東方無頼郷「幻想郷に善人はいない」   作:たこ焼き 龍月

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第三章 安寧祭の縄張り

 

 

 人里の広場には、まだ何も建っていなかった。

 

 朝露を含んだ土。

 火消しの詰所へ続く道。

 井戸の方へ向かう石畳。

 寺子屋から見える、少し広い空き地。

 

 普段なら、子供たちが走り回り、商人が荷を置き、夕方には屋台の話をするような場所だった。

 

 だが、その朝の広場には、縄が張られていた。

 

 一本ではない。

 

 何本も。

 

 白い縄。

 青い縄。

 赤い縄。

 古びた杭。

 新しく削った木札。

 

 その一つには、こう書かれていた。

 

 **守矢神社 防災祈願舞台予定地**

 

 別の札には、こう書かれている。

 

 **命蓮寺 灯籠供養・慰霊法会予定地**

 

 そして、その二つの札は、同じ場所に刺さっていた。

 

 広場の中央。

 

 上白沢慧音は、その二本の杭を見て、しばらく黙っていた。

 

 横で藤原妹紅が腕を組む。

 

「始まったな」

 

「始まった」

 

「まだ祭りの前だぞ」

 

「祭りの前だから始まるんだ」

 

 安寧祭。

 

 それは、人里の者たちが言い出した祭りだった。

 

 抗争続きで疲れた里を、少しでも落ち着かせたい。

 水の騒ぎも、死者の証文も、道の封鎖も、全部終わったことにしたいわけではない。

 ただ、暮らしを続けるために、一度みんなで息をつく場が欲しい。

 

 そういう願いから出た祭りだった。

 

 だが、祭りというものは、ただ人が集まればできるわけではない。

 

 誰が場を作るのか。

 誰が祈るのか。

 誰が供養するのか。

 誰が屋台を出すのか。

 誰が寄進箱を置くのか。

 誰が中央に立つのか。

 

 そこには、必ず縄張りが生まれる。

 

 慧音は広場の中央に刺さった二本の杭を見下ろした。

 

「中央は空けると言ったはずだ」

 

 妹紅が片方の札を指で弾いた。

 

「守矢は中央で祈願したい。命蓮寺は中央で供養したい。どっちも人里のため。便利な言葉だな」

 

「便利すぎる」

 

 慧音は帳面を開いた。

 

 その時、広場の北側から早苗がやって来た。

 

 後ろには守矢の手伝いたちが数人いる。

 木材、幕、御札、縄、簡易の舞台板。

 かなり本格的な準備だった。

 

 早苗は慧音に気づき、少しだけ足を止めた。

 

「慧音さん」

 

「早苗。これは何だ」

 

 慧音は中央の杭を指した。

 

 早苗は言いづらそうに答えた。

 

「防災祈願の舞台予定地です」

 

「中央は博麗と人里で管理する、と話したはずだ」

 

「はい。ただ、人が集まりやすい場所で説明と祈願を行った方が、防災の話も伝わりやすいと神奈子様が」

 

 妹紅が低く言う。

 

「神奈子らしいな」

 

 早苗は少し困ったように笑ったが、すぐに真剣な顔へ戻った。

 

「安寧祭では、災害時の避難経路、井戸の確認、非常食の保管場所、山道の安全について説明します。舞台が端だと、話を聞かない方も出てしまいます」

 

「聞かせるために中央を使うのか」

 

「はい」

 

 早苗は正直だった。

 

 慧音は、その正直さを嫌いにはなれない。

 

 だが、正直なだけでは済まない。

 

「では、命蓮寺の供養はどこで行う」

 

 早苗は黙った。

 

 広場の南側から、今度は命蓮寺の一行が現れた。

 

 白蓮。

 村紗。

 一輪。

 数人の寺の者。

 こちらも灯籠、経机、布、香炉を運んでいる。

 

 村紗が中央の札を見て、露骨に顔をしかめた。

 

「おい。そこはうちが灯籠を置く場所だろ」

 

 早苗が振り返る。

 

「命蓮寺も中央を使うのですか」

 

「慰霊だぞ。端でやれってのか」

 

 早苗の表情が硬くなる。

 

「防災祈願も、人里全体に関わるものです」

 

 村紗は荷を下ろした。

 

「亡くなった者を弔わずに、安心なんかあるか」

 

「これから生きる人たちの備えも必要です」

 

「だからって、中央を全部使うのか」

 

「全部とは言っていません」

 

「じゃあ、この杭は何だ」

 

 空気が少し尖った。

 

 白蓮が静かに前へ出る。

 

「村紗」

 

