勇者をプロデュース!〜無名の田舎娘が、神さまイチ推しの勇者になるまで〜 作:朴月イチロ
その日の朝、アリシアをまどろみから現実へ引き戻したのは、廊下を駆け回る足音だった。
「……う、ん」
ベッドによる快適な睡眠を堪能したアリシアは、目を何回か瞬かせた後ゆっくり体を起こす。
「どうしたんだろ、なんだか外が騒がしいような……寒ぅ!」
おもむろに掛け布団から抜け出そうとした途端、室内とのあまりの気温差に耐えられず、アリシアは再び掛け布団をマントのように羽織る。
思いがけない寒さに、寝ぼけていた思考が一気に覚醒する。
「なんでぇ!? なんでこんなに部屋が寒いの!? 野宿の時だってここまで寒くなかったのに!?」
掛け布団を羽織ったまま、アリシアはベッドから飛び起きると、窓がすっかり白く曇っていることに気づいた。
まるで冬の寒空の朝のような光景であるが、今は夏も見え始めてきた春のはずである。
ガラスの曇りを素手で拭い、透明感を取り戻した窓から外の様子を見たアリシアは目の前の信じられない景色に驚愕した。
街全体が凍っている。
大雪による積雪ではない。あちこち建物がガラスのオブジェの如く、氷に覆われて氷結している。遠目からだと判別しにくいが、それに巻き込まれて人が丸ごと氷結されてしまっているようにも見える。
一瞬、夢であることを疑ってしまった。
どう見ても異常状態にしか見えない光景に、掛け布団を跳ね除けたアリシアは、慌ててバックパックから冬服を引っ張り出す。まさかこんなに早く出番が来るとは思わなかった。
一通り身支度を整え、ヴァルドと合流せんと思いきりに部屋をドアを引き開けた……ところで、彼はすでに廊下の壁に背中を預けて待っていた。
「……遅い」
「あ、ヴァルドさんおはようございます……って外! 外が大変なんですって! 見ました!?」
「知ってる、他の宿泊してた連中も大混乱だ……ノックしても全然出てこないから、起きるまで待ってた」
「それは……面目ないです。でもそれなら、魔法で起こしてくれればよかったのに」
「その場合、風で布団もろとも吹っ飛ばすプランになるが」
「もう少し穏便にできませんかね!?」
起き抜けの頭に、遠慮のない一言がきっちり突き刺さる。
相変わらず、ヴァルドは手加減というものを知らない。
◆◆◆
チェックアウトして宿屋から外に出ると、あたり一面銀世界……冷たく透き通ったガラスの世界だった。
建物の壁や窓枠からは、水晶のような氷が内側から突き破るように伸び、看板や外灯までもが半ば氷に呑み込まれている。
地面に薄く張り付いた氷は、昨夜まで人々が行き交っていた石畳の起伏をそのまま写し取り、朝日を受けて無数の光を反射していた。
昨夜あれほど夜遅くまで人が行き通っていたのに、今は嘘のように静かだ。
「……一晩で一体何がどうして、こうなっちゃったんでしょう」
「とりあえず状況を把握しないことには、対処のしようがないな」
そうですよね、と呟きながら一歩踏み出した瞬間――。
足裏が、つるりと嫌な感触を返した。
氷の上だと理解するより早く、重心が前に流れ、アリシアの視界が大きく傾く。
「ひゃ……っ!?」
反射的に何かを掴もうとしたが間に合わない。
その腕を、横から強く引き戻されて、かろうじて転倒を免れた。
「……凍結した地面は不慣れだろ。気をつけないと文字通り足下すくわれるぞ」
「こ、凍った地面ってこんなに滑るんですね……」
ヴァルドの腕を両手で掴んだまま、アリシアは乱れた呼吸を整えた。
視線は自然と足元に落ち、もう一度あの感触を味わうのは正直ごめんだった。
――いや、奥の手がある。
アリシアは両手にいつものピッチフォークを呼び出すと、それを地面に張り付いた氷へ打ち込み、石畳の隙間に穂先を噛ませながら慎重に歩き出す。
「あ。これならなんとか歩けそうです!」
「魔王を討つためにあげた力をスパイクに使うな……!」
至高の武器のぞんざいな扱いに、渋い顔を隠しきれなかったヴァルドは一言、《
すると、先ほどまでアリシアが足元に感じていた“つるつる”とした感覚が消え、足の裏が地面をしっかりと捉えるようになった。
おおっ、とアリシアは足元を確かめるように、ぴょんぴょんとその場ではねる。
「えっ、すごいです! 全然滑らなくなりました! さすがヴァルドさんですね!」
「それなら走れるだろ……緊急事態だしな。で、これからどうする?」
「そうですね……昨日のギルド支部に行ってみましょうよ! 何かわかるかもしれないです!」
アリシアは意気揚々とそういって、ギルドの方角の方を指差した。
……真っ先にこちらの魔法に泣きついてくるかと思えば。
手段はどうあれ、自分の力で突破しようとする姿勢は嫌いじゃない。
それどころか、評価すらしている。
だが――。
至高の力を躊躇なく“普通のもの”のように扱う様は、時に見ていて胃が痛くなる。
ヴァルドは小さく息を吐く。
この後の“シナリオ”を思うと、若干先行きが不安だが――。
こんな所で躓くようじゃ、到底、魔の土地には辿り着けない。
◆◆◆
なんとかたどり着いた傭兵ギルドは、かろうじて建物全体の完全凍結は免れていたものの、出入り口周辺だけは人の手が入った痕跡があり、かろうじて機能を保っていた。
中の受付フロアは、逃げ込んできた市民や、右往左往する傭兵たちで溢れかえっている。
その喧騒の中心、カウンターで声を張り上げている女性の姿があった。
「押さないでください! いま状況を確認しているところですから!」
昨日の受付嬢のエルシェだ。
その顔色は青白く、目の下にうっすら隈が浮かんでいるように見える。
カウンターに駆け寄ると、向こうもこちらに気づいたようで、少し表情が和らぐ。
「エルシェさん!」
「あ、昨日の……お二人ともご無事だったんですね。よかった……」
「外、大変なことになってますよね……一晩で一体何があったんですか??」
エルシェ自身も混乱しているようだが、プロとして声の震えを必死に抑える。
「私たちにも何が何だか……夜明け前から急に氷結が始まって、気づいた時には街中が氷漬けに……調査員の報告によれば、氷漬けにされた人が、魔物の群れに引き摺られていったっていう話もあってぇ……」
――その刹那。
「――アリシア!」
「――っ!?」
ガシャーンッ!!
