俺の転生先、13歳女子で人生ハードモードなんだが 作:観測班
ペタペタと、頬の辺りに何かが押し付けられる感触があった。
目を覚ますと、視界には見慣れた天井とこちらを覗き込む二匹の猫と、ゆっくりと戻される前肢。
どうやら飼い猫のパムさんとポムさんが起こしてくれたようだ。
「二人ともおはよー。昨日はよく眠れた?」
「にゃ」
挨拶がてら鼻先を擦りつけてくる猫を存分に撫でまわし、ゆっくりと起床する。
「……ふう」
そこで停止する。
俺は飼い猫を抱いたまま、しばらく動かない。
昨日のことを思い返すと、さすがに頭が痛くなる。
……もちろん本気で言ってるわけじゃない。
この肉体は完全無欠。
頭痛なんて覚えるはずがない。
それは重々承知してる。
だから、これはあくまで精神的なものだが……。
「…………メイドたちの視線が怖い」
これだ。これに尽きる。
会話自体は何とかなった。
メイド長との顔合わせがトリガーとなったのか、今では問題なく参照できる“葛葉ちはや”の記憶がそれを可能にした。
だが弊害もあった。
こればかりは専門家じゃないから断言できないが、たぶん脳の処理が追いつかないのだろう。
なんせ、一気に二人分の記憶を抱え込むことになったわけだ。
当然、脳もバグる。
しかも、ひと言で記憶といっても、そこに詰まってるのは過去の出来事だけじゃあない。
もっと感覚的なものが含まれていてもおかしくない。
それが重複するとどうなるか、答えは簡単──。
「……やっぱりこの身体で“よいしょっ”は拙かったか」
トイレのドアを引っこ抜いた記憶は、ちゃんと残っていた。
彼女の力の加減が、まだ身体に馴染んでいない。
より正確に言うと、一般人に過ぎない“俺”の感覚がノイズになってる。
──いや、それだけじゃない。
彼女の“加減しているつもり”が、そもそも信用できない。
これは車と運転手に例えると分かりやすい。
この身体はレーシングカーで、ちはやさんはプロレーサーだ。
公道をかっ飛ばしてもそうそう事故るものではない。
しかし今の運転手はこの俺だ。
車なんて軽の社用車しか運転したことがないんだから、レーシングカーを渡されても俺にどうしろって感じだ。
そりゃあ不幸な事故も起きますがな……。
「おー、ここがええんか。よしよし」
なので癒しを求めて現実逃避。
さすがのちはやさんもここでは力を使わない。安心してモフれる。
だが、いつまでも猫と戯れているわけにもいかない。
色々と限界が近い。
「じゃ、そろそろ行こっか」
「にゃあ」
最後にひと撫でしてからゆっくりと立ち上がる。
猫たちも俺が動いているときは足元にまとわりついてこない。
蹴飛ばしかけた記憶はないから、たぶん野生の本能だろう。
そこから意識せずとも着替えを済ませて、丸めた寝巻きを片手に廊下へ出る。
するとメイドの一人が当然のようにそこにいた。
「おはよう、ちはや。朝っぱらから随分と不景気な顔ね」
ドアのないトイレの前で、昨日のメイドさんとは別のメイドさんが気さくに挨拶してくるが、間違っても君たちが原因ですとは言えない。
……おかげで疲弊する。
他のメイドさんはそこまで干渉してこないんだけど、このエミリアというメイドと昨日のサーニャさんは例外。
どちらも最古参のメイドということもあって、事実上ちはやさんの飼育員みたいな人たちである。遠慮も容赦もあったものではない。
「こっちのトイレはちはやもよく知ってるように、現在使用禁止よ。オフィスルームやフィットネスルームまで出向くつもりがないなら、隣の男性用トイレを利用してちょうだい」
「……うん、そうする」
「ええ。あと今日は引っ張らないでね」
「何を?」
「ドア」
「まだ言う!?」
「当然でしょう。修理の手配をさせられた新人の娘が『あの、これ本当にお嬢様のいつものやつで通じるんですか』って、泣きそうな顔になってたからね。あまり若い子をいじめるもんじゃないわよ」
「…………うん、そうする」
そんなやり取りでさらなる苦手意識を植え付けられた俺は、ほとんどトイレへ逃げ込んだ。
今や国民的アイドルである葛葉ちはやを演じるなんて、俺のような凡人には荷が勝ちすぎる──!
