博麗神社の参道は、朝からねじれていた。
石段はいつも通りそこにある。
鳥居もある。
賽銭箱もある。
風に揺れる木々も、落ち葉の積もった脇道も、見慣れたままだ。
だが、道だけが違っていた。
石段を上がっているはずの商人が、いつの間にか石段の下に戻っている。
鳥居をくぐったはずの参拝客が、社務所の裏に出てくる。
神社の裏手を抜けようとした妖精が、何度も同じ木の枝にぶつかって怒っている。
そして、賽銭箱の前には一枚の札が貼られていた。
黄色がかった紙。
紫色の線。
八雲の印に似せた偽の紋。
その横には、小さな立て札。
**八雲境界通行所**
**安全参拝料 一人五文**
博麗霊夢は、それを無言で見ていた。
沈黙が長い。
霧雨魔理沙は、隣で笑うのをこらえていた。
「おい霊夢。ついに賽銭箱より先に料金所ができたな」
霊夢は答えない。
「これは新しい商売だぜ。参拝料と賽銭、二重取りだ」
霊夢はまだ答えない。
「いや、でもこれ、八雲の取り分なのか? 神社の境内で八雲が通行料を取るって、なかなかの縄張り荒らしだな」
霊夢がようやく口を開いた。
「魔理沙」
「なんだ」
「黙らないと、あんたから五文取るわよ」
「私が悪かった」
魔理沙は一歩下がった。
霊夢は札へ手を伸ばした。
指先が札に触れる。
その瞬間、空間がぬるりと歪んだ。
札はそこにある。
だが、掴めない。
手は札を通り抜けたようで、同時に違う場所へ滑る。
霊夢の指先は、なぜか賽銭箱の裏側に触れていた。
霊夢の額に、薄く青筋が浮かぶ。
「……面倒な貼り方してるわね」
魔理沙が近づく。
「剥がせないのか」
「剥がせないんじゃない。剥がす場所がずれてる」
「どういう意味だ」
「札はここに見えてるけど、貼られてる境界が少し外れてる。手で剥がすには、貼られてる側の道に入らないと駄目」
「つまり?」
「むかつく」
「説明が雑だな」
霊夢は御札を出した。
本物の博麗の札。
偽の八雲札の上に重ねる。
すると、偽札の周囲の空気が細かく震えた。
参道が一瞬だけ二つに割れて見える。
一つは普通の道。
もう一つは、同じ場所をぐるぐる回る道。
通行料を払わない者は、後者へ流される。
魔理沙は口笛を吹いた。
「ひでえ仕掛けだな。道に迷わせて、金を払った奴だけ正解に戻すのか」
「商売としては最低ね」
「でも技術は高い」
「だから余計にむかつく」
その時、石段の下から足音がした。
八雲藍だった。
後ろには橙と数匹の猫。
藍の手には境界台帳、橙の手には猫道で見つけた札の束がある。
藍は鳥居の前で一礼した。
「霊夢殿。参道の件、八雲一家として謝罪いたします」
霊夢は腕を組んだ。
「謝るの早いわね」
「八雲の名が使われています。言い逃れはしません」
「紫じゃなくて、あんたが来たの」
「今回は私が処理します」
魔理沙が小さく言った。
「藍がこういう顔してる時は、だいたい紫が何か隠してる時だぜ」
藍は否定しなかった。
「その通りだ」
魔理沙が少し驚いた。
「認めるのか」
「認めなければ始まらない」
藍は賽銭箱の前の偽札を見た。
すぐに顔色が変わる。
「旧式八雲札の形式にかなり近い」
霊夢が言った。
「本物?」
「違います」
「じゃあ偽物」
「偽物です。ただし、ただの偽物ではありません」
「それ、昨日も聞いた」
橙が札の束を机のような石の上に並べた。
「猫道にもいっぱいあったよ。塀の上、祠の裏、木の枝、屋根のすき間。猫たちが通れなくなってた」
霊夢は橙を見る。
「猫道まで?」
「うん。人間には見えない道も塞いでる」
藍は橙の集めた札を一枚ずつ確かめた。
「貼り方が違う。参道の札は人間の通行用。猫道の札は、小型妖怪や獣の通行をずらすためのものだ」
魔理沙が眉をひそめる。
「そんな細かい道まで売る気か?」
橙は不満そうに言った。
「猫道は売り物じゃない」
その言葉に、藍は少しだけ橙を見た。
そして小さく頷く。
「ああ。売り物ではない」
