勇者をプロデュース!〜無名の田舎娘が、神さまイチ推しの勇者になるまで〜 作:朴月イチロ
『旦那ーっ! 姐御から連絡っスー! 小屋側、終わったみたいっスよ!』
阿鼻叫喚の只中にあったタマの声が、ようやく弾んだ。
それを聞いたヴァルドは、わずかに杖の握る力を抜く。
「……じゃあ、終わらせてしまっていいな」
わずかに口角が上がっている。
『いいっス! いいっス! 帰るっス! もう帰るっス!』
——その瞬間。
周囲に張り巡らされていた空気の流れが、ぴたりと止まった。
羽音だけが、浮く。
ヴァルドは無造作に——手にしていた杖を、地面に放った。
『……は?』
理解が追いつかないまま、タマの思考が空白になる。
ヴァルドは構えすら取らず、ただ片手を上げる。
「……来いよ。丸腰だ」
その一言が、引き金だった。
旋回していた黒の群れが、一斉に落ちる。
獲物を押し潰すための密度で、一直線に——。
無数の、針が。
「——《
静かな《
その刹那、ヴァルドを中心に、激しい旋風が展開される。
働き蜂の軍勢が、容赦なく蹂躙される。
羽ばたきは意味を持たず、巻き上げられ、叩きつけられ、引き裂かれる。
逃げるという選択肢すら、与えられない。
風が静かに霧散する頃には。
地面には、黒い残骸が放射状に散っていた。
中心に立つヴァルドだけが、何事もなかったかのように残る。
タマは、声を失っていた。
ヴァルドはしゃがみ、落とした杖を拾い上げる。
「じゃあ、戻るか」
『……旦那』
おそるおそる、タマが声をかける。
『杖落としたのって、わざとっスか?』
「総攻撃を誘いたかったからな。丸腰になったら突っ込んでくるかと思ったら、単純なやつらでよかった」
『杖なくても、魔法使えるんスね』
「補助具がなくなっただけで、使えなくなる方が問題だろう」
あまりにも当然のように言う。
本人は簡単に言ってくれるが——魔法師が杖を使うのは、制御に割かれる思考負担を杖側に肩代わりさせるためだ。
補助具なしでの行使は、それだけで並の魔法師には荷が重い。
それを、この魔法師は。
必要最低限の《
補助具も使わず。
——“やってのけてしまう”。
しかも、並の魔法師なら消耗で動けなくなる拮抗状態を演じた直後に。
疲弊した素振りは、一切ない。
タマは、主人であるリュミエールが彼に嫉妬する理由を、改めて痛感した。
「……リュミエールにはあまり言うなよ」
ヴァルドもそれを察したのか、ぼそりと言う。
「今は自制してるっぽいが、いつどこでまた詰められるか、わかったもんじゃないからな」
その呆れが混じった表情に対して、タマは少し、いたたまれなくなった。
『うちのご主人が本当にすんませんっス……』
タマは翼を畳んで頭を下げる。
顔を上げた頃には、ヴァルドは遠くの森の方を見ていた。
彼の目線の先と同じ方向をタマも見やるが、そこには静けさだけがある。
首を傾げつつ、タマはそのままヴァルドの肩に飛び乗った。
『? どうしたんスか?』
「……いや」
なんでもない、と。
杖を持ち直し、踵を返す。
が、あの時感じた『声』が脳裏にこびり付いて、離れない。
——タイ。
(……何を伝えようとしている?)
