこにいた。

 

夕陽が横から差し込んでいる。

静かな廊下。

誰もいない。

 

綾小路は手に資料箱を持ったまま、長谷部を見る。

 

ほんの一瞬。

時間が止まったみたいだった。

 

長谷部は少しだけ視線を逸らす。

 

「……荷物」

 

それだけ言う。

綾小路は短く頷いた。

 

「悪い。部室前まで運ぶつもりだったんだが」

「いや、別にいいけど」

 

沈黙。

昔なら、もっと自然に話せた。

 

くだらないことを言って。

 

笑って。

 

適当にからかって。

 

でも今は違う。

 

会話の入り方が分からない。

 

その沈黙を破ったのは綾小路だった。

 

「部活、続いてるんだな」

 

長谷部は少しだけ目を瞬かせる。

 

「……まあね」

 

綾小路はそれ以上何も言わない。

 

でも。

否定もしない。

 

馬鹿にもしない。

そのことが少しだけ嬉しかった。

 

長谷部は壁へ寄りかかる。

夕方の風が廊下を抜けていく。

 

「きよぽんさ」

 

その呼び方が出た瞬間。

綾小路の目がほんの少しだけ動く。

 

長谷部は続けた。

 

「今のクラス、どうなの」

 

そっち。

 

そう言いかけて、やめた。

 

綾小路は少しだけ考える。

 

「普通だ」

 

長谷部は思わず小さく笑った。

 

「きよぽんの普通って全然普通じゃないんだよね」

 

綾小路は否定しなかった。

その沈黙が、少しだけ昔みたいだった。

 

長谷部は夕陽を見る。

綾小路はもう、自分の知らない場所へいる。

 

Cクラス。

 

坂柳有栖のいた場所。

 

でも。

 

完全に遠くへ行ってしまった感じもしなかった。

それが少し不思議だった。

 

「……愛里のこと」

 

長谷部がぽつりと言う。

綾小路が顔を向ける。

 

「最近、ちょっと分かる気がしてきた」

 

長谷部はゆっくり言葉を選ぶ。

 

「なんであんな風に笑ってたのかとか」

 

綾小路は静かに聞いている。

長谷部は少しだけ苦笑した。

 

「まあ、まだ全然だけど」

 

夕陽が、廊下へ長い影を落とす。

長谷部はその影を見る。

 

昔の自分なら。

 

きっと綾小路へ怒っていた。

 

責めていた。

 

でも今は違う。

 

全部許したわけじゃない。

 

でも。

 

怒りだけではなくなっていた。

 

その変化を、自分でも少し感じている。

 

その時だった。

 

「長谷部」

 

綾小路が静かに言う。

 

「ん?」

「最近、ちゃんと笑うようになったな」

 

長谷部が止まる。

その言葉は、不意打ちだった。

長谷部は少しだけ目を逸らす。

 

「……何それ」

「事実だ」

 

綾小路の声はいつも通りだった。

 

でも。

その言葉は、妙に胸へ残った。

 

最近。

何人にも言われる。

 

柔らかくなった。

 

自然になった。

 

笑えるようになった。

 

昔の自分なら、そんな言葉信じなかった。

 

でも今は。

 

少しだけ。

 

そうかもしれないと思える。

 

長谷部は小さく笑った。

 

「きよぽんに言われると、なんか変な感じ」

 

綾小路は少しだけ目を細める。

 

ほんの少しだけ。

 

昔みたいな空気が戻る。

 

その瞬間だった。

 

カシャ。

突然、シャッター音が響いた。

 

「……は?」

 

長谷部と綾小路が同時に振り向く。

 

廊下の奥。

そこには。

 

「えへへ」

 

櫛田桔梗が立っていた。

携帯を構えたまま。

 

長谷部が真っ赤になる。

 

「キョーちゃん!」

 

完全に反射だった。

櫛田が目を丸くする。

 

それから。

ふわっと笑った。

 

今までで一番自然な顔だった。

 

「やっと呼んでくれた」

 

長谷部が固まる。

自分でも気付かなかった。

 

今。

 

普通にキョーちゃんって呼んでいた。

 

長谷部は一気に顔が熱くなる。

 

「うわぁぁぁぁぁ……!」

 

しゃがみ込みそうになる。

綾小路が少しだけ表情を和らげた。

長谷部が即座に睨む。

 

「笑うな!」

「いや、流石に」

 

珍しく綾小路の頬が緩んでいる。

 

櫛田は携帯画面を見ながら嬉しそうだった。

 

「でも今の、すごく良かったよ」

 

長谷部は頭を抱える。

 

「なんで撮るのぉぉぉ……」

 

だが。

櫛田が見せた画面には。

 

夕焼けの廊下で、少しだけ笑っている長谷部と綾小路が映っていた。

 

自然だった。

ぎこちないけど。

ちゃんと笑っていた。

 

長谷部はしばらく黙ったまま、その写真を見つめる。

 

それから。

小さく息を吐いた。

 

「……まあ、消さなくていい」

 

櫛田が少し驚く。

長谷部は少し照れ臭そうに笑った。

 

「なんか、今のは嫌じゃないから」

 

夕焼けが、静かな廊下を赤く染めていた。




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