ヴァルドの鋭い警告から一瞬遅れて、入り口の窓ガラスが派手に砕け散り、鋭い冷気と共に“白い影”が複数、雪崩れ込んできた。
その場にいた傭兵たちは、それを見るや否や、一斉にそれぞれの手持ちの武器を構える。
「なんなんだこいつら……!?」
「――なっ……!?」
その白い影は、傭兵の足元を撫でるように横切った。
次の瞬間、床一面に霜が走り、足首から一気に氷がせり上がる。
悲鳴を上げる暇もなく、氷は膝、腰へと広がり、傭兵の身体を下から呑み込んでいく。凍りついた体はその場に固定され、もはや身動きひとつ取れない。
その中の白い影の一部はカウンターへ――無防備なエルシェへ真っ直ぐに向かう。
「――させないですよっ!」
アリシアは考えるより早く、手に持っていたピッチフォークを横薙ぎに振るった。柄を通して柔らかい獣の感触と共に、飛びかかってきた影が弾き飛ばされる。
床に着地し、キーッ! と耳障りな威嚇音を上げたその正体は――。
全長一メートルはあろうかという、純白の体毛に覆われたイタチだった。
だがその目は充血したように赤く、口から白い息を吐き出している。
「イタチ……? でも、すごく大きい……!」
「……ユキイタチだな。その名の通り、北方の雪山とかを主に根城としている魔物だ。」
「ええ!? なんでそんな子たちが、こんな街中にいるんですか!?」
「それはこいつらじゃないとわからないな――《
再び飛びかからんとするユキイタチに《
威力は最小限に抑えられ、周囲の人間や建物には影響を及ぼさない。
人で溢れ返るこのフロアでは、これ以上の威力は使えない。
まともに戦えるのが自分たちだけでは、いずれ押し切られる……。
――だが、ここで前に出るのは、
(おっそいな、あいつ)
こういう騒ぎを見逃すほど、行儀のいい男じゃないはずだ。
ヴァルドが内心舌打ちしていると、仲間への助太刀か、割られた入り口から、次々と白い影が侵入してくる。五匹、六匹――その数は瞬く間に十を超える。
「とりあえずここからこの子たちを追い出さなきゃですね……っ」
白い影が徐々に包囲網を縮める中、アリシアは息を整える暇もなく、必死にユキイタチをいなしがら彼らを観察する。
どうしよう、どうしよう。
ただでさえ一匹だけでも厄介なのに、それが連携して襲ってくる。
特に足元を注視しておかなければ、彼らに撫でられただけで足を凍らされて身動きを封じられてしまう。だからと言って、それを避けようと足元を気にしていては、どうしても集中力が散漫になる。
「きゃああっ!?」
群れの一匹が、手薄になったエルシェを目掛けて再度跳躍した。アリシアのピッチフォークは、別の一匹を牽制していて間に合わない。
(あっ、ダメッ――!)
アリシアが絶望しかけた、その瞬間――。
――ヒュンッ
風を切る音と共に、空中でイタチの体が「く」の字に折れ曲がり、壁へと縫い付けられた。深々と突き刺さったのは――一本の太い、投擲用の鉄杭。
「――おやおや、ここは随分と盛況みたいですね」
聞き覚えのある声。
振り返って入り口を見てみれば、そこには意気揚々と笑いながら立つ男の姿があった。
その手の槍の穂先は狩りの直後のようで鮮血に濡れており、もう片方の手にはすでに次の鉄杭のストックを握っていた。
その身から放たれる「捕食者」の気配に、暴れ回っていたユキイタチたちが一斉に動きを止めて威嚇音をあげる。
「レグナスさん……!」
アリシアの張り詰めていた声が、思わず弾んだ。
安堵と期待が混じったその声に、レグナスは一瞬だけ目を細め、苦笑した。
「……ケガはなさそうで、何よりですけど」
そう前置きしてから、肩をすくめる。
「だから、大人しく家に帰ったほうがいいって言ったんですよ。僕は」
そのやり取りを、ヴァルドは一歩引いた位置から眺めていた。
彼の視線は、忠告の言葉とは裏腹に、アリシアから離れない。
――十分。
やがてレグナスはゆらりとフロアに足を踏み入れると、獲物を見定める冷徹な瞳で群れを見回しつつ、その場の人々に声をかけた。
「まだ無事な人は、その場から動かないでくださいね――」
何かの合図のように、槍を床に打ち付ける。
「夢中になっちゃうと、つい周りが見えなくなってしまうので」