ある日、七瀬が学校を休んだ。
俺は授業が終わり次第、走って七瀬の家へと向かった。
インターホンを押し、七瀬の母さんに軽く挨拶をし、階段を駆け上がる。
そして、七瀬の部屋の扉を勢いよく開けた。
「正道!」
部屋に入ると、七瀬の姿は見えなかった。
その代わり、山のように膨らんだ布団が、ベッドの上にあった。
「......寝てるの?」
様子を確認するため、布団へ近づく。
すると、布団の端っこから、七瀬が顔を出した。
「あ、起きてたんだ」
俺は七瀬の調子を確かめるため、顔を確認する。
「顔色はそんなに悪くなさそうだね。良かったー」
七瀬が無事であることを確認し、安堵する。
「まぁ、そこまでは悪くないよ。明日は学校に行けると思う」
「そうなんだ! ......正道が居ないと寂しいからさ」
「......悪いな。休んじまって」
七瀬が落ち込んでしまったため、必死に頭の中でフォローする言葉を考える。
「仕方ないよ! 調子が悪かったんだし......。あ、そうだ」
「どうしたんだ?」
「あんまり言いたくなかったらいいんだけどさ......。どんな感じで調子が悪かったの? 例えば、前みたいに意識を失った、とかさ......」
もしかしたら、心配をさせないようにしているのかもしれない。
そう思った俺は、そう聞いてみた。
「あー......。今回はそんな大ごとじゃないよ。ただ、目の調子が悪い気がしてさ。なんか、ここ最近見間違えが多くなった気がしてさ。学校を休むほどでもないと思ったけどさ、少し心配だったから......」
「......見間違え、かぁ」
そう聞いた瞬間、俺は思った。
七瀬は回復してきたのではないか。
勉強から一時的に離れ、精神的ストレスが無くなったことにより、幻覚の症状が軽くなってきたのではないか。
「ちなみにさ......」
俺は本当にそうなのか、それを確認するため、質問することにした。
「人を見間違えたりとか、そんなことってあった......?」
「あっ......? えっ......?」
七瀬の体は、震え始めた。
「ど、どうしたの!? そんな鳩が豆鉄砲を食ったような顔して! それに、そんなに震えて......」
俺は七瀬に近づき、額に右手の手のひらを当てる
それと同時に、自分自身の額に左手の手のひらを当てた。
「うーん......。熱は無さそうだけど......」
「はっ......!」
七瀬は突然、ベッドの上で後ずさりし、俺から距離を取った。
「えっ!? もしかして、急に触れたから驚いちゃった......?」
「あ、いや......。ご、ごめん......」
七瀬が突然謝る。
「い、いや。私も悪かったから......。ごめん......」
「......七瀬。申し訳ないんだけど、少し一人にさせてくれないか......? また少し調子が悪くなって、休みたいんだ......」
「うん、分かった......。......それじゃあ、明日学校で......。お大事に......」
七瀬を励まそうとしたつもりが、逆効果になってしまったようだ。
俺は七瀬の部屋から出た。
翌日の朝。
俺は七瀬を迎えに行った。
「お、おはよう正道。......調子はどう......?」
「......まぁ、何とか大丈夫だ」
「......そっか。それじゃ、行こう」
俺は七瀬と手を繋ぎ、学校へと向かって歩き始めた。
「......正道、本当に大丈夫?」
登校中、草に囲まれた道で、七瀬に声を掛けた。
まだ体調が悪そうだったので、心配になったからだ。
「大丈夫だから......。あまり気にしないでくれ......」
「そ、そう......」
それから、お互い喋らなくなってしまった。
しかし、それが気まずくて、俺は何か良い話題が無いか、考えるために頭を働かせた。
「あっ......。そういえば......。正道ってそろそろ誕生日だよね? えーっと確か......。七月二十五日......だっけ?」
「そ、そうだけど......」
「良かったー正解で......。彼女なのに彼氏の誕生日が分からないなんて、最悪だからね......」
「それで、なんで誕生日なんか......」
「せっかくだからさ。誕生日会しようよ」
昨日、俺は家に帰った後、一人で考えた。
もし、七瀬の症状が回復してきているのだとしたら、不安になっているはずだ。
正道だと思っているのに、まるで自分が正道ではないかのような現象に見舞われているはずだから。
ここで、また精神的に悪くなってしまえば、この計画が意味無くなってしまう。
だからこそ、七瀬を元気付けて、真実を受け入れられる精神状況にしよう、そう思ったのだ。
「いや、いいよ......」
しかし、七瀬は否定的だった。
「えーっ!? やろうよー」
俺は七瀬の手をグイグイ引っ張り、そう言った。
「私が準備するからさー」
「......分かったよ」
「やった! じゃ、楽しみにしててね!」
「はいはい......」
俺は誕生日会が開けることになり、嬉しくなった。
七瀬の精神状況が改善するという理由もあるが、それ以上に、好きな七瀬を祝えるというのが、凄く嬉しかった。
だが、それと同時に、心の奥には、別の気持ちがあった。
それから、誕生日会を開くことを坂月先生にも伝えた。
祝い事は人数が多いほど楽しく、嬉しいだろうと思ったからだ。
七瀬の誕生日の一週間前。
俺は七瀬にこんなことを言われた。
「なぁ七瀬。なんか今日はやたら声が低いな......」
「えっ!? あー......。実は、演劇練習の一環で、発声練習をしてたんだけど......。今日起きたら喉が少しおかしくなってて......。ゴホッ.....」
俺は驚きつつも、咄嗟に嘘を付いた。
「ちょっと待ってろ。のど飴持ってきてやるから」
七瀬は靴を脱ぎ、台所へのど飴を取りに行った。
(な、なんでだ......?)
