七月二十五日、金曜日。
今日は俺の誕生日。
いつものように起きた俺は、台所へ向かう。
「あら、おはよう」
「......おはよう」
朝食を食べに台所へ入った俺は、母親の挨拶に返事をした。
「......ここ最近調子が良くないようだけど、大丈夫......?」
「だ、大丈夫......」
体に関しては、調子は悪くない。
「......いただきます」
食欲はあまりないが、食べなくては体調を崩してしまう。
無理やり口に入れ、無理やり食事を詰め込んでいく。
母親の回答に対して大丈夫と答えたが、それは体は悪くないという意味だ。
調子が悪いのは、精神である。
ここ最近、自分に襲い掛かる不可解な現象について考え続けていたせいで、日に日に精神が衰弱していた。
心配をかけさせないために表には出さないようにしているが、もしかしたらバレているかもしれない。
「ご馳走様でした......」
食事を食べ終え、食器を水につける。
そして、いつものように学校に向かう準備をし、いつものように七瀬を待つ。
数分ほど玄関で座っていると、ガラガラと扉が開く。
「ハッピーバースデー!」
七瀬は扉を開けるやいなや、大声で俺を祝った。
「あ、ありがとう......」
小さな声でお礼を言う俺。
「あれ? あんまり嬉しくなかった......?」
「い、いや嬉しいよ! ありがとう......」
七瀬の悲しむ顔を見た俺は、即座にちゃんとしたお礼を言った。
「それじゃ、誕生日会の話でワクワクしつつ、学校行こうか」
「お、おう......」
そして、いつものように七瀬と手を繋ぎ、二人で学校へと向かった。
「あ、そうだ。坂月先生だけどね。今日は即座に仕事を切り上げて来てくれるってよ。......その分、明日休日出勤するんだろうけど」
「へ、へぇ......」
「あとね、私のお母さんがケーキをネット注文してたみたいでさ。せっかくお祝いしに行くんだったら、プレゼント代わりに持っていきなって......」
「そ、そうなんだ......」
「それでね......。......って、正道? 聞いてる?」
「あ......。ああ! 聞いてるよ!」
正直、話はあんまり頭に入っていなかった。
現在の俺の頭の中を支配している話題はただ一つ。
何がおかしいのか。
「......もしかして、調子悪い?」
「いや、そんなことないけど......」
「......本当?」
「本当だってば......」
七瀬が俺のことを怪しみ、顔をジロジロと観察してくる。
顔が近く、少しだけ恥ずかしくなり、それと同時に、少し恐怖し、俺は後ろへ一歩下がる。
「まぁ、顔色はそんなに悪くない感じはするけど......。調子が悪くなったらすぐ言うんだよ?」
「わ、分かってるって......」
「分かってるならよろしい。じゃ、早く学校に行こ?」
七瀬は俺の腕を引っ張り、歩き始めた。
少し前までは、俺の身の回りのおかしな現象は体調不良によるもの。
そうだと信じていた。
しかし、数日前にふと、何となく考え込んでしまったせいで、その考えは変わっていた。
体調不良というだけで、あそこまで不可解な現象に見舞われるものなのだろうか、と。
七瀬が俺の姿に見えた。
その後、藤波先生と七瀬、両者とも【俺が人を見間違えたこと】に関して質問した。
そして、七瀬から俺の声が発せられ、他の人は違和感を持っていなかった。
あれから考えてみると、不可解な現象には、全て七瀬が関わっていたことが判明した。
だからこそ、彼女である七瀬が近づいてきたことに対し、恥ずかしいという感情と共に、恐怖という感情を抱いてしまったのだ。
「......うーん、今日は霧がすごいね......」
七瀬が辺りをキョロキョロと見渡す。
それにつられ、俺も周辺を見渡した。
特に気にしていなかったが、今日は霧が深く、先があまり見えない状況だった。
「なんかさー。こういう霧が深いときにさ、不可解な現象が発生して、なんだなんだー! ってパニックになっている間に、化け狐にバクっー! っていう展開をこの前アニメでチラッとみたんだけどさ......。その時と似てるんだよねー」
「今の状況が......?」
「うん。妖怪がテーマの作品でね、幻を見せて人を喰らう化け狐がテーマのお話だったんだー」
「幻......。......というか七瀬、アニメとか見るんだな......」
「うん。演劇のシナリオとか考えることになった際に、こういう積み重ねが役に立つかなぁ、って思ってさ」
「へ、へぇ......」
七瀬は楽しそうに話すが、俺はうわの空だった。
幻という言葉が、妙に引っかかったからだ。
もし、この世界が幻だったら。
七瀬が俺の姿に見えたのも幻だったら。
