無縁塚の近くには、物が集まる。
誰かが捨てたもの。
誰かが忘れたもの。
誰かが持ち主を失ったもの。
壊れた道具。
古い札。
錆びた金具。
使われなくなった帳面。
名前の消えた荷札。
どこから流れてきたのか分からない箱。
そこに市が立つのは、珍しいことではない。
けれど、その日の市はいつもと違っていた。
品物が並んでいない。
壺もない。
刀もない。
茶碗もない。
古道具もない。
代わりに、道が売られていた。
布を張った露店の前に、小さな札が並んでいる。
**博麗神社安全参拝路 一回通行 三文**
**迷いの竹林短縮案内札 急患割増あり**
**命蓮寺荷車道優先通行札 荷一台につき五文**
**妖怪の山裏参道 信徒割引不可**
**紅魔館湖畔迂回証 夜間割増**
**白玉楼仮冥界道 要保証人**
**地底縦穴案内符 危険手当別**
霧雨魔理沙は、思わず立ち止まった。
「すげえな」
博麗霊夢は横で顔をしかめる。
「何が」
「ここまで堂々とやると、逆に商売根性を感じるぜ」
「褒めるな」
「褒めてはいない」
二人の後ろには、八雲藍と橙がいた。
さらに、命蓮寺から村紗水蜜。守矢から東風谷早苗。紅魔館から十六夜咲夜。少し離れて、上白沢慧音と藤原妹紅もついてきている。
全員が、それぞれ違う顔で市を見ていた。
霊夢は怒っている。
村紗は今にも碇を振り回しそうな顔をしている。
早苗は信仰路を売られていることに困惑と怒りを混ぜていた。
咲夜は静かだが、目が冷たい。
慧音はすでに帳面を開いている。
妹紅は、露店の逃げ道を見ていた。
藍は、何も言わなかった。
ただ、露店に並ぶ札を一枚ずつ見ていた。
札の形式。
墨。
線。
印。
通行区分。
料金。
用途。
縁目会は、思いつきで商売をしているのではない。
道を分類している。
人間用。
荷車用。
参拝用。
救急用。
夜間用。
冥界用。
地底用。
八雲一家の台帳を真似ている。
いや、真似ているだけではない。
八雲が隠してきた道を、彼らは値段表にしている。
橙が小声で言った。
「藍さま」
「何だ」
「猫道の札もある」
橙が指差した先には、小さな札束が置かれていた。
**小通行路安全札**
**屋根道抜け札**
**猫道一時通行証**
橙の尻尾が逆立った。
「また売ってる」
藍は静かに頷いた。
「記録する」
「記録だけ?」
「今はな」
橙は不満そうだったが、ぐっとこらえた。
無理に札を剥がすな。
藍にそう言われている。
でも、目の前で猫道が売られている。
それを見て黙っているのは、橙にはとても難しかった。
霊夢が露店の一つに近づいた。
店番の男は、灰色の羽織を着ていた。
顔は笠で隠れている。
手元には小さな算盤と札束。
「いらっしゃいませ」
「博麗神社への参拝路、売ってるのね」
「安全な参拝をお求めですか」
「私が博麗霊夢よ」
男の手が一瞬止まった。
だが、すぐに丁寧な声へ戻る。
「これは失礼いたしました」
「失礼だと思うなら、すぐ畳みなさい」
「ですが、道が乱れて困る方々がいますので」
「乱してるのは誰」
「境界は元々不安定なものです。我々は、それを安全に案内しているだけです」
霊夢は笑わなかった。
「参道に料金所を置いて?」
「通れる道には、維持費がかかります」
「神社の維持費なら、私に払え」
魔理沙が横で吹き出しかけた。
藍は別の露店に近づいた。
そこには、命蓮寺の荷車道の札が並んでいた。
村紗が一枚をつかみ上げる。
「荷車一台につき五文だと?」
店番は落ち着いて答えた。
「命蓮寺方面は近頃、道が不安定です。安全な物流には札が必要です」
「不安定にしたのはお前らだろうが」
「証拠はございますか」
村紗の手が碇へ伸びた。
白蓮がいれば止めたかもしれない。
だが、今日ここにいるのは村紗だ。
藍が一歩前に出た。
「村紗殿」
「分かってる。壊さない」
「できれば」