日頃から練習はしていたが、声は枯れていないはずだ。
「あー、あー......」
小さい声を出して確認してみるも、違和感は無い。
(ま、まさか......)
少し前、七瀬は幻覚の症状が改善されたのか、俺のことが七瀬ではなく、正道に見えたと言っていた。
つまり、今度は俺の声が七瀬の声に聞こえる症状が改善されたのかもしれない。
本来、これは喜ばしいことだ。
七瀬が、元に戻ろうとしているのだから。
「ほら」
「あ、ありがと......」
俺は七瀬からのど飴を受け取り、飴を口に放り込んだ。
「それじゃ、行こうぜ」
「うん......」
俺と七瀬は、学校へと歩き始めた。
少し歩き始めた頃、俺は考えた。
七瀬は現在、症状が良くなってきている。
もう少し状況が良くなり、本人も気が付き始めたタイミングで、落ち着いて真実を伝えるのがベストだろう。
だが、そんな考えを邪魔する、忌々しい考えが心の奥に潜んでいた。
七瀬と離れたくない。
記憶が戻り、元の生活に戻れば、七瀬は俺から離れていくだろう。
七瀬の回復を喜ぶべきであるのに、俺はそんなことを少しだけ思ってしまっていた。
学校に着き、教室へと向かう。
教室の扉のガラス窓から、椅子に座っている坂月先生の姿が見えた。
「おはようございます。今日は早いですね」
七瀬が坂月先生に挨拶する。
「おはようございます。先生」
それに続き、俺も挨拶をした。
「あっ、おはようございます。二人とも」
「先生、今日はどうしたんですか? いつもはチャイム直前に教室に入ってくるのに」
「今日は職員室じゃなくて教室で作業をして、気分転換でもしようかなーって思って......」
俺と坂月先生は、そのまま会話を始めた。
しかし、何かを感じたのか、坂月先生は七瀬のことを見た。
「......あれ? どうしたの、正道くん......? 体調悪い......?」
「あ、あの......。俺よりも、七瀬の方が......」
「七瀬さん......?」
今度は、俺のことを見始めた坂月先生。
俺の顔をじっくりと見て、様子を伺う。
「先生の目からは、特に調子が悪そうには見えないけど......」
「いや、見た目じゃなくて、声が......」
「......あっ!」
そういえば、今の七瀬は俺の声が、七瀬の声ではなく、実際の俺の声に聞こえていることを思い出した。
「ど、どうしたんだ、七瀬......?」
「あ、いや。何でもないよ! 今宿題やり忘れたことを思い出しちゃって......。すみません坂月先生......。休み時間にやるので......」
俺は再び嘘を付き、誤魔化すことにした。
「あら、仕方ないですね。今回だけですよ」
「本当にすみません......」
俺は坂月先生に謝った。
「じゃあ、少しでも早く終わらせるために、今からやります」
俺は自分の席で歴史の問題集とノートを広げた。
「あの、先生。さっきのことなんですが......。七瀬の声......」
「七瀬さんの声?」
「今日は七瀬の声の調子が悪いと思うんですけど、特に違和感はありませんでしたか?」
「えーっと......。私からは、特には......。......もしかしたら先生、耳が悪くなってるのかも?」
先生は耳を触りながらそう言った。
当然、坂月先生には普段から俺の声が聞こえているので、変化など分からないはずだ。
このままでは、七瀬が違和感を覚えてしまう。
どうにかして坂月先生に事情を伝え、話を合わせて怪しまれないようにしなければ。
そこで、俺は急いでノートに文字を書いた。
「ちなみに、今日の七瀬さんの声ってどんな感じだった?」
「えっと......。いつもより声が低い感じがして......。本人は声が枯れたって言ってますけど......」
「あら......。それは少し心配ですね......。正道くん。教えてくれてありがとうね」
七瀬はそれを伝えると、自分の席に着いた。