「分かってる」

 

「分かっていません」

 

 村紗は舌打ちを飲み込んだ。

 

 白蓮は慧音と早苗へ頭を下げる。

 

「中央で灯籠供養を行いたいと考えています。抗争続きで傷ついた人々には、亡くなった者を思い、心を落ち着ける時間が必要です」

 

 早苗は言った。

 

「それは分かります。ですが、守矢も人里の今後のために、防災祈願と豊作祈願を行います。これから安心して暮らすためには、具体的な備えも必要です」

 

 白蓮は頷く。

 

「必要でしょう」

 

「なら」

 

「ですが、祭りの中心が御利益の場だけになると、弔いの場が後ろへ押しやられます」

 

 早苗は少しだけ息を呑んだ。

 

 白蓮は続ける。

 

「生きている者の暮らしを守ることは大切です。けれど、亡くなった者を弔うこともまた、生きている者の安心につながります」

 

 早苗は言葉を探した。

 

「守矢は、弔いを軽んじているわけではありません」

 

「分かっています」

 

「でも、防災祈願を端に置けば、守矢がただ御利益札を配っているだけに見えます」

 

「灯籠供養を端に置けば、命蓮寺がただ悲しむ者を隅に集めているように見えます」

 

 二人とも、声を荒げてはいない。

 

 だが、譲らない。

 

 妹紅は小声で言った。

 

「静かな喧嘩だな」

 

 慧音は帳面に短く記した。

 

 **安寧祭中央使用をめぐり、守矢・命蓮寺対立。**

 

   *

 

 昼前になると、広場にはさらに人が集まった。

 

 屋台を出す者。

 火消しの若い衆。

 寺子屋の保護者。

 守矢の安心講へ名簿を書いた者。

 命蓮寺の救済会へ相談に行った者。

 どちらにも行っていない者。

 

 人が集まれば、噂も集まる。

 

「守矢の舞台、中央に置くんだって」

 

「そりゃ、防災祈願だからね。皆が聞ける場所じゃないと」

 

「でも、命蓮寺の供養も中央でやるんだろ」

 

「供養は静かな場所の方がいいんじゃないか」

 

「それは、供養を端に追いやるってことかい」

 

「いや、そういう意味じゃ」

 

「守矢の名簿に書いた家は、守矢の舞台に行くんだろうな」

 

「命蓮寺に相談した家は、灯籠へ行くんじゃないか」

 

「両方行くのは変かね」

 

「変じゃないだろ」

 

「でも、どっちの顔を立てるかって話になるだろう」

 

 慧音はそれを聞きながら、表情を硬くしていた。

 

 まさに恐れていたことが起きている。

 

 まだ何も始まっていない。

 祭りも始まっていない。

 祈願も供養も行われていない。

 

 それなのに、人々はもう自分の立つ場所を気にしている。

 

 守矢の舞台へ行く者。

 命蓮寺の灯籠へ行く者。

 両方へ行く者。

 どちらにも行かない者。

 

 信仰心は、場所取りに変わり始めていた。

 

 そこへ、博麗霊夢が現れた。

 

 片手に握り飯を持っている。

 

 魔理沙も横にいる。

 

「何これ」

 

 霊夢は広場を見渡した。

 

「祭りの準備じゃなくて、縄張りの下見?」

 

 魔理沙が笑う。

 

「分かりやすく揉めてるな」

 

 慧音は霊夢を見る。

 

「笑い事ではない」

 

「笑ってないわよ。呆れてるの」

 

 霊夢は中央の二本の杭を見た。

 

「で、どっちも中央が欲しいわけね」

 

 早苗が言う。

 

「守矢は、防災説明を皆さんに聞いていただく必要があります」

 

 村紗が返す。

 

「命蓮寺は、慰霊を人里の端に追いやる気はない」

 

 霊夢は二人を交互に見た。

 

「神も仏も、場所取りになると急に俗っぽいわね」

 

 早苗が少し顔を赤くする。

 

 白蓮は静かに目を伏せる。

 

 村紗は不満そうに言った。

 

「場所は大事だろ」

 

「大事よ。だから揉めてるんでしょ」

 

 霊夢は握り飯を食べ終え、手を払った。

 

「中央は博麗が使う」

 

 全員が霊夢を見る。

 

 早苗が驚く。

 

「霊夢さんが?」

 

「そう」

 

 村紗が眉をひそめる。

 

「博麗は何をやるんだ」

 

「何もしないわよ」

 

「は?」

 

「だから、中央は何もしない場所にする」

 

 霊夢は広場の真ん中を指した。

 

