東方無頼郷「幻想郷に善人はいない」*休載中   作:たこ焼き 龍月

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第五章 紅魔館包囲網

 

 

 噂は、夜のうちに人里へ入った。

 

 荷車より早く、船より軽く、札よりも薄い。

 

 誰が言い始めたのかは分からない。

 

 井戸端で女が聞いた。

 問屋の裏で番頭が聞いた。

 火消しの詰所で若い衆が聞いた。

 古道具屋で魔導書の写しを売ろうとしていた男が聞いた。

 命蓮寺の荷を待っていた者も、守矢の水利札を持っていた者も、同じような話を耳にした。

 

 紅魔館が、霧の湖の荷を止めている。

 

 紅魔館が、命蓮寺の救済物資に封をした。

 

 紅魔館が、守矢の水利札を盗んだ。

 

 紅魔館が、魔導書の写しを人里に流している。

 

 紅魔館が、湖畔の通行料を取るつもりだ。

 

 紅魔館が、地下の妹君の名で商人を脅している。

 

 どれも、はっきりした証拠はない。

 

 だが、どれも紅魔館ならありそうだと思わせる程度には、形を持っていた。

 

 赤い封印紙。

 黒い蝋。

 湖畔倉庫。

 魔導書。

 吸血鬼。

 地下の妹君。

 

 真実でなくても、噂には十分だった。

 

   *

 

 人里の寺子屋で、上白沢慧音は朝から帳面を開いていた。

 

 机の上には、回収された偽写本が二冊。

 紅魔館封印紙の偽物が一枚。

 命蓮寺の荷止めに使われた木札の写し。

 そして、火消しの若い衆が持ち込んだ噂の聞き書き。

 

 藤原妹紅は縁側に腰を下ろし、腕を組んでいる。

 

「増えたな」

 

「噂がか」

 

「紙もだ」

 

 慧音は筆を置いた。

 

「紙は回収できる。噂は難しい」

 

「紅魔館がやったと思ってる奴もいるのか」

 

「いる」

 

「咲夜が聞いたら冷えそうだな」

 

「すでに冷えているだろう」

 

 妹紅は苦笑した。

 

 慧音は聞き書きに目を落とす。

 

 紅魔館が命蓮寺を妨害した。

 紅魔館が湖畔倉庫を増やした。

 紅魔館が人里の商人を名指しで脅した。

 紅魔館が守矢の水路へ手を出した。

 

 どれも、紅魔館が直接やった証拠はない。

 

 しかし、紅魔館の名は強すぎる。

 

 強い名前は、証拠より先に人を黙らせる。

 

「夜霧会は分かっている」

 

 慧音は低く言った。

 

「紅魔館は恐れられている。その恐れがあれば、相手は勝手に想像する」

 

「名前を直接使わなくても、か」

 

「そうだ」

 

 妹紅は外を見る。

 

 人里の道を、守矢の御札を持った商人が急ぎ足で歩いていく。

 

「守矢も巻き込まれるな」

 

「すでに水利札の噂が出ている」

 

「命蓮寺は怒ってる」

 

「村紗は特にな」

 

「博麗は?」

 

 慧音は帳面を閉じた。

 

「今日、評定を開く」

 

「紅魔館も呼ぶのか」

 

「呼ばざるを得ない。呼ばなければ、噂だけで裁くことになる」

 

 妹紅は立ち上がった。

 

「紅魔館が素直に来るか?」

 

 慧音は少し黙った。

 

「来る」

 

「根拠は」

 

「名前を使われたからだ」

 

   *

 

 博麗神社には、昼前から人が集まっていた。

 

 霊夢は賽銭箱の前に立ち、すでに面倒そうな顔をしている。

 

 魔理沙は縁側に腰を下ろし、偽写本を一冊ぱらぱらとめくっていたが、すぐに閉じた。

 

「読むほど腹が立つな、これ」

 

「読まないでよ。変なことになったら永遠亭へ運ぶの、私なんだから」

 

「私はそんな粗悪品で変なことにはならないぜ」

 

「そういうやつが一番面倒なのよ」

 

 霊夢はそう言って、境内に集まる者たちを見た。

 