藤波先生と七瀬、両者とも同じ質問をしたのも、七瀬から俺の声が聞こえたのも、幻によるパニック症状による聞き間違えだったら。
「幻......か......」
「ん? どうしたの?」
ふと、七瀬の顔を見る。
「な、何......? そんなに私の顔をジロジロ見て......。寝癖でもある......?」
もしこの世界が幻だったら。
俺の彼女、七瀬も幻なのだろうか。
「ま、正道......?」
「はっ......!」
幻、その言葉に囚われ、無意識に七瀬を見つめ続けていた。
「す、すまん......」
俺は咄嗟に、少しだけ距離を置く。
そんな俺を、不思議そうに見つめる七瀬。
「......本当に大丈夫?」
「だ、大丈夫だって!」
「ならいいけど......。大丈夫なら、早く学校行こう? 遅刻しちゃうかもしれないし」
七瀬は学校に向かって歩き始めたので、俺も一緒に歩き始めた。
「はぁ......」
教室に入り、自席に着席した俺は、大きなため息をついた。
精神疲労からあまり眠れておらず、登校の疲れもあり、眠くなってきてしまったのだ。
「おはようございます」
坂月先生が教室に入り、教室の奥にある教員席に座る。
「あ、坂月先生。ちょっといいですか?」
座っていた七瀬が立ち上がり、坂月先生の元へ向かう。
話している内容が気になるが、俺の席まで声は届かない。
「ふわあぁぁ......」
眠気に襲われ、コクリ、コクリと頭が動く。
そんな中、チャイムが鳴り、朝会が始まろうとしていた。
しかし、眠気に耐えられなかった俺の記憶は、そこで途絶えてしまった。
「......ねぇ。まだ勉強するの? もう十一時よ?」
「うん。まだする予定。こんなんじゃ、志望校に合格できないから」
眠い目を擦りつつ、お風呂上りでサラサラした髪を指でいじる。
「勉強も大切だけど、それ以上に体も大切だから、無茶しちゃダメよ? それに、寝不足は肌荒れの原因にもなるのよ? 肌がボロボロになって、ニキビだらけになったら、同級生の正道くんに驚かれちゃうかもよ?」
「大丈夫。興味ないから」
「......そう。それじゃ、頑張ってね......」
それから、日付が変わり、二時を過ぎるまで勉強をした。
ベッドに横になろうと思ったが、疲れで体を動かす気力がない。
椅子に座ったまま、そのまま伏せ、眠ることにした。
「......正道! ......正道! 起きて!」
突然、体をユサユサと揺らされ、目が覚める。
「んぅ.......。......はっ!」
俺はガバっと勢いよく体を起こし、辺りを見渡す。
視界に偶然入った時計を見ると、既に午後四時になっていた。
「い、いつの間に......四時......?」
「正道、今日はずっとボーっとしてて、まともに授業を聞かずに帰る時間になっちゃったんだよ! 眠るごとに私が起こしても、ボーっとしたままだし......」
「ま、まさか......」
今日一日、ほとんど意識が無い状態で過ごしてしまった。
「ち、ちなみに坂月先生は何か言っていたか......?」
「起こしても起こしてもずーっと眠そうだったから、オロオロしてたよ」
「そ、そうか......。悪いことしちまったな......」
俺は授業をサボってしまったことを申し訳ないと思った。
だが、そのおかげで頭はスッキリとしており、眠気は吹き飛んでいた。
「あ、そういえばこのあと誕生日会か......。早く帰らないと......」
俺は荷物をまとめ、教室から出ようと立ち上がる。
「あ、待って!」
七瀬は帰ろうとした俺の腕を掴み、引き留める。
「坂月先生が車で送ってってくれるから、帰る準備が終わるまで待ってて、って言われてるの。」
「そ、そうなのか」
「うん。だから、もう少し待ってよ」
「ああ......」
俺は再び座り、七瀬と待つことにした。
窓が開いており、蝉の鳴き声が聞こえてくる夕方直前の教室。
そんな教室で、彼女と二人きり。
俺が得体のしれない謎に見舞われていなければ、青春してるな、とでも思えたのかもしれない。
しかし、今の俺に、この状況を満喫する余裕などなかった。
「ねぇ、正道......」
「......なんだ?」
「......落ち着いて、聞いて欲しいの。そして、正直に話してほしい」
七瀬が突然、真剣な顔でそんなことを言った。
普段の七瀬らしくないので、体が強張り、身構えてしまう。
「な、なんだよ......」
「......最近、変な違和感ってない? ......明らかに、体調不良とか、そういうことに関係していなさそうな......」
「......っ! ど、どうして......そんなことを......」
「......今は私を信じて答えてほしい」
七瀬の真剣な眼差しが、俺の目を捉える。
