またソロ攻略ですか? ――アインズ様の作戦だけが失敗するようです――   作:ブンチョウ

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第11話 領主欄

 領主館は、沈黙を選ばなかった。

 

 非公式調査は失敗した。下級吏員は戻された。命令書も戻された。護衛たちは戻らなかった。死んだとは確認されていない。だが、戻っていないという事実だけで、領主館の廊下には十分な沈黙が落ちた。

 

 白手袋の怪物。

 

 その言葉は、正式な報告書には記されている。だが、声に出す者は少なかった。声に出せば、何かを認めることになる。領主館は、それを嫌った。

 

 だから次に選ばれたのは、剣ではなかった。

 

 封蝋。台帳。領主印。正式調査団。

 

 武力で折れないものを、制度で押す。それは、領主館が最も慣れている戦い方だった。

 

     *

 

 調査団が村へ向かったのは、リーネが空き小屋で一夜を越した翌朝だった。

 

 構成は、上級書記官一名、徴税官一名、教会付きの神官一名、護衛六名。それから、領主の甥にあたる若い代理人が一名。

 

 代理人は若かった。まだ二十代前半に見える。立派な外套を着ていたが、その肩には、外套より重いものを背負わされているようだった。

 

 彼は、自分が交渉に来たのではないことを知っていた。

 

 確認に来たのだ。

 

 この村が、誰の村か。

 

 その確認である。

 

 村の入口に着くと、上級書記官が一歩前に出た。村人たちは、広場に集まりかけていた。ハーゲンもいる。ベルトもいる。マルナはミラを家の中へ入れようとして、入れきれずに戸口に立たせている。

 

 リーネは、村外れの空き小屋の前にいた。布袋を抱えている。昨日よりも顔色は少し戻っていた。そのぶん、何かを待つ顔になっていた。

 

 上級書記官は、封蝋つきの書状を掲げた。

 

「我らは、領主館の命により、この村の状況確認に参った」

 

 声はよく通った。怒鳴ってはいない。だからこそ、村人たちは黙った。

 

「村長ハーゲン」

 

「……はい」

 

「前へ」

 

 ハーゲンは進み出た。膝をつけとは言われていない。だが、立っていることが許されているのか、分からなかった。

 

 上級書記官は、書状を開いた。

 

「まず確認する。この村は、誰の村か」

 

 問いは簡単だった。

 

 だからこそ、逃げ場がなかった。

 

 ハーゲンは答えた。

 

「領主様の村です」

 

「よろしい」

 

 上級書記官は頷いた。羽ペンを持った従者が、その答えを書き留める。その音だけが、広場に残った。

 

「では、領主様の許可なく、何者かが物資を置いた」

 

 ハーゲンは黙った。

 

「何者かが徴収を妨げた」

 

 沈黙。

 

「何者かが夜間調査を妨害した」

 

 沈黙。

 

「そして、この村は領主館への届け出なく、外部者を滞在させている」

 

 上級書記官は、リーネの方を見た。

 

 リーネの肩が小さく動く。逃げない。逃げても無駄だと分かっている動きだった。

 

「この理解でよいか」

 

 ハーゲンは、答えられなかった。

 

 よい、と言えば反逆に近づく。違う、と言えば、何が違うのかを説明しなければならない。説明すれば、白手袋の人に触れる。黒い方々に触れる。名乗らない主に触れる。

 

 どれも、村人の口から出してよい名ではなかった。

 

「答えよ」

 

 上級書記官の声は、少しも荒くない。だが、村人たちの背は縮んだ。

 

 怒鳴られる方が、まだましだった。怒鳴り声には感情がある。感情があれば、許しを乞う場所もある。

 

 この声には、欄しかなかった。

 

「……私どもには、分かりません」

 

 ハーゲンは言った。弱い答えだった。だが、それ以外に持っていなかった。

 

「分からない?」

 

「はい」

 

「では、村長であるお前は、自分の村に誰が物資を置き、誰が外部者を滞在させているか、分からないと言うのだな」

 

 ハーゲンの喉が動いた。

 

「はい」

 

