俺の彼女は幻かもしれない   作:Melolololon

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第3章 謎 後半

「あっ......? えっ......?」

 

 いつの間にか俺の体は震えていた。

 それと同時に、驚きにより唖然としてしまった。

 

「ど、どうしたの!? そんな鳩が豆鉄砲を食ったような顔して! それに、そんなに震えて......」

 

 七瀬は俺に近づき、額に右手の手のひらを当てる。

 それと同時に、自分自身の額に左手の手のひらを当てた。

 

「うーん......。熱は無さそうだけど......」

 

「はっ......!」

 

 俺はそんな声を出し、咄嗟に七瀬から距離を取った。

 

「えっ!? もしかして、急に触れたから驚いちゃった......?」

 

「あ、いや......」

 

 驚きと恐怖で拒否反応が起きた、なんて言えるはずがない。

 

「ご、ごめん......」

 

 何を言えばいいか分からず、俺は七瀬に謝罪した。

 

「い、いや。私も悪かったから......。ごめん......」

 

 七瀬も同じように謝罪した。

 

「......七瀬。申し訳ないんだけど、少し一人にさせてくれないか......? また少し調子が悪くなって、休みたいんだ......」

 

 七瀬と距離を置くため、嘘を付く。

 

「うん、分かった......。......それじゃあ、明日学校で......。お大事に......」

 

 七瀬は俺の部屋から出ていき、階段を降り、家から出ていった。

 

 

「なんでなんだ......?」

 

 何故、七瀬は藤波先生と同じ質問をしてきたのか。

 何故、人がおかしく見えるという的確な予想をし、俺に質問をしてきたのか。

 

 藤波先生と七瀬は、何かを知っているのか。

 俺のことをどこまで知っているのか。

 

 意味が分からない。

 その意味の分からなさに、俺は恐怖していた。

 

「......ダメだ。今日は寝よう」

 

 俺は恐怖と精神疲労で考えたくなくなってしまい、逃げるように寝ることにした。

 夕食を食べていないが、今は空腹を感じない。

 目を閉じて数分ほど経過すると、すんなりと眠ってしまった。

 

 

 目が覚めると、朝日が昇っていた。

 疲れていたせいか、かなり長い時間眠ってしまったようだ。

 

 本日は学校に行くため、いつも通り支度をし、玄関で七瀬を待つ。

 だが、玄関で待つ俺の心は、どこか落ち着かなかった。

 

 七瀬が一緒に居なければ、俺は倒れてしまう危険がある。

 だが、昨日のあの七瀬の質問により、俺は七瀬に不信感を覚えていた。

 このまま一人で先に行ってしまおうか。

 そんなことを考えていると、玄関のインターホンが鳴り、扉が開いた。

 七瀬がやってきてしまった。

 

「お、おはよう正道。......調子はどう......?」

 

 よそよそしい感じで俺のことを心配する七瀬。

 

「......まぁ、何とか大丈夫だ」

 

「......そっか。それじゃ、行こう」

 

 七瀬が外に出ると、俺は立ち上がって外にでる。

 そして、渋々七瀬と手を繋ぎ、学校に向かった。

 

 

 草に囲まれた道を、七瀬と二人で歩く。

 深夜に雨でも降ったのか、うっすらと土の匂いがした。

 

 少しだけ霧が出ており、遠くまで見えないようだった。

 今までは少しだけ幻想的だと思っていたが、今日は違う。

 

 まるで、七瀬を恐れている俺を逃がさないように取り囲んでいるような。

 そんな圧迫感が感じられた。

 

「......正道、本当に大丈夫?」

 

 険しい顔をしていたせいか、七瀬が心配をする。

 

「大丈夫だから......。あまり気にしないでくれ......」

 

「そ、そう......」

 

 それから、俺と七瀬は黙って道を歩く。

 

「あっ......。そういえば......。正道ってそろそろ誕生日だよね? えーっと確か......。七月二十五日......だっけ?」

 

 数分ほど歩くと、七瀬が気まずくなったのか、俺に話を振った。

 

「そ、そうだけど......」

 

