東方無頼郷「幻想郷に善人はいない」   作:たこ焼き 龍月

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第一章 八雲札

 

 

 博麗神社の参道は、朝からねじれていた。

 

 石段はいつも通りそこにある。

 鳥居もある。

 賽銭箱もある。

 風に揺れる木々も、落ち葉の積もった脇道も、見慣れたままだ。

 

 だが、道だけが違っていた。

 

 石段を上がっているはずの商人が、いつの間にか石段の下に戻っている。

 鳥居をくぐったはずの参拝客が、社務所の裏に出てくる。

 神社の裏手を抜けようとした妖精が、何度も同じ木の枝にぶつかって怒っている。

 

 そして、賽銭箱の前には一枚の札が貼られていた。

 

 黄色がかった紙。

 紫色の線。

 八雲の印に似せた偽の紋。

 

 その横には、小さな立て札。

 

 **八雲境界通行所**

 **安全参拝料 一人五文**

 

 博麗霊夢は、それを無言で見ていた。

 

 沈黙が長い。

 

 霧雨魔理沙は、隣で笑うのをこらえていた。

 

「おい霊夢。ついに賽銭箱より先に料金所ができたな」

 

 霊夢は答えない。

 

「これは新しい商売だぜ。参拝料と賽銭、二重取りだ」

 

 霊夢はまだ答えない。

 

「いや、でもこれ、八雲の取り分なのか? 神社の境内で八雲が通行料を取るって、なかなかの縄張り荒らしだな」

 

 霊夢がようやく口を開いた。

 

「魔理沙」

 

「なんだ」

 

「黙らないと、あんたから五文取るわよ」

 

「私が悪かった」

 

 魔理沙は一歩下がった。

 

 霊夢は札へ手を伸ばした。

 

 指先が札に触れる。

 

 その瞬間、空間がぬるりと歪んだ。

 

 札はそこにある。

 だが、掴めない。

 

 手は札を通り抜けたようで、同時に違う場所へ滑る。

 霊夢の指先は、なぜか賽銭箱の裏側に触れていた。

 

 霊夢の額に、薄く青筋が浮かぶ。

 

「……面倒な貼り方してるわね」

 

 魔理沙が近づく。

 

「剥がせないのか」

 

「剥がせないんじゃない。剥がす場所がずれてる」

 

「どういう意味だ」

 

「札はここに見えてるけど、貼られてる境界が少し外れてる。手で剥がすには、貼られてる側の道に入らないと駄目」

 

「つまり?」

 

「むかつく」

 

「説明が雑だな」

 

 霊夢は御札を出した。

 

 本物の博麗の札。

 

 偽の八雲札の上に重ねる。

 

 すると、偽札の周囲の空気が細かく震えた。

 参道が一瞬だけ二つに割れて見える。

 

 一つは普通の道。

 もう一つは、同じ場所をぐるぐる回る道。

 

 通行料を払わない者は、後者へ流される。

 

 魔理沙は口笛を吹いた。

 

「ひでえ仕掛けだな。道に迷わせて、金を払った奴だけ正解に戻すのか」

 

「商売としては最低ね」

 

「でも技術は高い」

 

「だから余計にむかつく」

 

 その時、石段の下から足音がした。

 

 八雲藍だった。

 

 後ろには橙と数匹の猫。

 藍の手には境界台帳、橙の手には猫道で見つけた札の束がある。

 

 藍は鳥居の前で一礼した。

 

「霊夢殿。参道の件、八雲一家として謝罪いたします」

 

 霊夢は腕を組んだ。

 

「謝るの早いわね」

 

「八雲の名が使われています。言い逃れはしません」

 

「紫じゃなくて、あんたが来たの」

 

「今回は私が処理します」

 

 魔理沙が小さく言った。

 

「藍がこういう顔してる時は、だいたい紫が何か隠してる時だぜ」

 

 藍は否定しなかった。

 

「その通りだ」

 

 魔理沙が少し驚いた。

 

「認めるのか」

 

「認めなければ始まらない」

 

 藍は賽銭箱の前の偽札を見た。

 

 すぐに顔色が変わる。

 

「旧式八雲札の形式にかなり近い」

 

 霊夢が言った。

 

