東方無頼郷「幻想郷に善人はいない」*休載中   作:たこ焼き 龍月

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第四章 魔導書の偽写本

 

 永遠亭の診療所に、その本は持ち込まれた。

 

 患者は人里の若い男だった。

 

 顔色が悪い。

 手には包帯が巻かれている。

 目の下には寝不足の影があり、唇は乾いていた。

 

 鈴仙・優曇華院・イナバは、男を座らせると、水を出した。

 

「どこが痛みますか」

 

「手が、熱いんです」

 

 男は包帯の巻かれた右手を見せた。

 

 鈴仙がそっと包帯を外す。

 

 掌に、細い黒い線が浮かんでいた。

 

 傷ではない。

 

 墨のようにも見える。

 火傷の跡にも見える。

 だが、皮膚の上ではなく、内側に染み込んでいるような不自然さがあった。

 

 鈴仙の表情が変わる。

 

「これは、何か触りましたね」

 

 男は目を泳がせた。

 

「本を」

 

「本?」

 

「魔導書の写しです。紅魔館の……地下文庫から出たものだと」

 

 鈴仙は男の顔を見た。

 

「紅魔館の?」

 

 男は慌てて懐から布包みを取り出す。

 

 中には、薄い本が一冊入っていた。

 

 表紙には、古びた文字でこう書かれている。

 

 **紅館地下文庫写し**

 **紫魔女旧蔵断章**

 

 鈴仙は、それをすぐには開かなかった。

 

 紅魔館。

 地下文庫。

 紫魔女。

 

 それだけで、誰を思わせるかは分かる。

 

 鈴仙は本を布ごと盆に乗せ、奥へ向かった。

 

「師匠を呼びます」

 

   *

 

 八意永琳は、本を見ただけで眉をひそめた。

 

 診療所の奥、薬棚の前に置かれた机の上に、偽写本が広げられている。

 

 鈴仙は少し離れて立っていた。

 

 永琳は直接手で触れず、細い器具で頁をめくる。

 

 一頁目。

 二頁目。

 三頁目。

 

 紙の端から、かすかな黒い粉が落ちた。

 

「粗悪ね」

 

 永琳は短く言った。

 

「呪いですか」

 

 鈴仙が聞く。

 

「呪いというほど完成していないわ。魔術の式になり損ねたもの。薬で言えば、成分表だけ見て煎じた毒草の煮汁ね」

 

「危ないということですね」

 

「完成品ではないから安全、というわけではないのよ」

 

 永琳は本の表紙を見る。

 

 **紫魔女旧蔵断章**

 

「パチュリーが見たら怒るでしょうね」

 

 鈴仙は男の掌に浮いた黒い線を見る。

 

「手の黒い線は」

 

「紙に塗られた魔力定着剤が、皮膚に移ったのでしょう。河童製の簡易複写墨に似ている。ただし、調合が雑。触れた者の魔力に反応して、熱を持つ」

 

「治りますか」

 

「治るわ。けれど、長く持っていたら厄介だったかもしれない」

 

 永琳は本を閉じた。

 

「鈴仙。紅魔館へ知らせなさい」

 

「紅魔館へ、ですか」

 

「これは紅魔館のものではないでしょう。だからこそ知らせるの」

 

 永琳は静かに続けた。

 

「紅魔館の名前で危ない紙が出回る。放っておけば、次に傷つくのは触った者だけでは済まないわ」

 

   *

 

 知らせを受けたパチュリー・ノーレッジは、昼過ぎに永遠亭へ来た。

 

 珍しいことだった。

 

 紅魔館の外へ出ることを好まない彼女が、霧の湖を越え、竹林を抜けて、わざわざ永遠亭まで来た。

 

 付き添いは小悪魔。

 

 咲夜も一緒だった。

 

 永琳は二人を診療所の奥へ通した。

 

「来るのが早いわね」

 

 永琳が言うと、パチュリーは椅子に座りながら答えた。

 

「私の本の名前を使われたと聞いたから」

 

「あなたの本ではないわ」

 

「分かっているわ。だから不愉快なの」

 

 永琳は机の上の写本を示した。

 