 人里から慧音と妹紅。

 命蓮寺から白蓮、村紗、一輪。

 守矢から神奈子と早苗。

 永遠亭から永琳と鈴仙。

 八雲から藍。

 

 紫は来ていない。

 

 来ていないが、どこかで見ているだろうと霊夢は思った。

 

 神奈子は腕を組み、不機嫌そうに言った。

 

「守矢の水利札まで使われた。紅魔館の騒ぎで済む話ではない」

 

 村紗がすぐに返す。

 

「うちは救済物資を止められた。こっちも紅魔館の都合で済ませる気はない」

 

 早苗は困ったように二人を見る。

 

 白蓮は静かに手を合わせている。

 

 永琳は回収された写本を見て、冷静に言った。

 

「偽写本は、少なくとも紅魔館の正式な魔導書ではないわ。ただし、紅魔館を思わせる名前で売られていたことは事実」

 

 鈴仙が続ける。

 

「軽い魔力熱を起こした患者が出ています。重症ではありませんが、数が増えれば問題です」

 

 霊夢は額を押さえた。

 

「紅魔館、命蓮寺、守矢、永遠亭、人里。噂だけでこの人数。夜霧会ってのは、面倒なところばっかり突いてくるわね」

 

 魔理沙が言う。

 

「紅魔館はまだか」

 

 その瞬間、境内の空気が変わった。

 

 石段の上に、十六夜咲夜が立っていた。

 

 その後ろに紅美鈴。

 さらに、小悪魔が証拠箱を抱えている。

 

 そして最後に、レミリア・スカーレットが現れた。

 

 小さな体。

 紅い瞳。

 悠然とした足取り。

 

 昼の博麗神社に、紅魔館の主が立つ。

 

 それだけで、境内の空気が少し冷えた。

 

 霊夢は眉を上げる。

 

「本人が来たのね」

 

 レミリアは微笑んだ。

 

「私の名前で商売をされたのよ。退屈しのぎにはちょうどいいわ」

 

 村紗が低く言う。

 

「こっちは退屈じゃ済んでない」

 

 レミリアは村紗を見る。

 

「でしょうね。寺の荷を止めたのだから、あなたが怒るのは当然よ」

 

 村紗は少し言葉を詰まらせた。

 

 レミリアは神奈子へ視線を移す。

 

「守矢の札も使われたそうね」

 

 神奈子は答える。

 

「神の印も、吸血鬼の印も、商人の紙切れではない」

 

「同感だわ」

 

 霊夢は咲夜を見る。

 

「証拠は?」

 

 咲夜は深く一礼した。

 

「持参しました」

 

 小悪魔が箱を開く。

 

 中には、整理された紙束、封印紙、荷札、写本、封蝋片、湖畔倉庫の位置図、証言書が入っている。

 

 咲夜は一枚目を取り出した。

 

「まず、紅魔館の正式封印紙と、夜霧会が使用した偽封印紙の比較です」

 

   *

 

 咲夜の説明は、刃物のように無駄がなかった。

 

「正式封印紙は黒縁二重。偽造品は一重。封蝋の押し位置が違い、蝋質も異なります。正式な紅魔館荷札には、咲夜確認印が必ず入ります。今回の偽造品には確認印がないか、位置が不正です」

 

 咲夜は二枚の紙を並べた。

 

 遠目には似ている。

 近くで見ると違う。

 

 それを誰もが確認できるように、咲夜は一つ一つ示した。

 

「次に、紅魔館湖畔倉庫という名称について。紅魔館には、そのような倉庫は存在しません」

 

 美鈴が地図を広げる。

 

「湖畔に“紅魔館指定保管所”を名乗る看板が三つありました。紅魔館の正式管理地ではありません」

 

 村紗が舌打ちする。

 

「あの看板でうちの荷が止められたわけか」

 

「はい」

 

 咲夜は続けた。

 

「命蓮寺の荷を止めた倉庫番は、夜霧会の指示と証言しています。こちらが証言書です」

 

 白蓮がそれを受け取る。

 

 静かに読み、頷いた。

 

「確かに、命蓮寺の荷を紅魔館名義で止めるよう指示されたとあります」

 

「次に、命蓮寺の荷札」

 

 咲夜は別の紙を出した。

 