「本物?」

 

「違います」

 

「じゃあ偽物」

 

「偽物です。ただし、ただの偽物ではありません」

 

「それ、昨日も聞いた」

 

 橙が札の束を机のような石の上に並べた。

 

「猫道にもいっぱいあったよ。塀の上、祠の裏、木の枝、屋根のすき間。猫たちが通れなくなってた」

 

 霊夢は橙を見る。

 

「猫道まで?」

 

「うん。人間には見えない道も塞いでる」

 

 藍は橙の集めた札を一枚ずつ確かめた。

 

「貼り方が違う。参道の札は人間の通行用。猫道の札は、小型妖怪や獣の通行をずらすためのものだ」

 

 魔理沙が眉をひそめる。

 

「そんな細かい道まで売る気か?」

 

 橙は不満そうに言った。

 

「猫道は売り物じゃない」

 

 その言葉に、藍は少しだけ橙を見た。

 

 そして小さく頷く。

 

「ああ。売り物ではない」

 

 霊夢は藍に向き直った。

 

「で、誰がやってるの」

 

「縁目会」

 

 藍は台帳を開いた。

 

「かつて八雲一家の外部協力者として、古い道や危険な境界の監視を任されていた者たちです」

 

「外部協力者?」

 

「迷い道の案内、廃道の封鎖、無縁塚周辺の境界監視、地底への危険な抜け道の見張りなどを行っていました」

 

「今は?」

 

「廃止された、と記録されています」

 

 魔理沙が笑った。

 

「廃止された連中が、今度は勝手に店を開いたわけだ」

 

 霊夢は冷たく言った。

 

「八雲の後始末じゃない」

 

 藍は深く頭を下げた。

 

「その通りです」

 

 霊夢は少し黙った。

 

 謝罪はされた。

 

 だが、怒りは消えない。

 

 神社の参道に勝手な札を貼られた。

 賽銭箱の前に通行料の看板を置かれた。

 参拝者が迷わされた。

 

 しかも、八雲の古い処理が原因らしい。

 

 霊夢は札を指差した。

 

「剥がせる?」

 

「剥がします。ただし、順番を間違えると参道が一時的に閉じます」

 

「どれくらい」

 

「短くて半日。長ければ、博麗神社への道が数日ほど不安定になります」

 

「最悪ね」

 

「申し訳ありません」

 

「謝るのはいいから、直しなさい」

 

 藍は台帳をめくった。

 

「参道の基準点を確認します。霊夢殿、この道の本来の起点はどこですか」

 

「人里の北口」

 

「終点は」

 

「この賽銭箱」

 

「鳥居ではなく?」

 

「参拝客は鳥居を目的に来るんじゃないわ」

 

 魔理沙が笑った。

 

「本音が出たな」

 

 霊夢は平然と言った。

 

「神社の道は賽銭箱へ通じるものよ」

 

 藍は真面目に頷いた。

 

「では、賽銭箱を終点として補正します」

 

「真面目に受け取られると困るわね」

 

 藍は札の周囲に術式を展開した。

 

 参道の空気が波打つ。

 

 橙が猫たちへ合図を出す。

 

「そっちは通らないで! 戻ってくる道がずれてる!」

 

 猫たちは一斉に離れた。

 

 藍は偽札の上に、八雲の本物の符を重ねる。

 

 すると、偽札の紫線が浮かび上がった。

 線は参道へ伸び、人里側、鳥居側、賽銭箱側、さらに裏の獣道へ分かれている。

 

 道が、糸のように見えた。

 

 魔理沙は目を細める。

 

「おお。普段は見えない道ってやつか」

 

「正確には、通行可能性の境界です」

 

「難しく言うな。道でいいだろ」

 

「道です」

 

 霊夢が聞く。

 

「どこが歪んでるの」

 

 藍は一本の糸を指した。

 

「ここです。本来、人里から博麗神社へ向かう道は一本の流れとして繋がっている。だが、偽札によって途中に分岐が作られています。通行料を払った者だけが本来の道へ戻る」

 

「払わないと?」

 

「同じ地点へ戻る」

 

「やっぱり最低ね」

 

 藍はもう一枚の札を取り出した。

 

