俺の転生先、13歳女子で人生ハードモードなんだが 作:蘇芳ありさ
人生の転機はなんの前触れもなく訪れるものだ。
あのときも、俺に予感めいたものは何一つとしてありはしなかった。
「はぁ? 子供ができた……?」
「そうなんだよ。男の子か女の子かまだ分からないけど、どっちにしろあんたもお兄ちゃんになるからね。早めに知らせておこうと思ってさ」
「……くっだらねえ。40になろうってババアが子供なんぞこさえてんじゃねえよ。気持ち悪い」
今にしてみれば朗報以外の何物でもないが、飼い犬の死去と家を空けがちな父親への不満から反抗期まっしぐらだった俺は、当然のように反発──。
しかし、そんなガキの癇癪もすぐに
「ほら、女の子だよ。お兄ちゃんなんだから抱いておやりよ」
そのとき俺は、やたら辛抱強い母親に何も言えなかった。
生まれたばかりの赤ん坊は当時の常識からしてみれば、弱く、小さく、不細工な生き物だった。
けれどもその温もりに、この手で抱きとめた生命の尊さに
「……決めたよ、母さん。俺、この子のお兄ちゃんになる」
生命とは、ただ存在するだけで果てしなく尊い。
俺はその摂理を飼い犬の死から学んだけども、置いてきぼりにされた悲しさからなかなか受け入れられなかった。
でも、そんな屈折した日々はもうお終いにする。
俺はお兄ちゃんだ。
飼い犬のゴン太がしてくれたように、俺もこの子に寄り添い、一人前になるまで面倒を見なきゃな。
「おや、また先を越されちまったね。夜泣きくらい母さんに任せろって言ってるのに、あんたも頑固なんだから」
「そりゃこっちの台詞だ。俺ネットで調べたから知ってんだぞ。子供を産んだばかりの母親は、最低でもひと月は安静にしてないとダメだってのに、わざわざ起きてきやがって……」
「まぁ、そうだけどさ……今でも家事は全部やってくれてんのに、このうえ夜泣きの相手までしたんじゃ大変だろ?」
ああ、大変じゃなかったて言ったら嘘になるが。
でもさ。それ以上に充実してたんだよ。
「にぃに! おかえりなさい!!」
「おう、ただいま。なんか嬉しそうだけど、何があったかお兄ちゃんに聞かせてくれるかな?」
「うんきょうね、よーちえんで絵をかいたら先生にほめられたの! 見て、これにぃに!!」
「うおっ、若干4歳でこの完成度! さすがに天才すぎんか……?」
「相変わらず大袈裟だねえ。……今日はあんたたちの好きなカレーだから、先にお風呂を済ませておいでよ」
「わーい、カレーだカレー! にぃに、おふろ行こう? せなか流してあげるよ!!」
「それじゃ、兄ちゃんもキレイに洗ってやるからな。楽しみにしてろよ」
──妹。そう、妹だ。
これが俺の世界で一番大事な、自慢の妹──。
「にぃに!」
「お兄ちゃん!!」
「はい、お兄ちゃん。これルナステラのリアルライブのお土産。……それとこの前は怒らせてごめん。周りの子がみんなお父さんのことをそう言ってるから、あたしもつい……」
「──初めまして。
……その妹が、なんで。
なんで、ゆー君と一緒に。
ちはやさんの家、まで……?