「夜霧会の倉庫から、命蓮寺の正式荷札を写した紙片が見つかっています。紅魔館だけではなく、命蓮寺の信用も利用しています」

 

 一輪の顔が曇る。

 

「救済物資の荷札まで」

 

 村紗は拳を握った。

 

 咲夜は神奈子へ向き直った。

 

「守矢の水利札に似せた紙片も見つかりました。ただし、実際にどこまで使われたかは調査中です」

 

 神奈子は紙片を手に取る。

 

「似せてはいるが、神気が浅い」

 

 早苗も覗き込む。

 

「形だけですね」

 

「形だけでも、知らない者は信じる」

 

 神奈子は紙片を返した。

 

「夜霧会、いい度胸だ」

 

 咲夜は最後に、偽写本を机代わりの板の上へ置いた。

 

「こちらが人里で回収された偽写本。紅魔館地下文庫、紫魔女、紅き魔女、湖畔貴館など、紅魔館およびパチュリー様を匂わせる表題が複数あります」

 

 永琳が補足する。

 

「紙と墨、魔力定着剤は、患者に出た症状と一致します。紅魔館の正式魔導書ではありません」

 

 魔理沙が腕を組む。

 

「中身もひどい。パチュリーなら絶対こんな書き方しない」

 

 霊夢が魔理沙を見る。

 

「あんたが言うと妙に説得力あるわね」

 

「本は大事だからな」

 

 小悪魔がパチュリーの分析記録を差し出した。

 

 咲夜が読み上げる。

 

「偽写本は湖畔第三倉庫にて製造された可能性高し。紙、墨、湿気、魔力残滓、すべて一致。パチュリー・ノーレッジの蔵書との直接関係なし。ただし、名を利用した悪質な偽装と判断」

 

 境内は静かになった。

 

 紅魔館を疑うための材料が、紅魔館の持ち込んだ証拠で、一つずつ別の方向へ向いていく。

 

 霊夢は咲夜を見る。

 

「つまり、紅魔館はやってない」

 

 咲夜は答える。

 

「はい」

 

「命蓮寺の荷も止めていない」

 

「止めていません」

 

「魔導書も流していない」

 

「流していません」

 

「守矢の水利札も盗んでいない」

 

「少なくとも紅魔館は関与していません」

 

 霊夢は今度、レミリアを見る。

 

「やってないと言える証拠は?」

 

 レミリアは椅子もないのに、まるで玉座にいるように立っていた。

 

 そして微笑む。

 

「証拠なら咲夜が持ってきたわ。私は、それまでこの場で退屈しているだけ」

 

 霊夢は少しだけ呆れた顔をした。

 

「本当に退屈そうね」

 

「だって、私が直接説明するより、咲夜の帳面の方が怖いもの」

 

 咲夜は静かに一礼した。

 

   *

 

 しかし、全員がすぐ納得したわけではない。

 

 村紗は腕を組んだまま言った。

 

「紅魔館がやってない証拠は見た。でも、紅魔館の名前が使われたのは事実だ」

 

「その通りです」

 

 咲夜は即答した。

 

「だから紅魔館が回収します」

 

「回収?」

 

「偽封印紙、偽荷札、偽写本、偽倉庫、噂の流通経路。すべてです」

 

 美鈴が静かに言う。

 

「湖畔の逃げ道も見ています。夜霧会が船で逃げても、山側へ抜けても、追えます」

 

 神奈子が問う。

 

「守矢の水利札の偽造元も押さえるのか」

 

「もちろんです」

 

 咲夜は答えた。

 

「夜霧会が使った印は、紅魔館だけの問題ではなくなっています」

 

 永琳が言う。

 

「偽写本で患者が出た以上、永遠亭としても放置できないわ」

 

 白蓮も頷いた。

 

「命蓮寺の救済物資を止めた責任も問います」

 

 霊夢は全員を見回した。

 

「夜霧会がやったことは分かった。でも、ここで各勢力が勝手に動いたら、また抗争になる」

 

 村紗は不満そうにする。

 

「じゃあどうする」

 

 霊夢は咲夜を見る。

 

「紅魔館が主導するの?」

 

 咲夜は答える前に、レミリアを見た。

 

 レミリアが小さく頷く。

 

