荒野の椿   作:クワ

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東秦帝国

 椿たちの軍が酒湖に進出したと聞いて、ほとんどの人民は勝って押し返している程度の認識しかなかった。なにせ酒湖という地名を知らないのだから判断のしようがない。

 そのことで驚いたのは内閣府だった。彼らは各国の事情に詳しく、酒湖は東秦とモキタルの間の回廊から南下しすぎている事をよくわかっていた。

 

「東秦とトラブルになっていないだろうな」

 その後、椿の配慮で町の中ではなく郊外の荒れ地に拠点を作ったと聞いて、そこは一安心した。

「なぜ無理をして進出するのだ?」

 彼らにとってプロイデンベルクの軍勢を押し返しさえすればいいと考えており、後退を考えての余裕をもったとしてもオドルスまで進出すればよく、それ以上は補給線の観点からあまり好ましいとは思われなかった。その点では第3方面参謀長の石川と意見は一致してはいた。

 官僚たちは、陸軍の参謀本部に言ってもどうしようもないことは百も承知しながら苦情を訴えた。

 

 陸軍としても判断が難しかった。が、思いがけぬ形でメリアンから送られてきた大量の兵器や物資、拡張された予算で製造された兵器などを何とか使用する必要があり、それを新たな部隊を編成するなどして使用することは、軍縮分で減った分を元の基準まで戻すと言う点においてとても都合がよかった。

 

 参謀本部と同時に詰め寄られた陸軍大臣は、曖昧に言葉を濁し逃げの一手を打った。

「我が方としても、詳しい情報が入手出来ておりませぬ故しばしお待ちください」

 

 なにせ皇帝の命による人事なのだから、下手に司令官である椿を交代し、結果敗走でもしようものなら皇帝よりどのような咎があるか分からない状況だ。それは官僚たちも分かっており、何かあった時に自分に類が及ぶのを恐れるが故に追及は手心が加えられるものとなった。

 総理大臣以下政治家たちも、前回の乙女の抗議で対応に苦慮したためかこれまた逃げの一手を打つ。

 

 マスメディアは『女性司令官、プロイデンベルクの名将に勝利』やら『翔陽軍、敵を撃破し酒湖まで追撃、そこに陣を敷きエルウィンと睨(にら)みあう』だの威勢のいい記事を書かんがため問題を黙殺(もくさつ)していた。

 ただ、翔陽政府としても放っておくわけにもいかず、総理大臣は外務大臣に命を出すと、外務大臣は閣僚をひきつれて東秦帝国に事情を説明せんと飛行機に飛び乗った。

 

 東秦帝国

 

 黒を基準とした色合いの建物に入ると、東秦の外交官が能面のような顔で迎えに出てきた。

「これはこれは、わざわざ遠い所をお越しいただいて、この度はどのようなご用件ですかな」

(なかなかに……難しそうだな)

 笑いながら右手を突き出すと、顔色を変えずに握手は行ってくれた。

 

「北の大地に置きまして、我が軍とプロイデンベルグの軍が衝突しておりますが、そのことでご説明をと思いまして……」

 にこやかな翔陽の外交官とは裏腹に、東秦の外交官は能面を崩さずに対応を続ける。

 

「我が国は、内戦がまだまだ収まらず陛下も色々とお忙しい故に謁見は難しいかと思われる」

 東秦の外交官に軽くいなされる。

 その後も色々話しかけるも言質を取られたくないからなのか、するっと言葉の隙間から零れ落ちていった。

 

「これでは、埒があきませんね」

「そうだな、今日の所は出直すか」

 東秦の外交官に向き直り、去り際の挨拶を行うと、向こうも挨拶を返すことはしてくれた。

 

 外で待機している翔陽の大使館が所有する車へ近づくと、運転手は降り立ちドアを開いて、その横で待機をする。

 1人、また1人と乗り込むたびドアを閉めるために走り回り、最後のトビラがパタンと閉まると、そこでやっと自分の運転席へ移動した。

「大使館へやってくれ」

 魔動車の発動機に魔力が注がれると、ぶるんと元気よく動き出す。

「今日は不発だったな」

 周囲を見回す大臣に、周りは「大丈夫です、明日があります」と答えるが、力が抜けているのかどうも軽々しい。

 

 東秦帝国宮廷

 

 ゆっくりと黒曜石(こくようせき)で作られたイスに腰かけると、静かにため息を吐いた。

 年齢は30歳より少し上か、中年と言うにはまだ若く、黒い生地に金の龍が散りばめられた袞衣(こんえ)を纏い、冕冠(べんかん)を被る。

 

 東秦の皇帝である。

「我が君にあられましては、ご機嫌麗しゅうございます」

 皇帝はニコリと声を出さず笑い、会議を始めるために重臣を集めた。

 

「まず、勃発(ぼっぱつ)した反乱の鎮圧はどうなっておる」

「反乱軍が占領していた主要都市は奪還し後は残党狩りを残すのみとなっております」

「うむ、ご苦労であった」

 

