東方無頼郷「幻想郷に善人はいない」   作:たこ焼き 龍月

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第四章 神と仏の口論

 

 

 安寧祭の朝、人里の広場には人が集まっていた。

 

 中央は空けられている。

 

 何も置かない場所。

 誰のものでもない場所。

 守矢へも、命蓮寺へも、屋台へも、井戸へも、寺子屋へも抜けられる通り道。

 

 上白沢慧音がそう決めた。

 

 博麗霊夢は「面倒なことを考える」と言ったが、反対はしなかった。

 八坂神奈子は不満そうだったが、守矢の舞台を北側へ移した。

 聖白蓮は静かに受け入れ、命蓮寺の灯籠を南側へ並べた。

 

 形だけ見れば、収まっている。

 

 北に守矢。

 南に命蓮寺。

 中央に人里。

 

 だが、形が整ったからといって、心まで整うわけではない。

 

 朝早くから、人々は迷っていた。

 

「まず守矢へ行くか」

 

「うちは先に命蓮寺の灯籠へ行く」

 

「両方行くなら、どちらを先にするんだ」

 

「博麗の方は何をするんだい」

 

「中央はただの通り道らしい」

 

「通り道って、祭りの中心なのかね」

 

 その声を、慧音は聞いていた。

 

 祭りの準備を手伝う子供たちが、中央の通り道を走っていく。

 その脇を、守矢の御札を持った老人が歩く。

 反対側では、命蓮寺の灯籠に名前を書こうか迷っている女が立っている。

 

 誰も怒ってはいない。

 

 誰も相手を罵ってはいない。

 

 それでも人里は、すでに二つの方角を意識していた。

 

 北か。

 南か。

 

 御利益か。

 救済か。

 

 慧音は帳面を開き、まだ何も書かずに閉じた。

 

 今日は、書くことが多くなる。

 

   *

 

 守矢の舞台では、早苗が防災祈願の準備をしていた。

 

 舞台の横には板書が立っている。

 

 **水害時の避難場所**

 **井戸の確認日**

 **山道通行注意**

 **非常食保管場所**

 **高齢者・子供の確認方法**

 

 前回と違い、名簿は二つに分けられている。

 

 防災用。

 祈願用。

 

 寄進箱も舞台の端に置かれ、名簿とは離されていた。

 

 早苗は、それを何度も確認する。

 

「防災名簿はこちらです。祈願や寄進とは別です。非常時の支援は、寄進の有無で変わりません」

 

 早苗は同じ説明を、何度も繰り返していた。

 

 声に疲れはある。

 だが、逃げてはいない。

 

 神奈子は舞台の後ろからそれを見ていた。

 

「そこまで言わなくても伝わるだろう」

 

 早苗は振り返る。

 

「伝わらないから、何度も言います」

 

「信仰は疑われた時点で弱くなる」

 

「説明しない信仰は、もっと弱くなります」

 

 神奈子は少しだけ目を細めた。

 

 以前の早苗なら、そこで言葉を飲んだかもしれない。

 

 だが、今の早苗は飲まなかった。

 

「人里の方々は、安心したいんです。でも、安心をもらう代わりに信仰を求められていると思えば、また不安になります」

 

 神奈子は舞台の外へ視線を向けた。

 

 人々が並んでいる。

 

 守矢の防災説明を聞きに来た者。

 収穫祈願を頼みに来た者。

 御札を求める者。

 ただ、様子を見に来ただけの者。

 

 神奈子は低く言った。

 

「人里を守るには、信仰がいる」

 

「分かっています」

 

「信仰を求めずに神を動かせというのは、都合がよすぎる」

 

「それも分かっています」

 

 早苗はまっすぐ神奈子を見る。

 

「でも、信仰してくれないなら助けられない、とは言いたくありません」

 

 神奈子は答えなかった。

 

 その沈黙は、不機嫌にも見えた。

 

 しかし早苗には、神奈子が考えているのも分かった。

 

   *

 