正直に話すべきなのか。
正直に話したら、全て解決するのか。
幻覚や幻聴が見えているかもしれないと、七瀬に話してもいいのか。
馬鹿にされたり、軽蔑されるのではないか。
そもそも、何故、七瀬はこちらに何か問題があるのではないかと分かっているのか。
何故、俺に問題があると思い、問いかけてきたのか。
もしかして、俺の症状に関して、何か知っているのではないか。
それなのにも関わらず、困っている俺を見て楽しんでいるのではないか。
それとも、何か、恐ろしいことでもしよう、いや、している最中なのではないか。
七瀬は、信じてもいい存在なのか。
信じられない存在に、真実を話す利点はあるのか。
彼女である七瀬を裏切るような答えを出していいのか。
俺を今まで支えてくれた七瀬を、信じなくてもいいのか。
「......いや、特には......」
苦渋の決断。
俺は、否定する決断を選んだ。
彼女である七瀬に、嘘を付く選択をした。
「......そう。なら、いいんだけど......」
先ほどまでの真剣な眼差しから一点、少し落ち込んだような表情を見せた。
いつもの七瀬に戻り、俺は心の中で少しだけ安心する。
「あ、正道くん。起きたんだね」
教室の外から、坂月先生が声をかけてきた。
「もう......。今日は許しますけど、今度からは夜更かしせずにちゃんと寝て、居眠りしないようにしてくださいね......!」
「は、はい......。今日は本当にすみませんでした......。これからは気を付けます......」
俺は深々と頭を下げ、謝罪する。
「......さ、先生のお説教はここまで。これ以上空気が悪くなったら、この後の誕生日会を楽しめなくなっちゃいますもんね。車の準備はできたので、一緒に行きましょう」
先生はそう言い、玄関に向かって歩いて行った。
「私たちも行こ」
「お、おう......」
七瀬は先生の後を追いかける。
俺も同じように先生の後を追いかけ、教室から出た。
校門前には、先生の赤い軽自動車が止まっていた。
先生が車のロックを解除し、後ろのドアを開ける。
「さ、乗ってください。シートベルトはちゃんとするんですよ」
「はーい」
七瀬は元気よく返事をし、車に乗りこむ。
俺も乗り込み、七瀬の隣に座る。
「それじゃあ、出発しますね」
坂月先生が運転席に座り、エンジンをかける。
車が動き出し、デコボコした道を走り始める。
俺は窓の外をボンヤリと眺めていた。
窓からは森や山、ここ最近使われておらず、草が大量に生えている畑しか見えない。
しかし、そんな単調な風景でも、現実逃避をするには十分だった。
「そういえば先生。先生も今日の料理を作るんですよね?」
「そうですよ。参加させてもらうお礼ということで......」
「先生の料理、楽しみです!」
七瀬と坂月先生が話し始めるが、俺は窓の外から視線を動かさなかった。
目を逸らしたら、不安だらけの現実に戻されてしまう。
そう思ったからだ。
「正道も楽しみだよね?」
「......え、あ、あぁ」
「もー......。先生が料理を作ってくれるっていうんだから、ちゃんと感謝しないと......」
「い、いいんですよ! 凄い料理が作れるわけでもないので......」
「えー? そんなことないでしょー。先生料理上手そうだし......。私の勘だけど」
再び二人は楽しそうに話し始めた。
そしてまた、俺は窓の外へと視線を戻す。
「先生、こっち方面の道はほとんど通らないんですけど、全然人がいないなぁって毎回思うんですよね......。家はたまーに見かけますけど......」
「この辺って老人ばかりだから、みんなふもとの街の老人ホームに入っちゃったんですよね。この辺じゃ、車が無いと生活できませんし。かといって、車に乗るのも危ないですし......」
「そうなんですね......。確かに、こんな舗装されてないデコボコしている細い道を、ご老人の方が通るのは大変ですもんね......」
「私、ここが好きだから、もう少し人が増えて、少しでもいいから賑わってほしいんですけどね......。せめて、お祭りとかはしたいなぁ......」
「そうですねぇ......。流石に、寂しすぎますもんねぇ......」
「あ、次に見える家が正道の家ですからね」
「知ってますよ。毎年ある家庭訪問で訪れているので」
「あ、そっか」
二人はずっと話続けており、俺はずっと窓の外を眺め、ボーっとしていた。
だが、そろそろ家が近い。
現実逃避の時間は、もうそろそろ終わりそうだ。
「とうちゃーく!」
車が止まると、七瀬はシートベルトを外し、車から降りる。
「じゃ、私は家にケーキを取りに行くので!」
「あ、じゃあ乗せて......」
