勇者をプロデュース!〜無名の田舎娘が、神さまイチ推しの勇者になるまで〜 作:朴月イチロ
「……ユキイタチは、一つの群れに必ず統率者となるメス、女王と呼ばれる個体がいるんですよ」
ギルド支部を後にした三人は、凍りついた街路を慎重に進んでいた。
踏みしめる位置によっては、靴底が薄氷を軋ませ、乾いた音が静まり返った街に小さく響く。アリシアはヴァルドのフォローでようやく歩ける氷面だが、レグナスは何食わぬ顔で平然と歩いてみせる。
通りのあちこちでは、傭兵たちに追われて散開するユキイタチの影が走り去り、そのたびにアリシアは視線を忙しなく巡らせていた。
そんな中、彼女はレグナスの語る“魔物講義”に耳を傾けながら彼の後を追う。
「女王は基本、自身のテリトリーである“巣”に引きこもっていましてね。そこから群れに命令を送って狩りをさせるんです。雪山外で巣を作る場合は、周囲を凍結させて防衛ラインを設けることはありますが……」
レグナスは歩きながらも、街の構造や建物の配置に目を配っている。
ただ前を見るだけではない。高所、路地、吹き溜まり――女王が潜む可能性を、一つずつ潰していくような視線だった。
「…………街一つ凍結させるケースは、僕も初めて見ました。相当力の強い女王個体が、冷気を浸透させるのに好都合な場所を陣取ってますね」
「ってことは、巣にいる女王をなんとかすれば、この事態も治まるってことですかね? あ、本拠地に殴り込むってそういう……」
「そういうことです。女王からの命令を失ったアレは、驚くほど呆気なく瓦解しますからね」
レグナスは路地から飛び出してきたユキイタチの群れを見送った。
彼らは傭兵たちの怒号が響く大通りへと向かっていくが、レグナスは逆に、誰もいない静まり返った区画へと足を踏み入れる。
「……あれ?」
アリシアは思わず立ち止まりかけ、慌てて後を追う。
「群れが向かう方に行くんじゃないんですか?」
「逆ですよ、アレは陽動役のチームです。女王にとって脅威となる存在を、自ら囮となって巣から遠くへ引き離しているわけですね」
「へええ……なるほど……!」
納得したように頷きつつも、アリシアは感心を隠せない。
「ほんとレグナスさん詳しいですね! あの子たちって、北方では有名な魔物なんですか?」
「ええ、まあ……アレとは以前よく一戦交えていたもので、経験則として知っているだけですよ」
一瞬、言葉が詰まった。
それは本当に刹那で、次の瞬間には何事もなかったように歩調を戻している。
アリシアはその小さな間に違和感を覚えるも、凍った街路を進む緊張感に押され、深く踏み込むことはしなかった。
しばらくレグナスの背を頼りに道を進むと、やがて彼にとって本命の群れを見つけた。
「……いました」
彼の視線の先。
建物の影から、別のユキイタチの群れが姿を現した。
その動きは明確な意志を持って動いており、複数匹協力しながら何かを引きずっている。
「僕が探していたのは、ああいう群れです。やはりこっちの方にいましたか」
群れが引きずっているのは、大きな氷像だった。
氷の中には、うっすらと人の輪郭が浮かんでいる。
「え……人じゃないですかあれ!?」
アリシアは思わず声を潜め、胸元でピッチフォークを強く握る。
「ああやって氷像にした獲物を巣に持ち帰って、女王の餌にするんですよ」
「助けないと!?」
反射的に一歩踏み出しかけた瞬間、腕を掴まれた。
「落ち着けって」
ヴァルドの低い声が、即座にブレーキをかける。
「少なくとも、女王に献上されるまでにどうにかできれば間に合う」
「その通り――で、この群れの向かう先が、間違いなく奴らの巣です」
レグナスは群れの進行方向を追いながら、さらに視線を伸ばす。
その先に――ひときわ目を引く建造物があった。
「……どう思う?」
ヴァルドが問うと、レグナスは迷いなく頷いた。
「……高所を陣取って、冷気を浸透させていると踏んでましたが、十中八九、巣はあそこですね。」
アリシアも二人の視線を追い、息を呑んだ。
「あ……」
昨日、街に来たばかりの時に、盾の女神の広場から見えた――時計塔。
今はその全体に青白い氷の外装を纏い、街を見下ろす巨大な氷の槍のように変貌している――その最上階、歴史ある意匠が施された文字盤から、不気味な冷気の渦が溢れ出しているのが見えた。
◆◆◆
時計塔の
その周辺には、明らかに番兵役と思わしきユキイタチのグループが陣取っており、塔への侵入者を拒むように、すでに何者かと激しく交戦している。
「おや、先客がいましたか」
レグナスの声は、緊張感に満ちたその場であっても妙に軽い。
よく見れば、何名かの傭兵がすでにユキイタチと刃を交えていた。
連携は取れているものの、相手は数も動きも多く、次第に押されつつあるのが素人目にも分かる。
――彼らの本拠地となった時計塔。
一晩で街中を冷凍庫に変えるほどの力を持つ女王が、その頂上にいるはず。
「……さて、問題はどうやって時計塔の頂上まで登るか、ですが」
「あの様子だと、塔の内部は護衛役のユキイタチでいっぱいだな」
「入口から正面突破して登るには、さすがにこちらに不利すぎますねえ……」
三人の視線が揃って、真上の時計塔の頂上へと向けられる。
高さそのものが、防壁として機能していた。
その中、アリシアは発言のためにひっそり片手を上げる。
「ヴァルドさんの、この間使ってた瞬間移動する魔法は使えないんですか?」