「そこに舞台も灯籠も置かない。寄進箱も名簿机も置かない。説法も御利益札も置かない。ただ空けておく」

 

 早苗が困惑する。

 

「それでは、祭りの中心が」

 

「人里になる」

 

 霊夢は即答した。

 

「守矢でも命蓮寺でも博麗でもない。人里の祭りなんだから、中央は人里のものよ」

 

 白蓮が霊夢を見る。

 

「では、守矢と命蓮寺は左右に?」

 

「そう。右でも左でも好きにしなさい。揉めるならくじ引き」

 

 神奈子の声がした。

 

「ずいぶん雑な裁定ね」

 

 広場の北側から八坂神奈子が歩いてきた。

 

 諏訪子も一緒にいる。

 

 神奈子は中央の空き地を見た。

 

「中央を空ける。聞こえはいいが、それでは人々が散る。防災の話を聞かない者も出る」

 

 霊夢は神奈子を見る。

 

「聞きたい人が聞けばいい」

 

「災害は、聞きたい者だけを襲うわけではない」

 

「だからって、祭りの真ん中を全部防災講習にする気?」

 

 神奈子は黙らない。

 

「安心を作るには、情報を共有する必要がある。広場の端で祈願だけして終わるなら、守矢がやる意味は薄い」

 

 白蓮が静かに言った。

 

「亡くなった者の名を思い出す時間も、端で済ませるものではありません」

 

 神奈子は白蓮を見る。

 

「死者を悼むことは大事だ。だが、いつまでも悲しみの中に置いておいては、人里は前へ進めない」

 

 白蓮の目が少しだけ鋭くなる。

 

「悲しみを急いで片づけることが、前へ進むことではありません」

 

「生きている者の暮らしは待ってくれない」

 

「心が置き去りになれば、暮らしも崩れます」

 

 霊夢が小さく息を吐いた。

 

「始まった」

 

 魔理沙が横で囁く。

 

「今日の本番だな」

 

   *

 

 神奈子と白蓮は、広場の中央で向かい合った。

 

 周囲の者たちは自然と距離を取る。

 

 誰も止められなかった。

 

 止める理由もなかった。

 

 これは喧嘩ではない。

 

 話し合いだ。

 

 ただし、互いの信仰の根に触れる話し合いだった。

 

 神奈子が先に言った。

 

「人里に必要なのは、まず生きていくための仕組みだ。水害に備え、井戸を守り、収穫を安定させ、山道を整える。信仰とは、暮らしを守る力だ」

 

 白蓮は静かに答える。

 

「暮らしを守ることは大切です。けれど、人は暮らしだけで生きているわけではありません。失った者を悼み、恐れを話し、赦しを求める場所も必要です」

 

「救いだけでは、川は止まらない」

 

「御利益だけでは、眠れない夜を越えられません」

 

 早苗は二人を見ていた。

 

 どちらの言葉も分かる。

 

 神奈子の言うことは正しい。

 守矢の力があれば、実際に守れるものがある。

 

 白蓮の言うことも正しい。

 命蓮寺の救済がなければ、人里の不安は行き場を失う。

 

 正しい言葉同士がぶつかる時、どちらかを悪者にできない。

 

 だから、胸が苦しくなる。

 

 神奈子は続けた。

 

「命蓮寺は人を受け入れる。それは立派だ。だが、受け入れるだけでは危機は防げない。寺に集まった者たちの不安は、やがて寺の力になる。人里の心を、寺が抱え込むことになる」

 

 村紗が一歩前へ出かけたが、白蓮が手で制した。

 

 白蓮は静かに返す。

 

「守矢の安心講も同じです。名簿を作り、寄進を集め、御利益を示す。人里の生活を守ると言いながら、人里を管理する力を得ていく」

 

 神奈子の目が細くなる。

 

「管理しなければ、守れないものがある」

 

「抱え込まなければ、拾えない者もいます」

 

「全部を拾おうとすれば、寺が人里を抱え込む」

 

「全部を管理しようとすれば、神社が人里を囲い込む」

 

 その言葉に、広場が静まり返った。

 

 互いに、相手の急所を突いた。

 

 そして同時に、自分の急所も見えていた。

 

 守矢は人里を囲い込む危うさを持つ。

 命蓮寺は人里を抱え込む危うさを持つ。

 

 どちらも善意だ。

 

 だが、善意には重さがある。

 

 その重さで、人里の心が左右に傾き始めている。

 

 慧音は帳面に記した。

 

 **守矢、生活防衛を主張。

 命蓮寺、心の救済を主張。

 双方、相手の囲い込みを指摘。

 人里、沈黙。**

 

