東方無頼郷「幻想郷に善人はいない」   作:たこ焼き 龍月

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東方でマフィア・ヤクザ物が読みたかったので作ってみました。
今回は博麗を主役ではなく、人里を主体になります。


第一章 博麗の縁日

 

 

 人里の夜は、明るい。

 

 提灯の火、屋台の油、酒の匂い、焼けた味噌の匂い、子供の笑い声。人間は闇を怖がるから、夜になると火を焚く。火を焚けば安心できると思っている。

 

 だが藤原妹紅は知っていた。

 

 火は闇を消すものではない。

 闇の輪郭を、はっきりさせるものだ。

 

 博麗神社の参道には、ずらりと屋台が並んでいた。焼き団子、甘酒、金魚すくい、射的、札売り、くじ引き。いつもの縁日よりも人が多い。人里の者だけではない。山の河童、里に紛れた妖怪、命蓮寺の僧、守矢の信徒、紅魔館の使用人らしき者までいる。

 

 幻想郷では珍しくもない光景だった。

 

 珍しくないからこそ、妹紅は嫌な予感がした。

 

「ずいぶん派手にやってるな」

 

 妹紅は参道の端に立ち、腕を組んだ。

 

 隣には上白沢慧音がいる。寺子屋の教師であり、人里の相談役であり、そして里守会の実質的な頭脳でもある。

 

 慧音はいつものように落ち着いた顔をしていたが、その目は屋台の配置、人の流れ、警備の穴、博麗神社の社務所へ出入りする者たちを静かに追っていた。

 

「派手に見せたい者がいる、ということだろう」

 

「霊夢か?」

 

「霊夢だけではない」

 

 慧音は短く答えた。

 

 博麗神社の縁日は、表向きには祭りだった。だが裏を見れば、あらゆる勢力が顔を合わせる取引の場でもある。屋台の場所代。賭場の胴元。荷の流れ。護符の販売。人里の商人への顔つなぎ。寺や神社への寄進。妖怪たちの縄張り確認。

 

 祭りとは、人間を安心させるための名目にすぎない。

 

 実際には、幻想郷の利権が一晩だけ表に出てくる場所だった。

 

 妹紅は鼻を鳴らした。

 

「で、私たちは何をすればいい」

 

「人里の者が巻き込まれないようにする」

 

「それだけか」

 

「それだけで済めばいい」

 

 慧音の言葉は、祈りではなく予測だった。

 

 参道の中ほどで、賭場が開かれていた。畳を敷いた簡素な小屋。中では札と賽が飛び交い、大人たちが低い声で笑っている。

 

 胴元は博麗神社の顔なじみだった。表向きは縁日の遊び。実際は、妖怪も人間も金を落とす場所だ。

 

 妹紅は賭場の前で足を止めた。

 

 そこに、見慣れた帽子が揺れていた。

 

「よう、妹紅」

 

 霧雨魔理沙だった。

 

 黒い服に白いエプロン。いつも通りの姿で、いつも通りに悪びれない笑みを浮かべている。片手には焼き団子、もう片方の手にはどこから持ってきたのか分からない小さな木箱を抱えていた。

 

「お前、また何か盗ったのか」

 

「盗ってない。拾った」

 

「誰のを」

 

「落とした奴のだ」

 

「同じ意味だろうが」

 

 魔理沙は肩をすくめた。

 

「今日は景気がいいぜ。博麗の賭場に、守矢の札売り、命蓮寺の説法、紅魔館の酒。これだけ揃えば、誰かが損をして、誰かが儲かる」

 

 慧音が静かに口を開いた。

 

「その木箱は何だ」

 

「さあな。開ける前に声をかけられた」

 

「魔理沙」

 

 慧音の声が少し低くなる。

 

 魔理沙は苦笑いしながら木箱を妹紅に渡した。

 

「冗談だよ。賭場の裏に置いてあった。中身は帳面だ」

 

 妹紅は木箱を受け取り、ふたを少し開けた。

 

 紙の束が入っている。勘定帳のように見えた。だが、ただの売上帳ではない。屋台の場所代、警備料、運搬費、人足代。そして、見慣れない印がいくつも押されていた。

 

 守矢の印。

 命蓮寺の印。

 それから、八雲のものと思われる奇妙な紋。

 

 慧音の表情がわずかに動いた。

 

「どこで見つけた」

 

「賭場の裏。紫の式が近くをうろついてたから、面白そうだと思ってな」

 

「面白そうで済むものか」

 

 慧音は帳面を受け取り、素早く目を通した。

 

 妹紅は参道の奥を見る。

 

 石段の上、博麗神社の境内では、博麗霊夢が湯呑みを片手に縁側へ座っていた。祭りの主催者とは思えないほど気だるそうな顔をしている。だが、その周囲には自然と空白ができていた。