「《
「それはまずいですね……」
塔の内部に入った瞬間、袋叩きに遭う光景が容易に想像できた。
「外から飛び移れるほどの、高い足場でもあればいいんですが、あいにく周囲にこの時計塔レベルの高さの建物もありません。高さで向こうに優位性を取られているのは、実に厄介ですよ」
「外から飛び移れるほどの、高い足場……」
その言葉の途中で、アリシアの表情がはっと変わった。
頭の中で時計塔頂上までの道筋が、一本の線となって繋がる。
「あります……いえ、
「
レグナスが怪訝そうに眉を寄せる傍らで、ヴァルドだけは「あー……」と遠い目をして視線を泳がせた。
アリシアは二人をグイッと引き寄せると、誰に聞こえるわけでもない状況下の中で、小声でささやく。
「あのですねー……」
耳打ちで伝えられた作戦。
ヴァルドは「やると思った」と言いたげな顔をし、レグナスはあまりにも現実離れした話に、さすがに戸惑いを隠せない。
「……確かに奇襲性という意味では一番かもしれませんが、そんなことが可能なんです?」
「任せてください!……あ。ちょうどいい物がありますね! お借りしましょう!」
アリシアが小走りで向かった先……路地の隅、民家の外壁に立てかけてあったモノ。彼女は"ソレ"を「よっこらしょ」と手慣れた手つきで引きずり出し、「すみません、あとで弁償させていただきます」と無人の民家に向かって律儀に頭を下げる。
その背中を、レグナスとヴァルドは複雑な心境で見送るしかなかったが、先に口を開いたのはレグナスだった。
「……愉快ですね。彼女」
「……それ、褒めてるのか?」
「褒めてますよ。最高に」
その時のレグナスの表情は、いつもの貼り付けたような笑顔ではなく、心底楽しそうに見えた。
◆◆◆
「こいつら一体何匹いやがるんだ! キリがねえ!」
「足を凍らされたら終わりだぞ! 気をつけろ!」
時計塔の麓でユキイタチの相手をしている傭兵たちは、その真上に親玉がいることなど露ほども知らず、ただ自分たちの巣を守ろうとする番兵たちに必死で刃を振るっていた。
冷静に彼らを観察していれば、その群れの出どころは時計塔であると察せられそうだが、仕切りなしに襲いかかる群れが思考を鈍らせていく。
「一度引くか!?」
「引いたところで、こいつら延々と追っかけてくるからキリがな……ん?」
一人の傭兵が、ふと視界の端に“場違いな動き”を捉えた。
戦場に足を踏み入れてくる、三つの人影。
中心にいるのは、両手で三叉とは異なる妙な道具を構える少女。
その両脇には、白いローブに深くフードを被った男と――見覚えのある長身の男が、何かを肩に担いでいるのが見えた。
「《
「ちょっとこのあと
困惑する声に、レグナスは肩をすくめる。
その肩に抱えているのは――先ほど路地裏で拝借した木はしご。
「戦闘中にすみません! ちょっと危ないかもしれないので、みなさんできるだけ私たちから離れてくださいね!」
アリシアは片手をメガホン代わりにして呼びかけるが、傭兵たちの頭上には疑問符しか浮かんでいない。
戦場で、はしご。意味が分からないにも程がある。
「どこに置くか」
「外壁に立てかけることを考えれば、あの辺ですかね」
「おーけー……《
ヴァルドの杖先から放たれた火の玉が、レグナスの示した位置へと飛ぶ。
爆ぜる熱気にユキイタチの群れが悲鳴を上げて散るが、当てること自体は目的ではない。
あくまでも、はしごが安定するように、路面の氷を溶かすだけ。
牽制の隙を突き、レグナスは凍結の解けた地面にはしごを置く。
先ほど聞かされた作戦が、まだ完全には飲み込めていない。
「……本当に信じていいんですか? コレ」
「大丈夫です! しっかり上の方を掴んでいてくださいね!」
アリシアは一瞬だけ目を閉じ、呼吸を整えると、はしごに手を添えた。
《――大きくなーれ!!》
《
それは電流のように木材の繊維を駆け巡り――。
次の瞬間。
世界が、跳ね上がった。
「――っ!?」
視界が急激に引き上げられ、地面が遠ざかる。
思考が追いつくより先に、身体が“高さ”を理解してしまう。
気づけば、先ほどまで見上げていた時計塔の文字盤が、目線の先にあった。
そして足元にあるのは床……ではない。
巨大化した木はしごの“
踏み桟が床になるほどの大きさに膨れ上がったはしごが、やがて自重に耐えきれず、ゆっくりと時計塔へ向かって倒れ込んでいく。
文字盤が、確実に迫る。
「頼みますっ! ヴァルドさん」
「あいよ――《
衝突の瞬間。
炸裂した魔法が文字盤を粉砕し、破片と共に凍てついた空気が噴き出す。
轟音。
冷気。
そして、塔の内部へと続く穴。
現実離れした展開に振り落とされまいと、レグナスは必死に状況を咀嚼する。
その横で、アリシアは抑えきれない高揚をそのまま声に乗せた。
「さあ、ここから女王様と対決ですね……! 大丈夫ですかレグナスさん??」
「――いえ、すみません、アリシアさん」
彼女に表情を見られないよう、片手で目元を覆う。
だが、口元の緩みまでは隠しきれない。
「――ちょっと色々、感動しまして」
今まで数え切れないほどの強者と刃を交えてきた。
だが、こんな形で自分の視野を打ち砕いてくる存在は、初めてだった。
内側から湧き上がるこの感情は恐怖だろうか? いや、そんなものは一滴もない。
あるのは、自分の想像力すら追いつかない“異端”に出会えたことへの、内から燃え上がらせるような強烈な高揚感だけだ。