東方無頼郷「幻想郷に善人はいない」   作:たこ焼き 龍月

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第四章 境界市場

 

 

 無縁塚の近くには、物が集まる。

 

 誰かが捨てたもの。

 誰かが忘れたもの。

 誰かが持ち主を失ったもの。

 

 壊れた道具。

 古い札。

 錆びた金具。

 使われなくなった帳面。

 名前の消えた荷札。

 どこから流れてきたのか分からない箱。

 

 そこに市が立つのは、珍しいことではない。

 

 けれど、その日の市はいつもと違っていた。

 

 品物が並んでいない。

 

 壺もない。

 刀もない。

 茶碗もない。

 古道具もない。

 

 代わりに、道が売られていた。

 

 布を張った露店の前に、小さな札が並んでいる。

 

 **博麗神社安全参拝路 一回通行 三文**

 **迷いの竹林短縮案内札 急患割増あり**

 **命蓮寺荷車道優先通行札 荷一台につき五文**

 **妖怪の山裏参道 信徒割引不可**

 **紅魔館湖畔迂回証 夜間割増**

 **白玉楼仮冥界道 要保証人**

 **地底縦穴案内符 危険手当別**

 

 霧雨魔理沙は、思わず立ち止まった。

 

「すげえな」

 

 博麗霊夢は横で顔をしかめる。

 

「何が」

 

「ここまで堂々とやると、逆に商売根性を感じるぜ」

 

「褒めるな」

 

「褒めてはいない」

 

 二人の後ろには、八雲藍と橙がいた。

 さらに、命蓮寺から村紗水蜜。守矢から東風谷早苗。紅魔館から十六夜咲夜。少し離れて、上白沢慧音と藤原妹紅もついてきている。

 

 全員が、それぞれ違う顔で市を見ていた。

 

 霊夢は怒っている。

 村紗は今にも碇を振り回しそうな顔をしている。

 早苗は信仰路を売られていることに困惑と怒りを混ぜていた。

 咲夜は静かだが、目が冷たい。

 慧音はすでに帳面を開いている。

 妹紅は、露店の逃げ道を見ていた。

 

 藍は、何も言わなかった。

 

 ただ、露店に並ぶ札を一枚ずつ見ていた。

 

 札の形式。

 墨。

 線。

 印。

 通行区分。

 料金。

 用途。

 

 縁目会は、思いつきで商売をしているのではない。

 

 道を分類している。

 

 人間用。

 荷車用。

 参拝用。

 救急用。

 夜間用。

 冥界用。

 地底用。

 

 八雲一家の台帳を真似ている。

 

 いや、真似ているだけではない。

 

 八雲が隠してきた道を、彼らは値段表にしている。

 

 橙が小声で言った。

 

「藍さま」

 

「何だ」

 

「猫道の札もある」

 

 橙が指差した先には、小さな札束が置かれていた。

 

 **小通行路安全札**

 **屋根道抜け札**

 **猫道一時通行証**

 

 橙の尻尾が逆立った。

 

「また売ってる」

 

 藍は静かに頷いた。

 

「記録する」

 

「記録だけ?」

 

「今はな」

 

 橙は不満そうだったが、ぐっとこらえた。

 

 無理に札を剥がすな。

 藍にそう言われている。

 

 でも、目の前で猫道が売られている。

 

 それを見て黙っているのは、橙にはとても難しかった。

 

 霊夢が露店の一つに近づいた。

 

 店番の男は、灰色の羽織を着ていた。

 顔は笠で隠れている。

 手元には小さな算盤と札束。

 

「いらっしゃいませ」

 

「博麗神社への参拝路、売ってるのね」

 

「安全な参拝をお求めですか」

 

「私が博麗霊夢よ」

 

 男の手が一瞬止まった。

 

 だが、すぐに丁寧な声へ戻る。

 

「これは失礼いたしました」

 

「失礼だと思うなら、すぐ畳みなさい」

 

「ですが、道が乱れて困る方々がいますので」

 

「乱してるのは誰」

 

「境界は元々不安定なものです。我々は、それを安全に案内しているだけです」

 

 霊夢は笑わなかった。

 