 上級書記官は頷いた。その頷きは、理解ではなかった。記録のための頷きだった。

 

「記録せよ。村長ハーゲン、村内状況を把握せず」

 

 従者が書いた。

 

 村長ハーゲン。

 

 村内状況を把握せず。

 

 ハーゲンは、自分の名前が紙に乗る音を聞いた。それは短い音だった。だが、一度紙に乗れば、領主館まで歩いていく。そして、おそらく戻ってこない。

 

     *

 

 リーネは空き小屋の前で、布袋を抱えていた。

 

 昨日渡された椀は、戸口の脇に置いてある。水はもう入っていない。それでも、彼女は椀を中にしまわなかった。借りたものだからである。返せと言われた時、すぐ返せるように。

 

 神官がリーネの方へ歩いた。その後ろに、護衛が二人つく。神官は穏やかな顔をしていた。穏やかな顔のまま、リーネを見下ろす。

 

「名は」

 

 リーネは答えなかった。

 

 昨日、名を言った。名を言えば、ここに置かれると思った。だが、名前は一度で終わらなかった。別の人間が来れば、また聞かれる。別の紙があれば、また書かれる。

 

「名は」

 

 神官は繰り返した。その声に祈りはなかった。

 

「……リーネ」

 

「出身は」

 

 リーネは黙る。

 

 神官は微笑んだ。

 

「言えないのか。言いたくないのか」

 

 その違いを、リーネは知らない。言えないことは、言いたくないことになる。言いたくないことは、隠していることになる。隠していることは、罪になる。

 

 そういう場所から来た。

 

「この者は、当領内の別村からの流出者である可能性がある」

 

 上級書記官が言った。

 

「村長ハーゲン。この娘を保護しているのか」

 

 保護。

 

 その語に、村人たちが反応した。ハーゲンも動いた。

 

 昨日、自分たちは保護などしていない。中へ入れたわけでもない。外れの空き小屋を、今夜だけ使わせた。水を一杯。食べ物を少し。

 

 それだけだ。

 

 だが、その言い訳は、口に出した瞬間に弱くなる。

 

「保護ではありません」

 

 ハーゲンは言った。

 

「では何だ」

 

「……一時的に、置いただけです」

 

「領主館への届け出なく、外部者を一時的に置いた」

 

 上級書記官は従者へ視線を向けた。従者が書く。

 

 ハーゲンは、自分の言葉が別の形に変わるのを見た。

 

 一時的に置いた。

 

 その言葉は、紙の上で罪に似た形になった。

 

「その娘を引き渡せ」

 

 若い代理人が言った。初めて口を開いた声だった。少し硬い。言い慣れていない命令を、言わされている声だった。

 

 リーネは動かなかった。

 

 ただ、椀を見た。

 

 一晩しか使っていない小屋。空になった椀。壁の隙間。傾いた床。昨日まで知らなかった場所。

 

 だが、それは彼女が最後に眠りかけた場所だった。

 

 リーネは布袋を抱え直した。その動作だけで、村人たちは分かった。

 

 彼女は逃げない。

 

 連れて行かれる準備をしている。

 

 連れて行かれることに慣れているのではない。逆らえないことに慣れているのだ。

 

「待て」

 

 ベルトが一歩出ようとした。

 

 ハーゲンが腕で制した。

 

 出れば、終わる。

 

 領主館の護衛が、剣に手を近づけた。抜いてはいない。だが、近づけた。その場にいた誰もが、それを見た。

 

 そして、見ていないふりをした。

 

     *

 

 ナザリックの報告書には、同時刻の状況が淡々と記されていた。

 

 領主館正式調査団、対象村落へ接近。

 

 構成、上級書記官一名。

 

 徴税官一名。

 

 神官一名。

 

 護衛六名。

 

 領主代理一名。

 

 目的、対象村落の帰属確認。

 

 使用語、領主権。

 

 使用語、保護。

 

 使用語、引き渡し。

 

 対象村落住民、応答困難。

 

 外部個体E-01、引き渡し要求対象。

 

 アインズは、報告書を見ていた。

 