 南側では、命蓮寺の灯籠に火が入れられ始めていた。

 

 白蓮は本堂ではなく、人里の広場に立っている。

 

 並べられた灯籠には、名前が書かれているものもあれば、何も書かれていないものもある。

 

 白蓮は、名前を書くことを強制しなかった。

 

「名前を書きたい方は書いてください。書けない方、書きたくない方は、何も書かずに灯して構いません」

 

 その言葉に、ほっとする者がいた。

 

 反対に、困った顔をする者もいた。

 

「名前を書かないと、供養にならないんじゃないか」

 

「書かなくてもよいと言われたが、では何を供養するんだ」

 

「命蓮寺に相談したことは、記録されるのか」

 

「また来てもいいのか」

 

「寄進できないが、灯籠を使ってもいいのか」

 

 白蓮は一つずつ答える。

 

「無理に記録しません」

「供養は、形だけではありません」

「寄進できない方も構いません」

「相談は、望む範囲だけ残します」

 

 優しい言葉だった。

 

 だが、その優しさにも限界はある。

 

 村紗は灯籠の数を見て、渋い顔をしていた。

 

「足りない」

 

 一輪が小声で返す。

 

「昨日増やしました」

 

「それでも足りない」

 

「人が多すぎますね」

 

「多すぎるって言ったら、白蓮に怒られる」

 

「怒りはしないでしょう」

 

「悲しい顔をする。怒られるよりきつい」

 

 一輪は苦笑した。

 

 村紗は灯籠の列を見ながら、さらに言う。

 

「寄進できない者も使っていい。名前を書けなくてもいい。相談だけでもいい。全部いい。いいけど、その分こっちが抱える」

 

 一輪は帳面を閉じた。

 

「受け入れるというのは、そういうことです」

 

「分かってる。でも、受け入れ続けたら寺が沈む」

 

 村紗の声は低い。

 

「船と同じだ。助けたいからって、限界を超えて乗せたら全員沈む」

 

 白蓮はその声を聞いていた。

 

 振り返りはしなかった。

 

 ただ、次の相談者へ向き直る前に、ほんの一瞬だけ目を伏せた。

 

 聞こえている。

 

 それでも拒めない。

 

 村紗は、その背中を見て舌打ちを飲み込んだ。

 

   *

 

 祭りは、穏やかに始まった。

 

 屋台には人が並び、子供たちは中央の通り道を走る。

 博麗の小さな祭壇は、中央の端に置かれた。

 霊夢は賽銭箱を置こうとして、慧音に止められたため、小皿だけ置こうとした。

 

 それも止められた。

 

「何よ。皿くらいいいじゃない」

 

「駄目だ」

 

「祭壇に皿がないのは不自然でしょ」

 

「賽銭皿だろう」

 

「ただの皿よ」

 

「嘘をつくな」

 

 魔理沙が横で笑っている。

 

「博麗も信仰心を集める気満々じゃないか」

 

「うるさい。守矢と命蓮寺が集めてるのに、博麗だけ空気ってわけにはいかないでしょ」

 

「本音が出たな」

 

 慧音はため息をついた。

 

「霊夢。今日は調停役だ」

 

「分かってるわよ」

 

「本当に分かっている顔ではない」

 

「顔まで管理しないで」

 

 霊夢は不満そうに御幣を肩に担いだ。

 

 しかし、中央を空けるという約束は守っている。

 

 それだけでも、慧音はよしとした。

 

 昼前、守矢の舞台で防災祈願が始まった。

 

 早苗が人々の前に立ち、避難場所と井戸の位置を説明する。

 その後、神奈子が舞台へ上がった。

 

 空気が変わる。

 

 神の声は、人間の声より強い。

 

 神奈子が立つだけで、人々の背筋が伸びる。

 

「人里の者たちよ」

 

 神奈子の声が広場に響いた。

 

「ここしばらく、幻想郷では多くの騒ぎがあった。水は濁り、道は歪み、死者の名まで揺らいだ。人里が不安になるのは当然だ」

 

