七瀬のことを、七瀬の両親のことを心配しながら、授業を受ける。
昨日よりは幾分かマシだが、授業のことは頭にあまり入らなかった。
そのまま時刻は過ぎていき、昼になり、放課後になった。
帰る途中、七瀬の両親に説得の続きをしに行こうか考えた。
だが、あんな様子だったのに、連続で説得しに行くのは迷惑だと思い、家に帰ることにした。
「......ん?」
家の目の前に、赤い車が止まっていることに気が付いた。
おそらく、七瀬の家の車だ。
俺は駆け足で家へと向かう。
玄関を開けると、そこには俺の両親以外の大人の靴が置いてあった。
靴を脱ぎ、リビングの扉を開ける。
すると、ソファに座り、俺の母さんと七瀬の母さんが話をしていた。
「正道、おかえり......」
「正道くん......」
「あ、どうも......」
俺はお辞儀をする。
そして、自分の部屋へ向かおうとした。
「......正道、こっちへ来なさい」
そんな俺のことを、母さんが呼び止めた。
「......うん」
俺は母さんの隣に座り、会話に参加することになった。
「正道くん......」
「な、なんでしょうか」
俺は無意識に姿勢を正す。
「......七瀬のこと、お願いできるかしら」
「っつ......!」
「私たちより、学校で一緒の正道くんの方が、七瀬のことに詳しいと思うから。......私たち、両親よりも......」
「ど、どういうことですか?」
俺の方が詳しいとは、どういうことなのか。
「......あの子、ここ数年は部屋に引きこもってばかりで、会話もあまりなくて......。思春期だからって、私たちはそこまで気にも留めてなかったんだけど......」
七瀬の母さんの声が、段々と消え入りそうな声になっていく。
七瀬は、俺や坂月先生だけではなく、両親とも距離を置いていたなんて、知らなかった。
「その結果が、倒れて入院。私たちが、娘のことを放っておいたから。親である私たちが、あの子のことを気に留めなかったから......。私たち、両親失格よ......」
「そ、そんなことは......」
俺はすかさず否定するが、この状況で意味はあったのだろうか。
「だから、二人で決めたの。正道くんに託してみないかって......」
「つまり......」
「お願いできるかしら......。七瀬を、七瀬を救ってあげて......!」
「......はい。任せてください」
俺は立ち上がり、深々とお辞儀をする。
「......ありがとうございます。七瀬を、俺に任せてくれて......」
「ま、正道くんはいいのよ! 頭を上げて! お願いしてるのは、私たちなんだから!」
俺は七瀬の母さんに促され、頭を上げる。
「......でも、不安ですよね。正道が、どこまで演技ができるか分からないですし......」
「......母さんの言う通りだ。......じゃあ、少しだけ、確認してもらえませんか?」
俺はそう言い、軽く咳をする。
それから、七瀬の真似をしていく。
七瀬のそっけない態度、口調、振る舞い。
それを再現し、見せつけていく。
「......どうでしょうか」
「少なくとも、私が家で見た七瀬にそっくりだわ......!」
「ありがとうございます。......やっぱり、七瀬は家でもこんな感じなんですね......」
本当に、七瀬は学校でも家でも、態度を変えない、孤立した存在だったのか。
「......あの、俺から少し提案があるんですけど、いいですか?」
「な、何かしら......?」
「思ったんですけど、倒れた直後に、ここまで冷たくされては、七瀬も精神的に辛いと思うんです。......だから、少しだけ、明るい女の子として振る舞った方がいいと思ったんですが、どうでしょうか......? 例えば......」
俺は深呼吸をする。
「お、おはよう! ねぇ、テスト勉強した? してない? 私もなんだよねぇ......。......みたいな感じで、どうでしょうか。幼い頃の七瀬に寄せてみたんですけど......」
「確かに、今の七瀬に厳しい言葉を投げかけるのは、あまり良くないわよね......」
七瀬の母さんは考え始めた。
三十秒ほど考えると、顔を上げた。
「......分かったわ。ただ、いきなり口調を変えると違和感を持たれちゃうかもしれないから、少しずつ変えていく感じで、ね......?」
「分かりました。それじゃあ、その方針で進めましょう」
「ええ」
七瀬の母さんは立ち上がり、俺の手を握る。
「七瀬のこと、お願いね」
「......はい!」
俺も七瀬の母さんの手をしっかりと握る。
「それじゃあ、そろそろ私は帰るわね」
七瀬の母さんは、玄関へと向かっていく。
俺と母さんは外まで見送り、家へと戻った。
「......しかし、正道が役者を目指してるのって、本気だったのね」
「......本気だよ。役者の夢」
「......頑張りなさい。あなたの夢を目指す力で、七瀬ちゃんを救ってあげてね」
「うん......」
母さんは家へ戻っていく。
俺も母さんに続き、家へ戻る。
(......神様。もし、俺のことを見ているのであれば、許してください)
口調のこと。
あれは、七瀬のことだけを考え、提案したのではない。
(......でも、俺は七瀬と......)