「患者は軽い魔力熱。処置済み。命に関わるものではなかったけれど、数が出回れば面倒よ」

 

 パチュリーは写本を手に取った。

 

 小悪魔が慌てる。

 

「パチュリー様、直接触って大丈夫ですか」

 

「この程度なら」

 

 パチュリーは頁をめくる。

 

 しばらく読む。

 

 読み進めるほど、表情が消えていく。

 

 咲夜はその横顔を見ていた。

 

 これは怒っている。

 

 静かに、かなり怒っている。

 

 パチュリーは本を閉じた。

 

「私の蔵書の名を使うには、紙も墨も魔力も足りないわ」

 

 小悪魔は小さく頷く。

 

「内容は」

 

「断章と呼ぶのも嫌ね。式の順番が違う。注釈が欠けている。魔力の流し方を理解していない。誰かが古い魔術用語を拾って、それらしく並べただけ」

 

 永琳が言う。

 

「危険性は」

 

「読んで理解しようとすれば危険。理解できなければ、触っただけで少し痛い程度。でも、半端に魔力のある者が扱えば事故になる」

 

 咲夜の目が冷える。

 

「人里へ出回らせるには十分、ということですね」

 

「ええ」

 

 パチュリーは表紙を指で叩いた。

 

「これは魔導書ではない。紅魔館の名前を使った不良品よ」

 

 永琳は紙片を一枚取り出した。

 

「紙に無縁塚由来の古紙が混ざっている。墨は河童製の簡易複写機に近い。さらに、霧の湖周辺の湿気を吸っている」

 

 小悪魔が言う。

 

「前に紅魔館で見た偽写本と同じですね」

 

 咲夜は頷いた。

 

「夜霧会」

 

 パチュリーは静かに言った。

 

「湖畔の商人が、私の地下文庫を騙ったわけね」

 

 咲夜は写本を布で包み直した。

 

「これで、夜霧会の偽装は三つです。紅魔館封印紙。命蓮寺荷札。そして魔導書の偽写本」

 

 永琳が椅子に腰かける。

 

「守矢の水利札も出ていると聞いたわ」

 

「紙片は見つかっています。まだ使われた場所は調査中です」

 

「なら、相手は湖畔物流だけではないわね」

 

 永琳の声は落ち着いている。

 

「紅魔館の恐怖、命蓮寺の救済物流、守矢の水利、そして魔導書の知識。それぞれの勢力の“信用される印”を集めて、商売に変えている」

 

 咲夜は静かに答えた。

 

「ええ。夜霧会は、荷を運んでいるのではありません」

 

「何を運んでいるの」

 

 永琳が聞く。

 

 咲夜は少しも迷わなかった。

 

「名前です」

 

   *

 

 人里では、その偽写本がすでに噂になっていた。

 

 紅魔館の地下文庫から流れたらしい。

 パチュリーの蔵書の写しらしい。

 持っていれば魔法が使えるらしい。

 高く売れるらしい。

 紅魔館の関係者が裏で流しているらしい。

 

 噂は、真実より軽い。

 

 だからよく飛ぶ。

 

 魔理沙は、人里の古道具屋でその噂を聞いた。

 

「紅魔館の魔導書だって?」

 

 店主は小声で言う。

 

「写しだそうで」

 

「誰が売ってる」

 

「それは知りませんよ。ただ、湖畔の方から来た商人が」

 

「いくらだ」

 

「高いですよ」

 

「高いかどうかは中身次第だ」

 

 魔理沙は笑った。

 

 店主は慌てて奥から一冊を出した。

 

 布に包まれた薄い写本。

 

 表紙には、こう書かれている。

 

 **湖畔貴館秘本**

 **紅き魔女の夜学**

 

 魔理沙はそれを開いた。

 

 一頁目を見た瞬間、眉を寄せる。

 

 二頁目で顔をしかめる。

 

 三頁目で閉じた。

 

「ひでえな」

 

 店主が怯える。

 

「危ないものですか」

 

「危ない以前に、雑だ。パチュリーの本を騙るなら、もっと読ませるものを書け」

 

「買いますか」

 

「買わない」

 

 魔理沙は本を布に包み直した。

 

「これは紅魔館へ渡す」

 