『う〜ん、そういうものなのかなぁ? わたしなんてテキトーに生きてたんだから、もっと気楽にすりゃいいのにって思っちゃうな』
っ……なんて言ってたら、また出てきたよ。
“葛葉ちはや”関連で悩んでいると、だいたいこのヒトが出てくる。
俺の脳内天使《ちはやさん》である。
『そうだよね。もう女の子だってのに、相変わらずくだらないコトで悩んでるんだから。お兄ちゃんってば」
しかも今回は俺の脳内悪魔である《マイシスター》のオマケ付きかよ。
『ん? よく分かんないけど、くだらないコトって?』
「たとえばほらっ、お兄ちゃんってばトイレで絶対に下を向かないでしょ? 意識しすぎて逆にキモくない!?』
『言われてみたら、そうだね……もう自分の体だから気にしなくていいのにって思っちゃうかな?』
いやいや、そういうワケにはいかないでしょ?
俺なんぞがちはさんの【ご本尊】を目にしては申し訳ないと、お兄さん思っちゃうんだけどなぁ〜?
『あ、なるほど。これはキモい』
『でしょでしょ! お兄ちゃんってば、他にも他にも──』
こらこら、二人ともまだ13歳でしょ!?
そういう会話もまだ早いとお兄さん思うんだけど……。
『しかもキモいだけじゃなくて微妙にウザいね』
『ね。それに誰がお兄さんよ、図々しい。もう二十代も後半に差し掛かったんだから、お兄ちゃんなんてただのオッサンだよ』
『うん。その感覚はわかる』
こらそこっ! 仮にも天使と悪魔なのに結託するな!!
それに誰がオッサンじゃい。俺なんて会社じゃまだまだ小僧扱い──って、いかんいかん。
これ以上トイレで悶々としていたら不審者を通り越して変質者になってしまう。
もう出よう、と脳内ガールとの会話を打ち切って後始末をする。
ちなみに女の子になって初めてのお通じは極めて快適でありました。
なんか俺のなかの少女たちが、最後にもう一度「キモい」とハモった気もするがあえて無視する。
今のは“葛葉ちはや”の記憶を一気に詰め込まれた脳の誤作動。
断じて「こんな幻覚を見るなんてもうダメかもわからんね」って思ってはいけないのである。
まあ、それはそれとして。
トイレから出たのもあるし、王侯貴族が使うような洗面所で手を洗っおこう。
やたらいい匂いのする石鹸を泡立て、普段は洗わない指の間や爪の辺りも念入りに洗うと、さっきのエミリアが感心したように言ってきた。
「きちんと手をお洗いになるとは、お嬢さまも成長なさっておられるのですね」
「いや、手ぐらい普通に洗うから」
「冗談よ。帰国してから腑抜けているみたいだったから、ちょっと強めに叩いただけ。メイド長には内緒にしてね」
昨日も思ったけど、このメイドさんもイイ性格をしているよな。
一応は雇用関係にあるわけだが、ちはやさんが子供の頃からの付き合いだからか、色んな意味で遠慮がない。
さすがのちはやさんも、この娘はちょっと苦手そうだ。
「……はいはい。エミリアもサーニャに睨まれないように気をつけなよ」
「了解。……それじゃあ、次は朝ごはんね。着替えは済んでるから、このままリビングに向かってちょうだい。メイド長からいい報告があるわよ」
「いい報告!?」
って、安い、安いよ。
この感情の急激な上振れはなんなの?
「ねえいい報告ってなんなのエミリア教えて!!」
子供か!
というか犬だな。
むかし飼ってた犬も、お袋に「お客さんだよ」って言われた瞬間に発狂してたわ。
俺の内なるちはやさんの荒ぶりように呆れ返ると、彼女を唆したメイドはクスリと悪戯っぽく
「知りたいならリビングに急ぎなさいな。メイド長もきっとソワソワして待ってるわよ」
「わかった!!」
いやいや、流石にダッシュはマズいて!
これ見よがしに並べられてる調度品をひっくり返したら被害は億単位よ?