あれは、俺と七瀬が。
(付き合いたいんだ......!)
あの提案は、俺と七瀬の距離を縮めるためでもある。
女性と認知されている今の立場を利用し、片思いしている七瀬に近づくために。
それから、俺は演技力を上げるための練習をしつつ、七瀬にお見舞いに行く日々を過ごした。
そして、七瀬のお見舞いに行き、演技が通用するか試した。
七瀬は俺のことを七瀬だと強く信じているようで、気が付かれる様子は無かった。
それと、地声からあまり声を変えなくても、七瀬には女の子の声に聞こえているようだった。
異性の声を出すのは喉に負荷がかかるため、安心した。
数日経つと、七瀬の体調は回復し、ついに退院できることになった。
ある日の下校中、車に乗った七瀬の母さんとすれ違った。
「あ、こんにちは。七瀬のお迎えですか?」
「ええ、そうよ」
「......じゃあ、明日から本格的に始まるんですね」
「......そうね。......私も頑張るから、頼んだわよ。正道くん......。いや、七瀬ちゃん、ね」
「お互い頑張りましょう。......正道のお母さん」
「それじゃ、行くわね」
「はい」
俺はペコリとお辞儀をし、七瀬の母さんの車を見送った。
そして、俺と一緒に登下校をすることを条件に、家から学校へ通うこととなった。
俺と七瀬の制服を入れ替えているので、俺はスカートで登校するのだが、慣れなくて少し恥ずかしい。
だが、それを我慢して七瀬を迎えに行き、玄関で準備が終えるのを待つ。
少し待つと、俺の制服を着た七瀬が玄関に来た。
「おはよー。よく眠れた?」
俺は七瀬に挨拶をする。
「んー、まあまあかな......」
俺と七瀬が話していると、七瀬の母さんが割り込んできた。
「......七瀬ちゃん。正道のことをよろしくね」
「はい! 任せてください!」
「じゃ、いってくるよ」
七瀬はそう言い、玄関の扉を閉じた。
「じゃ、行こうか!」
俺は七瀬の前に手を出す。
「な、なんで手を繋がないといけないんだよ」
「だって、途中で倒れたりしたら危ないでしょ」
「でも、手を繋ぐのは恥ずかしい......」
「いいじゃん! どうせ家から学校まで人なんてほとんどいないんだし!」
そう言い、手を繋いだ。
そして、俺が先に進む形で学校に向かうことになった。
いつもは学校に行くために、使われていない畑や林、数軒の家しか存在しない退屈な道を、時間をかけて一人で歩いていた。
だが、今日は違う。
七瀬がいるので、退屈することはなかった。
今日は霧が発生しており、遠くの景色は見えなかった。
だが、そんな風景も幻想的で、美しかった。
「霧......。霧かぁ.....」
無意識に、ボソっと口に言葉を出してしまった。
「ど、どうしたんだ?」
「私たちの人生もさ、霧が発生した今みたいに、先が見えないよね」
「なんだよ突然」
「いや、霧を見てたら、ふと思って......。今は学校っていうはっきりした目標があるから進めるけど、人生でも今日みたいに進んでいけるかなぁって......」
「......でもさ、将来の夢とかはあるだろ? だったら、それを目標にして歩けば進んでいけるんじゃないか?」
七瀬に、なんかいい感じのことを言われた。
「あー。確かに......。じゃあ安心だね!」
「安心ってわけではないと思うけど......。ちなみに、七瀬の夢って何だ?」
七瀬は、俺の夢について聞いてきた。