 保護。

 

 また、その語が出た。

 

 今度は村人の噂でもない。ナザリック内部の警戒語でもない。領主館側が、正式な問いとして使用した。

 

 この娘を保護しているのか。

 

 アインズは、視線を報告書から上げた。

 

「デミウルゴス」

 

「はい」

 

「彼らは何をしている」

 

「武力ではなく、所有権で対象村落を拘束しようとしております」

 

 デミウルゴスは楽しげではなかった。だが、興味は隠していなかった。

 

「この村は誰のものか。その問いに答えさせることで、以後のすべての行動を領主権の範囲内に戻そうとしているのでしょう」

 

「リーネの引き渡し要求は」

 

「領主権の確認です。外部個体一名の処理ではありません。引き渡せば、村は領主館の命令に従ったことになります。拒めば、保護、あるいは匿ったと解釈される」

 

 アインズは沈黙した。

 

 正しい。

 

 領主館側は、少女一人を取り戻したいだけではない。村の首に、領主欄を戻そうとしている。

 

 いや、領主欄は最初から空白ではない。

 

 この村には領主がいる。徴税権もある。処罰権もある。それを否定するのは早い。ナザリックは、まだこの村を支配していない。

 

 支配していない。

 

 そのはずだった。

 

「引き渡すべきではありません」

 

 アルベドが言った。

 

「外部個体E-01がどうという問題ではありません。アインズ様の御判断を経ずに、領主館の要求が通る前例を作るべきではありません」

 

 正論である。

 

 だが、その正論は保護に近い。

 

 アインズは、そう思った。

 

 もちろん、保護ではない。前例管理である。観測条件の維持である。外部個体流入時の反応測定継続である。

 

「セバス」

 

「はい」

 

「現地の状況は」

 

 セバスは一礼した。

 

「護衛の一名が剣に手を近づけております。ただし、まだ抜いておりません」

 

「抜く可能性は」

 

「ございます」

 

「抜いた場合は」

 

 セバスは、わずかに間を置いた。

 

「村人の前で制圧することになります」

 

 それは、望ましくない。

 

 村人の恐怖反応が歪む。領主館側の敵対行動が明確化する。外部個体E-01の心理反応も変わる。

 

 何より、剣を抜かせれば、話が武力に寄る。

 

 今回の相手は、剣ではなく欄で来ている。なら、こちらも欄で返すべきだった。

 

「引き渡しは保留する」

 

 アインズは言った。

 

「理由は」

 

 デミウルゴスが問うのではなく、確認するように言った。

 

「外部個体E-01は、追跡可能性および情報汚染確認中である。現時点での移送は、観測結果を損なう」

 

「御意」

 

「領主権は否定しない。徴税権も否定しない。ただし、当該個体への接触および移送は、確認完了まで認めない」

 

 アインズは一度、言葉を切った。

 

「無署名でよい」

 

「直ちに」

 

 保護ではない。

 

 領主権の否定でもない。

 

 ただの保留である。

 

 そう処理できる。

 

 そう処理する。

 

     *

 

 村の広場に、一枚の羊皮紙が落ちた。

 

 落ちた、というより、そこにあった。

 

 誰も置くところを見ていない。だが、上級書記官の足元に、いつの間にか置かれていた。

 

 護衛の一人が息を飲む。剣に近づいていた手が、止まった。

 

 その手の主は、白手袋の怪物の話を聞いていた。剣を抜こうとして、抜けなかった男たちの話を聞いていた。

 

 だから、手を止めた。

 

 誰かに命じられたからではない。

 

 自分の指が、これ以上進むことを拒んだ。

 

 上級書記官は羊皮紙を拾わなかった。従者に拾わせた。従者の指は震えていた。

 

 羊皮紙には、差出人の名がなかった。

 

 ただ、文字だけがあった。

 

 外部個体E-01は、現在確認中である。

 

 追跡可能性、呪詛、感染、敵性誘導の確認が完了するまで、移送不可。

 

 当該個体への接触、許可制。

 

 村内物資および滞在者への干渉、不可。

 

 領主権への異議申し立てではない。

 