 咲夜は霊夢へ向き直る。

 

「紅魔館が主導します。ただし、博麗神社、人里、命蓮寺、守矢、永遠亭へ証拠を共有します。夜霧会の各倉庫を押さえる際は、関係する印が使われた勢力に立会いを求めます」

 

 慧音が筆を走らせる。

 

「証拠保全は」

 

「小悪魔と妖精メイドが目録を作ります。人里関係の証言は慧音様に写しを渡します。永遠亭関係の写本被害は永琳様へ。命蓮寺の荷止め記録は白蓮様へ。守矢の水利札は神奈子様へ」

 

 霊夢は少し感心したように言う。

 

「準備がいいわね」

 

「紅魔館ですので」

 

 魔理沙が笑う。

 

「咲夜の“紅魔館ですので”は、だいたい怖いな」

 

 咲夜は無視した。

 

   *

 

 その時、境内の端に一人の商人が駆け込んできた。

 

 人里の問屋筋の男だった。

 

 息を切らし、顔色が悪い。

 

「博麗様、慧音様!」

 

 慧音が立ち上がる。

 

「どうした」

 

「また紙が……夜のうちに店に」

 

 男は震える手で紙を差し出した。

 

 赤い紙。

 

 紅魔館の封印紙に似せたものではない。

 

 今度は、噂札だった。

 

 そこには、こう書かれていた。

 

 **紅魔館評定出席中。

 湖畔倉庫閉鎖前に荷を移せ。

 妹君注意。**

 

 境内の空気が、一瞬で変わった。

 

 美鈴の表情が消える。

 咲夜の目が冷える。

 レミリアは微笑んだまま動かない。

 

 白蓮が小さく息を呑む。

 

 神奈子は目を細めた。

 

 霊夢は紙を見て、低く言った。

 

「評定中に動かしてるわね」

 

 咲夜は紙を受け取り、見る。

 

「湖畔倉庫閉鎖前に荷を移せ」

 

 美鈴がすぐに地図を見る。

 

「第三倉庫から、古い桟橋へ抜ける道があります」

 

 咲夜は懐中時計を開いた。

 

「動き出しましたね」

 

 レミリアがようやく口を開いた。

 

「咲夜」

 

「はい」

 

「退屈が終わったわ」

 

 咲夜は静かに一礼する。

 

「では、紅魔館の反撃を開始します」

 

 霊夢が声を挟む。

 

「待ちなさい。ここは博麗神社よ」

 

 レミリアは霊夢を見る。

 

「止める?」

 

「止めない。ただ、勝手に幻想郷中を荒らされると困る」

 

 レミリアは小さく笑った。

 

「荒らさないわ。片づけるだけ」

 

 霊夢は咲夜を見た。

 

「証拠は保全。関係勢力に立会い。人里へ被害を出さない。命蓮寺の荷は優先して通す。偽写本は回収。守矢札も押さえる」

 

「承知しています」

 

「それと」

 

 霊夢はレミリアを見る。

 

「フランドールは出すな」

 

 境内が静かになる。

 

 レミリアはしばらく霊夢を見ていた。

 

 そして、にっこり笑った。

 

「出さないわ。まだ」

 

 霊夢は嫌そうな顔をする。

 

「その“まだ”が一番嫌なのよ」

 

 レミリアは答えない。

 

   *

 

 咲夜の指示は早かった。

 

「美鈴。湖畔第三倉庫から古い桟橋までの道を封じて」

 

「はい」

 

「小悪魔。偽写本と封印紙の証拠箱を博麗と慧音様へ一時保管。写しを命蓮寺と守矢へ」

 

「はい」

 

「妖精メイド隊は、湖畔倉庫の目録作成班、船便確認班、紙片回収班に分けます」

 

 美鈴が門番らしからぬ鋭い顔で頷く。

 

「逃げ道は任せてください」

 

 村紗が前へ出た。

 

「船便は私も行く」

 

 咲夜は一瞬だけ村紗を見る。

 

「命蓮寺の船を使えますか」

 

「夜霧会の船を逃がすくらいならな」

 

「助かります」

 

 神奈子は早苗に言う。

 

「守矢の札を使われた倉庫を確認しろ。早苗、あなたも行きなさい」

 