「良かったー正解で......。彼女なのに彼氏の誕生日が分からないなんて、最悪だからね......」

 

「それで、なんで誕生日なんか......」

 

「せっかくだからさ。誕生日会しようよ」

 

 ここ一ヶ月、入院し、体調を崩し、外でも倒れ、精神的に参っていると思い、元気付けるために提案をしてくれているのだろう。

 だが、今の俺は誕生日会をする気など起きていなかった。

 

「いや、いいよ......」

 

「えーっ!? やろうよー」

 

 七瀬が俺の手をグイグイ引っ張りながら言う。

 

「私が準備するからさー」

 

「......分かったよ」

 

 乗り気ではないが、俺の勝手な推測や妄想で七瀬を怪しんで距離を置こうとするのは良くないと思った。

 そんな俺は、仕方なく誕生日会を行ってもいいと回答した。

 

「やった! じゃ、楽しみにしててね!」

 

「はいはい......」

 

 機嫌が良くなり、足取りが軽くなる七瀬。

 俺はそんな七瀬に手を引かれつつ、重い足取りで歩き続けた。

 

 

 それから学校に到着し、教室へと向かう。

 席に座って七瀬と話しをしていると、チャイムが鳴り、それとほぼ同時に坂月先生が教室に入ってきた。

 

「あ、正道くん......。体調はもう大丈夫なんですか......?」

 

 坂月先生が心配そうな顔で俺に聞いてきた。

 

「はい。もう大丈夫です」

 

「そ、そっか。よ、良かったぁ......」

 

 先生は大きく安堵のため息を吐き、笑顔になる。

 

「そ、そんなに心配だったんですか? な、なんて伝えたんだ俺の母さんは......」

 

 母さんが変な伝え方をしたのか、そのせいで坂月先生に誤解を与えているのかもしれない。

 

「さ、坂月先生。俺はそんな心配されるほど体調を崩していませんよ。少し目の調子が悪かっただけで......」

 

「え!? あ、あぁ......! そ、そうだったのね......! 正道くんのお母さまが少し深刻そうだったから、勘違いしちゃって......。えへへへへ......」

 

 やはり、母さんが変な伝え方をしてしまったらしい。

 

「じゃ、今は元気なのね?」

 

「元気じゃなかったら学校に来ていないですよ」

 

「そ、そっか。そうだよね......!」

 

 坂月先生が照れ、恥ずかしそうに後頭部を軽く掻いた。

 先ほどまでの暗い気持ちが、坂月先生のほほえましい姿によって明るくなっていく。

 

「じゃ、じゃあ。朝会を始めましょうか。......といっても、今日も報告することなんてないんだけどね......。二人からは何かある?」

 

「はい!」

 

 七瀬が元気よく手を挙げ、立ち上がった。

 

「七月二十五日に正道の誕生日会をやるので、坂月先生も参加しませんか!?」

 

「えっ!? せ、先生も参加していいんですか......?」

 

 忙しいとか、生徒とプライベートで関わるのはあまり良くなさそうなど、そういう理由で断ると思っていたが、何故か乗り気だった。

 

「坂月先生って確かお料理得意なんですよね!? お料理をお任せしたいんですけど、いいですか?」

 

「そ、そんな......。得意とまではいきませんけど......。でも、正道くんのためなら、先生、腕を振るっちゃいますよ......!」

 

「だってよ! 良かったね、正道!」

 

 まさか先生がここまでやる気を出すなんて思っていなかったので、あっけに取られていた。

 だが、これはむしろ好都合かもしれない。

 信頼できそうな大人が増えるのは、いいことである。

 

「それじゃ先生......。よろしくお願いします」

 

「う、うん。任せておいて......!」

 

 俺が先生にそう言うと、少し照れながら返事をした。

 

「とりあえず一旦誕生日会のことは置いておいて......。他に報告は無いかしら?」

 

 俺は特に報告することが無いので、黙っていた。

 七瀬もこれ以上は特に報告することが無いのか、同じように黙っていた。

 

「じゃ、じゃあこれで朝会を終わりにしますね」

 

 先生がそう言うと、朝会は終わりを迎えた。

 