 

 誰も霊夢の近くでは騒がない。

 誰も霊夢の前では大きな嘘をつかない。

 

 博麗の巫女とは、そういう存在だった。

 

「霊夢は知ってるのか」

 

 妹紅が言うと、魔理沙は団子をかじりながら答えた。

 

「知ってても知らなくても、同じ顔してるだろ」

 

「確かにな」

 

 その時だった。

 

 賭場の奥から、怒鳴り声が上がった。

 

「ふざけるな! その札は無効だ!」

 

「先に手を出したのはそっちだろうが!」

 

 笑い声が止まる。人の流れが乱れる。屋台の売り子たちが目だけで互いに合図を送る。

 

 妹紅は舌打ちした。

 

「始まったか」

 

「行くぞ」

 

 慧音が歩き出す。

 

 賭場の中では、数人の男たちが向かい合っていた。人里の問屋筋の若い衆と、山から来たらしい商人たち。その間に、守矢の護符を首から下げた男が立っている。

 

 卓の上には賽と札。

 そして、割れた杯。

 

 妹紅が入ると、場の空気が一段冷えた。

 

「何の騒ぎだ」

 

 彼女の声は大きくなかった。だが、賭場にいた者たちは全員聞いた。

 

 人里で藤原妹紅の名を知らない者は少ない。妖怪に喧嘩を売って戻ってくる女。不死身の用心棒。里守会の荒事担当。扱いを間違えれば、自分の方が面倒に巻き込まれる。

 

 問屋の若い衆が唾を飲んだ。

 

「妹紅さん、これはその、向こうがいかさまを」

 

 山の商人が怒鳴る。

 

「言いがかりだ! 負けたから難癖をつけているだけだろう!」

 

 妹紅は卓の札を見た。

 

 札の一枚に、小さな焼き印がある。博麗のものではない。守矢の護符に使われる印に似ていた。

 

 慧音が隣に立ち、静かに言った。

 

「この札を持ち込んだのは誰だ」

 

 誰も答えない。

 

 沈黙の中で、守矢の護符を下げた男だけが視線を逸らした。

 

 妹紅はその男の前に立った。

 

「お前か」

 

「ち、違う。私はただ、神徳札を配っていただけで」

 

「賭場で護符を配るのか。ずいぶん信心深いな」

 

 男の顔が青くなる。

 

 その時、賭場の入り口から涼しい声がした。

 

「信心が深いのは良いことですよ。少なくとも、賭け事よりは」

 

 東風谷早苗だった。

 

 緑の髪を揺らし、にこやかに笑っている。祭りに合わせてか、守矢神社の簡素な札売りの格好をしていた。だが、その後ろには守矢の信徒らしき者が数人控えている。

 

 妹紅は眉をひそめた。

 

「守矢が賭場に何の用だ」

 

「誤解があるようなので、説明に来ました。私たちは縁日の安全祈願として護符を配っていただけです」

 

「安全祈願ねえ」

 

 妹紅は卓の札を指で弾いた。

 

「こいつにも祈願がしてあるのか」

 

 早苗の笑みが少し固まった。

 

 慧音が札を拾い上げる。

 

「これは賭場の札に細工をしたものだ。守矢の護符と同じ紙を使っている」

 

「守矢がやったという証拠にはなりません」

 

「そうだな。証拠にはならない」

 

 慧音は淡々と答えた。

 

「だが、疑いにはなる」

 

 その一言で、賭場の空気が変わった。

 

 守矢神社は近ごろ、人里で勢力を伸ばしていた。商売繁盛、家内安全、厄除け、治水、農作、出産。ありとあらゆる願いに名目をつけて、講を作り、寄進を集めている。

 

 善意で救われた者もいる。

 だが、取り込まれた者もいる。

 

 人里の古い問屋や火消し組は、守矢のやり方を快く思っていなかった。

 

 この賭場の騒ぎも、ただのいかさまではない。

 誰かが守矢の名を使い、火種を置いた。

 

 妹紅は早苗を見た。

 

「ここで揉めれば、誰が得をする」

 

「私たちではありません」

 

「本当にそうか?」

 

 早苗の目に、一瞬だけ怒りが灯った。

 

「人里の方々を守るために、私たちは」

 

「守るってのは便利な言葉だな」

 

 妹紅は低く言った。

 

「守る相手から金を取っても、守る。縄張りを奪っても、守る。昔からある仕組みを壊しても、守る。そう言えば何でも通る」

 

「妹紅」

 

 慧音が制する。

 

 妹紅は黙った。

 

 早苗は何か言い返そうとしたが、その前に、境内の方から声が飛んだ。

 

「はいはい、そこまで」

 

 博麗霊夢だった。

 