 人々は静かに聞く。

 

「だからこそ、備えがいる。祈りだけでは足りない。名簿も、避難路も、井戸の確認も、非常食もいる。だが、仕組みだけでも足りない」

 

 神奈子は一度、空を見た。

 

「信仰は力だ。信じる心が集まれば、神はそれを力に変えられる。水を鎮める力、道を守る力、田畑を実らせる力、人里を支える力だ」

 

 ざわめきはない。

 

 ただ、人々の目が真剣になる。

 

 神奈子の言葉は強い。

 

 分かりやすく、頼もしい。

 

「守矢は、人里の暮らしを守る。守られたい者は、ただ怯えるのではなく、共に備えよ。共に祈れ。共に力を集めよ」

 

 早苗は舞台の端で聞いていた。

 

 胸の中に、誇らしさと不安が同時に湧いた。

 

 神奈子の言葉は正しい。

 

 だが、強すぎる。

 

 守られたいなら、共に祈れ。

 

 それは、人によっては励ましに聞こえる。

 だが、人によっては圧にも聞こえる。

 

 舞台の下で、寄進できない男が目を伏せたのを、早苗は見逃せなかった。

 

   *

 

 同じ頃、南側では命蓮寺の灯籠供養が始まった。

 

 白蓮は静かに手を合わせる。

 

 神奈子の声が力なら、白蓮の声は水のようだった。

 

 低く、穏やかで、染み込むように広がる。

 

「ここに灯す灯は、亡き方だけのものではありません」

 

 人々が灯籠の前に立つ。

 

「名を呼べる方は、名を呼んでください。まだ呼べない方は、ただ灯を見てください。悲しみを言葉にできない方は、黙っていて構いません」

 

 命蓮寺側に集まった人々の中には、守矢の防災名簿に名前を書いた者もいた。

 

 その者たちは、どこか後ろめたそうにしている。

 

 白蓮は、それに気づいていた。

 

「ここに来たからといって、どこかの信仰を捨てたことにはなりません。守矢へ祈った方も、博麗へ参った方も、どこにも祈れない方も、ここにいて構いません」

 

 その言葉に、何人かが顔を上げた。

 

「信仰は、苦しむ者を見捨てないための道です。ここでは、信じられる者だけを選びません」

 

 その言葉もまた、強かった。

 

 優しいが、強い。

 

 命蓮寺の側へ、人が少しずつ増えていく。

 

 北で神奈子の話を聞いた者が、南の灯籠へ向かう。

 南で供養を終えた者が、北の防災説明へ向かう。

 中央の通り道は、確かに機能していた。

 

 だが、その行き来を見て、守矢の者たちは複雑な顔をする。

 

 命蓮寺の者たちも、守矢の舞台に向かう人々を見て、少し表情を曇らせる。

 

 通り道があるからこそ、誰がどちらへ向かったかが見える。

 

 見えてしまう。

 

 慧音は、中央でそれを見ていた。

 

「難しいな」

 

 妹紅が横で言う。

 

「通り道にしても、結局見えるんだな」

 

「信仰の行き先は、足で見えてしまう」

 

「厄介だ」

 

「厄介だ」

 

   *

 

 昼を少し過ぎた頃、最初の衝突が起きた。

 

 命蓮寺側に、小さな妖怪たちがやって来た。

 

 大きな妖怪ではない。

 人里を荒らすような者でもない。

 

 命蓮寺の救済会に来ていた者たちだ。

 

 人間と同じ灯籠の前には立たず、少し離れた場所で手を合わせている。

 

 だが、人里の者の一部がざわついた。

 

「妖怪も来るのか」

 

「命蓮寺だからな」

 

「でも、今日は人里の祭りだろう」

 

「子供もいるんだぞ」

 

 その声は、すぐに守矢側にも届いた。

 

 神奈子が舞台から降り、南側へ向かう。

 

 早苗も慌てて後を追った。

 

 白蓮は妖怪たちの前に立っていた。

 

