またソロ攻略ですか? ――アインズ様の作戦だけが失敗するようです――   作:ブンチョウ

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第8話 守る拳

 領主館は、正式な再調査を保留した。

 

 少なくとも、表向きはそう処理された。

 

 差出人不明の貸与目録。

 

 所有権保留の支援物資。

 

 使用権を村に残しながら、徴収、転売、担保化を禁じる書面。

 

 その書面が、護衛の前で徴税吏の机に置かれた。

 

 誰が置いたのか分からない。

 

 誰の名も書かれていない。

 

 だが、置ける者がいた。

 

 それだけで、領主館の書記たちは報告書の表現に迷った。

 

 脅威。

 

 支援者。

 

 密輸勢力。

 

 反領主勢力。

 

 宗教結社。

 

 魔術師。

 

 盗賊団の上位組織。

 

 どの欄にも、うまく収まらない。

 

 だから、領主館は正式な調査隊を出さなかった。

 

 ただし、何もしなかったわけではない。

 

 夜半。

 

 六人の男たちが、村へ近づいていた。

 

 密偵が二名。

 

 護衛役の兵が三名。

 

 そして、領主館の書庫に出入りできる下級吏員が一名。

 

 目的は明白だった。

 

 支援物資の実物確認。

 

 貸与目録の写しの回収。

 

 薬品および工具の一部持ち出し。

 

 村人への非公式聞き取り。

 

 差出人不明の支援者に関する手がかりの取得。

 

 盗賊ではない。

 

 略奪でもない。

 

 領主館にとっては、自領内の異常を確認するための非公式調査である。

 

 だが、村人から見れば、夜に来る武装した男たちに違いはない。

 

 ナザリックの監視網は、その動きを村の外縁で捉えた。

 

     *

 

 報告を受けたアインズは、しばらく沈黙した。

 

 領主館側の非公式接触。

 

 予想の範囲内である。

 

 徴税吏がその場で引いた以上、次に来るのは正式な調査隊か、非公式な確認役か。

 

 今回は後者だった。

 

 殺すことは容易い。

 

 消すことも容易い。

 

 だが、それでは情報が切れる。

 

 領主館の関与証拠も残らない。

 

 村人の恐怖反応も歪む。

 

 対象村落の安定観測も、領主側の次行動分析も難しくなる。

 

 殺害は不適切。

 

 制圧。

 

 証拠保全。

 

 村人への露見防止。

 

 支援物資の現地維持。

 

 その四つが必要だった。

 

「セバスを呼べ」

 

 アインズが言うと、アルベドがわずかに視線を上げた。

 

「セバスでございますか」

 

「そうだ」

 

 シャルティアでは過剰である。

 

 コキュートスでは目立ちすぎる。

 

 アンデッド兵を出せば、村人の恐怖反応が増大する。

 

 デミウルゴスに任せれば、必要以上の情報抽出を行う可能性がある。

 

 セバスは人間型であり、制圧能力が高い。

 

 殺害禁止命令との相性もよい。

 

 村人に目撃された場合の恐怖反応も、アンデッドよりは低い。

 

 理由は揃っていた。

 

 やがて、セバス・チャンが作戦室に現れた。

 

 白髪の執事は、静かに一礼する。

 

「お呼びでしょうか、アインズ様」

 

「対象村落へ侵入する者たちがいる。領主館関係者の可能性が高い」

 

「はい」

 

「制圧せよ。ただし、殺害は禁止する。村人に見せるな。支援物資に触れさせるな。領主館関与の証拠を保全せよ」

 

「畏まりました」

 

 返答に迷いはない。

 

 セバスは、命令を受け取った。

 

 殺害禁止。

 

 村人被害防止。

 

 証拠保全。

 

 支援物資維持。

 

 それは任務である。

 

 だが、その形だけを見れば、村を守る行為に近かった。

 

 アインズはその考えを、すぐに別の欄へ押し込めた。

 

 観測条件の維持。

 

 領主側干渉の制御。

 

 対象村落住民の反応保全。

 

 それで足りる。

 

「なお、正体不明者との接触が発生した場合は、交戦より情報保全を優先せよ」

 

「正体不明者、でございますか」

 

「薬師風の女、またはその関係者の可能性がある」

 

「承知いたしました」

 

 セバスは深く頭を下げた。

 

 その拳は、まだ動いていない。

 