   *

 

 昼を過ぎても、広場の縄は張られたままだった。

 

 話し合いは一度中断されたが、場所は決まらない。

 

 守矢側は、防災祈願の舞台を広場北側へ少し下げることを提案した。

 命蓮寺側は、灯籠供養を南側へ置く案を出した。

 

 だが、中央をどうするかで止まる。

 

 中央を空けるなら、そこに何を置くのか。

 何も置かないなら、祭りの意味が薄くならないか。

 博麗が小さな祭壇を置くなら、結局博麗が中心になるのではないか。

 人里が中心と言うなら、誰が管理するのか。

 

 祭りの準備は、すっかり評定になっていた。

 

 その間にも、人里の者たちは自分の立ち位置を気にしていた。

 

「守矢の舞台が北なら、うちはそっちに近いね」

 

「命蓮寺の灯籠が南なら、亡くなった父の供養にはそっちへ行きたい」

 

「両方行ってもいいのかね」

 

「博麗の中央って何をするんだ」

 

「どこに座ればいいんだ」

 

「守矢に名簿を書いたから、守矢側にいた方がいいのか」

 

「命蓮寺に相談したから、寺側に行かないと変かね」

 

 慧音はその声を聞き続けていた。

 

 そして、ついに筆を置いた。

 

「霊夢」

 

「何」

 

「中央には座席を置くな」

 

「最初から置く気ないわよ」

 

「人里の者を、守矢側、命蓮寺側に分けるな。座る場所を分ければ、そのまま信仰の線になる」

 

 霊夢は少しだけ真面目な顔になった。

 

「そうね」

 

 慧音は神奈子と白蓮を見る。

 

「祭りをやるなら、人里を選別するな。信じる先で座る場所を分けるな」

 

 神奈子は腕を組む。

 

「では、どうする」

 

 慧音は広場を指した。

 

「中央は通り道にする」

 

「通り道?」

 

「そうだ。守矢の舞台へも、命蓮寺の灯籠へも、屋台へも、井戸へも、博麗の祭壇へも行ける場所にする。誰かが留まる場所ではなく、行き来する場所にする」

 

 白蓮が静かに目を開く。

 

「人が選ぶ場所ではなく、行き来する場所」

 

「信仰心は、一箇所に座らせるものではない」

 

 霊夢が軽く頷いた。

 

「悪くないわね」

 

 魔理沙が笑う。

 

「中央が道か。最近の抗争で学んだ感じがするな」

 

 慧音は少しだけ苦い顔をした。

 

「学ばされたからな」

 

 神奈子は広場の中央を見た。

 

 何も置かない中央。

 だが、ただ空いているのではない。

 

 人が通る。

 守矢へ行く者も通る。

 命蓮寺へ行く者も通る。

 どちらにも行かない者も通る。

 

 それは、どちらの勢力のものでもない。

 

 神奈子は小さく息を吐いた。

 

「よかろう。守矢は北側に舞台を置く。ただし、防災説明の時間は広場全体へ知らせる」

 

 白蓮も頷いた。

 

「命蓮寺は南側に灯籠を置きます。ただし、供養は誰でも参加できる形にします」

 

 霊夢が言う。

 

「博麗は中央の端に小さい祭壇だけ置く。賽銭箱は」

 

「置くな」

 

 慧音と妹紅が同時に言った。

 

 霊夢は不満そうにする。

 

「小さいのならいいでしょ」

 

「駄目だ」

 

「じゃあ賽銭皿」

 

「駄目だ」

 

 魔理沙が笑った。

 

「博麗だけ信仰裁定で負けてるな」

 

「うるさい」

 

 少しだけ空気が緩んだ。

 

 だが、それは本当の解決ではない。

 

 配置が決まっただけだ。

 

 守矢の舞台は北へ。

 命蓮寺の灯籠は南へ。

 博麗の小さな祭壇は中央脇へ。

 中央は通り道。

 

 しかし、人々の心の中に引かれた線は、まだ残っている。

 

   *

 

 夕方、広場の準備はようやく進み始めた。

 

 守矢の者たちは北側に舞台を組む。

 

 早苗は避難路の板書を作り直していた。

 

 **防災名簿と祈願名簿は別です。**

 **寄進の有無で支援は変わりません。**

 **非常時の避難場所は人里と共有します。**

 

 その文字を見て、慧音は頷いた。

 

「分かりやすい」

 

 早苗は少し疲れた顔で笑う。

 

「昨日から、何度も考えました」

 

「考え続けろ」

 

「はい」

 