「えっ」

 

「売ったら怒られるぜ。紅魔館に」

 

 店主は顔を青くした。

 

 魔理沙は写本を持ち上げる。

 

「それに、私もこういう粗悪品は嫌いなんでね」

 

 店を出た魔理沙は、その足で博麗神社へ向かった。

 

 霊夢は縁側で茶を飲んでいた。

 

「何よ、また拾い物?」

 

「拾ったんじゃない。買わずに回収した」

 

「つまり盗ったの?」

 

「人里を守ったと言ってくれ」

 

 霊夢は呆れた顔をする。

 

 魔理沙は写本を差し出した。

 

「紅魔館の偽写本だ。かなり出回ってるかもしれない」

 

 霊夢は表紙を見て顔をしかめた。

 

「また紅魔館?」

 

「紅魔館の名前を使った何か、だな」

 

 霊夢は写本を開きかけて、すぐに閉じた。

 

「嫌な感じ」

 

「だろ」

 

「パチュリーに渡す?」

 

「咲夜が来ると思うぜ」

 

 魔理沙の言葉通り、数瞬後、咲夜が神社の境内に立っていた。

 

 霊夢は驚かなかった。

 

「早いわね」

 

「魔導書の偽写本が人里へ流れていると聞きました」

 

 魔理沙が写本を掲げる。

 

「これだ」

 

 咲夜は受け取る。

 

 表紙を見た瞬間、表情が冷たくなった。

 

「紅き魔女の夜学」

 

 霊夢が聞く。

 

「本物?」

 

「本物なら、魔理沙が黙って持ってきません」

 

 魔理沙が笑う。

 

「よく分かってるな」

 

「分かっています」

 

 咲夜は写本を箱に収めた。

 

「博麗神社にもお願いがあります」

 

 霊夢が嫌そうな顔をする。

 

「面倒なお願い?」

 

「人里へ通達を。紅魔館名義、または紅魔館地下文庫名義の魔導書写本は、紅魔館と博麗立会いなしに売買しないように」

 

「紅魔館が直接言えば?」

 

「紅魔館が言うと、恐れて隠されます。博麗が言えば、まだ表へ出ます」

 

 霊夢は少し黙った。

 

「それ、紅魔館が恐れられてる自覚はあるのね」

 

「当然です」

 

「その恐れを夜霧会に使われた」

 

「ええ」

 

 咲夜の声が低くなる。

 

「ですから、回収します」

 

 霊夢は茶を置いた。

 

「本だけじゃなくて?」

 

「噂ごと」

 

   *

 

 その日の夕方、寺子屋にも写本が持ち込まれた。

 

 慧音は机の上に置かれた三冊の偽写本を見て、深くため息をついた。

 

 持ってきたのは妹紅だった。

 

「人里の外れで見つけた。若い連中が面白半分に回してたぞ」

 

「触った者は」

 

「一人、手が熱いと言って永遠亭へ行かせた。命に関わるような感じではなかったが」

 

 慧音は写本を開く。

 

 中身は読めない。

 

 専門的な魔術式の形をしているが、どこか歪んでいる。

 

 知識がない者には本物に見える。

 少し知識がある者には怪しい。

 よく知る者には粗悪。

 

 そういう本だった。

 

 つまり、騙す相手を選んでいる。

 

「悪質だな」

 

 慧音は言った。

 

「本物を知らない者に、本物の名で売る」

 

 妹紅は腕を組む。

 

「紅魔館の名前で脅すのと同じか」

 

「同じだ。信頼と恐れを、別の者が使っている」

 

 そこへ、咲夜とパチュリーが現れた。

 

 妹紅が少し驚く。

 

「また急に来るな」

 

 咲夜は一礼する。

 

「失礼します。偽写本の回収に参りました」

 

 パチュリーは机の上の本を見る。

 

「増えているわね」

 

 慧音は問う。

 

「人里にはどの程度出回っている」

 

 咲夜は答える。

 

「現在確認できているだけで八冊。永遠亭へ一冊、博麗へ一冊、寺子屋へ三冊。残りは湖畔の古物商から回収中です」

 

 パチュリーが本を一冊開く。

 