「......笑わない?」
「......内容による」
「......実は私ね。将来演劇の役者になって食っていきたいんだ」
「演劇ねぇ......。大変なんじゃないのか? 演技の練習は勿論、体力を付けたりもしないといけないし......」
「うん......。でも、どうしてもなりたいんだ。演者として有名になって、この地元を人気にしたい」
少しだけ恥ずかしくなったが、夢を言い切った。
「七瀬、いいやつなんだな。しかも、ちゃんと将来も考えてて......」
「そう?」
「俺なんて、とりあえず勉強してここから出ていくことしか考えてなかったし......」
だからこそ、中学二年生の今から必死に勉強して、この田舎外の、頭のいい高校に合格し、一人暮らしの許可を貰う。
それが、七瀬の夢であり、七瀬の倒れた理由。
「ちなみに、演劇の練習ってしてるのか?」
「実はちょっと......」
「へぇ。うまくなったら見せてくれよ」
「うん......!」
夢について話していると、いつの間にか学校の前までたどり着いていた。
「学校も久しぶりだなぁ......」
七瀬が学校を眺めながら言う。
「そういえば、俺がいない間お前一人だったんだろ? 寂しくなかったのか?」
寂しかった。
片思いしている七瀬と接点が無くて、ずっと寂しかった。
だが、そんなことを言えるはずがない。
「流石に私のことを不憫に思ったのか、先生がずっといてくれたよ。それに、正道がいた時だって全然話してなかったから、先生がいなかったとしても全く問題なかったと思うよ。多分」
「......言われてみればそうだな」
「でも、いないよりはいた方がいいからね。正道が来てくれて嬉しいよ」
「はは、そう言われると照れるな......」
照れる七瀬。
そんな七瀬が、とても可愛かった。
「今までは恥ずかしくて話しかけられなかったけどさ。私たちも仲良くなったわけだし、これからはいっぱいお話しようね!」
俺は、七瀬とこれからたくさん話をしたいと思い、そう言った。
七瀬と一緒に登校し、学校で会話し、下校した。
それがすごく楽しかった。
家に七瀬を誘ってみたりもした。
自分の私物は全て隠したので、男子の部屋だと思われることもなかった。
俺と七瀬の距離は、少しずつだが、縮まっていっているような気がする。
だがある日、七瀬が体調不良で休んでしまった。
学校が終わり、急いで七瀬の家へ向かう。
息を切らしながらインターホンを押し、七瀬の母さんが出てくるのを待つ。
「あら、七瀬ちゃん......。お見舞いに来てくれたの......?」
「七瀬、いや違う......! 正道は!? 正道は大丈夫なんですか!?」
「大丈夫だけど、まだ若干......」
「すみません! お邪魔します!」
俺は七瀬の母さんの横を通り過ぎ、靴を脱いで階段駆け上がった。
そして、七瀬の部屋の扉を開く。
「正道! 大丈夫!? また倒れたりしてないよな!?」
ここで、俺の心臓が大きくドクンと動いた。
(や、やべ......)
急ぐあまり、俺は口調を崩してしまった。
してないよな、ではなく、してないよね、と言わなければいけなかったのに。
「あ、ああ。大丈夫だ......」
七瀬は親指を立て、俺に見せる。
それを見た俺は、大きく息を吐き、安心したような表情を見せた。
(気にしてないようで良かった......!)