「はい」

 

 永琳は鈴仙へ向く。

 

「偽写本で具合の悪くなった者がいないか、人里を回って確認」

 

「はい」

 

 慧音は帳面を閉じた。

 

「私は人里へ戻る。噂札がどの店に届いたか確認する」

 

 妹紅が言う。

 

「私も行く。妙な連中がいたら足止めする」

 

 霊夢は御幣を担いだ。

 

「私はここから全体を見る」

 

 魔理沙がにやりとする。

 

「私は第三倉庫を見に行くぜ」

 

「盗むなよ」

 

「失礼だな。見るだけだ」

 

「見るだけで済んだ試しがない」

 

 咲夜は懐中時計を閉じた。

 

 銀の音が鳴る。

 

「時間を区切ります。日没までに証拠を押さえ、夜霧会の荷移しを止める。黒羽霧重本人は、まだ泳がせます」

 

 村紗が不満そうに聞く。

 

「なぜだ」

 

「頭を押さえるには、本人が自分の荷へ戻る時を待つ方が確実です」

 

 美鈴が言う。

 

「逃げ道を塞いでから、ですね」

 

「ええ」

 

 咲夜はレミリアを見る。

 

 レミリアは満足そうに微笑んだ。

 

「いいわ。逃げ道を全部消してから、私の前に連れてきなさい」

 

 咲夜は深く頭を下げた。

 

   *

 

 評定はそこで終わった。

 

 いや、正確には、評定が作戦会議へ変わった。

 

 紅魔館を疑うために集まった者たちは、気づけば紅魔館の証拠を手に、夜霧会を追う側になっていた。

 

 霊夢は境内に残り、ため息をついた。

 

「結局、紅魔館主導じゃない」

 

 藍が静かに言った。

 

「ただし、今回は証拠が共有されています」

 

「そこが救いね」

 

 霊夢は賽銭箱に寄りかかる。

 

「紅魔館が本気で怒ってる時点で、もう半分終わってるわね」

 

 藍は湖畔の方を見る。

 

「残り半分は?」

 

 霊夢は短く答えた。

 

「咲夜が終わらせる」

 

   *

 

 人里では、慧音と妹紅が噂札を集めていた。

 

 届いた店は七つ。

 すべて湖畔と取引のある問屋。

 すべて、夜のうちに裏口へ差し込まれていた。

 

 文面は少しずつ違う。

 

 **紅魔館評定中。荷を移せ。**

 **湖畔倉庫、今夜閉鎖。赤館筋注意。**

 **妹君注意。紙は燃やせ。**

 **命蓮寺荷、別便へ回せ。**

 

 慧音は一枚ずつ写した。

 

 ただし、商人の名前は伏せる。

 

 妹紅が聞く。

 

「名前は書かないのか」

 

「書けば、夜霧会に脅された商人として残る」

 

「じゃあ、どうする」

 

「店の位置と紙の文面だけ記録する。証言者名は別封で保管する」

 

「細かいな」

 

「細かくしないと、人は紙で傷つく」

 

 妹紅は何も言わなかった。

 

 外では、湖畔の方へ向かう美鈴と村紗の姿が遠くに見えた。

 

「紅魔館と命蓮寺が一緒に動いてるぞ」

 

 妹紅が少し笑った。

 

「夜霧会、本当に喧嘩を売る相手を間違えたな」

 

 慧音は静かに答えた。

 

「間違えたのではない。利用できると思った」

 

「どっちにしても終わりだ」

 

   *

 

 日が傾く頃、霧の湖の上には、静かな包囲網が広がっていた。

 

 命蓮寺の船が水路を押さえる。

 美鈴が湖畔の道を塞ぐ。

 妖精メイド隊が倉庫の周囲を記録して回る。

 早苗が守矢札の偽物を見つけ、神奈子へ報告を送る。

 魔理沙は第三倉庫の屋根から中を覗き、偽写本の束を確認した。

 咲夜は、時間を刻みながらすべての報告を一本の線へまとめていく。

 

 夜霧会は、紅魔館を包囲したつもりだった。

 

 噂で囲み、偽札で縛り、評定に引きずり出し、その隙に荷を逃がすつもりだった。

 

 だが、実際に包囲されていたのは夜霧会の方だった。

 

