東方無頼郷「幻想郷に善人はいない」   作:たこ焼き 龍月

29 / 34
第六章 八雲裁定

 

 

 人里を囲む線は、夜になっても消えなかった。

 

 空に浮かぶ薄い境界線。

 道の上に貼られた偽札。

 門の外へ出ようとする者を、同じ場所へ戻す見えない輪。

 

 人里は閉じ込められている。

 

 完全ではない。

 

 猫は抜けられる。

 妖精は細い隙間を通れる。

 霊夢や魔理沙なら、無理やり外へ出ることもできる。

 

 だが、人里の者たちは違う。

 

 荷車は出られない。

 老人は寺へ行けない。

 急患は永遠亭へ向かえない。

 信徒は山へ行けない。

 子供は、帰り道を間違える。

 

 その不安が、人里全体を重くしていた。

 

 寺子屋の机の上には、地図が広げられている。

 

 八雲の境界台帳。

 慧音の人里道筋控。

 橙の猫道地図。

 命蓮寺の物流路。

 永遠亭の救急路。

 守矢の山道。

 紅魔館の湖畔線。

 白玉楼の冥界道。

 地霊殿への旧連絡路。

 そして、縁目会の境界市場で回収した通行図。

 

 線と線が重なっていた。

 

 絡んでいる。

 もつれている。

 だが、見えないわけではない。

 

 八雲藍は、その地図を見下ろしていた。

 

 霊夢が横で言う。

 

「で、裁定の場を作るのね」

 

「はい」

 

「博麗神社じゃなくて?」

 

「今回は八雲一家の問題です」

 

 慧音が筆を持ったまま顔を上げた。

 

「八雲が場を作るなら、記録は私が取る」

 

「お願いします」

 

 妹紅が腕を組む。

 

「その場に、縁目会も来るのか」

 

「来させます」

 

 魔理沙が笑った。

 

「藍もずいぶん強気になったな」

 

 藍は静かに答えた。

 

「強気ではありません。必要なだけです」

 

 橙が藍の袖を引いた。

 

「私も行く」

 

「もちろんだ」

 

「猫道もいる?」

 

「いる」

 

 橙は少しだけ誇らしげに頷いた。

 

 藍は地図の中心に、一枚の八雲札を置いた。

 

 旧式ではない。

 現在の八雲札。

 

 その隣に、博麗の札。

 慧音の道記録の写し。

 命蓮寺の荷札。

 守矢の山道札。

 紅魔館の通行制限札。

 永遠亭の救急路印。

 白玉楼の冥界道符。

 地霊殿の縦穴監視札。

 そして、橙が描いた猫道の小さな地図。

 

 藍はそれらを円状に並べた。

 

「境界は、片側のものではありません」

 

 そう言って、札に手を置く。

 

「ならば、裁定の場も八雲だけで閉じてはならない」

 

 空気が裂けた。

 

 紫の隙間とは違う。

 

 藍の作る隙間は、もっと整っている。

 帳面に線を引くように、必要な場所だけを開く。

 

 寺子屋の中央に、細い裂け目が開く。

 

 その向こうには、何もない空間が広がっていた。

 

 闇ではない。

 白でもない。

 無数の道が糸のように張り巡らされた場所。

 

 人里から博麗神社へ。

 人里から命蓮寺へ。

 竹林へ。

 妖怪の山へ。

 紅魔館へ。

 白玉楼へ。

 地底へ。

 無縁塚へ。

 

 道の糸が、空間の中を流れている。

 

 慧音が息を呑んだ。

 

「これが、八雲の見ている道か」

 

 藍は首を振った。

 

「いいえ」

 

「違うのか」

 

「これは、八雲だけの道ではありません。皆の記録を重ねた、仮の境界会合場です」

 

 霊夢が隙間の向こうを覗いた。

 

「悪趣味だけど、便利そうね」

 

 魔理沙が笑う。

 