「これを逆符として使います。霊夢殿、博麗の札を終点に置いてください。魔理沙殿は、糸が乱れたら光で固定を」

 

「雑に使うなあ」

 

「あなたは器用です」

 

「褒められると断れないな」

 

 霊夢は賽銭箱の前に札を置いた。

 

「私の神社なんだから、私が終点を決めるわよ」

 

 藍は頷く。

 

「始めます」

 

 偽八雲札が震えた。

 

 参道が二重に見える。

 

 普通の道。

 戻される道。

 払った者だけが通る道。

 猫道。

 裏参道。

 古い獣道。

 

 それらが重なり合い、絡んでいる。

 

 藍は指先で糸をほどいた。

 

 一本ずつ。

 

 力任せではない。

 紫のように境界を裂くのではなく、実務者の手つきで、絡んだ帳面を解くように。

 

 橙は猫たちを追い、細い猫道の歪みを知らせる。

 

「藍さま、そこの細い道、まだ戻ってない!」

 

「位置は」

 

「祠の裏から、石段の三段目!」

 

「分かった」

 

 藍は札を一枚追加した。

 

 魔理沙が光で糸の揺れを押さえる。

 

「おっと、こっちも暴れてるぜ」

 

「そのまま固定を」

 

「はいはい」

 

 霊夢は賽銭箱の前で腕を組み、道が戻るのを見ていた。

 

 やがて、偽札の紫線が剥がれた。

 

 札はただの紙になり、地面へ落ちる。

 

 参道の空気が、ふっと軽くなった。

 

 石段の下にいた商人が、恐る恐る足を踏み出す。

 

 今度は戻されない。

 

 鳥居をくぐり、賽銭箱の前へ来る。

 

 商人はほっと息を吐き、霊夢に頭を下げた。

 

「助かりました」

 

 霊夢は賽銭箱を指差した。

 

「感謝は形で」

 

 商人は困った顔で五文を出した。

 

 魔理沙が笑う。

 

「結局、霊夢が取ったな」

 

「通行料じゃない。賽銭よ」

 

 藍は落ちた偽札を拾った。

 

 その裏に、小さな文字があった。

 

 **縁目会 仮札甲三号**

 

 藍の顔が険しくなる。

 

「試作品ではない。番号管理されています」

 

 霊夢が言った。

 

「つまり、大量にある」

 

「はい」

 

 橙が札束を持ち上げる。

 

「猫道のは、乙二号って書いてある」

 

 魔理沙が帽子を直す。

 

「人間用、猫用、獣道用。商売熱心だな」

 

 藍は台帳へ札の番号を書き写した。

 

「博麗参道だけではない。すでに用途別に札がある。縁目会は、幻想郷中の道を分類している」

 

「八雲みたいに?」

 

 橙が聞いた。

 

 藍は少しだけ沈黙した。

 

「そうだ。八雲の真似をしている」

 

 霊夢はその沈黙を見逃さなかった。

 

「真似されるだけの資料があったってことね」

 

「旧式台帳の断片が流出している可能性があります」

 

「可能性?」

 

 藍は唇を引き結んだ。

 

「確認します」

 

「紫に?」

 

「はい」

 

 霊夢は手を振った。

 

「じゃあ行きなさい。私は慧音のところへ行く。人里の道まで狂ってるなら、人里の古い道の記録が必要でしょ」

 

「助かります」

 

「助けてるんじゃないわ。神社の参道に料金所を置かれた借りを返させるだけ」

 

「承知しました」

 

 藍は頭を下げ、橙とともに境内を出た。

 

 参道は戻った。

 

 しかし、それは一箇所だけだ。

 

 人里。

 命蓮寺。

 妖怪の山。

 竹林。

 霧の湖。

 白玉楼。

 地底。

 

 ほかの道はまだ歪んでいる。

 

   *

 

 八雲の屋敷に戻ると、紫は縁側で茶を飲んでいた。

 

 藍はその前に偽札を並べた。

 

 甲三号。

 乙二号。

 猫道用。

 参道用。

 獣道用。

 

 紫はそれを見て、目を細めた。

 

「ずいぶん増えたわね」

 

「他人事のように言わないでください」

 

「他人事ではないわ」

 

「なら、話してください」

 