「参道に料金所を置いて?」

 

「通れる道には、維持費がかかります」

 

「神社の維持費なら、私に払え」

 

 魔理沙が横で吹き出しかけた。

 

 藍は別の露店に近づいた。

 

 そこには、命蓮寺の荷車道の札が並んでいた。

 

 村紗が一枚をつかみ上げる。

 

「荷車一台につき五文だと?」

 

 店番は落ち着いて答えた。

 

「命蓮寺方面は近頃、道が不安定です。安全な物流には札が必要です」

 

「不安定にしたのはお前らだろうが」

 

「証拠はございますか」

 

 村紗の手が碇へ伸びた。

 

 白蓮がいれば止めたかもしれない。

 だが、今日ここにいるのは村紗だ。

 

 藍が一歩前に出た。

 

「村紗殿」

 

「分かってる。壊さない」

 

「できれば」

 

「できればな」

 

 霊夢が横から言う。

 

「その返事、信用できないやつよ」

 

 妹紅が小さく笑った。

 

「自分のことは棚に上げるんだな」

 

 咲夜は紅魔館湖畔迂回証の札を見ていた。

 

「夜間割増」

 

 声は静かだった。

 

 だが、冷たい。

 

「紅魔館への道を、夜間割増で売るとは」

 

 店番は淡々と答える。

 

「紅魔館周辺は危険度が高いため」

 

「その危険度を勝手に商売に使う許可を、誰が出しましたか」

 

「通行者の安全のためです」

 

「紅魔館の領域に入る者を、勝手に誘導することが安全だと?」

 

 咲夜の手元に、銀の光が一瞬走った。

 

 店番はそれに気づいて、一歩下がった。

 

 藍は全体を見渡した。

 

 露店は十ほど。

 それぞれが別の道を売っている。

 しかし、中心にある大きな幕だけは閉じられている。

 

 幕の上には、八雲の印に似せた紋と、縁目会の印が並んでいた。

 

 霊夢がその幕を見た。

 

「あそこが本店?」

 

 魔理沙が言う。

 

「市場の奥ってのは、だいたい一番面白いものがある」

 

「勝手に物色するなよ」

 

 慧音が釘を刺す。

 

「まだ何もしてないぜ」

 

「“まだ”と言うな」

 

 藍は幕の方へ歩いた。

 

 その前に、灰色の羽織を着た者たちが立ちはだかる。

 

「ここから先は、特別通行証が必要です」

 

 藍は静かに言った。

 

「八雲藍です」

 

「承知しております」

 

「ならば、通してください」

 

「八雲の方でも、札が必要です」

 

 霊夢が笑った。

 

「八雲に八雲札を売るの?」

 

 男は丁寧に答えた。

 

「ここは縁目会の市場ですので」

 

 橙が怒ったように言う。

 

「八雲の名前を使ってるくせに」

 

 男は橙を見る。

 

「名前を使うのではありません。形式を借りているのです」

 

「同じだよ」

 

「違います」

 

 藍が手を上げて橙を止めた。

 

「通行証はいくらですか」

 

 霊夢が藍を見る。

 

「払う気?」

 

「金額を聞くだけです」

 

 男は札束をめくる。

 

「八雲関係者用、特別確認料として十文」

 

 魔理沙が口笛を吹いた。

 

「足元見てるな」

 

 藍は財布を出さなかった。

 

 代わりに、境界台帳を開いた。

 

「では、こちらも確認します。この場所は、無縁塚北東の旧廃道市場跡。八雲台帳では危険区域仮封鎖、外部商業行為禁止となっています」

 

 男の声が止まる。

 

 藍は続けた。

 

「また、ここに開かれた市場は博麗、人里、命蓮寺、紅魔館、守矢、白玉楼、地霊殿、永遠亭の管理道を無断で商品化しています。よって、八雲台帳上の不正境界商取引として記録します」

 

 慧音がすぐに筆を走らせる。

 

「人里側でも記録する」

 

 霊夢が御札を出す。

 

「博麗もね」

 

 男たちの空気が変わった。

 

 その時、幕の奥から拍手が聞こえた。

 

 ぱち、ぱち、ぱち。

 