「…………あ、あの。折原さんが来ることは聞いてたけど、なんで……なんで……」
ゆー君と一緒に、と言えないのだろう。
予期せぬ来訪に驚いたのは俺だけじゃない。
ちはやさんもまた、ゆー君が知らない女の子と一緒に居ることに果てしないショックを受けている。
……より正確に言うなら、そのことに嫉妬した自分自身に対してだが、しかし助かった。
おかげで俺の動揺はちはやさんに知られていない。それなら、まだ立て直せる……。
「────」
重苦しい沈黙と、不穏な空気。
俺自身も冷静にはほど遠いが、それは他の三人も似たり寄ったり。
ちはやさんは自分自身に困惑することしきりだし、ゆー君も今になって浮気を疑われていることに気づいたのか、かなり狼狽している。
そんな両者に挟まれた妹は状況を把握するのに必死だ。
……いやいや。これも青春と言ったらそうなんだけども。
まさかこんな修羅場の仲裁を任されることになるとは、人生ってやっぱり不条理だ。
『……ちはやさん。とりあえず立ったまま済ませる話でもなさそうだし、まずは落ち着けるところに移動しよう。人数的に君の書斎が一番だと思うけど?』
『うん、そうする。……まずは落ち着いて話をしなきゃだね』
『そうなんだよ。俺もなんでゆー君がいも──折原さんを連れてきたのかサッパリだから、まずはそこからだな』
そう。俺には何がどうしてこうなったのか欠片も理解できない。
だから整理しよう。俺はちはやさんの記憶に触れるまで彼女のことを何も知らなかったが、ネットなどの記載を見るに“葛葉ちはや”は確かに存在しており、人々の目に触れていた。
つまり妹がちはやさんのことを知っていても何もおかしくはない。
だがその場合、妹にとってのちはやさんとはアイドル的な人気を誇る著名な柔道家になる。
妹は女子中学生らしくミーハーなところもあるが、いきなり有名人に会いに行こうという発想になるだろうか……俺が分からないのはそこだ。
警察か何かのように妹を尋問するのは気が進まないが、こればかりは避けて通れない。
俺はちはやさんの書斎に案内したゆー君と妹が着席するのを見届けてから、まずは軽いジャブから入ることにした。
「……で? ゆー君が折原さんを連れてきたのは、わたしのプロポーズを断るためでいいのかな?」
「いやっ、違うぞ
「そうなんです。新海君はマンション前の報道陣に絡まれそうになったときに親切にしてくれただけで、他には何も……」
必死の弁明と、不十分なフォロー。
多少苦しくはあったが、ちはやさんの疑念もさほど深いものではない。ものの数分も経つ頃には闇落ちの危機を脱してケロッとしていた。
「なんだ。そういうコトなら言ってくれればいいのに、ゆー君ってば意地悪なんだから」
「悪かったよ。でも俺がお前ら以外の女子を苦手にしてんのは知ってんだろ? 浮気とか、そんな器用なマネができるわきゃないって、そろそろ分かっておいてくれよ」
「うん、信じてるよ。ゆー君がそう言う男の子だって」
……本気で闇落ちしかけた癖によく言うよ、とは言わぬが花よ。
ともあれちはやさんも納得してくれたし、メンタルも安定している。前に出てくれたんならこのまま妹の要件を聞き出すところまで任せてしまうか、と静観する。
「ところで、折原芽衣さんだっけ?」
「はい、ちはやさん」
「ならわたしもメイちゃんって呼ぶけど、今日メイちゃんが会いにきてくれた目的は何かな。お金に困ってるんだったら幾らでも貸してあげるよ?」
こらこら。好意の表れなんだろうけど、初対面の相手を融資目的と決めつけるのはやめない。
「いえ、お金は結構です。本日はちはやさんに確認したいことがあって伺わせてもらいました」
えっ、確認……?
なんだ、妹がちはやさんに確認したいことなんて、いくら考えても思いつかないぞ……。
「実は兄を探しているんです。名前は
……なんだって?
妹が俺を探していたって。
それは嬉しい、じゃなくて。
二週間前って、ほとんど当日じゃないか。
まさかそんな初期から露見するなんて。
「ちはやさん。以前ゴールデンウィークの配信で、ルナステラのリアルライブに行けなかったって、悔しがっていましたよね。でも、この前の復帰配信で、そのときの限定ストラップを付けていましたが、それ、どこで手に入れたんですか……?」
「え? これは気がついたら付いてたんだけど」
「おいおい。気がついたらって、お前……」
「兄も仕事で忙しくて、私が代わりにプレゼントしたんですが、なくなっていたんです。一緒に買ってあげた特製のアクリルスタンドと一緒に」
…………だからって、ちはやさんが持ち出したと決めつけてるわけじゃないよな?
さすがにそれは飛躍しすぎてるし、誰も信じたりは────いや、俺が“葛葉ちはや”に転生したとき、ちはやさんの肉体もたしかに俺のアーパートに存在した。
そうなると、これはマズいのか?