 藍は境界台帳を開いた。

 

「縁目会に渡した台帳の範囲。旧式八雲札の写し。廃止時の処理。記録抹消の有無。すべてです」

 

 紫は茶を置いた。

 

「藍」

 

「はい」

 

「あなた、今日は強いわね」

 

「弱くしている余裕がありません」

 

 紫は少しだけ笑った。

 

 だが、すぐに表情を消した。

 

「縁目会は、昔、必要だった」

 

「それは聞きました」

 

「境界のほつれが多かった時代、人も妖怪も頻繁に迷った。人里の外へ出たまま戻らない者。山道で別の場所へ出る商人。地底へ落ちる子供。無縁塚から戻れない妖怪」

 

 紫は庭を見る。

 

「私一人で全てを見るには、道が多すぎた。だから、案内人を置いた」

 

「その案内人が縁目会」

 

「ええ。彼らは道を知っていた。危険な境界を見張り、必要な者を通し、危険な者を止めた」

 

「なぜ切ったのですか」

 

「境界を商売にし始めたから」

 

 藍は黙った。

 

 紫は続ける。

 

「最初は謝礼だった。迷った者を里へ戻して米をもらう。危険な道を塞いで酒をもらう。その程度なら見逃した」

 

「それが通行料になった」

 

「ええ。安全な道を通す代わりに金を取る。危険な道をわざと残す。通れる道を隠す。いつしか、道そのものが彼らの商品になった」

 

 藍の目が鋭くなる。

 

「その時点で処理したのですね」

 

「処理したわ」

 

「どのように」

 

 紫は少し黙った。

 

「縁目会を解散させた。古い札を回収し、台帳を閉じ、危険な道を八雲側へ戻した」

 

「全て?」

 

 紫は答えない。

 

 藍は理解した。

 

「全てではなかったのですね」

 

「いくつかの写しが消えた。案内人の一部も、姿を消した」

 

「なぜ台帳に記録されていないのですか」

 

「記録すれば、その道が残る」

 

「記録しなかったから、今こうなっています」

 

 藍の声は静かだった。

 

 紫は藍を見る。

 

「そうね」

 

 その一言は、珍しく言い訳を含んでいなかった。

 

 藍は少しだけ息を吐いた。

 

「紫様。私は、あなたの処理を疑いたいわけではありません」

 

「ええ」

 

「ですが、境界を隠すことと、記録から消すことは違います」

 

 紫は何も言わない。

 

「隠して守るなら、少なくとも八雲一家の中には残すべきでした。私にも、橙にも」

 

「橙にはまだ早いわ」

 

「橙の猫道まで売られています」

 

 紫の表情がかすかに変わる。

 

 藍は続けた。

 

「大きな境界だけが境界ではありません。人里の子供が帰る道も、猫が通る塀の上も、命蓮寺へ荷が届く坂も、患者が永遠亭へ向かう竹林の細道も、すべて境界です」

 

「藍」

 

「紫様が見ない道も、幻想郷の道です」

 

 庭の空気が止まった。

 

 紫はしばらく藍を見つめていた。

 

 やがて、ゆっくり扇を閉じる。

 

「あなたにそこまで言われる日が来るとはね」

 

「申し訳ありません」

 

「謝る必要はないわ」

 

 紫は立ち上がった。

 

 隙間を開く。

 

 その中から、古い木箱が現れた。

 

 箱の中には、さらに古い紙束がある。

 

「縁目会の旧記録よ」

 

 藍は目を見開いた。

 

「残っていたのですか」

 

「ええ。完全に消すほど、私は綺麗好きではないわ」

 

「なら、なぜ今まで」

 

「開けると、面倒なものが出るから」

 

「今、出ています」

 

「そうね」

 

 紫は木箱を藍へ渡した。

 

「これで縁目会の使っている札の根が分かるはず」

 

 藍は木箱を受け取った。

 

 重い。

 

 紙の重さではない。

 隠されてきた道の重さだった。

 

「ありがとうございます」

 

「藍」

 

「はい」

 

「縁目会の頭目、霞堂縁吏には気をつけなさい」

 

「ご存じなのですね」

 

「昔、道の声を聞ける案内人だった。境界のほつれを見つけるのが上手かった」

 