 幕がゆっくりと開く。

 

 その向こうに、一人の男が座っていた。

 

 灰色ではなく、薄い霞色の羽織。

 顔立ちは穏やか。

 商人にも、案内人にも、役人にも見える。

 

 年齢は分かりにくい。

 若いようにも、古いようにも見える。

 

 男は立ち上がり、丁寧に頭を下げた。

 

「八雲藍様。お待ちしておりました」

 

 藍は目を細める。

 

「霞堂縁吏」

 

「はい。縁目会を預かっております、霞堂縁吏でございます」

 

 霊夢が言った。

 

「あんたが頭目ね」

 

「頭目というほど荒いものではありません。案内人です」

 

「料金所の親玉でしょ」

 

「言い方は自由です」

 

 霞堂は笑った。

 

 その笑みは柔らかい。

 だが、どこか油断ならない。

 

 魔理沙が小声で言う。

 

「こいつ、紫に似てるな」

 

 霊夢も小さく返す。

 

「嫌なところだけね」

 

 霞堂は藍を見る。

 

「ここへ来たということは、台帳を開かれたのですね」

 

 藍の表情は変わらない。

 

「開きました」

 

「紫様はお許しに?」

 

「これは私の判断です」

 

 霞堂の目が、わずかに面白そうに光った。

 

「八雲藍様が」

 

「不満ですか」

 

「いいえ。むしろ、ようやく実務の方が前に出てきた」

 

 藍は黙っている。

 

 霞堂は市場を見渡した。

 

「ご覧の通りです。道には需要があります。博麗へ行きたい者。寺へ荷を運びたい者。竹林を抜けたい者。山へ参拝したい者。紅魔館へ安全に近づきたい者。冥界へ一時的に行きたい者。地底へ降りたい者」

 

 彼は一枚の札を手に取る。

 

「八雲は長年、それを独占してきました」

 

「独占ではありません。管理です」

 

「管理と独占は、外から見れば似ています」

 

 藍の目が少し鋭くなる。

 

 霞堂は続けた。

 

「八雲は道を隠す。危険だから。境界が乱れるから。幻想郷を守るためだから。そう言って、多くの道を台帳の奥へしまった」

 

 霞堂は静かに笑った。

 

「我々は、その道を開いただけです」

 

 村紗が言う。

 

「開いたんじゃない。塞いで売ってるだけだろ」

 

「塞がれていた道を、通れる形にしているのです」

 

 早苗が前に出た。

 

「守矢の山道に通行料を取る理由にはなりません」

 

「信仰路は人が通る。人が通る道は管理が必要です」

 

 咲夜も言う。

 

「紅魔館周辺を勝手に案内する権利はありません」

 

「ならば、紅魔館は周辺路を正式に開示していますか」

 

 咲夜は一瞬黙った。

 

 霞堂はその沈黙を見逃さない。

 

「命蓮寺は物流路を持つ。守矢は信仰路を持つ。紅魔館は領域線を持つ。永遠亭は竹林の救急路を持つ。白玉楼は冥界道を持つ。地霊殿は地底への道を隠す。博麗は参道を持つ」

 

 霞堂は藍を見た。

 

「皆、自分の道は囲う。八雲だけが悪いのではありません」

 

 霊夢は腕を組んだ。

 

「だからって、あんたが売っていい理由にはならないわね」

 

「では、誰が通れる道を保証するのです」

 

 霞堂は藍に向かって言った。

 

「八雲ですか?」

 

 藍は答えない。

 

 霞堂は続ける。

 

「八雲が隠した道で、人は迷った。妖怪も迷った。荷も止まった。急患も遅れた。縁目会は、その隙間に案内を出している」

 

「先に道を乱しているのは、あなたたちだ」

 

「乱れていたから、我々が入れたのです」

 

「詭弁です」

 

「詭弁でも、通れる道には値がつくものです」

 

 その言葉に、橙が一歩前に出た。

 

「猫道にも値段をつけた」

 

 霞堂は橙を見る。

 

「小さな道にも価値があると、我々は知っています」

 

「価値と値段は違う」

 

 橙の声は小さいが、はっきりしていた。

 