霊夢は藍に向き直った。
「で、誰がやってるの」
「縁目会」
藍は台帳を開いた。
「かつて八雲一家の外部協力者として、古い道や危険な境界の監視を任されていた者たちです」
「外部協力者?」
「迷い道の案内、廃道の封鎖、無縁塚周辺の境界監視、地底への危険な抜け道の見張りなどを行っていました」
「今は?」
「廃止された、と記録されています」
魔理沙が笑った。
「廃止された連中が、今度は勝手に店を開いたわけだ」
霊夢は冷たく言った。
「八雲の後始末じゃない」
藍は深く頭を下げた。
「その通りです」
霊夢は少し黙った。
謝罪はされた。
だが、怒りは消えない。
神社の参道に勝手な札を貼られた。
賽銭箱の前に通行料の看板を置かれた。
参拝者が迷わされた。
しかも、八雲の古い処理が原因らしい。
霊夢は札を指差した。
「剥がせる?」
「剥がします。ただし、順番を間違えると参道が一時的に閉じます」
「どれくらい」
「短くて半日。長ければ、博麗神社への道が数日ほど不安定になります」
「最悪ね」
「申し訳ありません」
「謝るのはいいから、直しなさい」
藍は台帳をめくった。
「参道の基準点を確認します。霊夢殿、この道の本来の起点はどこですか」
「人里の北口」
「終点は」
「この賽銭箱」
「鳥居ではなく?」
「参拝客は鳥居を目的に来るんじゃないわ」
魔理沙が笑った。
「本音が出たな」
霊夢は平然と言った。
「神社の道は賽銭箱へ通じるものよ」
藍は真面目に頷いた。
「では、賽銭箱を終点として補正します」
「真面目に受け取られると困るわね」
藍は札の周囲に術式を展開した。
参道の空気が波打つ。
橙が猫たちへ合図を出す。
「そっちは通らないで! 戻ってくる道がずれてる!」
猫たちは一斉に離れた。
藍は偽札の上に、八雲の本物の符を重ねる。
すると、偽札の紫線が浮かび上がった。
線は参道へ伸び、人里側、鳥居側、賽銭箱側、さらに裏の獣道へ分かれている。
道が、糸のように見えた。
魔理沙は目を細める。
「おお。普段は見えない道ってやつか」
「正確には、通行可能性の境界です」
「難しく言うな。道でいいだろ」
「道です」
霊夢が聞く。
「どこが歪んでるの」
藍は一本の糸を指した。
「ここです。本来、人里から博麗神社へ向かう道は一本の流れとして繋がっている。だが、偽札によって途中に分岐が作られています。通行料を払った者だけが本来の道へ戻る」
「払わないと?」
「同じ地点へ戻る」
「やっぱり最低ね」
藍はもう一枚の札を取り出した。
「これを逆符として使います。霊夢殿、博麗の札を終点に置いてください。魔理沙殿は、糸が乱れたら光で固定を」
「雑に使うなあ」
「あなたは器用です」
「褒められると断れないな」
霊夢は賽銭箱の前に札を置いた。
「私の神社なんだから、私が終点を決めるわよ」
藍は頷く。
「始めます」
偽八雲札が震えた。
参道が二重に見える。
普通の道。
戻される道。
払った者だけが通る道。
猫道。
裏参道。
古い獣道。
それらが重なり合い、絡んでいる。
藍は指先で糸をほどいた。
一本ずつ。
力任せではない。
紫のように境界を裂くのではなく、実務者の手つきで、絡んだ帳面を解くように。
橙は猫たちを追い、細い猫道の歪みを知らせる。
「藍さま、そこの細い道、まだ戻ってない!」
「位置は」
「祠の裏から、石段の三段目!」
「分かった」
藍は札を一枚追加した。
魔理沙が光で糸の揺れを押さえる。
「おっと、こっちも暴れてるぜ」
「そのまま固定を」
「はいはい」
霊夢は賽銭箱の前で腕を組み、道が戻るのを見ていた。
やがて、偽札の紫線が剥がれた。
札はただの紙になり、地面へ落ちる。
参道の空気が、ふっと軽くなった。
石段の下にいた商人が、恐る恐る足を踏み出す。
今度は戻されない。
鳥居をくぐり、賽銭箱の前へ来る。
商人はほっと息を吐き、霊夢に頭を下げた。
「助かりました」