 一方、南側では命蓮寺が灯籠を並べていた。

 

 白蓮は一輪に指示を出している。

 

 **相談は本人の希望がある場合のみ記録。**

 **供養名は本人または遺族の同意により記載。**

 **寄進は任意。相談・供養の条件にしない。**

 

 村紗は灯籠の数を見て、少し渋い顔をしていた。

 

「足りるか?」

 

 一輪が答える。

 

「ぎりぎりです」

 

「ぎりぎりは足りないってことだ」

 

 白蓮は村紗を見る。

 

「無理はしません。足りなければ、後日改めて供養の場を設けます」

 

「それで人が納得すればいいけどな」

 

「納得してもらうために、説明します」

 

 村紗はため息をついた。

 

「説明ばっかりだな」

 

「信頼は、説明なしには続きません」

 

 村紗は何も言わなかった。

 

 少し離れたところで、神奈子が白蓮を見ていた。

 

 白蓮もそれに気づく。

 

 二人は一瞬だけ目を合わせた。

 

 まだ互いに納得していない。

 

 守矢は、命蓮寺を甘いと思っている。

 命蓮寺は、守矢を強引だと思っている。

 

 だが、少なくとも今日のところは、同じ広場に立っている。

 

 霊夢は中央の端で、何もない場所を見ていた。

 

 そこに小さな博麗の札を立てようとして、慧音に睨まれ、しぶしぶやめた。

 

「本当に何も置かないのね」

 

 慧音は言う。

 

「置かないことにも意味がある」

 

「面倒な意味ね」

 

「信仰抗争だからな」

 

「まだ抗争って決まってないでしょ」

 

 慧音は広場を見る。

 

 北に守矢。

 南に命蓮寺。

 中央に空いた通り道。

 

 そして、その周囲で人里の者たちが、どちらを見るべきか迷っている。

 

「もう始まっている」

 

 霊夢は何も言わなかった。

 

   *

 

 日が沈む頃、広場の縄は外された。

 

 安寧祭の形は、ひとまず決まった。

 

 だが、準備を終えた人々の顔には、まだ迷いがあった。

 

「明日は、まず守矢へ行こうか」

 

「うちは命蓮寺の灯籠に行くよ」

 

「両方行くなら、どっちを先にする?」

 

「博麗は何もしないのかね」

 

「中央は通り道らしい」

 

「通り道?」

 

「どちらにも行けるように、だと」

 

 その言葉は、人々の間にゆっくり広がっていく。

 

 通り道。

 

 それは、どちらかに決める場所ではない。

 どちらにも行ける場所。

 どちらにも行かずに通り過ぎることもできる場所。

 

 慧音は、その言葉が少しでも人里の息を軽くすることを願った。

 

 だが、願うだけでは足りない。

 

 明日になれば、祭りは始まる。

 

 守矢は御利益を示す。

 命蓮寺は救済を示す。

 人里は、その間を歩く。

 

 そして、そこでまた何かが起きる。

 

 早苗は舞台の上から広場を見ていた。

 

 白蓮は灯籠の前で手を合わせていた。

 

 神奈子は北側から南を見ている。

 村紗は南側から北を睨んでいる。

 霊夢は中央の何もない場所に立ち、面倒そうに空を見ている。

 

 妹紅が慧音に言った。

 

「明日、荒れるか」

 

「荒れる」

 

「断言か」

 

「信仰は静かに荒れる」

 

 妹紅は苦笑した。

 

「嫌な荒れ方だな」

 

「だから記録する」

 

 慧音は帳面を開いた。

 

 **安寧祭準備日。

 守矢神社、防災祈願舞台を中央に希望。

 命蓮寺、灯籠供養・慰霊法会を中央に希望。

 中央使用をめぐり対立。

 博麗、人里中央を空ける案を提示。

 慧音、中央を通り道とするよう提案。

 守矢、北側。命蓮寺、南側。博麗、中央脇。

 中央は通り道。

 ただし、人里の信仰心の線引きは継続。**

 

 筆を止める。

 

 広場に夜が落ちる。

 

 北側には守矢の舞台が影になって立っている。

 南側には命蓮寺の灯籠が、まだ火を入れられずに並んでいる。

 中央には何もない。

 

 何もないはずのそこに、慧音には一本の線が見えた。

 

 守矢と命蓮寺。

 御利益と救済。

 暮らしを守る力と、心を救う場所。

 

 明日、人里はその線の上を歩くことになる。

 

 安寧祭は、まだ始まっていない。

 

 だが、祭りの縄張りは、すでに人の心の中に張られていた。

 

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