東方無頼郷「幻想郷に善人はいない」   作:たこ焼き 龍月

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第二章 藍の境界台帳

 

 

 八雲藍は、古い木箱を開けた。

 

 八雲の屋敷の奥。

 障子の向こうには庭があるが、その庭が本当に屋敷の外にあるのか、それとも隙間の内側に置かれた景色なのか、藍にも時々分からなくなる。

 

 畳の上には、何冊もの台帳が並んでいた。

 

 八雲境界台帳。

 人里道筋控。

 旧式境界札管理簿。

 廃道封鎖記録。

 外部協力者一覧。

 そして、木箱の底から出てきた、紙紐で縛られた古い帳面。

 

 表紙には薄く、こう書かれている。

 

 **縁目会委託控**

 

 藍は、しばらくその文字を見つめていた。

 

 橙は隣で正座している。

 ただし、じっとしているのが苦手らしく、耳だけが忙しく動いていた。

 

「藍さま、これ全部読むの?」

 

「ああ」

 

「今から?」

 

「今からだ」

 

「……ご飯は?」

 

「後だ」

 

 橙は少ししょんぼりした。

 

 藍はそれを見て、ため息をついた。

 

「読むのは私がやる。橙は、猫たちから集めた道の位置を整理してくれ」

 

「うん!」

 

 橙はすぐに元気を取り戻し、小さな紙片を広げた。

 

 そこには、猫たちが見つけた偽札の場所が書かれている。

 

 塀の上。

 祠の裏。

 屋根の端。

 竹やぶの抜け穴。

 人里北口の古い側溝。

 博麗神社の裏参道。

 命蓮寺の軒下を通る小道。

 

 人間なら道と呼ばない場所ばかりだった。

 

 しかし、猫にとっては道だ。

 

 藍はそれを見て、静かに頷いた。

 

「やはり、縁目会は小道まで押さえている」

 

「大きな道だけじゃないんだね」

 

「大きな道を封じれば、人は困る。小さな道を封じれば、情報が止まる」

 

「情報?」

 

「猫、妖精、小さな妖怪、使い走り。そういう者たちは、人間の道を通らない。だが、彼らが動けなくなると、異変の気配が届かなくなる」

 

 橙は少し考えた。

 

「じゃあ、猫道って大事なんだ」

 

「大事だ」

 

 藍は即答した。

 

 橙は嬉しそうに尻尾を揺らした。

 

「じゃあ、ちゃんと台帳に入れてね」

 

「入れる」

 

 藍は筆を取り、新しい紙に見出しを書いた。

 

 **小通行路・猫道・緊急連絡路**

 

 それを書いた瞬間、藍は自分でも少し驚いた。

 

 これまでの八雲台帳には、そんな項目はなかった。

 

 境界は、大きなものとして扱われてきた。

 

 人里と妖怪の山。

 地上と地底。

 幻想郷と外。

 生者と死者。

 湖畔と紅魔館。

 神社と人里。

 

 だが、本当はその間にも、無数の細い線がある。

 

 人が通らない道。

 猫だけが知る塀の上。

 子供だけが使う抜け道。

 薬を運ぶための竹林の細道。

 荷車が曲がるための小さな広場。

 

 それらも、境界だった。

 

 紫は大きな境界を見る。

 藍は台帳を見る。

 橙は小さな道を走る。

 

 ならば、三つを重ねなければならない。

 

 藍は古い帳面を開いた。

 

 乾いた紙の匂いが立つ。

 

 最初の頁には、縁目会の名簿があった。

 

 霞堂縁吏。

 灰津道玄。

 細見路子。

 曲戸七兵衛。

 霧坂案内衆。

 無縁塚見張番。

 地底口封鎖役。

 

 多くは、今どこにいるのか分からない。

 

 一部には、赤い線で「解任」と書かれている。

 一部には「行方不明」。

 一部には「八雲札返却済」。

 そして、いくつかには何も書かれていなかった。

 

 藍はその空欄を見て、眉を寄せた。

 

「返却記録がない」

 

 橙が覗き込む。

 

「何が?」

 

「旧式境界札だ。縁目会へ渡した仮札のうち、いくつかが戻っていない」

 

「それで偽物を作ったの?」

 

