「遅かったねメスカル。休暇申請の確認に手間取っちゃったのかな? 日本の警察は事務処理が遅いからね」
家に帰るとバイジウが玄関先で佇んでいた。
「別に……友達と会って少しお茶してただけや」
しっかしこの家、夜遅くに帰ると周りが木々に囲まれた森な事と地形が複雑で暫く道を進んだ先に家がポツンと現れる洋館やからホラー映画の撮影にピッタリやわ。
普段通勤するときは特段意識しとらんかったけど……使い慣れているもの、見知った風景、土地勘があると無意識に思いこんどるのは油断や慢心を引き起こす危険な兆候……。
見落としがちなものを見ようとせんとあかん。
考え事をしながら目を伏せると、首筋にひやりとした鼻筋が当たった。
「ヒィッ!? 何すんねん!!」
飛び上がって後退りしようとしても、肩を掴まれて動けない。
「いい香りの香水だね。ビャクダンかな……かなり長時間密着していたみたいだ。……それとは別にアニスの香りとムスクの香り……仄かに煙草と薔薇の香りもするね。……乱交でもしてたの?」
……な
「なんてことを言うんや!! うちの友達を馬鹿にするな!!」
思い切り突き飛ばそうと腕で胸を押してもびくともしない。
「だってそのショッピングバッグから見えているランジェリー、恋人同士が愛し合う時に着けるようなものじゃない?」
焦ってショッピングバッグを背中の後ろに回した。
「だ、だったら何なんや!! うちは女友達と下着を買ってきただけや!! バイジウには関係ないやろ!!」
心臓がバクバクいって、冷や汗と動揺を出さんようにするので手一杯や。
「関係あるでしょ? 僕はメスカルの家族なんだから」
耳元で囁かれて、全身に鳥肌が立った。
「あ、兄貴には関係あらへんよ……。女友達とか、恋人とか……全然関係」
「関係あるよ」
肩に置かれた手に力が入り、ゆっくりと背の高いバイジウの顔が覗き込むように降りてくる。
「ねえメスカル、その女友達は『耳に噛み痕』を付ける悪癖がある人なの? 今度会わせてよ、名前は?」
……あかん、すっかり降谷さんとのラブホでのやり取りを忘れとった。
……き、キスマークとかってついてへんよな?
そもそも、どうやってつけるん?
うち、ハニートラップの技術なんて何も教わってへんから……。
どうしよ、バレたら……バレたら……殺される。
動揺して目を泳がせたら『後ろめたいことがあった』と認めた事になってしまう。
「ぜ、ぜ……」
い、言ったらあかん……あかんけどこのままやと、うちが死ぬ。
「……なあんて。そうだよね。メスカルも22歳で成人してるんだもの、男とセックスくらいするよね」
「せ、せせせ……せ……おぇぇ」
バイジウのプレッシャーに耐えきれずに、庭先で嘔吐してしまった。
「メスカル大丈夫? 背中擦ってあげるよ、よしよし」
背中に当たる手の感触を意識する度に胃のなかの内容物を吐瀉してしまう。
「げぇぇ……おぇぇ……」
涙と鼻水が入り混じったものが地面に落ちていく。
「そんなに気にすることないよ。セックスくらい世の中の殆どの男と女がしてるんだからさ」
胃のなかのが空っぽになると、胃液がこみ上げて来て噎せてしまった。
「ゲホッ……げぇぇ……ゲホッ……」
早くこの場から立ち去りたい。
「落ち着いた? ホットチョコレートを用意するから吐き終わったらおいで」
バイジウは何事も無かったかのように立ち上がると、玄関の中に消えていった。
「……はぁ、はぁ……あかん、うちはバイジウに気圧されてはいけないんや……」
、、、
「はい、ホットチョコレート」
ソファに座ると、バイジウはマグカップを渡してきた。
「……ありがとう」
マグカップを受け取ると、バイジウが席を立ってミルクチョコレートとチョコレートケーキの悪魔合体した糖分ケーキを取りにキッチンに向かった隙を見て、同じ柄のバイジウのマグカップと入れ替えた。
これなら何か薬が入っていても大丈夫や。
あとは、バイジウがプラーミャの情報を何処まで把握しているのか、組織がプラーミャを利用しようとしているのか、抹殺対象にしているのか、何をしようとしているのかの手掛かりを掴めれば……。
「あれ? どうしてマグカップを入れ替えたの? 僕が何か盛るって思った? なんで突然不審がっちゃったのかな。お友達に何か吹き込まれちゃった?」
ソファの背もたれから腕が伸びてきて両肩を掴んだ。
「ち、違っ……た、たまには角砂糖ビタビタの味覚がおかしくなるホットチョコレートも飲んでみたいなって……思っただけや……」
そう言って一口含むと、あまりの甘さに鼻がツンとして戻しそうになるのを必死で口元を押さえた。
「えー? そんなに甘くないでしょう? 角砂糖は7個しか入れてないんだからさ。大袈裟だなあメスカルは」
「気持ち悪い……。はぁ……。そ、そういえば時期外れに送られてきたハロウィンのポストカード、誰からだったん?」
なんとか気持ちを切り替えて、世間話から然りげ無く情報を探ることにした。
バイジウが組織のナンバー3であってラボの総責任者であり、身元の改竄や情報の聞き取り専門だとしても『爆弾犯を使う』ことの直接的な指示を出す立場にはない筈で、プラーミャはこの時代では薬液を使った混合爆弾を使うと知れ渡ってはいない。
現にスマホから盗み見た情報にあった火薬倉庫のリストは扱いやすい粉末や粒状の固形タイプが殆どだった。
「ああ、あれ? 兄さんからだったよ。見るかい?」
バイジウは立ち上がってタペストリーに引っ掛けてあったポストカードを剥がして渡した。
「……バイジウとそっくりやな。双子なん?」
ポストカードに映ったヴァンパイアの仮装をした男性は金髪に珍しい緑目と黄色目のオッドアイで……なんだか嫌な感じがした。
「あはは、よく言われるんだけど、兄さんは2つ年上なんだ。前にも話したけど、いかにも『優秀な兄』って感じの人。僕より成績優秀だったから諜報機関や政府機関から引く手数多だったんだけど『危険作業のスタントマンの方が金になるし女とヤれるから』って理由でみんな断っちゃったんだ。兄さんらしいや」
……なかなかのクズやな。
「……そうなんや、ならバイジウの兄貴も爆発物に詳しいん? 対人戦闘訓練とか……しとったの?」
バイジウの薬品や爆発物に関する知識がATF職員だからなのか組織に入ってから身につけたのか分からん。
もし兄の方も詳しいんなら組織の可能性があるし……。
「ああ、兄さんは組織に入ってないよ。組織の存在も知らない。ただ、兄さんの方が爆発物に詳しいし対人戦闘スキルも上だよ。メスカルの友達が束になっても敵わないからさ、兄さんとやり合おうなんて考えないほうがいい」
ビタビタの黒い液体を啜りながらバイジウが真顔で答えた。
……バイジウより上なら、アイリッシュやプラーミャレベルってこと?
それともうちに対する先制で『自分たち兄弟に牙を剥くな』っちゅう警告のための虚仮威しで、大袈裟な申告をした?
警戒していることを見越して範囲を広げさせ、注意を分散させようとしてる?
「……誰もバイジウの兄貴とやり合おうとなんてせんよ。それこそなんなん? バイジウはうちの友達とやり合う予定でもあるん?」
その言葉にピタッと固まると、バイジウはマグカップをソーサーに置いて真っ直ぐにうちの目を見た。
「予定にあるって答えたら、メスカルは僕を殺すかい?」