「できればな」
霊夢が横から言う。
「その返事、信用できないやつよ」
妹紅が小さく笑った。
「自分のことは棚に上げるんだな」
咲夜は紅魔館湖畔迂回証の札を見ていた。
「夜間割増」
声は静かだった。
だが、冷たい。
「紅魔館への道を、夜間割増で売るとは」
店番は淡々と答える。
「紅魔館周辺は危険度が高いため」
「その危険度を勝手に商売に使う許可を、誰が出しましたか」
「通行者の安全のためです」
「紅魔館の領域に入る者を、勝手に誘導することが安全だと?」
咲夜の手元に、銀の光が一瞬走った。
店番はそれに気づいて、一歩下がった。
藍は全体を見渡した。
露店は十ほど。
それぞれが別の道を売っている。
しかし、中心にある大きな幕だけは閉じられている。
幕の上には、八雲の印に似せた紋と、縁目会の印が並んでいた。
霊夢がその幕を見た。
「あそこが本店?」
魔理沙が言う。
「市場の奥ってのは、だいたい一番面白いものがある」
「勝手に物色するなよ」
慧音が釘を刺す。
「まだ何もしてないぜ」
「“まだ”と言うな」
藍は幕の方へ歩いた。
その前に、灰色の羽織を着た者たちが立ちはだかる。
「ここから先は、特別通行証が必要です」
藍は静かに言った。
「八雲藍です」
「承知しております」
「ならば、通してください」
「八雲の方でも、札が必要です」
霊夢が笑った。
「八雲に八雲札を売るの?」
男は丁寧に答えた。
「ここは縁目会の市場ですので」
橙が怒ったように言う。
「八雲の名前を使ってるくせに」
男は橙を見る。
「名前を使うのではありません。形式を借りているのです」
「同じだよ」
「違います」
藍が手を上げて橙を止めた。
「通行証はいくらですか」
霊夢が藍を見る。
「払う気?」
「金額を聞くだけです」
男は札束をめくる。
「八雲関係者用、特別確認料として十文」
魔理沙が口笛を吹いた。
「足元見てるな」
藍は財布を出さなかった。
代わりに、境界台帳を開いた。
「では、こちらも確認します。この場所は、無縁塚北東の旧廃道市場跡。八雲台帳では危険区域仮封鎖、外部商業行為禁止となっています」
男の声が止まる。
藍は続けた。
「また、ここに開かれた市場は博麗、人里、命蓮寺、紅魔館、守矢、白玉楼、地霊殿、永遠亭の管理道を無断で商品化しています。よって、八雲台帳上の不正境界商取引として記録します」
慧音がすぐに筆を走らせる。
「人里側でも記録する」
霊夢が御札を出す。
「博麗もね」
男たちの空気が変わった。
その時、幕の奥から拍手が聞こえた。
ぱち、ぱち、ぱち。
幕がゆっくりと開く。
その向こうに、一人の男が座っていた。
灰色ではなく、薄い霞色の羽織。
顔立ちは穏やか。
商人にも、案内人にも、役人にも見える。
年齢は分かりにくい。
若いようにも、古いようにも見える。
男は立ち上がり、丁寧に頭を下げた。
「八雲藍様。お待ちしておりました」
藍は目を細める。
「霞堂縁吏」
「はい。縁目会を預かっております、霞堂縁吏でございます」
霊夢が言った。
「あんたが頭目ね」
「頭目というほど荒いものではありません。案内人です」
「料金所の親玉でしょ」
「言い方は自由です」
霞堂は笑った。
その笑みは柔らかい。
だが、どこか油断ならない。
魔理沙が小声で言う。
「こいつ、紫に似てるな」
霊夢も小さく返す。
「嫌なところだけね」
霞堂は藍を見る。
「ここへ来たということは、台帳を開かれたのですね」
藍の表情は変わらない。
「開きました」
「紫様はお許しに?」
「これは私の判断です」
霞堂の目が、わずかに面白そうに光った。
「八雲藍様が」
「不満ですか」
「いいえ。むしろ、ようやく実務の方が前に出てきた」
藍は黙っている。
霞堂は市場を見渡した。