「おそらく、写しを取ったのだろう。あるいは、札そのものを使って型を残した」

 

 藍は別の頁をめくった。

 

 そこには、縁目会へ委託した道が一覧で記されていた。

 

 人里北口旧参道。

 博麗裏参道補助線。

 命蓮寺荷車道。

 竹林臨時救急路。

 無縁塚裏通行。

 地底縦穴旧封鎖線。

 霧の湖東岸迂回線。

 白玉楼冥界道仮接続。

 

 藍の手が止まった。

 

 橙がその顔を見る。

 

「藍さま?」

 

「多すぎる」

 

「多いの?」

 

「ああ」

 

 藍は低く言った。

 

「これだけの道を知っているなら、縁目会は幻想郷の行き来をかなり握れる」

 

 橙は尻尾を丸めた。

 

「だから、みんな迷わせられるの?」

 

「そうだ」

 

 道を売るには、まず道を知っていなければならない。

 そして、道を知るには、誰かが教えた記録がいる。

 

 その記録が、今ここにある。

 

 八雲一家の古い帳面として。

 

 藍は、胸の奥に重いものを感じた。

 

 縁目会は勝手に生まれた敵ではない。

 

 八雲一家の過去から出てきた敵だ。

 

 紫が隠した。

 台帳から消した。

 使わなくなった。

 だが、道は消えなかった。

 

 道を知る者も、消えなかった。

 

 藍は筆を握り直した。

 

「橙」

 

「うん」

 

「これから言う道を、猫たちの記録と照合してくれ」

 

「分かった」

 

「人里北口旧参道」

 

「ある。さっき子供が迷ったところ」

 

「博麗裏参道補助線」

 

「猫道と重なってる。賽銭箱の裏に出る道」

 

「命蓮寺荷車道」

 

「猫はあんまり使わないけど、軒下の小道と近い」

 

「竹林臨時救急路」

 

「竹の匂いが強い道。猫たちは嫌がってた」

 

「霧の湖東岸迂回線」

 

「チルノが氷でふさいだことある道?」

 

「……それも記録しておこう」

 

 橙は嬉しそうに紙へ書き込んだ。

 

 藍は少しだけ口元を緩めた。

 

 だが、その表情はすぐに戻る。

 

 帳面の後半に、別の紙が挟まれていた。

 

 新しいものではない。

 しかし、他の頁よりも傷みが少ない。

 

 そこには、見慣れない記号が書かれている。

 

 **通行価値見積**

 

 藍の目が鋭くなった。

 

 頁をめくる。

 

 道の一覧の横に、数字が並んでいた。

 

 博麗参道、一日平均通行者。

 命蓮寺荷車道、月間荷数。

 竹林救急路、緊急時価値高。

 山道信仰路、季節変動あり。

 紅魔館湖畔線、警備価値高。

 白玉楼冥界道、特殊需要あり。

 

 道に値段がつけられていた。

 

 橙が紙を見て、顔をしかめる。

 

「これ、なに?」

 

「道を商売として見た記録だ」

 

「道に値段?」

 

「そうだ」

 

「変なの」

 

 橙は即座に言った。

 

「道は値段じゃないよ。帰れるかどうかだよ」

 

 藍はその言葉を聞いて、少しだけ目を伏せた。

 

「その通りだ」

 

 しかし、縁目会は違った。

 

 道を、通行者の数で見ている。

 荷の量で見ている。

 危険度で見ている。

 困った時にどれだけ金を払うかで見ている。

 

 これは単なる偽札作りではない。

 

 商売の帳面だ。

 

 境界の商売。

 

 藍は紙を抜き取り、別に置いた。

 

「これを霊夢殿と慧音殿に見せる」

 

「紫さまには?」

 

「もちろん見せる」

 

「怒られる?」

 

 藍は少し考えた。

 

「怒られるかもしれない」

 

「藍さまが?」

 

「私が」

 

「なんで?」

 

「開けるなと言われたものまで開けているからだ」

 

 橙は真顔で言った。

 

「でも、開けないと分からないよ」

 

 藍は橙を見た。

 

 そして、小さく笑った。

 

「そうだな」

 

   *

 

 八雲紫は、縁側で待っていた。

 

 茶は冷めている。

 

 それでも、紫は飲むでもなく、捨てるでもなく、湯呑みを指先で回していた。

 