「......あれ、範囲ってここでいいんだっけ?」
俺は文字を書く手を止め、立ち上がる。
そして、坂月先生の元に問題集とノートを見せに行った。
「あら、どうしたの?」
「実は、宿題の範囲を忘れて......」
そこで、俺は問題集と共に、ノートを見せた。
【今、七瀬には男子の声が聞こえている。話を合わせて】と書かれたノートを。
「......あぁ。宿題の範囲は、二十ページから、二十二ページまでよ」
「ありがとうございます! 必ず放課後までに終わらせます!」
俺は先生にお礼を言い、席に戻った。
先生の反応的に、察してくれたと思う。
とりあえず誤魔化せそうで、俺は安心した。
だが、七瀬を騙すためとはいえ、やってきた宿題をもう一度やらなければいけないのは辛かった。
「そういえばさ、七瀬」
「ん? どうしたの?」
「なんでそんなに演劇家になりたいんだ?」
下校中、七瀬に突然こんなことを聞かれた。
「色々理由はあるんだけど......。一つはね、昔両親と演劇を見に行ったことがあってね。その時に主役のお嬢様を演じている人がいたんだけど。その人に憧れちゃって......」
お嬢様に憧れた、というのは嘘である。
本当は、カッコいい王子様や騎士、紳士の役に憧れたのだ。
「いい理由じゃん」
「これが一つ目の理由。二つ目の理由はね......」
俺は少し恥ずかしくなり、言葉がなかなか出てこない。
「大丈夫だって。笑わないから」
「......本当?」
「......理由による」
「......正道を引き留めたかったから」
七瀬は少し驚いた顔をした。
「え、俺......? どういうことだ?」
「正道はこの田舎が嫌で、都会の頭のいい高校に通うことを理由に、都会で一人暮らししたいからでしょ? それで、そのまま大学に行って、就職するつもりでしょ? だから......」
「だから......?」
「......私が頑張って有名になって、ここで活動すれば人が集まるでしょ? それで、ここが観光地にでもなって田舎っぽくなくなれば、もしかしたら戻ってきてくれるかな......って......」
「な、七瀬......」
これは紛れもない事実だ。
七瀬は、田舎であるこの土地が嫌で出ていこうとしている。
だから、ここが田舎で無くなれば、七瀬が戻ってきてくれると思ったのだ。
そうすれば、好きなこの地元で、七瀬と一緒に過ごせると思ったのだ。
「でもさ、独立して自由に活動するとなると、とてつもないくらい大変でしょ......? だから......」
七瀬は、少し申し訳なさそうにしている。
「七瀬、ごめん......」
「え......?」
「七瀬がそんな思いを持っているのも知らずに、勉強ができないことに対して色々言っちまって......」
「いや、勉強してないのは悪いことだし、正道が謝ることじゃないよ......」
「だけど......」
「じゃあさ、申し訳ないと思うなら、応援してよ」
「そ、それは勿論! 当たり前だ!」
「ふふ、それじゃあ私のこと、ちゃんと見守っててね」
七瀬が応援してくれると言ってくれて、俺は嬉しくなった。
「あ、そうだ。演劇家を目指してるというか、演劇を頑張っている理由があるんだけど......」
「もう一つ?」
「うん。でも、それはまだ言えないかな」
「ま、まだ......?」
もう一つの理由。
それは、七瀬を騙すこと。
今の計画のこと。
「い、いつ教えてもらえるんだ......?」
「うーん......。......分かんない」
七瀬が自分を正道ではなく、七瀬であると気が付くまでは言えないので、そう答えるしかなかった。
「わ、分からない......?」
「うん。だから、楽しみにしてて」
「お、おう......」
俺はそう言って、七瀬をワクワクさせるためにそう言った。
そのワクワクが、精神的に良いと思ったからだ。