「同じ版ではないわね。表題を変えている。紅館地下文庫、紫魔女旧蔵、紅き魔女、湖畔貴館。どれも、私の名を直接出さずに匂わせている」

 

 慧音は帳面を開いた。

 

「逃げ道を残すためか」

 

「ええ」

 

 パチュリーは不愉快そうに言った。

 

「臆病な偽造ね」

 

 妹紅が写本を指す。

 

「これ、危険なのか」

 

 パチュリーは少し考えた。

 

「普通の人間が読んでも、ほとんど意味はない。ただし、魔力を持つ者が半端に使うと事故になる」

 

「事故?」

 

「火が出る、幻覚を見る、手が熱を持つ、物が少し動く。大きなことは起きないけれど、小さな騒ぎには十分」

 

 咲夜が続ける。

 

「小さな騒ぎが起これば、紅魔館の魔導書が危険だという噂が広がります」

 

 慧音は頷いた。

 

「紅魔館を疑わせるためか」

 

「あるいは、紅魔館の名で高く売るためです」

 

 咲夜は机に夜霧会の帳面の写しを置いた。

 

 そこには、品目の一覧がある。

 

 **赤館封紙**

 **寺荷止め用札**

 **山水利写し**

 **地下文庫断章**

 **妹君噂札**

 

 慧音の目が鋭くなった。

 

「妹君噂札」

 

 咲夜は少しだけ声を低くする。

 

「はい」

 

 妹紅も黙った。

 

 パチュリーは本を閉じる。

 

「夜霧会は、紅魔館の名、命蓮寺の荷、守矢の水利、そしてフランドールの噂まで商品にしている」

 

 慧音は筆を止めた。

 

「これは、単なる偽写本ではないな」

 

「ええ」

 

 咲夜は静かに答えた。

 

「夜霧会は、幻想郷の勢力名を商品棚に並べています」

 

   *

 

 その夜、紅魔館の図書館は明かりが消えなかった。

 

 パチュリーは偽写本を机に広げ、紙片を分類している。

 

 小悪魔が横で記録を取る。

 

「こちらが永遠亭からの写本。こちらが博麗神社。こちらが寺子屋。こちらが湖畔古物商」

 

「表題は違うけれど、版の癖は同じね」

 

 パチュリーは頁の端を指す。

 

「ここ。複写時の墨のにじみが同じ形をしている。簡易複写機の板に傷がある」

 

 小悪魔が顔を上げる。

 

「つまり、同じ機械で刷られた?」

 

「おそらく」

 

「河童製ですか」

 

「河童製の安物を改造したものね。正規の工房なら、もう少し精度が出る」

 

 パチュリーは紙の匂いを嗅ぐ。

 

「霧の湖の湿気。無縁塚の古紙。河童の墨。命蓮寺の荷札由来の繊維。紅魔館の廃棄封印紙由来の魔力残滓」

 

 小悪魔はぞっとした。

 

「いろいろ混ざっていますね」

 

「寄せ集めの商売よ」

 

 パチュリーは写本を閉じる。

 

「本物を持たない者が、本物の影だけを集めている」

 

 そこへ咲夜が入ってきた。

 

「製造元は割れそうですか」

 

「湖畔の古い倉庫。湿度と紙の劣化から見て、水際ではなく少し内側。窓が少なく、火を使える場所。複写機を隠せる広さが必要」

 

 咲夜は美鈴の地図を広げる。

 

 湖畔に点が打たれている。

 

 逃走路。

 古い桟橋。

 夜霧会の看板倉庫。

 紅魔館指定を騙った偽倉庫。

 

 パチュリーはそのうちの一つを指した。

 

「ここ」

 

 咲夜の目が細くなる。

 

「第三倉庫」

 

「紙の湿り方が合う」

 

 咲夜は頷いた。

 

「美鈴が確認した逃走路からも近い」

 

「押さえるの?」

 

「まだです」

 

 咲夜は地図を畳む。

 

「今押さえれば、黒羽霧重が逃げます。先に写本の流通先をすべて回収し、博麗と人里に通達。命蓮寺にも共有します。その上で、第三倉庫を見張ります」

 

 パチュリーは少しだけ感心したように言った。

 