「ご覧の通りです。道には需要があります。博麗へ行きたい者。寺へ荷を運びたい者。竹林を抜けたい者。山へ参拝したい者。紅魔館へ安全に近づきたい者。冥界へ一時的に行きたい者。地底へ降りたい者」
彼は一枚の札を手に取る。
「八雲は長年、それを独占してきました」
「独占ではありません。管理です」
「管理と独占は、外から見れば似ています」
藍の目が少し鋭くなる。
霞堂は続けた。
「八雲は道を隠す。危険だから。境界が乱れるから。幻想郷を守るためだから。そう言って、多くの道を台帳の奥へしまった」
霞堂は静かに笑った。
「我々は、その道を開いただけです」
村紗が言う。
「開いたんじゃない。塞いで売ってるだけだろ」
「塞がれていた道を、通れる形にしているのです」
早苗が前に出た。
「守矢の山道に通行料を取る理由にはなりません」
「信仰路は人が通る。人が通る道は管理が必要です」
咲夜も言う。
「紅魔館周辺を勝手に案内する権利はありません」
「ならば、紅魔館は周辺路を正式に開示していますか」
咲夜は一瞬黙った。
霞堂はその沈黙を見逃さない。
「命蓮寺は物流路を持つ。守矢は信仰路を持つ。紅魔館は領域線を持つ。永遠亭は竹林の救急路を持つ。白玉楼は冥界道を持つ。地霊殿は地底への道を隠す。博麗は参道を持つ」
霞堂は藍を見た。
「皆、自分の道は囲う。八雲だけが悪いのではありません」
霊夢は腕を組んだ。
「だからって、あんたが売っていい理由にはならないわね」
「では、誰が通れる道を保証するのです」
霞堂は藍に向かって言った。
「八雲ですか?」
藍は答えない。
霞堂は続ける。
「八雲が隠した道で、人は迷った。妖怪も迷った。荷も止まった。急患も遅れた。縁目会は、その隙間に案内を出している」
「先に道を乱しているのは、あなたたちだ」
「乱れていたから、我々が入れたのです」
「詭弁です」
「詭弁でも、通れる道には値がつくものです」
その言葉に、橙が一歩前に出た。
「猫道にも値段をつけた」
霞堂は橙を見る。
「小さな道にも価値があると、我々は知っています」
「価値と値段は違う」
橙の声は小さいが、はっきりしていた。
「猫道は、帰るための道。知らせるための道。困ってる子を迎えに行く道。売る道じゃない」
霞堂は微笑む。
「良い言葉です」
「褒めないで」
「ですが、帰るための道ほど、高く売れます」
橙の尻尾が膨らむ。
藍が静かに言った。
「霞堂縁吏」
「はい」
「今すぐ市場を畳み、偽八雲札を全て提出しなさい」
「お断りします」
即答だった。
空気が張り詰める。
霞堂は続ける。
「縁目会は、境界通行権の正式承認を求めます」
霊夢が言った。
「誰に」
「八雲一家に。そして博麗神社に」
「認めるわけないでしょ」
「そうでしょうか」
霞堂は市場の奥にある大きな地図を広げた。
幻想郷の地図だった。
ただし、道が糸のように描き込まれている。
人里。
博麗神社。
命蓮寺。
守矢。
紅魔館。
竹林。
地底。
白玉楼。
無縁塚。
いくつもの線が、縁目会の札の位置で結ばれている。
藍はそれを見て、顔を硬くした。
「これは……」
「境界市場の通行図です」
「八雲台帳の写しだけでは作れない」
「ええ」
霞堂は笑った。
「八雲だけではありません。命蓮寺の荷運び記録、守矢の参道案内、紅魔館の周辺警備線、竹林の急患経路、人里の古道記録、白玉楼の冥界道、地底の旧連絡路。多くの道は、多くの者が知っています」
慧音が低く言う。
「各勢力から断片を集めたのか」
「道は、片側だけにはありませんから」
藍の胸に、その言葉が刺さった。
自分が言おうとしていた言葉を、霞堂が逆手に取っている。
境界は、片側のものではない。
だからこそ、縁目会は各所から断片を集めた。
八雲の隠した道。
人里の古い道。
寺の荷道。
山の参道。
竹林の救急路。
すべてをつなぎ、値段をつけた。
霞堂は言った。
「八雲が隠した境界を、我々は見える形にした。使える形にした。売れる形にした」