霊夢は賽銭箱を指差した。
「感謝は形で」
商人は困った顔で五文を出した。
魔理沙が笑う。
「結局、霊夢が取ったな」
「通行料じゃない。賽銭よ」
藍は落ちた偽札を拾った。
その裏に、小さな文字があった。
**縁目会 仮札甲三号**
藍の顔が険しくなる。
「試作品ではない。番号管理されています」
霊夢が言った。
「つまり、大量にある」
「はい」
橙が札束を持ち上げる。
「猫道のは、乙二号って書いてある」
魔理沙が帽子を直す。
「人間用、猫用、獣道用。商売熱心だな」
藍は台帳へ札の番号を書き写した。
「博麗参道だけではない。すでに用途別に札がある。縁目会は、幻想郷中の道を分類している」
「八雲みたいに?」
橙が聞いた。
藍は少しだけ沈黙した。
「そうだ。八雲の真似をしている」
霊夢はその沈黙を見逃さなかった。
「真似されるだけの資料があったってことね」
「旧式台帳の断片が流出している可能性があります」
「可能性?」
藍は唇を引き結んだ。
「確認します」
「紫に?」
「はい」
霊夢は手を振った。
「じゃあ行きなさい。私は慧音のところへ行く。人里の道まで狂ってるなら、人里の古い道の記録が必要でしょ」
「助かります」
「助けてるんじゃないわ。神社の参道に料金所を置かれた借りを返させるだけ」
「承知しました」
藍は頭を下げ、橙とともに境内を出た。
参道は戻った。
しかし、それは一箇所だけだ。
人里。
命蓮寺。
妖怪の山。
竹林。
霧の湖。
白玉楼。
地底。
ほかの道はまだ歪んでいる。
*
八雲の屋敷に戻ると、紫は縁側で茶を飲んでいた。
藍はその前に偽札を並べた。
甲三号。
乙二号。
猫道用。
参道用。
獣道用。
紫はそれを見て、目を細めた。
「ずいぶん増えたわね」
「他人事のように言わないでください」
「他人事ではないわ」
「なら、話してください」
藍は境界台帳を開いた。
「縁目会に渡した台帳の範囲。旧式八雲札の写し。廃止時の処理。記録抹消の有無。すべてです」
紫は茶を置いた。
「藍」
「はい」
「あなた、今日は強いわね」
「弱くしている余裕がありません」
紫は少しだけ笑った。
だが、すぐに表情を消した。
「縁目会は、昔、必要だった」
「それは聞きました」
「境界のほつれが多かった時代、人も妖怪も頻繁に迷った。人里の外へ出たまま戻らない者。山道で別の場所へ出る商人。地底へ落ちる子供。無縁塚から戻れない妖怪」
紫は庭を見る。
「私一人で全てを見るには、道が多すぎた。だから、案内人を置いた」
「その案内人が縁目会」
「ええ。彼らは道を知っていた。危険な境界を見張り、必要な者を通し、危険な者を止めた」
「なぜ切ったのですか」
「境界を商売にし始めたから」
藍は黙った。
紫は続ける。
「最初は謝礼だった。迷った者を里へ戻して米をもらう。危険な道を塞いで酒をもらう。その程度なら見逃した」
「それが通行料になった」
「ええ。安全な道を通す代わりに金を取る。危険な道をわざと残す。通れる道を隠す。いつしか、道そのものが彼らの商品になった」
藍の目が鋭くなる。
「その時点で処理したのですね」
「処理したわ」
「どのように」
紫は少し黙った。
「縁目会を解散させた。古い札を回収し、台帳を閉じ、危険な道を八雲側へ戻した」
「全て?」
紫は答えない。
藍は理解した。
「全てではなかったのですね」
「いくつかの写しが消えた。案内人の一部も、姿を消した」
「なぜ台帳に記録されていないのですか」
「記録すれば、その道が残る」
「記録しなかったから、今こうなっています」
藍の声は静かだった。
紫は藍を見る。
「そうね」
その一言は、珍しく言い訳を含んでいなかった。
藍は少しだけ息を吐いた。
「紫様。私は、あなたの処理を疑いたいわけではありません」
「ええ」
「ですが、境界を隠すことと、記録から消すことは違います」
紫は何も言わない。