「なぜ彼が頭目に」

 

「道を知りすぎた者は、時々、道を自分のものだと思う」

 

 藍は木箱を抱えた。

 

「境界は、片側のものではありません」

 

 紫は少しだけ微笑んだ。

 

「もうその答えに着いたのね」

 

「まだです。言葉にしただけです」

 

「なら、確かめてきなさい」

 

 藍は一礼し、部屋を出た。

 

 廊下の先で、橙が待っていた。

 

「藍さま」

 

「橙。次は人里へ行く。慧音殿の道の記録と照合する」

 

「猫たちも?」

 

「もちろんだ」

 

 橙は嬉しそうに笑った。

 

「猫道も台帳に入れる?」

 

 藍は少し考えた。

 

 今までなら、笑って流したかもしれない。

 

 だが、今は違う。

 

「ああ。入れる」

 

 橙の目が輝いた。

 

「ほんと?」

 

「ただし、売買禁止の緊急連絡路としてだ」

 

「売らないよ。道は帰るためにあるんだから」

 

 藍は頷いた。

 

「その通りだ」

 

   *

 

 人里では、慧音がすでに古い道の記録を広げていた。

 

 寺子屋の机には、人里周辺の地図が何枚も並べられている。

 

 古い参道。

 廃道。

 荷車道。

 火除け道。

 寺へ向かう道。

 神社へ向かう道。

 かつて使われ、今は使われていない道。

 

 妹紅は戸口に立ち、外を見張っていた。

 

「また大きな帳面か」

 

 魔理沙が呟く。

 

 慧音は筆を走らせながら言った。

 

「道は記録しなければ消える。消えた道は、誰かに勝手に使われる」

 

 藍は頭を下げた。

 

「慧音殿。八雲一家の旧記録と、人里の道の記録を照合したい」

 

「ようやく八雲の台帳が出るか」

 

 慧音の声には皮肉が混じっていた。

 

 藍はそれを受けた。

 

「遅くなりました」

 

 慧音は藍を見た。

 

「謝罪は記録する。だが、必要なのは照合だ」

 

「承知しています」

 

 木箱から旧記録を出す。

 

 慧音はそれを見て、眉を動かした。

 

「これは古いな」

 

「縁目会の旧記録です」

 

「外部委託の記録か」

 

 藍は少し驚いた。

 

「知っていたのですか」

 

「噂程度だ。昔、人里の外で道案内をしていた者たちがいた。八雲の札を持っていたという話もある」

 

 妹紅が言う。

 

「そういう連中が、今は料金所を開いてるわけか」

 

 霊夢が腕を組む。

 

「幻想郷は商売の種ばかりね」

 

 魔理沙が笑う。

 

「道、水、名前。次は空気かもな」

 

「やめなさい」

 

 慧音は地図の一点を指した。

 

「ここを見ろ。人里北口から博麗神社へ向かう旧道だ。今は使っていないが、猫道と重なっている」

 

 橙が身を乗り出す。

 

「ここ、猫たちがよく通る!」

 

「人間には廃道でも、猫には現役ということだ」

 

 藍はその言葉を台帳へ書き込んだ。

 

 **旧道。人間用として廃止。猫道として現役。**

 

 橙が嬉しそうに尻尾を揺らす。

 

 慧音は別の場所を指す。

 

「命蓮寺へ向かう荷車道。ここは近年、少しずつ道がずれている。前の水利抗争で水路が変わった影響もある」

 

 藍は頷く。

 

「縁目会の札が貼られれば、荷が同じ坂を回り続ける可能性があります」

 

「すでに起きている」

 

 霊夢が言った。

 

「白蓮が怒ってたわよ。荷が寺に届かないって」

 

 慧音はさらに地図を開く。

 

「竹林の救急路。永遠亭へ患者を運ぶ時だけ使う道だ。これは人里側でも詳しく知らない者が多い」

 

 藍は旧記録を見た。

 

 そこにも同じ道がある。

 

 ただし、備考欄にこう書かれていた。

 

 **案内人立会い時のみ通行可。縁目会管理。**

 

 藍の顔が険しくなる。

 

「この道も縁目会が知っている」

 