「会議場まで隙間か。八雲らしいぜ」

 

 藍は一同を見る。

 

「ここで、八雲裁定を行います」

 

   *

 

 隙間の会合場には、次々と勢力が集まった。

 

 博麗神社から霊夢と魔理沙。

 人里から慧音と妹紅。

 命蓮寺から白蓮と村紗。

 守矢から神奈子、早苗、諏訪子。

 紅魔館からレミリアと咲夜。

 永遠亭から永琳と鈴仙。

 白玉楼から幽々子と妖夢。

 地霊殿からさとりとお燐。

 そして、八雲一家から藍、橙、紫。

 

 紫は会合場の奥にいた。

 

 だが、今日は中心に座っていない。

 

 中心に立つのは、藍だった。

 

 それだけで、いくつかの視線が動いた。

 

 レミリアが面白そうに笑う。

 

「今日は紫ではないのね」

 

 紫は扇で口元を隠した。

 

「今日は藍の日よ」

 

 神奈子が腕を組む。

 

「八雲が自分の内輪の問題を外へ出すとはな」

 

 藍は答えた。

 

「内輪で済まなくなりました」

 

 白蓮が静かに頷く。

 

「道が止まれば、救済も止まります」

 

 永琳も言う。

 

「救急路を売られるのは困るわね。患者は値段交渉をしている余裕などないもの」

 

 幽々子は微笑んだ。

 

「死んだ後の道まで売られたら、白玉楼も困るわ」

 

 霊夢が横目で見る。

 

「困るだけ?」

 

「怒るわ。静かに」

 

 妖夢は無言で頷いた。

 

 慧音は帳面を広げた。

 

「記録を始める。八雲裁定、参加勢力確認」

 

 藍は会合場の中央に、一枚の札を置いた。

 

 縁目会の偽札。

 

 その瞬間、空間の端に灰色の裂け目が開いた。

 

 霞堂縁吏が現れる。

 

 後ろには、灰色の羽織を着た縁目会の者たち。

 小道係の曲戸路平もいる。

 人里で通行札を売っていた者たちもいる。

 

 霞堂は深く頭を下げた。

 

「お招きいただき、恐れ入ります」

 

 霊夢が言う。

 

「招いたっていうより、呼び出したのよ」

 

「どちらでも構いません。道があるなら、参ります」

 

 藍は霞堂を見た。

 

「霞堂縁吏。縁目会の境界通行権要求について、ここで裁定します」

 

「望むところです」

 

 霞堂は穏やかに笑った。

 

「ただし、裁かれるのは我々だけではないでしょう」

 

 会合場の空気が少し揺れた。

 

 霞堂は一歩前へ出る。

 

「道は誰かが管理しなければならない」

 

 その声は静かだが、よく通った。

 

「八雲は境界を隠した。博麗は裁くだけで道を直さない。人里は道を使うだけで管理しない。命蓮寺は物流路を持つ。守矢は山道を信仰路に変える。紅魔館は領域を囲う。永遠亭は竹林の救急路を秘匿する。白玉楼は冥界道を管理する。地霊殿は地底への道を隠す」

 

 霞堂は藍を見た。

 

「皆、道を持っている。皆、境界を利用している。ならば、縁目会だけが通行権を扱ってはならない理由は何です」

 

 村紗が低く言う。

 

「道を狂わせてから売ってるからだろ」

 

 霞堂は頷いた。

 

「その点については、言葉の違いがあります。我々は、元々不安定だった道を札で制御した」

 

 早苗が強い声で言う。

 

「信徒の方々が戻されました」

 

「通行札があれば通れました」

 

「それを脅しと言います」

 

 咲夜が続ける。

 

「紅魔館の領域へ勝手に案内札を出すことも、許可しません」

 

「紅魔館は、外部に分かりやすい通行線を示していますか」

 

 咲夜は黙らなかった。

 

