勇者をプロデュース!〜無名の田舎娘が、神さまイチ推しの勇者になるまで〜 作:朴月イチロ
「……っていう策はどうだ」
「悪くはないですが」
宿の自室。
部屋の中央では、簡素な卓代わりに広げた一枚の紙へ、ヴァルドとレグナスの二人分の影が落ちている。
そこには
さらに矢印や注記まで細かく書き込まれていた。
向かいに座るレグナスは、穏やかな笑みのまま図面を眺める。
だが、その目だけは獲物の動きを読む、獣のように鋭い。
「これだと君が、実質孤立無援になりませんか?」
「その方が都合がいい」
ヴァルドは平然と返す。
「周りを巻き込む心配がない分、あいつらの牽制だけに集中できる」
「頼もしい限りで」
感心しているのか、呆れているのか。
レグナスは肩をすくめた。
「小屋側は任せた」
「ええ。屋内での戦闘になりますが、いざという時はリュミエールもいますし、まあ、なんとかなるでしょう」
指先で紙面をなぞりながら、彼は戦況を頭の中で組み立てていく。
やがて、ふと小さく笑った。
「……あとは、この前みたいにアリシアさんの内因魔法が暴発しなければ、ですが」
「……」
「ここに来るまで、多少はマシになりましたが、それでもどこか
——測定魔法を偽るレベルの、アリシアの魔力の隠蔽。
既にレグナスには共有済みである。
「……魔の土地へ挑むなら、いずれ本気で向き合ってもらうしかない」
ヴァルドの声は低い。
「そうですね」
レグナスも頷いた。
「彼女は速い、小回りも利く、咄嗟の判断もいい。けれど体格が華奢な分、要所で押し切る力に欠ける」
そこで一度言葉を切り、ヴァルドを見る。
「そこを内因魔法で埋められなければ——ギルド階級二級相当と認められるのは、正直厳しいでしょうね」
「……だろうな」
短い肯定。
レグナスは少しだけ視線を細めた。
「一つ、お伺いしても?」
「なんだ」
「もし彼女が、内因魔法の使用を心の底から拒んだら……どうしますか?」
試すような問い。
だが、ヴァルドの返答に間はなかった。
「それでも、あいつが魔の土地へ行くのを諦めないなら、俺は力を貸す」
迷いどころか、考える素振りすらない。
「……強制させないんですか?」
「本人が本気で選ぶなら、俺はそれを尊重する」
「全体の難易度は、かなり跳ね上がりますよ?」
「それでも、手がないわけじゃない」
言い切る声に揺らぎはない。
レグナスはしばらくヴァルドを見つめ——やがて喉の奥で笑った。
「……薄々感じてはいましたが」
「いちいちなんだよ」
「君、根は案外お人好しですよね」
ヴァルドの眉がわずかに寄る。
「……そんなんじゃない」
否定しながら、視線は紙面へ落ちる。
それ以上、言葉は続かなかった。
——夜が、ふけていく。
◆◆◆
夜の闇が深さを増す頃。
森から、虫の声が途切れた。
風だけが、枝葉をわずかに揺らす。
その静けさの中で——。
どこから来たのかわからない。影が凝固したように、それは現れた。
全長十メートルに届くかという、トカゲに似た体躯。
だがそれは、生き物の形を借りただけの、別の何かだった。
体の表面には、流線形に流れるように並ぶ、無数の目玉。
大小さまざまな眼球が隙間なく膨れ上がり、皮膚の下から押し出されるように蠢いている。
それぞれが別々の方向を向き、別々の何かを追う。
一目見ただけで——見透かされている感覚を覚える。
——タイ……。
声ではない。
空気に混じった歪みが、耳ではなく頭の奥へ直接擦りつけられるような感覚。
どこから発せられているのかも、わからない。
——タイ……タイ……。
踏み出すたびに、足元から黒いモヤ——瘴気が滲む。
地面を這い、木の根を伝い、広がるように見えて——元の体に戻る。
まるで、瘴気が自ら意志を持つように。
無数の目が、それぞれの方向を向いたまま、何かに引き寄せられるように、とある方角へ流れた。
——光のある方へ。
そして次の瞬間。
そこにいたはずの巨体は、もう見当たらなかった。
消えたのか。
最初からいなかったのか。
——誰の目にも、届かない。
◆◆◆
空が白み始める。
ヴァルドは、寝台の中で静かに目を開けた。
(……)
眠っていたわけではない。
ただ、閉じていた目を開けただけだ。
この時間は大体、脳内での情報整理と、周囲の監視に
(……何も、引っかからない)
目玉の魔物。
アルセインの街を中心に、探知を段階的に拡張した。
簡易的な索敵魔法から始め、
住民、周辺の魔物、移動中の個体。
あらゆる“ユニット”を対象に、条件を変えながら検索をかけた。
一晩で、万単位。
それでも——それらしき物は、ひとつもなかった。
(……見落とした?)
思考が、わずかに引っかかる。
外見の特徴が“アレ”に似ているというだけで、確証はどこにもない。
そもそも誰も実在を確認していない。
本当に、ただの噂話。
杞憂で終わる可能性の方が高い。
——なのに。
(……なんだ、この感じは)
胸の奥に、ざらつくような違和感が残る。
理屈ではなく、本能に近い部分が警鐘を鳴らしていた。
(……)
野営なら火の番がある。
何かしら手を動かしていれば、この手の感覚は誤魔化せる。
だが宿では違う。
やることがない。
眠る必要はない。
だが、眠れないわけでもない。
中途半端に余った時間だけが、やけに長く感じられる。
(……こういう時だけ、人間が羨ましくなる)
小さく息を吐き、ヴァルドは寝返りを打つ。
再び目を閉じる。
——それでも。
この違和感だけは、消えなかった。