 咲夜は湖畔の小高い場所に立ち、懐中時計を開いた。

 

 美鈴が近づく。

 

「第三倉庫、荷の移動を始めました」

 

「船は」

 

「村紗さんが水路を押さえています」

 

「山道は」

 

「私が見ています」

 

「偽写本は」

 

「魔理沙さんが“見つけた”そうです」

 

 咲夜は少しだけ目を細めた。

 

「盗ってはいませんね」

 

「たぶん」

 

「たぶん、では困ります」

 

 美鈴は苦笑した。

 

 咲夜は湖畔第三倉庫を見た。

 

 霧の中、黒い影が動いている。

 

 夜霧会の者たちは、まだ自分たちが逃げられると思っている。

 

 咲夜は懐中時計を閉じた。

 

「では、始めます」

 

「制圧ですか」

 

「まだです」

 

 咲夜は静かに言った。

 

「今は、最後の逃げ道を確認する時間です」

 

 美鈴は頷いた。

 

「咲夜さん、こういう時、本当に怖いですね」

 

「紅魔館の従者ですので」

 

 霧の湖に、夕闇が落ちていく。

 

 紅魔館包囲網。

 

 夜霧会がそう呼んだ噂は、逆に自分たちを縛る網になった。

 

 紅魔館は疑われた。

 

 だが、疑いの場に証拠を持ち込み、疑いを刃に変えた。

 

 次に来るのは、制裁だった。

 

   *

 

 その夜、紅魔館の大広間で、レミリアは咲夜から報告を受けた。

 

 湖畔第三倉庫の位置。

 偽写本の束。

 夜霧会の船便。

 守矢札の偽造紙片。

 命蓮寺荷札の写し。

 人里への噂札。

 黒羽霧重の側近の出入り。

 

 すべてが揃いつつあった。

 

 レミリアは静かに聞いていた。

 

 そして最後に言った。

 

「明日ね」

 

 咲夜は頷く。

 

「はい。夜霧会が第三倉庫から主荷を動かす時に、全拠点を同時に押さえます」

 

「美鈴は」

 

「逃走路を封鎖」

 

「パチェは」

 

「偽写本の魔力追跡を継続」

 

「命蓮寺は」

 

「船便を押さえます」

 

「守矢は」

 

「水利札偽造の倉庫へ立会い」

 

「博麗は」

 

「全体の立会い」

 

「人里は」

 

「証言保全」

 

 レミリアは満足そうに微笑んだ。

 

「いいわ」

 

 咲夜は一礼する。

 

 その時、大広間の扉の向こうから、軽い足音が聞こえた。

 

 フランドールだった。

 

 咲夜の表情が一瞬だけ固まる。

 

 レミリアは振り返らない。

 

 扉の向こうで、フランドールの声がした。

 

「お姉様」

 

「何かしら」

 

「私の名前、まだ使われてる?」

 

 大広間の空気が静まる。

 

 レミリアは少しだけ笑った。

 

「ええ。まだね」

 

「ふうん」

 

 フランドールの声は明るい。

 

 それが逆に、部屋の者たちを黙らせた。

 

「じゃあ、明日は私も見る」

 

 咲夜が言いかける。

 

「妹様、それは」

 

 レミリアが手で制した。

 

「いいわ」

 

 咲夜は驚いてレミリアを見る。

 

 レミリアは静かに言った。

 

「出すとは言っていない。見るだけよ」

 

 扉の向こうで、フランドールが笑った。

 

「見るだけ」

 

 その声を聞いて、レミリアは窓の外を見た。

 

 霧の湖は暗い。

 

 その向こうに、夜霧会がいる。

 

 紅魔館の恐怖を勝手に売った者たち。

 

 紅魔館の名前で他者を黙らせた者たち。

 

 紅魔館の妹の名まで紙にした者たち。

 

 レミリアは静かに言った。

 

「明日で終わらせるわ」

 

 咲夜は深く頭を下げた。

 

「承知しました」

 

 紅魔館を包囲したつもりの夜霧会は、知らない。

 

 紅魔館は、包囲された時こそ強い。

 

 館の門は閉じている。

 

 だが、その影はもう湖畔全体へ伸びていた。

 

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