「猫道は、帰るための道。知らせるための道。困ってる子を迎えに行く道。売る道じゃない」

 

 霞堂は微笑む。

 

「良い言葉です」

 

「褒めないで」

 

「ですが、帰るための道ほど、高く売れます」

 

 橙の尻尾が膨らむ。

 

 藍が静かに言った。

 

「霞堂縁吏」

 

「はい」

 

「今すぐ市場を畳み、偽八雲札を全て提出しなさい」

 

「お断りします」

 

 即答だった。

 

 空気が張り詰める。

 

 霞堂は続ける。

 

「縁目会は、境界通行権の正式承認を求めます」

 

 霊夢が言った。

 

「誰に」

 

「八雲一家に。そして博麗神社に」

 

「認めるわけないでしょ」

 

「そうでしょうか」

 

 霞堂は市場の奥にある大きな地図を広げた。

 

 幻想郷の地図だった。

 

 ただし、道が糸のように描き込まれている。

 

 人里。

 博麗神社。

 命蓮寺。

 守矢。

 紅魔館。

 竹林。

 地底。

 白玉楼。

 無縁塚。

 

 いくつもの線が、縁目会の札の位置で結ばれている。

 

 藍はそれを見て、顔を硬くした。

 

「これは……」

 

「境界市場の通行図です」

 

「八雲台帳の写しだけでは作れない」

 

「ええ」

 

 霞堂は笑った。

 

「八雲だけではありません。命蓮寺の荷運び記録、守矢の参道案内、紅魔館の周辺警備線、竹林の急患経路、人里の古道記録、白玉楼の冥界道、地底の旧連絡路。多くの道は、多くの者が知っています」

 

 慧音が低く言う。

 

「各勢力から断片を集めたのか」

 

「道は、片側だけにはありませんから」

 

 藍の胸に、その言葉が刺さった。

 

 自分が言おうとしていた言葉を、霞堂が逆手に取っている。

 

 境界は、片側のものではない。

 

 だからこそ、縁目会は各所から断片を集めた。

 

 八雲の隠した道。

 人里の古い道。

 寺の荷道。

 山の参道。

 竹林の救急路。

 

 すべてをつなぎ、値段をつけた。

 

 霞堂は言った。

 

「八雲が隠した境界を、我々は見える形にした。使える形にした。売れる形にした」

 

 藍は静かに答えた。

 

「売れる形にした時点で、管理ではありません」

 

「では、八雲は無償で全ての道を保証できますか」

 

 藍は黙った。

 

 できない。

 

 道を守るには手間がいる。

 境界を補修するには力がいる。

 安全な通行には記録がいる。

 

 そこに負担があるのは事実だ。

 

 霞堂の理屈は、完全な嘘ではない。

 

 だから厄介だった。

 

 霊夢が藍の横に立った。

 

「藍」

 

「はい」

 

「黙ると、向こうが勝った顔するわよ」

 

 藍は一度目を閉じた。

 

 そして、開いた。

 

「霞堂縁吏。道を守る負担があることは認めます」

 

 霞堂は少しだけ笑った。

 

「では」

 

「ですが、道を狂わせてから安全路を売る行為は、負担の回収ではありません。脅しです」

 

 霞堂の笑みが薄くなる。

 

 藍は続けた。

 

「また、道は通る者だけのものではありません。向こう側で待つ者のものでもあります。命蓮寺へ届く荷を待つ者。永遠亭へ患者を運ぶ者。博麗神社へ参拝する者。人里へ帰る子供。猫道で知らせを運ぶ者」

 

 橙が藍を見る。

 

「あなたたちは、通る者から金を取ることしか見ていない。待つ者を見ていない」

 

 霞堂は黙った。

 

「それは境界管理ではない」

 

 藍は台帳を閉じた。

 

「市場を記録しました。縁目会の主張も記録します。その上で、八雲一家として、この市場を認めません」

 

 霞堂は静かに息を吐いた。

 

「では、交渉決裂ですね」

 

 空気が変わった。

 

 露店の者たちが一斉に札を構える。

 

 霊夢が御札を取り出す。

 