藍は静かに答えた。
「売れる形にした時点で、管理ではありません」
「では、八雲は無償で全ての道を保証できますか」
藍は黙った。
できない。
道を守るには手間がいる。
境界を補修するには力がいる。
安全な通行には記録がいる。
そこに負担があるのは事実だ。
霞堂の理屈は、完全な嘘ではない。
だから厄介だった。
霊夢が藍の横に立った。
「藍」
「はい」
「黙ると、向こうが勝った顔するわよ」
藍は一度目を閉じた。
そして、開いた。
「霞堂縁吏。道を守る負担があることは認めます」
霞堂は少しだけ笑った。
「では」
「ですが、道を狂わせてから安全路を売る行為は、負担の回収ではありません。脅しです」
霞堂の笑みが薄くなる。
藍は続けた。
「また、道は通る者だけのものではありません。向こう側で待つ者のものでもあります。命蓮寺へ届く荷を待つ者。永遠亭へ患者を運ぶ者。博麗神社へ参拝する者。人里へ帰る子供。猫道で知らせを運ぶ者」
橙が藍を見る。
「あなたたちは、通る者から金を取ることしか見ていない。待つ者を見ていない」
霞堂は黙った。
「それは境界管理ではない」
藍は台帳を閉じた。
「市場を記録しました。縁目会の主張も記録します。その上で、八雲一家として、この市場を認めません」
霞堂は静かに息を吐いた。
「では、交渉決裂ですね」
空気が変わった。
露店の者たちが一斉に札を構える。
霊夢が御札を取り出す。
村紗が碇を構える。
早苗が御幣を握る。
咲夜の指に銀の光が走る。
妹紅が前に出る。
魔理沙は箒にまたがった。
だが、藍は手を上げた。
「待ってください」
霊夢が見る。
「何」
「ここで札を壊せば、市場全体の道が歪みます」
霞堂が笑った。
「よくお分かりで」
彼は指を鳴らした。
市場の地面に貼られた札が、一斉に光る。
無縁塚の市が、ぐにゃりとねじれた。
露店の位置がずれる。
道が伸びる。
同じ看板が三つに見える。
帰り道が遠くなる。
魔理沙が叫ぶ。
「おい、出口が消えたぞ!」
慧音が地図を押さえる。
「市場全体を迷い道にしたか」
霞堂は幕の奥へ下がりながら言った。
「本日はここまでにいたしましょう。市場の道は、札を持つ者にだけ開きます」
霊夢が御札を投げる。
だが、その御札は霞堂の前で曲がり、別の露店へ吸い込まれた。
咲夜が時間を切るように動くが、足元の道そのものがずれ、霞堂へ届かない。
藍は境界台帳を開く。
しかし、市場の道は八雲の台帳だけでは読めなかった。
縁目会の道。
無縁塚の裏道。
猫道。
廃道。
各勢力から集めた断片。
すべてが絡み合っている。
橙が叫んだ。
「藍さま! 猫道、まだ見える!」
「どこだ!」
「露店の裏! 小さい道だけ、まだ閉じきれてない!」
藍は橙の指す方を見た。
確かに、露店の足元の影に細い線が残っている。
人間には通れない。
だが、猫なら通れる。
橙なら、通れる。
藍はすぐに言った。
「橙、無理はするな。位置だけ見ろ」
「うん!」
橙は猫たちと一緒に走った。
霞堂はそれを見て、目を細めた。
「小さな道は厄介ですね」
藍は答えた。
「あなたが値をつけ損ねた道です」
「次はつけますよ」
「つけさせません」
橙が露店の裏を駆け抜ける。
猫たちが続く。
市場の歪みの中を、小さな道だけが抜けていく。
橙は出口の匂いを探した。
無縁塚の土。
人里へ向かう風。
博麗の札の匂い。
藍の台帳の紙の匂い。
あった。
「藍さま! こっち!」
藍はすぐに台帳へ新しい線を引いた。
橙の猫道。
無縁塚市場裏。
露店影。
外縁抜け。
その線を起点に、藍は術式を組み直す。
「霊夢殿、出口の固定を!」
「どこ!」
「橙の声がする方向です!」
「雑ね!」
「今はそれしかありません!」
霊夢は御札を放った。
橙の声が響いた場所に、博麗の札が刺さる。
市場の歪みが一瞬止まった。
魔理沙が光で補強する。