 だが、アインズは、その拳が何をするかを知っていた。

 

     *

 

 夜の村は静かだった。

 

 井戸の滑車は動かない。

 

 橋板を踏む音もない。

 

 家々の戸は閉じられ、かすかな寝息だけが壁の内側にある。

 

 六人の男たちは、村の南側から入った。

 

 足音を抑え、影に沿って進む。

 

 彼らは慣れていた。

 

 盗賊ほど荒くはない。

 

 兵士ほど硬くもない。

 

 村人を起こさず、物資置き場へ近づく程度の訓練は受けている。互いの死角を埋め、逃げ道も一つ残していた。

 

 先頭の密偵が、広場の端に積まれた物資箱へ手を伸ばした。

 

 その手首が、止まった。

 

 悲鳴は出なかった。

 

 関節は折れていない。

 

 骨も砕けていない。

 

 ただ、動かない。

 

 密偵は自分の手首を見る。

 

 そこに、白い手袋をした指が添えられていた。

 

「そこまでにしていただきます」

 

 セバスは、静かに言った。

 

 密偵の喉が鳴る。

 

 後ろの兵が剣を抜こうとした。

 

 抜けなかった。

 

 セバスの左手が、鞘の口を軽く押さえている。

 

 力を入れているようには見えない。

 

 だが、剣は鞘から一寸も動かなかった。

 

 兵の肩だけが先に震え、肘が遅れて止まった。

 

 抜こうとする力はある。

 

 だが、その力が剣へ届く前に、逃げ場を失っている。

 

 別の兵が短剣を抜いた。

 

 セバスは見ていない。

 

 見ていないまま、一歩だけ横へ動いた。

 

 短剣は空を切る。

 

 次の瞬間、その兵は地面に膝をついていた。

 

 膝が折れたのではない。

 

 立つための支点だけを、抜かれていた。

 

 膝裏を叩かれたのだと理解した時には、すでに肩も動かなくなっていた。

 

 鎧の隙間。

 

 腱の位置。

 

 骨を折らずに動きを止める角度。

 

 セバスの指は、それらを正確に選んでいた。

 

 殺さない。

 

 声を上げさせない。

 

 傷を残しすぎない。

 

 だが、抵抗は許さない。

 

 それは慈悲ではない。

 

 技術だった。

 

 三人目が息を吸う。

 

 叫ぶつもりだった。

 

 セバスの掌が、その男の胸元に触れた。

 

 衝撃はなかった。

 

 ただ、男の肺が一瞬だけ空になり、声が出なくなった。

 

 男はその場に崩れ落ちる。

 

 死んではいない。

 

 意識もある。

 

 だからこそ、自分が何もできないことを理解できた。

 

 下級吏員が震える手で書類袋を抱えた。

 

 逃げようとする。

 

 セバスは追わない。

 

 足元の小石を軽く弾いた。

 

 小石は下級吏員の足首の前に落ちる。

 

 男は自分の足につまずき、転んだ。

 

 書類袋が地面に落ちる。

 

 セバスはそれを拾い上げた。

 

 領主館の封蝋。

 

 非公式調査の命令書。

 

 貸与目録の写しを回収せよ、という指示。

 

 薬品一部を証拠品として持ち帰ること。

 

 工具の製造痕を確認すること。

 

 村長ハーゲン、寡婦マルナ、鍛冶屋ベルトへの聞き取り。

 

 対象者の名前が並んでいる。

 

 セバスは、書類を折らなかった。

 

 そのまま懐へ収めた。

 

 証拠保全。

 

 アインズの命令である。

 

 最後の密偵が、村の奥へ逃げようとした。

 

 村人に見られる。

 

 それは命令に反する。

 

 セバスが踏み込んだ。

 

 拳を振るう必要はない。

 

 肩を押さえ、足を払えばよい。

 

 そう判断した、その瞬間だった。

 

 影の中から、一人の男が出た。

 

 古い鎧。

 

 傷のついた丸盾。

 

 灰色の外套。

 

 領主館の者ではない。

 

 村人でもない。

 

 傭兵崩れか、無名の衛兵か。

 

 どこにでもいそうな男だった。

 

 ただ、立ち位置だけが違った。

 

 逃げる密偵と、踏み込むセバスの間。

 

 そこに、最初から空いていた場所を知っていたように立っている。

 

 セバスの手刀が、男の肩へ向かう。

 