 村紗が碇を構える。

 早苗が御幣を握る。

 咲夜の指に銀の光が走る。

 妹紅が前に出る。

 魔理沙は箒にまたがった。

 

 だが、藍は手を上げた。

 

「待ってください」

 

 霊夢が見る。

 

「何」

 

「ここで札を壊せば、市場全体の道が歪みます」

 

 霞堂が笑った。

 

「よくお分かりで」

 

 彼は指を鳴らした。

 

 市場の地面に貼られた札が、一斉に光る。

 

 無縁塚の市が、ぐにゃりとねじれた。

 

 露店の位置がずれる。

 道が伸びる。

 同じ看板が三つに見える。

 帰り道が遠くなる。

 

 魔理沙が叫ぶ。

 

「おい、出口が消えたぞ!」

 

 慧音が地図を押さえる。

 

「市場全体を迷い道にしたか」

 

 霞堂は幕の奥へ下がりながら言った。

 

「本日はここまでにいたしましょう。市場の道は、札を持つ者にだけ開きます」

 

 霊夢が御札を投げる。

 

 だが、その御札は霞堂の前で曲がり、別の露店へ吸い込まれた。

 

 咲夜が時間を切るように動くが、足元の道そのものがずれ、霞堂へ届かない。

 

 藍は境界台帳を開く。

 

 しかし、市場の道は八雲の台帳だけでは読めなかった。

 

 縁目会の道。

 無縁塚の裏道。

 猫道。

 廃道。

 各勢力から集めた断片。

 

 すべてが絡み合っている。

 

 橙が叫んだ。

 

「藍さま! 猫道、まだ見える!」

 

「どこだ!」

 

「露店の裏! 小さい道だけ、まだ閉じきれてない!」

 

 藍は橙の指す方を見た。

 

 確かに、露店の足元の影に細い線が残っている。

 

 人間には通れない。

 

 だが、猫なら通れる。

 

 橙なら、通れる。

 

 藍はすぐに言った。

 

「橙、無理はするな。位置だけ見ろ」

 

「うん!」

 

 橙は猫たちと一緒に走った。

 

 霞堂はそれを見て、目を細めた。

 

「小さな道は厄介ですね」

 

 藍は答えた。

 

「あなたが値をつけ損ねた道です」

 

「次はつけますよ」

 

「つけさせません」

 

 橙が露店の裏を駆け抜ける。

 

 猫たちが続く。

 

 市場の歪みの中を、小さな道だけが抜けていく。

 

 橙は出口の匂いを探した。

 

 無縁塚の土。

 人里へ向かう風。

 博麗の札の匂い。

 藍の台帳の紙の匂い。

 

 あった。

 

「藍さま! こっち!」

 

 藍はすぐに台帳へ新しい線を引いた。

 

 橙の猫道。

 無縁塚市場裏。

 露店影。

 外縁抜け。

 

 その線を起点に、藍は術式を組み直す。

 

「霊夢殿、出口の固定を!」

 

「どこ!」

 

「橙の声がする方向です!」

 

「雑ね!」

 

「今はそれしかありません!」

 

 霊夢は御札を放った。

 

 橙の声が響いた場所に、博麗の札が刺さる。

 

 市場の歪みが一瞬止まった。

 

 魔理沙が光で補強する。

 

「これでいいか!」

 

「十分です!」

 

 藍は八雲札を重ねる。

 

 偽物ではない。

 本物の、今の八雲札。

 

 だが、藍はそれを単独では使わなかった。

 

 博麗の札。

 橙の猫道。

 慧音の地図。

 八雲の台帳。

 

 それらを重ねる。

 

 市場の一角に、細い出口が開いた。

 

 霊夢が叫ぶ。

 

「全員、出るわよ!」

 

 村紗が荷札の束を抱えた露店を睨む。

 

「後で覚えてろよ!」

 

 咲夜は紅魔館迂回証を数枚回収している。

 

 早苗も山道札を拾った。

 

 魔理沙は市場の地図をちゃっかり一枚掴んでいた。

 

 慧音が言う。

 

「それは証拠として預かる」

 

「分かってるって」

 

「本当だな」

 

「今回は本当だ」

 

 全員が出口へ向かう。

 