 湯呑みを片手に、面倒くさそうに賭場へ入ってくる。まるで昼寝を邪魔された猫のような顔をしていた。

 

「人の神社で揉めないでくれる? 後片づけするの、私なんだけど」

 

 賭場にいた者たちが一斉に頭を下げる。早苗だけが、少し遅れて会釈した。

 

 霊夢は卓の札を見る。

 

「これ、うちの札じゃないわね」

 

「守矢の紙だ」

 

 妹紅が言うと、霊夢は早苗をちらりと見た。

 

「だそうだけど?」

 

「守矢が細工したものではありません」

 

「でしょうね」

 

 霊夢はあっさり言った。

 

 早苗が目を見開く。

 

「信じるんですか?」

 

「信じるとか信じないとかじゃなくて、あんたたちがやるならもっと堂々とやるでしょ」

 

 霊夢は札を指でつまみ、光に透かした。

 

「これは誰かが揉めさせるために混ぜたものよ。博麗と守矢。人里と山。古い商人と新しい信徒。全部まとめて嫌な感じにするための小細工」

 

「誰が」

 

 慧音が尋ねる。

 

 霊夢は答えず、木箱の中の帳面に目をやった。

 

「それ、どこで拾ったの」

 

「魔理沙が賭場の裏で拾った」

 

 妹紅が言うと、魔理沙は口笛を吹いて視線を逸らした。

 

 霊夢は帳面を取り上げ、ぱらぱらとめくる。

 

 そして、ほんの少しだけ眉を動かした。

 

「へえ」

 

「何が書いてある」

 

 妹紅が聞く。

 

「屋台の場所代。賭場の上がり。人足の手配。あと、神社の修繕費」

 

「修繕?」

 

「結界の端が傷んでるのよ。古い道の近く。人里から山へ抜けるところ」

 

 慧音の表情が険しくなる。

 

「その道は、近ごろ区画整理の話が出ている場所だ」

 

「でしょうね」

 

 霊夢は帳面を閉じた。

 

「八雲が噛んでる」

 

 その名が出た瞬間、賭場の奥で風が揺れた。

 

 誰もいないはずの壁際に、裂け目のようなものが一瞬だけ見えた。紫色の闇。そこから、白い手袋の指が見えたような気がした。

 

 妹紅は身構える。

 

 だが次の瞬間には、何もなかった。

 

 霊夢だけが、つまらなさそうにため息をついた。

 

「覗き見なんて趣味が悪いわね」

 

 答えは返ってこない。

 

 早苗は困惑していた。守矢が疑われているのか、利用されているのか、自分でも判断がついていないようだった。

 

 慧音は帳面を見つめたまま言った。

 

「この件、人里に持ち帰る。寺子屋でも確認する必要がある」

 

「やめときなさい」

 

 霊夢が言った。

 

 慧音が顔を上げる。

 

「なぜだ」

 

「それを持ち帰ったら、寺子屋が火種になる」

 

 その言葉に、妹紅の目が細くなった。

 

「脅しか」

 

「忠告よ」

 

 霊夢は慧音を見た。

 

「今夜のこれは、ただの賭場の揉め事じゃない。誰かが人里を舞台にしようとしてる。あんたたちが帳面を持って帰れば、向こうは次に寺子屋を狙う」

 

 慧音は黙った。

 

 妹紅は霊夢の前に立つ。

 

「じゃあ、どうしろって言うんだ」

 

「燃やせば?」

 

「簡単に言うな」

 

「簡単よ。証拠なんて、持ってるだけで面倒になる」

 

 霊夢の声は軽かった。だが、目は笑っていなかった。

 

 妹紅はその目を見て、腹の底に冷たいものを感じた。

 

 博麗霊夢は正義の味方ではない。

 幻想郷の均衡を守る者だ。

 

 守るためなら、事実を消す。

 守るためなら、誰かを黙らせる。

 守るためなら、人里の都合など後回しにする。

 

 それが博麗だった。

 

 慧音は帳面を抱えたまま、静かに言った。

 

「私は教師だ」

 

 霊夢は黙っている。

 

「子供たちに、歴史を教えている。何が起きたのか。誰が何をしたのか。それを知ることには意味がある」

 

「幻想郷では、知らない方が長生きできることもあるわ」

 

「知った上で生きる道もある」

 

 二人の間に、祭りの喧騒が遠く響いた。

 

 妹紅は口を挟まなかった。

 

 慧音がこういう声を出す時、止めても無駄だと知っている。

 

 霊夢はしばらく慧音を見ていたが、やがて肩をすくめた。

 

「好きにすれば。ただし、博麗は守らないわよ」

 

「最初から頼るつもりはない」

 

「そう」

 

 霊夢は妹紅を見た。

 

「じゃあ、そっちの不死身に頼るのね」

 