 妹紅が舌打ちした。

 

「患者の道を売る気か」

 

「おそらく」

 

 寺子屋の空気が重くなった。

 

 橙が小さく言う。

 

「そんなの、だめだよ」

 

 藍は頷いた。

 

「だめだ」

 

 その時、外から鐘が鳴った。

 

 道迷いを知らせる鐘。

 

 妹紅が戸を開ける。

 

「またか」

 

 外では、人里の者が走っていた。

 

「命蓮寺へ荷を運んだ連中が戻ってこない! 同じ道を回ってるらしい!」

 

 続いて別の者が来る。

 

「竹林の入口に札が出た! 永遠亭への案内料を取るって!」

 

 さらに、山の方から早苗が飛んでくる。

 

「妖怪の山の参道にも、偽の通行札が貼られています! 信徒の方が山の入口で戻されました!」

 

 咲夜も現れた。

 

「紅魔館の門へ向かった使いが、霧の湖の反対側へ出ました。お嬢様がお怒りです」

 

 霊夢は額に手を当てた。

 

「いっぺんに来たわね」

 

 魔理沙は笑っていない。

 

「縁目会、本格的に動き出したな」

 

 藍は地図を見た。

 

 人里。

 命蓮寺。

 竹林。

 妖怪の山。

 紅魔館。

 

 偽札の位置を線で結ぶ。

 

 それは偶然ではなかった。

 

 幻想郷の主要な道の要所が、同時に押さえられている。

 

 藍は低く言った。

 

「これは挨拶ではない」

 

 霊夢が聞く。

 

「何」

 

「宣戦布告です」

 

 寺子屋の机の上で、八雲の台帳と人里の道の記録が重なった。

 

 そこへ橙が猫道の紙片を置く。

 

 細い線が、主要道の隙間を走る。

 

 藍はそれを見た。

 

 人間の道では足りない。

 八雲の台帳でも足りない。

 猫道も、荷車道も、救急路も、参道も、獣道も、全部合わせなければ、縁目会には届かない。

 

 藍は静かに言った。

 

「境界台帳を作り直します」

 

 慧音が顔を上げる。

 

「八雲の台帳を?」

 

「はい」

 

「人里の記録も入れるか」

 

「入れます」

 

 橙が言う。

 

「猫道も?」

 

「入れる」

 

 早苗が続ける。

 

「山道も必要です」

 

「入れます」

 

 咲夜が静かに言う。

 

「紅魔館周辺の通行線も、必要な範囲で提供します」

 

「お願いします」

 

 霊夢は藍を見た。

 

「本気ね」

 

「はい」

 

「紫は怒らない?」

 

 藍は少しだけ間を置いた。

 

「怒られたら、後で謝ります」

 

 魔理沙が笑った。

 

「藍も言うようになったな」

 

 藍は地図の上に手を置いた。

 

 八雲一家の台帳。

 人里の道の記録。

 猫道。

 山道。

 荷車道。

 救急路。

 館への道。

 

 それぞれの線が、一本の地図になり始める。

 

「道は、八雲だけのものではありません」

 

 藍は言った。

 

「通る者、待つ者、帰る場所。その全てを見なければ、境界は守れない」

 

 外では、また鐘が鳴っている。

 

 縁目会は道を売り始めた。

 

 八雲一家は、道を取り戻さなければならない。

 

 ただし、今度は一人で隠して守るのではない。

 

 複数の記録を重ねて、道を戻す。

 

 藍は橙を見た。

 

「橙、猫たちを集めろ。小さな道から調べる」

 

「うん!」

 

 霊夢は御札を取り出した。

 

「私は参道と人里の北口を見る。料金所を見つけたら壊す」

 

「生け捕りでお願いします」

 

「努力する」

 

 妹紅が笑った。

 

「その努力は信用できないな」

 

「そっちに言われたくないわ」

 

 慧音は筆を持ち直した。

 

「記録する。道が戻るまで、すべて」

 

 藍は頷いた。

 

「お願いします」

 

 寺子屋の戸が開かれた。

 

 外の道は、まだ少し歪んでいる。

 

 けれど、戻すための線は見え始めていた。

 

 八雲札の抗争は、ここから本格的に動き出す。

 

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