「藍……私の妹にならないか?」
くせっ毛の赤い髪の毛をブラシで梳かしながら鏡に映った青い瞳に問い掛けた。
「えっ……え? 千速さんの……えっ?」
状況が飲み込めていないあどけなささを残した頬を指で擦った。
「……研二の嫁になって、義妹になれば……ずっと一緒に要られるだろう?」
藍が置かれている厳しい状況は、薄々感づいていた研二から聞いてはいたものの、公安から提示された真実は想像を遥かに超えて重く目を逸らしたい内容だった。
「義妹……」
彼女はずっと義兄であるヤン・ブルドンに搾取されて生きてきた。
そして、組織に身を置き罪を重ねた。
これは情状酌量の余地の有無抜きにしても尚消せない事実で、必ず贖うべき罪だ。
決して許さるものでは無く、罰は受けなければならない。
「義妹はもう嫌か? 私も無茶な事を言った。済まない」
それでも、彼女が警察として多くの命を救い、自分の身をなげうってでも研二達5人の警察学校の同期を守ろうと必死に足掻いたのだ。
自分が罪人とて後ろ指をさされても、5人から見放される覚悟を押し通した。
「えっと……。義妹は無理です。……うちは大罪人、恋人を作ったり、結婚して子供を設けてはダメなんです。……沢山人を殺めてきましたから……」
執行猶予という限られた時間の中でさえ、藍が幸せを掴むことが許されないのか。
彼女の置かれた立場、生育環境からして、他に道があったとでも言うのか。
「……そう公安から通達があったのか?」
柔らかい髪を手櫛で梳くと、藍は頬を指で掻いた。
「うち、まだ組織のナンバー3の妻っちゅう立場やし、誰かと結ばれてしまったら、組織の標的にさせてしまいます。……せやから、うちはずっと一人で居ようと思んです。何より今は潜入捜査官もいますから」
思わず鏡台に向かって微笑む彼女の肩を抱きしめた。
「私が藍を一人にさせない。……藍が拒んでも、私はずっと側にいる」
すると、細い肩は小刻みに揺れ始め、嗚咽が薄明かりの落ちる室内に流れた。
「うち……うち……千速さん……うぅ……うぅ」
大粒の涙がシフォンのネグリジェに溢れては溶けていくのを、ただ見守った。
「藍……私は必ずお前を迎えに行く。例え世界中が敵に見えても案ずることはない。……地の果てまで、何処までも一緒に行こう」
「あの時はお世話になりました。うち、爆処の実質幽霊職員になってしまったんですよ……」
龍絶さんは遥々東都から長野県警の私の元を訪ね、近況を述べると頬を掻いた。
「そうでしたか……。何か私に出来るサポートは有りますか?」
ヤン・ブルドン……コードネーム『バイジウ』を取り調べたが、知らぬ存ぜぬを貫き通している。
現に彼の所持していたパソコンやスマートフォンからは何の痕跡も得られていない。
通話記録、メールボックス、通信履歴、ブックマーク、アクセスログ、アプリの起動とインストールとアンインストールの痕跡、私書箱……何一つ不審なものは見つかっていない。
否、あの日の夜、我々が彼を拘束した後に家宅捜索令状を取り現場に戻った際、捜査員が庭先に足を踏み入れた瞬間に3つのミラーリングハウスは火に包まれてしまったため、プライベートの情報は消失してしまった。
火災の原因は山頂に堆積していた有毒可燃ガスが住宅まで流れ込み、大量の人間が押しかけた事による静電気の発生により火花が散ったことで引火したという報告書が上がったのみ。
「いえ!! いっつもうちが心配かけて、メールを頂いてしまうのが申し訳ないくらいです」
何より、兄であるエルダー・ブルドンの行方が分かっていない。
正確には、エルダー・ブルドンは国内に入国しておらず、その日一日はアメリカに滞在していたという記録があり、空港の監視カメラにも入国審査にも彼の存在を示す証拠が無かった。
「貴方は少しくらい、人に甘えてもいいのですよ」
しかし、ヤン・ブルドンは『兄なら自分のコピーキャットでストーカーであるから、見たとすれば兄だろう』とし、実際にスマートフォンでは兄と見られる人物と会話をしていた。
唯一あの日、押収したスマートフォンには国内の不明な電話番号との通話履歴と、彼女との性交……自白剤を投与したと見られる不適切な音源だけは確認出来ている。
電話番号については電信電話会社に追跡依頼を出したものの、無線になった途中で暗号化されており、通話アプリも正規のものでなかったため、正式な携帯電話番号の形式ではなかった。
考えられるのは、情報通信技術に抜きん出ている者であり、入国審査官を買収できるコネクションがある可能性。
「うち、人に甘えてばっかりですから……。あ! そうだ、うち、この事件をキッカケに漫画を描き始めたんですよ!! もちろん知識をコピーしたんやなく、オリジナルで!!」
彼らの両親は米国の検察官と外交官……。
それとも、バイジウが用意した組織側に内通者がいたのかどうか、未だ掴めずにいる。
「漫画……タイトルを伺っても宜しいですか?」
そして何より、ヤン・ブルドンが保持していたと思われる重火器や火薬等の危険物と、彼の言う『個人ラボ』の場所が判明していない。
……事件は、解決してなどいない。
「『看破探偵 ラセンちゃん』です!! おさげの三つ編みに千鳥柄のハンチング帽と同じ柄のケープとサロペットワンピースを身につけた女の子が『パーフェクトプラン』で犯人の目線から事件を組み立てて再構築して謎を解くんや!! ……どうですかね?」
「兄貴……いいんですかい? バイジウが警察に捕まっちまった……。ナンバー3だってのに」
バイジウはATFとして働く傍ら、組織が関わるラボの総責任者という立場で人に指図する役職だったのに、あろうことが組織に何の関わりもない兄弟が警察とやり合って拘束されちまった。
「フッ……ウォッカ。バイジウの武器は何だ?」
ジンの兄貴は長い銀髪を揺らしながら笑った。
「武器……薬と身元改竄……?」
奴も身体的に弱いわけじゃねえが、特定の武器や武術に抜きん出ているというイメージはない。
「……脳味噌だろ? 違うか?」
……脳味噌?
確かに頭は良いが、脳味噌を自白剤でやられたりしたら終わりで、武器を警察に取られちまった事になる。
「はあ……するってえと?」
後ろに付きながら確認すると、兄貴は上を見上げた。
「バイジウは警察にまんまと潜り込んだ。アイツの身分はATF……アメリカの警察機関だ。日本の警察が黙って自白剤なんか使えるわけがねえ」
……た、確かにそうだ。
「なら、バイジウの目論見通りってことですね」
同じように見上げると、一番星が光って見えた。
「日本の警察が何の嫌疑もねえバイジウのATFのオフィスと自宅を家宅捜索するように正式な依頼をし、現場保存やデータ保管を出来ていたと思うか?」
……とてもじゃねえが、できねえだろう。
「できねえと……思いやす」
空に輝く一番星は、灰がかった薄雲に隠れて消えた。
「何より、日米には『犯罪人引き渡し条約』がある。近い内にバイジウはアメリカに戻ってくる。万が一の可能性を考えて、バイジウ本人が事前に刑務官のコカレロを配置してやがったからな。つくづく守備の良い男だ」