「隠して守るなら、少なくとも八雲一家の中には残すべきでした。私にも、橙にも」
「橙にはまだ早いわ」
「橙の猫道まで売られています」
紫の表情がかすかに変わる。
藍は続けた。
「大きな境界だけが境界ではありません。人里の子供が帰る道も、猫が通る塀の上も、命蓮寺へ荷が届く坂も、患者が永遠亭へ向かう竹林の細道も、すべて境界です」
「藍」
「紫様が見ない道も、幻想郷の道です」
庭の空気が止まった。
紫はしばらく藍を見つめていた。
やがて、ゆっくり扇を閉じる。
「あなたにそこまで言われる日が来るとはね」
「申し訳ありません」
「謝る必要はないわ」
紫は立ち上がった。
隙間を開く。
その中から、古い木箱が現れた。
箱の中には、さらに古い紙束がある。
「縁目会の旧記録よ」
藍は目を見開いた。
「残っていたのですか」
「ええ。完全に消すほど、私は綺麗好きではないわ」
「なら、なぜ今まで」
「開けると、面倒なものが出るから」
「今、出ています」
「そうね」
紫は木箱を藍へ渡した。
「これで縁目会の使っている札の根が分かるはず」
藍は木箱を受け取った。
重い。
紙の重さではない。
隠されてきた道の重さだった。
「ありがとうございます」
「藍」
「はい」
「縁目会の頭目、霞堂縁吏には気をつけなさい」
「ご存じなのですね」
「昔、道の声を聞ける案内人だった。境界のほつれを見つけるのが上手かった」
「なぜ彼が頭目に」
「道を知りすぎた者は、時々、道を自分のものだと思う」
藍は木箱を抱えた。
「境界は、片側のものではありません」
紫は少しだけ微笑んだ。
「もうその答えに着いたのね」
「まだです。言葉にしただけです」
「なら、確かめてきなさい」
藍は一礼し、部屋を出た。
廊下の先で、橙が待っていた。
「藍さま」
「橙。次は人里へ行く。慧音殿の道の記録と照合する」
「猫たちも?」
「もちろんだ」
橙は嬉しそうに笑った。
「猫道も台帳に入れる?」
藍は少し考えた。
今までなら、笑って流したかもしれない。
だが、今は違う。
「ああ。入れる」
橙の目が輝いた。
「ほんと?」
「ただし、売買禁止の緊急連絡路としてだ」
「売らないよ。道は帰るためにあるんだから」
藍は頷いた。
「その通りだ」
*
人里では、慧音がすでに古い道の記録を広げていた。
寺子屋の机には、人里周辺の地図が何枚も並べられている。
古い参道。
廃道。
荷車道。
火除け道。
寺へ向かう道。
神社へ向かう道。
かつて使われ、今は使われていない道。
妹紅は戸口に立ち、外を見張っていた。
「また大きな帳面か」
魔理沙が呟く。
慧音は筆を走らせながら言った。
「道は記録しなければ消える。消えた道は、誰かに勝手に使われる」
藍は頭を下げた。
「慧音殿。八雲一家の旧記録と、人里の道の記録を照合したい」
「ようやく八雲の台帳が出るか」
慧音の声には皮肉が混じっていた。
藍はそれを受けた。
「遅くなりました」
慧音は藍を見た。
「謝罪は記録する。だが、必要なのは照合だ」
「承知しています」
木箱から旧記録を出す。
慧音はそれを見て、眉を動かした。
「これは古いな」
「縁目会の旧記録です」
「外部委託の記録か」
藍は少し驚いた。
「知っていたのですか」
「噂程度だ。昔、人里の外で道案内をしていた者たちがいた。八雲の札を持っていたという話もある」
妹紅が言う。
「そういう連中が、今は料金所を開いてるわけか」
霊夢が腕を組む。
「幻想郷は商売の種ばかりね」
魔理沙が笑う。
「道、水、名前。次は空気かもな」
「やめなさい」
慧音は地図の一点を指した。
「ここを見ろ。人里北口から博麗神社へ向かう旧道だ。今は使っていないが、猫道と重なっている」
橙が身を乗り出す。
「ここ、猫たちがよく通る!」
「人間には廃道でも、猫には現役ということだ」
藍はその言葉を台帳へ書き込んだ。
**旧道。人間用として廃止。猫道として現役。**
橙が嬉しそうに尻尾を揺らす。