「危険だから示していない場所もあります」

 

「ならば、通行者は迷う」

 

「迷わせているのは、あなた方です」

 

 霞堂は薄く笑う。

 

 今度は永琳を見る。

 

「竹林の救急路も、秘匿されている」

 

 永琳は淡々と答えた。

 

「誰でも通れるようにすれば、竹林が混乱するわ。救急路は、救急のためにある」

 

「縁目会は、その救急路に案内札を出した」

 

「急患から別料金を取るために?」

 

 永琳の声は静かだが、冷たい。

 

 霞堂は答えない。

 

 慧音が筆を走らせる。

 

「縁目会、各勢力の非開示道を根拠に通行権を主張。ただし、通行料徴収と偽札誘導について明確な否定なし」

 

 霞堂は慧音を見た。

 

「記録とは便利ですね」

 

「便利だから記録するのではない。都合よく消されないために記録する」

 

 藍は霞堂へ向き直った。

 

「縁目会の主張には、一部正しい点があります」

 

 会合場が少しざわついた。

 

 霊夢も藍を見る。

 

 藍は続けた。

 

「八雲一家は境界を隠しすぎました。台帳を内側に閉じ、過去の外部委託記録を共有せず、縁目会の残した危険を十分に処理しませんでした」

 

 紫は黙っている。

 

 藍は振り返らない。

 

「命蓮寺、守矢、紅魔館、永遠亭、白玉楼、地霊殿にも、それぞれ秘匿された道があります。それらが必要であることも理解します。ですが、秘匿された道は、悪用された時に外から見えません」

 

 霞堂が微笑む。

 

「では、縁目会の役割も認めると?」

 

「いいえ」

 

 藍は即答した。

 

「隠された道に問題があることと、道を商品にしてよいことは別です」

 

 霞堂の笑みが少し薄くなる。

 

 藍は中央の偽札を指した。

 

「あなた方は、道を守ったのではありません。道を狂わせ、正解だけを売りました。通る者の不安を利用し、待つ者の事情を無視した。これは境界管理ではなく、境界を人質にした商売です」

 

 橙が前へ出た。

 

「猫道も売った」

 

 霞堂は橙を見る。

 

「小さな道にも価値があります」

 

「あるよ。でも値段じゃない」

 

 橙はまっすぐ言った。

 

「猫道は、帰るための道。知らせるための道。困ってる子を迎えに行く道。売り物じゃない」

 

 藍は頷いた。

 

「橙の言う通りです」

 

 霞堂は静かに息を吐いた。

 

「美しい言葉は、道を直しません」

 

「直します」

 

「どうやって」

 

 藍は共有境界台帳を開いた。

 

 その頁には、複数の筆跡がある。

 

 藍の字。

 慧音の字。

 橙の猫道。

 村紗の物流路。

 早苗の山道。

 咲夜の領域線。

 鈴仙の竹林案内。

 妖夢の冥界道。

 さとりの地底路。

 

 藍は言った。

 

「八雲だけで見ない。通る者、待つ者、守る者、それぞれの記録を重ねます」

 

 霞堂は少し笑った。

 

「共有台帳ですか。危険ですね」

 

「承知しています」

 

「道は知られれば使われる」

 

「知られなければ、売られます」

 

 その言葉に、霞堂の表情が初めて硬くなった。

 

 藍は続ける。

 

「八雲裁定を下します」

 

 慧音が筆を構えた。

 

 霊夢も静かに見ている。

 

 紫は扇を閉じた。

 

 藍の声が、会合場に響く。

 

「一つ。縁目会による通行権販売を無効とします。道を狂わせてから安全路を売る行為は、境界管理ではなく脅しです」

 

 霞堂は黙っている。

 

「二つ。偽八雲札はすべて回収します。旧式境界札の形式は廃止。今後、八雲札は現行様式へ統一し、関係勢力へ偽造判別の基準を共有します」

 