俺は猛りにたける肉体と感情のブレーキを全力で押し込んで、なんとか走り出すことだけは阻止するのだった。
「おはようサーニャ! ねえねえ!! いい報告って何なの!?」
「これはこれは、朝から気分が高揚しているようですが……なるほど、エミリアが余計な事を教えたのですね?」
そして、その視線にギクリとする。
相変わらず、このメイド長には独特の“圧”がある。
子供の嘘を見逃さない母親のような。
あるいは、犯罪を未然に防止する警察官のような。
そんな眼力がサーニャにはある
そう思うのは、俺に後ろめいたことがあるからか──。
「とりあえず、奥様と旦那様に挨拶してきなさい。話はそれからです」
「了解! さっそく行ってくるよ!!」
そうして駆ける。駆けなくてもいいのに駆ける。
どこまでも天真爛漫な女の子のテンションが、さすがにこの部屋へ踏み込むとさがる。
仏壇の前に立つ。
静かすぎる部屋。
焼香。
黙祷。
最後に。
「……おはよう母さん。おはよう父さん。あまり会えなかったけど、天国でも仲良くやってるかな」
それ以上は言わない。
言わなくてもいいはずなのに、言葉が少しだけ引っかかる。
ちはやさんは”あまり会えなかった”と言った。
つまり、何度か会ったことはある。
……俺にはわからない。
なぜ”あまり会わなかった”のか。
彼女の記憶ににその答えはない。
だから仏壇を前に俺たちは途方に暮れるしかなかった。
しばらくその場に立ち尽くす。
答えはない。
彼女の記憶にも。
俺の記憶にも。
だから結局、今日も前に進むしかなかった。
部屋を出て襖を閉める。そして──。
午前九時ぴったりにインターホンが鳴った。
扉が開くと、見慣れた顔ぶればかりだ。
あーちゃん、玲ちゃん、みっちゃん。
その後ろで、少し遅れてゆー君がメイドの視線を気にしている。
「このたびは誠にご愁傷様です。心よりお悔やみ申し上げます」
友人一同を代表して、という事なのだろう。
大学でラグビーでもやってそうなみっちゃんが弔辞のあとに一礼すると、他のみんなもそれに倣った。
ちはやさんは仲の良い友人たちが何故そうするのか、どうやら本気で理解できなかったようだが俺にはわかったので、彼ら彼女らに抱きつきたくなる衝動を必死に堪えて頭を垂れた。
「みんな、今日はありがとう」
「……誰だオマエは」
そんな俺の態度がよほど不自然だったのか、ゆー君がこちらにだけ聞こえるような声量で突っ込んだ。
……うん。俺も今のはちはやさんらしからぬ態度だと思うが理由があるんだ、と視線だけ横に向ける。
「わりぃ」
それだけで伝わったのか恐縮するゆー君。
その脇腹にあーちゃんの肘が、つま先に玲ちゃんの踵がめり込んでいたが、俺は何も言わなかった。
仏壇の前で、友人たちは静かに手を合わせた。
その様子を見て、胸の奥が少しだけ熱くなる。
いいやつらだな、と素直に思う。
……しかし、疑問にも思う。
彼ら彼女らは、いったい何をしに来たのかと。
両親の葬儀がアメリカ国内で行われたこともあって、この友人たちが参列していないのは事実である。
だが、五輪関係のドタバタがあった期間も、ちはやさんは結構頻繁に会いにいっている。
自分の試合が終わった直後に、光と常識を置き去りにして──。
ならば、これはただの口実。メイドたち──特にサーニャの好感度を気にしての理論武装と見るべきだろう。
「……さて」
その読みが正しかったことは、いつもの溜まり場であるオフィスルームに移動することで証明された。
メイドたちの視線がなくなった途端、彼らは内に秘めた闘志を解放したのだ。
「さっそく色々と話し合いましょうか。オリンピック期間中の失踪。閉会式のドタキャン。帰国後のパーティーや独占インタビューからのバックレ……」
「苦情は全部ッ! あたしのところに来たんだからねッ!!」
「他にもゴールデンウイークを最後に放置しているVTuber研究会の活動報告をどうするかとか、話し合わなきゃいけないことは山ほどあるわ」
みっちゃん、あーちゃん、玲ちゃん……この三人の表情はそれぞれ異なるが、こめかみに青筋が浮かんでいるのは共通している。
彼らは、怒っている。
その原因が俺にあるのも明らかだ。
しかし、すまない──。
「……VTuber研究会って何だっけ?」
うん、本当にすまない。
コイツ正気かって顔になってるんだけど、本当に心当たりがないんだ。
「ついに脳まで筋肉に侵食されたか……ぶいけんっだよぶいけんっ。お前が設立したサークルだろうが!?」
「──ああっ!!」
「ほら、言ったとおりだろ? やっぱり忘れてやがったな、
「忘れてないよ。VTuber研究会って言うから分からなかったの。最初から“ぶいけんっ”って言ってくれたらよかったんだよ」
……こらこら。真顔で嘘つかない。君はしっかり忘れてたでしょ?
「…………まぁ、そこまで言われるならそういう事にしておきましょうか」
少し、いやかなり疲れたような顔付きになって、みっちゃんが追及をあきらめる。
「とりあえず、みなさん席につきましょう。……ちはやさんもご存知のように、『ぶいけんっ』の活動はこのところ滞っていますからね。本日は再開の目処について話し合おうと思いまして」
ちなみに一応、本当一応、このメンバーで動画配信をした記憶は有るには有る。
ただちはやさんの認識によると、「なんかみんなと楽しく遊んだ」となっているので、俺も“ぶいけんっ”の何たるかはまったく理解していない。
……………いや、本当に勘弁してくれませんかね?
ちはやさんの記憶まで当てにならないとか、どんな罰ゲームなんだよコンチクショウが。