慧音は別の場所を指す。
「命蓮寺へ向かう荷車道。ここは近年、少しずつ道がずれている。前の水利抗争で水路が変わった影響もある」
藍は頷く。
「縁目会の札が貼られれば、荷が同じ坂を回り続ける可能性があります」
「すでに起きている」
霊夢が言った。
「白蓮が怒ってたわよ。荷が寺に届かないって」
慧音はさらに地図を開く。
「竹林の救急路。永遠亭へ患者を運ぶ時だけ使う道だ。これは人里側でも詳しく知らない者が多い」
藍は旧記録を見た。
そこにも同じ道がある。
ただし、備考欄にこう書かれていた。
**案内人立会い時のみ通行可。縁目会管理。**
藍の顔が険しくなる。
「この道も縁目会が知っている」
妹紅が舌打ちした。
「患者の道を売る気か」
「おそらく」
寺子屋の空気が重くなった。
橙が小さく言う。
「そんなの、だめだよ」
藍は頷いた。
「だめだ」
その時、外から鐘が鳴った。
道迷いを知らせる鐘。
妹紅が戸を開ける。
「またか」
外では、人里の者が走っていた。
「命蓮寺へ荷を運んだ連中が戻ってこない! 同じ道を回ってるらしい!」
続いて別の者が来る。
「竹林の入口に札が出た! 永遠亭への案内料を取るって!」
さらに、山の方から早苗が飛んでくる。
「妖怪の山の参道にも、偽の通行札が貼られています! 信徒の方が山の入口で戻されました!」
咲夜も現れた。
「紅魔館の門へ向かった使いが、霧の湖の反対側へ出ました。お嬢様がお怒りです」
霊夢は額に手を当てた。
「いっぺんに来たわね」
魔理沙は笑っていない。
「縁目会、本格的に動き出したな」
藍は地図を見た。
人里。
命蓮寺。
竹林。
妖怪の山。
紅魔館。
偽札の位置を線で結ぶ。
それは偶然ではなかった。
幻想郷の主要な道の要所が、同時に押さえられている。
藍は低く言った。
「これは挨拶ではない」
霊夢が聞く。
「何」
「宣戦布告です」
寺子屋の机の上で、八雲の台帳と人里の道の記録が重なった。
そこへ橙が猫道の紙片を置く。
細い線が、主要道の隙間を走る。
藍はそれを見た。
人間の道では足りない。
八雲の台帳でも足りない。
猫道も、荷車道も、救急路も、参道も、獣道も、全部合わせなければ、縁目会には届かない。
藍は静かに言った。
「境界台帳を作り直します」
慧音が顔を上げる。
「八雲の台帳を?」
「はい」
「人里の記録も入れるか」
「入れます」
橙が言う。
「猫道も?」
「入れる」
早苗が続ける。
「山道も必要です」
「入れます」
咲夜が静かに言う。
「紅魔館周辺の通行線も、必要な範囲で提供します」
「お願いします」
霊夢は藍を見た。
「本気ね」
「はい」
「紫は怒らない?」
藍は少しだけ間を置いた。
「怒られたら、後で謝ります」
魔理沙が笑った。
「藍も言うようになったな」
藍は地図の上に手を置いた。
八雲一家の台帳。
人里の道の記録。
猫道。
山道。
荷車道。
救急路。
館への道。
それぞれの線が、一本の地図になり始める。
「道は、八雲だけのものではありません」
藍は言った。
「通る者、待つ者、帰る場所。その全てを見なければ、境界は守れない」
外では、また鐘が鳴っている。
縁目会は道を売り始めた。
八雲一家は、道を取り戻さなければならない。
ただし、今度は一人で隠して守るのではない。
複数の記録を重ねて、道を戻す。
藍は橙を見た。
「橙、猫たちを集めろ。小さな道から調べる」
「うん!」
霊夢は御札を取り出した。
「私は参道と人里の北口を見る。料金所を見つけたら壊す」
「生け捕りでお願いします」
「努力する」
妹紅が笑った。
「その努力は信用できないな」
「そっちに言われたくないわ」
慧音は筆を持ち直した。
「記録する。道が戻るまで、すべて」
藍は頷いた。
「お願いします」
寺子屋の戸が開かれた。
外の道は、まだ少し歪んでいる。
けれど、戻すための線は見え始めていた。
八雲札の抗争は、ここから本格的に動き出す。