 藍は最後に振り返った。

 

 霞堂は市場の奥で、静かに頭を下げている。

 

「八雲藍様」

 

「何です」

 

「あなたは台帳を開きました。ならば、次は問われます」

 

「何を」

 

「八雲だけが境界を管理する資格があるのか」

 

 藍は答えなかった。

 

 霞堂は続ける。

 

「我々は、道を商品にしました。あなたは道を共有しようとしている。違いは美しい。ですが、どちらも道を扱う権力です」

 

 藍の目が細くなる。

 

「次は、人里でお会いしましょう」

 

 霞堂の姿が、歪む市場の奥へ消えていく。

 

 露店も、札も、幕も、少しずつ霞のように薄れていった。

 

   *

 

 市場を抜けると、外は夕方だった。

 

 無縁塚の風が冷たい。

 

 全員が一度に息を吐いた。

 

 霊夢は藍を見た。

 

「逃げられたわね」

 

「はい」

 

「でも、だいぶ拾った」

 

 魔理沙が市場の地図を出す。

 

 咲夜は紅魔館迂回証を並べる。

 早苗は山道札。

 村紗は命蓮寺荷車道の札。

 橙は猫道札と、小道係の追加記録。

 

 慧音はすでに帳面を書いていた。

 

「境界市場。縁目会、通行権を商品化。各勢力の道を無断で販売。道の分類、料金表、通行図を確認。霞堂縁吏、境界通行権の承認を要求」

 

 妹紅が言う。

 

「次は人里って言ってたな」

 

 藍は頷いた。

 

「はい。おそらく、人里封鎖に移ります」

 

 霊夢が顔をしかめる。

 

「人里全体を料金所にする気か」

 

「完全に閉じるのではなく、正しい道を札で管理する形でしょう。札を持たない者は、同じ道を回される」

 

 鈴仙がいれば、患者のことを心配しただろう。

 村紗は荷を考え、早苗は信徒を考え、咲夜は紅魔館への連絡を考えた。

 

 橙は小さく言った。

 

「子供が帰れなくなる」

 

 藍はその言葉に頷いた。

 

「そうさせない」

 

 霊夢は御札をしまった。

 

「人里へ戻るわよ。先に慧音と妹紅へ伝えて、道を開ける準備をする」

 

 慧音が答える。

 

「私はすぐに人里の古道を開く。妹紅、火消しと自警団へ連絡を」

 

「分かった」

 

 魔理沙が箒に乗る。

 

「縁目会の市場地図、役に立つぜ。向こうの売り物リストは、狙ってる道の一覧だからな」

 

 藍はその地図を見た。

 

 八雲の台帳ではない。

 だが、縁目会の視点で見た幻想郷の道がそこにある。

 

 道を商品として見た、嫌な地図。

 

 しかし、それもまた情報だ。

 

 藍は言った。

 

「それも共有台帳に入れます」

 

 霊夢が横目で見る。

 

「嫌な台帳になってきたわね」

 

「必要な台帳です」

 

「そういうの、慧音みたいになってきたわよ」

 

 慧音が反応する。

 

「悪いことではない」

 

 霊夢は肩をすくめた。

 

 橙は藍の袖を引いた。

 

「藍さま」

 

「何だ」

 

「猫道、役に立った?」

 

「ああ。とても」

 

 橙は嬉しそうに笑った。

 

「じゃあ、もっと作る」

 

「作る?」

 

「うん。帰れる道を」

 

 藍は少しだけ目を細めた。

 

「そうだな。私たちは、帰れる道を作る」

 

 無縁塚の市は消えた。

 

 だが、縁目会の札は幻想郷中に残っている。

 

 次は人里。

 

 道を売る者たちは、人里を囲む。

 

 八雲一家は、それを迎え撃つことになる。

 

 藍は境界台帳を抱え直した。

 

 その台帳にはもう、八雲だけの線はない。

 

 人里の線。

 博麗の線。

 命蓮寺の線。

 守矢の線。

 紅魔館の線。

 猫道の線。

 

 多くの線が重なり始めている。

 

 境界は、片側のものではない。

 

 その言葉が、少しずつ形になり始めていた。

 

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