 紫が小さく笑った。

 

「仕事が増えるわね」

 

 藍は構わず続ける。

 

「三つ。八雲一家は境界台帳の一部を開示します。人里生活路、博麗参道、命蓮寺物流路、永遠亭救急路、守矢山道、紅魔館周辺路、白玉楼冥界道、地霊殿連絡路について、必要範囲を関係勢力と共有します」

 

 慧音が頷く。

 

「人里側も記録を合わせる」

 

 白蓮が言う。

 

「命蓮寺も物流路を共有します」

 

 神奈子は少し不満そうだったが、やがて頷いた。

 

「山道も、必要な範囲で出そう」

 

 レミリアは咲夜を見る。

 

 咲夜が静かに頷くと、レミリアは言った。

 

「紅魔館も、最低限なら認めるわ」

 

 藍は続ける。

 

「四つ。主要道の封鎖は立会い制とします。緊急時を除き、八雲単独で生活路、物流路、救急路を閉じません。博麗、人里、または関係勢力の立会いを必要とします」

 

 霊夢が言う。

 

「博麗にも来るのね」

 

「はい」

 

「面倒ね」

 

「必要です」

 

「分かってるわよ」

 

 藍は橙を見る。

 

「五つ。橙の猫道を緊急連絡路として認定します」

 

 橙が目を丸くした。

 

「ほんと?」

 

「本当だ」

 

 藍は少しだけ柔らかく言った。

 

「ただし、売買禁止。通行札も料金も不要。人里、博麗、八雲で保護します」

 

 橙は嬉しそうに尻尾を揺らした。

 

 猫たちが会合場の端で一斉に鳴いた。

 

「六つ。縁目会は解体します」

 

 縁目会の者たちがざわめく。

 

 藍は続けた。

 

「ただし、危険な道の案内技術を持つ者は、監視下で再登録を認めます。役目は通行権販売ではなく、危険路案内と封鎖補助。料金徴収は禁止。必要経費は関係勢力の裁定で決めます」

 

 霞堂が初めて口を開いた。

 

「つまり、我々を八雲の下請けに戻すと」

 

「違います」

 

 藍ははっきり言った。

 

「八雲だけの下請けにはしません。博麗、人里、関係勢力の監視下です」

 

 霞堂の目が細くなる。

 

 藍は最後に、紫を見た。

 

「七つ。八雲紫は、過去の外部委託記録を提出すること」

 

 会合場が静まり返った。

 

 紫はしばらく黙っていた。

 

 やがて、ゆっくり微笑む。

 

「私にも裁定が返ってきたわね」

 

 藍は頭を下げなかった。

 

「必要です」

 

「ええ」

 

 紫は扇を閉じた。

 

「受け入れるわ」

 

 その一言で、会合場の空気が変わった。

 

 八雲裁定は成立した。

 

 少なくとも、形の上では。

 

 だが、霞堂縁吏は静かに笑った。

 

「立派な裁定です」

 

 霊夢が眉をひそめる。

 

「その言い方、まだ何かあるわね」

 

「ええ」

 

 霞堂は懐から、一枚の黒い札を取り出した。

 

 それは、これまでの偽八雲札とは違っていた。

 

 八雲の印に似せていない。

 

 縁目会の印でもない。

 

 ただ、道の線だけが描かれている。

 

 霞堂は言った。

 

「では、最後に証明しましょう。道を握る者が、幻想郷を握る」

 

 黒い札が砕けた。

 

 会合場の糸が、一斉に揺れた。

 

 人里から博麗神社への道が外れる。

 命蓮寺の参道がねじれる。

 竹林の救急路が沈む。

 山道が三つに裂ける。

 紅魔館湖畔線が霧の中へ逃げる。

 白玉楼への冥界道が霞む。

 地底の縦穴が遠ざかる。

 

 幻想郷中の道が、一瞬だけ外された。

 