 力は抑えていた。

 

 殺害は禁止されている。

 

 制圧に必要なだけの力。

 

 その軌道に、丸盾の縁が触れた。

 

 受け止めたのではない。

 

 弾いたのでもない。

 

 ほんの少し、ずらした。

 

 拳が本来向かうはずだった場所から、半歩だけ案内された。

 

 セバスの手刀は男の肩を外れ、外套の端だけを裂いた。

 

 セバスの目が、わずかに細くなる。

 

 力で止められたのではない。

 

 速度で上回られたのでもない。

 

 知っていた。

 

 その角度を。

 

 その踏み込みを。

 

 その拳が、どこへ向かうべきかを。

 

 男は丸盾を下げた。

 

 逃げる密偵をかばうでもなく、セバスへ斬りかかるでもない。

 

 ただ、そこに立っていた。

 

「何者ですか」

 

 セバスが問う。

 

 男は答えなかった。

 

 月明かりの下で、その顔はよく見えない。

 

 老いているようにも見える。

 

 若いようにも見える。

 

 人間のようにも、そうでないようにも見える。

 

 男は、低く言った。

 

「その拳は、誰を守るために作られた?」

 

 セバスは動かなかった。

 

 問いは、剣よりも遅い。

 

 拳よりも軽い。

 

 だが、避ける場所がなかった。

 

「……何を」

 

 セバスが言いかけた瞬間、別の兵が立ち上がろうとした。

 

 村の家の戸が、内側で小さく鳴る。

 

 誰かが目を覚ました。

 

 セバスは、男を追えた。

 

 追えば、捕捉できる可能性はある。

 

 だが、その場合、逃げかけた兵を止められない。

 

 村人に見られる。

 

 命令に反する。

 

 セバスは、男から視線を切った。

 

 兵の首筋に指を添える。

 

 男は気絶した。

 

 次に密偵。

 

 肩を押さえ、地面に伏せさせる。

 

 下級吏員を拘束する。

 

 護衛の剣を取り上げる。

 

 すべて、数呼吸のうちに終わった。

 

 セバスが再び影の方を見た時、無名の衛兵は消えていた。

 

 足音はない。

 

 血もない。

 

 ただ、裂けた外套の端だけが地面に落ちていた。

 

 セバスは、それを拾った。

 

 布は粗末だった。

 

 どこにでもある外套の端。

 

 だが、そこに残っていた問いは、粗末ではなかった。

 

 その拳は、誰を守るために作られた?

 

 セバスは布片を握り、静かに目を伏せた。

 

 答えは、命令書にはなかった。

 

     *

 

 夜間侵入者の制圧は、完了した。

 

 侵入者、六名。

 

 全員生存。

 

 重度損傷なし。

 

 発声不能化、短時間。

 

 拘束、完了。

 

 領主館関与を示す命令書、確保。

 

 支援物資被害、なし。

 

 村人目撃、最小限。

 

 ただし、正体不明者一名との接触あり。

 

 セバスは、そのまま報告した。

 

 感情は入れない。

 

 推測も入れない。

 

 見たことだけを述べる。

 

「正体不明者は、人間型。古い鎧と丸盾を所持。所属不明。当方の制圧行動に介入。一撃のみ交差。その後、逃走。追跡は任務遂行を優先したため行っておりません」

 

 アインズは、報告書を見ていた。

 

 一撃のみ交差。

 

 セバスが追跡しなかった。

 

 任務を優先した。

 

 正しい。

 

 正しいが、その前に別の情報がある。

 

 セバスの制圧行動に介入した。

 

 ただの人間ではない。

 

 武技か。

 

 魔法か。

 

 ワールドアイテムか。

 

 プレイヤーか。

 

 あるいは。

 

 たっち・みーさんではない。

 

 そうであるはずがない。

 

 ならば、これは創造主情報を用いた干渉である。

 

 アインズは、そう処理した。

 

 セバスの創造主。

 

 正義を冗談にしなかった人。

 

 かつて、守るという言葉を軽く扱わなかった人。

 

 その名をここで認めれば、敵の輪郭が変わる。

 

 敵ではなくなる。

 

 それは危険だった。

 

「その者は、何か言ったか」

 

 アインズは問う。

 

 セバスは一瞬だけ沈黙した。

 

 沈黙は短かった。

 

 だが、あった。

 

「はい」

 

「報告せよ」

 

「その拳は、誰を守るために作られた、と」

 

 作戦室が静かになった。

 

 アルベドの視線が、セバスへ向く。

 

 デミウルゴスは、表情を変えない。

 

 だが、その目は明らかに思考していた。

 

 アインズは、報告書を見る。

 

 その拳は、誰を守るために作られた?

