またソロ攻略ですか? ――アインズ様の作戦だけが失敗するようです―― 作:ブンチョウ
対象村落住民。
その語は、ナザリックの記録に追加された。
対象村落。観測対象。支援対象。
その中に、住民という語が挟まった。
完全な人間扱いではない。慈悲の表現でもない。個別反応を記録するための分類語である。少なくとも、ナザリックの記録上はそうだった。
アインズ・ウール・ゴウンの命令により、対象村落の個別反応記録が試験的に作成されることになった。
最初に提出された形式は、簡潔だった。
対象村落住民A-01。
対象村落住民A-02。
対象村落住民A-03。
年齢推定。性別。世帯構成。支援物資受領の有無。ナザリック兵への恐怖反応。外部武装者への反応。薬師風の女との接触有無。反応傾向。
個体差を把握するには、それで足りる。
名前は不要である。
名は、誤記が生じる。同名の者もいる。発音差もある。家名を持たない者もいる。番号の方が正確であり、記録としては扱いやすい。
アインズは、そう判断した。
「現段階では、識別番号で足りる」
作戦室でそう告げると、デミウルゴスは頷いた。
「妥当かと存じます。対象の反応を数値化し、傾向を比較するには、識別番号の方が効率的です」
「そうだ」
アインズは答えた。
そういうことだ。
効率。正確性。誤記の防止。理由はいくらでもある。
対象村落住民A-07。
その番号を見た時、アインズは一瞬だけ、寝台の上の子どもを思い出した。
黒い人たちは、悪い人?
分からない。
そう答えた子ども。
発熱から回復中。薬師風の女との接触あり。支援薬使用済み。
対象村落住民A-07。
記録としては、それで足りる。
足りるはずだった。
*
領主側の使者が村へ来たのは、その二日後だった。
馬車は一台。護衛は四名。徴税吏が一名。書記が一名。
どちらも武人ではない。
だが、盗賊よりも厄介だった。
彼らは剣で奪いに来たのではない。封蝋の押された書状と、領主の名が記された台帳を持って来た。
ナザリックの監視は、すぐにその動きを拾った。
報告は、アインズのもとへ送られる。
領主側関係者、対象村落へ接近。
目的、支援物資確認および臨時徴収の可能性。
武装衝突の危険、低。
行政的干渉の危険、中。
デミウルゴスは、それを見て薄く笑った。
「盗賊の次は徴税吏ですか。人間社会とは、実に興味深い」
「何が興味深い」
「同じ物を奪うにも、剣で奪う者と、書類で奪う者がいるという点でございます」
アインズは遠隔視の準備を命じた。
徴税吏を殺すことは容易い。護衛ごと消すことも容易い。だが、それは対象村落周辺の統治構造に大きな影響を与える。
領主側が異常を察知する。
追加調査が入る。
村の安定観測が歪む。
ならば、まずは見るべきだった。
敵性干渉はない。
白紙も出ない。
追記もない。
今回は、人間の書類が動いている。
*
徴税吏は、村の広場に椅子を置かせた。
自分の椅子だけである。
村長は立たされた。村人たちは、少し離れて集められている。護衛たちは武器に手を置いているだけで、抜いてはいない。
それで十分だった。
徴税吏は、細い男だった。
年齢は四十前後。頬はこけているが、服は村人のものより明らかに良い。悪人の顔ではない。だが、疲れた善人の顔でもない。
帳簿に書かれたものを読める人間の顔だった。
「村長ハーゲン」
徴税吏が言った。
村長が頭を下げる。
「はい」
ハーゲン。
アインズは、その名を聞いた。
対象村落住民A-01。村落代表者。年齢五十前後。識字能力なし。薬師風の女との接触あり。支援勢力への恐怖あり。
その記録に、ハーゲンという名はない。
「最近、この村に外部から物資が搬入されたと報告があった。食糧、薬、工具、布、木材。相違ないな」
「……はい」
「申告がない」
徴税吏は台帳を開いた。
「本来、村外勢力からの贈与、取引、報酬、保護料、その他名目不明の物資流入は、領主館への報告対象である」
村長は口を開きかけた。
だが、言葉は出なかった。
黒い兵から受け取った。
そう言えばよいのか。
誰から受け取ったか分からない。
そう言えばよいのか。
助かったが、怖い。
そんな言葉は、徴税の台帳には載らない。
「受領物資は村の臨時収入と見なされる。よって一部を徴収する」
村人の間に小さなざわめきが起きた。
徴税吏は顔を上げない。
「鍛冶屋ベルトの家。工具一式の受領あり。申告せよ」
人垣の中で、太い腕の男が身を縮めた。
対象村落住民A-04。鍛冶作業従事。右脚に古傷。支援工具受領あり。
ベルト。
「寡婦マルナ」
徴税吏は続けた。
母親が息を止めた。
「薬品受領の記録あり。薬代相当を申告せよ」
「それは」
母親が一歩前へ出た。
声が震えていた。
「それは、娘の薬です」
遠隔視の向こうで、アインズは視線を止めた。
娘。
「名は」
徴税吏が尋ねる。
書記が羽ペンを構えた。
「ミラです」
母親は答えた。
「ミラ。七歳です。熱を出していました。あの薬がなければ――」
「ミラ・マルナの世帯、薬品受領あり」
書記が記した。
アインズは、その文字を見た。
ミラ。
対象村落住民A-07。
発熱より回復中。支援薬使用済み。
黒い人たちは、悪い人?