「丁寧ね」

 

「紅魔館の制裁ですから」

 

「派手に壊さないの?」

 

「逃げ道を消してからで十分です」

 

 パチュリーは小さく笑った。

 

「咲夜らしい」

 

   *

 

 翌日、人里には通達が出された。

 

 博麗神社、人里寺子屋、紅魔館の連名だった。

 

 **紅魔館名義、紅魔館地下文庫名義、またはそれを匂わせる魔導書写本について。**

 **正式な確認印なきものは偽物と見なす。**

 **売買、貸借、書写を禁ず。**

 **所持者は博麗神社、寺子屋、紅魔館使者のいずれかへ届け出ること。**

 **触れて異常が出た場合、永遠亭へ相談のこと。**

 

 人里の者たちは、それを見てざわついた。

 

「やっぱり偽物だったのか」

 

「紅魔館の本じゃなかったんだな」

 

「持っているだけで怒られるのか」

 

「いや、届け出ればいいらしい」

 

「紅魔館に届けるのは怖い」

 

「なら寺子屋へ持っていけ」

 

 慧音は寺子屋で回収箱を用意した。

 

 妹紅はその横に立つ。

 

「本を入れる箱にしては厳重だな」

 

「半端な魔力がある。普通の箱では危ない」

 

「紅魔館に任せればいいのに」

 

「人里の者は紅魔館へ持っていくのを怖がる」

 

「それも紅魔館の信用ってやつか」

 

「恐れも信用の一部だ」

 

 慧音は言った。

 

「だから、使われた」

 

 その日のうちに、さらに四冊が集まった。

 

 どれも表題が違う。

 

 だが、どれも紅魔館を匂わせている。

 

 夜には、咲夜がそれを受け取りに来た。

 

 慧音は写本を渡しながら言う。

 

「人里では、紅魔館が本当に魔導書を流していると思った者もいた」

 

「でしょうね」

 

「怒らないのか」

 

「怒っています」

 

 咲夜は静かに答えた。

 

「だから、こうして一冊ずつ回収しています」

 

 慧音は帳面を開いた。

 

「夜霧会は、人の恐れと憧れを使っている」

 

「紅魔館への恐れ。魔導書への憧れ。命蓮寺の荷への信頼。守矢の札への信用」

 

 咲夜は続けた。

 

「すべてを紙にして売っている」

 

「紙は軽いが、名は重い」

 

「ええ」

 

 咲夜は写本の入った箱を持ち上げた。

 

「その重さを、思い知らせます」

 

   *

 

 紅魔館の大広間に、回収された偽写本が積まれた。

 

 数は十五冊。

 

 題名はすべて違う。

 

 だが、どれも同じ場所から生まれていた。

 

 レミリアは、それを退屈そうに眺めている。

 

「ずいぶん増えたわね」

 

 パチュリーが不機嫌に答える。

 

「粗悪品の山よ」

 

「売れていたの?」

 

 咲夜が答える。

 

「高値で買った者もいます。紅魔館の地下文庫、パチュリー様の蔵書、そうした噂を信じて」

 

 レミリアは小さく笑った。

 

「紅魔館の名は高いのね」

 

「勝手に値をつけられました」

 

「許せないわね」

 

 声は軽い。

 

 だが、目は冷たい。

 

 咲夜は地図を広げた。

 

「偽写本の製造元は、湖畔第三倉庫と推定。パチュリー様の分析、美鈴の逃走路調査、人里での流通経路が一致しています」

 

「黒羽霧重は?」

 

「まだ姿を見せていません。ただし、第三倉庫に出入りする船便の中に、黒羽の側近がいます」

 

「つまり、そこを押さえれば喉元に届く」

 

「はい」

 

 レミリアは立ち上がった。

 

「まだ潰さないの?」

 

 咲夜は深く頭を下げる。

 

「明日、博麗神社で一時評定があります。夜霧会は紅魔館の噂をさらに流すでしょう。各勢力の前で証拠を示し、紅魔館への疑いを完全に払ってから動きます」

 

 レミリアは少し不満そうに目を細めた。

 

「退屈ね」

 

「必要な退屈です」

 