「よ、よかった......」
「はは......。すまなかったな、心配かけさせて......。ほら、汗拭けよ......」
七瀬は、俺に未使用のタオルを渡してくれた。
「ありがと......」
俺はそれを受け取り、顔をゴシゴシと拭いた。
「そういえば、なんで調子が悪くなっちゃったの?」
「昨日食った刺身が傷んでて体調を崩したみたいなんだ......。朝から吐き気やら腹痛が酷くて、まいっちまうよ......」
「吐き気がするなら、あまりお話しない方がいいかな......? ごめんね、喋らせちゃって......」
「い、いいよ......! 気にすんな......! ......うっ......!」
七瀬は咄嗟に口を押える。
俺は慌ててタオルの隣に置いてあったビニール袋を口元へ運ぶ。
吐きそうになっていたが、吐き気が収まってくれたようだ。
「ねぇ......。一人で大丈夫? 私が見ててあげようか?」
「い、いや。大丈夫......。七瀬には迷惑かけられないから......」
「じゃ、じゃあ私は帰るね......? 学校のプリントは机の上に置いておくから......。それじゃあ、お大事に......」
「ああ......。今日はありがとな......」
俺はプリントを机の上に置くと、部屋から出た。
階段を下りる途中、七瀬の母さんを無視して家に上がり込んだことを思い出した。
俺は謝罪しようとしたが、玄関にはいなかった。
おそらく台所にいるのだろうと思い、台所を覗き込む。
七瀬の母さんは、椅子に座り、麦茶を飲んでいた。
「あ、あの......」
「あら、七瀬はどうだった?」
「吐き気はあるそうですが、重症ではなさそうだったので安心しました......。それと、勝手に家に上がったごめんなさい......」
「気にしなくていいわよ」
七瀬の母さんがそう言ってくれて、俺はホッとした。
「でも、何があったんですか? 食あたりらしいですけど......」
「あの子は、食あたりと思ってるのね......」
「え......?」
食あたりだと思っている、ということは、食あたりではないのだろうか。
「......正道くん。学校で、生理って習った? 女の子の日って言われてる、一ヶ月半前後でやってくる日」
「す、少しだけなら知ってますが、詳しいことは......」
「......あれよ」
「あ、あんなに大変なんですね......」
俺は七瀬の苦しむ姿を見て、女性の大変さを知った。
「多分、数日経てば元気になるとは思うから、安心してね」
そうは言われたが、あそこまで苦しむ姿を見せられると、心配で仕方ない。
「でも、食あたりと思い込んでくれてるなら都合がいいわね。お腹を下してるって思ってるだろうし......」
「な、何のことですか?」
「正道くんは気にしなくて大丈夫よ」
「そ、そうですか......」
それから、俺は麦茶を貰い、少しだけ休ませてもらった。
そして、七瀬の家を後にした。
次の日、七瀬が登校できるかは不明だが、家に向かうことにした。
七瀬の家について現状を聞くと、どうやら登校できるそうだ。
だが、昨日はあんな状況だったので、本当に大丈夫なのだろうか。
俺は心配になりながら、七瀬を待った。
しかし、制服姿の七瀬が現れ、俺は嬉しくなった。
「正道! もう大丈夫なの!?」
「ああ、心配させて悪かった......」
七瀬は後頭部を手で掻きながら、俺に謝罪する。
「本当だよ! 心配したんだから......」
「すまん。まだ入院明けで体調が万全じゃないみたいだし、これからは色々と気を付けるよ......。......それじゃ、行こうか。ここで雑談してたら、遅刻しそうだし」
「うん、そうだね」
「それじゃあ、行ってきます」
七瀬が玄関から出て、扉を閉める。
そして、七瀬に手を繋ぐよう促され、手を繋ぎ、学校へと向かった。
「......なぁ、七瀬。ちょっと聞きたいんだけど......」
「ん? 何? 」
「俺と七瀬ってさ。俺の記憶が正しければ、あんまり親しい仲じゃなかったと思うんだよな。学校でもほとんど話さなかったし......」
「......うん。そうだね」
「それなのに、どうしてここ最近はそんなに良くしてくれるんだ?」
俺は、少しだけドキッっとした。
だが、咄嗟に誤魔化すことにした。
「......寂しくなるなって思ったから?」
「寂しく?」
「うん。あんまり親しくなかったけど、それでも、いなくなったら少し寂しくなるなって思って......。実際、正道の入院期間中も少し寂しかったし......」
「そ、そうだったのか......」
「それでね。考えて考えて。私は実は正道と仲良くなりたかったのかなって思ったんだ。だから、いなくならないでほしい。生きてほしいって思って......」
誤魔化しているとはいえ、話していて恥ずかしくなってしまった。
「.....やめよっか。この話。お互い恥ずかしくなってどうにかなっちゃいそうだし......」
「......そうだな」
それから、俺たちは特に話すこともなく歩き続け、学校に向かった。
そして、授業を受け、給食を食べ、また授業を受けて帰宅。
帰り道もまだ登校中の気まずさが残っており、口数は少なかった。
家に帰り、風呂に入り、夕食を食べて、ベッドに入る。
寝ようとしたが、七瀬のことが頭から離れない。
俺と仲良くしてくれる七瀬が、俺のことを頼りにしてくれている七瀬が。
そして、今日の朝、照れ顔を見せてくれた七瀬のことが、頭にずっと残っていた。
やはり俺は、七瀬のことが好きなのだろう。
1・5章 終