「これでいいか!」
「十分です!」
藍は八雲札を重ねる。
偽物ではない。
本物の、今の八雲札。
だが、藍はそれを単独では使わなかった。
博麗の札。
橙の猫道。
慧音の地図。
八雲の台帳。
それらを重ねる。
市場の一角に、細い出口が開いた。
霊夢が叫ぶ。
「全員、出るわよ!」
村紗が荷札の束を抱えた露店を睨む。
「後で覚えてろよ!」
咲夜は紅魔館迂回証を数枚回収している。
早苗も山道札を拾った。
魔理沙は市場の地図をちゃっかり一枚掴んでいた。
慧音が言う。
「それは証拠として預かる」
「分かってるって」
「本当だな」
「今回は本当だ」
全員が出口へ向かう。
藍は最後に振り返った。
霞堂は市場の奥で、静かに頭を下げている。
「八雲藍様」
「何です」
「あなたは台帳を開きました。ならば、次は問われます」
「何を」
「八雲だけが境界を管理する資格があるのか」
藍は答えなかった。
霞堂は続ける。
「我々は、道を商品にしました。あなたは道を共有しようとしている。違いは美しい。ですが、どちらも道を扱う権力です」
藍の目が細くなる。
「次は、人里でお会いしましょう」
霞堂の姿が、歪む市場の奥へ消えていく。
露店も、札も、幕も、少しずつ霞のように薄れていった。
*
市場を抜けると、外は夕方だった。
無縁塚の風が冷たい。
全員が一度に息を吐いた。
霊夢は藍を見た。
「逃げられたわね」
「はい」
「でも、だいぶ拾った」
魔理沙が市場の地図を出す。
咲夜は紅魔館迂回証を並べる。
早苗は山道札。
村紗は命蓮寺荷車道の札。
橙は猫道札と、小道係の追加記録。
慧音はすでに帳面を書いていた。
「境界市場。縁目会、通行権を商品化。各勢力の道を無断で販売。道の分類、料金表、通行図を確認。霞堂縁吏、境界通行権の承認を要求」
妹紅が言う。
「次は人里って言ってたな」
藍は頷いた。
「はい。おそらく、人里封鎖に移ります」
霊夢が顔をしかめる。
「人里全体を料金所にする気か」
「完全に閉じるのではなく、正しい道を札で管理する形でしょう。札を持たない者は、同じ道を回される」
鈴仙がいれば、患者のことを心配しただろう。
村紗は荷を考え、早苗は信徒を考え、咲夜は紅魔館への連絡を考えた。
橙は小さく言った。
「子供が帰れなくなる」
藍はその言葉に頷いた。
「そうさせない」
霊夢は御札をしまった。
「人里へ戻るわよ。先に慧音と妹紅へ伝えて、道を開ける準備をする」
慧音が答える。
「私はすぐに人里の古道を開く。妹紅、火消しと自警団へ連絡を」
「分かった」
魔理沙が箒に乗る。
「縁目会の市場地図、役に立つぜ。向こうの売り物リストは、狙ってる道の一覧だからな」
藍はその地図を見た。
八雲の台帳ではない。
だが、縁目会の視点で見た幻想郷の道がそこにある。
道を商品として見た、嫌な地図。
しかし、それもまた情報だ。
藍は言った。
「それも共有台帳に入れます」
霊夢が横目で見る。
「嫌な台帳になってきたわね」
「必要な台帳です」
「そういうの、慧音みたいになってきたわよ」
慧音が反応する。
「悪いことではない」
霊夢は肩をすくめた。
橙は藍の袖を引いた。
「藍さま」
「何だ」
「猫道、役に立った?」
「ああ。とても」
橙は嬉しそうに笑った。
「じゃあ、もっと作る」
「作る?」
「うん。帰れる道を」
藍は少しだけ目を細めた。
「そうだな。私たちは、帰れる道を作る」
無縁塚の市は消えた。
だが、縁目会の札は幻想郷中に残っている。
次は人里。
道を売る者たちは、人里を囲む。
八雲一家は、それを迎え撃つことになる。
藍は境界台帳を抱え直した。
その台帳にはもう、八雲だけの線はない。
人里の線。
博麗の線。
命蓮寺の線。
守矢の線。
紅魔館の線。
猫道の線。
多くの線が重なり始めている。
境界は、片側のものではない。
その言葉が、少しずつ形になり始めていた。