「次に、北の翔陽とプロイデンベルクの戦争だが、どうなっておる」

「翔陽が、酒湖に陣を構えて、プロイデンベルクは煌敦に陣を構え睨みあっております」

「東秦とすればどのような方策で行くがよいか良き意見を出して欲しい」

 真っ先に将軍の1人が進み出て、話し始めた。

 

「陛下も覚えておられることだと存じ上げますが、かつて翔陽は我が国と交戦し、奇襲により我が軍を叩き、講和にて賠償金を奪いました。我が国はそのことを忘れてはなりません。プロイデンベルクと誼(よしみ)を結び翔陽軍を背後から襲えば大勝疑い御座いません」

 

 宰相が余裕をもった仕草を見せゆっくりと口を開いた。

「お待ちください。確かに大勝はするでしょうが、その後はどうでしょうか? プロイデンベルグ皇帝ルートヴィヒは天下を統一せんと楚(そ)の羽項(うこう)のような振舞いをしております。ここでプロイデンベルクを助け翔陽を叩くと、将来陛下はルートヴィヒに首を垂れる事となりましょう」

 

 近衛司令官の男が前に進み出る。

「たしかに、ルートヴィヒは覇王(はおう)になることを求め邁進(まいしん)していることは事実です。しかしだからと言って容易に刃を向けるのはいかがでしょうか? 秦蘇(しんそ)が説(と)いた合従(がっしょう)を受け秦(しん)に対抗した6国はすべて滅ぼされ、7国の乱は潰(つい)え濞劉(びりゅう)は刑吏(けいし)に首を取られました。我が国は衰え再建しています。ここは1諸侯としてでも国を残し悠久(ゆうきゅう)の時に望みを託すべきです」

 

 宰相が再び話し始める。

「異国の君主に下るのは容易(たやす)いかもしれませんが、生きるのはどうでしょうか。種文(しゅぶん)は践勾(せんこう)に死を賜(たまわ)り、信韓(しんかん)は釜ゆでにされ、胥子伍(ししょご)は袋に入れられ川に捨てられました。同じ文化の国でもそうなのです。ましてや異国の人間ともなると信を得るのは難しく、讒言(ざんげん)を受けることは多くその地位は危うくなります。我が君におきましてはそのような間違いなきよう申し上げます」

 

 ここで道化(どうげ)の男が賑やかにはやし立てる。

「そもそも我が国にとって早急に結論を出す必要はあるのでしょうか? 翔陽とプロイデンベルクを天秤にかけ、大勢が定まってからでも遅くはありますまい」

「うむ、そうだな、それではしばらく様子を見よう。酒湖を占拠していることはどうか?」

 

「翔陽にとって西域は、冄魏(たんぎ)の曹(そう)のようなもので維持するには難しく例え占領してもいつかは手放しましょう。手放したものを我らが拾えばよいのです。労は翔陽が行い実は我らが頂く。結構なことではありませんか」

 宰相の話がおわると、末席から1人の文官が声を上げた。

 

「陛下、愚者の言にも100あれば1使えるものがあると言います。私が愚考しますに、我が国にとってプロイデンベルクが勝利するより翔陽が勝利した方が都合がよろしいかと存じます。ならば勝つように誘導してみてはいかがでしょうか。血滴子(けってきし)や便衣兵(べんいへい)を使って混乱を生じさせることができれば、後日我が方にとって功績を誇示出来るでしょう、たとえ失敗しても我らは存ぜぬで済むでしょう」

「そちの意見はもっともである。さっそく取り計らおう」

「ありがとうございます」

 

「それと宰相、翔陽の使者が来ていると聞いたが?」

「仰せの通りでございます」

「天秤がそちらに傾いた時のために交渉してもらいたい。下海の返却および香龍港の返還の口利きを条件として引き出して欲しい」

「なかなか難しいとは思われますが、今は翔陽・スチューザンとも戦況が苦しいので交渉する価値はあるでしょう」

「頼んだぞ」

「はっ」

 

 明くる日

 

 外務大臣一行の元に東秦からの使者が訪れた。

「近いうちに交渉の席を持ちたいとの事ですが、開いている日時を教えていただけると調整いたしますので……」

「早ければ早い方がよいのでそうお伝えください」

「畏まりました」

 

 その翌日

 

「まさか、翌日に交渉のテーブルに付けるとは思わなんだ」

「むこうにも思惑があるようですな」

 案内された部屋は、これまた漆黒と言っていいような壁紙で鳳凰(ほうおう)や麒麟(きりん)が描かれている。

「こちらにお掛けになってお待ちください」

 そう告げると、案内役の男は部屋を出て行く。

 

 しばらく部屋で過ごしていると、音もなく入り口の扉が開けられた。

「皆さん、お待たせいたしました」

 にこやかに宰相が現れると、その後ろに数人の文官が続く。

(あれは、宰相!)

 一行は、何か重大な交渉があると察して身震いした。

「じつは……」

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