二つ名が恥ずかしくなって新大陸へ逃げたオジサン   作:おじさん

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第2話 優雅に釣りをする

 寝床を揺るがすイビキで目を覚ます。

 

 グガァァアアアアア……!! と鳴り、床が震える。

 

 これが安宿。これこそが新大陸。

 

 訳もわからず、嬉しくなる。

 

 自分の存在が、ひどく小さく、どうでもよい。

 

 この宿に泊まる全ての人は、俺の隣の部屋にいる男の身体を心配している筈だ。

 

 そんなイビキをして、大丈夫なのか? さっき数秒息止まってたけど、大丈夫なのか!? と。

 

……まあ、再びいびきが鳴り始めたのできっと大丈夫なのだろう。

 

 俺はパチリと目を覚まし、そのまま一階の食堂へと向かった。

 

 丸テーブルにつくと、すぐに獣人の女給がやってきて「いる?」と問う。

 

 メニューを選ぶのではない。「いる」か「いらないか」。

 

「殺る」か「殺られるか」のようなシンプルさに、思わず微笑んでしまう。

 

「いる」

「はいよ」

 

 すぐさま、ドンッ! とテーブルに置かれた分厚い木皿。その上には謎の肉と硬そうなパン。上からはドロリとした謎のソースがかかっている。

 

 もし旧大陸の道端で出会したなら、「すわ! モンスター!」と短剣を抜いていただろう謎の物質が皿の上にある。

 

「……これは何だ?」

「美味いよ」

 

 そうか。美味いか。何だかは答えられないが、美味いならば、食べるしかない。

 

 得体の知れない何かを口にいれる、という経験を楽しみながら、謎肉を喰む。

 

「……美味い!」

「そうだろ! ちなみに私は食べてない! ははははっ!」

 

 笑いながら食堂の奥に引っ込んでいく女の姿を見送りながら、朝食プレートを平らげる。大雑把だが、香辛料が効いていて悪くない。

 

 食後の薄いお茶を飲んで少し落ち着いたところで、一人の老翁が食堂に現れた。

 

 ただの老人ではない。監視するような鋭い視線で辺りを見渡している。只者ではない気配だ。

 

 ふと、目が合う。

 

「……」

「一つ教えてくれ。この辺で、ゆっくり釣りでも出来るようなところはあるか?」

「……ある」

 

 老翁は懐から素早く紙を取り出し、卓上の羽ペンで地図を書き始めた。

 

「……ここに、行くがいい」

 

 伝説の宝物か、あるいは裏社会の極秘指令でも渡すかのように、重々しく差し出される羊皮紙。

 

 俺はそれを静かに受け取り、立ち上がる。そのまま店を出た。

 

 

#

 

 

 始まりの港町から一時間ほど歩いた森の中。

 

 生い茂った下草の先に、老翁の地図が示すその湖があった。

 

 生命の気配が強く、魚が釣れそうな雰囲気がある。

 

 俺は腰のマジックポーチから、旧大陸で買った釣り道具を取り出した。

 

 いつか落ち着いたら、ゆっくり釣りでもしようと購入してから、ずっとポーチの底に追いやられていたものだ。

 

 まさか、こんなゆったりとした日々を送れるようになるとは……。

 

 湖の畔に折り畳み椅子を出し、どっこいしょと腰を下ろす。

 

 その辺の土を掘って捕まえたミミズを針につけて、竿を振って遠くに投げた。

 

 ぽちゃん。と間抜けな音。ひどく平和だ。

ゆっくり呼吸しながら、耳を澄ます。

 

 鳥の囀り、虫の声、魚が水面で跳ねる音。

自分が自然の一部になったような感覚。勝手に瞼が落ちる。

 

 改めて感じる。

 

 俺は、新大陸に来たのだと。ただのヴィルとして生きていくのだと。

 

 もう誰も、俺のことを「影を喰らいし虚無の暗殺者(シャドウイーター)」なんて呼ばない。静かに、ひっそりと暮らすのだ──。

 

 

 しばらく森林浴を楽しんでいると、ぴくり、と竿に反応があった。

 

 手首のスナップだけで軽く合わせると、確かな手応え。魔力も身体強化も使わず、ただの腕力と技術だけで魚との駆け引きを楽しむ。

 

 やがて水面を割って現れたのは、丸々と太った銀色の淡水魚だった。

 

 三時間で四匹。ちょうどいい。

 

 俺は釣竿を湖から上げ、昼食の準備を始めた。

 

 手頃な石の上で魚を抑え、マジックポーチからナイフを取り出す。

 

 腹に刃を入れ、内臓を傷つけないように一瞬で抜き取る。手早く水で洗い流すまで、一匹につき十秒とかからない。

 

 塩を振って串に刺す。

 

 集めた落ち木をかまど状に組み上げ、火打石で着火する。魔道具を使えば一瞬だが、こういう不便な作業の手間すらも愛おしい。

 

 やがて、パチパチと爆ぜる火の音とともに、魚の脂が落ちて香ばしい匂いが辺りに漂い始めた。

 

 表面の皮がパリッと焼き上がり、黄金色に色づいていく。

 

「さて、いただくとするか」

 

 焼き上がった魚に手を伸ばしたその時──背後の草むらから、複数の足音が近づいてきた。

 

 踏み込みが甘く、体重移動もバラバラ。しかし、若く活力に満ちた足音だ。

 

 俺はふっと息を吐き、臨戦態勢を解いた。

 

「なんだ、モンスターかと思ったら人間のおっさんか」

 

 赤髪で革鎧を着た若い男が俺を見て、残念そうに言った。腰には短剣。

 

「アレン! いきなりおじさんなんて言ったら失礼ですよ?」

 

 金髪でゆったりとしたローブを着た女が焦った様子でフォローする。杖を持った回復士だろうか。

 

「こんなところで釣りとは……」

 

 青髪で軽装の男が警戒した様子で俺を見る。背中には短弓。斥候兼、魔法士といったところか。

 

 三人とも若く、生命力に溢れている。名をあげようと新大陸にやってきた、新米の冒険者のようだ。

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