「先生は正道のお母さんの手伝いをしなきゃいけないんでしょ? ケーキは私に任せて、お手伝いしてあげてください!」
七瀬はそれだけ言って、自宅へと走っていった。
俺はそれを途中まで見届け、玄関の扉を開ける。
「ただいま......」
「お、お邪魔しまーす。担任の坂月でーす......」
「あら、おかえり。それに、坂月先生。今日はありがとうございます。お手伝いに来てくれて......」
台所から玄関に向かって歩きながら、俺たちに言う母さん。
「いえ、むしろ、今日は私なんかを紹介していただいて、ありがとうございます......」
「私なんてって、そんな自分を卑下しないでください。毎日毎日、とてもお世話になっているんですから」
大人の女性二人が楽しそうに会話を始めたので、俺はそそくさと脱衣所に向かい、洗面台で手を洗う。
そして、何となくだけど、顔を洗ってみた。
「ふぅ......」
車の中でボーっとしていたせいでまた眠くなっていたが、冷たい水が俺の脳を叩き起こす。
眠気は水と共に流れ落ち、少しだけ気が晴れた。
「......幻、か......」
もし、今までの不可解な謎。
それが、病気による幻だったら。
それが、夢で見るような、不可解な幻のようなものだったら。
俺の身を包む幻が、この水で流されてくれたら。
しかし、現実は甘くない。
ゲームやアニメのように何か変わるわけでもなく、ただ、眠気が消えただけだった。
「じゃあ、こちらへ......」
「はい......」
脱衣所の外から、母さんと坂月先生の声が聞こえてきた。
母さんが台所に案内しているのだろう。
「......俺も手伝おうかな」
俺は脱衣所から出て、台所へ向かう。
「あ、正道。わざわざ手伝おうだなんて思わなくてもいいわよ。今日は誕生日なんだから、楽しみに待ってなさい」
「そうですよ。料理は先生とお母さんに任せてください......!」
二人は笑顔でそう言うと、料理の支度を始めた。
どうやら、俺が手伝うまでもなさそうだ。
俺は台所から出て、自室へ向かう。
自室に入ると、鞄を適当に置き、何となく椅子に座る。
「......勉強、するか......」
俺は鞄からノートと参考書、筆箱を取り出し、机に向かう。
「今日寝てた分、取り返さないとな......」
そんなことを考えながら、俺は勉強を始めた。
「正道ー?」
勉強開始から数十分後。
突然、七瀬が俺のことを呼びながら、部屋の扉を開けた。
「わっ......。誕生日なのにそんなガッツリ勉強してるの?」
「あ、七瀬......」
俺は勉強を一旦やめ、振り返る。
部屋の入口には、ピンクのトートバッグを肩にかけた七瀬が立っていた。
「私も料理を手伝おうとしたんだけど、私たちに任せなさいっていうから、こっち来ちゃった」
「そ、そうか......。ま、まぁ立ちっぱもあれだし、適当に座ってくれ」
「うん」
七瀬はベッドを背もたれにし、床に座り込んだ。
「あ、そうだ。私からの誕生日プレゼントがあるんだけど。先に渡しちゃうね......」
トートバッグの中に手を突っ込む七瀬。
そして、トートバッグの中から、如何にもプレゼントの箱だということがわかる、リボンに包まれた箱を取り出した。
箱は、一辺が五センチメートルにも満たない、小さな立方体だ。
「これ、私からのプレゼントなんだけど......。なんだけど......」
七瀬は恥ずかしそうにし、箱を渡そうとしない。
「......ごめん。やっぱ、後日でもいい......? 今更、正道に相応しくないと思っちゃって......」
俺に相応しくないプレゼント。
一体、中には何が入っているのだろうか。
「いや、七瀬が俺のことを思って用意してくれた。それだけで、とても嬉しいよ......」
俺は七瀬を気遣い、そう言った。
「で、でも......」
しかし、七瀬は渡そうとしない。
そんなに受け取ってもらいたくないものが入っているのだろうか。
気になる。
「そんなに心配しなくていいって」
「......後悔しない?」
「......え?」
ただの誕生日プレゼントで、何故、後悔しないかなどと聞いてくるのだろうか。
もしかして、見てはいけない、知ってはいけない物でも入っているのだろうか。
俺の顔から、冷や汗が垂れ始める。
怖い。
だが、それ以上に気になってしまう。
「こ、後悔しない......!」
「じゃあ......」
七瀬は箱を手の平に乗せ、差し出した。
俺はそれを受け取り、リボンをほどいていく。
リボンをほどいている途中、視線を少しだけ七瀬に向ける。
七瀬は相変わらず、顔を赤らめている。
「じゃあ、開けるぞ......」
リボンをほどき、箱の蓋を持ち上げる。
中には、いったい何が入っているのだろうか。