これは、とある小さな種に関する物語だ。
幾万の種がご機嫌にはじけ、芽吹いては素敵な花を咲かせ、つややかな実を落としてやがて朽ち、新たな目覚めを待つ。
すべての生命が辿る偉大な流れ――その途中で輝いた、一瞬の出来事の話だ。
しかし■■■は忘れないだろう。
たとえ強風が枝を折ろうとしても、豪雨が穴を穿とうとしても。
暗澹たる闇が世界を覆い、大地が枯れたとしても。
■■■へ辿り着き、優しい眠りについたとしても。
何ものにも代えがたい経験は、大切な友は。
■■ではなく、■■■■■が覚えている。
――■■■■■、■■■の手記より
◇◇◇
アランラミャは、ナラになった。
……何を言っているのか分からないかもしれないけど、アランラミャも何が起きてるのか分からない。
アランラカラリを使っただけなのに、突然体が大きくなって、ナラみたいな白くて長い手足が生えたのだ。
「わあ!」
よろめいて後ろにころんと尻餅をつく。足元はふらふらするし、頭も重たくて安定しない。何度か首を横に振ると、左目の前にふさふさした水色の毛が垂れてきた。
「見て、アランラキャ! アランラミャはどうなってる?」
困って隣を見ると、いつもより小さく見えるアランラキャと目が合った。
「ア、ア、アランラミャがナラになったー!?」
アランラキャは歩くキノコより高く飛び上がり、震えながら剣をぽとりと落とした。
同時に恐ろしい咆哮が響きわたる。びりびりと体を震わせるそれに、アランラミャたちはハッと思い出した。
いま、メガトン大鉄塊に襲われていたんだった。
「わわ……っ!」
大きな影がアランラミャたちを覆う。鉄の腕が振り上げられるのを見たアランラミャは、危ないと思ってアランラキャを抱え、勢いよく地面を蹴った。どーんと大きな音がして、土煙が巻きあがる。
「アランラキャのばか、ちゃんと動いて!」
「いきなりアランラミャがナラになるから、びっくりしたんだ!」
「アランラミャもびっくりした。でも動いた!」
「ほんとだ、ごめん」
ケホケホとむせながら体を起こす。たくさん転がったせいで全身が土まみれだ。
思うように手足を動かせない。アランラキャも剣を落としてしまったし、とても良くない。
初めてヴァナラーナから出てきたというのに、こんなのあんまりだ!
アランラミャはずっと、外の世界よりヴァナラーナでお花屋さんをしているほうが好きだった。
近くのお花を持ってきて、いろんな物と交換する。みんなが楽しいし、アランラミャも楽しい素敵な仕組みだ。
でも臆病な友達のアランラキャが、デーヴァーンタカ山に変な気配を感じるって言った。友達のことは大切だし、守ってあげなくちゃと思ったから、勇気を出して一緒に行ってあげることにしたんだ。
そしてメガトン大鉄塊に襲われた。
ここにアランバリカが居てくれれば良かったのに。
アランバリカのアランラカラリならメガトン大鉄塊なんてシュッ!でバーンでこなごなにしちゃう。
でも、そんなことを考えても、ここにアランバリカはいない。
チンワト峡谷はナラたちがいるスメールシティに近くて、小さいナラがよく迷い込む場所らしい。そよそよと通り過ぎていった風がさっき教えてくれた。
そんなことを知ってしまったら、小さいナラが危なくないようにメガトン大鉄塊をやっつけなくちゃいけない。
でも、アランラキャのアランラカラリはやっつけるのに向いてないし、初めて使ったアランラミャのアランラカラリはなぜかナラになってしまった。
「やっぱり帰ろう、アランラミャ! 今のキミは貧弱で役立たたずの小さいナラだ。きっとぺちゃんこにされてしまう!」
アランラキャの言葉にむむっと口を曲げた。
「貧弱じゃない!」
アランラミャだってアランバリカほどとは言わないけど、たくさん記憶を持ってるんだ。太陽が沈んで月が昇り、サウマラタ蓮が開いて閉じるところを何度も見てきた。
だから、きっとアランラカラリも強いはず。
アランプラブが『アランラカラリは修行が大事』と言っていたことをうっかり忘れたアランラミャは、手足に力を入れてもう一度立ち上がった。いつもよりずっと高い視界はふらふらする。
それでも踏ん張って杖を構えようとしたところで、手がすかっと空気を握った。
「あれっ、アランラミャの杖は?」
「踏んづけてる!」
「ええっ!」
慌てて足を上げたら、またズシャッと転んでお尻を打った。
「うーっ……」
ぎゅっと目をつむったとき「アランラミャ!」と大きな声がした。ぷにっとした体に勢いよく押し倒される。
目を開くと、しがみついてきたアランラキャの向こうでメガトン大鉄塊の腕が迫っていた。
(――あ)
とっさにアランラキャを抱きしめ、位置をひっくり返してメガトン大鉄塊へ背を向け丸くなる。すっごく怖いけど、守らなくちゃって強く思った。
だって大事な友達なんだ。
臆病で、逃げ足ばかり早いけど、お花屋さんのアランラミャとたくさん話をしてくれた。たくさん遊んでくれた。
きっとアランラミャはぺちゃんこになるけど……アランラキャは無事でいられますように。
どーんと地面が大きく揺れた。
「……」
「……」
腕の中のアランラキャが震えてる。
「……うん?」
おかしい。すぐぺちゃんこにされると思ったのに、どこも痛くない。
ゆっくり頭を上げると、目の前は土色になっていた。土まみれになったのかと思ったけど違う。これは土色の、アランラミャたちを守る硬い殻だ。ハッと後ろを振り返る。
なんと、メガトン大鉄塊の腕が殻に邪魔されていた。おかげで助かったみたいだ。
「アランラキャ、見て!」
「うう……アランラキャたち、もうサルバに来ちゃった?」
「違う。なんだろう、これ……」
そう言いかけたときだった。頭の上でなにかがきらりと光る。
「――鏡閃」
一瞬だった。上から緑色の光が降ってきたかと思ったら、大きなナラが落ちてきて、メガトン大鉄塊を簡単にやっつけたのだ!
