「お願い叶った!? 私叶った! おこづかい増やしてもらえたの!」
「……そっか。私はまだだよ」
あの後、走って帰った仄華は、家に着いた安堵で腰が抜けてしまった。
結局、家族と夕食を囲む頃には、すっかり不安も解けていて、きっと何かの見間違いだろうと思えていた。
……翌朝起きるまでは。
「えー、残念! ……っていうか、仄華ちゃん元気ないね。大丈夫?」
「……うん。大丈夫」
人形に願い事をした次の朝。今までは枕の右か左に佇んでいた人形が、頭の真上で横向きに転がっていたのだ。心なしか、服も乱れていた。
今までよりいっそう不気味な事態に、いよいよお焚き上げでもするべきかという話になっていた頃、仄華には新たな悩みが生まれてしまっていた。
「……はぁ」
それは夢。悪夢だ。『たくさんのひな人形に囲まれて、全身を抑え込まれて、自分もひな壇に飾られるひな人形になってしまう』夢。あの人形に願い事をして以来そんな夢ばかり見るようになってしまった。
――やっぱりあれって、呪いの人形だったんじゃないの?
憂鬱な頭に、そんな考えが浮かぶ。最悪だ。ただでさえ呪いの人形に悩まされていたというのに、余計なことをしたせいで、自分を狙う人形が増えてしまった。
……しかし。同時に引っ掛かりを感じるのだ。
願い事をした翌朝。頭の上で家の人形が転がっていたあの日。あの時は、特に悪い夢は見なかった。
今日だってそうだ。あの日以来、枕元に人形がいない日は決まってひな人形にされる悪夢を見るのに、人形がいる日、もしくは転がっている日は、その悪夢を見ないか、見てもすぐに起きることができる。……いや、もしかして。
「……まさか」
私は酷い思い違いをしていたんじゃないか? あの人形が私の枕元に現れるのは、悪い夢から私を守ってくれていたんじゃないか? 私に背を向けて佇んでいたのも、私を覗き込むように立っていたのも、日によって立ち位置が違ったのも、全部私を悪夢から守っていたからだったんじゃないのか?
……もし。もし、そうだったんだとしたら。
「……謝らなくちゃ」
今日、学校の授業が終わったら。あの人形に、謝りに行こう。
勘違いで排除しようとしたことを、誠心誠意。
夜。仄華の家の納戸にて。
「お人形さん、ごめんなさい。私、勘違いしてた。きっと私を守ってくれてたんだよね? 悪い夢が寄ってこないように、夜通し見張っててくれたんだよね? なのに私、あなたを怖がって、どっか行けって願っちゃった」
仄華が、頭を下げる。誠心誠意、人形に向かって。自分の精一杯の謝罪を込めて。
「もし、私が願い事をした人形が、悪いやつなんだったら。都合のいいことかもしれないけど、私を守ってください。お願いします」
人形は、何も語らない。目を動かすことも、顔を向けることも、髪を伸ばすこともない。
だが今、仄華には。その眉目秀麗な人形の動くことのない顔が、とても頼もしく見えていた。
夢を見た。
あの日以来のいつもの悪夢とは少し違う夢。あの人形が、迫りくるボロボロのひな人形の大群から、仄華をたった一人で守っている夢。
小さな
「ありがとう」
「お人形さん……?」
目の前の人形から、声ならぬ聲が聴こえてくる。今にもひな人形たちに潰されてしまいそうな姿で、毅然と立って、仄華に背を向けて。
「私を信じてくれて。あなたの夢を、守らせてくれて」
「そんな、違う! 私が、私があなたを信じられなかったから! あなたはずっと守ってくれてたのに!」
仄華が悲痛な声を上げる。
――私のせいなのに。私が信じなかったから、あなたはそんなに傷ついているのに!
「目覚めたら、私のことはお焚き上げにでも持って行って。私が形代になって、こいつらを全員持っていくから」
「お人形さん――!」
――バチバチ。バチチ……。
小さな人形が、お経に見送られながら灰になっていく。ズタズタになった衣服も、ひびだらけになった躰も、全て。
あの後、仄華が目を覚ました時、人形は枕元でボロボロになって倒れていた。
その姿を見て、思わず泣いてしまった仄華の声を聞いて駆け付けた親たちは、事情を聞いて、その人形をその遺志通りお焚き上げに持っていくことにした。
「『付喪神』ってやつだったんだろうなぁ」
「つくもがみ?」
父の発した聞きなれない言葉に、仄華が聞き返す。
「長いこと大切にされたものには、魂が宿るんだってさ。この人形も、うちに随分長いこと保管されてたし、そうなっててもおかしくはなかったんだな」
「……そっか」
――バチバチ。
人形が灰になっていく。
「ありがとう、お人形さん」
それ以来、『願いを叶えてくれる人形』のうわさはぱったりと止み。
仄華が悪夢を見ることもまた、無くなっていた。