再び周囲に星綾士の持つ権限による、ユニット探査をかける。
(……なんなんだお前は)
——何もいない。
しかし僅かだが感じる。
誰かに、『見透かされる』ような感覚。
◆◆◆
「大丈夫? どこか痺れとかない?」
「はい! リュミエールさんの薬のおかげですよ〜」
アリシアは袖を捲り、腕を差し出す。
その腕を、リュミエールは指先でなぞるように確かめていく。
問題なし。
自身の作成した薬が、問題なく作用しているようで、リュミエールは安堵した。
「……働き蜂が一匹も戻ってこないのを見るに、向こうもうまくやったようですね」
レグナスが空を仰ぐ。
開けた空は、戦闘の気配など最初からなかったかのように静かだった。
「ええ。あっという間に倒しちゃったらしいわよ。それなりの数がいたはずなんだけどね……」
「さっすがヴァルドさんですね!」
期待をそのまま形にしたような、アリシアの視線が、空の彼方へ向く。
対してリュミエールは釈然としないまま、アリシアの袖を戻した。
「……あれだけの魔法師が、どこにも属さずに傭兵やってるってのが、いまいち腑に落ちないのよね。ほら、レグナスも腕出して。刺さった針抜くから」
「君もそういう意味では、大して変わりませんよ?」
「私は自分の研究ができれば、それでいいの」
差し出された腕を取り、器用に針を抜き取る。
指先の動きは繊細だが、その口調は相変わらずぶっきらぼうだった。
——その時。
空気が一瞬だけ、遅れて動く。
瞬き一つ分の時間の中で、そこに“いるはずのなかった影”が立っていた。
白いローブ。
足音も、着地の衝撃もなく、ただそこに現れる。
噂をすれば、である。
「ヴァルドさん!」
アリシアの顔がぱっと明るくなる。
ほとんど反射で、体が前に出た。
目が合う。
「お疲れ様でした!」
「……ああ」
短く返しながら、ヴァルドの視線は一度レグナスへ流れる。
「……どうだった?」
親指で軽くアリシアを指差す。
「ええ。魔力の出力調整は、かなりマシになりましたよ。最後に巣を壊したのも彼女ですし」
「そうか」
「そこは! 直接! 聞いてくださいよっ」
両手をぶんぶん振って抗議するアリシア。
だがヴァルドは一瞥するだけで、特に反応は返さない。
『姐御ーっ』
弾かれたように、タマがヴァルドの肩から飛び降りると、リュミエールの元へ滑り込む。
『ご無事で何よりっスーっ』
「はいはい、あんたもね」
『マジで死ぬかと思ったっスよーっ当面はほんとごめんっスーっ』
軽く撫でながら、リュミエールはちらりとヴァルドを見る。
「ねえ、一体どんな感じで働き蜂とやり合ってたの?」
「……別に。そんな大したことはやってない」
『ええー……』
何か言いたそうにしつつも、まごつくタマから、ヴァルドは視線を外す。
これ以上触れさせない、という無言の遮断。
「ギルドへの売却用は、どうする?」
レグナスが周囲を見渡しながら応じる。
「そうですね。兵蜂だけでいいでしょう。働き蜂は数が多すぎますし」
「はあー、何はともあれ、みんな無事に終わってよかったわね」
リュミエールが肩を回す。
緊張の名残が、ようやく体から抜けていく。
「そうですね、『ハチ駆除隊』の初陣としては——」
「だからっその名前やめてってば!」
バン、と小気味いい音。
叩かれたレグナスは、むしろ楽しげに笑った。
対してアリシアは、それを聞いて顔を覆っている。
声にならない悲鳴が、指の隙間から漏れていた。
その様子を、ヴァルドはわずかに眉を寄せて見る。
「そんなに嫌なら、さっさと決めればいいだろう」
「……方向性は決まってるんです……あと、もうちょっとで……」
言葉の勢いとは裏腹に、アリシアの声は弱い。
思考が絡まっているのが、見て取れた。
ヴァルドは小さく息を吐く。
「まあ、アルセインに戻るまで時間もあるし、ゆっくり考え——」
言いながらも、意識の一部は周囲へ張り巡らせたままだった。
探査。
異常なし。
だから——もう切り上げるつもりだった。
[————————]
世界が、ぶれた。
耳ではない。
頭の奥を直接引き裂くような衝撃。
[————■■■ノ、■■ガ、■■タイ]
視界が、わずかに白む。
思考が、途切れる。
空気が、止まる。
[———■■タイ!!]
声が、聞こえた。