メガトン大鉄塊がボロボロと消えていく。アランラミャとアランラキャは、揃って口を開けながらその光景を見ていた。
大きな剣をサッと振って消したナラがこちらを向く。銀色のナラだ。カレは夕暮れの実が入ってるような、綺麗な色の目を大きく開いた。
「君は……いや、その腕の中のものは何だ? 新種のキノコか?」
「うわっ、ナラがこっち見た!」
話し掛けられたことにびっくりしたアランラキャが大慌てで土の中に潜る。
「あっばか、アランラキャ、逃げるな! 卑怯者!」
今のアランラミャは土に潜れないのに!
地面に手をついて話しかけても返事がない。アランラキャはもう声が伝わらないほど遠いところまで行ってしまったみたいだ。
ひとつになってしまったアランラミャは、大きい銀色のナラが近づいてくるのを震えながら見ることしかできなかった。
……どうしよう、久々のナラだ。しかも、アランナラが見えるナラだ。ナラと話したことなんて一度しかない。アランラミャはどうすればいいんだろう。
「あわわ……」
地面に手をついたまま、じりじりと後ろに下がる。すると銀色のナラは足を止めた。
アランラミャをじっと見ながら、ゆっくりしゃがんで話しかけてきた。
「すまない、怖がらせるつもりはなかったんだが。怪我はないか」
「け……え……っと、ない、怪我は」
不思議な土色の殻と、銀色のナラのおかげでぺちゃんこにされずに済んだ。そういえば、殻がいつの間にか消えてる。あれはいったい何だったんだろう。
視線を銀色のナラに戻すとばっちり目が合った。ウウッと声が出る。
どうしてこんなに見てくるんだ。もしかして心配してくれてるのかな? それならウウッて言うのはカレに失礼かもしれない。
アランラミャは勇気を出して、ヘンテコな銀色のナラに話しかけることにした。
「えと……えと、助けてくれてありがとう、銀色のナラ。感謝してる。逃げちゃったけど、きっとアランラキャも感謝してる」
「感謝の言葉は必要ない。たまたま通りがかっただけだ。アランラキャというのは、先ほど地中に潜っていった水色の――……アランナラのことで、合っているか?」
「うん。銀色のナラはアランナラが見えるんだ」
「そうらしい。俺も初めて知った」
なんと、銀色のナラは初めてアランナラを見たらしい。小さいナラのときに遊ばなかったのかな。
アランナラと話すのが初めてなら、ナラと一度しか話してないアランラミャとお揃いってことだ。それなら、あんまり緊張しなくていいかもしれない。
「ところで君は、なぜ服を着ていないんだ?」
「服?」
頭を傾ける。カレを見つめ返して、朝露が葉を滑り落ちるくらい経ってからやっと気づいた。
そうだ、ナラはいつも『服』を体に付けているんだった。でもアランラミャはナラになったばかりだから『服』がどこにもない。
「アランラミャはアランラカラリを使ったらナラになったんだ。ついさっきのこと。だから『服』がどこにもない。『服』は、付けたほうがいいの?」
そう尋ねると、カレはすこし黙ってから口を開いた。
「ああ。人間は外を出歩くとき、必ず服を着なければいけないことになっている。アランラカラリというのはどういう意味だ?」
「アランラカラリは記憶だ。お花を集めたり、朝露の雫を浴びたり、風と追いかけっこする記憶。草木が葉の隅々まで満たしている記憶。全てがアランナラに力をくれる。そしたら石を砕いたり、さっきのメガトン大鉄塊をこなごなにしたりできるんだ。銀色のナラがメガトン大鉄塊をやっつけたところ、かっこよかった」
ぴかっ、シュンシュンシュン! 思い出してもすごくかっこいい。銀色のナラが真面目な顔のまま「ありがとう」と言った。
「君の話のおかげで、大体のことは把握できた。つまり君はアランナラで、アランラカラリという記憶を元にした力を使って人間の姿になったということだな?」
「そう! 銀色のナラはかしこい」
「元の姿には戻れるのか?」
「うーん……ナラになるアランナラなんて記憶のどこにもない。まずはアランラジャに変じゃないか聞きに行かないと。ナラの足だと、ヴァナラーナまでどれくらい歩くんだろう……」