 霊夢が叫ぶ。

 

「こいつ!」

 

 縁目会の者たちが一斉に札を投げる。

 

 会合場の道糸が絡み、各勢力の足元がずれる。

 

 白蓮の立つ場所が命蓮寺から遠ざかる。

 咲夜の周囲に湖畔の霧が出る。

 鈴仙の足元に竹林の影が揺れる。

 妖夢の背後に冥界道が閉じかける。

 さとりの視線の先で、地底への道が暗く沈む。

 

 霞堂の声が響く。

 

「道は繋がっているからこそ、切れば孤立する。八雲がいなければ、誰も全体を見られない。縁目会がいなければ、誰も通れない」

 

 藍は台帳を押さえた。

 

 道糸が暴れている。

 

 八雲の台帳だけでは足りない。

 霞堂はそれを知っている。

 

 紫の力を借りれば、切り裂けるかもしれない。

 だが、それではまた八雲だけが境界を握ることになる。

 

 藍は歯を食いしばった。

 

「橙!」

 

「はい!」

 

「猫道は見えるか!」

 

 橙は会合場の床に手をついた。

 

 揺れる道の中で、細い線を探す。

 

 大きな道は暴れている。

 参道も、荷車道も、山道も、冥界道も。

 

 でも、小さな道はまだある。

 

 塀の上。

 祠の裏。

 古井戸の影。

 屋根の端。

 子供を帰した木の根の隙間。

 

 橙は叫んだ。

 

「見える! 小さい道、まだ繋がってる!」

 

 藍は台帳を開いた。

 

「慧音殿、人里の古道を!」

 

 慧音がすぐに答える。

 

「北口旧参道、火除け道、寺子屋裏道、記録あり!」

 

「霊夢殿、博麗参道を固定してください!」

 

「任せなさい!」

 

 霊夢の御札が、暴れる参道の糸へ刺さる。

 

「村紗殿、命蓮寺の物流路!」

 

「荷車道、寺裏の軒下、船着き場への迂回路、全部こっちだ!」

 

 村紗が碇で糸を引き寄せる。

 

「早苗殿、山道!」

 

「表参道、旧獣道、信徒道、確認しました!」

 

 早苗の御幣が山道の糸を結ぶ。

 

「咲夜殿、紅魔館周辺路!」

 

「湖畔東線、門前通行線、夜間禁止区域、固定します」

 

 銀の光が霧の中へ走る。

 

「鈴仙殿、竹林救急路!」

 

「古水路跡、薬師道、急患搬送路、こちらです!」

 

 鈴仙の声が竹林の糸を導く。

 

「妖夢殿、冥界道!」

 

「白玉楼仮通行路、戻します!」

 

 妖夢が冥界道の歪みに刃を置き、切らずに支える。

 

「さとり殿、地底路!」

 

「地底縦穴、旧連絡路、裏排水道。お燐、印を」

 

「任せて!」

 

 お燐が地底の糸に火車の印を置く。

 

 藍はそれらを台帳上で重ねた。

 

 八雲の線。

 人里の線。

 博麗の線。

 命蓮寺の線。

 守矢の線。

 紅魔館の線。

 永遠亭の線。

 白玉楼の線。

 地霊殿の線。

 そして、橙の猫道。

 

 すべてが、一つの地図になる。

 

 霞堂の顔から笑みが消えた。

 

「そんな寄せ集めの線で、境界が戻せると?」

 

 藍は答えた。

 

「戻します」

 

「八雲紫のようにはできない」

 

「紫様のようにはしません」

 

 藍は台帳へ手を置いた。

 

「境界は、閉じるためだけのものではない。繋ぐためにもあるのです」

 

 その瞬間、橙の猫道が光った。

 

 小さな線が、暴れる大きな道の隙間を縫っていく。

 

 猫道は細い。

 だが、切れていない。

 

 その細い線を起点に、藍は道を戻す。

 