 

 挑発である。

 

 セバスの創造主情報を用いた干渉である。

 

 ナザリック内部の人格構造への接触である。

 

 そう分類できる。

 

 そう分類すべきだった。

 

「敵は、セバスの創造主に関わる情報へ接触している可能性がある」

 

 アインズは言った。

 

 デミウルゴスが頷く。

 

「同感です。これまでの事例と合わせれば、敵はNPC個体の創造主由来設定を利用し、任務遂行時の判断に干渉しているものと思われます」

 

「そうだ」

 

 アインズは答えた。

 

 そういうことだ。

 

 アルベドの追記。

 

 シャルティアの趣味欄。

 

 セバスの拳。

 

 すべて、創造主情報への干渉である。

 

 個人的な問いではない。

 

 過去からの問いではない。

 

 仲間からの問いではない。

 

 敵の手法である。

 

 そう処理できる。

 

 そう処理する。

 

「セバス」

 

「はい」

 

「今回の判断は正しい。正体不明者の追跡より、任務遂行を優先したことを評価する」

 

「ありがたきお言葉」

 

 セバスは頭を下げた。

 

 だが、いつもの礼より少しだけ深かった。

 

「以後、対象村落周辺における制圧任務では、殺害禁止を継続する。村人への被害防止を優先。正体不明者との接触時は、交戦より情報保全を優先せよ」

 

「御意」

 

「また、侵入者の処分は保留する。領主館側の指示系統を確認する必要がある」

 

「承知いたしました」

 

 命令は整った。

 

 殺害禁止。

 

 被害防止。

 

 情報保全。

 

 処分保留。

 

 そのすべてに理由はある。

 

 情報源を失わないため。

 

 敵能力の観測のため。

 

 村人反応を歪ませないため。

 

 領主館の関与範囲を把握するため。

 

 理由はある。

 

 ただ、セバスの拳が、その理由の中で少しだけ別の形を取ったことを、アインズは記録しなかった。

 

     *

 

 セバスは、拘束した侵入者たちを見下ろしていた。

 

 彼らは死んでいない。

 

 骨も折れていない。

 

 腱も切れていない。

 

 だが、二度と同じ夜を忘れないだろう。

 

 自分たちは殺されなかった。

 

 そのことが、むしろ恐怖になっていた。

 

 セバスは、その恐怖を観察した。

 

 命令に必要な範囲で。

 

 侵入者の一人が震える声で言った。

 

「あんたは、何なんだ」

 

 セバスは答えなかった。

 

 ナザリックの執事。

 

 アインズ様の僕。

 

 制圧任務の遂行者。

 

 そう答えることはできる。

 

 だが、先ほどの問いが、その前に立っていた。

 

 その拳は、誰を守るために作られた?

 

 答えは分かっている。

 

 分かっているはずだった。

 

 自分はナザリックのために存在する。

 

 アインズ様の命令に従う。

 

 それが第一であり、すべてである。

 

 だが、セバス・チャンを作った者のことを考えれば、その拳に別の意味があることも、否定はできなかった。

 

 守る拳。

 

 制圧する拳。

 

 従う拳。

 

 それらを分けて考えたことは、これまでなかった。

 

 セバスは目を閉じた。

 

 答えを出す必要はない。

 

 命令は明確である。

 

 侵入者は殺さない。

 

 村人に被害を出さない。

 

 支援物資を維持する。

 

 証拠を保全する。

 

 それで足りる。

 

 足りるはずだった。

 

     *

 

 その夜、ナザリックの記録には、夜間侵入者制圧任務、完了、と記された。

 

 侵入者、六名。

 

 全員生存。

 

 村人被害、なし。

 

 支援物資、現地維持。

 

 領主館関与、証拠保全。

 

 正体不明者、一名。

 

 交戦、一回。

 

 追跡、未実施。

 

 セバス・チャンの戦闘記録には、制圧成功、と記された。

 

 拳の用途に関する記述はなかった。

 

 ただし、殺害欄は空白のままだった。

 

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