 徴税権への異議申し立てではない。

 

 ただし、現時点での実力行使は推奨されない。

 

 上級書記官は、最後の一文を読んだ。

 

 推奨されない。

 

 脅迫ではない。命令でもない。警告ですらない。ただ、助言の形をしている。

 

 だからこそ、反論しにくかった。

 

 若い代理人が顔を赤くした。

 

「これは、領主権への干渉ではないか」

 

 上級書記官は答えなかった。

 

 羊皮紙には、領主権への異議申し立てではない、と書かれている。書かれているから、そうではないとは限らない。だが、そうではないと書かれている以上、反論には別の欄が必要になる。

 

 その欄を、彼らは今ここに持っていなかった。

 

「娘を連れて行く」

 

 代理人が言った。

 

 声は先ほどよりも強い。強くしなければ、自分の声が負けると思ったのだろう。

 

 護衛の一人が、また剣に手を近づける。しかし、今度も抜かなかった。

 

 広場にいる村人たちは、全員それを見ていた。見ていないふりをしていた。

 

 リーネも見ていた。布袋を抱える指が、白くなっている。

 

 彼女は、命令がぶつかる場所に立っていた。

 

 領主館の命令。名のない羊皮紙の命令。村長の沈黙。

 

 自分の意思は、そのどこにも欄を持たない。

 

 上級書記官は、ゆっくりと息を吐いた。

 

「本件は、領主館へ持ち帰る」

 

 代理人が振り向いた。

 

「何を言っている」

 

「現地での判断は不適切です。差出人不明の文書が提示され、魔術的干渉の可能性がある以上、上申が必要です」

 

「その娘は」

 

「現時点では、移送しません」

 

 リーネは、そこで初めて息を吸った。

 

 自分が息を止めていたことに、その時気づいた。

 

 助かった、とは思わなかった。

 

 ただ、今すぐ連れて行かれる欄から外れた。

 

 それだけだった。

 

「村長ハーゲン」

 

 上級書記官が言った。

 

 ハーゲンは背を伸ばす。

 

「はい」

 

「この件は終わっていない」

 

「……承知しております」

 

「領主館は、領主権を放棄していない」

 

「はい」

 

「次は、別の形で来る」

 

 その言葉は、予告だった。

 

 脅しではない。書記官自身も、そうなると知っているだけだった。

 

 ハーゲンは頷いた。頷く以外に、できることがなかった。

 

     *

 

 調査団は村を出た。

 

 護衛たちは、最後まで剣を抜かなかった。

 

 若い代理人は何度も振り返った。そのたびに、広場の羊皮紙を見る。差出人のない書面。名乗らない主の文字。そして、村外れの空き小屋の前に立つ少女。

 

 彼は、何かを言いたそうにしていた。

 

 だが、言わなかった。

 

 言えば、羊皮紙の最後の一文に返事をすることになる。

 

 現時点での実力行使は推奨されない。

 

 その一文は、彼らの背中を村の外まで押した。

 

 リーネは、調査団の背中を見送った。

 

 逃げなかった。

 

 追わなかった。

 

 泣かなかった。

 

 布袋を抱えたまま、その場に立っていた。

 

 ミラが戸口から顔を出す。

 

「リーネ」

 

 リーネは振り向く。

 

「水、飲む?」

 

 リーネはしばらく黙っていた。

 

 それから、小さく頷いた。

 

 その頷きは、昨日よりも少しだけ遅かった。

 

 許可を待つためではない。

 

 自分がまだここにいることを、確かめるためだった。

 

     *

 

 ナザリックの記録には、領主館正式調査団、対象村落より撤退、と記された。

 

 領主権、未否定。

 

 徴税権、未否定。

 

 外部個体E-01、引き渡し保留。

 

 対象村落への実力行使、発生せず。

 

 護衛抜剣、なし。

 

 村人被害、なし。

 

 調査団再派遣可能性、高。

 

 領主欄は、空白ではなかった。

 

 この村には、確かに領主がいる。

 

 ただし、その欄の上には、無署名の保留印が置かれていた。

 

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