勇者をプロデュース!〜無名の田舎娘が、神さまイチ推しの勇者になるまで〜 作:朴月イチロ
時計塔の内部へ飛び移った際、足元で砕けた氷と、歯車や支柱といった時計機構の残骸が、陽光を受けてきらきらと乱反射した。
それらは美しいというより、まるで凍りついた時間の破片のように散らばっている。
その瓦礫の山の向こうに――。
下で相手にしてきたユキイタチとは、明らかに一線を画す存在が、静かに佇んでいた。
姿形は、確かにユキイタチのそれだ。
だが体躯は、下で見た個体と比較しても優に数メートルを超え、頭一つ分高い位置からこちらを見下ろしている。
引き締まった四肢、艶のある毛並み。魔物でなければ、背に跨って雪原を駆けてみたい――そんな錯覚すら覚えるほど、無駄のない美しさを湛えていた。
まさしく、ユキイタチの女王と呼ぶにふさわしい威容。
その恐ろしくも高貴な姿に、アリシアは一瞬だけ息を呑んだ。
だが、すぐにピッチフォークを握り直し、構えを取る。
「この子が女王さまですか。ちょっと綺麗で、見惚れちゃいますね」
軽口とも本気ともつかないその言葉と同時に、白い息が零れ落ちた。
ギルド支部で感じた寒さなど比べ物にならない。
この空間そのものが、肺の奥から体温を奪ってくる。
「……見た目に反して性格は残忍ですよ」
応じたのはレグナスだった。
視線は女王から逸らさず、淡々と続ける。
「余談ですが、ユキイタチの女王の毛皮は、ギルドで大変いい値段で売れるんです」
「そうなんですか?? 血煙亭の皿盛り、何皿分くらいになりますか??」
「……お前はいつから、そんな大食いキャラ方向に転身したんだ」
真剣な空気を、あっさり食欲に変換するアリシアに、ヴァルドが呆れたようにため息をつく。
相変わらずのマイペースぶりだが、笑っていられる余裕は長くない。
床に触れている靴底から、じわじわと冷えが這い上がってくる。
立ち止まっているだけで、指先の感覚が鈍っていくのが分かる。
「……あんまり時間はかけられなさそうですね」
「そうだな」
今度はレグナスが低く呟くと、ヴァルドが短く頷く。
「大穴開けて密室じゃなくなった分、マシなのかもしれないが、依然としてここはあいつの巣だからな」
この場に長居すればするほど、こちらが凍りついて向こうの晩餐に並ぶ羽目になる――ゾッとしない話だ。
女王はテリトリーに土足で踏み込んできた侵入者を見下すように、その赤い目をひっそりと細める。すると――。
ギギ、と。
足元で、氷が軋む音がした。
それが何を意味するのか――理解するより早く、レグナスは叫んでいた。
「――っ、真下!」
それを合図に、地を蹴ってレグナスは右、ヴァルドはアリシアを抱えて左に散開する。
一瞬遅れて、先ほどまでいた位置を覆っていた氷が、一斉に“逆立った”。
砕けた歯車の隙間から。
石床の亀裂から。
時計塔を構成していた金属と氷が絡み合い、鋭利な棘となって轟音と共にせり上がる。
逃げ場を塞ぐように、次に踏み込める場所が見えない。
――床一面が、刃に変わる。
ヴァルドとレグナスは互いに対岸の位置で、生成される氷の棘をまるで階段でも登るかのように軽やかに跳ねて回避する。
それを抱えられて、見ることしかできないアリシアは、ただ歯がゆい。
「ヴァルドさん!? 私を抱えながらはコレを
「うっさい、今のお前じゃこれをかわし続ける方が無理だ――そっちはどうだ!」
ヴァルドは声を張り上げて、対岸のレグナスに声をかける。
「こちらは無事ですよー……やれやれ。早速もて遊ばれている感じがして、少し鼻につきますね」
レグナスは氷の棘と歯車の縁を行ったり来たり飛び越え、徐々に女王との距離を詰めると、そのまま重力を無視したような動きで頭上から槍を突き出す。
(——《
が、その銀色の穂先は女王が纏う硬質化した毛皮に弾かれた。
ガキイィィィン!!
「――っ そうですか、
だがその声色に、悔しさよりも――どこか愉悦が混じる。
弾かれた勢いで、そのまま女王とレグナスは、互いに逆方向に距離をとった。
そのままお互いに、視線を逸らさない。
――神経が研ぎ澄まされる。
思考は雑念なく、異様なほどクリアだ。
その紫紺の瞳が、しだいに目の前の獲物しか映さなくなる。
レグナスの口元が、狂気を帯びて歪んだ。
本当にこの悪癖は治らない。
さっきコレを上回るような熱と高揚があったはずなのに。
やっぱり自分が無意識に欲しているのは、こういう死線なのだろう。
――死んだら死んだで、それまでのことだ。
女王に向かって、レグナスが再び踏み込む。
先ほどよりも速く。
先ほどよりも深く。
生成される氷の棘の“間”を滑り込むように、徐々に間を詰める。
氷がせり上がる。
避ける。
歯車の縁に着地する。
次の棘が生える前に、さらに踏み込む。
――独りでどこまで斬り込めるか、試しているかのように。
先ほどのギルド支部での戦闘とは、明らかに様相が違う。
感嘆はいつの間にか消え、代わりに目を離せない不安だけが残った。
――このまま続けさせていい戦い方じゃない。
「ちょ……レグナスさん!? だめですって! そんなに一人で突っ込んで行ったら危ないですってば!」
アリシアの声が飛ぶ。
だが、今の彼にその声は届かない。
「……血煙亭で聞いた物騒な噂は、こういうことか」
ヴァルドが歯噛みする。
レグナスの動きは、確かに洗練されていた。
女王の攻撃の癖を読み、氷の生成速度を見切り、致命の一撃を避ける――その精度は、目を見張るものがある。
だが。
次の瞬間、女王の足元から伸びた氷の槍が、レグナスの進路を封じるように突き出された。
それを見たアリシアの息が止まる。
――だが、それでもレグナスは瞬時に一歩退いて避けた。
所々衣服にかすった部分が、うっすら凍結している。
それでも、彼の笑顔は少しも変わらない。
「……はは。危ない危ない、少しひやっとしましたね――氷だけに」
「レグナスさんってば!!」
アリシアの叫びが、空気を裂く。
「無茶しないでください! そんな戦い方してたらいつかやられちゃいますよ! 三人で協力してなんとかしましょう!」
その言葉に、ようやくレグナスの動きが止まった。
女王と向き合ったまま、こちらに目線を合わせず声だけを返す。
「……いえ。ここは僕だけでやりますよ」
赤い瞳を前に、その声音には、
「こういう時はやっぱり一対一で、こちらも命を賭けるくらいの覚悟で挑まないと、向こうも本気になってくれないんですよ。すみませんが、僕はこういうのを堪能しないと気が済まないタチなんでね」
「な、何を言って……」
「――いい加減にしろ、この“死にたがり”が」
アリシアの声に割って入るように、ヴァルドは抑え込んできた苛立ちを、冷えきった低い声で吐き捨てた。
「自覚がないのなら、俺が代わりに言ってやる。お前のそれは“
その言葉を受けた瞬間、レグナスの指から、わずかに力が抜けた。
それまで女王のことしか見えていなかった思考に、無視できない雑念が混線する。
――今日の戦闘において、レグナスが初めて見せた、明確な隙だった。