 村紗は少し離れた場所で、人里の者たちの反応を見ている。

 

 神奈子は白蓮に言った。

 

「これは聞いていない」

 

 白蓮は静かに答える。

 

「命蓮寺の供養に来た者たちです」

 

「人里の安寧祭だ」

 

「人里の安寧は、妖怪を遠ざければ得られるものですか」

 

 神奈子の表情が硬くなる。

 

「今の人里には不安が残っている。妖怪への恐怖もある。そこへ何の説明もなく同じ場に立たせれば、逆効果だ」

 

 白蓮は言う。

 

「恐れがあるからこそ、同じ場に立つ必要があります」

 

「理想論だ」

 

「恐れをそのままにすれば、いつまでも線は消えません」

 

「線を消すために、人里の不安を無視するな」

 

「不安を理由に、救いを求める者を外へ追いやることもできません」

 

 二人の声は大きくなかった。

 

 だが、広場全体が聞いていた。

 

 早苗は白蓮を見る。

 

 白蓮の言葉は分かる。

 

 命蓮寺は、妖怪も救済する寺だ。

 ここで妖怪を追い返せば、命蓮寺の信仰そのものが揺らぐ。

 

 だが、神奈子の言葉も分かる。

 

 人里には、まだ恐れがある。

 抗争の記憶は薄れていない。

 子供を連れた親が不安になるのも当然だ。

 

 早苗は、どちらも間違っていないことが苦しかった。

 

 慧音が前へ出た。

 

「白蓮。今日参加する妖怪の名と目的は、人里側へ説明しているか」

 

 白蓮は少しだけ沈黙した。

 

「全ては、まだ」

 

 慧音は神奈子を見る。

 

「神奈子。危険があると判断する具体的な理由は」

 

 神奈子は妖怪たちへ視線を向ける。

 

「今この場で危険を起こすとは言っていない。だが、人里の者が安心していない」

 

「不安が理由か」

 

「不安も安全の一部だ」

 

 慧音は頷いた。

 

「その通りだ」

 

 白蓮が慧音を見る。

 

 慧音は続ける。

 

「だが、不安だけを理由に排除すれば、命蓮寺の言う救済は成り立たない」

 

 今度は神奈子が慧音を見る。

 

 慧音は両者に向かって言った。

 

「説明が足りない」

 

 短い言葉だった。

 

 だが、重い。

 

「命蓮寺は、妖怪を参加させるなら、人里へ説明する責任がある。誰が、何のために来ているのか。どこに立つのか。人里の者が怖がった時、どうするのか」

 

 白蓮は静かに頷いた。

 

「はい」

 

「守矢は、安全上の不安を出すなら、ただ怖いからでは済ませるな。何が危険で、どうすれば軽減できるのかを示せ」

 

 神奈子は腕を組む。

 

「分かった」

 

 霊夢が横から言った。

 

「で、今日どうするの」

 

 慧音は少し考えた。

 

「妖怪たちは命蓮寺の灯籠側に留まる。命蓮寺が説明する。人里の者が無理に近づく必要はない。守矢は、危険があればすぐ博麗と人里に知らせる。勝手に追い出さない」

 

 村紗が不満そうに言う。

 

「区画分けみたいだな」

 

 慧音は村紗を見る。

 

「区画ではない。説明が終わるまでの距離だ」

 

 白蓮は村紗へ静かに首を振った。

 

「受け入れます」

 

 神奈子も言った。

 

「守矢も受け入れる」

 

 しかし、そこで終わらなかった。

 

 白蓮が神奈子へ向き直る。

 

「神奈子さん」

 

「何かしら」

 

「人里の不安を理由に、妖怪を遠ざけ続ければ、命蓮寺の信仰は否定されます」

 

 神奈子は返す。

 

「妖怪との共生を理由に、人里の不安を軽んじれば、守矢の安心は崩れる」

 

 白蓮は目を伏せない。

 

「では、どうすれば」

 

 神奈子は即答する。

 

「まず生き残る仕組みだ」

 