 藍が古い帳面と抜き取った紙を持って現れると、紫は顔を上げた。

 

「見つけたのね」

 

「はい」

 

「やはり、嫌なものが出た?」

 

「かなり」

 

 藍は紫の前に、通行価値見積の紙を置いた。

 

 紫はそれを見た。

 

 その表情から、笑みが消えた。

 

「懐かしくないわね」

 

「ご存じでしたか」

 

「一部はね」

 

「これは、縁目会が作ったものですか」

 

「おそらく」

 

「八雲の委託中に?」

 

 紫は答えなかった。

 

 藍は続ける。

 

「道に値段をつけています。博麗参道、命蓮寺荷車道、竹林救急路、冥界道まで」

 

「ええ」

 

「縁目会は、昔から通行権を売る準備をしていた」

 

「最初はただの統計だった」

 

「道の利用頻度を調べることですか」

 

「危険な道から先に補修するためには、通行量が必要だった。人が多く通る道、荷が多い道、緊急時に使う道。そこを優先するのは間違っていない」

 

「しかし、それを値段に変えた」

 

「そう」

 

 紫は短く言った。

 

「そこから、彼らは道を見る目を変えた」

 

 藍は紫の前に座った。

 

「紫様。なぜ縁目会を完全に処理しなかったのです」

 

「完全に、とは?」

 

「台帳の回収。札の回収。関係者の確認。行方不明者の追跡。再発防止の記録」

 

 紫は少しだけ笑った。

 

「藍は本当に帳面が好きね」

 

「好き嫌いではありません」

 

「分かっているわ」

 

 紫は庭を見た。

 

「当時、幻想郷の境界は今より荒れていた。縁目会を切った後も、次の問題がすぐに来た。外とのほころび、山の境目、人里の拡張、無縁塚の流入、冥界道の不安定化」

 

「だから後回しにした」

 

「ええ」

 

「後回しにしたものが、今戻ってきています」

 

「そうね」

 

 藍は、紫をまっすぐ見た。

 

「紫様。今回は、私に任せてください」

 

「もう任せているわ」

 

「いいえ」

 

 藍は首を振った。

 

「後始末としてではなく、八雲一家の実務責任者として任せてください」

 

 紫は目を細めた。

 

「藍」

 

「私は、紫様の隠したものを処理するだけの式ではありません」

 

 空気が、わずかに震えた。

 

 橙が廊下の影で、息を止めている。

 

 藍は続けた。

 

「境界を守るために、隠すことは必要です。ですが、隠したものを誰も知らなければ、それは守りではなく放置になります」

 

 紫は黙っていた。

 

「縁目会は、その放置された道を売っています。なら、八雲一家のやり方を変えなければなりません」

 

 紫はようやく口を開いた。

 

「どう変えるの?」

 

「境界台帳を分けます」

 

「分ける?」

 

「八雲だけが知るべき境界と、関係勢力へ共有すべき道を分けます。人里の生活路、博麗参道、命蓮寺物流路、永遠亭救急路、守矢山道、紅魔館周辺路、白玉楼冥界道、地底連絡路。すべてを一冊に隠すのではなく、必要な範囲で共有する台帳を作ります」

 

「危険よ」

 

「承知しています」

 

「道は知られれば、使われる」

 

「知られなければ、勝手に売られます」

 

 紫は黙った。

 

 藍は言った。

 

「境界は、片側のものではありません」

 

 紫の表情が、少しだけ変わった。

 

 その言葉を聞くのは、二度目だった。

 

 だが、今の藍は前よりも深く、その意味を掴んでいる。

 

「通る者がいる。待つ者がいる。帰る場所がある。八雲が線を引くだけでは、もう足りません」

 

 紫は静かに扇を開いた。

 

「藍。あなたは、私から境界を取り上げたいの?」

 

「違います」

 

「では?」

 

「境界を、八雲一家だけの帳面から出したいのです」

 

 紫はその言葉を聞いて、しばらく黙っていた。

 

 長い沈黙だった。

 

 やがて、紫は小さく笑った。

 

「大きく出たわね」

 

「申し訳ありません」

 

「謝らないで。面白いわ」

 

「面白がることでは」

 

「私にとっては、面白いことよ」

 