 

 それからいつも通り学校の授業を終え、家に帰宅した。

 次の日も七瀬と登校し、授業を受け、帰宅する。

 体調を崩してから数日間は体調不良は特に無く、いつも通りの生活が続いた。

 七瀬がおかしく見えることもなく、やはり俺の疲れによる見間違えや思い込みだったのではないかと思い、だんだんと不安は無くなっていった。

 

 

 だが、誕生日会の約一週間前。

 学校に行く支度を終えた俺は、いつも通り七瀬を待っていた。

 そして、いつも通りインターホンが鳴り、いつも通り扉が開く。

 

「正道おはよー」

 

「......ん?」

 

 いつも通り七瀬が俺に挨拶をする。

 だが、いつもと違う点が一つだけあった。

 

「なぁ七瀬。なんか今日はやたら声が低いな......」

 

 今日の七瀬の声は、いつもよりも声がかなり低い気がした。

 まるで、男性が喋っているような、そんな声だった。

 

 

 

「えっ!? あー......。実は、演劇練習の一環で、発声練習をしてたんだけど......。今日起きたら喉が少しおかしくなってて......。ゴホッ.....」

 

 低い声で話す七瀬。

 咳をしていて苦しそうだ。

 

「ちょっと待ってろ。のど飴持ってきてやるから」

 

 俺は靴を脱ぎ、台所へ向かった。

 

「母さん。七瀬が喉が痛いっていうから、のど飴もらってもいい?」

 

「あら、いいわよ」

 

 食器棚の空きスペースにお菓子が入っている箱があるので、箱を取り出し、のど飴を探す。

 適当に良さそうな飴を選んだ俺は、玄関へと戻り、七瀬へ手渡す。

 

「ほら」

 

「あ、ありがと......」

 

 七瀬は包装を開け、飴を口に放り込む。

 

「それじゃ、行こうぜ」

 

「うん......」

 

 俺と七瀬はいつも通り歩き始め、学校へと向かった。

 

 

 教室の扉を開けようとすると、扉の窓から坂月先生が黒板前の椅子に座っていることに気が付いた。

 ペンとノートを持ち、何かをメモしている。

 

「おはようございます。今日は早いですね」

 

 扉を開けながら、先生に声をかける。

 

「おはようございます。先生」

 

 低い声で挨拶をする七瀬。

 

「あっ、おはようございます。二人とも」

 

「先生、今日はどうしたんですか? いつもはチャイム直前に教室に入ってくるのに」

 

「今日は職員室じゃなくて教室で作業をして、気分転換でもしようかなーって思って......」

 

 七瀬と坂月先生が会話を始める。

 

 おかしい。

 坂月先生は七瀬の声がおかしいとは思わないのか。

 先生であるなら、生徒を心配して確認くらいはしそうであるが、坂月先生は全く声に触れない。

 

「......あれ? どうしたの、正道くん......? 体調悪い......?」

 

 坂月先生は考え事をしていた俺を心配そうに見てくる。

 

「あ、あの......。俺よりも、七瀬の方が......」

 

「七瀬さん......?」

 

 坂月先生は七瀬を見つめる。

 じっくりと顔を見て、様子を伺っている。

 

「先生の目からは、特に調子が悪そうには見えないけど......」

 

「いや、見た目じゃなくて、声が......」

 

「......あっ!」

 

 突然、七瀬が驚き、声を出す。

 

「ど、どうしたんだ、七瀬......?」

 

「あ、いや。何でもないよ! 今宿題やり忘れたことを思い出しちゃって......。すみません坂月先生......。休み時間にやるので......」

 

「あら、仕方ないですね。今回だけですよ」

 

「本当にすみません......」

 

 謝る七瀬。

 

「じゃあ、少しでも早く終わらせるために、今からやります」

 

 七瀬は自分の椅子に座り、歴史の問題集とノートを広げ、問題を解き始めた。

 

「あの、先生。さっきのことなんですが......。七瀬の声......」

 

「七瀬さんの声?」

 

「今日は七瀬の声の調子が悪いと思うんですけど、特に違和感はありませんでしたか?」

 

