勇者をプロデュース!〜無名の田舎娘が、神さまイチ推しの勇者になるまで〜 作:朴月イチロ
小屋にたどり着いた頃には、日はすっかり高くなっていた。
——一見、ただの
周辺には複数、黒い影が飛び回っており、窓から出入りしている。
小屋から十数メートル離れた場所……働き蜂の感知射程に入らない位置で、草むらからレグナスが様子を伺っていた。
「……中は確定ですね。働き蜂があちこち飛び回ってる」
「結構距離ありますけど……レグナスさん目がいいんですね」
隣でアリシアが目を細めるが、ただの影しか捉えられない。
それを横目に、レグナスは軽く目元を指で叩いた。
「これも内因魔法です。視覚強化、身体強化の応用ですね。アリシアさんもすぐできるようになりますよ」
「内因魔法って、ただ力が強くなるだけじゃないんですね」
アリシアが「はあー」と息を漏らす中、背後でタマの悲壮感あふれる声が聞こえてきた。
「姐御ひどいっス〜、なんでワイがそんなやばい役回りなんスか〜」
その抗議の声も意に介さず、リュミエールは手に持つ霧吹きから、タマに鎧蜂が反応するフェロモン液を吹きかける。
「逃げ足には自信あるでしょ? それにヴァルドのそばにいた方が今回はむしろ安全よ」
リュミエールはローブの内ポケットから、試験管を二本取り出す。
中には少し泡だった、金色の液体が入っていた。
「アリちーとレグナスは、これ飲んでおいて、毒の耐性薬」
「わあ、ありがとうございます!」
アリシアは両手でそれを受け取ると、一本をレグナスへ差し出した。
レグナスは小屋から目を離さず、それを受け取ると、そのまま片手でコルクの蓋を外し、一気に飲み干す。
『薬』というワードに、アリシアは若干警戒心を覚えたが、意を決して喉に流し込む。
——予想に反して、甘い。
リュミエールはヴァルドの方に視線を向ける。
「一応予備は作っておいてきたけど、あなたはどうする?」
「いい。毒とか薬とか、そういうのは効きにくい体質だから、そっちで温存しておいてくれ」
「まーたサラッと、とんでもない事言ってくれるわね……」
リュミエールが探るような目を向けてくる。
(嘘は言ってない)
『人ならざる者』に、人を害する毒の
「——準備はいいな」
「……そうですね」
アリシアは静かに頷いた。
空気が、切り替わる。
一度、深く息を吸い——アリシアは手を広げた。
次の瞬間、そこにピッチフォークが現れる。
「ハチ駆除作戦、開始です!」
三人が、それぞれに頷く。
「じゃあ、俺は予定通り分かれるな」
ヴァルドが
その背に——。
「ヴァルドさん!」
アリシアの、声がかかる。
「……頑張ってくださいね!」
ヴァルドの足が、わずかに止まる。
が、そのまま彼女の顔を見返すことも、声をかけることもなく。
ただ小さく、右手を挙げて応えた。
◆◆◆
——それは、"異物"だった。
巣の外縁を警戒していた働き蜂たちが、ほぼ同時に反応する。
白い、丸い、遅い鳥。
——にもかかわらず、妙に目につく。
羽音の群れが、一斉に向きを変えた。
『ど、どもー……』
間の抜けた声。
次の瞬間、それは合図になった。
黒鉄の群れが、弾けるように殺到する。
『ギャアアアアアア!!!』
白いそれ——タマは、悲鳴と共に反転した。
逃げる。
ただ一直線に。
露骨なほどに、“誘うように”。
『イヤアアア——ッ!! ゴメンナサイ——ッ!! ワイはおいしくないっスよーッ!!』
後ろは見ない。
見れば、心が折れる。
代わりに、前だけを見る。
——そこに、いる。
森が開けた。
視界が抜ける。
青年の白いローブが、静かになびいていた。
『旦那ァァ!! 連れてきたっスよー! あとはよろしくお願いしまっス!』