 紫は藍へ、もう一つの小さな鍵を投げた。

 

 藍は受け取る。

 

「これは?」

 

「縁目会を解散させた時に封じた、旧境界札の本管理簿」

 

 藍は目を見開く。

 

「まだあったのですか」

 

「あるわよ。私は綺麗好きではないと言ったでしょう」

 

「なぜ今まで」

 

「あなたがここまで言うのを待っていた」

 

 藍は一瞬、言葉を失った。

 

「……試していたのですか」

 

「少しだけ」

 

「紫様」

 

「怒っていいわよ」

 

 藍は深く息を吐いた。

 

「怒るのは後にします」

 

「そうして」

 

 紫は柔らかく微笑んだ。

 

「行きなさい、藍。縁目会は、あなたを狙うわ」

 

「私を?」

 

「紫ではなく、藍が台帳を開くなら、縁目会にとって一番邪魔なのはあなたになる」

 

「望むところです」

 

「頼もしいわね」

 

 藍は立ち上がった。

 

 鍵を握りしめる。

 

「橙」

 

 廊下の影から橙が飛び出した。

 

「はい!」

 

「猫道の整理を続ける。次は命蓮寺の荷車道と、竹林の救急路を照合する」

 

「分かった!」

 

 橙は走り出しかけて、振り返った。

 

「紫さま」

 

「なあに?」

 

「藍さまを怒らせたらだめだよ」

 

 紫はくすりと笑った。

 

「覚えておくわ」

 

   *

 

 人里の寺子屋には、すでに関係者が集まっていた。

 

 霊夢、魔理沙、慧音、妹紅。

 命蓮寺からは村紗が来ている。

 永遠亭から鈴仙。

 守矢から早苗。

 紅魔館から咲夜。

 

 それぞれが、自分たちの道の異常を持ち寄っていた。

 

 村紗は苛立っている。

 

「命蓮寺の荷車が、同じ坂を三度上った。荷の米袋がひとつ破れて、寺の連中が怒ってる」

 

 早苗は山道の札を机に置いた。

 

「守矢の信徒が、山の入口で通行料を求められました。神奈子様がかなり怒っています」

 

 咲夜は静かに言った。

 

「紅魔館へ向かう来客が、霧の湖の北岸に出ました。お嬢様は“私の館を見世物小屋にするな”と」

 

 鈴仙も困った顔で続ける。

 

「竹林の救急路に案内札が出ています。患者さんが別の竹やぶへ誘導されかけました」

 

 妹紅が低く言う。

 

「それは笑えないな」

 

 藍は全てを聞き、台帳へ書き込んだ。

 

「縁目会は、主要道だけでなく、用途別の札を使っています。参道用、荷車道用、救急路用、小型通行路用。おそらく、次は特殊路に来ます」

 

 慧音が問う。

 

「特殊路とは」

 

「地底への連絡路、白玉楼への冥界道、無縁塚裏道などです」

 

 魔理沙が言う。

 

「どんどん嫌な道になるな」

 

 霊夢は藍を見た。

 

「で、八雲の台帳は出せるの?」

 

 部屋の空気が一瞬止まった。

 

 藍は懐から新しい紙束を出した。

 

「全ては出せません」

 

 霊夢の目が細くなる。

 

「またそれ?」

 

「全てを出せば、逆に危険です。ですが、関係する生活路、物流路、救急路、参道、連絡路については共有します」

 

 慧音が頷いた。

 

「十分だ。まずはそれで照合する」

 

 村紗が腕を組む。

 

「命蓮寺の荷車道も入るんだな」

 

「入ります」

 

 早苗が聞く。

 

「山道も?」

 

「入ります。ただし、守矢側の信仰路についても申告してください」

 

 早苗は少しだけ困った顔をした。

 

「神奈子様に確認します」

 

 咲夜が言う。

 

「紅魔館周辺は、すべて出すわけにはいきません」

 

「必要な範囲で構いません。通行制限がある場所、迷い込みが危険な場所、湖畔へ誤誘導されると困る場所だけでよい」

 

 咲夜は頷いた。

 

「その範囲なら」

 

 鈴仙も続ける。

 

「竹林の救急路は、永琳様の許可を取ります。ただ、患者用の道なので急ぎます」

 

 藍はすべてを書き留めた。

 