 白蓮も即答する。

 

「仕組みからこぼれた者を拾う場所です」

 

 二人の間に、また沈黙が落ちた。

 

 そして、神奈子が言った。

 

「救いだけでは、川は止まらない。米も実らない。屋根も直らない」

 

 白蓮は静かに返した。

 

「御利益だけでは、眠れない夜を越えられません」

 

 神奈子の声が少し低くなる。

 

「人里に必要なのは、まず生き残る仕組みだ」

 

 白蓮の声もまた、静かに強くなる。

 

「仕組みからこぼれた者を、誰が拾うのですか」

 

「全部を拾おうとすれば、寺が人里を抱え込む」

 

「全部を管理しようとすれば、神社が人里を囲い込む」

 

 広場は完全に静まった。

 

 屋台の火の音だけが聞こえる。

 

 子供たちも走るのをやめていた。

 

 霊夢は眉間を押さえた。

 

「これ、祭りよね」

 

 魔理沙が横で言う。

 

「信仰抗争って感じになってきたな」

 

「言わなくていい」

 

   *

 

 神奈子と白蓮の口論は、すぐに決着しなかった。

 

 そもそも、決着する性質のものではない。

 

 守矢は、暮らしを守るための仕組みを求める。

 命蓮寺は、仕組みからこぼれる者を救おうとする。

 

 その二つは本来、両方必要なはずだった。

 

 しかし、どちらも自分の信仰の中心に関わるため、簡単には譲れない。

 

 早苗は、神奈子の後ろで立ち尽くしていた。

 

 白蓮の言葉が胸に残る。

 

 仕組みからこぼれた者を、誰が拾うのか。

 

 守矢の安心講は、こぼれる者を作っていないと言い切れるだろうか。

 

 一方で、神奈子の言葉も残る。

 

 救いだけでは、川は止まらない。

 

 命蓮寺の救済は、人里の屋根を直せるだろうか。

 井戸を守れるだろうか。

 山道を整えられるだろうか。

 

 どちらも足りない。

 

 どちらも必要。

 

 そして、どちらも自分たちだけで人里を救えると思い始めている。

 

 早苗はそれが怖かった。

 

   *

 

 夕方、安寧祭は予定より早く静かになった。

 

 屋台は残っている。

 灯籠も燃えている。

 守矢の舞台も片づけられてはいない。

 

 だが、人々の声は少ない。

 

 祭りというより、評定の後のような空気だった。

 

 慧音は寺子屋へ戻り、帳面を開いた。

 

 妹紅は窓際に座る。

 

「荒れたな」

 

「静かに荒れた」

 

「一番面倒なやつだ」

 

「そうだ」

 

 慧音は筆を取る。

 

 今日の記録は長くなる。

 

 **安寧祭当日。

 守矢神社、防災祈願および生活防衛を主張。

 命蓮寺、灯籠供養および救済を実施。

 中央通り道は機能するも、人里の信仰先は可視化。

 命蓮寺、妖怪参加を実施。

 守矢、人里の不安を理由に懸念。

 神奈子、生活を守る仕組みを主張。

 白蓮、仕組みからこぼれる者の救済を主張。

 双方、相手の囲い込みを指摘。

 結論なし。

 信仰心の線引き、さらに進行。**

 

 筆を止める。

 

 慧音はしばらく紙を見つめていた。

 

 妹紅が言う。

 

「結論なし、か」

 

「今日はな」

 

「明日は?」

 

「もっと悪くなるかもしれない」

 

「根拠は」

 

 慧音は窓の外を見る。

 

 人里の通りに、守矢の御札を持った家族が歩いている。

 反対側には、命蓮寺の灯籠を持って帰る女がいる。

 二組はすれ違う時、少しだけ目を伏せた。

 

「もう互いを見ている」

 

 妹紅は外を見て、苦い顔をした。

 

「ただ信じる先が違うだけだろ」

 

「その“だけ”が、今は重い」

 

 慧音は帳面を閉じた。

 