「えーっと......。私からは、特には......。......もしかしたら先生、耳が悪くなってるのかも?」

 

 先生は耳を触りながらそう言った。

 

「ちなみに、今日の七瀬さんの声ってどんな感じだった?」

 

「えっと......。いつもより声が低い感じがして......。本人は声が枯れたって言ってますけど......」

 

「あら......。それは少し心配ですね......。正道くん。教えてくれてありがとうね」

 

 先生がお礼を言う。

 会話はそこで終わり、俺は席に戻った。

 

「......あれ、範囲ってここでいいんだっけ?」

 

 問題を解いていた七瀬の手の動きが止まり、七瀬が呟く。

 七瀬は立ち上がり、坂月先生の元へ向かう。

 

 しかし、範囲を聞くだけなら問題集だけを持っていけばいいのに、何故かノートまで持っていっている。

 これではまるで、俺には聞かれたくないことを、文字で伝えようとしているみたいだ。

 もしかすると、俺に内緒で誕生日会の打ち合わせをしようとしているのかもしれない。

 

「ありがとうございます! 必ず放課後までに終わらせます!」

 

 範囲を聞き終えた七瀬は席に戻り、再び問題を解き始めた。

 

 

「なぁ七瀬」

 

 放課後、坂月先生に宿題を提出し終えた七瀬に声をかける。

 

「そのー......。演劇に力を入れるのはいいが、少し力を入れすぎてないか? 声が枯れるのはともかく、宿題を忘れるほどに熱中しちゃって......。あ、いや。七瀬を否定してるって訳ではなくて、ただその......。そのうち体調を崩してしまうんじゃないかって思ったら、少し心配で......」

 

「そ、そんなに心配......? だ、大丈夫だって......。......でも、正道がそう言うなら、もう少し控えるよ。心配ありがとう」

 

 七瀬は照れながら言った。

 

「よーし! じゃあ、そんな優しい正道のために、誕生日会張り切っちゃうぞー!」

 

 七瀬は声を大きくして自分を鼓舞する。

 

「お、おい......! 喉の調子が悪いんだから、あんまり大声を出すと......」

 

「あっ......」

 

 七瀬は喉を抑え、少し苦しそうな顔をする。

 

「い、今ので悪化したかも......」

 

「ほら、言わんこっちゃない......。またのど飴やるから、俺の家に寄ってけよ」

 

「うう......。申し訳ない......」

 

「じゃ、帰るぞ」

 

「う、うん......」

 

 俺たちは下校することにした。

 

 

 

 下校中、俺はただなんとなく理由が気になり、何故声が枯れるまで演劇の練習をするのか、聞いてみることにした。

 

「そういえばさ、七瀬」

 

「ん? どうしたの?」

 

「なんでそんなに役者になりたいんだ?」

 

 すると、七瀬は少し困ったような表情を見せる。

 

「色々理由はあるんだけど......。一つはね、昔、両親と演劇を見に行ったことがあってね。その時に主役のお嬢様を演じている人がいたんだけど。その人に憧れちゃって......」

 

「いい理由じゃん」

 

「これが一つ目の理由。二つ目の理由はね......」

 

 理由を言うのが恥ずかしいのか、口をモゴモゴとさせ、なかなか理由を言おうとしない。

 

「大丈夫だって。笑わないから」

 

「......本当?」

 

「......理由による」

 

 少し前にした記憶があるやり取りをすると、七瀬は決心したのか、口を開く。

 

「......正道を引き留めたかったから」

 

「え、俺......? どういうことだ?」

 

 俺と将来の夢の関係性が分からず、七瀬に聞き返す。

 

「正道はこの田舎が嫌で、都会の頭のいい高校に通うことを理由に、都会で一人暮らししたいからでしょ? それで、そのまま大学に行って、就職するつもりでしょ? だから......」

 

「だから......?」

 

「......私が頑張って有名になって、ここで活動すれば人が集まるでしょ? それで、ここが観光地にでもなって田舎っぽくなくなれば、もしかしたら戻ってきてくれるかな......って......」

 

「な、七瀬......」

 