ミラ。
名前は不要である。
そう判断したばかりだった。
だが、領主側の台帳には、すでに名前がある。
ただし、それは救うための名前ではない。
徴収するための名前だった。
「薬は残っているか」
徴税吏が問う。
マルナは答えない。
「残っているなら提出せよ。現物確認の上、相当額を算定する」
「まだ必要です」
「必要かどうかを判断するのは領主館だ」
護衛が一歩動いた。
村人たちが後ずさる。
ミラは、母親の背後にいた。
小さな手で、母親の服を握っている。
アインズはそれを見た。
怖い。
でも、薬くれた。
その声が、また記録の外から戻ってくる。
*
デミウルゴスは、遠隔視を見ながら言った。
「徴税吏の行動は、彼らの制度上は正当なものなのでしょう」
「だろうな」
「殺害は容易ですが、推奨いたしません。領主側関係者の不審死は、周辺統治機構の追加干渉を招きます」
「同感だ」
アインズは考える。
徴税吏は盗賊ではない。領主側の制度の一部だ。支援物資が村の収入と見なされるなら、課税対象になる。
理屈は分かる。
人間社会では、そういうものなのだろう。
ならば、その理屈を崩せばよい。
村の財産ではない。
贈与ではない。
報酬でもない。
取引でもない。
保護料でもない。
では何か。
観測用に配置された物資。
一時貸与。
用途限定。
所有権保留。
契約ではない。
第4話で契約欄は空白のままだ。
村と契約を結べば、敵性干渉が再発する可能性がある。
ならば、契約ではなく目録。
受領ではなく配置。
返礼は不要。
移転不可。
徴収不可。
アインズの頭の中で、いくつもの欄が並び替えられていく。
「パンドラズ・アクターを呼べ」
「御意」
アルベドがわずかに視線を動かした。
その名に反応したというより、アインズの声色に反応したようだった。
まもなく、パンドラズ・アクターが現れた。
「お呼びにより、参上いたしました! 我が偉大なる創造主――」
「書類を作れ」
アインズは言った。
パンドラズ・アクターの動きが止まる。
「書類、でございますか」
「そうだ。対象村落への支援物資について、貸与目録を作成する」
パンドラズ・アクターの目が輝いた。
「所有権は移さず、使用権だけ現地に残す。契約も発生させない。なるほど、実に美しい処理でございます!」
「急げ」
「御意!」
その動きは大げさだったが、仕事は速かった。
羊皮紙が用意される。
インクが走る。
文章が組み上がる。
対象村落支援物資一覧。
用途、観測および現地維持。
所有権、保留。
使用権、対象村落住民に限定。
返礼、不要。
転売、移転、徴収、担保化、不可。
受領署名、不要。
契約関係、発生せず。
アインズは、最後の一文を見た。
契約関係、発生せず。
よい。
契約欄は、まだ空白である。
「これを現地に送れ。使者は黒い兵ではなく、姿を隠したまま書面を置け。徴税吏に読ませればよい」
「署名は」
パンドラズ・アクターが問う。
アインズは少しだけ黙った。
アインズ・ウール・ゴウン。
その名を書くことはできる。
だが、早い。
魔導王の名を出せば、村はさらに歪む。モモンの名を書くのも違う。薬師風の女の痕跡と混線する。
「署名欄は空白でよい」
「空白、でございますか」
「そうだ。差出人不明の方が、相手は慎重になる」
「なるほど」
パンドラズ・アクターは恭しく頭を下げた。
「恐怖と不確実性を用いるわけでございますね」
「そういうことだ」
アインズは頷いた。
そういうことにしておいた。
*
徴税吏が薬を確認しようとした時、広場の机の上に一枚の羊皮紙が落ちた。
誰も投げていない。
風もない。
ただ、そこに置かれていた。
護衛たちが剣に手をかける。村人たちは息を止める。徴税吏は、しばらくその羊皮紙を見ていた。
「……何だ」
書記が震える手で羊皮紙を取る。
読み始める。
読むにつれて、顔色が変わった。
「どうした」
「支援物資の目録です」
「誰の」
「分かりません」
「差出人は」
「空白です」
徴税吏は舌打ちし、羊皮紙を奪った。
目を走らせる。
対象村落支援物資一覧。
用途、観測および現地維持。
所有権、保留。
使用権、対象村落住民に限定。
返礼、不要。
転売、移転、徴収、担保化、不可。
受領署名、不要。
契約関係、発生せず。
「ふざけているのか」
徴税吏は低く言った。
だが、その声は怒りきれていなかった。