滑り込むように着地し、そのまま足元へ転がり込む。
それに全く目もくれず、『青年』——ヴァルドは、上空の働き蜂を一瞥した。
静かに、手持ちの木彫りの杖を両手で構える。
「——《
空気が、裂けた。
数匹の働き蜂が——一瞬で断ち切られる。
頭部。腹部。翅。
接続を失ったそれらが、ばらばらに落ちた。
血ではない、濁った体液が地面に染みる。
『ヒィ……』
タマの声が、ひきつる。
だが。
蜂たちは、止まった。
突撃の勢いが、そこで初めて鈍る。
旋回し、距離を取る。
(——それでいい)
ヴァルドは、わずかに目を細めた。
(もっとお仲間を連れて来い)
このまま一掃するのは簡単だ。
——だが、今回は違う。
数を減らしすぎれば、群れは引く。
警戒されれば、呼び込みは止まる。
欲しいのは殲滅じゃない。
“収束”だ。
羽音で空気が震える。
上空をひしめく黒鉄の密度が徐々に増していく。
無数の赤い複眼が、こちらを捉える。
『は、話は聞いてたっスけど……実際見るとめちゃくちゃ圧ありまスね……』
「……そこから動くなよ」
視線は空から外さず、足元のタマに声をかける。
「お前に何かあったら、リュミエールに何言われるかわからん」
『動かないっス! 何があっても、絶対ここから動かないっス!』
タマは改めてヴァルドの足にすがりつく。
——若干、煩わしい。
でも構わない。
どうせ、この場からは動かない。
(……こい)
防ぎきれる程度に。
殺しきらない程度に。
——誘うために。
ヴァルドは、あえて隙を残す。
(今日の餌が欲しいだろ?)
敵を認識した群れが、完全に“戦闘態勢”へ移行する。
その一部が散開した。
作られた隙を試すように突く。
——が、すぐさま何かを察知して、その場を離れた。
逃げ遅れたものが数匹、またバラバラになって地に落ちる。
互いの読み合いが、始まった。
◆◆◆
ヴァルドと働き蜂の軍隊が交戦する一方、アリシアたちは小屋近くで、息を潜めるように蜂の動向を観察していた。
——羽音が、遠ざかっていく。
その代わりに、耳に残るのは妙な静けさだった。
「……どんどん小屋から蜂たちが出かけて行ってますっ」
アリシアが声を潜める。無意識に、握るピッチフォークに力がこもっていた。
「ヴァルド君は、うまいことやっているようですね」
レグナスは低く笑う。だがその視線は、小屋の“中”から外さない。
二人から一歩後ろ。リュミエールは目を細め、魔力を繋ぐ。
「——タマ? そっちの様子はどう?」
『あ、姐御!』
返ってきた声は、明らかに余裕がなかった。
『今のところ大丈夫っス……あいつらはこっちに釘付けっスよ……ただ旦那が、ギリギリまで引き寄せるから、攻撃がかすりそうでこわ……ギャアアアッ!? 旦那!? だから近いって——』
そこで一瞬、通信がぶれる。
リュミエールの眉がわずかに動いた。
「……無理すんなって言っておいて、一応」
もっとも、彼にとってこのくらいは『無理』の範疇に入っていないのかもしれない。
小さく吐き捨てるように言うと、その目はすぐに切り替わる。
「あっちは順調。予定通りよ」
「それじゃあ、僕らもそろそろ行きますか」
外の蜂は確実に減っている。
——では、中は?
彼らの習性上、絶対に巣を離れない近衛兵役——『兵蜂』がいる。
レグナスがアリシアを一瞥する。
「向こうの連中がこちらの異変に気づく前に、中を制圧して、巣を破壊する必要があります。スピード勝負ですよ、アリシアさん」
「……はい!」
アリシアは小屋を見据えたまま、短く息を吸った。
向こうでヴァルドが時間を作ってくれている。
それを無碍にはできない。
——かすかに、小屋からすえた匂いがした。