 まさか、七瀬がそこまで俺のことやこの地域のことを考えて練習をしているとが思わなかった。

 

「でもさ、独立して自由に活動するとなると、とてつもないくらい大変でしょ......? だから......」

 

 だから、声を枯らし、勉強を疎かにしてまで日々練習をしていた。

 

「七瀬、ごめん......」

 

「え......?」

 

「七瀬がそんな思いを持っているのも知らずに、勉強ができないことに対して色々言っちまって......」

 

 心の底から申し訳ないと思い、俺は謝罪した。

 

「いや、勉強してないのは悪いことだし、正道が謝ることじゃないよ......」

 

「だけど......」

 

「じゃあさ、申し訳ないと思うなら、応援してよ」

 

「そ、それは勿論! 当たり前だ!」

 

「ふふ、それじゃあ私のこと、ちゃんと見守っててね」

 

 七瀬はニコッと笑う。

 

「あ、そうだ。役者を目指してるというか、演劇を頑張っている理由があるんだけど......」

 

「もう一つ?」

 

「うん。でも、それはまだ言えないかな」

 

「ま、まだ......?」

 

 まだ、とはどういうことなのだろうか。

 恥ずかしいのか、それとも、何か別の理由があるのだろうか。

 

「い、いつ教えてもらえるんだ......?」

 

 ここまで聞いたら理由が気になってしまい、七瀬に聞く。

 

「うーん......。......分かんない」

 

「わ、分からない......?」

 

「うん。だから、楽しみにしてて」

 

「お、おう......」

 

 七瀬が演劇を頑張っている理由。

 わざわざ役者を目指している理由ではなく、演劇を頑張っている理由と発言したので、将来の夢とは関係がない理由なのだろう。

 

 しかし、演劇に疎い俺は、役者を目指す以外で演劇を必死に頑張る理由が思いつかなかった。

 七瀬と会話しつつ、頭の隅っこで理由を考えていると、いつの間にか俺の家の前に辿り着いていた。

 

 

 

「じゃ、飴持ってくるから待っててくれ」

 

「うん」

 

 俺は玄関の扉を開け、家へ入る。

 

「ただいまー」

 

 母親に帰宅したことを伝え、台所へ向かう。

 

「あら、おかえり」

 

 台所では母親が夕食の支度をしていた。

 

「母さん。ここの飴、数個貰うね」

 

「いいわよ」

 

 俺は棚を開け、飴を数個ほど掴む。

 

「一人でそんなに舐めるの?」

 

「俺が舐めるんじゃないよ。七瀬が喉の調子が悪くてさ。だから、自宅で舐められるように何個か渡そうと思って」

 

「あーそうなのね」

 

 母さんは納得する。

 俺は飴を握りしめ、七瀬が待つ玄関へと戻った。

 

「ほら、家でも舐められるように何個か持ってきたぞ」

 

 俺は手を開く。

 

「ありがと」

 

 七瀬は飴を受け取り、一つだけ包装紙から取り出し、飴を口に入れた。

 残りの飴は制服のスカートのポケットへと入れた。

 

「七瀬ちゃん。正道から聞いたんだけど、喉の調子が悪いんだってね? それで、さっき確認したんだけど、喉の薬があったの」

 

 母さんがスプレー式の薬を箱から出し、七瀬に差し出した。

 

「あ、ありがとうございます」

 

 七瀬は飴を口の端っこに寄せ、口を開けて喉に薬を噴射した。

 飴で頬が膨らんでおり、まるでハムスターみたいだ。

 

 薬を塗り終わると、七瀬は薬を母さんに返した。

 

「それじゃ、お大事にね」

 

「薬、ありがとうございました。正道もありがとうね」

 

「お、おう。......あまり無茶するなよ?」

 

「ふふ、分かったよ。それじゃ、また明日ね」

 

 七瀬は手を振ると、自宅へと向かっていった。

 

「そういえば、喉の調子が悪いらしいのに、特に喉は痛そうじゃなかったわね」

 

 七瀬を見送り、台所へ戻ろうとした母さんが、ふと、そう呟いた。

 