 妹紅は笑わなかった。

 

「不死身は便利屋じゃない」

 

「でも、便利でしょ」

 

「殴るぞ」

 

「やれるものなら」

 

 魔理沙が横で笑った。

 

「相変わらず仲いいな、お前ら」

 

「黙れ」

 

 妹紅と霊夢の声が重なった。

 

 その時、参道の下から鐘の音が聞こえた。

 

 火消しの合図だった。

 

 慧音が振り返る。

 

「人里か?」

 

 賭場の外へ出ると、遠くの空に赤い光が見えた。山の端ではない。人里の方角だ。火事にしては煙が薄い。だが、騒ぎを起こすには十分だった。

 

 妹紅は歯を噛んだ。

 

「陽動か」

 

 霊夢は何も言わなかった。

 

 早苗が慌てて参道を下りようとする。

 

「私も行きます」

 

「来るな」

 

 妹紅が低く言った。

 

 早苗の足が止まる。

 

「なぜですか」

 

「今、お前が人里に来れば、守矢が火をつけたと思われる」

 

「そんな」

 

「そういう夜なんだよ」

 

 早苗は唇を噛んだ。

 

 慧音は帳面を懐にしまい、妹紅に言った。

 

「行くぞ」

 

「ああ」

 

 妹紅は歩き出した。

 

 その背中に、霊夢の声がかかる。

 

「妹紅」

 

「何だ」

 

「寺子屋を空にするな」

 

 妹紅は振り返らない。

 

「分かってる」

 

 石段を下りる。祭りの音が遠ざかる。代わりに、人里のざわめきが近づいてくる。

 

 妹紅は夜風の中で、かすかな匂いを嗅いだ。

 

 煙。油。紙。

 それから、古い木材が焼ける前の匂い。

 

 寺子屋ではない。

 だが、寺子屋に近い。

 

 誰かが、こちらを試している。

 

 人里を守れるのか。

 慧音を守れるのか。

 記録を守れるのか。

 それとも、博麗の言う通り、何もかも燃やしてしまうのか。

 

 妹紅は拳を握った。

 

「慧音」

 

「何だ」

 

「あの帳面、絶対に離すな」

 

「分かっている」

 

「それと」

 

 妹紅は少しだけ笑った。

 

「寺子屋に手を出した奴は、相手が神でも妖怪でも関係ない」

 

 慧音は前を見たまま答えた。

 

「ほどほどにしろ」

 

「約束はできない」

 

 夜の人里に、火消しの鐘が鳴り続けていた。

 

 博麗神社の縁日では、何事もなかったように祭りが続いている。

 賭場は一度閉じられ、屋台はまた客を呼び込み、霊夢は縁側に戻った。

 

 誰も知らない。

 この夜に起きたことは、まだ異変ではない。

 

 ただの帳面。

 ただの火事。

 ただの賭場の揉め事。

 

 幻想郷では、そういう小さな出来事が積み重なってから、ようやく誰かが名前をつける。

 

 異変、と。

 抗争、と。

 あるいは、歴史に残らない夜、と。

 

 妹紅と慧音が人里へ消えた後、博麗神社の境内に、ひとつだけ隙間が開いた。

 

 そこから八雲紫が顔を出す。

 

 霊夢は振り向かずに言った。

 

「趣味が悪いわよ」

 

「見守っていただけよ」

 

「嘘つき」

 

 紫は扇で口元を隠した。

 

「人間は面白いわね。守るものがあると、妖怪より怖くなる」

 

「それで、今度は何を壊すつもり?」

 

「壊すだなんて」

 

 紫は笑った。

 

「少し、境界を整えるだけよ」

 

 霊夢は湯呑みを置いた。

 

「その“少し”で、人里が燃えるのよ」

 

「燃えたら、また建てればいい」

 

「寺子屋も?」

 

 紫の笑みが、ほんのわずかに薄くなった。

 

 霊夢は立ち上がり、賽銭箱の方へ歩いた。

 

「やりすぎたら、私が動くわよ」

 

「博麗は中立でしょう?」

 

「中立っていうのはね」

 

 霊夢は振り返った。

 

「どいつもこいつも、まとめて殴れる位置にいるって意味よ」

 

 紫は楽しそうに目を細めた。

 

 祭りの灯りが、二人の間で揺れていた。

 

 その夜、博麗の縁日は最後まで続いた。

 誰も死なず、誰も捕まらず、誰も責任を取らなかった。

 

 ただ、人里の寺子屋の戸口には、朝まで藤原妹紅が立っていた。

 上白沢慧音は一睡もせず、帳面の写しを作った。

 

 そして最初の一行に、こう書いた。

 

 ――博麗縁日における賭場騒動。

 原因、不明。

 関与勢力、複数。

 人里への波及、避けられず。

 




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