 広場の中央に置かれた通り道は、まだ残っている。

 

 だが、人々の心の中では、北と南が少しずつ遠くなっていた。

 

   *

 

 その夜、早苗は守矢の舞台の片づけを一人でしていた。

 

 神奈子は山へ戻った。

 諏訪子も姿を消した。

 

 舞台の上には、使われなかった御札が残っている。

 

 早苗はそれを一枚ずつ箱へ戻した。

 

 そこへ、白蓮がやって来た。

 

「お疲れさまでした」

 

 早苗は少し驚き、すぐに頭を下げた。

 

「白蓮さんこそ」

 

 しばらく、二人は黙っていた。

 

 祭りの後の広場は、昼間よりずっと広く見える。

 

 北の舞台。

 南の灯籠。

 中央の通り道。

 

 白蓮が静かに言った。

 

「今日は、難しい日でした」

 

「はい」

 

 早苗は頷いた。

 

「神奈子様の言葉も、白蓮さんの言葉も、どちらも分かりました」

 

「私も、神奈子さんの言葉は分かります」

 

 白蓮は舞台の板書を見る。

 

「救いだけでは、川は止まりません」

 

 早苗は南側の灯籠を見た。

 

「御利益だけでは、眠れない夜は越えられません」

 

 二人は互いに目を合わせた。

 

 敵ではない。

 

 けれど、同じでもない。

 

 白蓮は言った。

 

「早苗さん。守矢神社は、人里を守ろうとしているのでしょう」

 

「はい」

 

「命蓮寺も、人里を救おうとしています」

 

「はい」

 

「それでも、ぶつかるのですね」

 

 早苗は小さく息を吐いた。

 

「はい」

 

 白蓮は少しだけ寂しそうに微笑んだ。

 

「信仰とは、難しいものです」

 

 早苗も苦笑した。

 

「霊夢さんにも同じようなことを言われました」

 

「そうですか」

 

 その時、広場の端から霊夢の声が飛んだ。

 

「聞こえてるわよ」

 

 二人が振り返ると、霊夢が中央の通り道に立っていた。

 

「神も仏も、夜まで反省会?」

 

 早苗は少し慌てる。

 

「反省会というか」

 

 白蓮は静かに笑った。

 

「そのようなものです」

 

 霊夢は二人を見た。

 

「反省するなら、明日からにして。今日はもう帰りなさい」

 

「霊夢さんは?」

 

「私は見回り」

 

 魔理沙の声が後ろからする。

 

「本当は屋台の残りを探してたぜ」

 

「黙りなさい」

 

 少しだけ空気が和らいだ。

 

 しかし、霊夢の目は真面目だった。

 

「早苗、白蓮」

 

「はい」

 

「今日ので終わったと思わない方がいいわよ」

 

 二人は黙った。

 

 霊夢は続けた。

 

「人里は、たぶん明日からもっと気にする。誰がどっちへ行ったか。誰がどっちに近いか。誰がどちらにも行ってないか」

 

 早苗の顔が曇る。

 

 白蓮も目を伏せる。

 

「信仰って、見えないうちは自由だけど、見えた途端に線になる」

 

 霊夢は中央の通り道を足で軽く踏んだ。

 

「ここを通れるうちに、ちゃんと考えなさい」

 

 そう言って、霊夢は背を向けた。

 

 早苗と白蓮は、しばらくその場に立っていた。

 

 夜風が吹く。

 

 北側の守矢の旗が揺れる。

 南側の命蓮寺の灯籠が揺れる。

 中央の何もない道に、月明かりが落ちている。

 

 人は、神に祈る。

 人は、寺にすがる。

 時には、どちらにも行けない。

 

 その心を、誰がどう受け止めるのか。

 

 答えはまだ出ていない。

 

 ただ一つ確かなのは、今日の口論で、守矢と命蓮寺の違いは人里中に見えてしまったということだった。

 

 神と仏の言葉は、どちらも正しかった。

 

 そして、正しい言葉ほど、人を分けることがある。

 

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