仮に警察の手が入って、俺のアパートからちはやさんの指紋が検出されたら、言い逃れは……って、言い逃れってなんだよ。
「もちろん、ちはやさんが兄のアパートから持ち出したなんて、そんなバカなことは考えていません。でも、他にも……ぶいけんっの復帰配信で、ちはやさんが新海君をかばったとき、私の兄もまったく同じことを言って……だから私、ちはやさんが何か知ってるんじゃないかって……」
──芽衣。お前が俺のことを気にかけてくれて嬉しい。
でも辞めてくれ。俺はもう“葛葉ちはや”に一部でしかないんだ。折原誠は、お前のお兄ちゃんは、もう、何処を探したって痕跡すら残っちゃいない。
だから、だから、もうこんな薄情者の俺のことなんて、放っておいて──。
「だからお尋ねします。ちはやさんはひょっとして、兄に会ったことがあるんじゃないですか?」
マズい。今まで周りを気にかける余裕がなかったが、あの顔は繋がりかけてる。
特にゆー君。この子は過去に、ちはやさんの口から前世の人格が残留していることを聞き及んでいる。
ならば最近の変化と照らし合わせて真相に到達していても、おかしくは──。
『──おじさん?』
気がつくと俺はこの場から逃げ出そうとして、ソファーのサイドチェストに身体をぶつけていた。
衝撃でテーブルの上に小さな鞄が落ち、中からあのアパートから持ち出した特製のアクリルスタンドと──ああ、俺は馬鹿だ。
こんなモノを一目に触れさせちゃならないと持ち出したのに、処分を忘れた例の封書の中身がとうとう人目に────。
「……おい、これって」
言い逃れできない。
認めるしかない。
そう思った瞬間、頭の中が真っ白になった。
(だから言い逃れって、なんだよ)
「──お兄ちゃん?」
……最悪だ。本当に最悪だ。
俺はここまで卑怯な人間だったのか。
ちはやさんが大変な人生を歩むハメになったのも。
ちはやさんの両親が不遇な最期を遂げるハメになったのも。
何もかも、俺が考えなしに転生した所為だっていうのに。
善意の第三者を気取って、あれこれ世話を焼いた気になって。
未だ謝罪ひとつしようともしないだけじゃなく。
「ねえ、お兄ちゃんそこに居るの?」
たった一人の兄を探しにきた妹をこの期に及んで欺き。
適当にやり過ごそうする、そんな卑劣な男は。
もはや痕跡すら残さず消滅するのが、当然の末路だと──。
『ダメェ!!』
ふと気がつくと、俺は不思議な世界でちはやさんに自殺を阻止されていた。
固く抱きついたちはやさんに驚く暇もなく、出刃包丁が俺の手から離れる。
『……分かってくれちはやさん。俺はもう消えるべきなんだ』
『嫌だよ、絶対死なせない。おじさんが色んなことを気にしてるのはわかるけど、それはおじさんを死なせていい理由にはならないから』
『ちはやさん! こうなったら言ってしまうが、何もかも俺の所為なんだ!! ちはやさんが人並み外れた肉体を持って生まれたのも、それが原因でご両親に疎まれたのも……彼らの交通事故だって、もしかしたら俺の所為かもしれないのに……』
『ううん、違うよ。絶対違う。そんな理屈、わたしは認めたりしないんだから……』
揉み合うというほど俺に抵抗の余地はなかったが、それでも自殺の方法がないわけじゃない。
ここが“葛葉ちはや”の精神世界なら、それも不可能じゃない。足元の出刃包丁がその推測を補強する。
そうだ。ちはやさんを振りほどくことは俺にはできないが、俺の中を刃物で満たすことならば──。
「……なんでだよ」
それなのに、なんで……。
「なんでアンタが消えなきゃいけないんだよ、オッサン」
なんで、ゆー君がこんなに怒って……?