とにかくナラの状態のまま頑張って帰るしかない。アランラカラリをまた使って、もしナラになったことまで忘れてしまったら大変だ。草木にアランラミャがナラになってたよって教えてもらっても、アランラミャはきっと信じない。
「そうか。君がその姿のままヴァナラーナに行くつもりなら、ひとつ提案がある。一度スメールシティまで行って、俺の家で休憩を挟んでくれないか」
「銀色のナラの家?」
「ああ。このまま行かせられない理由として第一に、ひとりで発つ場合ヴァナラーナへ着くより先に日が暮れる。今の君のように、小さな子供の姿をした者が夜の森を歩くことは危険だ。第二に、俺が送ってやれればいいんだがまだ仕事が残っているため今日は行けない。そして第三が一番重要な問題だ。服を調達しないと人間に捕まる」
「ナラに捕まる……!?」
恐ろしい言葉に、頭を抱えてぷるぷる震えた。すると銀色のナラは突然肩に付けていた布を外して、ひらひらしているそれをアランラミャの体に巻きつけ始めた。びっくりして飛び上がる。
「ぐ、ぐるぐる巻きにされちゃう!」
「動くな、大人しくしていてくれ」
ぐるぐる巻きにしてどうするんだろう。もしかしてカレもアランラミャを捕まえるつもりなのかな。ナラに捕まっちゃったアランナラなんて聞いたことがない。どうしよう。
怖くてぎゅっと目を閉じていたら、しばらくして銀色のナラは「よし」と呟いた。
「外套を巻きつけた。とりあえず人間に捕まることはないだろう」
「……うん?」
「この状態で俺の家へ向かい、まともな服を調達し、夜が明けるまで休めば、俺が君をヴァナラーナまで安全に連れて行くことができる。それで構わないか?」
「……ヤプシュナの前に放り出さないの?」
「ヤプシュナが何を意味するのかは知らないが、俺は君を誰かに引き渡したりしない」
なんと、アランラミャを助けるためにぐるぐる巻きにしていたらしい。嬉しくなって「そうか、分かった!」と頷いた。
「ありがとう。銀色のナラはいいナラだな」
「俺の都合でこうしているだけだ、感謝の言葉は必要ない。それと、俺にはアルハイゼンという名がある。そう呼んでくれ」
「ナラアルハイゼン?」
「そうだ。よろしく、アランラミャ」
カレの名前はすごく複雑だ。ナラヴァルナより難しい。でもアランラミャを助けてくれたナラだから、すぐにちゃんと覚えた。
よろしくと返す前に、ナラアルハイゼンはアランラミャをいきなり掴んで抱え上げ、すごく長い足で立ち上がった。急に視界がメガトン大鉄塊くらい高くなってすごく怖い。
絶対落とされないようにしなくちゃ。体をぎゅっと小さく丸めて、カレの服を握りしめる。これで完璧だ、いつナラアルハイゼンが歩き出したっていい。
そう覚悟を決めたのに、カレはまたしゃがんだ。なんなんだ。
「これは……君のものか?」
ナラアルハイゼンは腕を伸ばして、土の上から何かを拾った。
「あっ、アランラミャのだ。踏んづけちゃった杖と、『オタカラ』の『神の目』」
『神の目』はすごい力のすごいやつで、ナラが時々持ってるらしい。一番古い記憶のころからアランラミャも持ってるけど、すごい力を使えたことはない。
「岩元素の神の目……これは君が授かったものなのか?」
「覚えてないけど、多分そうだ。ずーっとアランラミャが持ってる」
「そうか。なら、大切に持っておくといい」
ナラアルハイゼンは、アランラミャをぐるぐる巻きにしている布の隙間に、杖と『神の目』をぐいっと突っ込んだ。
今度こそカレが歩き出す。もう一度体を丸めながら、アランラミャはぎゅっと目をつむった。
初めて外に出て、初めてメガトン大鉄塊に襲われて、初めてアランラカラリを使って、ナラになって、ナラと会って……大変なことが一気に起こったからアランラミャは疲れてしまった。
――ああ、アランムフクンダ様。初めての外出で、初めてのことばかり起きています。アランラミャはどうすればいいのでしょうか。
助けを求めても返事はなくて、ただそよ風が、元気を出してとアランラミャをふわふわ撫でていっただけだった。