「あ、そういえば確かに......」

 

「七瀬ちゃんの喉って、朝から喉の調子が悪かったの?」

 

「あ、ああ。声の調子がおかしくてさ......」

 

「ふーん......そうなのね......」

 

 母さんは何か納得したのか、台所へ戻っていった。

 俺は手洗いをするために脱衣所に入る。

 流し台の蛇口を捻り、石鹸で手を洗う。

 

 その際中、不可解なことについて考えていた。

 先ほどなら既に喉が治りかけているので、苦しそうにしていなくても違和感はない。

 気になるのは朝の時だ。

 

 俺が七瀬の声の違和感に気が付く直前、七瀬は苦しそうではなかった。

 もしかしたら我慢していたのかもしれないが、あの七瀬の反応。

 

「えっ!? あー......」

 

 まるで、自分の喉の不調に気が付いていなかったかのような、そんな反応。

 その後、演劇の練習で喉がおかしくなった、と本人は発言したが、果たしてあれは本当だったのだろうか。

 

 石鹸を水で流し、タオルで手を拭き、自室へと戻る。

 制服から着替えて横になり、続きを考える。

 

 七瀬の声以外におかしかったこと。

 それは、坂月先生と母さんの反応。

 声が明らかにおかしいのに、坂月先生と母さんは、まるで気にもしていないようだった。

 

 ということは、俺だけが声の違和感に気が付いてたことになる。

 

「......まさか!」

 

 今日の出来事を思い返すと、ある言葉を思い出した。

 

「もしかしたら先生、耳が悪くなってるのかも?」

 

 あの時は、坂月先生の耳の調子が悪いだけなのかもしれないと思っていた。

 しかし、母さんも声の不調に気が付かなかった。

 

 俺だけが気が付いた。

 俺だけしか気が付かない。

 

「俺が......おかしいのか......?」

 

 俺は無意識に耳を触る。

 調子が悪いのは、七瀬の喉でもなく、坂月先生の喉でもなく、俺の耳なのかもしれない。

 本来なら診療所へ行くべきだが、俺の中で藤波先生は信頼していいか分からない人物となっている。

 そのため、診療所へは行かず、このことは誰にも言わないことにした。

 

「ん......?」

 

 最初は七瀬の喉が枯れており、いつもより低い声なのではないかと思っていた。

 しかし、喉が枯れてないという予想をしながら七瀬の声を思い返してみると、あの違和感が正しかったのではないか、そう思えてきた。

 

 声を聞く前は、まるで男性のような声に聞こえた、というのが俺の感想だった。

 今思い返すと、あの時の声は聞き馴染みのある男子中学生のような声だった気がする。

 

「俺の......」

 

 あの声は、俺の声。

 七瀬から発せられていたのは、俺の声に似ていた。

 

 その時、俺は数日前に、七瀬の姿が俺自身の姿に見えたことを思い出した。

 その瞬間、背筋がゾッとした。

 

「俺が、おかしいのか......? 俺が......」

 

 俺はおかしいのか。

 何かの病気でおかしくなっているのか。

 病気だとしても、こんなに急におかしくなるのか。

 

 何故、七瀬と藤波先生は同じ質問をしたのか。

 別の人物に見えたか、同じ質問をしたのか。

 

 実際に俺がおかしくて、既に周りは知っているのか。

 もしそうだとしたら、何故そんなことを知っているのか。

 

 何故、俺の体験が筒抜けなのか。

 七瀬や藤波先生には思考を見透かす能力でもあるのか。

 そんなこと、現実であり得るはずがない。

 

 しかし、それがあり得てしまったら。

 この世界が本物ではない、俺が知っている世界ではないと証明することは不可能である。

 俺が無意識に今までの経験を元に、そうではないと勝手に決めつけている可能性だってある。

 

 おかしいのは俺なのか、周りの人間なのか。

 そもそも、この世界がおかしいのではないか。

 

 頭の中に、様々な想像や予想、不安、恐怖が駆け巡る。

 今の俺は、幻に包まれ、何もかもが分からなくなってしまっているかのような状態に陥っていた。

 

 

第3章 終

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