 慧音はそれを見て、静かに言った。

 

「八雲の台帳が、ようやく人里の机に乗ったな」

 

 藍は頭を下げた。

 

「遅すぎたかもしれません」

 

「遅い記録でも、無いよりはましだ」

 

 霊夢が言う。

 

「で、縁目会はどう出ると思う?」

 

 藍は地図を見た。

 

 札の位置を線で結ぶ。

 

 人里北口。

 博麗参道。

 命蓮寺荷車道。

 竹林救急路。

 山道入口。

 霧の湖東岸。

 

 線は、人里を囲むように配置されていた。

 

 藍の手が止まる。

 

「人里を閉じるつもりです」

 

 全員が黙った。

 

 妹紅が低く言った。

 

「閉じる?」

 

「完全にではありません。出られないわけではない。だが、正しい道を通るには札が必要な状態にする」

 

 霊夢が言った。

 

「人里全体を料金所にする気?」

 

「おそらく、最初の大きな取引材料です。人里の出入りを不安定にし、八雲一家へ境界通行権の一部を認めさせる」

 

 村紗が吐き捨てる。

 

「道を人質か」

 

 鈴仙が青ざめる。

 

「患者さんが出たら」

 

 早苗も表情を硬くする。

 

「山の信徒も動けません」

 

 咲夜は静かにナイフを取り出しかけ、すぐにしまった。

 

「お嬢様へ急ぎ伝える必要がありますね」

 

 慧音は筆を置いた。

 

「人里の古い道をすべて開く。公式の道だけでは足りない」

 

 橙が手を上げる。

 

「猫道も使えるよ!」

 

 妹紅は橙を見る。

 

「人間が通れるのか?」

 

「がんばれば」

 

「がんばる道は道なのか?」

 

「猫には道だよ」

 

 藍は言った。

 

「橙の猫道は、緊急連絡に使います。人間用ではなく、情報用です」

 

 橙は胸を張った。

 

「任せて!」

 

 霊夢は立ち上がった。

 

「じゃあ、やることは決まりね。縁目会が人里を閉じる前に、こっちで道を開ける」

 

 魔理沙が箒を担ぐ。

 

「道の開け合いか。地味だけど派手になりそうだな」

 

 藍は台帳を閉じた。

 

 だが、すぐにまた開いた。

 

 そこに新しい頁を作る。

 

 見出しを書く。

 

 **共有境界台帳 仮**

 

 その一行を見て、紫の言葉が頭をよぎった。

 

 道は知られれば、使われる。

 

 その通りだ。

 

 だが、道は知られなければ守れない。

 

 藍は筆を進めた。

 

 博麗参道。

 人里北口。

 命蓮寺荷車道。

 竹林救急路。

 守矢山道。

 紅魔館湖畔線。

 猫道緊急連絡路。

 

 そこに、各勢力の名前を添える。

 

 八雲だけの台帳ではない。

 

 幻想郷の道を、複数の目で見るための台帳。

 

 慧音がそれを見て言った。

 

「これは残るぞ」

 

 藍は頷いた。

 

「残します」

 

「紫が嫌がっても?」

 

 藍は少しだけ笑った。

 

「その時は、説得します」

 

 霊夢が言う。

 

「説得で済む?」

 

「済ませます」

 

 魔理沙が笑う。

 

「藍、強くなったな」

 

 藍は返事をしなかった。

 

 外で、また道迷いの鐘が鳴った。

 

 今度は近い。

 

 人里のどこかで、縁目会の新しい札が貼られたのだ。

 

 藍は立ち上がった。

 

「行きます」

 

 橙が猫たちを呼ぶ。

 

「みんな、道を探すよ!」

 

 猫たちは一斉に鳴いた。

 

 寺子屋の戸が開く。

 

 外の道は、薄く揺れていた。

 

 だが、今の藍には線が見える。

 

 八雲の線。

 人里の線。

 猫の線。

 荷車の線。

 祈りの線。

 救急の線。

 

 それらを重ねれば、縁目会が売ろうとしている道の裏側が見えるはずだった。

 

 藍は静かに呟いた。

 

「境界は、片側のものではない」

 

 その言葉は、もはやただの理屈ではなかった。

 

 新しい台帳の、最初の一文だった。

 

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