そう思った直後に音が消えた。
ゆー君の声も、妹の気配も遠ざかる。
「あれ……?」
次の瞬間、視界が白く反転した。
◆◆◆
「──ここだ、ドクター。今こそ分岐点だ」
唐突に語り出した猫を咎めるように、エミリアが小さな身体を抱き上げる。
「こら、猫が人間の言葉を口にしたらみんな困っちゃうでしょ。お控えなさい」
相変わらずこの娘の尺度はよく分からない。
前世が前世だけに、ヒトに戻ってからも以前の物差しを修正できないのだろう。
「貴女こそ控えてください、
「あら、わたしをその名で呼ぶってことは、もしかして例の件かしら?」
「ええ、この星より200億光年の彼方で誕生した知的生命体。輝けるアルシュリーカの栄光たるナノレベルの細菌がその猫の本体ですよ。名前はクリスカ。約20000年前に地球に飛来して猫に寄生したのが始まりでしたか」
「……うむ。我が名はクリスカ。汎人類評議会に所属して、転生管理局を預かる者だが、そろそろ下ろしてもらえると有り難い」
「いいわよ。ただしイタズラしたらお仕置きだからね」
お仕置きという言葉にクリスカが身震いする。
その生態は完全に人語を解する猫のそれで、威厳の類いは何処にもありませんでした。
「それで? いきなり正体を明かしたからには何か目的があるのでしょう。こちらは“ちはや”から目を離せないので手短に願います」
「いや、私の目的もそれだ。“彼”は独自の倫理観から死を選ぼうとしている。それを阻止するためにドクターの力を借りたい」
「具体的に何をしろと?」
「“彼ら”を救うにはすべての因果を明らかにするしかない。その為の空間構築を君に頼みたい」
……面倒な。
私はとある少女の無垢な祈りによって誕生した西暦3200年相当の人工知能──の生態端末。
その程度のことは造作もないが、便利に使える道具のように思われるの癪です。
しかし、今回はちはやの意思がある。
人類全体に奉仕する形でしか動けないという制約にも該当せず、何もしないという選択はあり得ない。
ならば、ちはやの為。そう納得することは不可能でない。
「いいでしょう。ただし、なんでも事後承諾で押し通せるとは思わないように。貴方たちがコピーした世界線であれこれしているのは承知していましたが、私の協力を得たいなら、せめてサーニャと呼ぶように」
そう。それがこの私のたったひとつの本当の名前だ。
私の在り方を定めた、無垢な少女が付けてくれた──久しぶりに懐かしい笑顔を思い出した私はただちに主命を受諾するのでした。
◇◆◇
ふざけてる。
ああ、その結論は本当にふざけている。
俺の中ですべての線が繋がった。
葛葉ちはやは転生者だった。
それはいい。
光と常識を置き去りにする肉体もその産物と見て間違いない。
それもいい。
最近になって折原誠とかいう前世の人格が目覚め、アイツの言動が変化したのも責められることじゃない。
むしろいい変化だ。
おかげで俺はアイツを見つめ直す機会を得られた。
女子ボクシングの件もソイツが無難な形にまとめたって、今なら解る。
ちはやの奴は相変わらず天真爛漫で能天気だったが、以前より格段に常識をわきまえた行動をするようになってくれた。
だから俺は個人的に感謝すらしていた。
もし話す機会があったら、アイツが世話になったことに礼を言おうと思ってたぐらいだ。
もちろん、例の紙袋の件で俺たちをおちょくったのは許さねえけどな。
それが。
なんだよ。
なんでソイツが死ななきゃならないんだよ。
ワケが分からねえ。
そう思ったときに、もうひとつ繋がった。
ちはやの前世に相当するその人物は、何もかもテメェの所為だと思ってやがる。
だから、俺は憤慨したんだ。
なんでだよ。
別にアンタの所為じゃないだろうが。
ちはやがこんなふうに生まれたことも。
妹に今まで何も言えなかったことも。
アンタが消えなきゃなんない理由としては弱すぎるだろうが。
「ふざけんなよ」
だから俺は言った。
「なんでアンタが消えなきゃいけないんだよ、オッサン」
そう叫ぶと同時に、世界の輪郭が崩れた。
見えていたはずの部屋が、何か別のモノに書き換わっていく。
「これは──」
誰かが覗き込んだ“それ”は、まだ形を持っていなかった。
※間に合った。だがここからが正念場だ。