 パチュリーが横で言う。

 

「珍しく咲夜に同意するわ。中途半端に潰せば、夜霧会は“紅魔館が証拠を消した”と噂を流す」

 

 レミリアは二人を見た。

 

 そして、ため息をつく。

 

「いいわ。証拠を揃えなさい」

 

 咲夜は頷く。

 

「すでに揃いつつあります」

 

「なら、次は評定ね」

 

 レミリアは窓の外を見る。

 

 霧の湖は、夜に沈んでいる。

 

「紅魔館が疑われる場に、私が出る」

 

 小悪魔が少し驚く。

 

「お嬢様自ら?」

 

 レミリアは笑った。

 

「私の名前で商売されたのよ。私が退屈して何が悪いの」

 

 咲夜は一礼する。

 

「では、準備を」

 

「ええ」

 

 レミリアは偽写本の山を見た。

 

「夜霧会は、紅魔館の影で商売をした。命蓮寺の荷を止め、パチェの本を汚し、人里を怯えさせた」

 

 声が少し低くなる。

 

「次は、紅魔館本人が表に出る番ね」

 

   *

 

 その夜、パチュリーは図書館で最後の分析記録を書いていた。

 

 小悪魔が横で偽写本を束ねる。

 

 外では、妖精メイドたちが走り回っている。

 

 咲夜は評定に持ち込む証拠を整えている。

 美鈴は湖畔第三倉庫の見張りについた。

 レミリアは、明日の評定に出るため、珍しく早めに支度をしている。

 

 小悪魔がぽつりと言った。

 

「パチュリー様」

 

「何」

 

「魔導書って、怖いものなんですね」

 

 パチュリーは少しだけ顔を上げる。

 

「本は怖いわよ」

 

「中身が、ですか」

 

「中身も。名前も」

 

 パチュリーは偽写本の表紙を指で押した。

 

「本物の本には、読む者を変える力がある。だから、本物の名を借りた偽物も人を動かす。中身が空でも、名前だけで人は触ってしまう」

 

 小悪魔は静かに頷いた。

 

 パチュリーは本を閉じる。

 

「夜霧会は、知識を売っているのではない。知識への憧れを売っている」

 

「紅魔館の恐れと同じですね」

 

「ええ」

 

 パチュリーは窓のない図書館の奥を見た。

 

「恐れも、憧れも、名前があるから生まれる。だから、名前を使われたら潰さなければならない」

 

 小悪魔は少しだけ身を正した。

 

「紅魔館として」

 

「図書館としても」

 

 パチュリーは筆を置いた。

 

 分析記録の最後には、こう書かれていた。

 

 **偽写本、湖畔第三倉庫にて製造された可能性高し。

 紙、墨、湿気、魔力残滓、すべて一致。

 パチュリー・ノーレッジの蔵書との直接関係なし。

 ただし、名を利用した悪質な偽装と判断。**

 

 パチュリーは小悪魔に命じた。

 

「これを咲夜へ」

 

「はい」

 

「それから」

 

「はい」

 

「明日の評定、私は行かない」

 

 小悪魔が驚く。

 

「えっ」

 

「代わりに、これを持っていけば十分よ。私は本物の図書館を守る」

 

 小悪魔は分析記録を受け取った。

 

「分かりました」

 

 パチュリーは椅子に深く座り直した。

 

 その目は静かだったが、怒りは消えていない。

 

 粗悪な偽写本は、図書館の隅に積まれている。

 

 それは本ではない。

 

 紅魔館の名を貼られた、ただの紙束だ。

 

 けれど、その紙束が人里を騒がせ、永遠亭に患者を出し、博麗を動かし、紅魔館の評定を呼んだ。

 

 紙は軽い。

 

 だが、名は重い。

 

 そして夜霧会は、その重さをまだ知らない。

 

 翌日、博麗神社で紅魔館は疑われることになる。

 

 だが、咲夜の帳面はすでに揃っていた。

 

 封印紙。

 荷札。

 写本。

 証言。

 倉庫。

 紙と墨。

 

 すべては湖畔第三倉庫へ伸びている。

 

 紅魔館の制裁は、もう霧の向こうまで届いていた。

 

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