 博麗参道が人里へ繋がる。

 命蓮寺の荷車道が戻る。

 竹林の救急路が正しい入口を示す。

 山道が山へ伸びる。

 紅魔館の湖畔線が門へ向かう。

 冥界道が白玉楼へ細く開く。

 地底路が縦穴へ戻る。

 

 縁目会の偽札が、一枚ずつ灰色に変わる。

 

 霞堂は黒い札の残骸を握りしめた。

 

「道を共有すれば、いつかまた売られる」

 

 藍は言った。

 

「だから記録します」

 

「記録は盗まれる」

 

「だから照合します」

 

「照合には時間がかかる」

 

「それでも、道を人質にするよりましです」

 

 霞堂は黙った。

 

 その背後で、縁目会の者たちの札が次々と力を失っていく。

 

 しかし、最後の中心だけが残った。

 

 人里を囲む大きな偽境界。

 

 藍の力だけでは、少し足りない。

 

 その時、紫が静かに前へ出た。

 

「藍」

 

 藍は振り返らない。

 

「まだ、できます」

 

「ええ。分かっているわ」

 

 紫は藍の隣に立った。

 

「手を貸すだけよ。主役はあなた」

 

 藍は一瞬だけ目を閉じた。

 

「お願いします」

 

 紫が扇を開く。

 

 だが、境界を裂くのではない。

 

 藍の台帳の線に沿って、ほんの少しだけ道を押し広げる。

 

 橙の猫道が起点になり、藍の台帳が方向を示し、紫の力が最後の歪みをほどく。

 

 人里を囲む線が、音もなく外れた。

 

 偽札が一斉に落ちる。

 

 会合場の糸が、静かに元の場所へ戻っていった。

 

 霞堂は膝をついた。

 

 霊夢の御札がその周囲を囲む。

 

 妹紅が退路を塞ぐ。

 咲夜が縁目会の者たちの袖を止める。

 村紗が札束を押さえる。

 慧音がすべてを記録する。

 

 藍は霞堂の前に立った。

 

「霞堂縁吏。八雲裁定に従い、縁目会の通行権販売を無効とします」

 

 霞堂は顔を上げた。

 

「道は、また隠されるのですか」

 

「いいえ」

 

 藍は台帳を閉じた。

 

「必要な道は、必要な者と共有します。危険な道は、理由を記録して閉じます。小さな道も、無かったことにはしません」

 

 霞堂は小さく笑った。

 

「理想ですね」

 

「実務です」

 

 その言葉に、霞堂は黙った。

 

 紫が少しだけ笑う。

 

「藍らしいわ」

 

 霊夢は肩をすくめた。

 

「ようやく終わり?」

 

 慧音が答える。

 

「終わりではない。これから偽札の回収と台帳の照合がある」

 

「また帳面仕事」

 

 魔理沙が笑った。

 

「最近の幻想郷、帳面が最強だな」

 

 藍は橙を見る。

 

「橙」

 

「うん?」

 

「猫道のおかげだ」

 

 橙は一瞬ぽかんとした。

 

 そして、嬉しそうに笑った。

 

「じゃあ、猫たちに煮干しね」

 

「約束したからな」

 

 会合場の道糸は、静かに揺れていた。

 

 もう縁目会に売られる道ではない。

 八雲だけが隠す道でもない。

 

 通る者と、待つ者と、守る者が見る道。

 

 藍は、共有境界台帳の最後に一行を書いた。

 

 **境界は、片側のものではない。**

 

 その文字が乾く頃、人里を囲んでいた線は完全に消えた。

 

 夜の向こうで、道が戻る。

 

 人里から博麗神社へ。

 人里から命蓮寺へ。

 竹林へ。

 山へ。

 湖へ。

 冥界へ。

 地底へ。

 

 そして、塀の上を走る猫たちの道も。

 

 幻想郷は、再び繋がり始めた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。