差出人が分からない。
だが、これをこの場に置ける者がいる。
護衛の前で。
徴税吏の机の上に。
誰にも見られず。
その事実だけで、十分だった。
「村長」
徴税吏が言った。
「お前たちは、これを誰から受け取った」
村長ハーゲンは、首を振った。
「分かりません」
「分からない物を使っているのか」
「……はい」
「領主館は、それを説明とは認めない」
徴税吏はそう言った。
その声は、怒りというより、台帳の余白を拒む声だった。
だが、薬を取り上げようとはしなかった。
工具も、食糧も、布も、木材も。
どれにも手をつけなかった。
徴税吏は台帳を閉じた。
「この件は領主館に報告する」
村人たちは黙っていた。
それは安堵ではない。
別の恐怖が、村の上に落ちたような沈黙だった。
「物資への手出しは、ひとまず保留する」
ひとまず。
その言葉は、村人にとって十分に怖かった。
徴税吏たちは引き上げた。
馬車が村を出るまで、誰も大きな声を出さなかった。
ミラは母親の服を握ったままだった。
母親マルナは、薬壺を抱えていた。
それが誰のものなのか、誰にも分からなかった。
ただ、今は手元に残った。
*
ナザリックの作戦室で、アインズは遠隔視を閉じた。
徴税吏は撤退した。
村の物資は維持された。
領主側には不確実性を与えた。
対象村落の安定観測は継続可能。
結果としては、成功である。
「見事でございます」
デミウルゴスが言った。
「殺害せず、制度そのものの処理欄を利用して退ける。領主側は今後、あの村に手を出すたびに、差出人不明の支援者を意識せざるを得ません」
「過度な接触を抑止できればよい」
「はい。さらに、物資を村の所有物としないことで、課税対象からも外せます」
デミウルゴスは満足げだった。
「ただし、所有権をナザリックが明示していない以上、村側も完全には安心できない。恐怖と依存の均衡が維持される。実に巧妙です」
アインズは頷いた。
その通りである。
恐怖と依存の均衡。観測条件の維持。領主側干渉の抑制。支援物資の現地維持。
そう記録できる。
そう記録すればよい。
パンドラズ・アクターが、追加の書類を差し出した。
「個別反応記録の更新案でございます」
アインズは受け取った。
対象村落住民A-01。
識別名、ハーゲン。
村落代表者。
徴税吏への恐怖反応あり。
支援物資保持を希望。
対象村落住民A-04。
識別名、ベルト。
鍛冶作業従事。
支援工具使用中。
対象村落住民A-06。
識別名、マルナ。
寡婦。
薬品保持への強い執着。
対象村落住民A-07。
識別名、ミラ。
発熱より回復中。
支援薬使用済み。
徴税吏接近時、母親背後へ退避。
黒い人たちは、悪い人?
その声が、また戻ってきた。
ミラ。
名前を記録したのは、支配効率のためである。人間社会の台帳と照合するためである。領主側の干渉を分析するためである。個別反応を識別するためである。
理由はある。
だが、対象村落住民A-07という表記だけを見た時よりも、識別名ミラという文字は、紙面の上で少し重かった。
「名前は必要か」
アルベドが静かに問うた。
責める声ではない。
純粋な確認だった。
アインズは答える。
「必要だ。領主側台帳との照合に使う。番号のみでは、外部記録との対応に誤差が出る」
「畏まりました」
アルベドはそれ以上何も言わなかった。
デミウルゴスが頷く。
「人間社会は名を用いて徴税し、徴兵し、処罰する。であれば、我々もその識別体系を把握せねばなりません」
「そうだ」
アインズは言った。
そうだ。
名前は支配の道具である。
徴税のため。
徴兵のため。
処罰のため。
保護のためではない。
少なくとも、記録上はそう処理できる。
「個別記録に、識別名欄を追加せよ」
「御意」
パンドラズ・アクターが頭を下げた。
識別名欄。
名前欄ではない。
識別名欄。
その程度の距離が必要だった。
*
その夜、ナザリックの記録には、領主側関係者による臨時徴収行為、阻止、と記された。
支援物資、現地維持。
貸与目録、作成。
契約関係、発生せず。
対象村落住民個別記録、更新。
識別名欄、追加。
対象村落住民A-07。
識別名、ミラ。
発熱より回復中。
支援薬使用済み。
所有権、保留。
返礼、不要。
徴収、不可。
名前欄は埋まった。
ただし、所有者欄は空白のままだった。